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[4038]戦前日本におけるジーメンス社の活動 ゆう 07/2/17(土) 8:50
[4040]Re(1):戦前日本におけるジーメンス社の活動 とほほ 07/2/17(土) 12:49
[4041]Re(2):戦前日本におけるジーメンス社の活動 とほほ 07/2/17(土) 13:15
[4042]Re(3):戦前日本におけるジーメンス社の活動 ゆう 07/2/17(土) 14:46

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 ゆう WEB  - 07/2/17(土) 8:50 -

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   「問答有用」板で、「ジーメンスの軍事への関わり」が話題になりました。

ja2047さんがご健在でしたらこのようなマニアックな部分はja2047さんに振るところですが、こうなっては自分で調べるしかありません。「日本の古本屋」で「ジーメンス」(シーメンス)の名のつく本を片っ端から注文したのですが、その中に、「日本におけるシーメンスの事業とその経歴」という本がありました。

これは、日本シーメンス社の幹部社員であった百渓禄郎太氏(何と読むんでしょうね)が、昭和19年、「社史」草案としてシーメンス本社に送るべくまとめたものです。(私が入手したのは、昭和30年の改訂版です)

戦前の日本シーメンス社の活躍ぶりがよくわかり、大変興味深い内容でした。非売品であり入手困難なものであるようですし、折角の機会ですので内容を要約してWikipediaに投稿しましたが、こちらにも同文をアップしておきます。

「軍」との関わりについて言えば、1914年シーメンス事件までは何箇所か「陸軍」「海軍」への納入実績の記述が出てくるのですが、それ以降はほとんど見かけなくなります。「照準制御装置」納入の商談がまとまらなかった(1926年)とか、その程度の記述しかありません。満洲事変以降は、古河グループとの合弁企業である「富士電機」が、ジーメンスの軍事関係技術を「国産化」することになります。

後でウヨさんから「兵器関係をスルーした」と言われるのがいやでしたので、「兵器」関係については意図的に記述に取り入れました。それでも、この程度です。「兵器」関係は、ジーメンス社の幅広い活動の一部に過ぎないことがわかります。

なお、例の「シーメンス事件」で問題になったのは、「船橋無線電信局」建築に関するリベート問題であったようですね。

以下、Wikipediaへの投稿記事です。


***************************

1861年、ドイツ外交使節が将軍家へシーメンス製電信機を献上し、ここに始めてシーメンス製品が日本に持ち込まれた。

1887年にはシーメンス東京事務所が開設され、以降、シーメンス社の製品は広く日本に浸透することになる。19世紀の主な納入実績には、足尾銅山への電力輸送設備設置、九州鉄道株式会社へのモールス電信機据付、京都水利事務所など多数の発電機供給、江ノ島電気株式会社への発電機を含む電車制御機及び電車設備一式の供給、小石川の陸軍砲兵工廠への発電機供給、などがある。

1901年にはシーメンス・ウント・ハルスケ日本支社が創立された。

その後も発電・通信設備を中心とした製品供給が続き、八幡製鉄所・山口県下小野田セメント・伊勢電気鉄道古河家日光発電所・曽木電気(のちの日本窒素肥料)等へ発電設備を供給した。また、逓信省へ、電話関係機器の多量かつ連続的な供給を行なった。

軍関係では、陸軍へ口径60センチシーメンス式探照燈、シーメンス・レントゲン装置、各種無線電信機、海軍へ無線装置・信号装置・操舵制御装置等を納入している。1914年には海軍省の注文で千葉県船橋に80〜100キロワットテレフンケン式無線電信局を建築したが、この無線電信局の納入をめぐるリベートが、「シーメンス事件」として政界を揺るがす事件に発展することになる。

第一次大戦中は日独が交戦状態に入ったため営業を停止したが、1920年頃から営業を再開した。1923年には古川電気工業と合弁して富士電機製造株式会社を設立、1925年には電話部門を富士電機に譲渡した。

その後も、日本全国の都市水道局へのシーメンス量水器の納入、逓信省への東京大阪間電話ケーブルに依る高周波多重式搬送電話装置の供給などが続いた。関東大震災後には、シーメンスの電話交換機が各都市の官庁、ビル・商社に多数設置された。

1929年には、大連逓信局に軽量物搬送装置を供給。以降、1936年に満州国電信電話会社がシーメンス式ベルトコンベアを採用するなど、日本、台湾、満洲の電信局・郵便局のほとんどがこの様式を採用することとなる。

1931年には八幡市水道局にシーメンス製オゾン浄水装置が納入された。1932年には日本活動写真株式会社にトーキー設備40台を納入、以降全国各地の映画館にトーキー映写装置を販売することになる。

1932年、上野帝国図書館は日本最初のシーメンス式自動書類複写機を採用した。1936年には大阪市にも採用された。

満洲事変以降、富士電機は探照燈・特殊電気機器・船舶航空器材など軍用兵器関係の製作に力を入れることになり、シーメンスから専門技師を招致するなどして、シーメンス関連企業が設計製作を行なっていたその種の装置の国産化に努めた。

1938年頃から、アルミニウム工場が日本国内、満洲、朝鮮の各地に建設・増設されたが、シーメンス社はその設備・資材供給で多忙を極めることとなった。発電設備関係では、1939年、満洲国各地、鴨緑江水電株式会社などに、相次いで大型発電設備を供給した。

1941年、ドイツとソ連が交戦状態に入り、シベリア鉄道経由での貨物輸送が不可能になった。続く日米開戦により、東京シーメンスはほとんど全部の製品を国産化することとなった。この時期の納入実績としては、シーメンス水素電解槽の住友電気工業、日本カーバイド工業、鐘淵紡績等への供給、逓信省への大型短波放送設備の納入等がある。戦争が続く中で、資材の獲得が困難となり、戦時中は保守業務が中心となった。

(以上は、百渓禄郎太編「日本におけるシーメンスの事業とその経歴」による)

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47 hits

[4040]Re(1):戦前日本におけるジーメ...
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 とほほ E-MAIL  - 07/2/17(土) 12:49 -

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   ▼ゆうさん:
>第一次大戦中は日独が交戦状態に入ったため営業を停止したが、1920年頃から営業を再開した。1923年には古川電気工業と合弁して富士電機製造株式会社を設立、1925年には電話部門を富士電機に譲渡した。

そしてその後色々あって最終的にジーメンスと富士電機が合併したのが、現在の富士通だったと思います。記憶だけですが確かだと思うな。
28 hits

[4041]Re(2):戦前日本におけるジーメ...
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 とほほ E-MAIL  - 07/2/17(土) 13:15 -

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   ▼とほほ:
>そしてその後色々あって最終的にジーメンスと富士電機が合併したのが、現在の富士通だったと思います。記憶だけですが確かだと思うな。

あ、違うか古河電気とジーメンスが合併して富士電機になり富士電機が改名して富士通になったのか?やっぱり忘れた(^^;
前言撤回(笑)
34 hits

[4042]Re(3):戦前日本におけるジーメ...
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 ゆう WEB  - 07/2/17(土) 14:46 -

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   私も何となく、「富士通というのは富士電機の子会社で、子会社のくせにいつのまにか親より大きくなった」というイメージはあったのですが・・・。

改めてネット検索で確認。シーメンスと古河グループが合弁してつくった会社が富士電機。1935年にその電話部門が分離されたのが、富士通信機製造。これが富士通の前身です。

ついでに書くと、「富士」というのは、「古河」の「ふ」と「ジーメンス」の「じ」。トリビアですね。

そういえば、この本にもあちこち「富士通信機製造」の名前が出てきたのですが、どこぞのマイナー子会社だと思って無視していた(^^;
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