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[4634]真犯人は日本陸軍高級将校たち(1) 核心 07/6/9(土) 11:13
[4637]真犯人は日本陸軍高級将校たち(2) 核心 07/6/9(土) 19:23
[4643]真犯人は日本陸軍高級将校たち(3) 核心 07/6/9(土) 21:12
[4647]平林貞治氏の立場 核心 07/6/11(月) 9:37
[4648]福田篤泰氏を発見 核心 07/6/12(火) 12:46
[4649]Re(1):福田篤泰氏を発見 熊猫 07/6/12(火) 21:39
[4650]「南京虐殺の虚構」 核心 07/6/13(水) 0:22
[4651]「証言・南京大虐殺」 核心 07/6/15(金) 4:59
[4653]逆襲説の起源 核心 07/6/15(金) 22:55
[4654]Re(1):逆襲説の起源 熊猫 07/6/19(火) 9:52
[4655]他の部隊だと思います 核心 07/6/19(火) 10:23
[4656]兵の質の低下説の起源 核心 07/6/19(火) 13:01

[4634]真犯人は日本陸軍高級将校たち...
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 核心 E-MAIL  - 07/6/9(土) 11:13 -

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   父(栗原利一)の蔵書の「南京大虐殺」(洞富雄氏、現代史出版会、1975年8月15日発行)を読んでいるところなのですが。
父はこの本の裏に昭和57年8月14日の毎日新聞の記事「8・15変質、悪夢の体験、いま証言」という731部隊の元運転手の記事を貼り付けています。
父の蔵書は任意に書き込みがなされているものがありますが、この本への書き込みは数行です。

この本までを読んだ感想なのですが。

1.まず、南京大虐殺はあった。しかも当時の日本軍指導者の相当数が係らなければ出来ないような規模であった。

2.南京事件に関係して死刑となったものは松井石根氏、谷寿夫氏、野田毅氏、向井敏明氏。
どうもこの人達は大虐殺の真犯人ではないように思います。
この人達は真犯人のスケープゴートにされたような印象です。
そして真犯人は大虐殺を「共同で計画し、指示し、かつ戦後隠蔽工作をした」当時の日本陸軍の高級将校たちだったのだと思います。
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[4637]真犯人は日本陸軍高級将校たち...
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 核心 E-MAIL  - 07/6/9(土) 19:23 -

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   私がなぜ父(栗原利一)の証言から入ったかと言うと真実を言う可能性のあるのが父くらいしか知らなかったからです。
以前もお話したように父に(偶然的とは言え)真実を話すことを勧めたのは私だけです。
(この件は昨日、小野賢二さんにもお伝えしておきました。彼は全くネットなどには興味はないでしょうから。)
「南京大虐殺」(洞富雄氏)にも同様の記述がありますので、お知らせしておきます。

140頁

”..当事者ほど、とくにその責任者ほど、真実を語りたがらない、いや、けっして真実を語らない...”
 
”私はこのことを、極東国際軍事裁判に証人として出廷した南京攻略戦参加の高級将校たちの証言を読んで、つくづく感じた...”

自分から、私が処分(=虐殺)を命じました、とか、私たちが共謀して、とか言うはずがない、ということです。

65連隊は父の証言や「南京大虐殺を記録した皇軍の兵士たち」があるから解明できるとは思いますが。

以前もお話したようにこの件に関しての父の話は
「あれほどのことは両角さんの了解(指示?)がなければ出来ないことだ。」ということですから。
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[4643]真犯人は日本陸軍高級将校たち...
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 核心 E-MAIL  - 07/6/9(土) 21:12 -

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   戦史室が捏造派に協力的というか同質的というか、捏造派そのものだ、というべきなのか迷うところです。
捏造派は「責任は高級将校」ではなくて「兵の質の低下」と言う、真実とは反対のロジックを用いています。
 
142頁

”鈴木氏によれば、防衛庁資料室(戦史室?)では、南京で残虐事件が起きた理由として...日本軍隊の「質的低下」を指摘しているという...”

全く失礼な話です。
父の証言の通り「上官の命令は陛下の命令」なのですから。
栗原証言や児玉証言と比較すれば判りますが、捏造派はいかにいい加減な理由付けするかということです。
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[4647]平林貞治氏の立場
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 核心 E-MAIL  - 07/6/11(月) 9:37 -

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   私は「郷土部隊戦記1」を読むまでは平林氏の立場を深く知りませんでした。

1.平林氏は「郷土部隊戦記1」(昭和40年、福島民友新聞社)では大活躍されたことが記述されています。
ということは、ご自身の経験を話すことによりこの本の作成に大いに協力した、ということです。
ということは、南京についても真実を知っている、ということです。
平林氏の軍隊経歴は以下の通りです。
 
(編成)昭和12年 9月18日 連隊砲中隊小隊長(少尉)
    昭和13年 5月 1日 連隊砲中隊小隊長(少尉)
    昭和14年 1月 1日 連隊砲中隊小隊長(中尉)
    昭和15年 1月 1日 連隊砲中隊中隊長(中尉)
    昭和16年 1月 1日 連隊砲中隊中隊長(中尉)
    昭和17年 1月 1日 連隊砲中隊中隊長(大尉)
    昭和18年 1月 1日 (記載無し)
    昭和18年12月31日 第二大隊長(大尉)
    昭和19年 3月15日 第二大隊長(大尉)
    昭和20年 8月20日 第二大隊長(少佐)
    昭和21年 6月(復員時)連隊本部副官(少佐)

2.平林氏は昭和48年の「南京大虐殺のまぼろし」(鈴木明氏)では、
幕府山の件について「自衛発砲説」とか「暴動説」を証言されています。
平林氏は(両角氏や山田氏から後事を託されたか、自分で買って出たかは判りませんが)、あえて真実を曲げて捏造証言をされたことになります。

3.平林氏は昭和59年7月に「歩兵第六十五連隊戦友名簿」を編纂されています。

4.昭和59年8月にいたり、栗原証言(処分=虐殺説)が世に出ました。
また、平林氏の編纂された名簿を元に小野賢二氏が「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」を刊行されました。
これらにより平林証言の捏造性が明らかになりました。

5.このころの平林貞治氏の戦友会における活動は以下の通りです。

昭和60年4月28日 連隊合同慰霊祭(祭典副委員長)
昭和61年9月13日 第12回歩65戦没者慰霊祭(祭典委員長、歩65残桜会会長)
平成2年8月31日  第14回歩65慰霊祭(祭典委員長、歩65残桜会会長)

父は昭和61年9月13日に名刺交換しています。
頂いた名刺に日付が記載されています。

6.東中野修道氏は「南京虐殺の徹底検証」で決定的間違いを犯しています。
ついに栗原証言を一切取り上げなかったからです。
あえて、捏造証言である平林証言だけに頼って論述されてます。
これは、自ら「捏造派」であることを宣言されているようなものです。

戦史室も同様ですが、平林氏は充分、連隊の指揮系統を把握する立場にい続けながら、あえて証拠も無く捏造証言を行った(もしくはそれを了承した)、ということは、事実を明らかにすることを拒む意思を強固に持たれていた、ということだと思います。
つまり、明らかには出来ないほどの事実(高級将校が虐殺の計画や指示に係った)があったことを暗に認めているのと同じだ、と言うことです。
平林証言は栗原証言に重なる部分はないわけですから、栗原証言が事実を述べているものであるなら、平林証言は虚偽を述べていることになるのです。
そして日本「南京」学会と戦史室は平林証言を採用しているのです。
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[4648]福田篤泰氏を発見
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 核心 E-MAIL  - 07/6/12(火) 12:46 -

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   福田篤泰さん、私が小学校6年生の時の国会見学でお会いしました。
「おうちに帰ったらお父さん、お母さんによろしくお伝えください。」と言った挨拶を直接されていました。
小平市は彼の地盤でしたから。

「郷土部隊戦記1」(福島民友新聞社、昭和40年刊行)の序言を防衛庁長官として書かれていたと思ったら、
父の蔵書(青木書店から贈られたものだと思います。書き込みはありません。)「証言・南京大虐殺」(青木書店、1984年)にも関連する記述がありました。

193頁

”(55)...救済委員会主席...は、[1937年]12月21日、
日本大使館員の福田[篤泰]に書簡を送り、「本日午後、貴大使館の入口で婦人が強姦された」と書いている(「日寇燃犀録」2頁)。

福田篤泰氏は南京大虐殺を知っていたわけですね。
私にとっては新発見でした。
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[4649]Re(1):福田篤泰氏を発見
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/12(火) 21:39 -

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   >福田篤泰氏は南京大虐殺を知っていたわけですね。
>私にとっては新発見でした。

 『1億人の昭和史 日本の戦史 3日中戦争 1』毎日新聞社(1979年)261項
 ティンパレー報道の真相というタイトルで、福田篤泰氏の文章があります。最後に「(談)」となっとなっていますので、聞き取りによるものなのかもしれません。
61 hits

[4650]「南京虐殺の虚構」
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 核心 E-MAIL  - 07/6/13(水) 0:22 -

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   福田篤泰氏の証言はグーグルで検索して「ゆう」さんの頁で見つけました。
父(栗原利一)は昭和59年8月23日に田中正明氏から「南京虐殺の虚構」を贈られています。
いま読んでいる途中なのですが福田篤泰氏の証言が長々と掲載されています。
「郷土部隊戦記1」に両角業作氏と一緒に序言を書かれている方ですから、大虐殺を否定する方向で証言されていますね。

「証言・南京大虐殺」(青木書店)を読むと南京大虐殺の取扱が中国側でも変遷しているのがわかります。
46 hits

[4651]「証言・南京大虐殺」
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 核心 E-MAIL  - 07/6/15(金) 4:59 -

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   中国側の証言を集めた「証言・南京大虐殺」(青木書店、1984年8月発行)にも高級将校や将校の関与をうかがわせる記述があります。

「下関中山碼頭の大虐殺」

ここの記述に父の証言と状況が非常に似ている部分がいくつかあります。
父の証言を反射に使うとそれらが真実であることが判ります。
概略は難民五千人以上が歩兵銃と機関銃で射殺され、死体は長江に投げ入れらえた、というものです。
まず、難民が「地面に坐らせられ」長い間(午後12時から5時まで)待たされたこと。
つぎに、「空が暗くなりはじめてから」(誰にも知れないように、だと思います。)。
最後に、「機関銃で」大虐殺が行なわれた、ということです。

この中に「新式自動車が一両到着し、地位の高い長官らしき者が車から下りると、多数の帯刀した者たちが前に出てこれに敬礼し」それから虐殺が開始された、とあります。

また、この本には死体が焼かれている、というケースが幾つか出てくるのですが、中国側では焼き殺したと考えられていたようですが、私は父の証言のように生存を確認するために行われたのが主だと思います。
綿服なので黒こげになってしまったものもあったのだと思います。
49 hits

[4653]逆襲説の起源
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 核心 E-MAIL  - 07/6/15(金) 22:55 -

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   現在、父が捏造派の方から贈られたと思われる「決定版・南京大虐殺」(洞富雄氏)を読んでいるところなのですが。

逆襲説の起源(私の読書歴では)というべき記述に出くわしました。

「戦争の流れの中に」(前田雄二氏)の引用です。

42頁

”城内に戻って、警備隊の参謀に尋ねてみた。
少数の日本部隊が、多数の投降部隊を護送中に逆襲を受けたので撃滅した、
というのが説明だった。”

考えてみれば、将校たちは当然事前に言い訳も打ち合わせていたということです。
51 hits

[4654]Re(1):逆襲説の起源
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 熊猫 E-MAIL  - 07/6/19(火) 9:52 -

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    前田雄二氏の著書が善本社から出版されたのは、1982年8月1日です。『戦争の流れの中に』からは幕府山事件の記述らしき「少数の日本部隊が、多数の投降部隊を護送中に逆襲を受けたので撃滅した」というのがあります。前田雄二氏の著書から幕府山事件のことであると断定できるかがポイントになると思います。場所は「下関の下流」で死体を見たのは「12月18日」であり、死体の様子は書かれていますが、そこが幕府山事件の現場なら死体処理の日本兵と遭遇したはずですがそれがありません。私は前田氏が体験して記述したところは信用しますが、推論で書いたところは信用していません。
 歩兵第65連隊ではなく他の部隊の殺害の記述である可能性もあるという前提で読む必要があると思います。

 阿部輝郎氏の『南京の氷雨』が出版されたのは1989年12月20日ですので、阿部氏は前田氏の『戦争の流れの中に』の記述が頭にあったのではないでしょうか。
50 hits

[4655]他の部隊だと思います
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 核心 E-MAIL  - 07/6/19(火) 10:23 -

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   >他の部隊の殺害の記述である可能性もあるという前提で読む必要があると思います。

私は全く他の部隊だ、と考えています。
日本軍将校共謀説で考えていますので、虐殺の時点で既に部外者からの質問を想定して逆襲説が考えられていたのだ、と気が付いたということです。
平林証言は捏造証言である、と断定している立場からすれば当然でしょうけど。
私は基本的に字句にとらわれた解釈をすることには今のところ興味はありますせん。
日本「南京」学会は東中野修道氏の「南京虐殺の徹底検証」では平林証言の立場に立っているわけですから。
57 hits

[4656]兵の質の低下説の起源
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 核心 E-MAIL  - 07/6/19(火) 13:01 -

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   戦史室の唱える「兵の質の低下説」の起源を見つけました。

「決定版・南京大虐殺」(洞富雄氏)の武藤章の検事尋問書です。

184頁

”南京...で残虐行為を働いた軍隊は、急いで動員された者でして、正しい軍隊教育を受けていなかったのです。...家庭および学校における教育を改善しなければならない...”

随分おしゃべりな方だったようです。
49 hits

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