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[4779]65連隊関係の捏造(平成19年8月) 核心 07/8/9(木) 1:40
[4780]65連隊関係の虐殺の概要 核心 07/8/9(木) 12:09
[4789]「郷土部隊戦記1」における捏造 核心 07/8/10(金) 21:26
[4791]「”南京大虐殺”のまぼろし」での捏造 核心 07/8/11(土) 16:46
[4792]「ふくしま 戦争と人間1」での捏造 核心 07/8/12(日) 9:56
[4795]「南京の氷雨」における捏造 核心 07/8/13(月) 20:51

[4779]65連隊関係の捏造(平成19...
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 核心 E-MAIL  - 07/8/9(木) 1:40 -

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   65連隊関係の捏造についてまとめておきます。
今後、自分の勉強が進むに連れて内容を変更することになると思うので年月別にしておきます。
秦氏の増補版を読んで、なぜ日本で史実が一般化しないのかよく分かりました。
秦氏の基準では、全く真実に到達できないことも説明できると思います。
真実は何か、を求めるのが通常のアプローチの方法でしょうが、戦史室や偕行社、日本「南京」学会のように史実をゆがめる意図のある人を含む集団が存在するのも現実です。
このような状況では、ゆがめられた事実が何であるかを指摘しておくことも真実に到達するためには必要だと思います。

65連隊関係の捏造者、即ち虚偽資料作成者、虚偽証言者は旧将校、兵士など多数に上ります。
これらの捏造に中心的役割を果たしているのが阿部輝郎氏です。
阿部氏の関係した本を中心に捏造の内容について説明して行きます。
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[4780]65連隊関係の虐殺の概要
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 核心 E-MAIL  - 07/8/9(木) 12:09 -

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   65連隊関係の捏造を指摘して行く前に、65連隊関係の虐殺がどうであったかを説明しておきます。
虚偽証言や虚偽資料を指摘することは簡単ですが、真実がどうであったかを検証することはより困難です。
基本的に「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」や栗原証言、スケッチ帳を軸に考えていけばいいでしょう。
嘘をつかない人の証言や記録を最重要視すればよいだけの話です。
(65連隊の虐殺については暫く勉強が進んでからまとめる予定です。)
考えは「南京の氷雨」の阿部輝郎氏のものを多少変更しました。
(南京問題の複雑さは捏造するほうが時として真実を知っているということです。彼らは真実に近づけまいとして捏造するので、一般の人にはより真実が判りにくくなるのです。秦氏の増補版がいい例です。あの本を読んで大虐殺を想像できる人は皆無でしょう。)

1.栗原証言の日付が13日、14日になってることがある件ですが。
父は南京陥落日を昭和12年12月12日と何度も私に説明しています。
(父の思い違いのクセは私と同じ類のものです。私も優秀な頭脳の方から見ればループしている様に見えるのでしょうが、自分としては収斂はしていると言い訳しています。)
父は南京到着後、直ちに捕虜の収容を行なったことを言いたかったのです。
65連隊は15日に捕虜を収容し、16日、17日に処分(=虐殺)した、というのが定説ですから15日を12日と間違えて記憶したと考えていいでしょう。
そのように考えると父の話は無理なく他の方の証言や日記と一致します。

2.第一大隊の収容した捕虜は65連隊の収容した捕虜の最初の13500人です。これは平成11年のメモなどからも推測できます。
65連隊はこの後も捕虜を得て合計2万人以上になったようです。
残りの捕虜は第一大隊とは別に、より揚子江に近い場所(連隊本部近くで魚雷営付近)に収容された模様です。
そちらの収容所で火災が発生したのです。
第一大隊の収容所はそこからかなり離れた場所であったので火災の話は父は聞かされていなかったのです。

3.捕虜の処分(=虐殺)は連隊本部に近い収容所から行なわれました。
16日からとあるのはその部分です。
第一大隊の捕虜は17日夕刻から処分(=虐殺)されました。
場所は「南京の氷雨」に記載された二箇所を考えています。

以上が65連隊の捕虜処分(=虐殺)の概要です。
全体の捕虜人数を父が7万人としているのも、第一大隊で捕虜を収容した時点では7万人程度だったということです。
最終的には10万人程度になった、と見られます。
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[4789]「郷土部隊戦記1」における捏...
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 核心 E-MAIL  - 07/8/10(金) 21:26 -

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   65連隊の非戦闘時の捕虜の処分(=虐殺)の責任者は連隊長である両角業作氏です。
東京裁判時、南京法廷時に虐殺の事実が判明していればそれなりの責任を問われたはずです。
そのような人が自ら虐殺を認めるような証言や記録をすることは考えられないでしょう。

この本に記載されている人の証言や記録について検証して行きます。

両角業作氏

主な虚偽記載
1.非戦闘員約7千人を直ちに釈放。
2.残りを幕府山砲台付属建物に収容。
3.捕虜が自分達で給養するよう指示。
4.捕虜が夕食準備中に火災を起こし半数が逃亡。
5.捕虜が渡河中に中国軍が発砲。
6.準備した小舟は10艘以上。
7.殺害捕虜数が千人。

主な事実記載
1.二箇大隊分の機関銃の配属を命じた。
2.田山大隊長から報告を受けた。
3.将校1名、兵6名が死亡。
4.敵方将校の殺害。

畑俊六氏
主な虚偽証言
1.13師団は虐殺とは無関係。
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[4791]「”南京大虐殺”のまぼろし」...
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 核心 E-MAIL  - 07/8/11(土) 16:46 -

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   山田栴二氏

山田栴二氏は両角業作氏などと同じ類の責任者です。
正直な証言を期待できる人ではありません。

主な虚偽証言
1.両角氏と捕虜を個別に確認した。
(当時は上に行けば行くほど現場が判らなく組織でしたのでこれはありえません。幕府山の不祥事の伝わり方で分かります。)
2.捕虜は八千人(両角氏より伝聞)。
3.幕府山に食糧あり。
4.舟は数十人乗れる大きな舟(こんなことを旅団長が知るはずが無い。)。
5.捕虜が暴動(現場にいないので分かるはずがない。)。

これは虚偽証言に共通していますが「後ろ手」に縛られて、という表現がありません。
「後ろ手」に縛られて、かつ二人なり四人なりの横の数珠繋ぎなのですから。

平林貞治氏
 
終戦時少佐で慰霊祭委員長、戦友会会長、戦友会名簿編集委員長に虐殺証言を期待するほうが無理でしょう。
 
主な虚偽証言
1.「後ろ手」の証言がない。
2.集結時刻は夜(虚偽証言は夜、事実証言は夕刻。深夜に機関銃が撃てるなずがない。)。

鈴木氏(戦友会名簿では苗字だけなので特定できません。)

主な虚偽証言
1.「自衛であった」。
2.「入城式の夜に護送しろとの命令があった(虚偽証言は夜中の護送指示。夜中に月明かり程度で護送するはずがない。)」。

角田栄一氏

主な事実証言
1.「敵が憎くなくて、どうして戦える。」
2.「敵を殺さなくて、どうして勝てる。」

主な虚偽証言
再訪時の話の内容は平林、鈴木氏と大同小異(これは鈴木明氏が勝手に付け加えて話でしょう。)。
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[4792]「ふくしま 戦争と人間1」で...
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 核心 E-MAIL  - 07/8/12(日) 9:56 -

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   幕府山の虐殺に参加した機関銃隊は第1機関銃中隊と連隊機関銃中隊です。
この機関銃中隊の方はこの事実を隠蔽する理由があります。
したがって両機関銃中隊の方が虚偽証言者に名を連ねています。
捕虜が「後ろ手」に縛られていたという証言は一切ありません。
 
大友登茂樹氏(連隊機関銃中隊、戦友会名簿には記載なし。)
 
主な虚偽証言
1.武装解除はしなかった。
2.人数は数えなかった。

主な事実証言
1.自分の中隊の将校が死んだ。
 
箭内亨三郎氏(第1機関銃中隊)
 
主な虚偽証言
1.田山大隊長から船着場を作る指示があった。
2.指示に従い柳の枝を切った。
3.船を十数隻集めた。
4.捕虜がいっせいに暴動を起こした。
 
平林貞治氏
 
主な虚偽証言
1.将校は極秘に捕虜の解放の指示を与えられていた。
2.戦闘状態の発生による発砲だった。

丹治善一氏(戦友会名簿に記載がない。)

主な虚偽証言
1.死者は四百人前後。

八巻竹男氏
 
主な虚偽証言
1.護送の途中で捕虜の逃亡が始まった。

両角業作氏
 
主な虚偽記録
1.非戦闘員約7千人を解放。
2.残った捕虜は8千人。
3.捕虜に自ら給養するよう指示。
4.夜の炊事で火事。
5.捕虜4千人が逃亡。
6.捕虜の解放を指示。
7.軽装艇で乗り出したところ対岸の中国兵が射撃。
(連隊長は実際の現場を見るわけではない。捏造派の本は事実の記載に一貫性がないのが特徴。)
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[4795]「南京の氷雨」における捏造
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 核心 E-MAIL  - 07/8/13(月) 20:51 -

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   「南京の氷雨」は65連隊関係の阿部輝郎氏の捏造の集大成です。
虐殺場所が二箇所であり両方とも自衛発砲であると説いています。
実際は収容箇所が二箇所であり、虐殺場所も二箇所であったというのが事実でしょう。
また、将校がなぜ殺されたかも真相とは逆の話を語ることにより、真相を明らかにしています。
また、自分自身の少年時代の夢を語ることにより彼自身の価値観を露呈してしまっているのです。

阿部輝郎氏

主な事実証言
1.少年のころ、”天皇の兵隊”になることは、ものすごく名誉なことだ、と思っていた、という真情の吐露。
 
佐藤一郎氏(仮名、歩兵一等兵)
 
主な虚偽証言
この方は阿部氏の捏造した人物と考えていいでしょう。
二箇所の虐殺現場に居合わせた歩兵はいません。
二箇所の収容所は別個の歩兵大隊により管理され、かつ別個の歩兵大隊により処分(=虐殺)現場まで護送されたのです。
 
両角業作氏
 
主な虚偽の記録
1.非戦闘員を解放。
2.残りは八千人。
3.幕府山要塞付属バラックに収容。
4.食糧は要塞地下から得た。
5.捕虜の自分達での給養を命じた。
6.周囲の隅々に数人の兵を配置。
7.捕虜収容所で計画的な火事が発生。
8.半数の捕虜が逃げた。
9.捕虜の残数は4千人。
10.捕虜の解放を指示。
11.二、三百人の捕虜を乗せた船に中国兵が発砲。
 
主な事実の記録
1.二箇大隊分の機関銃を配備。
2.田山大隊長(第一大隊)に指示。

角田栄一氏(第5中隊中尉)
 
主な虚偽証言
1.捕虜の武器は彼ら自身の手でクリークに投げ込ませた。
2.海軍船着場から逃がした。
(これは16日に桟橋で斬首を行なったが千人程度しか処分できなかったので翌日は重機関銃による十字砲火を浴びせた、と言う話と一致します。父が桟橋で死に物狂いで中国兵捕虜の首を斬りまくった話とも符号します。)
3.幕府山は第一大隊だけの護送、第二大隊は現場にいない。

主な事実証言
1.二挺の重機関銃を備えた。
2.捕虜の手は後ろに縛った。
3.16日の連行には第二大隊の兵士が動員された。
 
箭内亨三郎氏(連隊機関銃中隊准尉)
 
主な虚偽証言
1.捕虜解放の指示を受けていた。
2.6隻から7隻の舟を集めた。
3.終結後、捕虜が縄を解き始めた。
4.捕虜は軽く縛っただけ。
 
主な事実証言
1.四人づつ一つなぎ。

阿部輝郎氏(他の証言者からの聞き取り)

主な虚偽証言
1.銃撃が終わったあとで将校が死体なら斬れるかもしれないと思い。
(これで真相が明らかになりました。連隊機関銃隊の将校が軍刀で後ろ手に縛って坐らせた捕虜を斬ろうとしたところ刀を奪われ7箇所も斬られて死んだのです。)

主な事実証言
1.南京戦の死者は捕虜処分(=虐殺)時に同士討ちで発生したもの。
 
田山芳雄氏(第一大隊長、少佐)
 
主な虚偽証言
1.解放が目的だった。
2.舟は7隻か8隻用意した。
3.中州に逃がそうと思った。
4.銃声は最初の舟が出た途端に起こった。
 
主な事実証言
1.機関銃を用意した。
 
栗原利一(第一大隊伍長)
(父の証言等は板倉由明氏の関係した「南京戦史」と同じ捏造証言になっています。)
 
主な虚偽証言
1.主なスケッチは3枚(→4枚、板倉氏が意図的に1枚目を外している。)。
2.「虐殺」ではなく「作戦」(→「虐殺」ではなく「処分」。)。
(父は一貫して「処分」としか言ってません。即ち事前に殺害の意図が明確だったのです。)
3.山中に人影を見た、というのは事実ではありません。 
 
平林貞治氏(連隊砲中尉)
 
主な虚偽証言
1.捕虜は四千か五千くらい。
2.対岸に逃がす、と言われていた。
3.四キロほど連行した。
(連隊砲中尉が捕虜を連行することはない。)
4.多数の捕虜が逃亡。

主な事実証言
1.最初から銃座を作っておき(これは本当。)。
2.死体を焼いたのではない(生存を確認するために焼いた。)。
 
上村利道氏(派遣軍参謀副長、大佐)

主な虚偽解釈
1.大集団反抗→×大、集団反抗→○大集団、反抗
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