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[1019]南京の人口 秋時雨 05/8/30(火) 23:22
[1020]Re(1):南京の人口 とほほ 05/8/30(火) 23:30
[1022]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/8/31(水) 0:05
[1025]Re(3):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 0:26
[1026]Re(4):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 1:01
[1029]Re(5):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 14:01
[1030]Re(3):南京の人口 タラリ 05/8/31(水) 20:58
[1209]Re(4):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:36
[1199]Re(3):南京の人口 とほほ 05/9/17(土) 19:43
[1205]Re(4):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 1:53
[1206]Re(5):南京の人口 とほほ 05/9/18(日) 1:57
[1023]Re(2):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 0:06
[1024]Re(3):南京の人口 秋時雨 05/8/31(水) 0:26
[1027]Re(4):南京の人口 20万の根拠は? たんこなす 05/8/31(水) 9:23
[1071]Re(1):南京の人口 熊猫 05/9/3(土) 23:23
[1208]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:20
[1210]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:41
[1235]Re(3):南京の人口 秋時雨 05/9/23(金) 1:28
[1370]Re(3):南京の人口 熊猫 05/10/8(土) 23:47
[1372]Re(4):南京の人口 とほほ 05/10/9(日) 0:10
[1207]Re(1):南京の人口(Re(11):逆転極東裁判よりスレッド移転) とほほ 05/9/18(日) 2:10
[1211]Re(2):南京の人口(ラーベ1937/09/21) とほほ 05/9/18(日) 2:58
[1212]Re(2):南京の人口 とほほ 05/9/18(日) 5:19
[1213]Re(2):南京の人口(ラーベの日記九月分総括) とほほ 05/9/18(日) 12:08
[1214]Re(3):南京の人口(ラーベ10/6) とほほ 05/9/18(日) 12:15
[1215]Re(3):南京の人口(ラーベ10/13) とほほ 05/9/18(日) 12:28
[1216]Re(3):南京の人口(ラーベ10/17) とほほ 05/9/18(日) 20:35
[1217]Re(2):南京の人口(ラーベ・10月分総括) とほほ 05/9/18(日) 23:16
[1220]南京の人口(ラーベ・11/12) とほほ 05/9/19(月) 23:19
[1221]南京の人口(ラーベ11/15) とほほ 05/9/19(月) 23:31
[1229]南京の人口(ラーベ11/16) とほほ 05/9/21(水) 23:46
[1230]南京の人口(ラーベ11/17) とほほ 05/9/22(木) 0:08
[1237]南京の人口(ラーベ11/18) とほほ 05/9/23(金) 16:41
[1238]南京の人口(ラーベ11/19) とほほ 05/9/23(金) 21:02
[3600]Re(1):ラーベとローゼン ピッポ 06/11/19(日) 9:55
[3601]Re(2):ラーベとローゼン:ああ講談社訳 渡辺 06/11/19(日) 12:45
[3606]Re(3):ラーベとローゼン:ああ講談社訳 ピッポ 06/11/21(火) 12:25
[3607]Re(1):南京の人口(ラーベ11/19) 訂正 ピッポ 06/11/21(火) 15:32
[3609]Re(2):南京の人口(ラーベ11/19) 訂正 とほほ 06/11/22(水) 13:36
[1239]南京の人口(ラーベ11/20) とほほ 05/9/23(金) 21:06
[1263]南京の人口(ラーベ11/28) とほほ 05/9/25(日) 14:11
[3608]Re(1):南京の人口(ラーベ11/28)中国語版脚注 ピッポ 06/11/21(火) 20:33
[1265]南京の人口(ラーベ11/29) とほほ 05/9/25(日) 19:13
[1342]南京の人口(ラーベ11/30) とほほ 05/10/4(火) 9:05
[1222]南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) とほほ 05/9/20(火) 1:05
[1223]Re(1):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) 秋時雨 05/9/20(火) 1:17
[1224]Re(2):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) とほほ 05/9/20(火) 1:25
[1243]Re(3):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) 秋時雨 05/9/24(土) 3:44
[1226]Re(1):南京の人口(目撃者の南京事件) とほほ 05/9/21(水) 0:28
[1231]Re(2):目撃者の南京事件:問題点 渡辺 05/9/22(木) 0:14
[1232]Re(3):目撃者の南京事件:問題点 とほほ 05/9/22(木) 13:54
[1233]Re(4):目撃者の南京事件:問題点 ピッポ 05/9/22(木) 18:48
[1234]Re(5):目撃者の南京事件:問題点 渡辺 05/9/22(木) 23:23
[1236]Re(6):目撃者の南京事件:問題点 とほほ 05/9/23(金) 15:32
[1240]Re(7):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/23(金) 21:35
[1241]Re(8):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/23(金) 22:05
[1242]Re(9):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/24(土) 1:05
[1266]Re(10):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/25(日) 19:29
[1322]Re(11):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/30(金) 2:10
[1330]Re(12):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/30(金) 19:00
[1276]Re(8):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/26(月) 11:50
[3603]ついでで申し訳ないのですが・・・・・ 熊猫 06/11/19(日) 22:40
[3583]Re(3):目撃者の南京事件:問題点 熊猫 06/11/12(日) 3:44
[1343]Re(2):南京の人口(ラーベ・11月分総括) とほほ 05/10/4(火) 10:27
[1346]Re(3):南京の人口(ラーベ12/1) とほほ 05/10/5(水) 19:49
[1347]Re(3):南京の人口(ラーベ12/4) とほほ 05/10/5(水) 20:08
[1348]Re(3):南京の人口(ラーベ12/5) とほほ 05/10/6(木) 9:36
[1349]Re(3):南京の人口(ラーベ12/6) とほほ 05/10/6(木) 11:10
[1354]Re(3):南京の人口(ラーベ12/7) とほほ 05/10/7(金) 9:10
[1361]Re(3):南京の人口(ラーベ12/8) とほほ 05/10/8(土) 9:07
[1363]Re(3):南京の人口(ラーベ12/9) とほほ 05/10/8(土) 11:40
[1367]Re(3):南京の人口(ラーベ12/10) とほほ 05/10/8(土) 22:31
[1371]Re(3):南京の人口(ラーベ12/11) とほほ 05/10/8(土) 23:51
[1376]Re(3):南京の人口(ラーベ12/12) とほほ 05/10/9(日) 21:19
[1379]Re(2):南京の人口(ラーベ日記検証・総括) とほほ 05/10/10(月) 3:17
[1387]李克痕は軍人ではありません。 熊猫 05/10/11(火) 3:15
[1396]Re(1):李克痕は軍人ではありません。 とほほ 05/10/13(木) 19:57
[1428]王固盤の気持ちになることです。 熊猫 05/10/14(金) 20:18
[1433]Re(1):王固盤の気持ちになることです。 とほほ 05/10/14(金) 22:35
[1854]Re(2):「南京の真実」のラーベ氏旧宅 中独共同で補修 とほほ 05/12/8(木) 19:20
[1287]地図範囲の確認を ピッポ 05/9/26(月) 22:27 [添付][添付]
[1362]2ch中国板南京スレでの人口論争 指環 05/10/8(土) 11:03
[1365]Re(1):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/8(土) 21:05
[1374]Re(1):2ch中国板南京スレでの人口論争 ゆう 05/10/9(日) 9:39
[1375]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/9(日) 10:41
[1383]Re(3):2ch中国板南京スレでの人口論争 レビア 05/10/10(月) 18:58
[1394]Re(4):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/13(木) 19:55
[1402]Re(5):2ch中国板南京スレでの人口論争 レビア 05/10/14(金) 1:44
[1404]Re(6):2ch中国板南京スレでの人口論争 ピッポ 05/10/14(金) 8:54
[1384]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 パルミーロ 05/10/10(月) 20:35
[1386]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 指環 05/10/11(火) 0:48
[1401]「毒ガス」再論   トピずれ、御免! ゆう 05/10/13(木) 20:45
[1432]Re(1):「毒ガス」再論   トピずれ、御免! とほほ 05/10/14(金) 21:56
[1504]Re(1):「毒ガス」再論   トピずれ、御免! ピッポ 05/10/19(水) 11:11
[1793]板倉由明に見せてやりたい資料! 熊猫 05/11/22(火) 22:33 [添付][添付]

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[1287]地図範囲の確認を
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 ピッポ E-MAIL  - 05/9/26(月) 22:27 -

引用なし
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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
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▼秋時雨さん:


>ここに集う論客の皆さんは陥落直前の南京市の人口をどのくらいだと
>見積もっておられるのでしょうか。
>
>南京市の地理上の範囲は
>南京城内区、城外の燕子磯区・孝陵区・上新河区・浦口区
>です。

▼秋時雨さん:
>否定論や肯定論を含めた人口論争の概要は
>ゆうさんのHPの
>http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.html
>につきると思います。
>
>敢えて地理的範囲を持ち出す理由は
>現在も当時の南京の人口が南京市という範囲で20万という
>数字がまかり通っていて、笠原推計の40〜50万を
>裏付ける説明がなされていないからというものです。


秋時雨さんに確認をお願いします。
貴兄のいう虐殺範囲は、城外区を含めた南京市のことですね。

上に、熊猫さんが提供した雑誌キングの付録地図と、
それの南京市境界線を私が色付けたものを貼っておきました。
◆熊猫さんによる地図紹介は:http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=482;;id=imgbord#482 

なお、
南京市難民区(20万)< 南京城内 < 南京市(秋時雨さんによる虐殺範囲) < 南京特別市(笠原氏による虐殺範囲)
ということですね。

◆ゆうさんのページ
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.html
◆K-Kさんのページ
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/map.html
45 hits

[1322]Re(11):『南京の真実』:ユダ...
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 渡辺  - 05/9/30(金) 2:10 -

引用なし
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   確かに、梶村訳にも問題はあります。
問題は、「ユダヤ人」という言葉がどういう脈略で使われているかということになると思います。

「運転手」と訳されている言葉は der Chauffeur の複数形です。このショフェールという言葉はフランス語からきた外来語で、運転手といっても、おかかえ運転手のようなプロの運転手のことです。それなりの技術と社会的地位があると考えられるわけです。ちなみに、英語版も driver ではなく、chauffeurとなっています。
Central China Express Company の、表向きはドイツ人のショフェールといっているのは、18時間かかった問題の運転にかかわった人たちのことです。「職が安定しないユダヤ人」とことさらに指摘しているのには二つの理由があるようです。まず、当時の状況に「定職を失っているユダヤ人」というべき底辺の人々が存在し、少なくとも問題の運転手はショフェールとは言いがたかったこと。次に、ユダヤ人はショフェールにはなれなかったと思われます。中国在住のユダヤ系ドイツ人の国旗や腕章の使用に関しては混乱があったようですが、10月の初めにヒトラーの指示で、戦時中国に関しては、ユダヤ人がハーケンクロイツを使用することができなくなりました。つまり、車にハーケンクロイツをなびかせて戦地を通り抜けるということが、ユダヤ人にはできなくなります。
そこで、Central China Express Company は経済的理由か人道的理由かは分かりませんが、「ドイツ人のショフェール」として称して、職に困っているユダヤ人を雇っており、どうやら大使館も黙認していたようにみえます。
ところが、このショフェールたちは、その名に恥ずべきことに、上海−南京を8時間のところ、運転が下手で、18時間もかかって南京に着き、しかも1人当たり75ドルも請求するという問題が起りました。費用の責任は、運転手と会社のどちらに帰すべきか、日記だけではそのシステムが分かりませんが、文脈から考えると前者のようです。
彼らはショフェールとはいいがたく、技術がいいかげんなのに、金儲けうまいということになります。ですから、必ずしも「ユダヤ人」だから運転が下手で金儲けがうまいと言っているわけではありません。
ハーケンクロイツ旗をとりあげる件ですが、日記の記述だけでは意味が判然としません。これは、このユダヤ人が運転するときには、自動車にハーケンクロイツ旗を付けてはならないという意味だと思います。英語版では、そのユダヤ人の自動車からハーケンクロイツ旗を除くと意訳しています。

ラーベに「定職を失っているユダヤ人」に対する偏見が全くなかったどうかは分かりません。しかし、この程度の記述を日記に書いたからといって、ことさらに取上げるべき問題かというと疑問に感じます。というのは、やはり「定職を失っているユダヤ人」は、社会の底辺にいるが故に、満ち足りた人からみれば、マナーが悪くお金に対してきたないという一般的傾向があったという可能性はあるからです。

参考として英語版のほうを引用しておきます。
The allegedly German chauffeurs of this company, however, are in fact out-of-work Jews, who maybe don't know much about driving but are that much better at making money. The trip costs 75 dollars a person. One chauffeur's behavior has been offensive, and the embassy wants to remove the swastika flag from his car, since a Jews has no right to fly it.

▼とほほさん:
>▼渡辺さん:
>>「この会社の 表向きはドイツ人の運転手たちは、実は定職を失っているユダヤ人で、運転が下手なほど金儲けは上手だ。運賃は一人七十五ドル。大使館はこの不快な行いをした運転手ひとりから、ユダヤ人には使用権がないハーケンクロイツ旗をとりあげてしまうつもりだ。(原注7)」
>> ここで、問題のひとつは、まず「運転手たち」に「やつら」という代名詞をあてていること、次に、文脈を理解するうえで必要な中国在住ユダヤ人の共和国旗使用に関する「原注7」(かなり長め)を削除し、かつ、その主旨を無視して、文を二つに分け、旗をとりあげるのがラーベの意志かのような訳になっていることです。
>
>なるほど、そう言うことですね。しかし私がナチスに偏見があるのかな?(笑)
>梶村訳でもラーベのユダヤ偏見を感じてしまう(^^;
>以下のように置き換えてみたらわかりやすくないでしょうか?
「この会社の 表向きは日本人の運転手たちは、実は定職を失っている朝鮮人で、運転が下手なほど金儲けは上手だ。運賃は一人七十五ドル。大使館はこの不快な行いをした運転手ひとりから、朝鮮人には使用権がないハーケンクロイツ旗をとりあげてしまうつもりだ。(原注7)」

142 hits

[1330]Re(12):『南京の真実』:ユダ...
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/30(金) 19:00 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>確かに、梶村訳にも問題はあります。
>問題は、「ユダヤ人」という言葉がどういう脈略で使われているかということになると思います。

本日、週間金曜日での梶村太一郎氏の記事が届きました。読んでみてなるほど歴史資料の翻訳としてはあるまじきことだと思います。が、私は結局、訳者は訳者のラーベ像を意訳して日本人に伝えないとわからないだろう、と言う立場で翻訳がなされているのだと思いました。正に梶村氏が言うとおり【物語】にしていると言う事ですかね。

私が感じるラーベのユダヤ偏見というのは、ナチスだから、だけではなく当時一般的にヨーロッパにあったユダヤ偏見を指すのですよね。どちらにしろ外国語の読めない私に論評は不可能ですが(^^;、編者ヴィッケルトの解説全文訳がほしいところです。

しかし、そうした一般的ユダヤ偏見がラーベにあったとしても、私はラーベの偉業はいささかも色落ちするものではないと思います。つまりラーベであれば偏見を持っているユダヤ人に対してでもユダヤ人が同じ境遇にあり自分が何かが出来る立場があれば、南京でしたことと同じことをしただろうと思います。
142 hits

[1342]南京の人口(ラーベ11/30)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/4(火) 9:05 -

引用なし
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   十一月三十日
 韓に家族を連れて越してくるようにいった。一家はいま学校で暮らしている。台所や風呂場は韓が作らせた。韓の友人で怡和通レンガ工場の経営者、車を贈ってくれた孫さんも越してきた。新しい防空壕はまだできあがらない。全力をあげているのだが。ゆるく積み上げた煉瓦壁(セメントがないので両側を厚板で補強してある)がひとつあるほかは鉄板を使った。だれが調達してきたのかはわからない。とにかくそこにあったのだ。ほかにもいろいろそういう物がある。おかげでわが家の庭はすさまじいことになっている。水道がとまりはしないかと心配だ。トラックで大型の貯水タンクを運んでこなくては。灯油も買った。ロウソクも。石炭は約1ヶ月分ある。
 
 一晩かけて予備の注射器を煮沸消毒した。器具一式と、インシュリンのアンプル三個を肌身離さず持ち歩いている。張のかみさんはまだ入院している。コックの層も入院中だが、こちらは快方に向かっている。せっせと薬を飲んでいる。効くと信じているが、理由は簡単、まずいからだ!
 
 蕪湖から医者のブラウンさんとフランス人の神父さんがやってきた。蕪湖でも安全区を設けるつもりなのでいろいろ知恵を貸してもらいたいという。だがこちらも途方にくれている有様なのだ。
 
 まだ残っている住民の数をもう少し正確につかまなければな。「正確な」情報を教えてくれるといっていた男、すなわちかつての警察庁長王固盤が逮捕されたという噂が、たった今飛び込んできた。自分は軍人ではないから任ではないといって辞任したのだったが。
 
 スマイスから電話。南京市には六万袋、下関には三万四千袋の米があるとのこと。おそらくこれで足りるだろう。今不足しているのは仮の宿泊所、つまり藁小屋に使う筵だ。この寒空に、なんとかして泊まれる場所を確保しなければならない。
 
 以下は国際委員会が抱えている課題である。
一、資金の調達
二、警察
安全区入り口の検問
境界の警備
警察官の総数とその宿泊施設の整備
三、兵士と軍人たち
撤退の指令と視察
すでに始まっている脱走兵の対策
負傷者の看護
四、食糧の配給
食料の管理
食料の貯蔵と分配
五、輸送と輸送手段
六、避難民の収容施設
見張り
建物の使用と管理
(a)公共の建物(政府の)
(b)学校や伝道団の建物
(c)空き家、藁小屋
七、公共施設
水道
電気
電話
八、衛生設備と健康管理
仮設便所
ゴミと糞尿の運搬
病院と医療設備
 次に南京安全区委員会のメンバーリストを記す。

☆印をつけた人は、包囲される前に、南京を去っている。
名前 国籍 所属
ジョン・ラーベ(代表) ドイツ ジーメンス洋行
ルイス・S・C・スマイス(事務局長) イギリス 金陵大学
P・H・マンロ=フォール イギリス 亜細亜火油公司
ジョン・マギー アメリカ アメリカ聖公会伝道団
☆P・R・シールズ イギリス 和記公司
☆J・M・ハンソン デンマーク 徳古士煤油公司
☆G・シュルツェ・パンティン ドイツ 興明貿易公司
☆I・マッケイ イギリス 太古公司
☆J・V・ピッカーリング アメリカ 美孚煤油公司
エドゥアルト・シュペアリング ドイツ 上海保険公司
M・S・ベイツ アメリカ 金陵大学
W・P・ミルズ アメリカ 長老派教会伝道団
☆J・リーン イギリス 亜細亜火油公司
C・S・トリマー アメリカ 鼓楼病院
クリスティアン・クレーガー ドイツ カルロヴィッツ・・南京(礼和洋行)
ジョージ・フィッチ アメリカ 基督教青年会(励志会)

83 hits

[1343]Re(2):南京の人口(ラーベ・1...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/4(火) 10:27 -

引用なし
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   さて、11月に入りいよいよあわただしい気配が南京にも迫ってきている事が11月分の日記からは感じ取る事が出来ます。しかし、それでも上旬のうちは12日の日記にも見られるように、壊れたミシンの修理であるとかまだまだノンビリと日常の業務の中にいる様子が感じられます。

慌しさを感じるようになるのは南京陥落まで後1ヶ月を切った15日の日記あたり、ラーベが政府の撤去を予測する辺りから始まります。

問題は現実にこの時点でどのくらいの人口が脱出していたかですかね?これまで検証してきたように空襲からの避難のため富裕層の脱出する様子は見受けられますが、それ以外には大きな脱出劇は感じられません。私はこの時点で人口の10%も脱出していないように思えるのですがいかがでしょう?

あくまでこれはラーベの日記から受ける印象に過ぎないのですが、10%と言うのも大きめに見積もったつもりです。まず外国人はほとんど脱出しているでしょう、外国人の人口はもともと無視できるほど問題ではないと思います、【南京の富裕層】というのが当時南京市にしめる割合はどのくらいだったのでしょうか?通常、この時代の都市部の経済を考えた場合、人口比率にしてほんの数%に過ぎないと思います。

実際ラーベの日記の中でもこれまでの記述の中にはほとんど出てきません、よく言われるラーベが目撃した大量の脱出民とは、政府の撤退時期の脱出民です。日記からは政府の撤退によるパニック状態、それも政府関係者の脱出劇ですね、それぞれの官僚や行政府職員やそれぞれの家族に従う使用人とその家族などが脱出劇の主役のようです。そしてそれは南京陥落のわずか1ヶ月前からはじまっています。
政府の大がかりな移転が始まったのが17日
それでも19日の時点では食料品等の店は開いているようです。
  • 韓はかなりの金額を集金してきた。
  • 店がまだ開いているうちに食料品が買えるだろう。
そしてこの日に国際委員会が発足してます。

さて具体的な数字となると。
11/28
言いかえれば、役人はだれひとりここには残らないということだ。何十万もの国民のために、だれも身をささげないとは・・・・・・。さすが、賢明なお考えだ!
警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。
位が出てくるのみです。しかも王固盤は29日には辞任し脱出しようとしている様子で
シュペアリングから電話。王固盤が辞任し、後任が指名されたとのこと。スマイスは、「こんどの警察庁長は、警察といっしょに逃げ出すようなことはないだろう」と言っている。
とても南京の残留数を把握できる状態ではないと思います。「まだ20万人が残っている」とは王固盤の単なる主観に過ぎないと考えた方が良いのではないでしょうか?

以前にもこの例えをあげたことがあるのですが、正月の東京は閑散として東京から人間が誰もいなくなったように感じます。テレビの様子では各交通機関や首都高の混雑振りを連日報道します。しかし、東京には実際にはどのくらいの人が残っているのでしょうか?80%もの人が果たして東京からいなくなっているでしょうか?

王固盤が慌しい市街の脱出の様子そしてその後の閑散とした様子から「20万人位」と言う数字を主観的に伝えただけではないかと思います。実際30日の日記からは国際委員会の課題として「正確な人口の把握」があげられてますので、人口はわからない状態でしょう、大まかに掴んでいる人口についてもおそらく王固盤の言ってみれば「あてずっぽう」の20万人が根拠である、と結論しても良いのではないでしょうか?

以上が私の11月分の総括となります。
さて十二月に入り陥落まであと12日、ここまでが私の検証担当ですが、あと12日間の間に果たしてどれだけ脱出できるものなのか?日記からそれを知る手がかりが見つかるのか?検証を続けていきたいと思います。
84 hits

[1346]Re(3):南京の人口(ラーベ12/1)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/5(水) 19:49 -

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    九時半に、クレーガー、シュペアリング両人を平倉巷で開かれる委員会へ行く。いろいろな役目をわりふって、名簿を作る。馬市長が部下を連れて現れ、米三万袋と小麦粉1万袋を提供すると約束。残念ながらそれを難民地域まで運ぶトラックがない。米と小麦粉は売ればいい。できるだけ高値で。難民用の給食所をつくる予定だ。

 三つめの防空壕が完成した。屋根を鉄板でおおい、入り口は土で囲ってある。午後、駐屯軍司令部から二万ドル受け取った。これは、蒋介石からの約束の十万ドルの第一回目だ。のこりはいつもらえるかと聞いたが、相手は肩をすくめただけだった。
 
 フィッチ、クレーガー、スマイス、YMCAの王(ワン)、リッグズ、私のメンバーで寧海路五号にある家を見に行く。明日から、ここを委員会の本部にするつもりだ。スマイスは、家のりっぱなことと豪華な調度品、それから一万七千五百ドルもの値打ちのある防空壕にいたく感動してつぶやいた。「これからは、あなたのことをもっぱらジョン・H・D・ラーベ・ロックフェラーと呼ばせてもらいますよ」
 
 十八時、会議。南京に残っていいる住民たちに安全区に移るようにすすめたあとで日本から拒絶されるようなことになったら、われわれの責任は重大だ。それについては大多数の委員が、こちらから先に行動を起こそうと言う意見だった。安全区に移るようすすめる文面は、ひじょうに慎重でなければならない。いちど、残っている住民の数を南京の中国の新聞代理店に片端から問い合わせてみることにしよう。つまり、中国人がどんな様子か聞いてみるのだ。
 
 ローゼンがアメリカ人を通じて知らせを受け取った。ラーマン地方支部長が、ヒトラーとクリーベルにあてた私の電報を打ってくれたそうだ。ありがたい!これでどうにかなる。まちがいない。総統が私を見殺しになさるはずがない!
 
 ローゼンが、ドイツ人に集まってもらいたいといってきた。いつ船に乗るか決めようというのだ。クレーガー、シュペアリング、ヒルシュルベルク先生の子息、オーストリア人技術者ハッツ。この人たちはここに残って私を助けてくれると言う。だから、乗るのは、ヒルシェルベルグ先生の奥さんと娘さん(この二人はすでに乗船している)、ローゼン、ヒュルター、シェルフェンベルクの大使館員三人、それから店員二人、すなわちノイマンさんと名前を知らないロシアの女性。それからカフェ・キースリングの会計係だ。
 
 ヒルシュルベルグ先生が張を漢口に連れていった。かみさんはまだよくならない。発つ前に、私のインシュリンをわけてやった。医者が緊急に必要なので、先生は飛行機で帰るつもりだ。(ジーメンスのアシスタントである)韓とその友人、怡和通レンガ工場の孫を食料大臣に任命した。韓は顔をかがやかせて言った。「こんなに高い役職についたのは、はじめてですよ」
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[1347]Re(3):南京の人口(ラーベ12/4)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/5(水) 20:08 -

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    どうにかして安全区から中国軍を立ち退かせようとするのだが、うまくいかない。唐将軍が約束したにもかかわらず、兵士たちは引き揚げるどころか、新たな塹壕を掘り、軍関係の電話を引いている有様だ。今日、米を運んでくることになっていた八台のトラックのうち、半分しか着かなかった。またまた空襲だ。何時間も続いた。用事で飛行場にいたクレーガーは、あやうく命を落とすところだった。百メートルぐらいしか離れていないところにいくつも爆弾が落ちたのだ。
 
 難民は徐々に安全区に移りはじめた。ある地方紙は「外国人」による難民区などへいかないようにと、繰り返し書き立てている。この赤新聞は、「空襲にともなうかもしれない危険に身をさらすことは全中国人民の義務である」などとほざいているのだ。
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[1348]Re(3):南京の人口(ラーベ12/5)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/6(木) 9:36 -

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    十二月五日
 
 よく晴れた日曜日だというのに朝っぱらから腹が立ってしかたない。運転手が迎えにこなかったのだ。呼びにやる。雷を落とす。悪態をつく。詫びを入れる。もう一度雇う。思えば、これで二十五回目だ!
 
 というわけでやっとのことで車に乗りこんだとたん、今度は空襲警報だ。爆弾が落ちた。だが今は許可証を持っているので、二度目のサイレンの後なら外に出られる。それにあまりにやることが多くて、爆弾などかまってられない。こういうとひどく勇ましく聞こえるが、さいわい爆弾はいつもどこかよそに落ちている。
 
 アメリカ大使館の仲介で、ついに、安全区についての東京からの公式回答を受け取った。やや詳しかっただけで、ジャキノ神父によって先日電報で送られてきたものと大筋は変わらない。つまり、日本政府はまた拒否はしてはきたものの、できるだけ配慮しようと約束してくれたのだ。
 
 ベイツ、シュペアリングといっしょに、唐司令官を訪ねた。なんとしても、軍人と軍の施設をすぐに安全区から残らず引き揚げる約束をとりつけねばならない。それにしてもやつの返事を聞いたときわれわれの驚きをいったいどう言えばいいのだろう!
 
 「とうてい無理だ。どんなに早くても二週間後になる」だと? そんなばかなことがあるか! それでは、中国人兵士を入れないという条件が満たせないではないか。そうなったら当面、「安全区」の名をつけることなど考えられない。せいぜい「難民区」だ。委員会のメンバーでとことん話し合った結果、新聞にのせる文句を決めた。なにもかも水の泡にならないようにするためには、本当のことを知らせるわけにはいかない・・・・。
 
 その間にも爆弾はひっきりなしに落ちてくる。音があまりに大きい時は、椅子を少し窓から遠ざける。あらゆる防空壕のなかでいちばんりっぱなやつが庭にあるのに。ただそれを使う時間がないのだ。
 
 城門は壁土で塗りこめられる。三つの門のうち、開いているのはひとつだけだ。といっても扉の半分だけだが。
 
 われわれは必死で米や小麦粉を運びこんだ。安全区を示す旗や、外にいる人たちに安全区のことを知らせる張り紙もできている。だが、肝心の安全性については最低の保証すら与えられていないのだ!
 
 ローゼンはかんかんになっている。中国軍が安全区のなかに隠れているというのだ。ドイツの旗がある空き家がたくさんあり、その近くにいるほうがずっと安全だと思っているからだという。そのとおりだと言い切る自信はない。しかし、今日、唐司令官と会った家も安全区のなかだったというのはたしかである。
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[1349]Re(3):南京の人口(ラーベ12/6)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/6(木) 11:10 -

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    十二月六日
 
 ここに残っていたアメリカ人の半分以上は、今日アメリカの軍艦に乗りこんだ。残りの人々もいつでも乗りこめるよう準備している。われわれの仲間だけが拒否した。これは絶対に内緒だが、といってもローゼンが教えてくれたところによると、トラウトマン大使の和平案が蒋介石に受け入れられたそうだ。南京が占領される前に平和が来るといい、ローゼンはそういっていた。

南京の真実84P 黄上校との話し合い忘れることができない。黄は安全区に大反対だ。そんなものをつくったら、軍紀が乱れるというのだ。
「日本に征服された土地は、その土のひとかけらまでわれら中国人の血を吸う定めなのだ。最後の一人が倒れるまで、防衛せねばならん。いいですか、あなたがたが安全区を設けさえしなかったら、いまそこに逃げ込もうとしている連中をわが兵士の役に立てることができたのですぞ!」
 
 これほどまでに言語道断な台詞(せりふ)があるだろうか。二の句がつげない! しかもこいつは蒋介石委員長側近高官ときている! ここに残った人は、家族をつれて逃げたくても金がなかったのだ。おまえら軍人が犯した過ちを、こういう気の毒な人民の命で償わせようというのか! なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃がしたんだ? 首になわをつけても残せばよかったじゃないか? どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ?
 
 それから軍人や軍の施設を引き揚げる時期について聞いた。最後のぎりぎりの瞬間、それより一分たりとも前ではない、というのがやつの返事だ。要するに、土壇場まで、市街戦が繰り広げられるその瞬間までいすわろうという肚なんだ!
 
 きちんと準備するには、米や小麦粉、塩、燃料、医薬品、炊事道具、あと、なんだかしらないがとにかくいるもの全部、日本軍が攻めてくる前に用意しておかねばならない。医者、救護員、汚物処理、埋葬、警察、そうだ、場合によっては警察のかわりまでやる覚悟がいる。軍隊と一緒に、十中八九警察もいなくなるだろう。そうなったら、治安が乱れるおそれがある。こういうこともみなそのときになってからやれと言うのか?
 
 なんとか考えを変えるよう、黄を説得しようとしたが無駄だった。要するにこいつは中国人なのだ。こいつにとっちゃ数十万という国民の命なんかどうでもいいんだ。そうか。貧乏人は死ぬよりほか何の役にも立たないというわけか!
 
 防衛についても話し合った。私は必死で弁じた。ファルケンハウゼン将軍はじめ、ドイツ人顧問は口をそろえて防衛は不可能だと言っている。もちろん、形だけでも防衛はしなければならないだろう。司令官にむかって。むざむざ明け渡せなどといえないことくらい百も承知だ。面目を保ちたいのもわかる。だが、南京を守ろうとする戦い、この町での戦闘はまったくばかげたことであって、無慈悲な大量虐殺以外の何物でもない! ・・・・・・だが、何の役にも立たなかった。私には説得力がないのだ!
 
 黄は言った。名誉とは、最後の血の一滴まで戦うことにある! ほう! お手並み拝見といこうじゃないか! 発電所の管理人の白さんと主任技術者陸さんは、発電所を動かすために、命がけでがんばるとか言っていた。たしかに発電所は動いている。はて。誰が動かしているのかね。白さんと陸さん、この二人はとっくにいなくなったが。
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[1354]Re(3):南京の人口(ラーベ12/7)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/7(金) 9:10 -

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    十二月七日

 昨夜はさかんに車の音がしていた。そして今朝早く、だいたい五時ころ、飛行機が何機もわが家の屋根すれすれに飛んでいった。それが蒋介石委員長の別れの挨拶だった。昨日の午後会った黄もいなくなった。しかも、委員長の命令で!
 
 あとに残されたのは貧しい人たちだけ。それから、その人たちとともに残ろうと心に決めた我々わずかなヨーロッパ人とアメリカ人だ。
 
 そこらじゅうから、人々が家財道具や夜具をかかえて逃げこんでくる。といってもこの人たちですら、最下層の貧民ではない。いわば先発隊で、いくらか金があり、それと引き換えにここの友人知人にかくまってもらえるような人たちなのだ。
 
 これから文字通りの無一文の連中がやってくる。そういう人たちのために、学校や大学を開放しなければならない。みな共同宿舎で寝泊まりし、大きな公営給食所で食べ物をもらうことになるだろう。約束の食糧のうち、ここに運び入れることができたのはたった四分の一だ。なにしろ車がなかったので、いいように軍隊に挑発されてしまった。
 
 今日の午前中に、軍にトラックを二台取り上げられた。これまでに一台しか取り返していない。もう一台、塩が二トン積んであったほうはいまだに返ってこない。いまゆくえを探しているところだ。最高司令部から、たったいま、さらに二万ドル、私のところに払いこまれた。約束の十万ドルの代わりに、全部で四万ドル受け取ったことになる。これで満足しなければならないのだろう。献金の分割払いのことなど、おそらく蒋介石は知らないだろうから文句もいえまい。
 
 明日、城門が閉められ、いままで残っていたアメリカ人も船に乗る。今日ジーメンスに電報を打った。満期になった生命保険料を保険会社からもらってくれるように頼んだのだ。
 
 上海放送は、トラウトマン大使が、今日漢口に到着したと伝えていた。彼の和平案が、蒋介石に拒否されたといっている。ローゼンからの極秘情報によれば(すでに書いたが)、もうそれは蒋介石に受け入れられたということだが。そのいっぽうで、目下最後の戦闘準備がすすめられている。最後の一兵が倒れるまで戦う。兵士たちは口々にこういい張っている。
 
 城門の近くでは家が焼かれており、そこの住民は安全区に逃げるように指示されている。安全区は、ひそかに人の認めるところになっていたのだ。たったいま、クレーガーが中華門のちかくのシュメーリング家から帰ってきた。こじ開けられ、ところどころ荒らされていたという。現実家の彼は、とりあえず残っていた飲み物を失敬してきた。
 
 十八時、記者会見。馬市長は欠席、外国人も半数くらいしか出席していなかった。残りはもう発ったのだろう。
 
 門の近くにある家は城壁の内側であっても焼き払われるという噂がひろまり、中華門の近くに住む人たちはパニックに陥っている。何百という家族が安全区に押しよせているが、こんなに暗くてはもう泊まるところが見つからない。凍え、泣きながら、女の人や子どもたちがシーツの包みに腰かけて、寝場所を探しに行った夫や父親の帰りを待っている。今日、二千百十七袋、米を取ってきた。明日もまた門を通れるかどうかはわからない。
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[1361]Re(3):南京の人口(ラーベ12/8)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/8(土) 9:07 -

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   十二月八日

 昨日の午後、ボーイの張がかみさんを鼓楼病院から連れ帰った。まだすっかりよくなったわけではないが、時が時だけにどうしても子どものそばにいたいというのだ。のこりの家族が四十マイルも離れたところにいるといって、張は嘆いた。病気の曹の仕事を一部、引き受けてくれていたので迎えにいく時間がなかったのだという。だれもそれを私に言ってくれなかった。だから、張の身内はとっくに全員ここにきているとばかり思っていたのだ。かわいそうだがもう手遅れだ。
 
 二年ほど前、トラウトマン大使が北載河で開かれたティーパーティーの席で私にこういって挨拶したことがあった。「やあ、南京の市長が来た!」そのころ私は党の地方支部長代理をしているのだが、いくらか気を悪くした。ところが、いま瓢箪(ひょうたん)から駒が出た。といったからって、ヨーロッパ人が中国の町の市長になどなれないのはわかりきっている。しかし、このところずっと行動をともにしてきた馬市長が昨日いなくなり、われわれ委員会が難民区の行政上の問題や業務をなにからなにまでやらざるをえなくなったいま、私は事実上の「市長代理」のようなものになったわけだ。まったくなんてことだ!
 
 何千人もの難民が四方八方から安全区へ詰めかけ、通りはかつての平和な時よりも活気を帯びている。貧しい人たちがさまよう様子を見ていると泣けてくる。まだ泊まるところが見つからない家族が、日がくれていくなか、この寒空に、家の陰や路上で横になっている。われわれは全力を挙げて安全区を拡張しているが、何度も何度も中国軍がくちばしをいれてくる。いまだに引き揚げないだけではない。それを急いでいるようにもみえないのだ。城壁の外はぐるりと焼きはらわれ、焼け出された人たちがつぎつぎと送られてくる。われわれはさぞまぬけに思われていることだろう。なぜなら大々的に救援活動をしていながら、少しも実が挙がらないからだ。
 
 外国人のなかにはこういうことをいう人もいる。中国人の抵抗はどうせただのポーズだ、面子を失わないよう、形ばかり戦うだけだろう、と。だが私はそうは思わない。南京防衛軍をひきいる唐が、無分別にも兵士はおろか一般市民も犠牲にするのではないかと不安でしかたがない。
 
 両替屋を開くことにした。小銭が足りなくなる。政府の役人に友人が二人いるので、助けてくれるだろう。
 
 われわれはみなおたがいに絶望しかけている。中国軍の司令部にはほとほと手を焼く。せっかく掲げた安全区の旗をまたもやぜんぶ持っていかれてしまった。安全区は縮小されることになったというのだ。大砲や堡塁のために予備の場所がいるからだという。どうするんだ?そうなったら、なにもかも水の泡になってしまうかもしれないじゃないか。日本にかぎつけられたらおしまいだ。おかまいなしに爆撃するだろう。そうなったら、安全区どころか場合によっては大変な危険区になってしまう。明日の朝早く、境界をもう一度調べてみなければ。こんな汚い手をつかわれるとは・・・・。予想もしていなかった。すでに十一月二十二日に、ここは国民政府から正式に認められているというのに。
一九三七年十二月八日夕方、中国の新聞のある報告より
 一週間前、すなわち一九三七年十二月一日、市長の馬氏は、南京安全区国際委員会に対して、安全区の管理責任を負うようにと要求した。
 苦力(クーリー:低賃金労働者)とトラック運転手若干名を除き、委員およびその関係者は、任務を自発的にかつ無償で果たしている。

 
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[1362]2ch中国板南京スレでの人口論争
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 指環 E-MAIL  - 05/10/8(土) 11:03 -

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   2ちゃんねるの中国板の南京スレで人口問題を中心にした論争をやっていました。↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/china/1120813426/

 人口論争は9月25日ごろから始まり、現在は終結しています。思考錯誤板のこのスレでの議論やゆうさんのサイトが大いに参考になりました。
 今回はハンドルをつけなかったのですが、どれが私の発言かはご想像にお任せします(^.^)。
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[1363]Re(3):南京の人口(ラーベ12/9)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/8(土) 11:40 -

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   十二月九日

 いまだに米を運ぶ作業が終らない。そのうえ、作業中のトラックが一台やられてしまった。苦力がひとり、片目をなくして病院へ運ばれた。委員会が面倒を見るだろう。残っていたアメリカ人たちといっしょに、ドイツ大使館のシャルフェンベルグ、ヒュルター、ローゼンら三人も船に乗っているが、もし状況が落ち着けば、今晩会議のために上陸するつもりでいる。
 
 さっきとは別のトラックで米を取りに行っていた連中がおいおい泣きながら戻ってきた。中華門が爆撃されたらしい。泣きながらいうところによると、はじめ歩哨はだめだといったが、結局通してくれた。ところが米を積んで戻ってみると、およそ四十人いた歩哨のうち、だれひとり生きてはいなかったという。
 
 午後二時、ベイツ、シュペアリング、ミルズ、龍、参謀本部の大佐、私、のメンバーで安全区の境界を見回る。唐将軍が文句をいってきたからだ。南西の境の丘から、炎と煙に包まれている町のまわり一帯が見える。作戦上火をつけたのだ。町じゅうが煙の帯に取り巻かれている。安全区の南西側に高射砲台がずらっと並んでいるのに気がついた。そのとき、日本の爆撃機が三機、姿をあらわし、約十メートル前の砲兵隊に猛烈に砲撃された。われわれはいっせいに地面に身を伏せた。そのままの姿勢で顔をあげると、高射砲の弾がはっきりみえた。残念ながらいつも外れていた。いや、幸運にもいつもそれた、というべきか。とにかく日本は同盟国なのだから。今にも爆弾が落ちてくるだろうと覚悟していたが、運よく無事だった。大佐は安全区を縮小しろといってきかないので、私は辞任するといって脅かし、唐将軍が約束を破ったために難民区が作れなかったとヒトラー総統に電報を打つといってやった。大佐と龍は考えこみ、家へ帰った。
 
 そうこうしている間に、思い切った手を打ってみようということになった。といっても私自身はあまり当てにしているわけではないのだが。つまり、もう一度唐将軍に接触して、防衛を諦めるよう説得しようというのだ。ところが、なんと唐は承知したのだ。そちらが蒋介石委員長の許可をとりつけるなら、といって。
 
 (そのためラーベはアメリカ人と中国人をそれぞれ二人つれてアメリカの砲艦パナイに赴いた。彼らは二通の電報を打った。一通は漢口の蒋介石に、もう一通は上海の日本の軍当局にあてたものである。
 
 アメリカ大使に仲介を頼んだ蒋介石あての電報で、ラーベは次のように記している。国際委員会は、安全区が設置された城壁内には攻撃をしかけないとの日本軍当局による確約を望んでいる。もしこれが得られれば、委員会は南京近郊のすべての軍隊に対して三日間の休戦を提案する。その間、日本軍は現地にとどまり、中国軍は城壁内から撤退する---これらの電報には署名がある「代表 ジョン・ラーベ」)
 
 燃えさかる下関を通り抜けての帰り道はなんともすさまじく、この世のものとも思われない。安全区に関する記者会見が終る直前、夜の七時にたどり着き、どうにか顔だけは出せた。そうこうしているうちに、日本軍は城門の前まで来ているとのことだ。あるいはその手前に。中華門から砲声と機関銃の射撃音が聞こえ、安全区じゅうに響いている。明かりが消され、暗闇のなかを負傷者が足を引きずるようにして歩いているのが見える。看護する人はいない。医者も看護士も衛生隊も、もうここにはいないのだ。鼓楼病院だけが、使命感に燃えるアメリカ人医師たちによってどうにか持ちこたえている。安全区の通りは大きな包みを背負った難民であふれかえっている。旧交通部(兵器局)は難民のために開放され、たちまちはちきれそうになった。われわれは部屋を二つ立ち入り禁止にした。兵器と爆弾を見つけたからだ。難民の中には脱走兵がいて、軍服と兵器を差し出した。
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[1365]Re(1):2ch中国板南京スレでの...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/8(土) 21:05 -

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   ▼指環さん:
> 人口論争は9月25日ごろから始まり、現在は終結しています。思考錯誤板のこのスレでの議論やゆうさんのサイトが大いに参考になりました。

27日に普段の4倍強という異様なアクセス数を記録していたので、あ、じゃ指輪さんの戦果かな、と思ったのですが、そのスレッドには思考錯誤へのリンクがありませんね、、、、。
皆さん、よそで戦闘中には思考錯誤へのリンクをお忘れなく(笑)

#ところで、渡辺さんかタラリさんが以前にスマイス調査を統計的に検証していたことがありましたよね?あれはどこの掲示板でしたっけ?問答と思考錯誤を検索したのですがでてこない。
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[1367]Re(3):南京の人口(ラーベ12/10)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/8(土) 22:31 -

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   十二月十日

 不穏な夜だった。きのうの夜八時から明け方の四時ごろまで、大砲、機関銃、小銃の音がやまなかった。昨日の朝早く、すんでのところで日本軍に占領されるところだったという話だ。日本軍は光華門まで迫っていたのだ。中国側はほとんど無防備だったという。交代するはずの部隊が現れなかったのに、中隊をいくつか残しただけで、予定通り持ち場を離れてしまったのだ。この瞬間に日本軍が現れた。あわやというところで交代部隊がたどりつき、かろうじて敵軍を撃退することができたという。今朝早くわかったのだが、日本軍は昨夜、給水施設のあたりから揚子江まで迫ってきていたらしい。遅くとも今夜南京は日本軍の手に落ちるだろう、だれもがそう思っている。
 
 金踊盤氏から力になりたいとの申し出があった。金氏は医者で、ドイツ語を話す。安全区の外にある八つの野戦病院の責任者だとのこと。そこには軽症者しか入っていないのだそうだ。「患者のけがの大半は狂言なのですよ。病院に入っているほうが安全ですからね」。重傷者を安全区に連れてきたいという。本来ならこれは協定違反だ。だが、日本軍はなにもいわないのではないかという希望的観測のもとに、金先生に鼓楼病院のトリマー氏を訪ねるように言った。彼は委員会の医学班のリーダーだ。先生は、中国人の医者をあと八十人ほど集められます、と請け負った。この人たちのことは全然しらなかった。
 
 医者の数は多ければ多いほどいいのだから、もしそれが本当で、ここに来てもらえるならこんなにありがたいことはない。ここ二日間で、千人もけが人が出ているのだから。
 マギー牧師は、ここに赤十字の欧州部を作ろうとしている。資金はあるのだが(黄上校から二万三千ドルうけとった)、いっこう進展しない。赤十字からの返事がないのだ。同意がないと、話を進めにくいらしい!残念だ!私ならさっさとやってしまうんだが。良いことをするのだから、ためらうことはないのに。同意なんか、あとからもらえばいいのだから。
 
 それはそうと、日本政府と蒋介石はなんといってくるのだろう。一同、固唾をのんで待っている。なにしろ、この町の運命と二十万の人の命がかかっているのだ。
 安全区の道路は、非難する人たちでごったがえしている。道路で寝ている人がまだ大ぜいいる。それから----軍人もだ。龍上校、周上校の両人と最終的に次のような取り決めをした。
一、唐司令長官は、安全区の南西の境界線を全面的に承認する。
二、龍上校は五台山の公営給食所がこれ以上兵隊たちにあらされないよう責任を持つ。
三、軍司令部の代表三名は、委員会の三人と共に安全区を視察し、見つけ次第兵士を追い出す。
  また、唐司令長官の代理として、この指示をその場で命令、実行させる権限をもつ。
 下関で兵士たちが我々の米を燃やそうとしている、と韓が知らせにきた。日本軍が身を隠せないようにしようというのだろう。それを聞いた龍はやめさせると約束した。私は軍事パスを受け取り、下関に通じるもんを通れるようにしてもらった。
 
 東部では、決戦の準備が始まったらしい。大型の大砲の音がする。同時に空襲も。
 このままでは、安全区も爆撃されてしまう。ということは、血の海になるということだ。道路は人であふれかえっているのだから。ああ、日本からの返事さえ、日本軍の承諾さえあれば!
 欧州の記者たちが報道規制されているのが、残念無念だ! 中国軍のやつら、あいつらの首をしめあげてやりたい。軍隊を立ち退かせるという約束はいったいどうなったんだ? いまだに果たされてないじゃないか!
 
 ああ、なんということだろう! たった今、漢口のジョンソン・アメリカ大使から連絡があった。大使は、蒋介石にあてた我々委員会の電報を転送しただけでなく、個人的にも同意し、支持した旨伝えてきた。だが、それとは別に極秘電報がきた。そこに、外交部で口頭で伝えられたという正式決定が記されていたのだ。それによると、三日間の停戦と中国軍の撤退に唐将軍が同意したというのは誤りだとのこと。しかも蒋介石は「そのような申し出には応じられない」といったという。しかし、われわれはぜったいに思い違いなどしていない。いまここでそれをもう一度確認した。龍と林は電報を打つときに居合わせたが、二人とも、たしかに唐将軍は同意したと口をそろえている。そう簡単にひきさがらないぞ! われわれは蒋介石にもう一度電報を打った。同時に私はドイツ大使トラウトマンにも電報を打って、支援を頼んだ。
 
 正午
 朝からひっきりなしの攻撃だ。窓ガラスがガタガタいいっぱなしだ。紫金山では家が燃えている。城壁の外の町も燃え続けている。安全区にいる人たちは安心しているのか、あまり爆撃機を気にしていない。
 日本のラジオが、南京は二十四時間以内に陥落するだろうと伝えている。中国軍はすでにいいかげん士気を阻喪している。南京一のホテル、首都飯店も軍隊に占領されてしまった。兵士はバーでよっぱらい、クラブの安楽椅子でくつろいでいる。ま、兵隊だってたまには楽しみたいのだ。
 今夜のうちに南京が陥落してもすこしも不思議ではない、というのが大方の意見だ。とはいっても、今のところはまだその気配はないが、おもてはひっそり静まり返っている。婦人や子どもをふくめ、たくさんの難民がまたもや通りで眠っている。
 
 深夜二時半
 服を着たまま横になる。夜中の二時半、機関銃の射撃とともにすさまざしい砲撃が始まった。榴弾が屋根の上をヒューヒューうなり始めたので、韓一家と使用人たちを防空壕へ行かせた。私はヘルメットをかぶった。南東の方角で大火事が起こった。火は何時間も燃え続け、あたりを赤あかと照らし出している。家中の窓ガラスがふるえ、数秒ごとに規則正しく打ち込んでくる砲弾の轟音で家がふるえる。五台山の高射砲砲兵隊は狙撃され、応戦している。わが家はこの射線上にあるのだ。南部と西部も砲撃されている。ものすごい騒音にもいくらか慣れて、ふたたび床についた、というより、うとうとした。こんなありさまでは眠ろうにも眠れるものではない。
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[1370]Re(3):南京の人口
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 熊猫 E-MAIL  - 05/10/8(土) 23:47 -

引用なし
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   李克痕の体験記である『地獄の南京からの脱出』は読まれたかと思います。これは、1938年漢口『大広報』に連載されたとの事ですので、南京陥落時の南京市民の人口認識として解釈して問題ないと思います。李克痕が住んでいたという板橋雨花台にある地名のことと判断して間違いないと思います。
『目撃者の南京事件』滝谷二郎(三交社)177pより
【引用開始】--------
 南京が陥落したとき、城内に四〇万人の人が住んでいました。難民区を設立してから、家賃が高くて住んでいた人は一五万人くらいですが、難民区外に住んでいた住民はほとんど敵に殺されました。
【引用終了】--------

匿名ではありますが『捕虜が見た日本軍の暴力』にも同様の南京の人口が記述されています。
『目撃者の南京事件』滝谷二郎(三交社)196pより
【引用開始】--------
統計によると住民は一〇〇万人いますが、戦争が始まってから残った人は四〇万人くらいで、ほかの人はみんなよそへ逃げさりました。難民区が成立してから家賃が高くて、入れる人が少なかったから、中華門、光華門、通済門に住んでいる庶民はみな日本軍に虐殺されました。
【引用終了】--------

これら二つの記述は、全く関連性がないところで書かれたにもかかわらず偶然にも、【40万人】と【難民区の家賃が高い】等の共通点があります。
難民区以外にも、同等或はそれ以上の住民が居たことを難民達が認識していたとする資料ではないかと思います。
勿論、この40万人という数字が正確に集計された数字であるとは思っていません。むしろ南京市民よりも周辺住民が南京へ避難した数のほうが多いのではないかと思っております。
当時の無錫が90万人、蘇州が30万人、常州・鎮江などの周辺都市の住民が避難するとしたら何処へ避難するだろうか?がポイントになると思います。「南京ではないかと思います。」10%程度の住民が南京に避難しただけで、40万人という数字は現実的なものになると思います。私は周辺地域の住民が、南京市民のように漢口や香港に避難したとは思っていません。中国軍の退却と前後して南京へ避難したと考えるのが、最も現実的な判断ではないかと思います。
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[1371]Re(3):南京の人口(ラーベ12/11)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/8(土) 23:51 -

引用なし
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   十二月十一日 八時
 
 水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。ときおり、いくらか静まる。次の攻撃にそなえているのだ。どうやらこれがうちの「ペーター」のお気に召したらしい。さっきから声を限りに合奏している。からす(ラーベ)よりカナリアのほうが神経が太いようだ!
 
 爆音をものともせず、道には人があふれている。この私より「安全区(セーフティ・ゾーン)」を信頼しているのだ。ここはとっくに「セーフ」でもなんでもないのだが。いまだに武装した兵士たちが居すわっているのだから。いくら追い出そうとしてもむだだった。これでは、安全区は非武装だと日本軍に知らせなくともできないじゃないか。

九時

 ついに安全区に榴弾が落ちた。福昌飯店(ヘンペル・ホテル)の前と後だ。十二人の死者とおよそ十二人の負傷者。このホテルを管理しているシュペアリングが、ガラスの破片で軽いけが。ホテルの前にとまっていた車が二台炎上。されにもう一発、榴弾(こんどは中学校)。死者十三人。軍隊が出て行かないという苦情があとをたたない。鼓楼病院の前に-----ということは安全区側だ-----砦が築かれることになった。だがこれを命じられた中国軍の将校は、通りの向こう側で作業するのを断ってきた。事態を丸く収めようと、私はマギー牧師と一緒にその将校に会いに行くことにした。山西路広場(バイエルン広場)を通りかかったとき、広場の真ん中で兵士たちが穴を掘って隠れているのをみつけた。角の家は軒並み兵士たちにこじ開けられている。目の前で次々とガラスや扉が壊されている。なぜそんなことをするのだろう? だれに聞いても、わからない、という!
 
 けが人がひっきりなしに中山路に運ばれて行く。砂袋、引き倒した木、有刺鉄線の柵でバリケードを作っているが、こんなもの、戦車がくればひとたまりもないだろう。鼓楼病院の前で例の将校に砦を築くように頼んだが、相手はおだやかな物腰ながら断固拒否した。病院から龍に電話で報告すると、さっそく唐将軍に問い合わせるとの返事。
 
十八時

 記者会見。出席者は、報道陣のほかは委員会のメンバーのみ。ほかの人はジャーディン社の船かアメリカの砲艦パナイ号で発ったのだ。
 
 スマイスがいうには、目下名ばかりわれわれの配下にある警察が、「こそ泥」を捕まえ、その処分について聞いてきたという。この件でちょっとばかり座がにぎわう。おそれ多くも裁判官までつとめることになろうとは・・・・・。私もそこまでは考えていなかった。われわれはまず、死刑を宣告し、恩赦により、と二十四時間の拘置にし、留置場の不足によりやむをえず、とふたたび自由の身にしてやった。
 
 午後八時、韓を呼び、家族をつれて寧海路五号の委員会本部に引っ越すようにいった。あそこの防空壕のほうが安全だ。しかもわが家は、いま日本軍から猛攻撃されている五台山のすぐそばなのだ。私もいずれ引っ越そうかと考えている。夜は猛攻撃を受けるだろう。それなのに韓はまだ家をでていこうとはしない。
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[1372]Re(4):南京の人口
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/9(日) 0:10 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>これら二つの記述は、全く関連性がないところで書かれたにもかかわらず偶然にも、【40万人】と【難民区の家賃が高い】等の共通点があります。
>難民区以外にも、同等或はそれ以上の住民が居たことを難民達が認識していたとする資料ではないかと思います。

ラーベの日記に出て来る数字には「20万人」という数字が王固盤を根拠に良く出てきます。しかしラーベ自身はやはり「数十万」という表現を多用しており、これにはラーベの認識十二月六日の日記「80万人が逃げた」と後日ヒトラーへの上申書に書かれた7月の人口の認識「135万」ということからしてやはりラーベも残留人口は40万〜50万と考えていたのではないでしょうか。
しかし、この根拠を推定するにはもう少ししかるべき資料が必要ですね(^^;

また【難民区の家賃が高い】に関してもラーベ日記十二月七日の記述からもそれを感じさせられます、なんといっても中心街ですしね高級地であることには変わりがない、十二月七日の時点でさえまだ難民区への移動がやっと始まったところです。

十二月七日から一部引用しておきます。
 そこらじゅうから、人々が家財道具や夜具をかかえて逃げこんでくる。といってもこの人たちですら、最下層の貧民ではない。いわば先発隊で、いくらか金があり、それと引き換えにここの友人知人にかくまってもらえるような人たちなのだ。
 
 これから文字通りの無一文の連中がやってくる。そういう人たちのために、学校や大学を開放しなければならない。みな共同宿舎で寝泊まりし、大きな公営給食所で食べ物をもらうことになるだろう。約束の食糧のうち、ここに運び入れることができたのはたった四分の一だ。なにしろ車がなかったので、いいように軍隊に挑発されてしまった。

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[1374]Re(1):2ch中国板南京スレでの...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/10/9(日) 9:39 -

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   ささやかながら、お役に立てて、大変嬉しいです。「新聞記事のソースはベイツ」なんてマイナー議論を、ネットで見かけるとは思いませんでした。アップしておいてよかった。

私が自分のページで対象にしたのは、具体的に活字になった、それなりに一応の「権威」がある「否定論」です。しかし、こんなところを覗いていると、そんな「否定論」にも及ばない、「素人の思いつき否定論」が多数あることに気がつきます。

「30万人分の死体が発見されない」「日本には「虐殺」の文化がない」という類いですね。

そのうち機会を見て、「南京事件 ネットの中のさまざまな「浮説」」なるコンテンツを作っておこうか、とも思っています。


ところで、最後に「毒ガス」議論が出てきたようです。

「中国軍の毒ガス利用」については、あそこで挙げられていた中村粲氏の論稿が、論壇で見られるほとんど唯一のもの。ただしその内容は、信夫淳平氏の『戦時国際法講義』の丸写しです。

信夫氏は、当時の日本側報道を何点か紹介して、「中国軍の毒ガス利用は国際法違反か否か」を論じています。ただまあ、その「日本側報道」、ソースは全部「軍の発表」なので、信憑性のほどは明らかではありません。信夫氏自身も、これが事実であるならば、と但し書きをつけるなど、慎重です。

ちなみに、昭和13年12月11日、中支那派遣軍・河辺正三さん参謀長から山脇正隆陸軍次官に送付された『武漢攻略戦に於ける化学戦実施報告』には、次のような記述が見られます。
http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/bukankouryakusen.html

>支那軍の化学戦は未だ研究の時期にして整備竝に実行の時期は尚将来にあり

>支那軍は事変開始以降極めて局部的に一時瓦斯を使用せることあり


軍の判断ですらも、中国軍の毒ガス使用は「局部的に一時」なものであることがわかります。

ちなみにこの文書によれば、日本軍の武漢攻略戦における「毒ガス使用」は、「実施総回数は375回を下ら」ないものであった、とのことです。
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[1375]Re(2):2ch中国板南京スレでの...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/9(日) 10:41 -

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   ▼ゆうさん:
>>支那軍の化学戦は未だ研究の時期にして整備竝に実行の時期は尚将来にあり
>>支那軍は事変開始以降極めて局部的に一時瓦斯を使用せることあり
>軍の判断ですらも、中国軍の毒ガス使用は「局部的に一時」なものであることがわかります。
>ちなみにこの文書によれば、日本軍の武漢攻略戦における「毒ガス使用」は、「実施総回数は375回を下ら」ないものであった、とのことです。

これはやはり熊猫さんの言うとおりそう言う人には三笠宮さまに叱ってもらいましょう。(^○^)
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=1364;;id=sikousakugo#1364
日本軍は自分の非行は棚に上げて、無闇ヤタラと重慶側の不当のみを攻撃する傾向がある。例えば頃来、重慶軍が赤筒(ガス弾)を使用したと、その非道を大わらわに宜伝している。果して日本軍はこれまで漢口その他の戦線において、赤筒は使用しなかつたのか。自分は頬被りをして相手だけを暴くのは、あたかも鏡なしで化粧するようなもので、両者の疎隔を助長するには役立つが、双方を接近諒解に導くことは難かしい。余は結婚後二年にして始めて知つたことは、夫が自らの言動を律することなく、たゞ妻のみを責めても駄目だということである。夫たるものは妻に文句をいう前にまず自分に間違いがないかどうかをよく反省して後、妻に対することである。

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[1376]Re(3):南京の人口(ラーベ12/12)
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/9(日) 21:19 -

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   十二月十二日

 日本軍はすんなり占領したのではないかという私の予想はみごとにはずれた。黄色い腕章をつけた中国人軍隊がまだがんばっている。ライフル銃。ピストル。手榴弾。完全装備だ。警官も、規則を破ってライフル銃をもっている。軍も警察も、もはや唐将軍の命令に従わなくなってしまったらしい。これでは安全区から軍隊を追い出すなど、とうていむりだ。朝の八時に、再び砲撃が始まった。
 
 十一時に唐将軍の代理だといって龍上校と周上校がやってきた。三日間の休戦協定を結びたい、ついてはその最後の試みをしてもらえないかという。
 
 休戦協定の内容は------この三日間で、中国軍は撤退し、日本軍に町を明け渡す。われわれは、まずアメリカ大使館あての電報、つぎに調停を依頼する唐将軍の手紙(大使に電報を打つ前に、唐がこれをわれわれに出さなければならない)、最後に軍使に関するとりきめを、まとめあげた。軍使は、白旗に守られて、前線にいる日本軍の最高司令官にこの手紙を渡さなくてはならない。
 
 シュペアリングが、軍使をつとめようと申し出た。龍と周が問う将軍の手紙をもって戻ってくるのを、昼間の間じゅういまかいまかと待っていた。夕方六時ちかくになってようやく羅が姿を見せた。龍は言った。「残念ながら、せっかくの努力が水の泡でした。すでに日本軍は城門の前まで攻めてきているため、時すでに遅し、とのことです」
 
 だが私はショックを受けなかった。こうなったのを悲しいという気持ちさえわかない。はじめから気にくわなかったからだ。唐の魂胆はわかっている。蒋介石の許可を得ずに休戦協定を結ぼうというのだ。だから日本軍あての公式書状で、「降伏」という言葉を使われては具合が悪いのだろう。なにがなんでも、休戦願いはわれわれ国際委員会の一存だと見せかけなければならないというわけだ。要するに、われわれの陰に隠れたかったんだ。蒋介石や外交部がこわいからな。だから国際委員会、ないしはその代表であるこの私、ラーベに全責任をおしつけようとしたんだ。汚いぞ!
 
 十八時半
 
 紫金山の大砲はひっきりなしに轟いている。あたりいちめん、閃光と轟音。突然、山がすっぽり炎につつまれた。どこだかわからないが、家や火薬庫が火事になったのだ。紫金山の燃える日、それは南京最後の日。昔からそういうではないか。南部から逃げてくる人たちが、安全区を通って家へ急ぐのが見える。その後から中国軍部隊がぞろぞろつづいている。日本軍に追われているといっているが、そんなはずはない。いちばんうしろの連中がぶらぶらのんびり歩いているのをみればわかる。
 
 この部隊は中華門、あるいは光華門で手ひどくやられ、パニック状態で逃げてきたことがわかった。しだいに落ち着き、最初は気が狂ったように逃げていたのが、いつしかのんびりとした行進にかわっていた。それはともかくとして、日本軍がもう城門の前まで攻めてきていること、したがって最終戦が目前に迫っていることは、もはや疑いようがない。
 
 韓といっしょに家に帰った。爆撃された場合を考えて準備万端整える。必需品の洗面用具が入った小型かばんと、インシュリンや包帯セットなどをつめた大事な薬箱を新しいほうの防空壕に運ばせよう。古いのよりはいくぶん安全だろう。家屋敷を見捨てざるをえない場合に備え、毛皮のコートの中にも非常用の薬と注射器を詰めこむ。
 
 ちょっとの間、私はしみじみした気持ちになった。なにかほかにまだ持っていけるものは?もう一度、部屋の中を歩き回って、見慣れた品々を見つめた。まるでこのがらくたにもきちんと別れを告げなければならない、とでもいうように。幼い孫の写真が数枚あった。これも持っていこう! さあ、これで準備は終った。こんなときに笑うなどどうかと思うが、つい笑ってしまう。ハハ、やけくそだ!
 
 夜の八時少し前、龍と周がやってきた(林はすでに逃げてしまった)。ここに非難させてもらえないかといってきたので、私は承知した。韓と一緒に本部から家に帰るまえに、この二人は、本部の金庫に三万ドルを預けていた。
 
 二十時
 
 南の空が真っ赤だ。庭の防空壕は、避難してきた人たちでふたつともあふれそうになっている。ふたつある門の両方でノックの音がする。なかにいれてもらおうと、女の人や子どもたちがひしめいている。ドイツ人学校の裏の塀を乗り越えてがむしゃらに逃げ込んできた男たちもいる。
 
 これいじょう聞いていられなくなって、私は門をふたつとも開けた、防空壕はすでにいっぱいなので、建物の間や家の陰に分散させた。ほとんどの人はふとんを持ってきている。庭に広げてある大きなドイツ国旗の下で寝ようというちゃっかりした連中もいる。ここが、一番安全だと思っているのだ。
 
 榴弾がうなる。爆弾はますます密に間近に降ってくる。南の方角は一面火の海だ。轟音がやまない。私は鉄のヘルメットをかぶった。忠実な韓のちぢれ毛の頭にものせてやった。二人とも防空壕に入らないからだ。入ろうとしてもどっちみち場所はないが。番犬のように庭を見回り、こちらで叱りつけ、あちらでなだめる。しまいにはみあ言うことをきくようになった。
 
 十二時ちょっとまえ、門のところでドシンというすごい音がした。行ってみると友人のクリスティアン・クレーガーだった。
「なんだ、クリシャンじゃないか! いったいどうしたんだ」
「いや、ちょっと様子を見にきただけですよ」

 クリスティアンの話だと、メインストリートには、軍服や手榴弾、そのほかありとあらゆる兵隊の持ち物がばらまかれているという。中国軍が逃走中に投げ捨てたものだ。
「中で、まだ十分使えるバスを二十メキシコドル*で買わないかと、言ってきた男がいたんですよ。どうしよう、買いますかね?」
「うーん、どうかなあ」
「ま、とにかくその男に、明日また本部にくるように言っておきましたよ」
*中国には銀貨があった。もともと両(テール)だったが、のちにメキシコで鋳造された。それがこのメキシコドル。

 真夜中になってようやくいくらか静かになった。私はベッドに横たわった。北部では、交通部のりっぱな建物が燃えている。
 
 ふしぶしが痛い。四十八時間というもの、寝る間もなかったのだ。うちの難民たちも床につく。事務所には三十人、石炭庫に三人、使用人用の便所に女の人と子どもが八人、残りの百人以上が防空壕か外、つまり庭や敷石の上や中庭で寝ている!
 
 夜の九時に龍が内密で教えてくれたところによると、唐将軍の命により、中国軍は今夜九時から十時の間に撤退することになっているという。後から聞いたのだが、唐将軍は八時には自分の部隊を置いて船で浦口に逃げたという。
 
 それから、龍はいった。「私と周の二人が負傷者の面倒をみるために残されました。ぜひ力を貸していただきたいんです」本部の金庫に預けた三万ドルは、このための資金だという。私はこれをありがたく受け取り、協力を約束した。いまだに何の手当ても受けていない人たちの悲惨な状態といったら、とうてい言葉ではいいあらわせるものではない。
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