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[1771]民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/20(日) 10:30
[1772]Re(1):民主主義と外国人参政権 投げ物屋 05/11/20(日) 14:38
[1773]Re(2):民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/20(日) 15:10
[1774]Re(3):民主主義と外国人参政権 投げ物屋 05/11/20(日) 17:57
[1785]民主主義と平和主義 とほほ 05/11/22(火) 17:49
[1786]Re(1):民主主義と外国人参政権 七生報国 05/11/22(火) 18:02
[1787]Re(2):民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/22(火) 18:14
[1788]Re(3):民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/22(火) 19:18
[1790]Re(4):民主主義と外国人参政権 七生報国 05/11/22(火) 20:38
[1792]Re(5):民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/22(火) 20:57
[1789]Re(2):民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/22(火) 19:25
[1791]Re(3):民主主義と外国人参政権 七生報国 05/11/22(火) 20:46
[1805]Re(1):民主主義と外国人参政権 とほほ 05/11/26(土) 22:13
[1819]Re(2):基本的人権と外国人参政権 とほほ 05/12/1(木) 13:07
[1820]Re(3):基本的人権と外国人参政権 七生報国 05/12/1(木) 21:11
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[1829]Re(5):基本的人権と外国人参政権 とほほ 05/12/3(土) 10:48
[1828]Re(4):基本的人権と外国人参政権 とほほ 05/12/3(土) 10:44
[4269]Re(3):基本的人権と外国人参政権 とほほ 07/3/7(水) 20:00
[4276]Re(4):基本的人権と外国人参政権 指環 07/3/11(日) 0:51
[4302]Re(5):基本的人権と外国人参政権 とほほ 07/3/30(金) 22:16

[1771]民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/20(日) 10:30 -

引用なし
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   この記事は2004/8に追い出せ強のトリと言うサイトの掲示板で行われた議論の一部です。
尚、論文中に日本の国籍法の経緯について不明な点がありますが、最近ペルーの元大統領の件で詳細を掲載している掲示板を発見しましたのでそちらに興味のある方は【こちら】をご覧ください。

この議論全体に興味のある方は【署名協力願い】小学校6年生の拘禁+送還と言うページで一望できるようにしてます。
どれみ氏の愉快なおつむと言うページでこれまでの とほほ と どれみ氏 の問答集を作っておりますのでご笑覧ください。(^.^)

まず、どれみ氏無二の会氏両氏へ、反論があれば私の掲示板思考錯誤へどうぞ、歓迎します。両氏の目的が石原教プロバガンダが目的なのでROMの多い掲示板でないと意味がないとの事であれば心配無用アクセスカウンターこそ表示してませんし投稿数は少ないですがアクセス数はここに負けるとも劣らずあります。アクセス解析によれば2chとかYahoo掲示板とかからのアクセスも多いので人気はあるようですよ。
私の管理がいやならおっちゃんの所でも良いですよ。おっちゃんはまず投稿を削除したり禁止したりする事はありませんから。おっちゃんも多分歓迎してくれると思いますしROMも多いです。

さてそれでは恒例の確認事項です。あわせて超長文ご容赦下さい、分けて投稿しても良いのですが皆様の投稿が過去ログの中に消えてしまうのを極力避けるためです。
どれみさんが長い文章が読めないと言う事なので一行に凝縮して置きます。

【不法滞在ということだけで逮捕する事は不当である】にはご賛同を得られた、と言う事でよろしいですね?[(参照1 参照2)]

以下は[7205]でどれみ氏が私にお尋ねの件にお答えいたします。

> その日本人は「日本国籍を持っていた」のですか?

そうなのではないですか?戦中ですから、どれみさんの情報によれば二重国籍禁止は戦後になってからと言う話ですよね。

> またある時期から(戦後だったとは思いますが)二重国籍を日本は認めていません。自分の意思で外国籍を選択した場合はその時点で日本国籍を抹消されます。フジモリ元大統領はその法改正前の国籍取得のはずです。ですからフジモリ氏は言い方は悪いですが「過去の法律の産物」です。現行法ではありえません。

過去の法律の産物でもって現政府はフジモリ大統領をかくまっているのですね?これは問題があるのではないですか?、現行法が変わった以上過去の法がどうであれ現行法が適用されてしかるべきでありフジモリ大統領はペルーの大統領にまでなった人物です、二重国籍が発覚した時点で日本国籍は抹消されなければならないのですか?

それとも政治的処置によりペルー国籍を放棄させ日本国籍を認めたか、どちらかになりますね、犯罪人引渡し条約がペルーとの間にない以上日本人を引き渡すわけにはいきませんね。こう考えるとフジモリ大統領をかくまっているのは「政治的処置」によると見た方がよさそうですね。
海外での犯罪は日本の刑事訴訟法で立件する事は出来ませんしね。

日本も犯罪人引渡し条約がなかった頃駐留米軍人犯罪者を裁く事が出来なくてどうしようもなかった事を逆に日本がペルー政府に対して行っているわけですね?
でも、どちらにせよフジモリ大統領はどれみ氏による出入国管理法でも違反ですよ。大統領が日本に入国した際はどちらの旅券を持っていたのでしょうね?旅券法違反の可能性まで出てきましたね?日本政府はフジモリ大統領を逮捕したのですか?

> 上記の通り、少なくてもアメリカ国籍を取得した時点で日本国籍は消滅します。もちろん「申告していない」二重国籍はあるかも知れませんが、法律違反です。

ふーむ、フジモリ大統領の場合は法律違反でないとすると戦中以前の日系移民の末裔は皆日本国籍を持つ二重国籍で通用する事になりますね。また二重国籍が法律違反であることも確かですがその法律の適用範囲は国内だけである事は前述したとおりです。

アメリカへ移住した人々が市民権を得た場合、二重国籍であろうと何だろうと日本の法律はアメリカに住んでいるわけですから適用されません。アメリカの法律のみが有効になります。それとも犯罪人引渡し条約でもってそう言う違法行為を行う輩の引渡しを求めているのでしょうかね?
二重国籍のまま帰国した場合は旅券法なり何なりで逮捕されてしまうのでしょうか?大体日本はその事(二重国籍になっている)をどうやって知るんでしょうか?
日米間にそのような条約でもあるのでしょうかね?

> アメリカで永住していたら自国籍を持っていなくても選挙権があるのですか?あなたは「アメリカ」を例に出しておきながら、アメリカの事を知らないというのはどういうこと?

知らない事は知らないのですから仕方ありません、知っている範囲内で議論しているのです、ですからお伺いしているのですよ。
自国籍を持ってなくとも「市民権」があれば選挙権もある、と理解してますが(だから国籍などと言う概念はアメリカにはない、と言っているのにわからん人だ)。どれみさんはインターネットに接続できる環境にあるのだから調べられるでしょう、とお伺いしているんです、何度も恐縮ですが私は事情によりインターネットへの接続時間が述べ週に一時間程度です、書き上げた原稿のUPやWEBの更新で手一杯なのです、そこでどれみさんに調べてくれるようにお願いしたわけですね。
私の主張に嘘があれば左翼論破の絶好の機会ですよ(笑)

おっちゃん も言っていたけどお互いに知らない事で議論しあっても仕方がないのではないですか?

私は「無知」である事は恥ずかしい事だとは思ってません。恥ずかしいのは相手の無知に乗じて嘘八百で自論を展開する態度や、自分の無知を根拠に議論する態度や、知ろうとせずに議論する態度です。私が良くクズウヨ相手に書く事ですがここでも書いておきましょう。アインシュタインの言葉ですが、疑似科学や歴史修正主義を批判して
「無知を武器にしてはならない」
と言ってます。
この事は上記のような議論姿勢をさしているのだと思いますがどれみさんはどう思いますか?

どれみさんの言説は一貫していないのです、東郷重徳が明治期に日本国籍を押し付けられた事、江戸期にはあくまで優秀な朝鮮人陶工一族として薩摩から優遇され集落を形成していた事、は私は書籍を通して記憶していましたから、彼の出自は朝鮮ですよ、と書きました[7174]。これに対してどれみさんはそれでも
【どう言う風習を守っていようと彼が日本国籍を持っていることには違いがない。】[7175]
と主張しました。って事はどれみさんによれば戦後から二重国籍が認められななくなったのですから東郷重徳は李氏朝鮮(あ、朝鮮総督府統治時代だから李氏朝鮮とは違うのか、どちらにしろ朝鮮国籍には変わらないか)と日本の二重国籍となるわけですよね?
そうなると旧大日本帝国こそ在住外国人に参政権を与えていた国家、になりますね。

> だから「そのような外国籍の住民に選挙権を与えている国」を教えてくださいと言っているんです。ほとんど採用していない制度だとしたらあえてそれを日本で採用する意味はあるのですか?逆に採用していない国が多数ならなぜその国は採用しないのでしょうね?

もちろん、意味があるどころか大変意義深い事である事は先に述べました。
【市民権と言う考え方と国籍と言う概念の違いを話しているのです。民主主義の立場から考えれば日本に住む者は平等にその権利を有する、とは当たり前の話ではないですか?】[7199]
民主主義の立場から言えば国内に居住する全ての人間はその権利を平等に有する、と言う民主主義の理想に近づく事だからです。他国の事はその国に住む人々に任せておいたらよろしい、今は日本の事を議論しているのです。
どれみさんの論理は「先生、皆やってる事なのになんで僕だけ叱るの」と言う小学生のだだこねと同じです。

> いや、理想をぶち上げながらやることは誹謗中傷という自分の考えを通すためなら他人を貶めてもかまわないというあなたこそ、理想社会を唱えながら自分の考えに会わない人間を虐待した彼と良いお友達に慣れるのでは?

はて?
私がいつ他人を誹謗中傷したでしょうか?いつ他人を貶めたでしょうか(笑)
どれみ氏の言説が勝手に自分で自分を貶めているだけではないですか?私は常に私のどれみ氏に対する評価に誤りがあれば指摘するように申し上げており、誤りは誤りで謝罪しております、議論全体をご覧になればわかる事です。あまり自虐的になられるのもいかがなものかと。

私の理想はすべからく人類の人権が保全される事ですので、人権を屁とも思わない北の将軍様とはその理想が異なります。
どうもどれみさんは北の将軍様についてもあまりご存知がないようですね、彼のやった事は虐待などという言葉で済まされるような生易しいことではありません。日本人拉致にはじまる外国人拉致誘拐の数々、粛清と称する虐殺、人質を盾にした脅迫外交、「悪の枢軸」と呼ぶにふさわしい人物です、が、それを「悪の枢軸国家」として敵対する事には疑問点があります。
ですからどれみさんの理想とジョンレノンの理想が異なるのであればどれみさんの理想をこそ主張してください、と述べているのです。どれみさんの理想が森村誠一の言うところの【民主主義の敵】[7121末尾]であるならば決して許しておけないからです。

> だからなんでアメリカが基準なんですか?逆にいえばアメリカは「移民の国」という文化と伝統があるが日本はそうじゃない。アメリカを持ち出す理由は?それにその国がその国独自の帰化基準を作って何か問題でもあるのですか?それとも日本もアメリカ並のシステムにしろと?

私は、在住外国人に参政権を与えている国があったら教えてくれ、とどれみさんが言うので[7124]アメリカがそうなのではないですかと例に出したのです。アメリカを基準にしろなどと言った覚えはありません。その国独自の帰化基準を作る事に異議はありませんよ、その帰化基準が民主主義国家日本でどうあるべきか?民主主義は永住権を持つ外国人に対して参政権を与えるべきか?を今議論しているのではないですか?

で、日本の国の伝統文化を持つ日本の独自の民主社会はどうあるべきとお考えですか?
または日本の建国思想とはどのような思想ですか?
前に「捕鯨の話」でも少し触れましたが、日本の伝統文化って例えばどういう奴ですか?

> あなたのおばさんはアメリカ市民権を取得していたら、日本では国籍を失っています。どちらの国籍を現在持っているかで判断するだけでしょ。

いや、どうでしょうね、私のおばさんはGHQ統治時代に進駐軍米軍人と結婚してますのでどれみさんの言う二重国籍禁止法の制定以前である可能性が高いですね。おばさんがアメリカのパスポートで入国した場合には日本では在日外国人ということになるでしょうし日本のパスポートももちろん戸籍が残っているので申請可能でしょう。その際には米国に日本大使館がいちいち米国市民権があるのか否か問い合わせるのでしょうかね?

いずれにせよ、お互いに知らない事実を根拠に議論しあっても仕方がないのではないですか?
ですからインターネットに接続できるどれみさんであればその辺の情報収集なんて簡単でしょう、だから調べておいてくれと言っているのです。
調べられなかったのであればあくまで知っている範囲内で議論しましょう、間違った情報に基づいた議論はいけません。

例えばこう言うパターンはどうなるのでしょうね?
日系アメリカ人2世で、親はアメリカの市民権を持っておらず(訪米直後や元々出張で米国滞在してたがその後永住を決意した場合などですね)その2世が誕生した。
この場合アメリカでは無条件(出生地主義)で2世に市民権を与えるわけですが、親は日本人として合法的に滞在しておりますので日本大使館に2世の出生届をだします。日本は血統主義ですのでその2世は戸籍に載ります。

この2世が帰国した場合は日本の法律が適用され20歳までに国籍を選択せねばならない。これはわかりますが(とはいえ本人が申請しない以上日本のパスポートで入国したら2重国籍を知る術が日本にはないのですが、パスポートにアメリカの滞在ビザがない事は日本の出入国管理法とは関係ないし、出国記録もないわけだし、、。)。
帰国の意思などなくそのままアメリカに滞在していた場合ですね、これがどうなるのか?あくまでアメリカの法律を知る必要がありますね。

#こう言うことを考えていくと国籍なんてくだらないものだな、と言う私の気持ちも少しはわかるでしょう(笑)

> そんなこと聞いて何か意味があるの?

どれみさんが持ち出した議論でしょう(笑)
在住外国人に参政権を与える国があるか否か私のおばさんの場合どうなのか、わかれば参考なるでしょうよ。

> だったら日本で参政権を求めること自体がおかしいのでは?
> 日本人になりたくないのに参政権だけは主張するんですか?

「日本人の条件」ってのは何なのですか?と言う事を言っているのですよ。どこの国の人間であれその国に住む国の人々と同等の権利を持つことは民主主義の基本です、人は法の下にすべからく平等でなくてはなりません。

日本人になりたいか否かなどその人の自由です。日本人になりたい人も居るでしょうしそうでない人も居るでしょう。日本人だって日本人と言うアイデンティティーがその人の精神を支えている人も少なからずいる事と同じです。

もっとも私なんかは「私」と言うアイデンティティーがあれば十分で、そう言う精神構造には理解しがたいものがあります、が民主主義者ですのでそうした信条も認めております。
もし権利と生活が保障されるのであれば私なんか日本人の国籍なんか要りません(笑)
どこの国の国籍も要りません。自由に住みたいところに住み行きたい所に行きたいです。そもそも私が日本人である事は私の自由意志ではありませんしね。

あまりの荒唐無稽さに小説のネタにさせてもらっている話題ですが、日本の満州移民団は移民する際に「日本の都合の良いように満州を操ろう」と思って移民したとでも思っているのですか?確かに満州は日本の傀儡国家でありますがその移民団は満州建国に夢(理想、五族協和、貧困からの脱出)を託して移民して行ったのですよ、決して日本の都合のいいように満州を操ろうなどとは思っていませんよ。

農業政策に失敗した日本の内政事情で農家の次男三男が満州でなら自分の耕した土地は自分のものになる、とか中には中国の混乱に乗じて馬賊として一旗上げようという人も少なからずいた。これは日本の都合のいいように操ろうな度と言う考えとは別物です。あくまで日本政府と言う国家が行った悪業であり移民団に罪はありません。

従ってもし(歴史のifは無意味ですが)その移民団が定着して民主政権が樹立(関東軍の軍事政権からの脱却には多くの犠牲が必要でしょうが)されたとしたらあくまで満州人として満州の権益を守るための政権が生まれますよ。移民の国アメリカはどっかよその国に操られているんでしょうか?まさかユダヤとか言い出しませんよね。最近のヒスパニック系市民の急増はスペイン帝国の野望ですかね?(笑)

#おお、またもや小説のネタが出来た。ふむふむタイトルは「華僑とユダヤ資本の暗躍」。(笑)ネタ晴らしですが私の小説の構想の中では既に横浜中華街は中国のピンポイント攻撃により乗っ取られていると言う設定にはしているんですが、アイディアが行き詰まっていたところです、【乗っ取られるとはどういう状態ですか?】とどれみさんに聞いても教えてくれないし。華僑とユダヤ資本を絡めると複雑化し物語りも面白くなりそう。

私は中国の人口は10億位だと思ってますが(間違ってたら訂正してください(^^; )その十分の一と言えば一億です。
これだけの人口(民衆)に対して「自国の権益の為に工作活動をせよ」等と言う洗脳(または命令)が通用するとでも思っているのですかね?(^^;
それだけの人口を移民させるために何十年(いやおそらくは百年以上でしょう)かかるかわかりますかね?

かの大韓航空機爆破の犯人金賢姫[キムヒヨンヒ]は子供の頃から徹底したスパイ教育を受け北朝鮮のスパイ大学のエリート中のエリートで生粋の金正日崇拝者ですよ、スパイ大学では身柄が確保された時には躊躇せず自殺するように訓練されてます、その自殺防止の為口にマスクをした金賢姫が飛行機のタラップに降りてきた報道映像はどれみさんも覚えているでしょう。

その金賢姫でさえ、韓国の実情を知り自分の受けた教育とのあまりの格差に驚き非を認め全てを告白したのです。(もっともその反省から北朝鮮はスパイ教育の際、韓国の実態をきちんと教え金賢姫のようにならないようにソウルの市街地の様子の模型を作ったりして訓練したりしているそうで、ところが、逆にその教育で韓国の豊かさに驚いたスパイ大学生が亡命すると言う事態に陥ったりしているらしいですよ、どこまで本当か嘘かはわかりませんが)

#コラム
【最近の私の投稿に北朝鮮のことが多いのは「金正日の拉致指令」石高健次著、朝日新聞社、1996年第一刷、を読みかえしているところだからである。

この本によると日本はスパイ天国なのだそうだ、諸外国にはスパイ防止法にあたる法制が整備されておりこれによりスパイには重刑が科せられるようになっているが日本では出入国管理法と旅券法が適用されるのみで1〜2年の懲役でスパイは自由になれる。北朝鮮スパイの間では日本への潜入はあまりに簡単すぎて(これは法制だけの問題ではなく島国と言う地理的な条件もあるが)つかまってもすぐに自由になれるため自慢にはならないらしい。
著者の石高もはっきりとは書いてないが日本でのスパイ防止法の必要性を訴えるニュアンスが感じられる、石高は「人権との絡みでスパイ防止法案はいつも立ち消えになっている」と書いている。

確かに石高のように拉致事件のような非人道的行動をおっている立場からすればそうしたスパイを厳罰に処すべきではないか、との憤慨はうなづけるし私も少なからず共感する事も多い、が、しかしこの本を読めば読むほどスパイ天国結構ではないか、逆にスパイ大歓迎法を制定してスパイの滞在資格を持つものには滞在期間フリーだとかの特権を与えるのだ。

もちろんスパイの行う拉致や誘拐などその他非合法活動等とても許せるものではない、がなぜスパイが拉致や誘拐を行うかと言えば、スパイを拉致した人間に成りすませて潜入させる事が目的だそうだ、そのスパイの本来の目的は何かと言えば、金正日の指令は、日本や韓国内の雑誌や新聞等手に入れられるだけのあらゆる情報を収集すべし、とある。そんなものであれば『どうぞどうぞいくらでも持っていってください』てなものではないだろうか?
逆に国内で出版される全ての出版物を金正日に提供してあげてはどうだろうか?そうすれば拉致などの必要もなくなる。

実際韓国でのスパイ裁判で明らかになったスパイたちの手にいれた情報の中で唯一スパイ映画に出てくるような重要な情報らしきものはチームスピリットの訓練計画書だけである。他にやっている事はそのまま雑誌や出版物の収集である、チームスピリットの計画書にしろ予備役将校から韓国人になりすましたスパイが手に入れたものであるが、よく考えてみれば予備役将校が持っている程度の計画書であるし、その将校は相手が韓国人だと思ったから手渡したわけであろうが、つまりは韓国人であれば誰でも入手可能な計画書、という事である。そもそもチームスピリットとは公開演習である、もっとも見てもらいたい相手は北朝鮮であり、北朝鮮への示威行動なのだ。。

例えば私が拉致されたとして私に成りすましたスパイに何が出来るのであろうか?私などただのおっちゃんである、どんなに優秀な人間であろうと新聞や雑誌の取材記者以上の情報の収集など不可能であろう。

韓国現政権の行っている『太陽政策』とは、つまりこの事に気が付いた結果ではなかろうか。】



そう言う教育を数千万人に施せる秘策でもどれみ将軍にはあるのでしょうか?
どれみさんの発想が荒唐無稽な妄想だと言う意味が少しでもわかりますか?

> 「日本国籍」をもてばいくらでも参政権なんてもてるんですから。
> 他国で「国籍のない人間に選挙権を与えている国」があるのですか?

話が堂々巡りです。どれみさんの質問はその度にころころと変わっています、私の回答は常に同じです、それに対してどれみさんは反論してません、同じ事を繰り返しているに過ぎません。今回は「国籍のない人間に選挙権を与えている国」ですね?

アメリカがそうでしょう(^.^)
国籍と言う概念自体がないのですから当たり前と言えば当たり前です。アメリカが与えるのは国籍ではなく市民権です。


#コラム
【アメリカの超保守派の前ブッシュ大統領が日系人強制収用に謝罪した事の意味を考えてみよう。

ブッシュ氏は「アメリカ」と言う国家アイデンティティーを志向する上で「移民の国である」と言う事実の前に敵性国人であるとして差別する事は「移民により成り立つアメリカ」と言う国体の保全上矛盾がある事に気がついたのである。そのイデオロギー保全の為に謝罪したのだ。つまりその思想の根幹は「アメリカ」と言う国体の保全を謀ったものである。保守主義と言うのはどのような体制の国家であろうと同じである、国体の保全上必要な事を行う。

であるから何々人であるという国家の中に「個」を取り込もうとするベクトルが常に働く。現ブッシュの帝国主義とは全く矛盾しないのだ。

アメリカのそうした共和党の支持基盤は、とにかく十年に一度は戦争をしないと崩壊してしまうと言う経済構造、が基盤となっておりアメリカの危険性はここにある。銃社会を廃絶できない事もしかり。多民族国家であるがゆえに一層のアメリカ人としてのアイデンティティーを国民に刷り込まない事には国体の保全が難しいと言う事情にあるわけだ、民主主義の代名詞のような「アメリカ」でありその建国精神の崇高さは他の諸国家と比しても尊ぶべき「アメリカ」でさえ国民の多くが反対するイラク侵略を政府の似非情報により国民をだましそれを抑える事が出来なかった由縁だ。

民主党が政権をとってもこの経済構造の改革は処し難いであろう。
「ロビー活動」と言う慣習が良い方向に機能してくれれば良いのだがこの活動自体が弱肉強食であるゆえ、やはり困難であろう。

民主主義体制であろうが共産主義体制であろうが社民党が政権をとろうが共産党が政権をとろうが公明党だろうが民主党だろうが、我々民衆は「民主主義の敵」に対して体制への絶えざる警戒が必要なのだ。

そうすると民衆の理想はどのようにしたら達成できるのであろうか?全世界の民衆が相互に協力し合い共に働き共に生きる事だ、その事により他国人の人権への軽視はそのまま自分に帰ってくる構造になる、その為に経済のグローバル化、「人」「物」「マネー」の自由な流通は理想の達成には必要不可欠だと言うのが私の主張である。】



> 祖国とその文化風習を思うのは「その人の自由意思」でやっていることです。その結果は自己責任。

その結果が自己責任ということはないでしょう、あくまで行政の責任です。思想信条の自由を行政は保護せねばなりません。思想信条の自由とはその思想信条が他者の人権を侵害しない限り行政にはその思想信条を保護する義務があり、かつ、またその思想信条により法が人を差別する事は許されるべきではない、永住外国人に参政権を与えない事は差別である。
永住外国人参政権の問題は自己の責任の範疇を超えてます。

大体ここでも「自由」と言う言葉を詭弁として使ってます。だから合意の得られていないどれみさんと議論しても無駄だ、と言っているのです。
日本の国籍を持たなければ権利が得られない事は「自国籍のまま平等な権利を受ける」と言う自由を制限したものです。ですからどれみ氏の言う「自由」は詭弁であります。その自由が他者の人権を侵害する場合に法(ルール)により制限する事が国家権力に許されているのです。
まず、以下を参照しそれに反論してください、これまでのところどれみ氏の以下の論説に対する反論は一切為されておりません。

参照
【さて、この表現が詭弁である事を私の方からも指摘させていただきます。
「信者をやめる自由」等と言うのは自由でも何でもありません。「信者をやめる選択肢がある」との表現が妥当であります。これは「信者を続ける」と言う自由を制限したものであって自由でもなんでもありません。】


#コラム
【紛争地であろうとどこであろうと、そこへ行くのはその人間の全くの自由(他者の人権を侵害しない限りにおいて)でありその人間の安全を配慮するのは政府の責任であるに関わらず、自己責任だなんだと言う日本の一部右翼世論を背景に世論の大部分は無視して何をかいわんや「他の人の迷惑も考えて行動して欲しい」等と日本の世論を代表したかのような態度で発言する国家首相が政権を握っている事が如何に恥ずかしい事であるか。

スペイン、韓国の例でも撤退するか否かの議論で「人質に取られた本人が悪い」等とはその国家主席たるものが決して口にすべきではないと言う例をみるように、各国のメディアに「日本人は、紛争地へ身の危険も顧みずイラク市民の支援活動に励む彼らを誇りとすべきだ。」と誤解報道され、かの超鷹派アロヨ大統領のフィリピンでさえ兵を引き上げざるを得なかった、と言う事実を持ってわかるとおり、各国の民主主義と比して日本の民主社会が如何に未成熟であるかということを全世界に喧伝しているようなものである。
まことに恥ずかしい限りの小泉首相である。】


> アメリカでかつて奴隷として連れてこられた黒人は遠い祖国を思いながら祖国の国籍を持ったままアメリカの市民権を得ることを主張しましたか?

奴隷になんの主張ができたのですか?奴隷がアメリカへ来たのは「自由意志」ですか?
奴隷に市民権選挙権があったのですか?

現代の事についておっしゃっているのであれば、すでに何世代にも渡ってアメリカに住んでますし奴隷としてどこからつれてこられたのかさえわからないでしょう。が、そのルーツを知ろうと言う黒人たちは多勢いるようですよ。

黒人の参政権運動のことを指しているのであれば彼らが要求したのは市民権(人間として当たり前の権利)であり国籍などではありません、黒人差別に対し黒人であることに誇りを持とうとする運動も盛んであり、黒人とはよばずアフリカ系アメリカ人とマスコミが書くのはそうした黒人差別への配慮でありアフリカ人であるとの彼らの示威行為です。しかも数世代に渡る強制移住によりもはや彼らに帰るべき母国はありません。

アフリカに国民国家なる体制を押し付けたのは植民地主義時代を引きずる戦後の欧米です。その為にアフリカ、中東諸国で紛争が絶えないのはご存知の通りです。

「カラーパープル」と言うスピルバーグの映画はご存知ですか?
アメリカ社会の黒人差別、さらにその黒人社会の中にある女性差別を描こうとする映画ですが、主人公の妹が主人公の夫に家をたたき出されアフリカへ移住しアフリカからアメリカへの帰国の際アメリカ人として認められずにいたところを主人公の夫が移民局へアメリカの市民である事を証明しに行く感動的なシーンがありますが、その際の妹の立場と言うのはつまり無国籍だったわけですね。

日本にも非常によく似た環境にある在日外国人も多いです。
どれみさんの言うところの「自由意志」で来日した人々は大日本帝国の唱える五族協和を信じて朝鮮人として来日してます。日本の国籍を押し付けられる謂れはありません。

> 与える正当的な理由が何一つありません。

与えるとか与えないとか傲慢な権限を民主国家日本は政権に与えていません、政権の権力は民衆が与えているものです。権利を民主主義の立場から主張しているのです。在住外国人参政権が不当(他者の人権を侵害する)である、との主張がない限り正当な理由など必要ありません。

> なぜ「外国人に選挙権を与える」必要があるのですか?

日本に居住する市民であるからです。

> 憲法も「外国人に選挙権を与える義務はない」とされているのにですよ。

憲法は「外国人参政権を否定していない」のですから、その権利を主張する事に問題はなく国家が認めることにも問題はないわけです。大体そのどれみさんの言う「判決」と言うのは本当の話なんですか?出来れば判決文を知りたいのですが、、。なんかだんだんどれみさんの情報の信憑性が怪しくなってきました。私、人の教えてくれた事は信用して議論するタイプなので嘘の情報は流さないようにしてくださいよ。

> あなたの意見は結局「軍備を放棄すれば他国から侵略されない」レベルの発言としか思えませんね。

おや?「軍備を放棄すれば他国から侵略されない」と言う論理のどこがおかしいのでしょうか?問題は軍縮過程における軍事バランスの問題です。どこの国も軍備を廃棄すれば侵略のおそれは低くなります。
現実に軍備を持たずに独立を保っている国家は存在します。

> まったく結果オーライのお話しで。その東欧諸国の民衆もかつて「理想に向けて」歩いていたんですよね。
> 両方に理想があってなぜ片一方だけの「理想」が現実化したらそれが理想の勝利なんですか?

どうしてこう片方だとかあっちとこっちとか二項対立の図式でしか物事を見れないのでしょうかね?(^^;
客観性というのはそうした二項対立図式上から離れないと身につきませんよ。
あっちもこっちもありません、東の民衆も西の民衆もその理想は自由で幸福な暮らしができる事、です。
鉄のカーテンを崩壊させたのもベルリンの壁を壊したのも東側民衆の理想への追求でしょう?
その人たちの理想と政権の政策結果が矛盾している事に気が付いたからでしょう。そして理想に近づくためにソ連邦を崩壊させベルリンの壁を崩壊させたのでしょう。それをやったのは西側の圧力ではなく東側の民衆自らが理想に向けて前進したからでしょう。
日本は戦争の惨禍で自分たちの持っていた理想の実現方法が誤りであり国家が行った外国への蛮行を知り、今があるのでしょう。なんどもなんども繰り返し同じ事を言っているだけではないですかどれみさんは。

私が共産主義を嫌うのは共産主義には全体主義や帝国主義を包含しており、共産主義体制が全体主義を排斥出来ない現実があるるからです。これは民主主義も同じ事ですが少なくとも現状は全体主義の排斥がかろうじて機能してます。共産主義体制崩壊に我々が学ぶ事は全体主義への警戒であり、決して共産主義の理想の否定ではありません。
つまり私の共産主義嫌いの本質は共産主義そのものに対するのではなく全体主義独裁主義(ファシズム)に対するものです。共産主義経済そのものは理想を求めた結果として失敗であり、失敗は経験により理想に近づく事が出来ます。日本がその失敗から立ち上がった国でしょう。

よく共産主義対民主主義とかキリスト教対イスラム教とかカトリック対プロテスタントとかの2項図式の対立構造をマスコミは喧伝しますし、また日本人やアメリカ人の共産主義嫌いもこうしたマスコミの喧伝によるものが大きいのですが、本当に共産主義の何が嫌いなのかその本質を見極めないと民主主義社会といえども共産主義体制とその危険性はなんら変わりはありません。

敵の本質はファシズム(全体主義や独裁)なのです。
この本質を包含しているのは民主主義も共産主義も同じです。

この民主主義の敵(全体主義や独裁主義)をこそ排斥せねばならず、その為に人権思想が非常に大切なのです。

決して民主主義対共産主義の対立ではないのです。民主主義と共産主義が融合できるか否かはわかりませんが、少なくともソ連邦崩壊やベルリンの壁崩壊は共産主義体制にも民主主義が存在していた証となります。

どれみさんは、北朝鮮はまだ崩壊していないから北朝鮮の民衆は理想社会で生きているとでもおもっているんですか?北朝鮮への移民団は「だまされた」と思っているはずですよ。それは現在では総連でさえ認めていることです。つまり民衆の共産主義へ期待した理想と北朝鮮の体制は全く異なるのです。
その体制を支持するのはあくまで理想を追っているからです。北朝鮮人民の理想を失わせてはなりません、北朝鮮人民の理想が独裁体制を支持しているとでも思っているのですか?。もう一度森村誠一の言葉を思い出してみることです。
「民主主義は一旦敵(ファシズム)の手に渡してしまうとそれを取り返すのは非常に困難である」事の証明が北朝鮮でしょう?

「橋のない川」と言う小説を読んだ事がありますか?
当時被差別階級の人たちが北朝鮮に対して抱いていた理想が良くわかりますよ。

> それとも東欧諸国には「追うべき理想がなかった」というのですか?
> 東欧諸国は理想を追って作られた国々じゃないというわけですね。

そうです、あくまで武力制圧によるものであり民主的に作られた体制ではありません。これは日本の民主主義も同様です。繰り返しますが理想の敵は何であるのか、よく見極める事が重要です。

> まったく、長文は相変わらずだしおまけに支離滅裂なのもいつもどうり。卑劣な人間はどこまでも卑劣ってことで。

私が卑劣であるとのどれみ氏の評価と私の理想、言論とは全く関係がないことは先の投稿で論述したとおりです。また議論とはお互いの欠けている知識を補填しあい、出来るだけ正しい情報の元行われるべきものです。そうでないと議論は間違った結論を導く事になります。お互いに気をつけましょう。

最後に私がこの議論が始まる当初から疑問に思っていたことがあります。2点です。

1、どれみさんは民主主義者ですか?

以下は紀元前ギリシャで書かれた「歴史」と言うヘロドトスが書いたもので、ある抑圧政権を打ち倒した後の体制をどのようにするのか?と言う議論を功労者達が行った際、結論としてダイオレスと言う人物の主張する独裁体制を選んだ。と言う故事です。
どれみさんが民主主義者であるならこのダイオレスの議論にどのように反論しますか?
なんなら私がダイオレスの立場に立ってディベートしてみましょうか?

【私はメガビュゾスが大衆についていわれたことはもっともだと思うが、寡頭政治についての発言は正しくないと思う。すなわちここに提起された三つの体制−民主制、寡頭制、独裁制がそれぞれの最善の姿にあると仮定した場合、私は最後のものが他の二者よりも遥かに優れていると断言する。

最も優れたただ一人の人物による統治よりもすぐれた体制が出現するとは考えられぬからで、そのような人物ならば、その卓抜の識見を発揮して民衆を見事に治めるであろうし、また敵に対する謀略にしても、このような体制下で最もよくその秘密が保持されるであろう。しかし、寡頭制にあっては、公益のために功績を挙げんと努める幾人もの人間の間に、ともすれば個人的な激しい敵対関係が生じ易い。
各人はいずれも自分が首脳者となり、そこから内紛が生じ、内紛は流血を呼び、流血を経て独裁制に決着する。これによって見ても、独裁性が最善のものであることがよくわかる。

一方民主制の場合には、悪のはびこることが避け難い、さて公共のことに悪がはびこる際に、悪人たちの間に生ずるのは敵対関係ではなく、むしろ強固な友愛感で、それもそのはず、国家に悪事を働く者たちは結託してこれを行うからだ。このような自体が起こり、結局は何者かが国民の先頭に立って悪人どもの死命を制することになる。その結果はこの男が国民の賛美の的となり、賛美された挙句は独裁者と仰がれる事になるのだ。この事例から見ても、独裁性が最高の政体であることは明らかではないか。

これを要するに、一言にしていえば、われわれの自由はそもそもどこから得られたものか、誰が与えてくれたかということなのだ。それは民衆からであったか、あるいは寡頭制からであったか、それとも独裁制からであったか。

されば私の抱く見解は、われわれは唯一人の人物によって自由の身にして貰ったのであるゆえに、あくまでこの体制を堅持することと、それは別としてもこの結構な父祖伝来の慣習を破棄するようなことがあってはならぬということである。そのようなことをして良いわけがないからだ】
(『歴史』ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫・上、三三六−三四二頁)
以上、遊牧民から見た世界史、杉山正明著、日本経済新聞社より。


2、どれみさんは人権論者ですか?

どれみさんはよく『人権』と言う言葉にヒステリックに噛み付く傾向がありますが、例えば『人権』を唱える人間に限って云々と述べられることが多いですよね?
どれみさん自身はそうした似非の人権主義者ではなくご自分こそ真の人権主義者であると自負されているのですか?または人権否定論者なのですか?

と申しますのも人権と言う概念からしてこれはこの二者択一以外の選択肢がないからなのです。これは論理的に説明できますが長くなるので省きます。とにかくある程度の人権は認める、とかこっちの人権は認めるがあっちの人権は認めない、とか言う中間的なものはないのです。これは二者択一問題なので答えるのは簡単でしょう?どれみさんはどっちですか?
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[1772]Re(1):民主主義と外国人参政権
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 投げ物屋  - 05/11/20(日) 14:38 -

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   興味深く議論を拝見させていただきました。
この議論に割って入るにはまだ僕は知識不足なので遠慮しますが一つ疑問に思ったことがあるので他愛も無い質問ですが答えていただけると幸いです。

▼とほほさん:
>現実に軍備を持たずに独立を保っている国家は存在します。
 聞いたことが無いのですが、それは例えばどこの国でしょうか。
バチカン市国…?シーランド公国…?

 調べたところシーランド公国は軍備があるそうです、ショットガン一丁(それこそどうしろと(^^;
 バチカンはスイス人の衛兵さんが伝統的理由で兵隊やってます。
バチカン市国のスイス人衛兵は、1506年1月22日に150人のスイス人兵士が、当時のローマ法王ジュリオ2世に仕えたことが始まり。その条件は、19歳〜30歳の独身スイス人男性であること、身長174cm以上であること、カトリック教の信仰者であり、スイスの新兵学校を修了していることなど。また、その任務は、謁見、大統領との会談などの際の法王の護衛、法王庁の警備、毎日の巡回、射撃訓練、各種の活動(バンド演奏、コーラス、サッカーの試合)などとなっている。
のどかだなぁ…サッカーが任務て…。
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[1773]Re(2):民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/20(日) 15:10 -

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   ▼投げ物屋さん:
> 聞いたことが無いのですが、それは例えばどこの国でしょうか。
>バチカン市国…?シーランド公国…?

非武装・非軍事化を次のように定義した場合。
『憲法において軍隊の不保持を規定している』
『同じく平時には軍隊を保有しないと規定している』
『警察を置いているが軍隊についてなんら規定していない例』
『実際の制度上、警察・税関・国境警備隊と軍隊を区別』
『現実に武器や兵隊を保持していない』

こうしたことを基準にした場合、非武装国家は現在の主権国家数の15%。

アンドラ、コスタリカ、ルクセンブルグ、モルディブ、サンマリノ、リヒテンシュタイン、アイスランド、セントクリストファー・ネイヴィス、ドミニカ、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディーン、パナパ、モーリシャス、パラオ、ヴァヌアツ、ソロモン諸島、ハイチ、サモア、キリバツ、トンガ、ナウル、モナコ、クック諸島、ツヴァル、ニウエ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、ヴァチカン。

*参照
『法と民主主義、2005/6 NO399』日本民主法律家協会
「軍隊のない国家、軍隊のない世界(世界の非武装国家)」東京造形大学、前田朗
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[1774]Re(3):民主主義と外国人参政権
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 投げ物屋  - 05/11/20(日) 17:57 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>非武装・非軍事化を次のように定義した場合。
>『憲法において軍隊の不保持を規定している』
>『同じく平時には軍隊を保有しないと規定している』
>『警察を置いているが軍隊についてなんら規定していない例』
>『実際の制度上、警察・税関・国境警備隊と軍隊を区別』
>『現実に武器や兵隊を保持していない』
>
>こうしたことを基準にした場合、非武装国家は現在の主権国家数の15%。
>
>アンドラ、コスタリカ、ルクセンブルグ、モルディブ、サンマリノ、リヒテンシュタイン、アイスランド、セントクリストファー・ネイヴィス、ドミニカ、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディーン、パナパ、モーリシャス、パラオ、ヴァヌアツ、ソロモン諸島、ハイチ、サモア、キリバツ、トンガ、ナウル、モナコ、クック諸島、ツヴァル、ニウエ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、ヴァチカン。
>
>*参照
>『法と民主主義、2005/6 NO399』日本民主法律家協会
>「軍隊のない国家、軍隊のない世界(世界の非武装国家)」東京造形大学、前田朗
どうも、ありがとうございます。
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[1785]民主主義と平和主義
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/22(火) 17:49 -

引用なし
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   ---
「いまや何をなすべきか。まずわれわれはヴェルサイユで、この条約(講和条約)の徹底的な改訂のために全力を注ぐべきである。それに成功したならば、これに調印すべきである。もし成功しなかったならば、どうすべきか。その場合は積極的な抵抗も、消極的な抵抗も試みるべきではない。わが国の代表ブロックドルフ=ランツァウ伯(Ulrich von Brockdorff-Rantzau。外相)は、憲法制定議会を解散する正式の布告と、大統領以下全閣僚の辞表とを敵国政府に手交し、ただちにドイツの主権と全政府機構とをひきつぐことをかれらに要請すべきである。かくすることによって、平和に対する責任、統治に対する責任、いや、いっさいのドイツの行動にたいする責任は、かれら敵国政府のものとなる。かれらは世界と歴史と自国民の前で、六千万のドイツ人の面倒をみなければならなくなる。これは歴史上前例をみない国家の破滅の仕方であるが、それこそがドイツ人の名誉および良心と両立する方法である。」
--- 「東郷重徳、伝記と解説」萩原延壽著、原書房より ---


以上は第一次大戦後に、ドイツに突きつけられた講和条約に対するワルター・ラーテナウ(Walther Rathenau)の言葉である。ラーテナウと言う人物は共産主義(ポルシェヴィズム)と言う新思想に対し激しい危機感と嫌悪を抱いていた当時の諸国指導者層の中において、共産主義を冷静に分析しいわゆる「感情的嫌悪」とは一線を画しており「共産主義への恐怖心」も持たなかった実業家である、彼は共産主義を人類の試験的試みと見ていた。

さてここで持ち出したラーテナウの言葉と彼の共産主義への対応とは関係ない。
もちろん講和条約に対するラーテナウの自暴自棄的な言動とも見ることもできる。
周知のように、ドイツはこの講和条約を受け入れる以外にその主権を維持する道はなく、そしてラーテナウの言葉のように主権を放棄することはなく、ドイツ国民議会は講和条約への調印後共和国憲法を発布しワイマール共和国の過酷な道のりがはじまるわけである。ワイマール共和国はカップクーデターを皮切りにあらゆる右翼勢力からの攻撃を受け最終的にナチズムが台頭するようになる。ラーテナウの言動はこうした右翼勢力を扇動する結果になったのかもしれない。

私は、現日本が本当に民主主義国家であるならば、対中外交(対中に限らないが)においてこのラーテナウの言葉の実践こそが日本人民のあるべき立場だと思う。国民国家と言う概念や価値観に依存して生きていく以上その国民国家が犯した罪は永劫にその責と業を国民が背負う。国民国家の概念から超越した世界秩序がありえないのであれば、そしてその国家が民主主義を維持しようとするなら、それ以外に日本人民がその尊厳と良心を両立させて生き残る道はない。
中国に主権を渡したところで何もおそれるものはない。我々日本人は「民主主義者」である、香港がそうあるように日本もそのようにあればよい。日本がそうなった時にはじめてそれこそ中国本土の民主化は我々(その時の我々は中国人民である)の民主主義の為の緊急課題となるのである。

戦争責任問題は私に問う。
「戦後に生まれた我々に戦争の責任はあるのか?」
私はこう答える。
「我々にはもちろん責任はない、が国民国家の国民である責任として、その体制からもたらされた富により私の命は存在するのであり、正しい歴史を後世に伝えねばならない。」

さらに懐疑的な私の中の戦争責任回避論者は問う。
「個人(少なくとも戦後に生まれた個人)にどうしようもなかった戦争、に対して何らかの責任を負わせる事は個人としての人権を侵すものではないか?」
「個人の人権を生かすと言うことは、他者の人権の尊重に他ならない、犠牲者またはその遺族の人権を尊重することこそ己の人権を護る事になる」

懐疑的な回避論者はまだおさまらない。
「他人の犯した人権侵害について関係のない個人が責を負うのか?」
「国民国家の国民である以上その責から逃れられない。」

こうした終わりのない議論をしているときに私はふと気がつく。
この議論は所詮は「国民国家」の国民である事の枠から超越せねば、延々と続く。そしてなぜ自分が「国民」であるのか?「国民」ではない自分はありえないのか?となり、そして「国民」であればこそ「人権」を有するのか?と帰結する。
そして私の解答は否である、人権は万人に与えられた権利であり私が国民である必要はない。
しかし国民である事は逃れられない現実なのだ。

****氏の言説にある通り「中国の排他的ナショナリズム」が「民主主義の敵」であるとしても、その国境の外側からそれを攻撃する事はできない。なぜなら外部ナショナリズムに対抗できるのは内部ナショナリズムだけであるからだ、この内部ナショナリズムは往々にして民主主義の御旗の下に正義の衣を着ており、この内部ナショナリズムもまた「民主主義の敵」になりかねない。民主主義者である我々にできることは己を支配するものへの警戒であり他国の「民主主義の敵」に対する警戒または攻撃は国民国家体制下の世界秩序の上では無意味であるか否かは結論できないが少なくとも無効である。

本稿冒頭において一次大戦後のドイツに触れたのはその良いモデルであるからだ。確かにヨーロッパの国民国家としてのあり方と日本のそれとではその歴史に大きな隔たりがありラーテナウのような思考が日本に生まれるにはその成立からして無理がある。
また、日本は当時ドイツが突きつけられたような苛烈な条約を強要されたわけでもない、どころか周辺諸外国からは賠償を免責されており連合諸国の積極的支援を受けている立場である。しかし国民国家概念の上に安穏として生活しその繁栄を享受する以上ラーテナウの言説の正しさは認めざるをえない。

であれば「一国平和主義」と言う言葉がよく使われるが「一国民主主義」ももはや成り立たない。つまりこれは、敗戦国だから、戦争犯罪を犯した国家だから、と言う枠にもとらわれない事になる。己の民主主義(一国民主主義)を守るために、他国(それが民主主義の敵であるとしても)を攻撃する、と言う行為そのものが己の民主主義をも破壊する事に他ならない。戦争を否定する我々は「一国民主主義」がもはや成り立たない事に気がついたのである。国境がある以上他国の民主化に言及する時、情報戦略、非民主国家人民へ対する民主国家内の全ての情報公開、がこれまでのところ最善の方策である、そのためには国境の内側にいる我々の民主社会こそが真の民主主義国家として成熟しておらねばならないのだ。
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[1786]Re(1):民主主義と外国人参政権
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 七生報国 E-MAILWEB  - 05/11/22(火) 18:02 -

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   ▼とほほさん:
外国人の参政権ということですが、国政選挙への参政権は憲法を大改正して国民主権を放棄するとかしないと不可能ですね。
 ただ、地方参政権に関しては住民自治の観点からしても、国民主権の観点からしても法律上、憲法上問題ないというのが通説です。よく地方参政権を与えると国政への参政権も与えないといけなくなるとという主張をなされる方がおられますがそれは上記の通り全く以ってありえない話です。

また最高裁判例上も
(マクリーン事件)
憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。

とあるので例え不法滞在の外国人でもある程度の人権保障はなされてしかるべきです。日本人が犯罪を犯しても、犯罪者は最大限の人権保障を受けます。

お節介でしたらすみません
乱筆失礼しました。
63 hits

[1787]Re(2):民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/22(火) 18:14 -

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   ▼七生報国さん:
> 外国人の参政権ということですが、国政選挙への参政権は憲法を大改正して国民主権を放棄するとかしないと不可能ですね。

そんなことはありませんよ。外国人参政権を憲法は否定していない、と言う最高裁判例があるそうです。(詳細不明)
外国人に参政権を与えることが、なぜ国民主権を放棄することになるのでしょう?
80 hits

[1788]Re(3):民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/22(火) 19:18 -

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   ▼とほほ:
>そんなことはありませんよ。外国人参政権を憲法は否定していない、と言う最高裁判例があるそうです。(詳細不明)

うーーん、ソースを探したのですが見つからない、これはもしかしたら七生報国さんの提示している奴かもしれません、地方参政権のことですね。

しかし、憲法を改正する必要はないですよ(^.^)
戸籍法の改正は必要ですけどね。
91 hits

[1789]Re(2):民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/22(火) 19:25 -

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   ▼七生報国さん:
>とあるので例え不法滞在の外国人でもある程度の人権保障はなされてしかるべきです。日本人が犯罪を犯しても、犯罪者は最大限の人権保障を受けます。

これもねーー。
本当こういうことが自信を持っていえるような国家であればいいのですが、現実はどうなんでしょうかね?
私が文通していた殺人犯の人も高裁まで死刑判決で、未決囚として最高裁のお達しを待っていたのですが、獄中で病死してしまいました。20代の若さですよ。健康そのものでした。しかも悪名高い名古屋拘置所。
58 hits

[1790]Re(4):民主主義と外国人参政権
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 七生報国 E-MAILWEB  - 05/11/22(火) 20:38 -

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   ▼とほほさん:
 国籍法のことですね。
とほほさんのスタンスとしては、国籍法上、日本国籍を取得する際、重国籍を認めていないので、その条件を緩和して日本国籍を与え重国籍を認めた上で外国籍も持つ人に国政、地方を問わず選挙権を与えるということでよろしいでしょうか?
在日外国人の国籍という民族の「アイデンテティ」を失わずに済みますね。
なるほどそれなら、現行憲法で可能です。
私の上記の書き込みは、現国籍法を前提としていた為全く的外れなことを書いてしまいました。すみません(笑)

とほほさんのご指摘になられた最高裁の判例(平成7年2月28日)ですが

このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。

とありますように外国人の中でも特に永住者には地方参政権を与えるのは憲法上問題ないと言っています。
78 hits

[1791]Re(3):民主主義と外国人参政権
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 七生報国 E-MAILWEB  - 05/11/22(火) 20:46 -

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   ▼とほほさん:
 確かに、そういう現実は分かります。悪名高い代用監獄制度、過剰収容など改善すべき問題はたくさんありますね。その点、完全には人権保障がなされてるとはいえません。
 学者の中では逮捕されても取り調べには応じなくても良いという説を主張されている方が沢山いるそうです。逮捕とは逃亡や証拠隠滅の恐れがある時にするものであって取調べをすること目的としたものではないからというがその理由です。
 もちろんそんな説は現場からすればありえないものでしょうけど私としては支持したいです。
65 hits

[1792]Re(5):民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/22(火) 20:57 -

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   ▼七生報国さん:
> 国籍法のことですね。
>とほほさんのスタンスとしては、国籍法上、日本国籍を取得する際、重国籍を認めていないので、その条件を緩和して日本国籍を与え重国籍を認めた上で外国籍も持つ人に国政、地方を問わず選挙権を与えるということでよろしいでしょうか?

これも問答でちょっとした議論になっているのですが、まあそういうことです。しかも「国籍」と言う言葉を使わずに「市民権」で良いと思います。
憲法は国民の要件を定めてませんから、市民権を持つものは国民である、と言うことですね。

国籍と市民権と言うのは制度上全く同じ機能を持つものですが「漢字」と言うものの持つインパクトは大きいです。
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[1805]Re(1):民主主義と外国人参政権
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/26(土) 22:13 -

引用なし
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   問答有用での議論のうち私の発言を転載しておきます。

> 市民権と国籍は完全に同一です。アメリカの市民権を取得することは、アメリカの国籍を取得することを意味します。

えっと(^^ゞ
五番街さんのコメントなので、まじめにお答えします(笑)

これは(私の言っている「市民権」と「国籍」と言う概念の違いとは)まさに五番街の言うところの「市民権(出生地主義)」と「国籍(血統主義)」の違いの事を指してます。

たとえば欧米では市民権を得たからと言って、日本で言うところの「日本人」になったわけではありません。アメリカの市民権を持つ○○人です。その血統は大切にそれぞれのアイデンティティーとして社会も個人も尊重されます。

そうした意味で「市民権」と「国籍」と言う概念は明確に異なります。

> いや、私はこのようなことを述べてはいません。
> 私が書いたことは、市民権=国籍であり、新生児が市民権=国籍を獲得する方法として、アメリカでは出生主義、日本では血統主義にもとづいて手続が行われる、ということです。市民権と国籍を別のものとする見方は、全く示していません。

ですから、私が言っている概念の違いとはまさに出生地主義と血統主義に由来するものです。と言っているのであり、五番街さんがそういっていると言っているのではないです。

> いや、日本人がアメリカの市民権=国籍を獲得することは、日本で言うところの「日本人」になった、ことと全く違いはないと思います。たたえば、アメリカ人が日本国籍を獲得して【「日本人」になった】場合と、日本人がアメリカ国籍を獲得して【「アメリカ人」になった】場合、いったいどんな違いがあるのでしょうか?

帰化したアメリカ人を日本では米系日本人とは言いません。せいぜい説明的に○○出身でいついつ帰化した日本人、というような言い回しをするくらいでしょう。

> 日本国籍=市民権を獲得したアメリカ人は、たしかに、一般的な日本人と同様な見方をされることはないでしょうが、それは、国籍の問題ではなく、人種・民族の違いが解消できないからです。

いや(^^;
ですから、その「一般的な日本人と同様」と言うのが問題なのです。帰化によって制度上法律上同等の権利を得たとしても「一般的な日本人」ではないとする観念が出来上がるのが【国籍】です、一般的ではないものに対する排外主義があります。一方市民権は人種・民族に関わらず一般的ではなくてもそれを尊重します。

たとえば帰化した黒人に日本では部屋を貸さない大家が居ないとはいえないでしょう。
言葉の意味も国籍とシチズンシップではまるで意味が違います。

> 【アメリカの市民権を持つ○○人です】という考え方は、たとえば日系アメリカ人(Japanese American)のような場合を指しているのでしょう。この考え方は「国籍」ではなく、「人種・民族」をベースした見方ですね。国籍と人種・民族は異なる概念です。日系アメリカ人の国籍はアメリカです。

もう、わかりました(^^;
その通りな事はわかりきっていることでしょう、その上で市民権と国籍の概念の違いを説明しているのです。

> このような分類あるいは区分は、アメリカ国内の人種構成などを知る上では重要でしょうが、法的あるいは社会的には、このような分類・区分は存在しません。

社会的に存在しているのです。法的にもかなり人権を侵害してます。「籍」と言う制度がその根源なのです。

> 市民権と国籍という概念は同一ですが、とほほさんが無理矢理に引き離そうとしているのです。とほほさんの言う「国籍」は、「人種・民族」の意味だと思います。

引き離すことによって、問題点を見えやすくしているわけです。    

>> 自国籍を持ってなくとも「市民権」があれば選挙権もある、と理解してますが(だから国籍などと言う概念はアメリカにはない、と言っているのにわからん人だ)
> 国籍と市民権のこのような関係は、じっさいに存在するのでしょうか?ある者が、ある国の国籍を持たないが、市民権は持っているという状態はあり得るのでしょうか?

ありうるのですよ(^^;
国籍など持たなくても市民権を持つ人はいるのですよ。国籍と市民権という概念が違うのですからあたりまえでしょう?
私のおばさんもアメリカの市民権を持ちますが、日本人であることにはなんら代わりがないのですよ。

> ただし、国籍を保有しないが、永住権を保有することは可能であり、国によっては永住権者に投票権を与えている場合もあります。(たしか、オーストラリアがそうですが、もっと多くの国が投票権を認めているはずですが、思い出せません。)投票権は市民権の一部ですから、永住権者に市民権の一部を認めていることになります。

ですから、話の根本が違うのです。
民主主義は「永住権を持つ外国人に参政権を与えるべきか?」という議論なのですね。
そしたら、「そういう国家がどこかにあるなら教えてくれ」と相手が言うわけですよ。
そこで「知りません、アメリカとかがそうなのではないですか?」と答えているのです。違うなら違うで一向に構わないわけですよ。

なので、関係もないことに突っ込んできても意味がないのです。

>>社会的に存在しているのです。法的にもかなり人権を侵害してます。「籍」と言う制度がその根源なのです。
>これも同様です。以前はともかく、現在の日系アメリカ人が「法的に」「人権を侵害されている」とは考えられません。日系アメリカ人の国籍は、他のアメリカ人と同じく、「アメリカ」です。

これは私が間違えました、アメリカではなく日本の「籍」という制度・概念に問題があるといっています。

ゴマかさんでくださいよ(^^;
単純に考えてください。「日本の市民権を与える」と「日本人になる」という意味が明確に日本語の上で異なることがわかりますでしょう?これがもしわからないというのであれば最初から日本の同化政策や在日問題・植民地支配を書き込んでいかなくてはならないのですが。

> これらの施策をとった場合でも、永住外国人に対して一律に参政権を与えることがひつようなのでしょうか。在日の方々のレスをお願いします。

ほぼ全面的にタラリさん、五番街さんのご意見に同意します。が、権利と言うものはしかるべき者にしかるべく保障されねばならないものであり、保障されるべきと結論したのであれば、当事者の要求の有無に関わらず保障されねばならないと思います。「私は人権は必要ありません」と言って人権を放棄することはできないのです。

あわせて、すでに憲法解釈により外国人参政権(国政含む)を否定することは論理破綻していると思います。問題は国籍法であり国籍法の改正は必要であると思います。2重国籍を認めることのどこに不都合があるのか?ご意見を伺いたいと思います。

私の主張は既出の通りであり思考錯誤より若干修正引用します。
>とほほさんのスタンスとしては、国籍法上、日本国籍を取得する際、重国籍を認めていないので、その条件を緩和して日本国籍を与え重国籍を認めた上で外国籍も持つ人に国政、地方を問わず選挙権を与えるということでよろしいでしょうか?

これも問答でちょっとした議論になっているのですが、まあそういうことです。しかも「国籍」と言う言葉を使わずに「市民権」で良いと思います。
憲法は国民の要件を定めてませんから、市民権を持つものは国民である、と言うことですね。

国籍と市民権と言うのは制度上全く同じ機能を持つものですが「漢字」や「言葉の意味」と言うものの持つインパクトは大きいです。
リーさんへ>

一点ですね、「日本の憲法は国民の基本的人権を保障しているのであり、外国人の基本的人権を保障しない」と言うのは誤りです。これは最高裁の結論として既出であり指輪さんが提示していると思いますので指輪さんの投稿を参照されてみてください。ただ、リーさんに指摘されてみて確かに誤解を受けやすい表現であり私自身も違和感を感じることがこれまでにもありましたので改正の必要はあると思います。

「日本国は国内に居住するすべての者の基本的人権を保障する」とすべきであると思っています。

>【わが国の永住権を持ち、わが国で出生あるいはわが国に住みはじめて満20年を経過しその間他国(=わが国以外の国)の参政権を一度も行使したことがない】という条件で私は日本国籍を持たない外国人の参政権を認めてよいと考えています。

結論が一っ飛びに飛躍してます。
「人権」と言う概念は「他者の人権を侵害しない限り」無条件に保障されねばならない概念なのです。
ですからまず「無条件在住外人国参政権」のどこに不都合があるのかを議論し、それの他者への人権侵害が認められて初めて制限することができるのですから、そこから議論を始めねばなりません。

日本は「世界人権宣言」に批准していることを忘れてこの議論をすることは決してできません。

> ちょっと、ちょっと。私と五番街さんへの気遣いから「同意します」と言われたのかも知れませんが、私と五番街さんは「現時点では参政権を一律に与えられない」ですから、このように書くと無用の混乱を生じます。

いえいえ、ほとんどのご意見に同意してますので、結論は出ていると言うことです。ただ一点タラリさんとの意見の違い「重国籍を認めるか、否か」で結論が異なってますのでその点をお伺いしているのです。まず私が同意した点を列挙しましょうか?

五番街さん
○全然わかってないんだねぇ、ここで私が言いたいのは、定住外国人が国民と同一の義務を課せられ、それを履行しているのに参政権が与えられないのはおかしい、ということだよ。

つまり、こうした事も考えると定住外国人に参政権がないのはおかしい、と言う主張であり「納税しているから権利がある」と言う主張ではない、理解しました。

タラリさん
○民族的アイデンティティの否定または放棄に近いことが要求されています。
○日本人一般の意識として外国人は帰化しても「外人」として処遇されたりする風土があります。
○私の解決案の第一は、永住外国人に対して参政権を一律に与えるのでなくして、国籍法における障壁を低くして、参政権をとりやすくすることです。

全く意義はありませんので、同意したのですが、不愉快でしたでしょうか?(^^ゞ

> 「憲法解釈上、参政権を否定することが論理破綻である」というためには自らの憲法解釈を示さなければなりませんが、今までのとほほさんの書き込みには示されていないように思います。

私が示さなくても指輪さんが示しておりますし、一応1行レスで既に示しております(笑)つまり私からしてみれば他に解釈の余地のない自明なことなのです。

○憲法では「国民の要件」を定めていない、国民の要件は法で定める、としているわけですから、定住外国人を国民である、と法で定めることにより十分に対応可能であり、少なくとも「憲法解釈上、参政権を否定することは論理破綻である」は自明に成立すると思いますが、この論理に何か盲点がありますか?

> とほほさんの主張は「永住者という条件が満たされれば、一律に日本市民権(=社会権+出入国の自由+参政権)を与える」と解されます。「国籍」という言葉をなぜ忌避するのか、今もってわかりませんが、日本国籍という言い方も廃絶するということでしょうか。

「籍」と言う言葉が人間をカテゴライズするものだからです。だから私が嫌うだけでありますが、かといってこの私の主張が通らないことは私が他者と同意できない理由にはならないのです。「重国籍の問題」で解決が可能なのです。

「民主主義は外国人参政権を認めるべきか」と言う思考をする上で、国民とは何か?ではなく、外国人とは何か?と言う風に考えるのですね。というより、民主主義はそういう風に思考すべきなのです。なぜなら、リーさんがおっしゃっているように「非国民」と言う概念が発生してしまうのです。

さてこうした場合、二通りの考え方ができるわけです。
1、日本国民ではないものが「外国人」である。
2、外国籍(市民権)を有する、もしくは無国籍の者が外国人である。

国民国家論的思考では、1での概念が当たり前のように刷り込まれてしまっているので議論が理解しにくいのです。しかし2の立場での思考も明確に外国人を定義しているわけでこの立場に立って考えるとわかりやすいと思います。しかも2の立場での思考を否定する根拠はどこにもないはずです、いかがでしょうか?

> とすれば、永住外国籍保有者は日本国内では日本国籍者とまったく違いがない、ただ、出国のさいは保有する外国籍のものとみなされ、その国のパスポートを携行するという点でのみ違うということになります。

いろいろなパターンが考えられると思います。
○「国籍」と「市民権」と言う二種の「基本的人権」を保障する。
この場合に少なくとも重国籍と言う問題は生じません、もっとも実質的重国籍でありますので「重国籍のどこに不都合があるのか」と言う議論の必要性を否定はしません。

> とほほさんの主張は「国籍と市民権は違う」、「しかし、機能は同じだ」ということですから、上記の内容でよいのだとするなら、五番街さんともようやく議論可能となります。

ですから、同意してます。
一点「重国籍であることの何らかの不都合に対して、検討することに異議はない、と申しているわけです」
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[1819]Re(2):基本的人権と外国人参政...
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/1(木) 13:07 -

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   >問答有用での議論のうち私の発言を転載しておきます。

第二弾です。

---
> 議論が混在しそうなので、新たな表題とさせていただきました。
> 言葉遊びと思われると恐縮なのですが、基本的人権の存在の有無は、根幹といえるほど重要な点だと考えてきましたので、意見を述べさせていただきます。(問答:#37788

リーさん、こんにちは。
私はあまりややこしく考えない性質なので何なのですが(^^ゞ
憲法を解釈する上で、憲法前文を決して無視してはならないと思います。憲法はすべて前文を基本理念として制定されているのですから、解釈の際はその理念が基本にあります、ですからこそ指輪さんが提示されているような解釈が成立するのであり決して言葉を都合よく解釈しているわけではないと考えます。

憲法前文より一部抜粋します。
日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
また、憲法と実態を比較することにより憲法を解釈するのも誤りで、いや実際、実態と憲法が相反する現実を否定するものではなく9条にしろリーさんの指摘する在日外国人の人権問題にしろ、大変恥ずかしい限りの日本国家であることを否定するものではありませんが、憲法そのものは天皇条項を除きあらゆる点でよく考えられている憲法だと思います。

外国人参政権問題では在日韓国朝鮮人及び中国人等を前提として議論する傾向が日本の場合強いと思いますが、もちろんそれも含めて、だがもっと一般化して考えねばならないとも思います。例えば国際結婚した外国人の多くは帰化する意思のある人は少ないでしょう。しかし現実には日本で生涯をおくり伴侶とともに運命共同体を形成してます、こうしたもっともっとマイノリティーな人々のあり方も考えるべきかと思います。SONGさんが「意外と日本の帰化条件は厳しくないよ」と言うのもある意味在日韓国・朝鮮人に言えることであり、これらの人たちの多くは既に日本への帰化条件をある程度満たしてます。
つまり、日本語に通じ日本の文化に慣れ親しんでいるわけです。

ところがそうではない方たちもいらっしゃるわけで、そうしたよりマイノリティーにまで対象に矛盾のないように解決せねばならないと思います。

>  以上のように通説は考えており、それが判例の考え方の基礎になっていると理解されます。(問答:#37798

りーさんは、自然発生権として人権を捕らえたときに日本国憲法は外国人の人権を保障していないと考えているのだと思います。これは一理ある考え方だと思います。と申しますのも、人権と言う概念が時代とともにその示すものが異なっているからです。前国家的なものであれば、そもそも人権の対象者は人類全体を指してものでもないわけですね。

フランス革命時の「人権」もそうですよね、つまり「人権」と言うのは憲法でその保障の範囲を規定していたわけです。通説がそのように考えるようになったのはあくまで世界人権宣言への批准があるからだと思います。

> 基本的人権という言葉自体が、一定の身分とか人種とか国籍とか性別とかを前提としない人間の本来の権利という意味であると一般的には考えられています。もしも日本国籍がなければ与えられない権利だとすると、それはもはや人間の本来の権利ではないということになるのです。(問答:#37808

世界人権宣言以前はそうだったわけですよ、ルソーなんかの「自然権を保証するものが国家」であったわけで、保障する、と言う概念が発生すること自体が、すでに自然権ではない。

だから、結局リーさんのように考えていくと(私はリーさんの考え方にも一理あると思う)人権と言う概念は「国民国家」を超越してしまっているのですよね。リーさんと同じように考えている人では半月城さんもそうじゃないかと思うのですね。

つまり、普遍的人権を前提にして憲法の言葉が書かれていない。自然権として前提されているのであれば保障も否定もなく、そこにあらねばならない、ところが、、、。

ちょっと半月城論も参考にしてみましょう。
半月城通信:世界人権宣言と日本国憲法より一部抜粋。
実際にそうした一面もあります。たとえば第30条の「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」という規定などは決して外国人を除外しるわけではありません。このような義務に関するかぎり、憲法の「国民」は外国人を含みますが、どっこい権利に関しては、国民とそうでない者とは厳格に峻別されます。

そのいい例が国民の生存権で、第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」との理念のもとに、国民健康保険法や公営住宅法、国民年金法など、生活に密着した法律が作られましたが、これらは一部の例外を除き、数十年間にわたり外国人をことごとく排除してきました。

こうした憲法の理念が、日本で潜在的な人種差別主義を生んできたといえます。日本人の人権意識をイギリスの代表的新聞「ガーディアン」が次のように批判しました。
「日本人は『純粋な』もしくは無意識の人種差別主義者であり、彼らがこの国にも人種問題が存在すること、ないしは他民族に対する彼らの態度に何かが欠けていることを認めない限り事態の改善は望めない」(1979.8.13 読売)
また、半月城さんも私と同じように「市民権であるべき派」のようです(^^ゞ

以下、問答:#37809への返信。

(1)について
具体的な方法を提示していない、指輪さんは「国民主権」の意味を考え直さなくてはならない、としている。憲法に国民主権を書いてある意味は大きいと考えているのは私と同じであると思う。その意味でストレートに参政権を与える方法は憲法上困難であると思う。そのとき、国民=日本国籍から国民=日本国籍+永住(外国)人と規定しなおすのがとほほさんの第一案である。わたしとしては国民をこのように定義しなおすことには抵抗が大きく実現困難と思われる。


定義しなおすというより、定義していないのです。これは半月城通信によれば憲法の「国民」を英訳したときには peoples になるらしく、大体「国民」と言う言葉は peoples の訳語ではないだろうか?だから漢字の与えるインパクトと言うのは馬鹿に出来ないのだと思う。本来は「国民」ではなく「民衆」「人民」と訳されてしかるべきなのではないだろうか?

つまり一見民主憲法に見えるこの憲法も「peopleを「国民」と訳した説」が正しいとすれば「臣民」=>「国民」と言う流れの上に訳されていると考えられるわけです。民主憲法は本来「国民」と言う言葉を使わないのではないでしょうか?
これの意味は大きいです、国民が国家を形成するのではなく国民は国家に所属することになります。国民国家論の国民とは全く違います。確かに諸外国でも国家建設の後に国民建設を行いますが、それは決して国家に所属させることではないと思うのですよね。

自然権的に国家におけるアプリオリな人間のかたまり(これが国民と解されたわけであるが)、とは明確に国民国家論では国境内に居住するものを指すのではないだろうか?
民族自決、民族主義はそれがわかりやすい形で存在していたに過ぎない。例えばヨーロッパの場合でもイタリアなどは未だに自分たちを「イタリア人」としたナショナリズムってないのではないかと考える(^^;
これが私の主張ではあるが、先に述べたとおり、この主張が通らなくても同意は可能である。私はタラリさん的に自明に存在している「国民」に何の根拠があるのか、且つ又定住外国人を国民(日本の人民・民衆・これはいわゆる【日本人ではない国民】である、これが理解しにくいのでしょうね(^^; )とすることの不都合を重ねて問わねばならない。

(2)について
定住者に一律に国籍を与えてしまえば「国民主権」に抵触しない。外国籍からの離脱を宣言しない、あるいは韓国などは他国で二重国籍になってしまった後、韓国籍を離脱したと宣言したとしても韓国自身はそれに「影響されない」という方針をとっている。二重国籍を目立たないやり方で浸透させるのはinti-soさんの論考を読んでみるとかなり良い点があると思った。


> しかし、これにも難点が少しある。日本政府が二重国籍者だけには、日本国への忠誠を、日本国籍取得後においても監視しつづけるというおそれがあるからである。もちろん、これは国家が態度を改めさせるべき性質のことではあるが、いまもって国家はそういう体質であり、将来的にもなかなか改めないだろうと思う。

国家の体質を根拠に差別的制度を温存する、と言う主張になってはいないだろうか?これは(3)にも共通するので下で改めて述べてみたい。ただ、ここでinti-solさんの意見の中には無国籍の在日朝鮮人への視点にかけている、韓国籍、朝鮮籍を取ることの出来ない方々も大勢いると聞く。

(3)私の案、意図するもの
ヨーロッパ各国では植民地独立時に宗主国本国に定住する旧植民地人に対して自由に国籍の選択を行わせた。定住する旧植民地人の多くが定住する国の国籍を選び、今日の多民族国家ができた。日本は台湾、朝鮮出身者を外国籍として日本国籍からただちに排除した。それが多数の「在日」のはじまりである。私の解決はまず、その誤りを元に戻そうとするものである。これならば、「国民主権」にも抵触しないし、二重国籍という国家が体質的に忌避する事態も避けることができる。国民になってしまえば国籍を元にした種々の差別もなくなってしまう。

<略>
> 私の案でも心配な点はある。在日朝鮮人が帰化を申請するときに審査は欠かせない、厳しくすべきだという保守層の反発が予想される。一定の永住条件というだけで帰化を認めるようにしないとかえって差別の固定化になるのでこの条件だけは譲れない。

まずはどのように目標を達成させるのか?を考える前にどのように達成されねばならないのか、を結論しその目標に向かって歩み続けねば決して保守の差別制度を打ち砕くことは出来ないと思います。タラリさんの意見は、保守が頑強だから差別を温存すること、に他ならないと思うのですが。

先にも述べたように、私自身は在日韓国・朝鮮人に限らずより一般化した形での経済難民受け入れに対しても、婚姻永住、他永住、に対しても制度改正の必要はあると思うが、在日朝鮮人の問題をまず第一段階として改正することに依存はないですね。

在日の方々には国籍の取得の必要もなければ、取得したい人は無条件で国籍を取得しても良いと思うし、重国籍も認めて良いだろうし、、、。

そうするとやはり在日朝鮮人にかんしては出生地主義をとって国籍を取得せずとも国民である、と規定することは大日本帝国の犯した国家犯罪への賠償として当然であると思う。日本人になるのではなく、在日朝鮮人も日本という民族国家の国民ではなく地域国家の国民になるのである。
(あえて市民権と言う言葉をはずして説明しているが、ここに市民権の概念を当てはめるとわかりやすいと思う)

ついでに言えば、パスポートにしろ市民権を持つのであるから日本政府は申請を受ければ発行せねばならない。

#うーーん、やっぱり「国民」と言う言葉に問題がありそうだ、この言葉がいつごろ出来たのか?漢字文化圏外ではこうした人間のかたまりを原語ではなんと呼んでいるのか?そしてその意味は?この辺のところを知る必要がありそうな気がする。
113 hits

[1820]Re(3):基本的人権と外国人参政...
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 七生報国 E-MAILWEB  - 05/12/1(木) 21:11 -

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   ▼とほほさんへ:
とほほさんの外国人参政権の捉え方はとても興味深いです。
外国人参政権を考える上でとても勉強になりますヽ(´ー`)ノ

国家の体質を根拠に差別的制度を温存する、と言う主張になってはいないだろうか?これは(3)にも共通するので下で改めて述べてみたい。ただ、ここで inti-solさんの意見の中には無国籍の在日朝鮮人への視点にかけている、韓国籍、朝鮮籍を取ることの出来ない方々も大勢いると聞く。


これは実際にあるようです。確かに韓国人なんだけど韓国の戸籍が無い在日の方はおられるようです。そういう方は帰化する時に韓国での戸籍を造ることから始めねばならないようです。
http://korean3rd.seesaa.net/
に詳しく述べられています。
自分も最近まで本国に戸籍の無い在日韓国人の方がいるなんて知りませんでした。
67 hits

[1821]Re(4):基本的人権と外国人参政...
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 KIM  - 05/12/1(木) 21:54 -

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   ▼七生報国さん:

>これは実際にあるようです。確かに韓国人なんだけど韓国の戸籍が無い在日の方はおられるようです。そういう方は帰化する時に韓国での戸籍を造ることから始めねばならないようです。
>http://korean3rd.seesaa.net/
>に詳しく述べられています。
>自分も最近まで本国に戸籍の無い在日韓国人の方がいるなんて知りませんでした。

僕は韓国には一度も行った事がありませんが、一応外国人登録には済州島の方の戸籍になっております。僕も戸籍の無い人がいるのは初めて知りました。
それにしてもブログの方をざっと拝読させて頂きましたが、う〜ん、色々と考えさせられますねぇ。僕も帰化した方がイイかなって思う時とかたまにあります。
何だかんだ言って日本で暮らしてる限り、選挙の際に投票へ行く等の義務は果たした方がイイかなって。今まで一度も投票しに行った事がありませんし。
それにやっぱり特別永住権というのは正直余り居心地良くないですし。
今の所帰化するつもりとかは特に無いんですけどね。
77 hits

[1828]Re(4):基本的人権と外国人参政...
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/3(土) 10:44 -

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   ▼七生報国さん:
>これは実際にあるようです。確かに韓国人なんだけど韓国の戸籍が無い在日の方はおられるようです。そういう方は帰化する時に韓国での戸籍を造ることから始めねばならないようです。
>http://korean3rd.seesaa.net/
>に詳しく述べられています。

さっそくTBを送りました(^^ゞ
承認式でTBが反映されるようなので心配したのですが、採用してくれたようです。
88 hits

[1829]Re(5):基本的人権と外国人参政...
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/3(土) 10:48 -

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   ▼KIMさん:
>僕は韓国には一度も行った事がありませんが、一応外国人登録には済州島の方の戸籍になっております。僕も戸籍の無い人がいるのは初めて知りました。

ふーん、そうなのですか。
これは各ブログの皆さんは表にかけるような事を書いているのだと思いますが、現実にはそうそう簡単な話ではない方も大勢おられるようです。それこそお金の問題ですがね。

まあ、韓国も日本も血統主義ですし、戸籍制度の国です。これがまた問題をややこしくしている、血統と言えば韓国も日本に負けず劣らずと言うか、本家本元ですしね(^^;
79 hits

[4269]Re(3):基本的人権と外国人参政...
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 とほほ E-MAIL  - 07/3/7(水) 20:00 -

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   ▼とほほ:
>定義しなおすというより、定義していないのです。これは半月城通信によれば憲法の「国民」を英訳したときには peoples になるらしく、大体「国民」と言う言葉は peoples の訳語ではないだろうか?だから漢字の与えるインパクトと言うのは馬鹿に出来ないのだと思う。本来は「国民」ではなく「民衆」「人民」と訳されてしかるべきなのではないだろうか?

国民主権と言う言葉がある。
日本国憲法の根幹を成す概念であり、何人たりと例え改憲論者であれ、この概念を否定するものは現代社会には存在しないだろう。しかし、この概念を口にするたびに立憲主義や近代法理との矛盾を伺わせる場面に出くわしたことのある方は少なくないのではないかと思う。

例えばよく指摘されるものに(以前に半月城さんも指摘していたと思うが)納税や勤労の義務に関しては国民ではない外国人にも適用されるが、こと福祉を受ける権利に関しては外国人は対象外であることなどだ。これはこの「国民」と言う言葉の解釈が一義性を持たないことの証明であろう。

言わずもがなではあるが、問題は「国民」と言う訳語である。私はこれまでも度々、この「国民」と言う言葉は誤訳ではないか?peopleの訳語としては誤りではないか?と言う指摘はしてきた。ではネイション(nation)の訳語としては正しいのか?と言うとこれまた違和感を感ずる、ネイションとはステーツに居住するアプリオリな人間の塊を表現しているからだ、民族と訳すのも必ずしも妥当ではあるまい。

そんなことを漠然と考えていたときに「とちぎ教科書裁判を支援する会通信、第2号」と言う小冊子が郵送されてきた。その中にある「黒羽から歴史と教育を考える会代表・白崎一裕氏」の論考の中に面白い記述を見つけた。氏の提示するルソーの社会契約論から言えばネーションが「国民」と訳されることは明らかな誤りである、ネイションとは居住する人間の塊であるのであるから人民、市民、国民(同一の法体系契約を結んだ人間の塊)を包括することになる。少なくとも人民と訳すべきだと私は考える。

本来フランス革命によってもたらされたネーションステートの概念のネーションとは国民と言う意味ではない。
こうした人民・国民・市民と言う概念が混同して使われ、本来の立憲主義の意味や目的を隠蔽してしまっていることには私も白崎氏に共感する。

白崎氏が指摘する事実の中に興味深いものがある。

一つが、「国民」と言う訳語は日本政府がGHQ側の憲法草案を翻訳する際に意図的に people や person を「国民」と言う訳することにこだわったと言う事実である。(氏は出典を『憲法制定史、竹前栄治・岡部史信著、小学館文庫、等を参照』としている。)

今ひとつが韓国の事情である。
氏の解説によると、韓国の憲法でも「国民主権」となっているらしい。興味深いのは韓国の場合は元々は「人民主権」となっていたことである。これは韓国にしろ日本にしろ政権が【意図的に】国民と訳していることになる。となればこの事により立憲主義の本来の意味が隠蔽されている事実から、【意図的に】隠蔽した、と言う事実が見えて気はしないだろうか?

これに対して日本の場合は「人民と言う言葉になじめが無い」、韓国の場合は「人民と言う言葉が共産主義的である」と言う説明があるらしい。しかし白崎氏の言うようにこれはたとえそうであっても混同(統一)して使うべき言葉ではない。人民になじみが無いのであれば「国民」よりも「人々」と言う言葉が適切である。我々が憲法を読むときに政権が意図的に隠蔽した言葉を本来の意味に読み直して理解することは重要ではないかと思う。
70 hits

[4276]Re(4):基本的人権と外国人参政...
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 指環 E-MAIL  - 07/3/11(日) 0:51 -

引用なし
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    反論というわけではないのですが、大事なのは条文の文言について、その沿革を探り、その趣旨、目的、機能を明らかにし、さらに、対立する価値・利益を比較考量し、その意味するところを論理的に明らかにすることです。憲法学者はそういった作業をやっています。(その点で、誤訳かどうかというのは、ある条文解釈の論拠の一つにはなりうるものの、決定的に重要な議論ではありません。)

 例えば、日本国憲法には「公共の福祉」という文言が、12条、13条、22条、29条にあるわけですが、この「公共の福祉」の意味について、日本国憲法制定直後の学説は「人権の外にあって、それを制約できる一般的な原理である」と捉えていました。
 しかし、その後、長い論争があり、現在の学説は「公共の福祉とは人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である」と捉えることで、ほぼ固まっています。
 つまり、「公益」とか「公共の安寧秩序」とかで安易に人権制限を肯定するような考え方が克服され、「人権を制限しうるのは人権だけである」という考え方が一般的になっているわけです。

 「国民主権」について述べますと、ここで論点となるのは、(1)「主権」とは何か、(2)「国民」とは何か、(3)「主権が国民に存する」(憲法前文)とは具体的に何を意味するのか、という点です。
 (1)「主権」とは何か、という点については、国家の権力行使を正当づける究極的な権威という正当性の契機を重視する見解と、国の政治の最終的なあり方を決定する権力を行使するという権力的契機を重視する見解とが基本的に対立しています。
 (2)「国民」とは何か、という論点は、さらに、(a)誰の意思が主権的であるべきか(主権者とされる国民の範囲をどうとるか)、(b)いかなる国民意思が主権的であるべきか、という論点に分かれます。
 (a)誰の意思が主権的であるべきか、の点については、有権者全体と捉える見解と、過去・現在・将来の全ての国民を含む観念的・抽象的な国民と捉える見解の基本的な対立があり、さらに両者の折衷的な見解があったりします。
 (b)いかなる国民意思が主権的であるべきか、という点については、主権性を与えられるべき意思は全国民の共通利益を志向する意思であるべきか、という点が問題になります。
 (3)「主権が国民に存する」(憲法前文)とは具体的に何を意味するのか、という論点では、(1)の「主権」とは何か、という論点と関連し、権力の正統性の根拠が国民にあるという意味に捉える見解と、主権が国民に存していると言いうるような制度の採用を要求する意味に捉える見解とが基本的に対立しています。

 これらが、歴史的には、フランス革命以来の国民(ナシオン)主権論と人民(プープル)主権論の対立として議論されてきたわけです。
94 hits

[4302]Re(5):基本的人権と外国人参政...
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 とほほ E-MAIL  - 07/3/30(金) 22:16 -

引用なし
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   ▼指環さん:
> これらが、歴史的には、フランス革命以来の国民(ナシオン)主権論と人民(プープル)主権論の対立として議論されてきたわけです。

これ(プープルとナシオンの論争)は私が議論している「国民」と言う言葉の議論とは別の議論だと思います。ナシオン主権とはわかりやすく言えば「国家主権」と言う概念に近いのではないでしょうか?

フランス革命でこの議論がなされたことは確かでしょうが、結果的にはフランス革命ではプープル主権に帰結されある意味結論は出ています。

日本国憲法では明らかにプープル主権と言う概念を導入しているのでその議論の必要は無いわけで人民(people)を国民と訳したことに問題があるわけです。国民と言う言葉は造語です、この言葉を作ったのですから作ったものの意図があるのは当たり前で、その意図を疑え、と言うのが私の主張になります。
114 hits

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