留意事項 リ ン ク
メンバー登録 T O P
思考錯誤の全投稿をメール配信して欲しい方、クリックして空メールを送信 管理からのお知らせ 思考錯誤ヘルプ
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃お蔵入り ┃旧思考錯誤 ┃南京事件資料集  
334 / 645 ツリー ←次へ | 前へ→

[1019]南京の人口 秋時雨 05/8/30(火) 23:22
[1020]Re(1):南京の人口 とほほ 05/8/30(火) 23:30
[1022]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/8/31(水) 0:05
[1025]Re(3):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 0:26
[1026]Re(4):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 1:01
[1029]Re(5):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 14:01
[1030]Re(3):南京の人口 タラリ 05/8/31(水) 20:58
[1209]Re(4):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:36
[1199]Re(3):南京の人口 とほほ 05/9/17(土) 19:43
[1205]Re(4):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 1:53
[1206]Re(5):南京の人口 とほほ 05/9/18(日) 1:57
[1023]Re(2):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 0:06
[1024]Re(3):南京の人口 秋時雨 05/8/31(水) 0:26
[1027]Re(4):南京の人口 20万の根拠は? たんこなす 05/8/31(水) 9:23
[1071]Re(1):南京の人口 熊猫 05/9/3(土) 23:23
[1208]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:20
[1210]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:41
[1235]Re(3):南京の人口 秋時雨 05/9/23(金) 1:28
[1370]Re(3):南京の人口 熊猫 05/10/8(土) 23:47
[1372]Re(4):南京の人口 とほほ 05/10/9(日) 0:10
[1207]Re(1):南京の人口(Re(11):逆転極東裁判よりスレッド移転) とほほ 05/9/18(日) 2:10
[1211]Re(2):南京の人口(ラーベ1937/09/21) とほほ 05/9/18(日) 2:58
[1212]Re(2):南京の人口 とほほ 05/9/18(日) 5:19
[1213]Re(2):南京の人口(ラーベの日記九月分総括) とほほ 05/9/18(日) 12:08
[1214]Re(3):南京の人口(ラーベ10/6) とほほ 05/9/18(日) 12:15
[1215]Re(3):南京の人口(ラーベ10/13) とほほ 05/9/18(日) 12:28
[1216]Re(3):南京の人口(ラーベ10/17) とほほ 05/9/18(日) 20:35
[1217]Re(2):南京の人口(ラーベ・10月分総括) とほほ 05/9/18(日) 23:16
[1220]南京の人口(ラーベ・11/12) とほほ 05/9/19(月) 23:19
[1221]南京の人口(ラーベ11/15) とほほ 05/9/19(月) 23:31
[1229]南京の人口(ラーベ11/16) とほほ 05/9/21(水) 23:46
[1230]南京の人口(ラーベ11/17) とほほ 05/9/22(木) 0:08
[1237]南京の人口(ラーベ11/18) とほほ 05/9/23(金) 16:41
[1238]南京の人口(ラーベ11/19) とほほ 05/9/23(金) 21:02
[3600]Re(1):ラーベとローゼン ピッポ 06/11/19(日) 9:55
[3601]Re(2):ラーベとローゼン:ああ講談社訳 渡辺 06/11/19(日) 12:45
[3606]Re(3):ラーベとローゼン:ああ講談社訳 ピッポ 06/11/21(火) 12:25
[3607]Re(1):南京の人口(ラーベ11/19) 訂正 ピッポ 06/11/21(火) 15:32
[3609]Re(2):南京の人口(ラーベ11/19) 訂正 とほほ 06/11/22(水) 13:36
[1239]南京の人口(ラーベ11/20) とほほ 05/9/23(金) 21:06
[1263]南京の人口(ラーベ11/28) とほほ 05/9/25(日) 14:11
[3608]Re(1):南京の人口(ラーベ11/28)中国語版脚注 ピッポ 06/11/21(火) 20:33
[1265]南京の人口(ラーベ11/29) とほほ 05/9/25(日) 19:13
[1342]南京の人口(ラーベ11/30) とほほ 05/10/4(火) 9:05
[1222]南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) とほほ 05/9/20(火) 1:05
[1223]Re(1):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) 秋時雨 05/9/20(火) 1:17
[1224]Re(2):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) とほほ 05/9/20(火) 1:25
[1243]Re(3):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) 秋時雨 05/9/24(土) 3:44
[1226]Re(1):南京の人口(目撃者の南京事件) とほほ 05/9/21(水) 0:28
[1231]Re(2):目撃者の南京事件:問題点 渡辺 05/9/22(木) 0:14
[1232]Re(3):目撃者の南京事件:問題点 とほほ 05/9/22(木) 13:54
[1233]Re(4):目撃者の南京事件:問題点 ピッポ 05/9/22(木) 18:48
[1234]Re(5):目撃者の南京事件:問題点 渡辺 05/9/22(木) 23:23
[1236]Re(6):目撃者の南京事件:問題点 とほほ 05/9/23(金) 15:32
[1240]Re(7):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/23(金) 21:35
[1241]Re(8):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/23(金) 22:05
[1242]Re(9):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/24(土) 1:05
[1266]Re(10):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/25(日) 19:29
[1322]Re(11):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/30(金) 2:10
[1330]Re(12):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/30(金) 19:00
[1276]Re(8):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/26(月) 11:50
[3603]ついでで申し訳ないのですが・・・・・ 熊猫 06/11/19(日) 22:40
[3583]Re(3):目撃者の南京事件:問題点 熊猫 06/11/12(日) 3:44
[1343]Re(2):南京の人口(ラーベ・11月分総括) とほほ 05/10/4(火) 10:27
[1346]Re(3):南京の人口(ラーベ12/1) とほほ 05/10/5(水) 19:49
[1347]Re(3):南京の人口(ラーベ12/4) とほほ 05/10/5(水) 20:08
[1348]Re(3):南京の人口(ラーベ12/5) とほほ 05/10/6(木) 9:36
[1349]Re(3):南京の人口(ラーベ12/6) とほほ 05/10/6(木) 11:10
[1354]Re(3):南京の人口(ラーベ12/7) とほほ 05/10/7(金) 9:10
[1361]Re(3):南京の人口(ラーベ12/8) とほほ 05/10/8(土) 9:07
[1363]Re(3):南京の人口(ラーベ12/9) とほほ 05/10/8(土) 11:40
[1367]Re(3):南京の人口(ラーベ12/10) とほほ 05/10/8(土) 22:31
[1371]Re(3):南京の人口(ラーベ12/11) とほほ 05/10/8(土) 23:51
[1376]Re(3):南京の人口(ラーベ12/12) とほほ 05/10/9(日) 21:19
[1379]Re(2):南京の人口(ラーベ日記検証・総括) とほほ 05/10/10(月) 3:17
[1387]李克痕は軍人ではありません。 熊猫 05/10/11(火) 3:15
[1396]Re(1):李克痕は軍人ではありません。 とほほ 05/10/13(木) 19:57
[1428]王固盤の気持ちになることです。 熊猫 05/10/14(金) 20:18
[1433]Re(1):王固盤の気持ちになることです。 とほほ 05/10/14(金) 22:35
[1854]Re(2):「南京の真実」のラーベ氏旧宅 中独共同で補修 とほほ 05/12/8(木) 19:20
[1287]地図範囲の確認を ピッポ 05/9/26(月) 22:27 [添付][添付]
[1362]2ch中国板南京スレでの人口論争 指環 05/10/8(土) 11:03
[1365]Re(1):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/8(土) 21:05
[1374]Re(1):2ch中国板南京スレでの人口論争 ゆう 05/10/9(日) 9:39
[1375]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/9(日) 10:41
[1383]Re(3):2ch中国板南京スレでの人口論争 レビア 05/10/10(月) 18:58
[1394]Re(4):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/13(木) 19:55
[1402]Re(5):2ch中国板南京スレでの人口論争 レビア 05/10/14(金) 1:44
[1404]Re(6):2ch中国板南京スレでの人口論争 ピッポ 05/10/14(金) 8:54
[1384]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 パルミーロ 05/10/10(月) 20:35
[1386]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 指環 05/10/11(火) 0:48
[1401]「毒ガス」再論   トピずれ、御免! ゆう 05/10/13(木) 20:45
[1432]Re(1):「毒ガス」再論   トピずれ、御免! とほほ 05/10/14(金) 21:56
[1504]Re(1):「毒ガス」再論   トピずれ、御免! ピッポ 05/10/19(水) 11:11
[1793]板倉由明に見せてやりたい資料! 熊猫 05/11/22(火) 22:33 [添付][添付]

///////////////////////////////////////////////////////////////////////
[1019]南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/8/30(火) 23:22 -

引用なし
パスワード
   はじめまして秋時雨といいます。
いつも多くの参考になる投稿を読ませてもらっています。

ここに集う論客の皆さんは陥落直前の南京市の人口をどのくらいだと
見積もっておられるのでしょうか。

南京市の地理上の範囲は
南京城内区、城外の燕子磯区・孝陵区・上新河区・浦口区
です。
54 hits

[1020]Re(1):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/8/30(火) 23:30 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>ここに集う論客の皆さんは陥落直前の南京市の人口をどのくらいだと
>見積もっておられるのでしょうか。

過去ログを参照してください。
申し訳ありませんがこのスレッドはお蔵入りか削除の対象になります。掲示板ヘッダをまずお読みください。しばらく待ってヘッダの意味を理解されていないご返信があった場合またはご返信のない場合は処分を実行します。
(この掲示板の管理人はせっかちなので「しばらく」と言う言葉を一般的に解釈しない方がいいです(笑))

因みに一九三七年3月の時点で特別市で200万城区だけも100万と言う記録があります。
66 hits

[1022]Re(2):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/8/31(水) 0:05 -

引用なし
パスワード
   すいません。すこし言葉足らずでした。
多くの論争で、陥落直前の城内区と城外区からなる南京市の
人口が20〜25万人だとみて少し疑問に思い投稿しました。

スマイスの戦争被害調査資料に基づく数字なのでしょうが
20万〜25万人というものは南京市城内区に限られた
数字だと思われます。
城外農村地域は含まれていないものと思われます。
(青木書店 南京大虐殺資料集P275の地図参照)

もう一つの南京市政府の推計20万人も
馬市長が国民政府後方勤務部に送付した
「20万人と予想される難民の数」が基になっているようですが
これにも城外区農民は含まれていないと思われます。

実態数としては、以前に熊猫さんが紹介された中国学者の論考に
含めて、城内から城外区に避難した数も含めて
笠原推計40〜50万人が妥当だと思います。

後ほど根拠とする著書からの引用なども投稿します。
93 hits

[1023]Re(2):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/8/31(水) 0:06 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほ:
> しばらく待ってヘッダの意味を理解されていないご返信があった場合またはご返信のない場合は処分を実行します。

あと、南京の人口についてまだ何か言い足りない事がある方はお蔵入りになる可能性は高いですが、ご自由にどうぞ。
(実は検索エンジンにひっかかる確率は「お蔵入り」の方が高いのです。HTMLだから。)

私は、そうですね、基本的な部分で南京防衛軍の編成がかなりの部分で問題になると思うのですが、この点であまり言及する人が少ない気がします。南京防衛軍の半数近くが攻略戦がはじまってからのものです、いわゆる農民がほとんどです。兵士と呼べるのか?議論の余地があるような。南京への流入人口にこの急追召集された兵士とおそらくそれに追随して南京に避難した家族も相当多いと思います。

あと、例の南京の地理的なんとかの定義、など無意味なことは無視して良いと思います。一体何のための定義なのか私は一向にわかりません。歴史の真実を見る、と言う事は全体像を確実にとらえていくためのものであり、何かを定義するには定義するための立論が正論でなくてはならない。

その、立論がされていない定義は無視しましょうーーー。

秋時雨さんは過去ログの他にもこの掲示板の常連投稿者さんのホームページがリンクにありますので、ほとんどの方が南京の人口については言及してます。それも読んでください。

以下掲示板ヘッダより。
【否定論者、歴史修正主義者、自由主義史観主義者またはその支持者、信奉者の方の反論は大歓迎しますがその宣伝には一切協力しません。これらの方々は必ず下記をクリックして新旧板過去ログを検索し既に論理破綻しているか否かを確認してから投稿してください。過去ログの同様の話題について反論がある場合はその論説に対して反論してください。単なる過去の否定論主張の繰り返しは【宣伝】と判定される場合があります。】
50 hits

[1024]Re(3):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/8/31(水) 0:26 -

引用なし
パスワード
   否定論や肯定論を含めた人口論争の概要は
ゆうさんのHPの
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.html
につきると思います。

敢えて地理的範囲を持ち出す理由は
現在も当時の南京の人口が南京市という範囲で20万という
数字がまかり通っていて、笠原推計の40〜50万を
裏付ける説明がなされていないからというものです。

現在、手元に文献がないので
後ほど詳細を投稿する予定です。
68 hits

[1025]Re(3):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/8/31(水) 0:26 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>実態数としては、以前に熊猫さんが紹介された中国学者の論考に
>含めて、城内から城外区に避難した数も含めて
>笠原推計40〜50万人が妥当だと思います。

私は最低でも、と言う事で笠原推計の数字を考えています。
というのは南京城区への流出入を考えたとき果たして攻略戦開始後わずか3ヶ月にそれだけの人口が城区から脱出する事が物理的に経済的に可能かどうか?に疑問があるからです。

馬市長の推定人口「20万人の難民」が妥当だとすると4、50万人が南京の人口と考えると足し算しても80万人〜90万人が南京を脱出した事になります。少し考えにくいです。
72 hits

[1026]Re(4):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/8/31(水) 1:01 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほ:
>馬市長の推定人口「20万人の難民」が妥当だとすると4、50万人が南京の人口と考えると足し算しても80万人〜90万人が南京を脱出した事になります。少し考えにくいです。

私はこの問題を考えるときあくまで「人の移動」つまり流出入した人の移動を考えてしまうのです。例えば馬市長の推定値は国民党軍の清野作戦を視野に入れてませんし予測もつかない自体です、この作戦で流入した人口も相当数あるはずです。

それも考えると陥落時の南京の人口を4、50万とした場合、流出人口は100万を超えてしまう。
71 hits

[1027]Re(4):南京の人口 20万の根拠...
←back ↑menu ↑top forward→
 たんこなす E-MAIL  - 05/8/31(水) 9:23 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>敢えて地理的範囲を持ち出す理由は
>現在も当時の南京の人口が南京市という範囲で20万という
>数字がまかり通っていて、

そうした妄説を唱えている学者の名前、もしくは妄説の根拠を明示して教えてください。

また、人口20万とは、
「南京城内」を指すのか、「南京城内難民区」を指すのか、
その際に明示願います。
71 hits

[1029]Re(5):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/8/31(水) 14:01 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほ:
>>馬市長の推定人口「20万人の難民」が妥当だとすると4、50万人が南京の人口と考えると足し算しても80万人〜90万人が南京を脱出した事になります。少し考えにくいです。

算数を間違えてます(^^;
南京に流入してくる難民の数が馬市長の推測流入人口20万人だとすると元々城区の人口は100万人ですので流出がない場合には120万人だと言う事になります。そこで南京を脱出する市民が富裕層を中心に多勢いたことは確認できますが具体的な流出数と言うのは確認できません。

そこで笠原氏の推定残留人口の4、50万人を120万人からひくと70万人〜80万人が南京を脱出した事になります。それに加えて国民党軍の清野作戦による難民の増加(清野作戦の範囲が城区だけであれば考える必要はないのかもしれませんが)を考えると100万人近くが脱出した事になる、と言う事です。

これが非常に考えにくいのは物理的、経済的な問題ももちろん大きいです。日本軍の南京攻略軍の大軍をあれだけの速さで移動させたことに防衛軍は驚愕しているくらいです。なぜかと言うと兵站を考えない移動だからであり強行軍だからできたのです。ところが一般市民が100万人近くも簡単に南京をを脱出した、と言う現象を疑ってもみないのは間違いだと思います。この人口の移動と言うのは食を考えただけでも不可能に近いのではないでしょうか。

そして、一般市民にはそんなパニックになって脱出するほどの積極的理由がない、あるとすれば戦闘の巻き込まれないための一時退避です。なぜなら歴史を考えるとき陥ってはならない罠がある、我々はいわゆる後知恵で南京で大虐殺が起きた事を知っているから、南京市民がパニック状態で100万人近く脱出した、と言う話を聞いてもなんとなく納得するのですが、当時の南京市民はそれを知らないのです。

戦争観が違う、と言う事です。
「敵国人」と言う言葉が良く何のためらいもなく使われますが、実はこの言葉の意味するものは国民国家という概念があってはじめて成立します。中国ではまだそうした国家観はない、確かに中共合作等ナショナリズムの芽生えはあるが一般市民にとっての「戦争」というのは国民党軍が味方で日本軍が敵と言う意識は薄い。お上同士の勢力争いと言う戦争観からしても脱出する理由がないのである。

では何が市民の大脱出の引き金になったかと考えると考えられるのは「情報」である、攻略戦途上における日本軍の蛮行の情報が南京市民をパニックに陥らせた。と言う事は考えられる。それにしてもそれだけの人口の移動は物理的に不可能だ。

「南京の人口は20万にしかいなかった説」の人にはこの説明が出来るのだろうか?なぜ南京市民が100万人近くも脱出したのか?合理的な解釈があるのか?行政が全力を挙げて100万人を3ヶ月で脱出させようとしたと仮定しても困難である事は容易に伺えると思います。ましてや南京市行政府はそんなことはしていない。

これを20万人説の人はどう説明するのか、日本軍の蛮行の情報が市民を脱出にかりたたせた、というのであれば「攻略途上における南京大虐殺」を、20万人説の人は認めなくてはならない。

現実に3月に100万人だった事は「首都警察本部の公表値」を根拠とする人口であるが、七月には135万人とする推定をしている人間もいるこれの根拠はラーベの推定値である。
資料:南京の人口 1937年3月,7月 渡辺 2004/02/21 02:37:38参照のこと。

これらを考えると尚一層笠原氏の推定値4、50万人は考えにくい、少なすぎると思うのです
69 hits

[1030]Re(3):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 タラリ E-MAIL  - 05/8/31(水) 20:58 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>すいません。すこし言葉足らずでした。
>多くの論争で、陥落直前の城内区と城外区からなる南京市の
>人口が20〜25万人だとみて少し疑問に思い投稿しました。

「多くの論争」というか、否定派のすべてが、「南京市の人口が20〜25万人」という主張をしているということですよね。

>スマイスの戦争被害調査資料に基づく数字なのでしょうが
>20万〜25万人というものは南京市城内区に限られた
>数字だと思われます。
>城外農村地域は含まれていないものと思われます。
>(青木書店 南京大虐殺資料集P275の地図参照)

スマイスの調査は南京城内と城外の人口密集区(下関など)を対象としたものです。
これはほぼ、1935年の大合併前の南京市の範囲と一致します。

スマイス調査は1938年3月に行われました。これしあくまで、戦争被害を調査し難民救済を目的としたものでした。人口調査としての精度はかなり低いと私は見ています。サンプル抽出によって、22万5000人という値を出しながら、「立ち入れなかった地区もあるから」という理由で、脚注のような形で26−27万人と言い直していますがこれは言い訳がましいと思います。立ち入れなかった地区があるなら、はじめからそれを計算に入れて、後の調査で修正すべきです。

人口が少な目に出た真の理由はこうです。
3月中は難民キャンプと安全区から市民がもとの家に帰っていった時期で特に人口移動が激しかった時期です。この時期に、まだ人口が復帰していない地区を調査し、その後に人々がもとの家に復帰してからその地区を調査しますと、少な目に出ます。これが真の理由だと思います。

なぜ、26−27万人という推計をしたか、というとこの報告は5月にまとめましたが、この時期には南京特務機関の人口統計がすでに参照できるようになっていたからに他なりません。つまり、カンニングして帳尻を合わしたのです。

ですから、1938年3月の人口統計としては南京特務委員会の人口統計+難民収容所の人口の26.5万人が正確です。

さて
「陥落時の南京市の人口」は調査したものではなく、3月調査によるretrospectiveな「推定」です。推定である以上どのような前提のもとに推定したかわかりませんと、正確さの評価はできませんが、それが不明です。

>もう一つの南京市政府の推計20万人も
>馬市長が国民政府後方勤務部に送付した
>「20万人と予想される難民の数」が基になっているようですが
>これにも城外区農民は含まれていないと思われます。

同意です。将来推計20万人には城外の郷区は含まれていないと思います。
大合併から2年しかたっておらず、そのころは南京に人口のまばらな、農村地区を含めることはあまり念頭になかったのだ、と思います。たとえば「東京」の人口は都政がしかれても旧東京市の800万人がよく区部との注で地図帳の統計欄に載っていましたが、そのうち東京都の1000万人だけか記載され、区部の表示を見ることが少なくなりました。この例のように、南京市政府の推計も旧市地域だけが念頭にあった可能性が大であると思います。

>実態数としては、以前に熊猫さんが紹介された中国学者の論考に
>含めて、城内から城外区に避難した数も含めて
>笠原推計40〜50万人が妥当だと思います。

私は人口論議のときにしっかりした統計がないのに、推論でものを言ってはいけないと主張し、そして否定派に勝った経験があります。1936年7月以後の南京市の人口統計は存在しないのです。中国学者が論考を書いたと言ってもそれは、船の上で水を刻するような研究にしか過ぎないのではないかと思います。

陥落時、すなわち、戦争のまっただ中で人口を測定することなど誰もできないし、誰もしたものがいないのです。そして南京の人口は、12月13日まで、南京市と城内への激しい人口流入と南京市からの逃避とが同時に並行して起こっていたのであり、正確な人口など誰も算定しようがないのです。

ですから、私は中国推計同様、笠原推計も、そのように考えることもできる程度の評価しかしていません。

もともと、南京の人口議論は殺害人口の完全な資料がない、その資料に対していろいろな評価が可能である、から陥落前人口−陥落後人口で殺害人口を推計して資料を批判しようという否定派の試みにすぎません。

しかし、陥落後人口はまだしも正確であるものの、陥落前人口は殺害人口に関するいろいろな資料以上に資料の内容と精度が乏しいのであり、陥落前人口−陥落後人口で殺害人口を推計して、殺害人口に対する批判にしようとすること自体が無謀なのです。

>後ほど根拠とする著書からの引用なども投稿します。

では、どうぞ。
75 hits

[1071]Re(1):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 熊猫 E-MAIL  - 05/9/3(土) 23:23 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>南京市の地理上の範囲は
>南京城内区、城外の燕子磯区・孝陵区・上新河区・浦口区
>です。

はじめまして、熊猫です。
南京市の範囲を理解されているということは、南京事件について高いスキルのある方だと解釈してレスします。
南京市の範囲については概ね同意できますが、南京事件の範囲としては同意しかねます。
また、秋時雨さんほどの方であれば自分の質問が愚問であることに気が付いていただけるのではないかと思います。私個人としては、東京裁判或は南京軍事法廷で論点にならなければ南京事件ではないのか?というのが、正直な気持ちです。
つまり、南京事件と南京市の人口は別次元の問題であると認識しています。私が知りたいのは南京事件であって南京市事件ではないのです。
事件の本質は、「宣戦布告もしていない日本の軍隊が何故、南京を占領したのか」だと思います。被害者の人数に関係なく赦されないことなのです。
さて、礼儀として秋時雨さんの質問への回答をします。私は45万人程度ではないかと思っています。エビデンスは『目撃者の南京事件』(三交社)を読んでいただければよろしいかと思います。勿論、他人に自分の自論を押し付ける気は毛頭ありません(^^)
本日はアルコールによる勢いと、試行錯誤であるならば赦されるだろうとの判断で申しております。
他の掲示板で、このような数値を提示しないのは、詳しくない相手に資料を提示して相手の思考を誘導しないという、熊猫の良心として理解していただければ幸いです。
61 hits

[1199]Re(3):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/17(土) 19:43 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>後ほど根拠とする著書からの引用なども投稿します。

この作業が大変な事は理解できてますので大分待ちましたが、その後の進展はいかがでしょうか、そろそろお蔵入りを検討する時期でもあるのですが?
59 hits

[1205]Re(4):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/9/18(日) 1:53 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:
>▼秋時雨さん:
>>後ほど根拠とする著書からの引用なども投稿します。
>
>この作業が大変な事は理解できてますので大分待ちましたが、その後の進展はいかがでしょうか、そろそろお蔵入りを検討する時期でもあるのですが?

すいません。本当は大変といえるようなものではないのですが
確認するための資料確認がファックスに頼っているのもので。

ところでスレッドを立てるようでもない小論投稿はどのようにすれば
いいのでしょうか。
67 hits

[1206]Re(5):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 1:57 -

引用なし
パスワード
   ▼秋時雨さん:
>ところでスレッドを立てるようでもない小論投稿はどのようにすれば
>いいのでしょうか。

いえ、関連スレッドが見当たらないようであればスレッドをたてていただいて構いませんよ。ヘッダにあるとおり当掲示板は「フリートーク」。つまり話題は限定しませんから。

わたしなんかどうでもいいようなことまでスレッドをたてて皆さんに無視されてます(^^ゞ、、、(笑)
73 hits

[1207]Re(1):南京の人口(Re(11):逆転...
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 2:10 -

引用なし
パスワード
   [1201]Re(11):逆転極東裁判へげもん  - 05/9/17(土) 21:05 よりこのスレッドに移動します。

▼へげもんさん:
> ラーベの日記には「80万人が逃げた」とありますが、これを否定できますか?

これの検証もまた大変でしょうから私も協力しますよ。とりあえず私が南京陥落前日12月12日までの日記を担当しましょう。へげもんさんはそれ以降をお願いします。ただ前述したとおり私が所蔵しているのは「南京の真実、ジョン・ラーベ著・エルヴィン・ヴィッケルト編/平野卿子訳」講談社と言う書籍だけでして口うるさい当掲示板諸氏によればかなりの誤訳があるそうです(^^;
なので原本をお持ちかまたは私の記述に落ち度がありましたらへげもんさんの方で指摘されてください。

とりあえず、同書から南京市民の動向、移動状況に関すると思われる記述のある箇所を日付ごとに全文抽出していきます。
62 hits

[1208]Re(2):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/9/18(日) 2:20 -

引用なし
パスワード
   >自分の質問が愚問であることに気が付いていただけるのではないかと思います。
>私個人としては東京裁判或は南京軍事法廷で論点にならなければ南京事件ではな
>いのかというのが、正直な気持ちです。
>つまり、南京事件と南京市の人口は別次元の問題であると認識しています。私が
>知りたいのは南京事件であって南京市事件ではないのです。

愚問であることは承知しております。
私個人の南京事件像は笠原氏の定義とほぼ一致しております。
が、加害者と被害者という関係を超え、第三者(たとえば欧米など)にも一歴史事実として受け入れられには、事件の性質や量的考察や期間についての定義は必要かとも思います。

資料に基づいて事件の全体像に迫るのが本質論で、その個別的考証を二次的考証
もしくは補考とするならば、私の考証は三次的考証、補補考程度のものだとかんがえていただければ結構です。

板倉由明氏がかつて南京の人口を推計して、あっさり別史料によって否定され
笠原氏に、実証的な研究態度を身につけていないと批判された程度のものだと考えていただければ幸いです。

>事件の本質は、「宣戦布告もしていない日本の軍隊が何故、南京を占領したのか」だと思います。

そのことについては満州事変や北支事変に遡る必要はあると考えます。

>本日はアルコールによる勢いと、試行錯誤であるならば赦されるだろうとの判断で申しております。

私も夜間はウワバミです。
60 hits

[1209]Re(4):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/9/18(日) 2:36 -

引用なし
パスワード
   >スマイスの調査は南京城内と城外の人口密集区(下関など)を対象としたもので>す。
>これはほぼ、1935年の大合併前の南京市の範囲と一致します。

同意です。

>同意です。将来推計20万人には城外の郷区は含まれていないと思います。
>大合併から2年しかたっておらず、そのころは南京に人口のまばらな、農村地区を含めることはあまり念頭になかったのだ、と思います。たとえば「東京」の人口は都政がしかれても旧東京市の800万人がよく区部との注で地図帳の統計欄に載っていましたが、そのうち東京都の1000万人だけか記載され、区部の表示を見ることが少なくなりました。この例のように、南京市政府の推計も旧市地域だけが念頭にあった可能性が大であると思います。

おそらく違うものだと考えます。
城外区農民達は、食料生産の担い手なので食料の送付は必要ありません。
必要があるのは、食料を購買に頼る都市住民に限られます。

人口についての考察は張連紅氏の考証と似ているのではないかと思いますが
諸事情で、現在は投稿できません。


付)

社会評論社の南京戦元兵士102人の証言について阿羅健一氏が産経新聞社刊の
月刊正論誌で、兵士の進級期間について疑わしいと疑問を挺しており、タラリさんは、御自身のHPで戦時にはそういうケースもあり得ると説明されておいでですが
進級の根拠はあるのでしょうか?
70 hits

[1210]Re(2):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 秋時雨  - 05/9/18(日) 2:41 -

引用なし
パスワード
   >エビデンスは『目撃者の南京事件』(三交社)を読んでいただければよろしいかと思います。

お手数かけて申し訳ないのですが、該当箇所らしき項数を教えていただければ。
何分とファックス取り寄せなもので。
56 hits

[1211]Re(2):南京の人口(ラーベ193...
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 2:58 -

引用なし
パスワード
   ---転載開始---
一九三七年九月二十一日
裕福な中国人たちはとうに船で漢口へ非難しはじめていた。農場と言う農場、庭と言う庭、さらに公共の広場や通りには大車輪で防空壕が作られた。とはいっても、十九日、二十日と、続けて四度の空襲にみまわれるまでは、ごく平凡な毎日が続いた。

アメリカ人やドイツ人の多くがすでに南京を去っていた。これからいったいどうなるのか。昨晩、じっくり考えてみた。安全な北載河からわざわざここへ戻ってきたのは、なにも冒険心からなどではない。まず財産を守るため、それからジーメンスの業務の為だ。むろん、社のために命を差し出せなどといわれてもいないし、いうはずもない。第一、私自身、会社や自分の財産のために命をかける気などこれっぽっちもないのだ。だが、伝統あるハンブルグ商人である私にとって、どうしても目をそむけることのできない道義的な問題がある。それは中国人の使用人や従業員の事だ。かれらにとって、いや、三十人はいるその家族にとっても、頼みの綱は「ご主人(マスター)」、つまり私しかいないのだ。私が残れば、かれらは最後まで忠実に踏みとどまるだろう。以前、北部の戦争で私はそれを見届けている。逃げれば、会社も家も荒れ果てる。それどころか略奪に合うだろう。それはともかく、たおえどんなにつらいことになろうとも、やはりかれらの信頼を裏切る気にはなれない。こんなときでなければさっさとお払い箱にしたいような役立たずの連中すら、いちずに私に信頼をよせているのをみると思わずほろりとする。

 アシスタントの韓湘林が給料の前払いを頼みに来た。妻子を済南へ避難させたいという。韓はきっぱりと言った。
「所長がおられる所に私もとどまります。よそに行かれるなら、私も参ります!」
 うちの使用人も大半がやはり北部の出身だが、貧しく、逃げようにも行くところがない。せめて妻子だけは安全な所へと思い、旅費を出そうといったが、かれらはどうしていいかわからず、おろおろするばかりだ。むろん、みな故郷へ帰りたい気はある。だが、帰ったところでそこも闘いのさなかなのだ−というわけで、口々に、ここに、私のそばにいる方がいいという。
 こういう人たちを見捨てることができるか?そんなことが許されるだろうか?いや、私はそうは思わない!一度でもいい、ふるえている中国人の子供を両手に抱え、何時間も防空壕で過ごしたことのある人なら、私の気持ちがわかるだろう。
 それに、結局のところ、私の心の奥底にはここに残り、ここで耐え抜くべきだ、という強い思いがある。私はナチ党員だ。しかも、支部長代理さえつとめたことがあるのだ。わが社の得意先は中国の役所だが、仕事で訪れるたびに、ドイツと言う国、それからナチ党や政府について尋ねられた。そういうとき、私はいつもこう答えてきた。
いいですか・・・・・
ひとつ、我々は労働者の為に闘います
ひとつ、我々は労働者の為の政府です
ひとつ、我々は労働者の友です
我々は労働者を、貧しき者を、見捨てはしません!
 私はナチ党員だ。だから、私がいう労働者とは、ドイツの労働者のことであって中国のではない。だが、かれらはそれをどう解釈するだろうか?この国は三十年という長い年月、私を手厚くもてなしてくれた。いま、その国がひどい苦難にあっているのだ。金持ちは逃げられる。だが貧乏人は残るほかない。行くあてがないのだ。資金もない。虐殺されはしないだろうか?かれらを救わなくいいのか?せめてその幾人かでも?しかも、それがほかでもない自分と関わりのある人間、使用人だったら?

 私はついに肚を決めた。そして留守に使用人たちが掘った陥没寸前の汚い防空壕を作り直し、頑丈なものにした。
 そこへわが家の薬箱をそっくり持ちこんだ。とっくに閉校になった学校からも運んできた。毒ガスにそなえて、酢にひたしたマスクも用意するつもりだ。飲食物は篭と魔法瓶につめた。
---転載終了---
63 hits

[1212]Re(2):南京の人口
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 5:19 -

引用なし
パスワード
   >▼へげもんさん:
>> ラーベの日記には「80万人が逃げた」とありますが、これを否定できますか?

やっと見つけました(^^;
確かにそれらしい記述が一行あります。もう朝なので検証は明日から始めましょう。この記述だけでは何とも言えません。その根拠はこの日の日記全体を読んでた抱ければわかりますし、判断にはそれまでの南京の様子も知るべきでしょう。

へげもんさんの方では何か裏付けになるようなものを見つけられましたか?
69 hits

[1213]Re(2):南京の人口(ラーベの日...
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 12:08 -

引用なし
パスワード
   9月分の日記については南京市民の動向や様子を描いた記述についてはこれ以上見つけることが出来ませんでした。
10月分も同様ではありますが、南京における市民またはラーベ自身の戦争認識に関するものがしばしば見受けられます。これは南京の動向についての参考になると思いますので、この部分を列挙していきます。
77 hits

[1214]Re(3):南京の人口(ラーベ10/6)
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 12:15 -

引用なし
パスワード
   ---転載開始---
十月六日
 十八時から十九時まで、トラウトマン大使がお茶を飲みに来ていた。一時間ほど一般的な情勢について話し合った。おたがい少々悲観的になっている。北部は陥落してしまった。これはどうにもならない。だが南京は上海に守られているため、中国人は戦争の中心は上海だと思っているようだ。だがいつまでこれが続くだろうか?
---転載終了---
78 hits

[1215]Re(3):南京の人口(ラーベ10/13)
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 12:28 -

引用なし
パスワード
   ---転載開始---
十月十三日
 薄曇り。不穏な日だ。だがこのあたりは無事だった。八時に空襲警報。だが、十五分後に解除された。警報のたびに男も女も子どももみな、貧しい人たちが大ぜいわが家のそばを駆け抜け、五台山へと逃げていく。かなり大きな空爆があるのだ。これだけでもひさんきわまりないというのに、小さい子どもを抱えた母親たちのおびえようといったら!見ていられない。きょうはそういう人たちが四回もここを通り過ぎていった。

 防空壕をまた広げよう。ドイツ語の話せる沈(セン)さんと馮(フォン)さんが、わが家の近くの支局に転勤してきた。空襲警報が鳴ると二人ともここへ避難してくる。いつも郵便物を配達してくれる二人も常連だ。そのうち泊めてくれといってくるだろうが、場所があるだろうか。私自身はここのところまったく防空壕に出入りしていない。上海から派遣されたジーメンスのエンジニア、リーベが腹の具合が悪いといって帰ってきた。下痢だ。
---転載終了---
80 hits

[1216]Re(3):南京の人口(ラーベ10/17)
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 20:35 -

引用なし
パスワード
   十月十七日
 映画館は全て営業を停止した。ホテルや店、薬局も大半は閉まっている。市内はびっくりするほど落ち着いている。軍人、警官、民団(民兵)もきちんとつとめを果たしている。外国人は誰も(もうあまりたくさんは残っていない。ドイツ人についていえば、女性が十二人、男性が六十人)不愉快な目にあっていない。逆だ!異国でがんばっているというので、中国人は驚きながらも好意をもってわれわれを見ているのだ!

 誰もかれも先を争ってわが家の防空壕に入りたがる!なぜだかわからない!うちのはおそろしく頑丈だと噂がたっているらしい。これを作ったとき、せいぜい十二人とふんでいた。ところがいざ入る段になってみると、ひどい計算違いをしていたことがわかった。総勢三十人。すし詰めだ。
 いったいどこからこんなに大ぜいの人間がやって来たのかって?なに、簡単さ!うちのボーイにはそれぞれ、妻や子、父、母、祖父、祖母がいるのだ。だれもいなければ、どこからかつれてくるだけのことだ!いやはや、たくましいかぎりだ。それだけではない。近所の一家までかかえこむはめになった。この男は靴屋で、戦争前、私はやつに腹を立てたことがある。「必要経費(手数料。十パーセントは暗黙のうちに認められていた)」だといって、ブーツの勘定に二十パーセントも上乗せしてきたのだ。ところがどうだ、今度突然うちのボーイの親戚だということがわかったというじゃないか。しかたない。みんな入れてやった。断ったりしたら沽券にかかわる。
 
 防空壕では、私には事務所の椅子、ほかの人たちには低いベンチがおいてある。すぐそばで爆弾がどかどか落ちるようなときには、むろん私も防空壕に入らなければならない。それに、私みたいなものでも、子どもや女の人たちはそばにいるだけで安心するのだ。北載河で、できるだけはやく戻ろうと考えたのは間違っていなかった。
 
 不安を感じたことはないといったら、嘘になる。防空壕が激しく揺れ始めたとき、私もひそかにこんな気持ちに襲われた。「どうか爆弾が落ちませんように!」だが、不安なんか吹き飛ばすんだ。他愛ない軽口。いかがわしい冗談。するとみな、にやりとする。これで爆弾への恐怖がいくらかなりとも和らいだ。
 防空壕の中では、赤ちゃんを抱いた女の人を優先すること。彼女たちがまんなかで、次にそれより大きい子どもをつれた女の人。最後が男性。男たちの驚きをよそに、私はくりかえしこういってゆずらなかった。
 すぐ近くでたてつづけに爆弾が落ちる。みんな口をぽかんとあけ、ものもいわずに座っている。子どもや女の人には脱脂綿で耳栓をした。ところが、すこしでも静かになると、待ってましたとばかり、ひとり、またひとりと勇士が出ていってあたりを見回す。敵の爆撃機が撃たれて、きれいな弧を描いて燃えながら落ちてこようものなら大変だ。みな大喜びで、拍手大かっさい。
 なかで、ひとり、この変てこな「ご主人(マスター)」だけは何を考えているのかわからない。彼は黙って帽子をとり、そしてつぶやく。「静かに!三人も人が死んだんだ!」
ある手紙から
 ここにいる人たちはみな、自分たちの言うことを「きわめて深刻に」受けとめてもらいたがっています。しかし、こういうのはおよそ私の柄ではありません。実は私には困った才能がありまして、おかまいなしにジョークをとばしてまわりの顰蹙を買ってしまうのです。
 むろん、深刻な状況ではないなどというつもりはありません。深刻ですとも、ものすごく。いや、事態はますます厳しくなるに違いありません。でもこれをどうやって乗り切ったらいいのでしょうか?私は「ユーモアで」と考えています。最後のひとかけらまでユーモアをかき集め、運命、この愚かしい運命に立ち向かおう、と。そういうわけで、私の朝晩の祈りはこうなります。「神よ、私の家族とユーモアをお守りください。そのほかのことは自分で気をつけますから」
 ところであなたはこう聞きたいのでしょう。何のために私たちがここにいるのか。今どうやって暮らしているのか、と。つまり、こういうことです。人はだれでも、まっとうな人間でいたい、だから私も従業員や家の使用人を家族もろとも見殺しにしたりせず、物心両面から助けたいのだ、と。わかりきったことではないですか!

84 hits

[1217]Re(2):南京の人口(ラーベ・1...
←back ↑menu ↑top forward→
 とほほ E-MAIL  - 05/9/18(日) 23:16 -

引用なし
パスワード
   前述したように10月分の日記からは南京の人口等に関する動向をラーベが指摘した記述は見当たりません。ただ、市内の様子としてそれほどのパニック(住民が大挙して南京を脱出する)にはなっていないことは見て取れます。もちろん空爆からの避難は緊急課題でありそのために「富裕層は既に南京を脱出している」とラーベは認識しているようです。この認識は概ね正しいのではないかと私も考えます。

特にラーベの立場からすれば南京在住の外国人の動向についてはかなり正確であったのではないでしょうか?

また、私がなぜラーベの日記を全体的な記述から論証しようとしているのかは「否定論者」の印象操作戦術の一つにラーベに特別な又はある程度の権力者的な印象を与えようとしているからです。現実にはラーベとはジーメンス(富士通の前身であることは有名ですね)と言う一企業の従業員に過ぎず、安全委員会と言うのも中国軍が創設したものでも政府でも市行政府でもなく、国際法上安全が確保されねばならない外国人がその立場を活用して中国民衆の安全を確保しようとしたボランティア活動団体である、と言う認識が正しいと思います。この印象だけでラーベの日記の読み方印象が全く変わってきます。

ですから、例えば小林ヨシノリなどは安全委員会の元に陳情する中国人をまるで役所に訴えに来る工作員のような書き方で印象操作してますが、現実には安全委員会には何の権力もなく、その陳情も行く先のない民衆の苦情のはけ口にしか過ぎないのです。安全委員会に出来る事は外国人である特権を活用して日本軍へ苦情を伝える事だけです。国際法的な地位も権力もありません。つまり市民運動のひとつです。そんなものを日本軍がまともに相手しないと言う現象の説明としてその体質からして十分説得力のある説です。

否定論は「ラーベ」を日本に敵対するナチスの重要人物でありその日記は反日思想に満ちている、と言う印象を与えようとしているわけです。そうした印象操作に乗せられた人は「ラーベの記述を否定できますか?」等と言うトンチンカンな質問をしたりします、誰とはいいません(笑)
こういう質問が出ること自体が「否定論対肯定論」と言う対立図式を刷り込まれている証拠で肯定論のバイブル「ラーベの日記」を否定できまい。位の思考しかしていないのです。資料に対して肯定も否定もありません。資料は歴然としてそこにあるものでありそうした資料群の中から真実を描き出していこう、とするのが科学(歴史学)です。

もう一つこの日記を読むときに我々後世から見た人間が陥りやすい錯誤があります。それは【空爆】というものに対する印象です。戦争だから空爆は仕方ない的な印象を持ちやすい。がしかし無防備都市への無差別空爆と言うのはこの時に世界で始めて日本が行ったのです。ですから世界中の非難を浴びてしまったのです。連合国側がこうした空爆をついに敢行するようになるのはもっとずっとあとのことです。
この辺の印象も正しい歴史認識の下に判断していかないと歴史の判断を見誤ります。
[#148]Re(1):南京渡洋爆撃とパナイ号 を参照のこと。
また、そうした南京空爆の悲惨な状況を伝えた有名なポスターや写真があります。否定論と言うのはそうしたものを嘘だ合成だと、わけのわからん理屈で主張します。この写真も否定論ページには必ずでてくるものです。
画像資料検証板上海南駅で泣き叫ぶ子どもの写真を参照されて否定論の卑怯ぶりをご確認の上、怒りを感じていただければ幸いです。

さて、11月に入りいよいよ日本軍の侵攻が間近に迫ってきました。政府の撤退の動き国民党軍に対するラーベの怒り等を感じ取る事が出来ます、またその中に南京の人口に対するラーベの見解も記されています(見解というより、ラーベが噂やその他から勝手に信じ込んでいる数字と見たほうが正確でラーベ自身そうした数字を主張しているわけでもないです)今後は出来るだけ正確に11月分の日記を転載していきますので皆さんご自身でそれをご確認ください。
76 hits

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////
334 / 645 ツリー ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃トピック表示 ┃番号順表示 ┃検索 ┃設定 ┃お蔵入り ┃旧思考錯誤 ┃南京事件資料集  
ページ:  ┃  記事番号:   
314964
(SS)C-BOARD v3.8(とほほ改ver2.2) is Free
タブブラウザ Sleipnir 公式ページ(上級者向け) [AD-SIZE] Get opera goo RSSリーダー
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送