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父が平成4年に剣道範士の称号を授与されたときの回想録です。昭和16年の応召が記述されています。 剣の道 剣の道、剣は道なり、健は体なり、謙は心なり、と剣の誠をさとしています。 剣道の理念。「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である。」 剣道を正しく真剣に学び、心身を練磨して、旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて礼節をとうとび、信義を重んじ、誠を尽くして、常に自己の修養に努め、もって国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものであります。 私はこの度、去る五月八日、京都で行われた全日本剣道連盟主催の剣道大会において、剣道最高の位、剣道範士の称号を、連盟会長、大島功氏より授与されました。平成三年に傘寿を迎えましたが、幸いにして健康に恵まれております。これも、剣の道を続けてきたおかげと感謝感激しております。 私は昭和八年十二月二日、警視庁巡査を拝命し、淀橋警察署勤務。大島治喜多範士の剣道場、健武館道場に入門。専門を志して昭和十二年四月、尚道館警視庁師範岡田守弘先生に師事。昭和十四年八月、警視庁剣道助教試験に合格しました。 戦争の体験は、満州事変では初年兵として第一線で匪賊討伐を体験し、支那事変では上海戦から南京、徐州会戦を分隊長、小隊長として体験しました。 昭和十五年四月二十九日、支那事変の功により叙勲。勲七等功六級金鵄勲章拝受。 昭和十六年十月、警視庁特別警備隊助教から再び応召、会津若松連隊第二中隊に入隊。陸軍軍曹。部隊の将校帯刀本分者に対し、連隊武徳殿にて剣道師範を命ぜられ、指導に励む。銃剣道四段、剣道五段を所持しておりました。部隊にあっては朝四時から銃剣道の指導、中隊にあっては下士官最右翼のため曹長宿に起居し、兵を演習に出し、午前十時から連隊本部に武徳殿において剣道の指導に当りました。 だが、人間は生身。連隊勤務中、過労がもとで右肺尖炎を起こし、発熱して入院してしまいました。病気治癒、退院。召集解除となり、復職しました。 昭和十八年一月九日、府中警察署剣道助教を命ぜられ、赴任。加えて、府中農産学校剣道教師を兼務しました。十九年八月、警視庁八十三署トーナメントで、府中警察署の優勝を経験しました。 傘寿を迎えた今日までに記録はたくさんありますが、今般、剣道最高の範士の称号を、道を求めて得ることができたので、ここに記してペンをおきます。
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