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[4006]前田朗差別法規制無用論への反論(試論) とほほ 07/2/9(金) 16:20

[4006]前田朗差別法規制無用論への反...
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 とほほ E-MAIL  - 07/2/9(金) 16:20 -

引用なし
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   |とほほ>これは本来あるべき姿ではあると思います。しかし、現実はこれを許さなかった。前述で紹介した前田朗さんの「人種差別思想宣伝について」でも、日本の現状を****さんと同じように把握し前田朗さん個人は法による規制には消極的な考えだったと思います。

前田朗氏が差別規制に消極的であることは前述した人種差別思想宣伝について(7)において
9) 次に私見ですが、ここまで検討しても、今のところまだ私自身は集団侮辱罪を積極的に提案しようと考えてはいません。たしかに、
(a)立法事実はあります。特に、在日朝鮮人や最近の来日外国人に対する差別的な表現には時として実に許し難いものがあります。
(b)また、そうした犯罪を処罰することは人種差別撤廃条約の要請です。
(c)さらに、そうした犯罪を処罰することは、世界人権宣言や自由権規約にも違反するものではなく、むしろこれらに合致します。
(d)日本国憲法に違反しない処罰規定をつくることもできます。
にもかかわらず、私が処罰立法に必ずしも積極的でないのは、
(a)立法政策論として、そうした処罰規定の妥当性、有効性についてなお疑問がある,
(b)確信犯に対する処罰は、却って「勲章」になってしまう場合がある,
(c)日本社会の歴史的経験からして、警察・検察・裁判所にこうした権限を与えることに疑問があること、によります。したがって、私の次の関心は、人種差別撤廃条約の精神や、その他の国際人権法の理念に従って、集団侮辱の現実に対処するために、刑事規制によらない、別の方策を充実していくことになります(平凡すぎる結論ですみません)。
とあることではっきりとしている。しかし前田のこの考察には間違いもしくは欠点があることを見逃せない。これを論証してみたい。

前田はこの小論の中で紹介される差別撤廃法私案の中で「内野正幸案はよく出来ている」と言う評価をしている。私もこれに反論は無い、しかし私はもう一つ「よく出来ている」と評価できるものに「松本健男案」がある。この2案には他の3案と比較してはっきりとした違いが見えている。それは「差別とは何か?」と言うことがはっきりと規定されていることである。他の3案では「差別はダメ」としているだけで「差別とは何か?」と言う規定がされていないのである。

ここで注意が必要なのは前田が抜粋した部分にのみ私が言及していることである。通常「抜粋」と言う行為は自論の補強のために行う、従って前田の抜粋部分を持ってそれぞれの私案を評価することは出来ない、それぞれの私案全文を読み評価せねばならず、そこに「差別とは何か?」と言う規定が為され、それが妥当なものであるなら当然他の3案も評価できることになる。

特に解放同盟案は、普段解放同盟は「差別とは何か?」と言う問題に対しては多大な問題意識を持って活動しており、彼らの差別論は十分に評価に値するし私の「差別認識」も彼らの主張に習うことが大きい、従って、おそらくその私案の中にはこれを規定する箇所が存在しているはずである。

あえて、前田の抜粋箇所への評価を私もしてみたのは、この反論は前田へ対するものだからである、前田の抜粋は前田の「差別認識」も表現しているのではないかと推察するからである。それは内野案を評価する理由として
差別的な侮辱の罪、集団侮辱罪を処罰する規定の提案
として差別撤廃法を捕らえていることにある。

おそらく前田は国際法学者の立場から「現行法で裁けるものは現行法で、、。」と言う基本的パイアスがその思考にあると思う、従って個人法益は現行法の名誉毀損罪でもって差別により侵害された法益も保護できると考えているのではないかと思われる、なぜなら内野案を集団侮辱罪を裁くものとして捉えそれを評価しているからに他ならない。

これは差別の本質を見失ったものと言わざるを得ない。
「差別とは何か?」と言う問題そのものが「差別」の本質でもあり、ただ漠然と「差別とは他者への侮辱であり他者をさげすむ心のことである」と捉えているだけでは「差別撤廃法」が危険なものと認識することは仕方の無いことだと考える。であるから被差別者の糾弾が差別者側には「脅迫や攻撃」と受け取られ、また被差別者も「糾弾」でしか対抗できない現実があるのである

差別とは、名誉既存や侮辱とは、その本質は大きく異なる罪である、一番の違いは「一般的にその社会の中で差別が存在してもそれを差別と認識できず差別者自身にも名誉毀損や侮辱をした自覚が無いことが少なくからず多いこと」である。従って差別者にそれが差別であることを自覚させるためには「差別とは何か?」と言う問題意識と、それを法制化するのであれば、その規定が非常に重要になってくるのである。ところが、前田の私案評価には決定的にそれが欠けている、この五つの私案を評価する際に「差別とは何か?」と言う規定への評価を全く行っていないのである。

差別罪とは名誉毀損罪とは全く異質の罪であり、差別による法益の損害は名誉毀損罪では保護することは出来ず、それは個人であるか集団であるかには関係しない。
前田の論は、ここを自覚することにより
(b)確信犯に対する処罰は、却って「勲章」になってしまう場合がある,
(c)日本社会の歴史的経験からして、警察・検察・裁判所にこうした権限を与えること
に対する杞憂も対処法への道が開け発展的に解消するものではないかと考える。
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