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さる4月27日、西松建設・中国人強制連行訴訟等で最高裁が重大な判決を下しましたが、これについて「史実を守る会通信」第6号(2007.06.02)に記事を書きました。 これに少し加筆したものを思考錯誤板に掲載させていただきます。
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4月27日、最高裁第二小法廷が西松建設強制連行訴訟、第一小法廷が中国人「慰安婦」第2次訴訟で判決を下し、さらに劉連仁強制連行訴訟、中国人「慰安婦」第1次訴訟、中国人強制連行福岡訴訟の3件で決定を出し、いずれも中国人戦争被害者の敗訴が確定しました。 控訴審(広島高裁)が中国人戦争被害者側の請求を認容していた西松建設強制連行訴訟は破棄自判で、中国人「慰安婦」第2次訴訟は上告棄却判決で、他の3件は上告および上告受理申立てがいずれも不適法として決定の方式による棄却(上告受理申立ての方は却下)でした。
そして、西松建設強制連行訴訟と中国人「慰安婦」第2次訴訟で最高裁は、中国国民個人の請求権問題について初の判断を行いました。 中国国民個人の請求権問題とは1972年の日中共同声明により、中国側の政府としての賠償請求権だけでなく中国国民個人の賠償請求権まで放棄されたか否かという問題です。 これについて最高裁は、日中共同声明により個人の請求権は「裁判上訴求する権能」が失われたものである旨を判示しました。 日中共同声明には「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と、中国側の政府としての賠償請求権放棄については述べられているものの、中国国民個人の賠償請求権については言及がありません。にもかかわらず最高裁は、国民個人の請求権放棄を定めたサンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる取り決めが日中共同声明においてなされたとは解されないとした上で、サンフランシスコ平和条約と同様に日中共同声明でも国民個人の請求権は放棄する旨が定められたと解されるとして、「裁判上訴求する権能」が失われたと判示したのです。 この判断は日中共同声明の解釈について日本国側にのみ立った不公正なものです。また、そもそも個人の請求権を国家が勝手に放棄できるものではないはずです。 全く不当な判決であり、厳しく批判されなければなりません。
ただ、今回の最高裁判決は以下の点も注目すべきと思われます。
第一に、最高裁は、西松建設強制連行訴訟と中国人「慰安婦」第2次訴訟ともに原審(控訴審判決)が認定した戦争被害の事実(日本の軍民による強制連行・強制労働・奴隷的酷使の事実、旧日本軍が中国人の少女を強制的に拉致・監禁し、継続的かつ組織的に性的暴力を加えた事実など)を判決文の中で再度述べ、原審で適法に確定していることを確認しました。 上告審は法律審なので自ら事実認定を行いません。あくまで控訴審までに提出された訴訟資料に基づき、控訴審の法律判断を審査するのみです。 けれども、最高裁が判決文の中で控訴審で確定された被害事実の認定を再度述べて確認した点は評価できるでしょう。
第二に、最高裁は、「請求権放棄」問題について次のように述べています。
サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,上記のように請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあることにかんがみると,ここでいう請求権の「放棄」とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。 この「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまる」の意味ですが、一般に債権の効力は、弱いものから順に、給付保持力、訴求力、執行力という段階があると言われています。 給付保持力とは任意に給付されたものを受け取って保持する権利(債務者から返還請求を受けることのない権利)のことで、訴求力とは判決手続で実体法上の権利の存否を判定してもらえる権利のことで、執行力とはその確定判決の内容を強制執行によって実現できる権利のことです。 今回、最高裁は、個人請求権は国際条約によって執行力はおろか訴求力までも失われたのだが、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく」と述べていることから、給付保持力については国際条約によっても失われないと判断したものと解されます。 この給付保持力すらないとなると、これまで和解で被害者に支払われたものまで、債務がないのに弁済がなされたとして、不当利得返還請求を受けることになりかねませんが(訴訟上の和解であっても判例は制限的既判力説なので、そうなりうると思われます。)、それはないということです。 (この給付保持力しかない債権は「自然債務」とも呼ばれ、強制執行によって実現可能な「法律債務」と区別されます。) このような給付保持力しかない債権が存在することは、カフェー丸玉女給事件という戦前の有名な大審院の判決以来、認められているのです。 つまり、債権者は裁判所という公権力の手を借りて債権を実現することまではできないが、非常に弱い形で債権自体はあり、債務者は自分の財産を差し押さえられるなどの強制執行をされることはないものの、債務を履行する義務が完全にないわけではなく、少なくとも道義的な履行義務ぐらいはある、ということです。 従って、日本国や加害企業が、今後も戦争被害者への補償を拒み続ければ、少なくとも道義的な責任は免れないことになりえます。 また、今後の戦後補償裁判でも、裁判所は終局判決によって解決することはできなくても和解あっせんのイニシアを持つことは十分可能なのではないかと思われるのです。
西松建設強制連行訴訟・最高裁判決の全文はこちらです。↓ http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070427134258.pdf
中国人「慰安婦」第2次訴訟・最高裁判決の全文はこちらです。↓ http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070427165434.pdf
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