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▼核心さん: >封筒の表書きです。
この手紙を読んでいますと、東中野というのは証言者へ聞き取りをする気など毛頭ないのですね。ただ自分の主張を証言者に押し付けているだけで都合の良い証言を引き出そうとしているだけです。
都合の良い証言というのは只一点「命令があったかなかったかです」軍命令なくしてどうして利一氏は虐殺行為に至れるのでしょう? 今問題になっている「沖縄集団自決に軍命令が無かった」と言うアホ論に感化された文科省と同じ理屈です。これは読みやすいように本文3まで電子化しましたので下記に投稿します。
ひとつ核心さんにお願いがあるのですが、まとまった写真資料をアップする際にスキャナから取り込んだ画像をそのままアップさせるのはご遠慮願えませんでしょうか、WEB上では10KBもあれば十分に判読可能です。一応思考錯誤を置いてあるレンタルサーバーも無料ではないものでご協力いただければ幸いです(^^ゞ
謹啓
ただ今は突然のお電話にて大変失礼致しました。 お電話にて?一寸申し上げましたように 私
南京事件の研究に入って10年余りとなりました。しかし幕府山の出来事にかんしましては未だに釈然としないものを覚えております。
そのため色々な御方に当時の実情をお伺いしたりしてきましたが、どなたも六十五連隊の関係者ではありませんでしたから、十分に納得の行くお話を承ることはできませんでした。又、山田栴二日記出てくる本間騎兵少尉を特定しようと努力いたしましたが、結局分からずじまいで終わりました。本間少尉の姓名をご存知でいらっしゃったらご教示下さいませんでしょうか。次に山田旅団長は「皆殺せとのことなり」と日記に記していますが、日記の他のところでは「命令」という言葉が散見されるにもかかわらず、ここでは「皆殺せとの命令なり」とは記していません。そのような「殺せとの命令」がなかったからでしょうか。それとも城内の参謀が「皆殺せ」と言っただけに過ぎなかったので、軍命令は出ていなかった
という風に解釈されるのでしょうか。
「軍隊内務書」は連隊外より受けた命令は命令録に記録し、将校下士官に将校下士官に閲読させよと明記してますので、もし「皆殺せとの命令」が連隊外から発令されたのであれば
各将校から上等兵までが
この命令を知っているはずですが、誰も「皆殺せとの命令」が出ていたとは言っておりません。その上、両角連隊長田山大隊長の「釈放」の行動は「皆殺せとの命令」に違反する行動であったにかかわらず、連隊長以下を旅団長や軍司令官が軍法会議の対象にしようとした形跡すら感じられません。従って「皆殺せとの命令」は出ていなかったとも判断されますが、この点は如何でしょうか。
以上の二点を中心にお話をお伺いすることができますれば幸いに存じます。尚これまで、お聞きしたことを、話してくださった御方の御諒解もなしに公表したことはございませんし、今後もなきことを固くお約束申し上げます。どうぞ呉々も宜敷くお願い申し上げます。拙論一編と拙著第七章コピー、日本「南京」学会会報等を、御参考迄に同封させていただきます。
寒さが加わります、呉々も御自愛の上ご健勝にお過ごしくださいますよう蔭乍ら祈念申しております。 敬具
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