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[3422]板倉由明氏の捏造記事(1) 核心 06/10/17(火) 19:29
[3426][投稿者削除]
[3428]板倉由明氏の捏造記事(2) 核心 06/10/18(水) 8:18
[3430]一瞬我が目を疑った大嘘 核心 06/10/18(水) 8:21
[3431]板倉由明氏の捏造記事(3) 核心 06/10/18(水) 8:43
[3432]共著者片岡正巳氏、田辺敏雄氏 核心 06/10/18(水) 8:47
[3433]石原慎太郎氏の賛辞 核心 06/10/18(水) 8:58
[3436]世界日報10月17日号 核心 06/10/19(木) 13:23
[4016]Re(1):世界日報10月17日号 核心 07/2/14(水) 23:26
[4014]板倉由明の恥部 熊猫 07/2/13(火) 22:42

[3422]板倉由明氏の捏造記事(1)
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 核心 E-MAIL  - 06/10/17(火) 19:29 -

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   この掲示板の皆さんは栗原証言については毎日新聞の福永平和氏と朝日ジャーナルの本多勝一氏の記事以外は捏造記事であることは承知していると思います。

父の所蔵していた本の「間違いだらけの新聞報道」に板倉由明氏の捏造記事が掲載されていましたので肝心のところだけ論評しておきます。
注文カードが付いたままですので板倉氏から贈呈されたものだと思われます。

”三、板倉−本多改鼠論争

(A)毎日新聞の栗原スケッチ記事

昭和59年8月7日の毎日新聞に「元陸軍伍長、スケッチで証言」と題して、会津若松連隊に南京戦に参加した栗原利一氏の証言が、当時のスケッチとともに「南京大虐殺」の証拠として掲載された。
証言のきっかけは、その半月ほど前の7月22日、毎日新聞は《南京大虐殺、中国側が”立証”》と題して、中国側公式資料(日本訳『証言・南京大虐殺』青木書店)を大きく紹介し、犠牲者30余万人と見出しをたてている。栗原氏はこの記事に反発して、南京であったことを正確に伝えてもらうために毎日新聞社会部の福永平和記者に、スケッチを示して実情を説明した。
しかし、栗原氏の意図に反し、記事は「大虐殺の証明」として扱われてしまった。
私はすぐに栗原氏と連絡をとって真意を確かめたが、残念なのは、記事に幻惑されて栗原氏に匿名の非難や手紙が殺到したことであった。
9月27日の『毎日』「記者の目」で福永記者がこれをとりあげて「勇気ある当事者証言/匿名の中傷、卑劣だ/反論堂々と姿現して」と批判している。
ただ、さすがに気が咎めたものか、栗原氏の真意《30万、40万なんて数ではない。どんなに多くても10万以下だ。中国側の証拠や資料をうのみにするわけにはいかない。日本側も、やったことははっきり認めなくてはいけない》と遅まきながら載っている。”

「私はすぐに栗原氏と連絡をとって真意を確かめた」は当然、真っ赤なウソですね。
ここでなぜ板倉氏が「すぐに」などとしてもいなことを言っているかは後ほどの大嘘で分かります。
板倉氏によれば毎日新聞の次は自分だったといいたいようです。
核心タイムテーブルでの貴方の出番はずっと後ですから。
残念!

「匿名の非難の電話や手紙が殺到した」のは事実です。
「10通くらいの手紙が来た」などと冗談をおっしゃった畠中氏よりかは正確です。
家では私が郵便箱から新聞や郵便物を取るのが日課ですが毎日、ドサドサと来ていましたよ。

「遅まきながら載っている」は既に朝日ジャーナルに同様に記事が掲載された後ですから別にこの時点では目新しいことではありません。
49 hits

[3426][投稿者削除]
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(06/10/18(水) 8:12)
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[3428]板倉由明氏の捏造記事(2)
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 核心 E-MAIL  - 06/10/18(水) 8:18 -

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   ▼核心さん:

記事は以下のように続きます。

”ここで板倉が取材した栗原氏の証言を要約して紹介しよう。
昭和12年12月12日、南京攻撃を命じられた山田栴二少将指揮の歩兵一個連隊、山砲一個大隊は、鎮江を夕刻出発した。翌13日、私たちの歩兵第65連隊・第一大隊は鳥龍山砲台を占領し、さらに14日朝、莫大な投降兵があり、ことごとく武装解除して連行した。捕虜は4列縦隊で延々長蛇の列となった。武器の山は私たちが燃やした。
15日と16日、第一大隊135名はこの13,500人と公称された捕虜の大群を、幕府山南麓の学校か兵舎のような十数棟の建物に収容し三日間管理した。しかし自分達の食糧にもこと欠く有様で、捕虜に与える食物が無く、ようやく鳥龍山(板倉注・幕府山の間違い)砲台から馬で運んだ米で、粥を一日一回与えるだけで精一杯であった。
多分17日と思うが、捕虜を舟で揚子江対岸に渡すということで、午前中かかって形だけだが手を縛り、午後大隊全員で護送した。4列縦隊で出発したが、丘陵を揚子江側に回りこんでからは道も狭く、4列では歩けなかった。列の両側に50米くらいの間隔で兵が付いた。左側は荒れ地で揚子江の向こうに島(板倉注・草けい州)があり、右側に崖が続き、山頂には日本軍の姿があったが、中腹に不審な人影を認めた。
2時間くらいかかり、数キロ歩いた辺りで左手の川と道との間にやや低い平地があり、捕虜がすでに集められていた。周囲には警戒の機関銃が据えられてあり、川には舟も2、3隻見えた(『毎日』掲載のスケッチ、63頁掲載の図3)。
うす暗くなった頃、突然集団の一角で「××少尉がやられた!」という声があがり、すぐ機関銃の射撃が始まった。”

板倉氏は自分の取材が本多氏よりも早いなどと言うとんでもない嘘つきなので、板倉氏の話など全く無視してもいいのですが自称南京戦史研究家と称していられるようなので、とりあえず直接父に取材はされなかった板倉氏の話のおかしい点を指摘しておきます。

「公称された捕虜の大群」の「公称」はおかしいですね。
父は『数えた』と強い調子で断言していますから。

「形だけ手を縛り」も全くおかしいです。捕虜が逃げたと言う作り話に合わせたのでしょう。

「丘陵…右側に崖が続き」も全くおかしいです。これほど具体的な描写は板倉氏が意図的に状況を作りだそうとしているのだと思います。
父はこんな詳細な描写は一度も話したことがありませんから。

「山頂には日本軍の姿もあったが、中腹に不審な人影を認めた」は全くおかしいです。
「中腹に不審な人物」の描写は本多氏の記事にもありましたが私が父に確認したところでは『話の経緯でそのようなことが話題になっかたもしれないが山に誰かいるとか、そんなことを気にしているような状況ではなかった』と言ってます。
板倉氏は本多氏の記事を父に確認もせず、そのまま引用したのでしょう。

「2時間」も父の話より少ないですね。これでは夕刻にならないでしょう。前述の詳細な道程に合わせたのでしょう。
40 hits

[3430]一瞬我が目を疑った大嘘
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 核心 E-MAIL  - 06/10/18(水) 8:21 -

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   ▼核心さん:

次のフレーズの論評に行く前に、一瞬我が目を疑った大嘘について記述しておきます。

この本の63頁に幕府山の虐殺現場の見取り図が掲載されているのですが図2のキャプションが以下のようになっているのです。

図2
「南京への道(22)」朝日ジャーナル(昭和60年9月14日号)

確かにこの本の出版された平成4年(1992年)から見れば、昭和59年も昭和60年も10年近く前ですから、この本だけ読んでいれば気が付かない人がいるかもしれませんけど。
しかし、このようなことを故意に書く人はもう正常な人間とは言えないでしょう。ちゃんとした本として発行するのですから。
大嘘が長い間にわたって世間の目にさらされ続けるのですから。

そして板倉氏は以下に続く文章からすると、これを明らかに故意で書いているようなのです。
『あの人は頭がどうかしてる』と言う畠中氏の本多氏に対する批判をそのままお返ししたいくらいです。
43 hits

[3431]板倉由明氏の捏造記事(3)
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 核心 E-MAIL  - 06/10/18(水) 8:43 -

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   ▼核心さん:

”銃弾から逃れようとする捕虜たちは中央に人柱となっては崩れ、なっては崩れ落ちた。その後、石油をかけ火をつけて、熱さで動き出す生存者を銃剣で止めをさし、朝三時頃までの作業にクタクタに疲れて隊に帰った。死体は翌日他の隊の兵も加わり、揚柳の枝で引きずって全部川に流した。
これは「戦闘」として行なったもので、その時は「戦友の仇討ち」という気持ちであり、我が方も9名(正しくは7名)が戦死した。殺した中には一般人は一人もいない。当時日本軍の戦果は私達の13500を含めて7万といわれたが、現在中国で言うような30万、40万という「大虐殺」などとても考えられない。私達も真実を言うから、真の日中友好のために、中国側も誇大な非難を止めてもらいたい。

その後、本多記者は栗原氏を取材し、『朝日ジャーナル』9月7日号と14日号に田中三郎の仮名の証言を取り上げた。証言の紹介そのものにはさほどの差異はなかったが”

いやあ、捏造とはこのように行なわれるのですかあ!
ちょっと呆れてものが言えません。

私が父の戦争体験を知る重要なきっかけとなった本多氏の取材をこのような形で台無しにするとは!

この大嘘つき野郎が当時『南京戦史』(偕行社)編集委員です。
捏造派の得意のフレーズ『あとは押して知るべし』ですね。
捏造派は戦後60年経っても相変わらず『大本営発表』のうそを垂れ流し続けているわけですね。
45 hits

[3432]共著者片岡正巳氏、田辺敏雄氏
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 核心 E-MAIL  - 06/10/18(水) 8:47 -

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   ▼核心さん:

このような大嘘つき野郎、板倉由明氏のこの本の共著者が片岡正巳氏と田辺敏雄氏です。
53 hits

[3433]石原慎太郎氏の賛辞
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 核心 E-MAIL  - 06/10/18(水) 8:58 -

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   ▼核心さん:

以下がこの本の帯に書かれた石原慎太郎氏の賛辞です。

”これは実に驚きである!

常に世論の先導役に立っているはずの新聞に、誤報、虚報、または偏向報道があったとすれば、それは決して許されるものではない。
例の南京大虐殺事件と万人坑問題の報道に限定しただけでも大新聞がこれだけの誤報、虚報を積み重ねていたとは実に驚きである。
本書には、同報道の一つ一つの事例が検証的に描かれているので類書の中でも価値高い著作物といえる。
大新聞に真正面から堂々と立ち向かった執筆者らの勇気ある姿勢に敬意を表したい。”

しっぽの出ない賛辞ですね。
41 hits

[3436]世界日報10月17日号
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 核心 E-MAIL  - 06/10/19(木) 13:23 -

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   ▼核心さん:

畠中秀夫氏の草稿のコピーにあって最終記事にない文章に、世界日報の記者の件が記載されています。

草稿コピー

”世界日報の記者が来た。朝日新聞の本多記者も来た。”

最終記事

”『朝日新聞』の本多記者も来た。”

草稿の段階で既に世界日報の記者を本多氏より先行させているのは意図的なものなのでしょう。
いまのところ世界日報の記者の方と畠中秀夫氏の名刺は見当たりません。
世界日報10月17日号の板倉由明氏の小論文をお持ちの方がいたら、その内容をお教えください。
よろしくお願いいたします。
52 hits

[4014]板倉由明の恥部
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 熊猫 E-MAIL  - 07/2/13(火) 22:42 -

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    私は、人間としての板倉由明は軽蔑しますし、研究家としての板倉由明は馬鹿にしています。恥ずかしすぎる間違いや、無知な論説は許容範囲ですが、核心さんが利一氏への手紙を公表するすることにより、板倉由明の正体を露呈したような気がしてなりません。
 板倉由明にとって重要なのは、真実ではなく南京事件など無かったことにしてしまうことであることが、自身の手紙に書かれているのですから滑稽です。板倉由明さえいなければ、南京戦史はもっと良いものになっていたに違いありません。

 板倉由明によるとティンパリーは偽名を使って南京にいたそうですが、じゅん刊「世界と日本」420号(1984年6月)をお持ちの方はコピーを頂けないでしょうか。この本の入手はギブアップです(^^;
48 hits

[4016]Re(1):世界日報10月17日号
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 核心 E-MAIL  - 07/2/14(水) 23:26 -

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   板倉氏の小論文は父の保管資料の中にありました。
73 hits

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