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[1019]南京の人口 秋時雨 05/8/30(火) 23:22
[1020]Re(1):南京の人口 とほほ 05/8/30(火) 23:30
[1022]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/8/31(水) 0:05
[1025]Re(3):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 0:26
[1026]Re(4):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 1:01
[1029]Re(5):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 14:01
[1030]Re(3):南京の人口 タラリ 05/8/31(水) 20:58
[1209]Re(4):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:36
[1199]Re(3):南京の人口 とほほ 05/9/17(土) 19:43
[1205]Re(4):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 1:53
[1206]Re(5):南京の人口 とほほ 05/9/18(日) 1:57
[1023]Re(2):南京の人口 とほほ 05/8/31(水) 0:06
[1024]Re(3):南京の人口 秋時雨 05/8/31(水) 0:26
[1027]Re(4):南京の人口 20万の根拠は? たんこなす 05/8/31(水) 9:23
[1071]Re(1):南京の人口 熊猫 05/9/3(土) 23:23
[1208]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:20
[1210]Re(2):南京の人口 秋時雨 05/9/18(日) 2:41
[1235]Re(3):南京の人口 秋時雨 05/9/23(金) 1:28
[1370]Re(3):南京の人口 熊猫 05/10/8(土) 23:47
[1372]Re(4):南京の人口 とほほ 05/10/9(日) 0:10
[1207]Re(1):南京の人口(Re(11):逆転極東裁判よりスレッド移転) とほほ 05/9/18(日) 2:10
[1211]Re(2):南京の人口(ラーベ1937/09/21) とほほ 05/9/18(日) 2:58
[1212]Re(2):南京の人口 とほほ 05/9/18(日) 5:19
[1213]Re(2):南京の人口(ラーベの日記九月分総括) とほほ 05/9/18(日) 12:08
[1214]Re(3):南京の人口(ラーベ10/6) とほほ 05/9/18(日) 12:15
[1215]Re(3):南京の人口(ラーベ10/13) とほほ 05/9/18(日) 12:28
[1216]Re(3):南京の人口(ラーベ10/17) とほほ 05/9/18(日) 20:35
[1217]Re(2):南京の人口(ラーベ・10月分総括) とほほ 05/9/18(日) 23:16
[1220]南京の人口(ラーベ・11/12) とほほ 05/9/19(月) 23:19
[1221]南京の人口(ラーベ11/15) とほほ 05/9/19(月) 23:31
[1229]南京の人口(ラーベ11/16) とほほ 05/9/21(水) 23:46
[1230]南京の人口(ラーベ11/17) とほほ 05/9/22(木) 0:08
[1237]南京の人口(ラーベ11/18) とほほ 05/9/23(金) 16:41
[1238]南京の人口(ラーベ11/19) とほほ 05/9/23(金) 21:02
[3600]Re(1):ラーベとローゼン ピッポ 06/11/19(日) 9:55
[3601]Re(2):ラーベとローゼン:ああ講談社訳 渡辺 06/11/19(日) 12:45
[3606]Re(3):ラーベとローゼン:ああ講談社訳 ピッポ 06/11/21(火) 12:25
[3607]Re(1):南京の人口(ラーベ11/19) 訂正 ピッポ 06/11/21(火) 15:32
[3609]Re(2):南京の人口(ラーベ11/19) 訂正 とほほ 06/11/22(水) 13:36
[1239]南京の人口(ラーベ11/20) とほほ 05/9/23(金) 21:06
[1263]南京の人口(ラーベ11/28) とほほ 05/9/25(日) 14:11
[3608]Re(1):南京の人口(ラーベ11/28)中国語版脚注 ピッポ 06/11/21(火) 20:33
[1265]南京の人口(ラーベ11/29) とほほ 05/9/25(日) 19:13
[1342]南京の人口(ラーベ11/30) とほほ 05/10/4(火) 9:05
[1222]南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) とほほ 05/9/20(火) 1:05
[1223]Re(1):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) 秋時雨 05/9/20(火) 1:17
[1224]Re(2):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) とほほ 05/9/20(火) 1:25
[1243]Re(3):南京の人口(ラーベ日記検証・閑話休題) 秋時雨 05/9/24(土) 3:44
[1226]Re(1):南京の人口(目撃者の南京事件) とほほ 05/9/21(水) 0:28
[1231]Re(2):目撃者の南京事件:問題点 渡辺 05/9/22(木) 0:14
[1232]Re(3):目撃者の南京事件:問題点 とほほ 05/9/22(木) 13:54
[1233]Re(4):目撃者の南京事件:問題点 ピッポ 05/9/22(木) 18:48
[1234]Re(5):目撃者の南京事件:問題点 渡辺 05/9/22(木) 23:23
[1236]Re(6):目撃者の南京事件:問題点 とほほ 05/9/23(金) 15:32
[1240]Re(7):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/23(金) 21:35
[1241]Re(8):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/23(金) 22:05
[1242]Re(9):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/24(土) 1:05
[1266]Re(10):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/25(日) 19:29
[1322]Re(11):『南京の真実』:ユダヤ偏見? 渡辺 05/9/30(金) 2:10
[1330]Re(12):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/30(金) 19:00
[1276]Re(8):『南京の真実』:ユダヤ偏見? とほほ 05/9/26(月) 11:50
[3603]ついでで申し訳ないのですが・・・・・ 熊猫 06/11/19(日) 22:40
[3583]Re(3):目撃者の南京事件:問題点 熊猫 06/11/12(日) 3:44
[1343]Re(2):南京の人口(ラーベ・11月分総括) とほほ 05/10/4(火) 10:27
[1346]Re(3):南京の人口(ラーベ12/1) とほほ 05/10/5(水) 19:49
[1347]Re(3):南京の人口(ラーベ12/4) とほほ 05/10/5(水) 20:08
[1348]Re(3):南京の人口(ラーベ12/5) とほほ 05/10/6(木) 9:36
[1349]Re(3):南京の人口(ラーベ12/6) とほほ 05/10/6(木) 11:10
[1354]Re(3):南京の人口(ラーベ12/7) とほほ 05/10/7(金) 9:10
[1361]Re(3):南京の人口(ラーベ12/8) とほほ 05/10/8(土) 9:07
[1363]Re(3):南京の人口(ラーベ12/9) とほほ 05/10/8(土) 11:40
[1367]Re(3):南京の人口(ラーベ12/10) とほほ 05/10/8(土) 22:31
[1371]Re(3):南京の人口(ラーベ12/11) とほほ 05/10/8(土) 23:51
[1376]Re(3):南京の人口(ラーベ12/12) とほほ 05/10/9(日) 21:19
[1379]Re(2):南京の人口(ラーベ日記検証・総括) とほほ 05/10/10(月) 3:17
[1387]李克痕は軍人ではありません。 熊猫 05/10/11(火) 3:15
[1396]Re(1):李克痕は軍人ではありません。 とほほ 05/10/13(木) 19:57
[1428]王固盤の気持ちになることです。 熊猫 05/10/14(金) 20:18
[1433]Re(1):王固盤の気持ちになることです。 とほほ 05/10/14(金) 22:35
[1854]Re(2):「南京の真実」のラーベ氏旧宅 中独共同で補修 とほほ 05/12/8(木) 19:20
[1287]地図範囲の確認を ピッポ 05/9/26(月) 22:27 [添付][添付]
[1362]2ch中国板南京スレでの人口論争 指環 05/10/8(土) 11:03
[1365]Re(1):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/8(土) 21:05
[1374]Re(1):2ch中国板南京スレでの人口論争 ゆう 05/10/9(日) 9:39
[1375]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/9(日) 10:41
[1383]Re(3):2ch中国板南京スレでの人口論争 レビア 05/10/10(月) 18:58
[1394]Re(4):2ch中国板南京スレでの人口論争 とほほ 05/10/13(木) 19:55
[1402]Re(5):2ch中国板南京スレでの人口論争 レビア 05/10/14(金) 1:44
[1404]Re(6):2ch中国板南京スレでの人口論争 ピッポ 05/10/14(金) 8:54
[1384]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 パルミーロ 05/10/10(月) 20:35
[1386]Re(2):2ch中国板南京スレでの人口論争 指環 05/10/11(火) 0:48
[1401]「毒ガス」再論   トピずれ、御免! ゆう 05/10/13(木) 20:45
[1432]Re(1):「毒ガス」再論   トピずれ、御免! とほほ 05/10/14(金) 21:56
[1504]Re(1):「毒ガス」再論   トピずれ、御免! ピッポ 05/10/19(水) 11:11
[1793]板倉由明に見せてやりたい資料! 熊猫 05/11/22(火) 22:33 [添付][添付]

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[1379]Re(2):南京の人口(ラーベ日記...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/10(月) 3:17 -

引用なし
パスワード
   さて、十二月分ではとりあえず、四日以降、南京陥落前日十二日の私の担当までを全文掲載しました。なぜなら、南京の人口に関して参考になる記述は一箇所しかない。それでも全文掲載したのは「ないこと」を説明するためには「あるもの」を全文掲載して確認していただく他にないからです(^^;

さてその一箇所はへげもんさんの指摘された一行の文章の含まれる箇所です。
すなわち十二月六日の日記にある箇所ですが、再掲しておきましょう。
これほどまでに言語道断な台詞(せりふ)があるだろうか。二の句がつげない! しかもこいつは蒋介石委員長側近高官ときている! ここに残った人は、家族をつれて逃げたくても金がなかったのだ。おまえら軍人が犯した過ちを、こういう気の毒な人民の命で償わせようというのか! なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃がしたんだ? 首になわをつけても残せばよかったじゃないか? どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ?
この箇所は[#1222]でも論証したように、この数字はラーベが公言したものでも誰かに報告したものでもなく【「最後の一人まで戦え」と言う国民党軍の将校への怒りを日記に書き記した部分です。】

従ってそれほど信憑性の置ける数字ではない、と考えます。すくなくとも『南京の真実』からだけではこの数字の根拠はほとんどつかめません。が、ありがたいことに今回の検証中、熊猫さんが紹介してくれた『目撃者の南京事件』のなかである二人の証言に南京の残留人口が約40万人であるという記述を発見する事ができました。熊猫さんによると
[#1370]
これら二つの記述は、全く関連性がないところで書かれたにもかかわらず偶然にも、【40万人】と【難民区の家賃が高い】等の共通点があります。
難民区以外にも、同等或はそれ以上の住民が居たことを難民達が認識していたとする資料ではないかと思います。
勿論、この40万人という数字が正確に集計された数字であるとは思っていません。むしろ南京市民よりも周辺住民が南京へ避難した数のほうが多いのではないかと思っております。
という事で、私もこの見解にはまったく同意します。しかし付け加えさえていただければ、この二人の証言者はともに防衛軍軍人であるということです。ですから、まったくの偶然、というよりは防衛軍内の認識として【残留人口40万人】というものがあったのかもしれない、と考えたほうが無難ですが、だとするとこの40万人という数字には南京への流入人口を含まない可能性が高いです。

この数字は元々南京に住んでいた民衆の人口であり、攻略戦に伴い攻略戦途上の民衆の避難場所であるはずの南京への流入人口、清野作戦等による流入人口、つまりもともと南京の住民ではない『難民』の数を含んでいないように思えます。しかもこの中国人被害者の証言によれば、安全区外の住民は陥落後数日内でほとんど殲滅されています。

私のいう雲を掴むような話である、とはこのこともそうですし、百人斬りで象徴されるような、攻略戦途上における虐殺数などは掴みようがないのです。【虐殺数三十万人】と言う数字が決して荒唐無稽な数字ではない事をご納得いただけましたでしょうか?

以下の私の各月の日記検証における総括を再度確認の上私の検証に明らかな誤りが有ればご指摘ください。

また、へげもんさんの十二月十三日以降の検証にも期待したいと思いますしまた、最初に申し上げましたとおり、南京事件の資料はなにもラーベ日記だけではありませんので他資料と照合した上でより一層の検証が必要である事は言うまでもありませんので、K-Kさんが南京の人口に関する資料もまとめてありますのであわせてご検討のうえ反論・批判等を賜りたく存じます。

9月分総括及び10月分日記一覧
10月分総括及び11月分日記一覧
11月分総括及び12月分日記一覧

南京事件資料集(K-K氏)内、南京の人口
78 hits

[1383]Re(3):2ch中国板南京スレでの...
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 レビア E-MAIL  - 05/10/10(月) 18:58 -

引用なし
パスワード
    初めまして。
 私も初心者ながら、色々な史料を見るにつれ「南京大虐殺がなかったとはとても言えない」と思っている者です。
 指輪さんと同じく、私も某匿名掲示板で「なかった」派とやりとりをして、その際に幾度かゆうさん、とほほさんたちのサイトを引用させていただいています。
 ……議論と呼べるほど上等なものではないので、あえて「やりとり」と言っております。

 私が主にやりとりしているのは極東板のスレですが、そちらでは
「中国の公式被害者数は30万、ということはその数字が崩れたら大虐殺という名称は使うべきではない」
 というめちゃくちゃな人が湧いて出ています。

 向こうは、自分が言った(書いた)ことさえねじ曲げますし、資料は引用しませんし、正直言ってまともに相手をするのは非常に疲れます。
 けれども、「嘘も百回つけば真実になる」という通り、もし何も知らない人が彼らの主張だけを見たら、だまされてしまうかもしれません。
 それに対抗するには、資料をしっかり踏まえた上で、辛抱強く話を繰り返してゆくしかありません。
 そのためにも、今後も色々と皆様が上げておられる資料を引用させていただくことになるかと思います。
 大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。


 
53 hits

[1384]Re(2):2ch中国板南京スレでの...
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 パルミーロ  - 05/10/10(月) 20:35 -

引用なし
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   こんにちは、ゆうさん、百人斬り裁判勝訴のころから時折参加しています。パルミーロです。
▼ゆうさん:
「素人の思いつき否定論」が多数あることに気がつきます。
>
>「30万人分の死体が発見されない
 
私は常々おもっていたのですが、この手合いの主張をする輩にかぎって、スターリンによる粛正犠牲者2000万人には疑義を持たないんですね。このような主張をすることも可能です。「粛正犠牲者2000万人の死体はどこにあるんだ?」。粛正犠牲者2000万も、ホロコースト犠牲者600万も、カンボジア大虐殺200万も、広島原爆死者7万(即死者)も、死体を数えて計算したわけではないのです。北朝鮮や中国での弾圧犠牲者の数を、彼らはどうやって確認するつもりでしょうか?正確な数は、政権が崩壊しなければわからない。しかも、その数は、死体を数えることで分かるのではない。政府資料その他によってです。
 
 以前NHKで放送された「アウシュビッツ」で、トレブリンカ絶滅収容所(なぜトレブリンカは「絶滅」収容所なのか、ここは、面積数百メートル四方の狭い収容所でした。強制労働が目的ではなく、到着後99%の囚人が2時間以内に殺害されたからです)での虐殺犠牲者の数が一桁までわかったということが放送されましたが、その数も「死体を数えた」のではなく、連合軍が傍受したドイツの電文の内容から計算したわけです。
 
 かの「ユダヤ人問題」担当官にしてSS中佐アドルフ・アイヒマンは、裁判での陳述の中で、「百人の死は悲劇だが、百万人の死は、統計にすぎない」と述べました。この言葉は、皮肉さだけでなく、官僚としてのアイヒマンを、自ら表現しています。彼のような人物によって冷徹に作成された統計資料こそ、歴史の真実を語るものと言えるでしょう。
53 hits

[1386]Re(2):2ch中国板南京スレでの...
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 指環 E-MAIL  - 05/10/11(火) 0:48 -

引用なし
パスワード
   ▼ゆうさん:
>ところで、最後に「毒ガス」議論が出てきたようです。
>
>「中国軍の毒ガス利用」については、あそこで挙げられていた中村粲氏の論稿が、論壇で見られるほとんど唯一のもの。ただしその内容は、信夫淳平氏の『戦時国際法講義』の丸写しです。
>
>信夫氏は、当時の日本側報道を何点か紹介して、「中国軍の毒ガス利用は国際法違反か否か」を論じています。ただまあ、その「日本側報道」、ソースは全部「軍の発表」なので、信憑性のほどは明らかではありません。信夫氏自身も、これが事実であるならば、と但し書きをつけるなど、慎重です。
>
>ちなみに、昭和13年12月11日、中支那派遣軍・河辺正三さん参謀長から山脇正隆陸軍次官に送付された『武漢攻略戦に於ける化学戦実施報告』には、次のような記述が見られます。
>http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/bukankouryakusen.html
>
>>支那軍の化学戦は未だ研究の時期にして整備竝に実行の時期は尚将来にあり
>
>>支那軍は事変開始以降極めて局部的に一時瓦斯を使用せることあり
>
>
>軍の判断ですらも、中国軍の毒ガス使用は「局部的に一時」なものであることがわかります。
>
>ちなみにこの文書によれば、日本軍の武漢攻略戦における「毒ガス使用」は、「実施総回数は375回を下ら」ないものであった、とのことです。

 なるほど。何となく胡散臭い話だとは思ったのですが、そこまでは調べられませんでした(^^;

 なお、その掲示板には肯定派が私以外にたぶん4〜5人はいて頑張っている模様です。(私は今は休んでます。またそのうち気が向いたらどこかで信者さん相手に遊ぶかも知れません。)
54 hits

[1387]李克痕は軍人ではありません。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/10/11(火) 3:15 -

引用なし
パスワード
   >この二人の証言者はともに防衛軍軍人であるということです。
チッチッ・・・・・・李克痕は文化機関で働いておりましたので軍人ではありません。

1938年6月に『大広報』に連載された体験記と、同年3月に出版された『敵軍暴行記』の記述が偶然に一致しているのです。当時は南京の人口論争なんかありませんでしたので、作意のない数字ではないかと思います。

ラーベ自身が安全区以外の状況を全く把握できていなかったことは、1月17日の日記を読めば解ることです。
79 hits

[1394]Re(4):2ch中国板南京スレでの...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/13(木) 19:55 -

引用なし
パスワード
   ようこそ思考錯誤へ(^.^)

▼レビアさん:
> けれども、「嘘も百回つけば真実になる」という通り、もし何も知らない人が彼らの主張だけを見たら、だまされてしまうかもしれません。

だまされると言うより、そう言う言説が通用するようになるんですね。恥ずかしくなくなるでしょうね。

「もう一度言っておけば良かった」と後悔しないうちに何度でも言わねばならないのでしょうね

> それに対抗するには、資料をしっかり踏まえた上で、辛抱強く話を繰り返してゆくしかありません。

デタラメ議論にうかつに乗らずに事実を淡々と、提示していくことが私などは効果的だと思いますが、口げんかの好きな私はすぐに乗ってしまいます(^^;、、、(笑)

> そのためにも、今後も色々と皆様が上げておられる資料を引用させていただくことになるかと思います。

ここの常連投稿者さんたちは、皆さんそのつもりで思考錯誤に投稿するのだと思います。レビアさんの議論も是非備忘録代わりにでも思考錯誤に投稿してもらえませんでしょうか、きっと誰かの役に立つと思います、今後ともよろしくお願いしますm(__)m

因みに典型的田中正明流否定論人口議論なら
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/3/dzsqrf/index.html
このスレッドが参考になると思います。
60 hits

[1396]Re(1):李克痕は軍人ではありま...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/13(木) 19:57 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>>この二人の証言者はともに防衛軍軍人であるということです。
>チッチッ・・・・・・李克痕は文化機関で働いておりましたので軍人ではありません。

でした(^^ゞ、、、(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
どちらにしても公的機関の人たちですね、そうした方面での情報には一般人よりも気を配っていた方々だと思います。

>1938年6月に『大広報』に連載された体験記と、同年3月に出版された『敵軍暴行記』の記述が偶然に一致しているのです。当時は南京の人口論争なんかありませんでしたので、作意のない数字ではないかと思います。

おそらく、そう言う認識があったのは確かでしょう、解せないのは王固盤の20万人と言う認識ですよね、文化庁、軍、で認識されていた数字と警察の認識の違いはどの変からきているのでしょうかね?

>ラーベ自身が安全区以外の状況を全く把握できていなかったことは、1月17日の日記を読めば解ることです。

は、ラーベはあくまで安全区の状況と区外の状況を目視的な印象から推察しているでしょうね。どちらにせよこの時期の推定値はいずれもあてにならないと思います。もう少し数字の根拠のつかめる証言が残っていると良いのですがね。
76 hits

[1401]「毒ガス」再論   トピずれ...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/10/13(木) 20:45 -

引用なし
パスワード
   2ちゃんねるで、「毒ガス」に反論レスがついていたようです。

全文引用の上、全ての文章にレスをつけてやろうかと思いましたが、「2ちゃんねる」相手にそこまでするのは行き過ぎというもの。こちらでは、「一般論」を展開しながら、「反論」にも答える、という形をとりたいと思います。

今更で恐縮ですが、今のところ、私も「勉強途中」ではありますので、思わぬところで間違ったことを書いていないとも限りません。また前回投稿は、資料のないところで書いたものですから、改めて資料を確認したところ、不正確な記述を行っている部分もありました。そのうちコンテンツに「完成版」をまとめますので、どうぞ、ご容赦ください。


1.日本軍は致死性の「きい」(イペリット)を使用したか

「支那事変に於ける化学戦例証集」という、有名な資料があります。これは、1942年11月、「毒ガス戦」教育の拠点となった「陸軍習志野学校」が製作したもので、内容を見ると、おそらくは「教育用資料」として使われたものでしょう。


ここには、少なくとも8つの「きい」使用例が紹介されています。


題名だけを挙げますと、

二〇 きい剤を以て敵陣内の要点を毒化し敵に甚大なる損害を与へたる例

二一 きい剤を以て共産軍の根拠地を毒化し殲滅的打撃を与へたる例

二二 きい弾、あか弾及あか筒を巧に併用して小部隊を以て敵陣地の中央を突破したる例

二三 きい剤の凍結のため戦機を逸したる例

三八 きい剤の応用爆撒に依り陣地前の要点を封鎖して効果大なりし例

三九 きい弾射撃に依り遮蔽陣地に在りて猛威を逞ふしつつありし敵砲兵を沈黙せしめたる例

四〇 きい弾及あか弾を稍々大規模に使用し優勢なる敵の包囲攻撃を頓挫せしめたる例

四四 きい剤を以て敵進路上の要点を封鎖して部隊の撤退を容易ならしめたる例


「きいガス」、戦場では大活躍です。このうちいくつかを、こちらに書き写しておきました。

http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/reishoushuu.html

元の本は、字は細かいし、コピーにコピーを重ねて判読不能の文字がやたらと多いし、で、さすがに全部を書き写す根気はありませんでした。「きい」については、上の8つのうち6つを、辛うじて書き写してあります。


なお、日本政府は、「あか」の使用までは公式に認めています。しかし、「きい」については、「資料が断片的で確認できない」という理由で、今のところ公式には使用を認めることを避けているようです。しかし、これだけの資料が存在するのでは、致死性の「きい」の使用を否定することは、困難であると思われます。なお、右派の論文は、たいていこの資料をスルーして、正面からのコメントは控えているようです。


さらに、「イペリット」(きい)の使用については、他に、『歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛清作戦戦闘詳報」』というものがあります。これは、2004年5月に防衛庁により公開されたものです。

主要部分は、『季刊戦争責任研究』2004年秋号所収の吉見義明氏の同名論稿で見ることができます。また、「戦闘詳報」には「きい」の字は登場しませんが、氏がこれを「きい」であると断定した根拠については、『日本軍と毒ガス戦』P113あたりに記載されています。


2.「あか」(嘔吐性ガス)は、1925年ジュネーブ議定書で使用が禁止された化学兵器には含まれないのか


この条文自体は、「締結国は窒息性、毒性又は類似の瓦斯及一切の類似の液体、物体又は方法を相互条件の下に戦争に使用せざることを約す」という、曖昧なものです。ここから、多様な「解釈」が生まれていることは、事実です。

例えば、「含まれない」説として、「毒ガス」問題について右派的見解をとっている永江太郎氏の主張を紹介します。(『日本軍の化学兵器の研究開発と支那事変初期の運用に関する軍事的考察』=金沢工業大学『日本学研究』2004年6月号所収)

>「毒ガス」の用語が、致死性の「有毒ガス」に限定して使用されていることは、毒ガス禁止の国際会議の経緯、即ち、あらゆる化学兵器の禁止を主張する米国が「有毒性と無毒性を問わず」全てのガスの使用を禁止することを強く主張したのに対し、その他の国々は暴動鎮圧に対する催涙ガスの使用までも禁止するのはおかしいと反対した。英仏二カ国語を原文とするジュネーブ条約の英文が「窒息性、毒性またはその他のガス」となっており、仏文では「窒息性、毒性または類似のガス」となっていること等を見れば明らかである。


吉見義明氏の見解は、これと真っ向から衝突します。『毒ガス戦と日本軍』の「はじめに」より。

>たとえば、一九二五年のジュネーブ議定書では「窒息性ガス、毒性ガス、又は其の他のガス、及びこれらと類似のすべての液体、物質又は考案を戦争に使用すること」が禁止されていたが、その中には、イペリット・ルイサイト・ホスゲン・青酸・塩素だけでなく、一般に「暴動鎮圧剤」とよばれている嘔吐性ガス・催涙ガスも含まれる。

>このうち、催涙ガスの使用が違法であるかどうかは議論が分かれるが、一九三二年のジュネーブ一般軍縮会議での多数意見は違法とするものであった。

「みどり」(催涙ガス)については議論が分かれるが、「あか」(嘔吐性ガス)については使用が禁止されていた、との見解です。


少なくとも1930年の時点では、日本政府は、「あか」(嘔吐性ガス)はもちろん、「みどり」(催涙ガス)まで、使用が違法である、との見解をとっていました。同じく『毒ガス戦と日本軍』P17からの引用です。

>一九三〇年一一月、イギリス代表は、一九二五年のジュネーブ議定書やこの軍縮条約案が禁止しているガスの中に催涙ガスが含まれるかどうか、各国の意見を質してきた。その返答は、陸海軍ともに、催涙ガスも禁止されたガスに含まれる、というものだった。

>陸海軍の回答のうち、小林セイ三海軍次官のそれは出色のものであった。彼は、催涙ガスは普通毒性をもたないものとみなされるが、「瓦斯其のものにより戦闘力を減殺するものなるを以て」議定書などにいうその他のガスに含まれると解釈すべきであり、禁止の趣旨を徹底するためには「一切の攻撃的瓦斯の使用を禁止するを必要とす」とのべていた。

>陸軍の意見を確認した上で、幣原外相は、一一月二二日、ジュネーブの佐藤尚武連盟事務局長にあてて「催涙毒瓦斯を含むものと解す」と打電した。日本政府は、満洲事変開始の直前には、催涙ガスの使用も違法であるという立場を対外的に明確に示したのである。


どう見ても、具体例を出している分だけ、吉見氏に説得力があります。なお、「2ちゃんねる」の書き込みは、「「あか」などは・・・・当時も、1925年のジュネーブ議定書で使用が禁止された化学兵器には含まれないというのが一般的な見解だった」というものでしたが、ここまで断定するのはちょっと無茶であると思われます。


しかし問題は、「テクニカルな法解釈論議」ではないでしょう。実際に、当時、「あか」の使用が国際的非難を受けるものであったかどうか、ということが、一番の問題です。

もし日本軍が、「あか」の使用を問題ないとみなし、国際世論の非難も受けないと考えていたのであれば、堂々と「使用」の事実を公表すればよい。しかしもちろん、そんなことはできませんでした。例えば、1938年4月11日付、「参謀総長載仁親王・北支那方面軍司令官伯爵・駐蒙兵団司令官蓮沼蕃」の連名の、「大陸指第百十号指示」という文書があります。

>一 左記範囲に於てあか筒軽迫撃砲用あか弾を使用することを得
(略)
>(3)使用法 勉めて煙に混用し厳に瓦斯使用の事実を秘匿し其痕跡を残ささる如く注意するを要す
(『毒ガス戦関係資料II』P253)

同様の注意は、他のいくつかの資料にも見られます。日本軍が、使用の事実が明るみになるのを怖れていたことが、わかります。


*念のためですが、主要国のうち日本とアメリカは、「ジュネーブ議定書」を批准しませんでした。ただし、だからといって、信夫博士に見られるような、「日本は批准していない。従って(形式的に)国際法違反ではないから使用しても構わない」という説は、いささか暴論でしょう。最終的に「使用に問題がないか」を判定するのは、「国際世論」であると思います。


3.中国軍は「毒ガス」を使用したか

先の投稿の通り、私は、「軍発表、及それをソースとする日本側報道」以外から、「中国軍の毒ガス使用」の事実を確認することはできませんでした。中村粲氏など、これに限らず、「日本側の発表」をそのまま鵜呑みにして断定文を書いてしまう傾向がありますので、その点、十分に注意した方がいいでしょう。

例えば、「毒ガスの被害を受けた」という日本軍兵士の証言でもあれば、信憑性が増してくると思うのですが、私の知る限りでは、そのような証言はありません。全部、防護に「成功」したことになっているようです。

一方、中国側には、「被害証言」がちゃんと存在します。中国の言うことなど信じられない、という向きには、アメリカ人ジャーナリストであったベルデンが、「宣昌附近における日本軍の毒ガス使用説について」で、「イペリットガス」の被害者を目の当たりにし、その被害者への詳細なインタビューを行っていることを付け加えておきます。(『日本軍と毒ガス戦』P141)

なお、たとえ中国軍が「毒ガス」を使用していたとしても、当時の日本軍の見解ですら、「極めて局部的に一時」使用したものに過ぎなかった、ということは、前回投稿で紹介したとおりです。
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[1402]Re(5):2ch中国板南京スレでの...
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 レビア E-MAIL  - 05/10/14(金) 1:44 -

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   ▼とほほさん:
>ようこそ思考錯誤へ(^.^)

 よろしくお願いします。

 自分が書きこんでいたのはこちらです。
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1121818336/l50
 昔から口げんかが得意な方ではなく、あまり上手なやりとりができないのが恥ずかしいのですが……。

 この板で主張されたものとして面白かったのは、
「中国は30万と定義している、だから30万でなければ南京大虐殺という言葉を使うのはおかしい」
 というものです。(該当スレの285、293です)

 人口に関する議論で、自分はこういうものは初めて見ました。
 ……あまりにもズレていて、どこからどうやって話をしたらいいか、途方にくれたものです。
 具体的な話を持ち出すとことごとく史料を出されて粉砕されるので、とうとうこういう詭弁を出すしかなくなったか、という印象を受けました。

 この人は歴史上の「定説」あるいは政府の「公式見解」が物理や数学の「定義」と同じものだと思いこんでいるようなので、まずそこから話をしていかねばならず、疲れます。
 ささやかなやりとりでさえこうなのですから、これまで戦ってこられたみなさまの苦労に、本当に頭が下がります。

 それにしても、自分の力で原資料にあたることのできない身としましては、みなさま方が提示してくださっている資料に非常に助けられています。
 それらを見ていなければ、彼らの主張に反論することもできなかったでしょう。
 事実を知ることほど強いものはないと、あらためて実感しました。

 これからも、書きこむほどの知識を得ることはできないかもしれませんが、みなさま方の議論を興味深く拝見し、参考にさせていただきます。
 よろしくお願いいたします。
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[1404]Re(6):2ch中国板南京スレでの...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/14(金) 8:54 -

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   ▼レビアさん:
> この板で主張されたものとして面白かったのは、
>「中国は30万と定義している、だから30万でなければ南京大虐殺という言葉を使うのはおかしい」
> というものです。(該当スレの285、293です)


> この人は歴史上の「定説」あるいは政府の「公式見解」が物理や数学の「定義」と同じものだと思いこんでいるようなので、まずそこから話をしていかねばならず、疲れます。

しかし、こうした議論を自ら行い、推奨している先生がいます。東中野修道氏です。
物事を勝手に自分で定義し、それを「ジサクジエン」的に否定する。

それは、「南京事件『証拠写真』を検証する」に満ち満ちています。
また、次の講演録は、否定論議論のテンプレートとしてよむと良く分かります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/12-2.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7154/13-2.html
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[1428]王固盤の気持ちになることです...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/10/14(金) 20:18 -

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   >解せないのは王固盤の20万人と言う認識ですよね、文化庁、軍、で認識されていた数字と警察の認識の違いはどの変からきているのでしょうかね?

機会があったら、投稿しようと思ってたのですが丁度いいネタ振りに感謝いたします。
『南京の真実』より--------
【11月28日】
警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。ここにとどまるのかと尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。「できるだけ長く」
つまり、ずらかるということだな!
【11月29日】
シュペアリングから電話。王固盤が辞任し、後任が指名されたとのこと。
スマイスは、「今度の警察庁長は、警察といっしょに逃げ出すようなことはないだろう」と言っている。
--------------------------
王固盤にとって、南京の市民は少なくないと都合が悪いのではないでしょうか。多くの南京の市民が逃げずに残留していたのでは、自分が逃げるわけにはいかないと思います。「できるだけ長く」と言ったのが28日だとしたら、翌日に辞任したことになります。28日でなくても信用できる相手ではないようですね。
ラーベはそんな王固盤の人間性を見抜いていたのでしょう。「王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。」にもかかわらず28日の日記の冒頭には、「何十万もの国民のために」と書いているところをみると、実際に話を聞いたラーベですら20万人を信用していなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。そして「つまり、ずらかるということだな!」と、見事に予言は的中しています。

たまたま、安全区の人口が20万人だったということで、王固盤の20万人の話が混同されているのではないでしょうか。
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[1432]Re(1):「毒ガス」再論   ト...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/14(金) 21:56 -

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   ▼ゆうさん:
>もし日本軍が、「あか」の使用を問題ないとみなし、国際世論の非難も受けないと考えていたのであれば、堂々と「使用」の事実を公表すればよい。しかしもちろん、そんなことはできませんでした。例えば、1938年4月11日付、「参謀総長載仁親王・北支那方面軍司令官伯爵・駐蒙兵団司令官蓮沼蕃」の連名の、「大陸指第百十号指示」という文書があります。
>
>>一 左記範囲に於てあか筒軽迫撃砲用あか弾を使用することを得
>(略)
>>(3)使用法 勉めて煙に混用し厳に瓦斯使用の事実を秘匿し其痕跡を残ささる如く注意するを要す
>(『毒ガス戦関係資料II』P253)

こういう資料は、最近は見かけなくなった「毒ガス戦写真攻撃否定論」で「あの写真に写っているのはただの煙幕である説」(小林ヨシノリもそういっていた(^^; )を論破してますね。

因みに5年前のクマさんの投稿から引用します。
・森松俊夫監修・原剛解説 『「大本営陸軍部」大陸命・大陸指総集成』第三巻、エムティ出版、1994年、223〜224p

 に記載されている1938年12月2日付、閑院宮載仁参謀総長より杉山元北支方面軍司令官などに発せられた「大陸指第345号」によります。
 まず原文を引用します。
「在支各軍ハ特種煙(あか筒・あか弾・みどり筒)ヲ使用スルコトヲ得 
 但 之ガ使用ニ方リテハ市街地特ニ第三国人居住地域ヲ避ケ勉メテ煙ニ混用シ厳ニ瓦斯使用ノ事実ヲ秘シ其痕跡ヲ残ササル如ク注意スヘシ」
 訳しますと、
「中国にいる日本軍は、あか筒・あか弾(ジフェニ-ルシアンアルシン)・みどり筒などの特種煙(毒ガスのこと)を使用してもよい。
 ただし、毒ガスの使用にあたっては、市街地、特に第三国人(アメリカ人やイギリス人・ドイツ人など日本人・中国人以外の国民)の居住地域を避け、できるだけ煙に混用し、厳に毒ガス使用の事実を秘し、その痕跡を残さないように注意しなさい」
 という意味になろうかと思います。

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[1433]Re(1):王固盤の気持ちになるこ...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/14(金) 22:35 -

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   ▼熊猫さん:
>王固盤にとって、南京の市民は少なくないと都合が悪いのではないでしょうか。多くの南京の市民が逃げずに残留していたのでは、自分が逃げるわけにはいかないと思います。「できるだけ長く」と言ったのが28日だとしたら、翌日に辞任したことになります。28日でなくても信用できる相手ではないようですね。

なるほど、そう言う心理が王固盤に働いていたのでしょうかね?そういうことなら判るような気がします。

ところでピッポさんが[#1404]で紹介してくれた「大馬鹿嘘吐き東中野修道東大教授大先生」によると
昭和12(1937)年12月8日、南京が陥落する5日前の日、重要な決定が2つ出ます。
<略>
 もう1つは南京城内の市民は全員が安全地帯に避難するようにという、南京防衛軍司令官唐生智の避難命令が出ます。
と言う事らしいのですが唐生智が安全区への避難命令を市民に対して発した、と言うのはどういう根拠があるのですかね?12月8日といえばラーベ日記によると
何千人もの難民が四方八方から安全区へ詰めかけ、通りはかつての平和な時よりも活気を帯びている。貧しい人たちがさまよう様子を見ていると泣けてくる。まだ泊まるところが見つからない家族が、日がくれていくなか、この寒空に、家の陰や路上で横になっている。われわれは全力を挙げて安全区を拡張しているが、何度も何度も中国軍がくちばしをいれてくる。いまだに引き揚げないだけではない。それを急いでいるようにもみえないのだ。城壁の外はぐるりと焼きはらわれ、焼け出された人たちがつぎつぎと送られてくる。われわれはさぞまぬけに思われていることだろう。なぜなら大々的に救援活動をしていながら、少しも実が挙がらないからだ。
となっておりこの日の大混雑はその唐生智の移動命令とか言う奴なんでしょうか?(^^;

それはまあ良いとして続けて先生はこんなことを言ってます
 その安全地帯というのは避難民のための非武装地帯で、広さは3.86平方キロメートルです。
#とほほ独り言*その段階では安全区を唐生智軍が認めておらず、まだ出て行かない、と言ってラーベは怒っているのですが、、。
 従って、0.96平方キロメートルの皇居前広場の4倍の広さになります。
 そこに20万人が避難しました。
 王固磐警察長官が、南京陥落の約1ヶ月前に南京残留市民20万人と発表していました。
 その数字が国際委員会に踏襲されて、国際委員会は人口20万人というふうに発表したわけです。
 しかしこの20万人という数字の根拠の裏付けが長い間分からなかったのです。
 ところが、国際委員会委員長ラーベの日記が出たことにより初めて判明しました。
とあるんです。(^^;

ラーベの日記に書いてあることは「王固盤が20万人と言っている」と言う事が書かれているだけで、いったい何を裏づけて何が判明したと言うのでしょうか?この「王固盤の20万人」と言うのはラーベの日記が発見される以前から何かの資料に出ていたのでしょうか?

いい加減この先生の嘘には、まいっている私ですが、これも嘘だったとした先生の尊称に大馬鹿嘘吐きトンデモの他に付け加える罵倒語を考えなくてはなりません(^^;
 次に、安全地帯の外はどうだったのかと言いますと、安全地帯の外から内に市民全員が避難しておりましたから、安全地帯の外は無人地帯でした。
とまで書いてありますのでそんなに多くの罵倒語を知らない私は「お前のかーちゃんデーベーソ」まで尊称に使わなくてはならなくなります。12月には言ってからでさえラーベは安全区の存在を市民に伝えて説得する事ができないでいるのです、こういう東中野のような人間って本当にどうして学会にいられるのか?教授職についていられるのかまったくわかりません。
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[1504]Re(1):「毒ガス」再論   ト...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/19(水) 11:11 -

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   ▼ゆうさん:
>さらに、「イペリット」(きい)の使用については、他に、『歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛清作戦戦闘詳報」』というものがあります。これは、2004年5月に防衛庁により公開されたものです。
>
>主要部分は、『季刊戦争責任研究』2004年秋号所収の吉見義明氏の同名論稿で見ることができます。また、「戦闘詳報」には「きい」の字は登場しませんが、氏がこれを「きい」であると断定した根拠については、『日本軍と毒ガス戦』P113あたりに記載されています。
>

WWWのなかでは、大久野島の「毒ガス島歴史研究所」のサイトが、私のような非学者には分かりやすいです。
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/index.html

そこに、吉見先生の講演が載っています。

☆「毒ガス展実行委員会」結成総会
1996年1月28日
記念講演「中国遺棄毒ガス調査について」
講師:吉見義明 中央大学教授(日本現代史)
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/kaihou02.htm#a5

ちょっと古いのかもしれませんが、この論考をふまえて、「ゆうさんによって資料が付け加えられた」という形になれば、WEB Watcher としては嬉しいです。

吉見さんの講演録の一部を引用します。

<6.毒ガスの開発・生産・貯蔵・配備・使用・遺棄の実態解明>

 6番目に移りますけれども、この「毒ガス点」との関係で非常に重要な問題になると思いますが、毒ガスの開発、それから生産・貯蔵・配備・使用・遺棄という全過程の実態を解明するということが、この遺棄毒ガス弾との関連でいま非常に重要になったきていると思います。
(中略)

 まず生産の問題からみると、現在まで明らかになっている資料によりますと、大久野島で生産された毒ガスの総量は6,616トンです。このうち、敗戦時に大久野島周辺に残っておりましたのが3,647トンですので、だいたい3,000トンづらいが配備されてということになります。この配備というのは、中国だけではなくて、日本の国内、それからアジア・太平洋の各地域も含めてということです。それから、砲弾に填実された量ですけれども、判っている限りでは、福岡県の曾根のありました「曾根兵器製造所」で161万発を填実しております。大久野島でだいたい43万発ですので、海軍を別にすれば合計204万発ぐらいになります。敗戦時に大久野島・曾根周辺に残っておりましたのが9万発程度ですので、だいたい190万発ぐらいが配備されたと思われます。砲弾ではなくて、筒(注3)につめて放射する場合があるわけですが、放射筒は564万本ぐらいということになります。

 中国側が言っております200万発というのは、放射筒を含めての数字ですとそれくらいの数になる可能性はありますが、放射筒を含まないとすれば、現在判っている資料からするとかなり多いという感じがいたします。

 ただ、海外に生産・填実の拠点があったかどうかということによってもまた変わってくると思います。特に、中国の東北地区に関東軍の造兵廠(火工廠)というのがありますが、そこで生産・填実していたのかどうなのかという点はまだよく判っておりません。陸軍の記録によりますと、1940年に関東軍の「遼陽製造所」でイペリットの生産施設(注4)を造るという予算案が作成された、という資料があります。それが実行に移されたのかどうかによっても、また変わってくるという気がいたします。

 次に海軍ですけれども、海軍は「相模工廠」というところで生産しております。判っている限りでは、総量は760トンということでありまして、陸軍と比べて9分の1くらいです。敗戦時に周辺に残っておりましたのが268トンですので、配備等が492トンということになります。こらは日本国内での配備を含めての数字です。砲弾については7万発くらい生産しております。これが判っている限りの生産と備蓄です。

 海外にどれくらい配備したのかということですが、これはほとんで判っていない。ただ、ある程度まで調べる方法はあると思います。というのは、防衛庁に残っております旧軍の資料の中に、弾薬関係の資料がかなりあります。そうしますと、資料を1点ずつみていくという非常に長い時間のかかる作業が必要ですけれども、総点検をしていくことによって、かなりの程度配備状況が浮かび上がってくるような気がいたします。これは、政府の責任においてやるように求めて行くということが必要です。

 配備の状況をある程度示す資料が出てきております。お配りいたしましたレジュメの2枚目に「大陸指第千八百二十二号」というのが出ております。1944年1月29日に出されたものです。これはどういうものであったのかということですが、日本軍が毒ガスを使っていたということをアメリカ軍は知っていて、報復的に使用したらどうかということをアメリカ軍は検討いたしますが、やがて太平洋上の島々での先頭でアメリカ軍の被害がかなり出ますので、先制的に毒ガスを使ってー例えば、洞窟にこもっている日本軍を攻撃しようというふうな意見が非常に高まった参ります。

 アメリカの国内で毒ガス使用論が高まっていることを日本側は知りまして、アメリカ軍が使った場合に報復するために毒ガスをいくつかの拠点に配備しよう、という決定を行います。それが、この「大陸指」の「化学戦準備要綱」ということのなるわけですけれども、「別紙第二」という表をみていただきますと、「弾薬資材推進要領」として集積の施設が書かれています。

 まず1つは「札幌(小樽)」というふうに書いてありますが、これはアリューシャン方面から進攻する米軍に対抗するために、ここに集積するということです。2番目の「宇品(忠海)」というのは、大久野島とその周辺に集積するということです。次が海外になります。「上海」・「マニラ」・「昭南」、シンガポールですね。それから「トラック」島という、この4つを拠点にして集積しようとしたようです。

 しかし、現在までのところ、この4つの地域で遺棄毒ガス弾が見つかったという報告は一切出ておりません。恐らくこれは、この4つの場所で敗戦の前後に海に棄てたんだと思います。例えば、マニラですとマニラ湾、それから上海ですと近くの海です。シンガポール・トラック島も同様ということになります。主なところはそういうところに配備し、最後は海に棄てたということです。しかし、これは重要な拠点ですね。そうではない場所にも配備している可能性があるわけです。実は、海外配備の遺棄毒ガスの問題は中国だけではなくて、アジア・太平洋の各地に広がっていて、そういう問題が今後出てくる可能性があるということです。

 次に、使用の問題ですけれども、遺棄したということを認めながら、使用したことについては何もふれないでこの問題を処理するということは非常に不誠実です。やはり、使用したということについても認めていくということが必要であると思いますが、化学兵器禁止条約や遺棄毒ガス問題の審議の過程で政府は「あか剤」の使用については認めはじめました。非致死性ガスの使用についてはかなり頻繁に使用したということを認めておりますが、致死性のガス、イペリット・ルイサイト・青酸・ホスゲン等については使用したという事実を認めておりません。しかし、致死性のガスを使ったという日本軍の公文書はずっと前から出てきているわけですね。ですから、これを認めさせていくということは非常に大事なことだと思うんです。

 いくつかの例を述べてみますと、1939年5月13日に「大陸指第四百五十二号」というのが出されました。これは参謀総長の指示として出されているわけですが、山西省で糜爛性のガスを使用せよ、という命令が1994年にはじめて発見されまして、この「大陸指第四百五十二号」は、非常に重要な文書だと思います。現在まで致死性のガスについてそれを使用したということが日本軍の公文書によって確認されますのは、レジュメに書いてあります、いくつかの例です。


 例えば、1939年末から1940年はじめにかけて、中国の南部、広東省で「翁英作戦」というのが行われますが、この作戦の中でイペリット・ルイサイトを使っております(注5)。

 1940年8月、日本軍は中国の八路軍の攻撃を受けて、非常に手痛い打撃を受けますが、それへの反撃作戦として、「晋中作戦」を行います。これは八路軍の支配地域を「覆滅」するという目的で、村々を焼き払い、住民を殺していく作戦ですが(注6)、この晋中作戦の中で毒ガスを使い、特にイペリットを撒いて帰るという作戦をしております(注7)。


 1941年10月、有名な「宜昌攻防戦」という戦闘では、宜昌という重要拠点で日本軍が完全に中国軍に包囲されます。全滅寸前になりまして、日本軍は軍旗を焼いて、全滅を覚悟で最後の反撃をしようとするわけですが、その時にイペリットを含む毒ガスも併用して、ー飛行機からも撒いたようですがーかろうじて包囲を突破して宜昌という都市を守るということをやっています(注8)。これは1941年10月という、ちょうど日米開戦の直前という時期であったため、アメリカも非常にこの戦闘を注目していました。そして、武官を派遣して、毒ガスが使われたということを確認いたします。アメリカ側の対日毒ガス戦の準備が始まって行くのは、この宜昌攻防戦がきっかけになっているのです。

 同じ頃の「河南作戦」という作戦でも、日本軍は撤退する際にイペリットを撒いて、中国軍の進撃を阻止しようとしております(注9)。

 1942年の冬には、八路軍の支配地域であります山西省の大行山脈で「大行地区粛正作戦」というのを行いますが、ここでも日本軍が侵攻して住民を殺害するというようなことをやっております。それから部落の爆破等もしておりますが、爆破しない場合には、住居の中にイペリットを撒いて帰ってくる。住民が帰ってきてそれに被毒するという事態を生んでおります(注10)。

 さらに、1941年12月から日本軍はマレー・シンガポールへ侵攻しておりますが、その過程でも英連邦軍に対して、小規模ですけれども、「ちび」という青酸の入った手投げ瓶を、ーこれは対戦車攻撃用に開発されたものですがー使用しております。ビルマで使用されたという例もありますので、公文書によって致死性の毒ガスが使用されたということははっきり証明できるのです。にもかかわらず、日本政府はこういうじょうきょうですけれども、致死性のガスについては使用したという事実をまだ認めておりません。また、それに関連する資料も隠している(注11)。

 従って、使用の事実を認め、非公開資料を全面的に公開するということを政府に求めていくことが必要なのではないかというふうに思います。


重要な注記も引用します

注3 (←クリックすると本文に戻ります)

 「あか筒(つつ)」や「みどり筒(つつ)」など


注4 (←クリックすると本文に戻ります)

 製造能力は、月産75トンであるという(桜火会『日本陸軍火薬史』)。


注5 (←クリックすると本文に戻ります)

 この作戦で、独立山砲兵第二連隊が「赤B[山砲]弾」10発、「黄B[山砲]弾」294発を使用している(同連隊『翁英作戦戦闘詳報』)。


注6 (←クリックすると本文に戻ります)

 このような徹底した破壊作戦のことを日本軍は「燼滅(じんめつ)」と呼称している。「燼滅」とは、「敵根拠地ニ対シ徹底的ニ燼滅掃討シ敵ヲシテ将来生存スル能ハザルニ至ラシムコト緊要ナリ」と命令されているように、「敵及土民ヲ仮装スル敵」や「敵性アリト認ムル住民中十五才以上六十才迄ノ男子」は「殺戮」し、「適性部隊」は「焼却破壊」することで(独立混成第四旅団『第一期晋中作戦戦闘詳報』)、華北の中国共産党軍の根拠地では1943年まで継続して行われた。これが、いわゆる三光作戦の最初の発動である。そして、この晋中作戦は、その一環として、イペリットを含めた毒ガスを激烈に使用しはじめた最初の作戦であった。


注7 (←クリックすると本文に戻ります)

 この作戦で、独立混成第四旅団は、山砲「特殊弾[=きい弾]」13発・同「あか弾」43発を使用し(同旅団『第一期晋中作戦戦闘詳報』)、歩兵第二二四連隊第二大隊は、[きい弾]47発・「あか弾」62発を使用している(同大隊『第一期晋中作戦戦闘詳報』)。中でも、「輝教」という部落は9月13日に「毒化」した、との記録が残っている。(同前)。


注8 (←クリックすると本文に戻ります)

 この戦闘で第一三師団は「きい弾」1,000発・「あか弾」1,500発を使用した大規模な毒ガス戦を展開し、「敵ノ攻撃企図ヲ挫折セシメタルノミナラズ密偵其ノ他諸情報ヲ総合スルニ瓦斯ノ効果ハ極メテ大ナリシモノノ如シ」と日本軍は記録している(陸軍習志野学校案『支那事変ニ於ケル化学戦例証集』戦例四〇)。


注9 (←クリックすると本文に戻ります)

 華北の都市・鄭州からの撤退に際して第三五師団は1941年10月31日に「きい剤」330キロを撒毒し、「敵ノ前進ヲ完全ニ阻止シテ主力ノ撤退ヲ容易ナラシメタルノミナラズ、密偵報其ノ他諸情報ヲ総合スルニ敵ハ甚大ナル損害ヲ受ケ周章狼狽シテ後退セルモノノ如シ」という効果をあげ、「戦場離脱ノ為要点ニ撒毒セバ小量ノキイ剤ト雖モ効果大ナリ」という教訓を日本軍は得ている(同前、戦例四四)。


注10 (←クリックすると本文に戻ります)

 この作戦で第三六師団の「特殊作業隊」は掃討戦終了後、八路軍根拠地の「兵舎、洞窟、工場」(といってもほとんど住民の村落他)等に、「きい一号甲」約300キロを撒毒した。日本軍撤退後、復帰してきた人々が次々に被毒し、日本軍は「敵ハ数千ノ瓦斯者ヲ出シ内約半数ハ死亡セルモノノ如シ」と判定、「陣地ヲ有セズ洞窟、村落等ヲ根拠地トシ政治工作ヲ主トスル共産軍ニ対シテハ此ノ種瓦斯用法ハ効果甚大ナリ」という教訓を引き出している(同前、戦例二一)。住民を巻き込み、地域ぐるみで「毒化」する作戦が師団規模で展開されていたのである。


注11 (←クリックすると本文に戻ります)

 例えば、防衛庁防衛研究所図書館では、注5が記録されている独立山砲兵第二連隊『翁英作戦戦闘詳報』のカード目録が末梢され、現在では一般の閲覧はおろか、その存在すら確認できない状態にある。ただし、隠匿される前に、吉見先生がコピーを取られていたのは幸いであった。(以上)


注記の中で、公開していた資料が非公開になった、という記述が気になります。
その後9年経ったいま、公正に公開されているのでしょうか?

※ なお、このサイトには当時の写真があって、『立派な化学工場』であったことが良く分かります。また、Australia War Musium にリンクすると、戦後の毒ガス処理のときの写真が見られます。廃棄作業を請け負ったことにより帝国人絹は傾いた社運を盛り返したそうです。
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[1793]板倉由明に見せてやりたい資料...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/22(火) 22:33 -

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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]

【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]
  

提示した資料は偕行社のものです。1932年或は1933年の資料とのことですが南京だけでなく中国全体の人口が記述されていますので、皆さんの今後の研究に役立てば幸いです。
当時の軍部が何を根拠にこの資料を作成したかは不明ですが南京の人口は、726,711人となっています。この人数は1933年の『首都圏警察概況』の726,131人と符合しますので信憑性の高い資料として判断して問題ないと思います。
1938年1月に発行されたものであることは画面より確認できると思います。
同書13Pに南京の人口について記述された箇所がありますので引用します。

人口は事変直前百万を突破し戸数も十三万程あつたが 一度我軍の爆撃を受けると人口は三分の一に激減し 更に上海の戦況進展に伴ひ逐次減少の一途を辿つてゐる。
既に当時の日本軍は南京が100万都市であったことを認識しています。
これは1937年3月末の、「南京市政概況」にある101万9667人とも符合する人数であることは言うまでもありません。

板倉のおっさんは何と言ったか?
私の推計では南京は三十万都市である。いいところ四十万で、人口百万というのは相当のホラであろう
おい板倉!ホラはお前だ。


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[1854]Re(2):「南京の真実」のラーベ...
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/8(木) 19:20 -

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   人民網、日本語版の記事です。
ま、そういうことになったらしい。
以下、一部抜粋。
南京大虐殺が起きた1937年、南京市で独シーメンス社の駐南京代表および南京安全区国際委員会の主席を務めていたラーベ氏は、20万人を超える中国人の命を救った。また2400ページを超える当時の日記は後に「南京の真実」として出版され、南京大虐殺における旧日本軍の暴力行為を記録した貴重な資料になった。
「南京の真実」のラーベ氏旧宅 中独共同で補修、より

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[3583]Re(3):目撃者の南京事件:問題...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/11/12(日) 3:44 -

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   ▼渡辺さん:
マギーが妻へ宛てた手紙の内容が随分と違うようです。渡辺さんが指摘されているように文章を切り詰めています。滝谷氏のコメントは要らないから前文掲載して欲しいものです。

>▼とほほさん:
>>▼とほほ:
>>>さっそく[#1017]で紹介してもらった『目撃者の南京事件』(三交社)を発注してまして明日かあさってには手元に入る予定で、これの検証もせねばなりません(^^;
>>
>>本日手元に届きましたので一通り目を通しました。著者の方の判断(解釈)にはかなり私は異論がありますが、中国側資料を詳細に掲載していますので大変参考になる図書だと思います。「虐殺数」や「南京人口」に関してこの資料群から熊猫さんが何を掴み取ったのかこれから検証するが楽しみです(^.^)
>
> 水をさすようで申し訳ないですが、この本は、かなりマギーの手紙の内容を割愛しています。特に、文章を勝手に切りつめているところが困った本です。『南京の真実』ほどではないですが、英文については、"いいかげん訳"でもあります。以前、どこかに投稿したことがありますが、これは発電所の職員殺害についての部分を読んで気が付きました。 要所では、Zhang Kaiyan,"Eyewitnesses to Massacre" の該当部分を確認することをお勧めします。
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[3600]Re(1):ラーベとローゼン
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 ピッポ E-MAIL  - 06/11/19(日) 9:55 -

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   ▼とほほさん:

>十一月十九日
> (前略)
> いまのところ、ドイツ大使館員はまだ三人残っている。ヒュルター、ローゼン、シャルフェンベルグのメンバーだ。なぜローゼンが残されたのだろう。あの人が自分から希望するはずがない。ちょうど大使が留守だったので、この命令を取り消すようとりはからってもらえないかと、婦人に頼んだところ、できる限り努力するとの返事だった。
> ローゼンは、心ならずも残されたのだ。そういう人が相手ではどうしようもない。ローゼンは私が委員会に参加することを知らないし、また知る必要もない。カルヴィッツ社のメルヒオールが、やはりいっしょに非難したらどうかといってきた。せっかくだが、断るしかない。


ラーベの日記(本日分)ですが

日本語訳のこの部分は思わせぶりで、どう理解したらよいかわかりません。
ラーベとローゼンの間には解決できない確執でもあったのでしょうか?
ドイツ語原文ではどうなっているのでしょうか?
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[3601]Re(2):ラーベとローゼン:ああ...
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 渡辺  - 06/11/19(日) 12:45 -

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   講談社訳を元に悩まないでください(``;
「あの人が自分から希望するはずがない」ではなく、
「それが自発的でなく志願したものでないことを知ったとき」夫人にとりなしをお願いしたのです、となるように思いますが。
Da er sich aus eigenem Antrieb, wie ich erfhare, nicht dazu gemelt hat, bitte ich Frau Trautmann ...

▼ピッポさん:
>▼とほほさん:
>
>>十一月十九日
>> (前略)
>> いまのところ、ドイツ大使館員はまだ三人残っている。ヒュルター、ローゼン、シャルフェンベルグのメンバーだ。なぜローゼンが残されたのだろう。あの人が自分から希望するはずがない。ちょうど大使が留守だったので、この命令を取り消すようとりはからってもらえないかと、婦人に頼んだところ、できる限り努力するとの返事だった。
>> ローゼンは、心ならずも残されたのだ。そういう人が相手ではどうしようもない。ローゼンは私が委員会に参加することを知らないし、また知る必要もない。カルヴィッツ社のメルヒオールが、やはりいっしょに非難したらどうかといってきた。せっかくだが、断るしかない。
>
>
>ラーベの日記(本日分)ですが
>
>日本語訳のこの部分は思わせぶりで、どう理解したらよいかわかりません。
>ラーベとローゼンの間には解決できない確執でもあったのでしょうか?
>ドイツ語原文ではどうなっているのでしょうか?
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[3603]ついでで申し訳ないのですが・...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/11/19(日) 22:40 -

引用なし
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   私は『Eyewitnesses to Massacre』を持ちません。
『目撃者の南京事件』滝谷二郎(三交社)27p-28p
 次の日、十二月九日木曜日。
 駅に負傷した市民がいるというので、車で駆けつけました。書き忘れていましたが、前日両手を爆弾で負傷したという気の毒な老女がやってきましたので、私は老女とその娘を鼓楼医院に連れていきましたが、老女は片手を切断して助かりました。
(この場所、何か文章が省略されて後の文章に続いていませんでしょうか?)
 私は中国人のチェンと駅に行き、入口で警備している仕官に断って駅に入りました。
 無錫の難民の記述が省略されていないでしょうか?
程瑞芳の日記12月9日
 下関の4000人余りの難民の大部分は、たぶん無錫あたりから句容を通って来たのだ。
 やはり、同日に無錫の難民が南京にいることを記しています。攻落前の南京には広範な範囲から難民が集まっていたとは考えられないでしょうか。マギーの原文からその重要な部分が削除されて出版されていないか気になっているのですが・・・・・。
88 hits

[3606]Re(3):ラーベとローゼン:ああ...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/11/21(火) 12:25 -

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   ▼渡辺さん:
>講談社訳を元に悩まないでください(``;
>「あの人が自分から希望するはずがない」ではなく、
>「それが自発的でなく志願したものでないことを知ったとき」夫人にとりなしをお願いしたのです、となるように思いますが。
>Da er sich aus eigenem Antrieb, wie ich erfhare, nicht dazu gemelt hat, bitte ich Frau Trautmann ...

渡辺さん、
いつもありがとう御座います。御礼が遅れました。

ローゼンは自発的に志願しなかったとラーベは知って、この決定を差し戻せないかという大使へのとりなしを、大使夫人に依頼したのですね。

英文を取寄せましたら、渡辺さんのご指摘が良く分かりました。

  Three people from the German embassy are remaining behind for now: H&uuml;rter, Dr. Rosen, and Scharffenberg. It's unclear to me why they're keeping Dr. Rosen here. When I learn that he did not volunteer, I ask Frau Trautmann to intercede with the ambassador, who is still here for the moment, to get the order reversed. Frau Trautmann will do what she can. What good to us is someone whose heart is not in this? Dr. Rosen knows nothing about my intervention yet and he never needs to learn. Melchior of Carlowitz & Co. tried to talk me out of my decision to stay I thanked him, but declined.


【英語万年3の拙訳】

  ドイツ大使館からは次の3人が残留する。ヒュルター、ローゼン博士、シャルフェンベルグ。ローゼンを残留させたのはなぜか? 私には不可解だ。ローゼンは志願してないと知って、私はトラウトマン夫人に大使への取り成しをお願いした。大使があと僅かまだここにいるうちに決定を戻してもらえないかと。夫人は最善をつくすといってくれた。誰かさんがこのことを意に介さないとしたら、我々にとって利益になるだろうか? ローゼンはまだ私のお節介を知らない。知る必要も無い。
  カルロヴィッツ社のメルヒオールが私の残留決定を覆そうと説得してくれた。私は感謝し、それを断った。


【講談社訳】

  いまのところ、ドイツ大使館員はまだ三人残っている。ヒュルター、ローゼン、シャルフェンベルグのメンバーだ。なぜローゼンが残されたのだろう。あの人が自分から希望するはずがない。ちょうど大使が留守だったので、この命令を取り消すようとりはからってもらえないかと、夫人に頼んだところ、できる限り努力するとの返事だった。
  ローゼンは、心ならずも残されたのだ。そういう人が相手ではどうしようもない。ローゼンは私が委員会に参加することを知らないし、また知る必要もない。カルヴィッツ社のメルヒオールが、やはりいっしょに避難したらどうかといってきた。せっかくだが、断るしかない。



☆「そういう人が相手ではどうしようもない。」
そういう人って一体誰を指すのか? この日本語は、『誰』に関して、源氏物語よりもむずかしい!!

☆「ローゼンは私が委員会に参加することを知らないし」とは?
英文だと、"intervention"となっていて、"干渉、内政干渉、仲裁、調停、売惜しみ" なのだが。
"私が委員会に参加すること" となったのはいったいなぜだろうか?
100 hits

[3607]Re(1):南京の人口(ラーベ11/...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/11/21(火) 15:32 -

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   ▼とほほさん:
>十一月十九日
> 雨は降り続き、荷造りも続く。帳簿をしめようと思うのだが、こう用事が多くてはとてもそこまで手が回らない。韓はかなりの金額を集金してきた。私は社の金をほとんど全額、それから自分の金も二千ドル漢口へ振り込んだ。従業員には十一月分の給料を払った。これで、店がまだ開いているうちに食料品が買えるだろう。あと石炭一トンに石油を四缶貯蔵できる。いまのところそれで精いっぱいだ。使用人たちは、おびえきった目をしておろおろいている。ついに私もクトゥー号で逃げ出すと思っているのだ。どんなことがあってもここを動かないから、と言い聞かせると、ようやくみなほっとした顔をした。
> 
> 国際委員会が発足した。主要メンバーは鼓楼病院のアメリカ人医師、それから金陵大学の教授たち。全員宣教師だ。難民区を作ろうというのがその目的だ。つまり、城壁のなか、あるいは外に中立地域をつくり、万が一砲撃されたとき、非戦闘員の避難所にしようというのである。いっしょにやらないかといわれた。私がここに残るというのはすでに噂になっていたのだ。私は承諾し、スマイス教授の家で開かれた夕食会で、アメリカ人の参加者全員に紹介された。いまのところ、ドイツ大使館員はまだ三人残っている。ヒュルター、ローゼン、シャルフェンベルグのメンバーだ。なぜローゼンが残されたのだろう。あの人が自分から希望するはずがない。ちょうど大使が留守だったので、この命令を取り消すようとりはからってもらえないかと、婦人に頼んだところ、できる限り努力するとの返事だった。
> 
> ローゼンは、心ならずも残されたのだ。そういう人が相手ではどうしようもない。ローゼンは私が委員会に参加することを知らないし、また知る必要もない。カルヴィッツ社のメルヒオールが、やはりいっしょに非難したらどうかといってきた。せっかくだが、断るしかない。
> 
> なにも私はわけもわからず飛びこもうというのではない。覚悟のうえだ。どうか許してくれ、ドーラ。こうするほかないんだ!医者のヒルシュベルグ先生一家とシュックマンさんの奥さんもまだいる。テキサス石油のハンソンさんも。何も私だけが危険に身をさらそうとしているわけではないのだ。うちの韓は私と運命を共にするといった。ぜったいそういうだろうと思っていた。けなげなやつだ!

とほほさん、私がある人に指摘されたことですが・・タイピングミスかと思われます。([#3600]の私の投稿も踏襲してしまいました)

>婦人に頼んだところ、できる限り努力するとの返事だった。
婦人→夫人
>メルヒオールが、やはりいっしょに非難したらどうかといってきた。
非難→避難
83 hits

[3608]Re(1):南京の人口(ラーベ11/...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/11/21(火) 20:33 -

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   ▼とほほさん:
>十一月二十八日

>警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいるとくりかえした。ここにとどまるかねと尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。「できるだけ長く」
つまり、ずらかるということだな!

ラーベの日記中国語版には、この『二十万人』のところに脚注がついています。
(江蘇人民出版社と江蘇教育出版社共同翻訳出版)

文字化けしないように、ページをリンクします。青字のところです。
拙サイト「中文11月28日」http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/415.html

それによれば・・・
と書きたいところですが中国語が読めません。
82 hits

[3609]Re(2):南京の人口(ラーベ11/...
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 とほほ E-MAIL  - 06/11/22(水) 13:36 -

引用なし
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   了解しました。ありがとうございました。退院しだい修正します。←また入院してる(;^_^A
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