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[4807]65連隊関係の虚偽証言者たち(1) 核心 07/8/25(土) 19:42
[4809]「郷土部隊戦記1」 核心 07/8/26(日) 16:20
[4816]「南京大虐殺のまぼろし」 核心 07/8/27(月) 5:44
[4819]「ふくしま 戦争と人間1」 核心 07/8/28(火) 0:49

[4807]65連隊関係の虚偽証言者たち...
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 核心 E-MAIL  - 07/8/25(土) 19:42 -

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   今回、父(栗原利一)の関係した65連隊の捕虜処分(=虐殺)を調べてみて分かったことは、多くの言論人が自らの首を絞めるような行為に加担しているということです。
まず、65連隊関係の歴史捏造は福島民友新聞、論説主幹でもあった阿部輝郎氏により主導されています。
戦後、手に入れた言論の自由を言論人自らの手で葬るような破廉恥な行為は言語道断です。
これも彼の軍国少年としての価値観がもたらしたものなのでしょう。
 
基本的に阿部氏は彼が最初に関係した「郷土部隊戦記1」で両角業作氏の手になる、日誌により歴史を捏造します。
その後の出版物では両角氏の日誌を補強する形で次々に証言を紹介しています。
一貫しているのは両角日誌の証言が使われているということです。
 
両角日誌の内容は父のスケッチ帳や証言とは全く違うものです。
阿部氏の関係した本を時系列で紹介して、その中でどのように両角日誌が補強されてきたかを見ることにより、捏造の過程と、その対極にある史実を検証してゆきたいと思います。
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[4809]「郷土部隊戦記1」
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 核心 E-MAIL  - 07/8/26(日) 16:20 -

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   阿部輝郎氏の関係した本より、虚偽証言をするなり虚偽資料を作成された方が虐殺に係っていた可能性が大きいことが分かりましたので、その方達の経歴を戦友会名簿から転載して解説して行きます。
 
「郷土部隊戦記1」で虚偽資料を作成されている方が両角業作氏です。
自分で序文を書いているくらいですから(日付は昭和38年7月20日)捕虜殺害を認めるわけはないのですが。
将校職員表による経歴以下の通りです。
 
両角業作 
65連隊長大佐(昭和12年 9月18日、編成)
65連隊長大佐(昭和13年 5月 8日)

この本でのもう一人の虚偽証言者は畑俊六元帥(中支派遣軍司令官)です。
阿部氏に昭和37年4月に証言したことになっています。

畑俊六
中支派遣軍司令官、元帥
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[4816]「南京大虐殺のまぼろし」
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 核心 E-MAIL  - 07/8/27(月) 5:44 -

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   阿部氏は板倉氏が父に宛てた賀状でも分かるように、板倉氏の知り合いです。
また阿部氏が自身で「南京の氷雨」で、鈴木明氏に角田栄一氏を紹介したと書いています。
鈴木明氏は阿部氏や板倉氏の影響下にこの本を書いたと考えていいでしょう。
 
「南京大虐殺のまぼろし」における虚偽証言者は4人です。
 
まず、山田栴二氏ですが鈴木氏の取材当時は86歳です。
山田氏は両角氏の上官ですから、両角氏と同様の責任を負う立場にありますので捕虜虐殺の証言が得られるとは考えられません。
 
山田栴二
陸軍少将(旅団長、山田支隊支隊長)
 
つぎに、平林貞治氏ですが、終戦時少佐で後に慰霊祭委員長、戦友会会長、昭和59年7月には編集委員長として戦友会名簿を編纂されています。
 
平林貞治
連隊砲中隊小隊長、少尉(昭和12年 9月18日、編成)
連隊砲中隊小隊長、少尉(昭和13年 5月 1日)
連隊砲中隊小隊長、中尉(昭和14年 1月 1日)
連隊砲中隊中隊長、中尉(昭和15年 1月 1日)
連隊砲中隊中隊長、中尉(昭和16年 1月 1日)
連隊砲中隊中隊長、大尉(昭和17年 1月 1日)
第2大隊大隊長、大尉(昭和18年12月31日)
第2大隊大隊長、大尉(昭和19年 3月15日)
第2大隊大隊長、少佐(昭和20年 8月20日)
連隊副官、少佐(昭和21年 6月、復員時)

鈴木(戦友会名簿では特定できません。)
 
角田栄一
第5中隊中隊長、少尉(昭和13年 5月 1日)
第5中隊中隊長、中尉(昭和14年 1月 1日)
第5中隊中隊長、中尉(昭和15年 1月 1日)
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[4819]「ふくしま 戦争と人間1」
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 核心 E-MAIL  - 07/8/28(火) 0:49 -

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   私は65連隊の虐殺現場は二箇所であり、収容所も二箇所であると今のところ考えています。
 
阿部輝郎氏の著作の将校や兵士の証言も、それぞれが虚偽証言ではあっても自分の所属する部隊の動きには合わせてあります。
 
この本で主な虚偽証言者は6名です。
 
大友登茂樹
連隊機関銃中隊、第2小隊隊長、少尉(昭和13年 5月 1日)
(戦友会名簿では「樹」の字が「寿」になっています。)
この方は幕府山の現場にいたと証言していますので、幕府山の機関銃中隊の一方は連隊機関銃中隊です。
 
箭内亨三郎(編成、1・1キ)
第1中隊、第3小隊小隊長、准尉(昭和15年 1月 1日)
この方も田山氏から指示があったと証言していますので幕府山のもう一方の機関銃中隊は第1機関銃中隊になります。
 
平林貞治
(将校だけに秘密裡に指示が与えられたことを証言しています。)
 
丹治善一
(第8中隊、編成、戦友会名簿では「善市」となっています。)
 
八巻竹雄
第12中隊中隊長、少尉(昭和13年 5月 1日)
第12中隊中隊長、中尉(昭和14年 1月 1日)
第12中隊中隊長、中尉(昭和15年 1月 1日)
第12中隊中隊長、中尉(昭和16年 1月 1日)
(この方は第3大隊で、幕府山の証言ですがデタラメ度がヒドイのでとても護送に加わっていたとは考えられません。戦友会名簿編集副委員長です。)
 
両角業作
(前2作と同じ証言内容が記載されています。阿部氏が両角証言を補強するために協力者なり、虚偽証言者を追加しています。)
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