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今、本屋に並んでいる『諸君!』2007年8月号のp136〜151に、第46回直木賞受賞で小説家・詩人の伊藤桂一氏による「僕が出会った気高き慰安婦たち」という慰安婦問題についての証言が掲載されています。聞き手は野田明美氏です。↓ http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/index.htm
なかなか面白いものですので、紹介させていただきます。
伊藤桂一氏は1917年生まれで、1937年に徴兵検査を受け、1938年1月に現役兵として習志野の騎兵連隊に入営、約4年間を華北(山西省付近)で過ごし、1941年に上等兵になり、同年9月に日本に帰還し除隊になり、1年の休養後、1943年3月に召集され、今度は歩兵として華中(安徽省付近)へ送られ、終戦は伍長として上海郊外で迎えたのだそうです。
さて、伊藤氏は
いや、僕もむろん、全容を知ってるわけではありません。 と述べた上で、次のように証言します。
僕らからすると、戦場慰安婦というのは、兵隊と同じ。兵隊の仲間なんです。本当に大事な存在だったんですね。いまよく言われているような、日本の官憲に拉致されて、泣き叫ぶのを無理やり性奴隷≠ノされた、という話は聞いたことがないですね。 当時は公娼制度があって、官憲が強制連行する必要などそもそもないし、本人たちも一応納得してーーむろん不本意だったろうし、悪質業者に騙されてということもあったでしょうがーーというのが建前だった。奴隷狩りなどではなく、きちんと筋を通して集められていたんです。
慰安婦問題は千差万別で、慰安婦になった経緯もいろいろでしょうね。家が貧しかったり親が病気だったり・・・・・。本人たちにしてみれば、不本意だし悲惨な目にもあったでしょう。でも、それは悲しい現実で、昔からあることなんですね。 どうやら伊藤氏が否定しているのは「日本の官憲が泣き叫ぶのを無理やり拉致して慰安婦にした」という話だけのようです。 女性たちが自由意思で売春に従事していたのかというと、決してそうではなかったようです。 女性たちが慰安婦になったのは「不本意だったろうし、悪質業者に騙されてということもあったでしょう」と述べていることから、強制があったことを伊藤氏は否定していません。少なくとも自由意思に基づいて慰安婦になったわけではなかったようです。「本人たちも一応納得して」という「建前」があったぐらいのようです。「不本意だし悲惨な目にもあったでしょう」とも伊藤氏は述べています。 どうも、やはり強制売春であったことは伊藤氏の証言からも否定できないようです。
さて、では、そのような強制売春が行われていたらしい「慰安所」とは誰が作り、誰が管理・運営するものだったのでしょうか? 伊藤氏の証言をさらに見ていきます。
また一方で、軍は慰安所に無関係だった、あれは民間が勝手にやったことだという意見も耳にするけど、そんなことはない。僕は、「慰安婦募集の一記録」という一文を書いたことがあります。満州にいた関東軍の第六国境守備隊隊長だった菱田という大佐が、北満州の西崗子という町に、軍の管理する慰安所を作ったという話です。 (中略)
彼の慰安所計画は、憲兵隊長の強い反対にあいます。民間人がやるならともかく、軍みずから慰安所を作るなんてとんでもない≠ニ。しかし、菱田部隊長は君たちは料亭の女を専有しているからよい。兵隊たちは性の処理をどうするんだ≠ニ反論して、これを認めさせた。民間人に任せると性病がこわいし、情報も漏れる。それならいっそ軍がしっかり管理して、慰安婦たちにも安心して働いてもらおうというのが菱田大佐の発想なんですね。
ーその話は直接聞かれたんですか?
菱田大佐の部隊にいた人に詳しく聞きました。その慰安所は、「満州第十八部隊」と名づけられました。 「慰安所」は軍が作った、軍管理の施設であったことが明確に述べられています。 どうやら、旧日本軍は、軍が作り、軍が「しっかり」管理する慰安所で、「悪質業者に騙されて」「不本意」に慰安婦にされた女性たちを「兵隊たち」の「性の処理」などのための売春に従事させていたようです。その結果、その女性たちは「悲惨な目にもあった」ようです。
さらに伊藤氏は次のように証言しています。
慰安婦は、朝鮮の慶尚北道、慶尚南道で募集し、志願してきた女性は軍属として、判任官待遇とする。衣食住は軍持ち。前借も無期限、無利子で自分の稼ぎによって返済する。つまり、稼げば稼ぐだけ、前借している金を返すことができるわけです。民間の慰安所の場合、楼主夫婦をお母さん、お父さんと呼んで擬似一家の構成にしているから、稼いでも途中でピンはねされてしまうという弊害があった。しかし、軍の慰安所にはそういう心配は、もちろんありませんでした。 そのほか、軍は、管理はするけれど生活には干渉しないとか、そういった条件をきちんと謳って募集したんです。 慰安婦は「軍属として、判任官待遇」とされたのだそうです。 「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった」という否定論の第1ページに書かれている言説を伊藤氏は明確に否定しました。 さらに、慰安婦とされた女性たちが借金漬けの状態で、その前借金を「自分の稼ぎによって返済する」、つまり借金返済のための売春を強いられていたということが窺われます。
ところで、当時、内地の公娼精度は次のように言われ、批判されていました。
「前借金の名の下に人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない二〇世紀最大の人道問題」 (戦前、廃娼運動を行っていた廓清会の内相あて陳情書)
日本軍の慰安婦制度も、(少なくとも)これと同じだったようです。 伊藤氏が言っているのは、民間がやっていたものより多少はマシだったという程度の話のようです。
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