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[3084]ヒロヒトは人非人である 福田恒存撲滅会会長 06/8/7(月) 15:09
[3087]Re(1):ヒロヒトは人非人である とほほ 06/8/7(月) 21:50
[3088]Re(1):ヒロヒトは人非人である タラリ 06/8/7(月) 22:09
[3091]Re(2):ヒロヒトは人非人である コボ朗 06/8/8(火) 1:26
[3093]Re(3):ヒロヒトは人非人である 熊猫 06/8/8(火) 8:28
[3094]Re(4):ヒロヒトは人非人である eichelberger_1999 06/8/8(火) 12:21
[3103]Re(5):ヒロヒトは人非人である 熊猫 06/8/9(水) 8:18
[3108]Re(6):ヒロヒトは人非人である eichelberger_1999 06/8/9(水) 16:48
[3095]Re(1):ヒロヒトは人非人である eichelberger_1999 06/8/8(火) 12:53
[3096]Re(2):ヒロヒトは人非人である とほほ 06/8/8(火) 14:10
[3097]靖国前宮司のインタビュー とほほ 06/8/8(火) 14:40
[3099]Re(3):ヒロヒトは人非人である eichelberger_1999 06/8/8(火) 18:10
[3100]Re(4):ヒロヒトは人非人である 福田恒存撲滅会会長 06/8/8(火) 22:11
[3101]Re(5):ヒロヒトは人非人である 福田恒存撲滅会会長 06/8/8(火) 22:17
[3102]かな使い とほほ 06/8/9(水) 4:46
[3239]Re(1):かな使い 佐藤 俊 06/9/19(火) 0:58
[3280]Re(2):かな使い 会長 06/9/29(金) 14:14
[3283]Re(3):かな使い 佐藤 俊 06/9/29(金) 17:19
[3284]Re(4):かな使い とほほ 06/9/29(金) 17:32
[3286]Re(5):かな使い 佐藤 俊 06/9/29(金) 18:24
[3287]Re(6):かな使い とほほ 06/9/29(金) 18:40
[3288]Re(7):かな使い 佐藤 俊 06/9/29(金) 19:59
[3295]Re(8):かな使い とほほ 06/9/30(土) 0:06
[3395]Re(9):かな使い 佐藤 俊 06/10/15(日) 21:03
[3396]Re(9):かな使い 佐藤 俊 06/10/15(日) 21:08
[3413]Re(10):かな使い 会長 06/10/16(月) 14:53
[3414]Re(11):かな使い 会長 06/10/16(月) 20:31
[3437]Re(11):かな使い 佐藤 俊 06/10/19(木) 23:16
[3438]Re(12):かな使い 会長 06/10/20(金) 8:16
[3443]Re(13):かな使い 佐藤 俊 06/10/20(金) 21:25
[3445]Re(14):かな使い うさぎ 06/10/20(金) 22:51
[3447]Re(15):かな使い 佐藤 俊 06/10/20(金) 23:58
[3457]Re(16):かな使い 会長 06/10/21(土) 16:07
[3472]Re(17):かな使い 佐藤 俊 06/10/22(日) 23:22
[3456]Re(14):かな使い 会長 06/10/21(土) 15:48
[3473]Re(15):かな使い 佐藤 俊 06/10/22(日) 23:28
[3478]Re(16):かな使い とほほ 06/10/23(月) 4:50
[3479]Re(17):かな使い 会長 06/10/23(月) 10:05
[3480]Re(18):かな使い 会長 06/10/23(月) 10:07
[3397]Re(9):かな使い 佐藤 俊 06/10/15(日) 21:10
[3404]Re(10):かな使い タラリ 06/10/16(月) 0:16
[3410]Re(11):かな使い 会長 06/10/16(月) 12:41
[3411]Re(12):かな使い 会長 06/10/16(月) 13:32
[3240]Re(1):かな使い 佐藤 俊 06/9/19(火) 1:02
[3260]Re(2):かな使い 会長 06/9/24(日) 16:16
[3241]Re(1):かな使い 佐藤 俊 06/9/19(火) 1:07
[3242]Re(2):かな使い とほほ 06/9/19(火) 1:15
[3253]Re(3):かな使い 佐藤 俊 06/9/24(日) 0:43
[3254]Re(4):かな使い とほほ 06/9/24(日) 1:34
[3259]Re(5):かな使い 会長 06/9/24(日) 15:31
[3276]Re(6):かな使い 佐藤 俊 06/9/28(木) 23:42
[3277]Re(7):かな使い とほほ 06/9/29(金) 1:13
[3281]Re(8):かな使い 佐藤 俊 06/9/29(金) 16:58
[3282]Re(9):かな使い とほほ 06/9/29(金) 17:10
[3285]Re(8):かな使い 佐藤 俊 06/9/29(金) 18:21
[3412]Re(9):かな使い 会長 06/10/16(月) 14:31
[3415]Re(10):かな使い 会長 06/10/16(月) 20:58
[3417]Re(11):かな使い うさぎ 06/10/16(月) 21:38
[3419]Re(12):かな使い とほほ 06/10/16(月) 22:42
[3420]Re(12):かな使い とほほ 06/10/17(火) 1:15
[3425]Re(13):かな使い うさぎ 06/10/17(火) 22:26
[3278]Re(7):かな使い 会長 06/9/29(金) 9:27
[3109]Re(5):ヒロヒトは人非人である eichelberger_1999 06/8/9(水) 17:07
[3115]Re(6):ヒロヒトは人非人である コボ朗 06/8/10(木) 0:56
[3138]Re(7):ヒロヒトは人非人である とほほ 06/8/11(金) 12:01
[3116]Re(3):ヒロヒトは人非人である 勝山晋介 06/8/10(木) 2:12
[3121]Re(4):ヒロヒトは人非人である とほほ 06/8/10(木) 5:43
[3125]Re(5):ヒロヒトは人非人である 勝山晋介 06/8/10(木) 9:47
[3143]天皇の戦争責任について コボ朗 06/8/12(土) 11:27
[3166]Re(1):天皇の戦争責任について とほほ 06/8/22(火) 2:05
[3450]遅レス失礼。 コボ朗 06/10/21(土) 6:15
[3463]Re(1):遅レス失礼。 とほほ 06/10/22(日) 6:33
[3534]Re(2):遅レス失礼。 コボ朗 06/10/25(水) 18:04

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[3240]Re(1):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/19(火) 1:02 -

引用なし
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    福田恆存は現代かなづかい(新かな)の不合理性を批判し、歴史的かなづかいの正当性を主張し、「正かな」を唱えていました。
 その点について会長は「福田は新かなの本も出している、これは矛盾だ、福田は2枚舌の卑劣漢だ!」と批難しています。
 たしかに福田は新かなの本も出していました。しかしそれは何十冊もの著書のなかの数冊であり、また新聞や雑誌の文章にも掲載時に新かなのものがありますが、それらについて福田は、「読者層、出版社の方針を考慮して」と説明していますし、全集に再録する際にはすべて正かなに直しています。
 福田は「正かな」という理想を掲げていましたが、同時に新かなが普及している現実も認めざるをえなかった。しかし福田は理想に固執しすぎることなく、現実と折り合いを着けることはありました。しかしあくまでそれは方便であって、本意では無かったことは全集で正かなに直していることからも明らかです。つまり福田は2枚舌などではありません。
 会長はさらに「福田は金もうけのために主張を曲げた恥知らずだ!」とののしっているのですが、これはもはや言いがかりに過ぎません。もしほんとうに金もうけを考えるのならばもっと新かなの本を出しているはずです。
 会長こそ、福田恆存を中傷するためなら、前回示したとおり矛盾したことも平気でいう「2枚舌」なのです。

 ちなみにわたしはサイトや私的な文書では正かなを使っているのですが、この掲示板では旧かなはあまり受け入れられないようなので、新かなで書かせていただきました。
159 hits

[3241]Re(1):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/19(火) 1:07 -

引用なし
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   なお、会長の投稿には「やっつける」や「人非人」、「猿にも劣る」などの表現がありますが、これらは「留意事項4」の「他人を誹謗中傷する記事及び差別投稿」ではないのですか?

168 hits

[3242]Re(2):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/19(火) 1:15 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
> なお、会長の投稿には「やっつける」や「人非人」、「猿にも劣る」などの表現がありますが、これらは「留意事項4」の「他人を誹謗中傷する記事及び差別投稿」ではないのですか?

違うと管理人は判断してます。
174 hits

[3253]Re(3):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/24(日) 0:43 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>違うと管理人は判断してます。

 つまり、矛盾だらけのいいがかりで人を「やっつける」のは誹謗ではないし、「人非人」「猿にも劣る卑怯者」という表現は昭和天皇の評価として全く正当であり、中傷でも差別でもない、ということでよろしいのでしょうか。
171 hits

[3254]Re(4):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/24(日) 1:34 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
> つまり、矛盾だらけのいいがかりで人を「やっつける」のは誹謗ではない

これまで、貴方の言う矛盾と言う点を指摘した人は一人もいません。矛盾していると言うのであれば、その点を最初に指摘するべきではないでしょうか?
176 hits

[3259]Re(5):かな使い
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 会長 E-MAIL  - 06/9/24(日) 15:31 -

引用なし
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   こんにちは

 しばらくこのサイトの投稿を読まないでいる間に、佐藤俊さんからの投稿があって、かなづかいのことに話題が逸れ、それに関連して私の批判までが飛び出してきたようですが、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒

存についての私の批判について、このサイトのかたがたはまったくご存じないと推測しますので、以下に私の福田恒存批判の根幹部分について書きます。このスレッドの趣旨とは異なりますが、佐藤俊氏の文章だけでは理解で

きないところがかなりあると想像されますので、余計な書き込みですがどうかお許し願います。

 福田恒存が新かなづかい反対の急先鋒、総大将だったことは天下周知の事実、それと、その福田がそれの著書のかなりの部分を新仮名表記で出版していたことも周知の事実です。それもあろうことか、彼の新かなづかい批判の

書物として著名な「私の国語教室」の執筆前および執筆中にも新かな表記の書物を堂々と出版していました。更に云えば、金田一京助氏とのかなづかい論争で、金田一氏を口汚く罵りつつ新かなづかい反対論を精一杯主張してい

た最中にも、主として翻訳書ですが複数の書物を新かな表記で出版していました。
 上記「私の国語教室」にこういう一節があります。「さねとう氏(新かなづかい支持者)は(中略)かな文字を主とした分かち書きで書いて(中略)編集部に手を焼かせ、かつ原稿料を不当に稼いでいました(以下略)(福田

恒存全集第4巻624頁)。さねとう氏が分かち書きで書いて編集部に手を焼かせた事(分かち書きで書くとどうして編集部が手を焼くかさっぱりわかりませんが)や、原稿料を不当に稼いでいたという事が本当にあったかどう

か、私は無いと断言しますが、もしあったとして、福田センセーはどうしてその事を知ったのか、またさねとう氏が原稿料を稼いでいたことは事実でしょうが、その原稿料を分かち書きにより不当に稼いでいたとなぜいえるので

しょうか。こういうことを単なる憶測で天下に堂々と発表していながら自分はその反対している新jmかな表記で書物を出版していたのですから、その厚かましさについては驚くいほかありません。

 また私の国語教室にはこういう文章もあります。「雑誌や単行本の編集者の中には、たくさん売るためにはどうしても「現代かなづかい」にしなければだめだと思い込んでいる人がおりますが(中略)、これは単なる先入観に

過ぎません。試みに吉川英治氏の小説を歴史的かなづかいで出してみるといい。売れ行きは少しも変わらないでしょう。いや現に谷崎潤一郎の「鍵」は歴史的かなづかいで出版されましたが作品がベストセラーになることを妨げ

はしなかった。(中略)同様に私が「現代かなづかい」に改宗したところで、それだけ印税収入が殖えるということもありますまい。(中略)かなづかいの旧新は本の売れ行きを左右しません。(原文ではここで改行してい

る)それにもかかわらず、歴史的かなづかいでは売りにくいという先入観が一部の編集者のうちにあることは事実です。(中略)一般の執筆家も同様の先入観に囚われ、心ならずも自分の著書を「現代かなづかい」に直して出す

ことを認める人もいるようです。」(以下略)(文芸春秋版福田恒存全集第4巻498頁)(引用文はいずれも新かなづかいに改めてある)。

 私は新かなづかい使用者ですが、旧かなを使用することに反対しないし、旧仮名普及運動をすることにも反対はしません。ただ、これは、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存には限らず、現在も新かな反対論者

で、旧かなづかいに戻そうとしている手合い、のほとんどがそうですが、主張していることには口をつぐんで新かなづかい表記で書物を出版したり、新かなを利用して収入を得ている輩がいることに我慢がならないだけです。不

景気と入っても、現在の日本では何をやっても生活できるだけの収入は得られます。それだのに、新かな反対論者(そういう連中のほとんどは平均的日本人よりも高学歴で、高収入の職に就いています)のほとんどは、普通の日

本人よりもいい生活をしたい=沢山の金を儲けたいというだけの理由で、自らは反対している新かなを利用して仕事をし、収入を得ています。国語問題協議会という旧かな論者の集りがありますが、その会の会員の(ほとんど)

全てはそういう節操のない二枚舌の情けない、信用ならない輩です。

 もしそうしたいのなら、新かな反対などという主張はせずに個人的にのみ旧かなを使用すればいいのです。それを、主張は主張、行いは行い、という言行不一致を行っているのはどういうことですか、ということが私の主張であり、福田恒存をそういう手合いの代表格として非難しているわけですが、佐藤俊氏を初めとして、旧かな論者は私の批判を見当違いの反論でかわそうとしています。 
166 hits

[3260]Re(2):かな使い
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 会長 E-MAIL  - 06/9/24(日) 16:16 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:

>たしかに福田は新かなの本も出していました。しかしそれは何十冊もの著書のなかの数冊であり、

主張と行いが正反対であれば、そういうことをした人間は信用できないと考えるのが普通です。それを「何十冊もの著書のなかの数冊であり」とはよくもしゃあしゃあといえたものですなあ。1冊でも新かな表記で出版したら、

主張とは異なるのだからそいつのことは信用できないと考えるのが普通ではないですか。それも、無名人ならともかく、福田のような日本国においてかなりの影響力のあった人間がそういう言行不一致を白昼堂々と行っていいのですか。

>それらについて福田は、「読者層、出版社の方針を考慮して」と説明しています

 旧かな論者でも、例えば山本周五郎、井伏鱒二、倉橋由美子その他多数の小説家などは「読者層、出版社の方針を考慮して」も、旧かな表記で出版していました。倉橋由美子などは福田と比較すれば、出版社に対する影響力な

どないに等しかっただろううし、新かな表記で出版すれば販売部数も増えただろうと推測されますが、それでも旧かな表記の出版をしていました。そして、福田恒存とは異なって、新かな反対の主張などはしませんでした。

>全集に再録する際にはすべて正かなに直しています

 福田はかなりの数のミステリー分野の翻訳本を全て新かな表記で出版していますが、それらはほとんど全集には収録されていません。翻訳といえば、福田との共訳ということでコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」を出し

た、福田の1番弟子で、翻訳業者の中村保男も、旧かな論者で、新かな反対論をぶっていますが、恥知らずにも訳書の全てを新かな表記で出しています。金儲けのためには信念など糞食らえというわけですか。そういえば、福

田の次男で、明治大学教授の福田逸も父親の衣鉢をついで新かな排撃を主張していますが、かなづかい関係を除き、仕事は全て新かなづかいでやっているようです。

> ちなみにわたしはサイトや私的な文書では正かなを使っているのですが、この掲示板では旧かなはあまり受け入れられないようなので、新かなで書かせていただきました。

 この掲示板では旧かなで書いても没にされることはありませんよ。それよりも、貴方も、教祖の二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存の教えにしたがって、新かなばかりを利用して収入を得ているのでしょうね。あなたにもしお子さんでもいたら、お子さんに対して恥ずかしいとは思いませんか。それとも、信念は信念、行いは行いだから、言行い不一致でも恥じることは何もない、嘘も方便だから時と所によって言行をころころ変えてもかまわない、と教えて育てますか。ああ恥ずかしいねえ。
154 hits

[3276]Re(6):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/28(木) 23:42 -

引用なし
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    長文失礼いたします。

 会長は[3259]と同内容の主張をあちこちの掲示板やブログで宣伝して回っているのですが、それに対する反論もまた多く寄せられています。
 要約しますと、

>正かな派のくせに新かなで本を出した、新かなで本を出したのは金もうけのためだ、金のために主張を曲げた恥知らずだ!
 出版は著者の意向だけで必ずしもできるわけではなく、出版社の意向に大きく左右される。新かなが普及し、出版社の多くが新かなを編集方針としている以上、正かなを主張していたとしても実際に正かなの本を出版することは難しい。福田の新かな批判は、そういった「表現の不自由」に対する批判もある。
 文筆家が「金もうけ」のために本を出してなぜ悪いのか。会長が「金もうけ」の根拠としているのは『私の国語教室』の中の1節であり、それも話の枕にすぎない。なぜその程度に過ぎない箇所に執拗に噛みつくのか。本当に「金もうけ」のためならなぜもっと新かなの本を出していないのか。そもそも新かなの本を出したことで、福田はどれだけもうけたというのか。
 理想は現状に対する批判であり、理想と現実が食い違っているのは当然である。現実とことなる理想を掲げていたとしても二枚舌とはいえない。むしろ福田は、正かなという理想を一部とはいえ実現し、正かなの本を多く出しているのだからその点を評価すべきである。

>徴兵忌避した卑怯者だ!
 「徴兵忌避した」という証拠は何も無い。会長は太平洋戦争を否定しているようだがそれならば「徴兵忌避」は「卑怯者」どころか賞賛すべきではないのか。

 以上のように、会長はとるに足らないことを実情を無視して大問題であるかのように騒ぎ立てているだけのデマゴギーに過ぎません。しかし会長は[3260]のとおり、これらの批判を「福田信者のたわごと」と愚弄し、都合の悪い箇所は無視し、どれだけ批判を加えられようと福田の人格を貶める宣伝をし続けているのです。
 会長は
>主張していることには口をつぐんで新かなづかい表記で書物を出版したり、新かなを利用して収入を得ている輩がいることに我慢がならない
そうですが、であれば、故人であり発言はすべて過去のものである福田よりも、批判するのにふさわしい人物がいます。福田亡き今「新かなづかい反対の急先鋒、総大将」というべき丸谷才一氏です。丸谷氏は生者であり、現在も新かな批判を続けています。しかし丸谷氏も新かなで本を出したことはある。さらに会長も名前をあげている井伏鱒二氏や倉橋由美子氏も生前新かなの本を出したことがあります。なぜ福田だけを責めて、丸谷氏らを責めないのでしょうか。片手落ちといわざるをえません。
 かように、会長の「福田恒存をやっつける」という主張は矛盾だらけで、いいがかりでしかありません。そもそも特定の個人を「やっつける」という表現自体が不穏当であります。「福田恒存をやっつける」という表現が、根拠のない誹謗中傷であるというのは、このような理由によります。
171 hits

[3277]Re(7):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/29(金) 1:13 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
> かように、会長の「福田恒存をやっつける」という主張は矛盾だらけで、いいがかりでしかありません。そもそも特定の個人を「やっつける」という表現自体が不穏当であります。「福田恒存をやっつける」という表現が、根拠のない誹謗中傷であるというのは、このような理由によります。

全くの言いがかりだと私は思いました。
会長さんの論旨を全く理解していない反論です。【福田恒存】と言う方への会長さんの攻撃の論旨は、あくまで【新かな】を使う人間を誹謗しながら己は新かなで金儲けをした、と言うことです。この一点に矛盾はないと考えます。再度ご反論があればどうぞ。
173 hits

[3278]Re(7):かな使い
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 会長 E-MAIL  - 06/9/29(金) 9:27 -

引用なし
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   佐藤俊さん
> かように、会長の「福田恒存をやっつける」という主張は矛盾だらけで、いいがかりでしかありません。そもそも特定の個人を「やっつける」という表現自体が不穏当であります。「福田恒存をやっつける」という表現が、根拠のない誹謗中傷であるというのは、このような理由によります。

 私の主張がどうして矛盾なのでしょうか。矛盾というのは一連の主張の間に相反する部分が存在することですが、私が二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存を批判している事と、丸谷才一を私が批判しないこととがどうして矛盾するのかさっぱり分かりません。丸谷才一を擁護したというのなら私の主張に矛盾があるといえるでしょうが、私は丸谷才一を批判していないだけです。理由を言っても仕方がないですが、また揚げ足を取られると面倒なので簡単に言えば、綿者丸谷才一に関心がないからです。

 繰り返しになりますが、とほほさんもお書きになっているように、根拠なしに他人を誹謗しながら、自分は主張と相反する好意で金儲けをしていた、ということを批判しているだけです。

 野嵜健秀という、福田恒存を神のごとく崇めている人が私の主張に執拗に噛み付いてきて私を罵倒していますし(この野嵜氏は多数のサイトを設けて旧かなや福田恒存のことについて幅広い論陣を張っていますので、興味のある方は同氏の指名をキーワードにして検索してみてください)、その他何人か何人かの福田恒存信者の人たちが私の主張に反論していますが、それらの人たちは福田恒存が「根拠なしに他人を誹謗しながら、自分は主張と相反する行為で金儲けをしていた」という事実を頑として認めないか、多少認めたとしても、そういう事実は軽微なものであるからたいしたことではない、と知らぬ振りをするかのいずれかの態度をとるだけです。もっとも、私の主張を認めたら、福田恒存と同じ事をしている自分の存在基盤を否定することになりますから、私の主張の根幹は絶対に認めず、とはいってもそれに対して絶対に否定できないことは知っているので、無関係の事を持ち出したりしてごまかそうとしているわけで、教祖の福田恒存に似てまことに卑怯未練な輩です。

 なお、このスレッドの趣旨嵳嵳はヒロヒトのことについてのものでしたのに、妙な手合いが乱入してきて肝腎の主題がかすんでしまったようです。
175 hits

[3280]Re(2):かな使い
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 会長 E-MAIL  - 06/9/29(金) 14:14 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
>このスレを見てみると、「ヒロヒトは人非人」とか「愚将山本五十六」とか、ほかの掲示板でですが「戦艦武蔵大和は馬鹿の象徴」といっています。まさかこれで「大東亜戦争は聖戦であり、日本兵は神兵だ」とはいいますまい。
> つまり会長は、「太平洋戦争は日本の愚挙、蛮行である」と非難しつつ、しかし「徴兵を逃れたのは卑怯だ」と主張しているわけです。これは矛盾していませんか。太平洋戦争が聖戦などではなく他国への侵略でしかないのなら、それに加担しなかったことは「卑怯」どころか、むしろ賞賛すべきでしょう。
> 福田が戦前「御国のために死ね」とか主張していたというならまた話は違ってきますが、わたしはそんな話は寡聞にして知りません。

 太平洋戦争を非難することと、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存を「徴兵逃れをした」という理由で批判することとは矛盾していません。前者はその戦争全体を、してはならなかったこととして批判していますが、後者は、その戦争そのものに対する私の考えとは切り離して、戦争中にある特定の個人、つまりこの場合には福田恒存、の行動を、戦争当時の平均的国民の気持ちを基準として非難しているわけです。すなわち、戦争中の一般国民であれば「徴兵逃れをする」という行為についてどのように考えたか、という事を基にするとともに、戦後福田が政治的な論文で国家・国防・愛国心などについて発表した文章の記述から、福田の徴兵逃れという行為が、かなづかいにおける言行不一致と同根であることを感じた結果、福田の徴兵逃れ行為も非難しているわけです。 福田が戦前「御国のために死ね」とか主張していたなら話がまた違ってきますが、と仰っていますが、なぜ戦前に限定するのですか。戦後の福田の主張も対象とすべきでしょう。
153 hits

[3281]Re(8):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/29(金) 16:58 -

引用なし
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   ひとつお聞きします。

 たとえばわたしが、あくまでたとえですが、「笠原十九司をやっつける会会長」を名のり、「夏淑琴は人非人、猿にも劣る卑怯者」という投稿をしても、内容はともかく、ハンドルネームや表現についてとほほさんは容認されるのでしょうか。

 そもそも会長の投稿は「天皇の靖国参拝」についてであって、福田恒存はまるで関係ないのになぜ「福田恒存をやっつける」と名のる必要があるのでしょうか。
 特定の個人をさして「やっつける」というのは穏やかとはいえないし、「人非人」「猿にも劣る」というのは相手の人格を否定している。「誹謗中傷」、「差別」にあたるとわたしは考えます。
175 hits

[3282]Re(9):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/29(金) 17:10 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
> たとえばわたしが、あくまでたとえですが、「笠原十九司をやっつける会会長」を名のり、「夏淑琴は人非人、猿にも劣る卑怯者」という投稿をしても、内容はともかく、ハンドルネームや表現についてとほほさんは容認されるのでしょうか。

その言論が正しければ容認しますが、例えば夏淑琴さんに対しては、明らかに自明な誹謗です、そのことを私は認識してますので即削除です。

笠原十九司氏の件では、おそらく笠原氏もそれを楽しげにこの掲示板を読まれるかと思いますし(笑)、笠原批判が多いのはこの掲示板の特徴です(^^ゞ
187 hits

[3283]Re(3):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/29(金) 17:19 -

引用なし
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   ではまず、福田が徴兵忌避をしたという証拠を提示してください。福田が徴兵逃れをしたのでなければ会長の批判は成立しません。
あわせて、会長が根拠としている福田の論文のタイトルもあげていただきたい。
162 hits

[3284]Re(4):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/29(金) 17:32 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
>ではまず、福田が徴兵忌避をしたという証拠を提示してください。福田が徴兵逃れをしたのでなければ会長の批判は成立しません。

会長さんの主張は、当時徴兵対象者であったにもかかわらず軍役に服していないと言うものです。これに反論するためには軍役に服せなかった事情を説明する義務があるのはあなた自身です。

>あわせて、会長が根拠としている福田の論文のタイトルもあげていただきたい。

会長さん自身が挙げております。その論文では納得いかないのであればあなた自身がその論文に反論せねばならないのではないのでしょうか?
152 hits

[3285]Re(8):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/29(金) 18:21 -

引用なし
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    福田が新かなを批判していたのは根拠のない誹謗ではない。新かなの不合理さ、新かながきわめて政治的に決定されたこと、正かなで本を出すこともできない「表現の不自由」に対して批判を行っていたのです。福田は「【新かな】を使う人間を誹謗し」てはいません。新かなが普及し、使用されるようになってしまった現実は認めざるをえなかった。しかし新かなを「支持」する論者に対してはその論旨の矛盾をつき、正かなの正しさを主張し続けたのです。

 福田は昭和30年代に朝日新聞で「きのうきょう」というエッセイを連載していましたが、このエッセイは新かなで掲載されていました。それを知人に指摘された福田は記事で「新聞社から、読者は新かなに慣れ親しんでいるので新かなで掲載するという要望があり、それはそれで筋はとおっているので、正かなで原稿を書き、新かなに直してもらっている」と答えています。ちなみにこのエッセイは全集に収録されたものは正かなに戻してあります。また『私の國語教室』で福田は、「一般の文筆家も同樣の先入觀に囚れ、心ならずも自分の著書を「現代かなづかい」になほして出すことを認める人もゐるやうです」(文春文庫版P103)と書いている。
 つまり福田にとっては、新かなで本を出すことは「心ならずも」であり、不本意であったのです。
 また同じく『國語教室』で「私が「現代かなづかい」に改宗したところで、それだけ印税收入が殖えるといふこともありますまい」(文春文庫版P102)と書いている。つまり「新かなで出したって私の本の売れ行きは上がりはしないだろう」と言っているのに、なぜ福田が、金儲けをもくろんで新かなの本を出した、という結論になるのでしょうか。
 事実は逆で、「正かなの総大将」である福田恒存「ですら」、新かなで本を出さなければならなかったという出版業界の事情があったのです。
 念のために書いておきますが、福田は自著の単行本はすべて正かなで出しています。唯一の例外は『私の幸福論』ですが、これは「若い読者向けに書いたものだから」と説明している。また翻訳や文庫、文学全集、雑誌、新聞の記事は新かなのものもある。翻訳は自分で書いたものではないし、単行本と違い文庫や雑誌などの編集方針は出版社の意向に大きく左右されるものだからです。
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[3286]Re(5):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/29(金) 18:24 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼佐藤 俊さん:
>>ではまず、福田が徴兵忌避をしたという証拠を提示してください。福田が徴兵逃れをしたのでなければ会長の批判は成立しません。
>
>会長さんの主張は、当時徴兵対象者であったにもかかわらず軍役に服していないと言うものです。これに反論するためには軍役に服せなかった事情を説明する義務があるのはあなた自身です。
 最初に「徴兵忌避」を主張したのは会長です。ならば会長が徴兵忌避の証拠を提示する義務がある。「立証責任」は被告ではなく原告にあります。つまりこの場合は会長にその責任がある。そして証拠が不十分ならば、被告を起訴することはできません。

>>あわせて、会長が根拠としている福田の論文のタイトルもあげていただきたい。
>
>会長さん自身が挙げております。その論文では納得いかないのであればあなた自身がその論文に反論せねばならないのではないのでしょうか?
 会長の主張には具体的なタイトルは書いていません。「論文で主張している」というのであれば、そのタイトルをあげることはできるでしょう。
149 hits

[3287]Re(6):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/29(金) 18:40 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
> 最初に「徴兵忌避」を主張したのは会長です。ならば会長が徴兵忌避の証拠を提示する義務がある。

ですから(^^;
徴兵対象者であるに関わらず、徴兵されていないことを【証拠】としているのです。(私の読み落としで他にもあるかもしれませんが)、しかも傍証として福田氏の思想的背景を論証しているわけです。
その証拠に対して反論する責任は貴方にあるのです。

貴方はよく法律用語を濫用される癖があるようですが、法的概念に従うのであれば、主張する側には自由に主張する権利があるのです、もちろん証拠など必要ありません。それに反論する側は「その主張は間違っていること」を主張しその主張を裏付ける証拠を提出するのです。その上で相反する双方の主張の根拠を検討し判定を下すのが法なのです。
157 hits

[3288]Re(7):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/9/29(金) 19:59 -

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   ▼とほほさん:
>徴兵対象者であるに関わらず、徴兵されていないことを【証拠】としているのです。
 随分乱暴な【証拠】です。ほかになにも証拠がないのに、唯一アリバイだけが証明できなかったから有罪、という裁判があっていいのでしょうか。福田以外にも徴兵されなかった人は大勢いました。その全員が徴兵を忌避したのでしようか。
>貴方はよく法律用語を濫用される癖があるようですが、法的概念に従うのであれば、主張する側には自由に主張する権利があるのです、もちろん証拠など必要ありません。
つまり何の証拠もなしに、ひとを犯罪者呼ばわりしてもいいということですか。

ちなみにですが、『私の國語教室』P334に、「戰爭中、私が日本語教育振興會から中國に出張を命ぜられ」とあります。福田は昭和19年まで文部科学省の外郭団体であるこの会に所属していました。つまり国の仕事をしていたので徴兵を免除された、と見ることはできそうです。
158 hits

[3295]Re(8):かな使い
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/30(土) 0:06 -

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   ▼佐藤 俊さん:
> 随分乱暴な【証拠】です。ほかになにも証拠がないのに、唯一アリバイだけが証明できなかったから有罪、という裁判があっていいのでしょうか。福田以外にも徴兵されなかった人は大勢いました。その全員が徴兵を忌避したのでしようか。

どうも、よく理解していないようです(^^;
つまり、それが貴方の反論になるわけです(他にも大勢居たこと)

>つまり何の証拠もなしに、ひとを犯罪者呼ばわりしてもいいということですか。

ですから、それが違うと言うのであれば反論するように私は貴方に促しているのです。きちんと下記のようにね。しかし貴方の反論を読んでも私の判断は誹謗中傷とはいえない、と言うタダそれだけの話です。またここは法廷ではありませんので、法廷で決着をつけるということであれば管理人に依存はありません。

>ちなみにですが、『私の國語教室』P334に、「戰爭中、私が日本語教育振興會から中國に出張を命ぜられ」とあります。福田は昭和19年まで文部科学省の外郭団体であるこの会に所属していました。つまり国の仕事をしていたので徴兵を免除された、と見ることはできそうです。
165 hits

[3395]Re(9):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/10/15(日) 21:03 -

引用なし
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   > 法的概念に従うのであれば、主張する側には自由に主張する権利があるのです、もちろん証拠など必要ありません。
警察が大喜びしそうな論理ですね。なぜなら、「逮捕権」を際限なく認めるものだからです。「逮捕するのに証拠はいらない、無実を証明する義務は被疑者にある」というわけで、被疑者に弁護能力が無ければ有罪、となってしまいます。無論そんなべら棒な話はない。刑事でも民事でも、誰某に非があることを主張するのに、それに足る証拠や根拠が無ければ、裁判所は訴えを却下します。裁判に限らず、通常の議論においても、それは同様です。
会長は福田が「徴兵されなかった」ことが「徴兵逃れをした証拠である」と主張し、とほほさんもそれに同意していますが、宗左近氏のように「徴兵逃れをしたが結局徴兵された」例もあるのですから、「徴兵されなかった」ことは「徴兵逃れ」の証拠にはなりません。「徴兵逃れ」が「事実である」と主張するためには、徴兵を逃れるためにどのようなことをしたのか、その直接的な物証や証人が必要となる。それを挙げられない限り、「徴兵逃れ」は「事実」にはなりません。「証明」をともなわない主張だけでは、事実を示したことにはならないのです。
会長は、「徴兵忌避」を非難する根拠は福田自身の書いた論文が根拠だ、と主張しており、わたしはであればその論文のタイトルを示してほしいと要求しました。しかし、2週間近く経ちますが、根拠となる論文のタイトルの提示はありません。つまりそのような論文は存在しない、と判断せざるを得ない。
「事実」も無く、批判の「根拠」もない。これを「言い掛かり」というのであって、言い掛かりでしかない会長の主張は「中傷」であります。

さらについでですが、福田は昭和11年に徴兵検査を受けていますが「丙種」、つまり兵役には向かない、ということで「兵役免除」になっています。
173 hits

[3396]Re(9):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/10/15(日) 21:08 -

引用なし
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   会長が「金儲け」の根拠としているヶ所を、もう少し正確に引用してみます。
ローマ字論者もかな文字論者もまことに氣輕に分ち書きを主張します。が、私は日本語は膠着語であるがゆゑに分ち書きは不可能だと考へます。その證據が右の例の「イチャイッチャッタッテッテチョーダイ」です。これは三つにしか切れない。「イチャ」と「イッチャッタッテッテ」と「チョーダイ」ですが、これでは語の分離ができません。土岐氏、倉石氏、ことに松坂氏にその解決方法を伺ひたいものです。松坂式分ち書き法ではどうなるのか。また實藤氏はしばらくまへ、この「國語教室」への反駁をかな文字を主とした分ち書きで書いて「週刊讀書人」の編輯部に手を焼かせ、かつ原稿料を不當にかせいでをりましたが、あれは文章語ですし、最初から分ち書きしやすいやうな生硬な文章しか書けない人だから、どうやらうまく書けはしてゐるものの、國語が十年もたつて「イッチャッタッテッテ」式が當たりまへになつたら、そしてさう書くのが言文一致と表音主義の原則から正しいのですから、そのときはどうしますか。私の杞憂ではない。「たり」が「た」になつたやうに「と言つて」が熟して「てつて」になる可能性は充分ありうるのです。それら膠着化の場合すべてを通じて、分ち書きの法則をたて、分たれた一ゝの語を一定の語形として定着させる目算があるのでせうか。(『私の國語教室』文春文庫p323)

雜誌や單行本の編輯者のなかには、たくさん賣るためにはどうしても「現代かなづかい」にしなければだめだと思ひこんでゐる人がをりますが、言ふまでもなく、これは單なる先入觀に過ぎません。試みに吉川英治氏の小説を歴史的かなづかひで出してみるといい。賣行きは少しも變らないでせう。いや、現に谷崎潤一郎氏の『鍵』は歴史的かなづかひですが、それはこの作品がベスト・セラーになるのを少しも妨げはしなかつた。もし『鍵』は主として歴史的かなづかひで育つた中年層に受入れられたからだと言ふなら、三島由紀夫氏の小説を例にとつてもよろしい。彼も歴史的かなづかひで書いてをりますが、やはり大抵ベスト・セラーになります。同樣に、わたしが「現代かなづかい」に改宗したところで、それだけ印税收入が殖えるといふこともありますまい。たびたび私事を言ふやうですが、いま中學一年の私の長男は學校で漱石の話を聞いてきたのでせう、夏休みに『坊つちやん』と「吾輩は猫である」をたてつづけに讀み、大層おもしろがつてをりました。それらがいづれも歴史的かなづかひで書かれていることは申すまでもありません。それにもかかはらず、文中理解できぬ箇處の質問は耳なれぬ言葉や漢語の意味に限られ、かなづかひの讀みについて不審をただしたことは一度もありませんでした。そのことと併せて、漱石が今日でも壓倒的に青少年の讀者を集めてゐること、際物のベスト・セラーなど遠く及ばぬことに注意していただきたい。かなづかひの舊新は決して本の賣行きを左右いたしません。ある本を買ふか買はぬかを決めるのに、店頭でいちわうかなづかひを調べてからするといふ人はまづ無いと思はれます。といふことは、どんな若い人でも歴史的かなづかひを「現代かなづかい」同樣、容易に讀みこなしてゐるといふことです。
それにもかかはらず、歴史的かなづかひでは賣りにくいといふ先入觀が一部の編輯者のうちにあることは事實です。編輯者だけではない。一般の文筆家も同樣の先入觀に囚れ、心ならずも自分の著書を「現代かなづかい」になほして出すことを認める人もゐるやうです。しかし歴史的かなづかひが讀みにくいといふのは全く根も歯もない迷信であります。今まで一度もそれに接したことのないものでも、彼が日本人である以上、その文字と音とのずれをことごとく讀みあて、しかも十頁も行かぬうちにそのずれの法則のすべてを類推で歸納しうるはずです。事實、戰前にはどんな無教育なものでも、歴史的かなづかひを皆そのやうにして讀み習つてきたのであり、今日の國語改革論者が大仰に宣傅するやうな意思傅達の混乱など露ほども生じなかつたのであります。(同p101~)

前者は「分かち書き」論に対する批判だし、後者は「歴史的仮名遣いは読みにくい」という俗説に対する反駁です。「原稿料」だの「売行き」だのは何度もいうとおり話の枕、枝葉末節に過ぎない。しかし会長はそれがまるで根幹であるかのように主張している。これは捏造であります。
「新かなを批判するならば、新かなを使ってはいけない」という主張は一見筋が通っているように見えますが、実際問題として新かなが社会に普及している以上、それにしたがわざるを得ないことだってある。新かなの世の中で、それでも新かなは間違っている、と理想を主張することは矛盾でも二枚舌でもない。現実を変えようという理想を唱えることが許されないなんてばかな話はない。もしそうであるなら「日本を批判するのならば、日本に住んではならない」という主張も正しいことになってしまう。
繰り返しになりますが、「正かなの総大将」である福田でも、本を新かなで出さざるをえなかったという表現の不自由、新かなそれ自体の不合理、また新かな支持者の主張の矛盾、つまり根拠を挙げて、福田は新かなや新かな論者を批判していたのです。決して根拠も無く誹謗していたのではない。ましてや「金儲け」云々は会長の邪推でしかない。
主張を捏造し、動機を邪推して人を悪し様にののしることこそ「誹謗」というのです。

わたしがこれまで述べてきたような会長の主張に対する反論は、ほかの掲示板でも散々なされているもので、わたしはいわばそれらを再質問しているに過ぎません。

会長は自身の主義主張に、忠実に従って生きてこられたのでしょう。ときに周囲の反発を買い、社会的に孤立したこともあったに違いない。そうでなければ、福田が新かなで本を出したことを「二枚舌」と非難する理由がない。会長の生き方それ自体はご立派なものですが、しかし世の中の人間が全員、会長のように生きることはできない。会長からみれば軟弱と思われるかもしれないが、生活のために意に添わぬことをする、主義主張を曲げざるをえないことは誰にだってありえる。
おれはのんべんだらりといい加減に生きる、だがお前は四角四面にくそまじめに生きろ、というのは筋が通りません。理想を持たないのならば他人の理想を嘲笑う資格はありません。
180 hits

[3397]Re(9):かな使い
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 佐藤 俊 WEB  - 06/10/15(日) 21:10 -

引用なし
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   このスレの主旨である「ヒロヒトは人非人である」という主張にも触れることにします。
天皇にも戦争責任がある、という主張に一理を認めてもよいでしょう。しかし、「人非人」や「猿にも劣る」という表現は許されるものではない。
「罪を憎んで人を憎まず」は民主主義の原則です。非があるからといって、人格まで否定はされない。犯罪者であっても奴隷や賤民にされるわけではない。「身分」は民主主義においては否定されるものです。
しかし「人非人」「猿にも劣る」というのはすなわち「人間以下」呼ばわりしていることである。つまりは「差別」にほかならない。
天皇は「国民」ではないから、民主主義は適用されない、ということにはならない。民主主義が適用されないのならば戦争責任を問うこと自体できません。義務は要求するが権利は認めない、というのもまた民主主義の理念に反するものです。
非があれば人格も否定してよいというのは民主主義による裁定ではない、非民主的な私刑にほかなりません。
165 hits

[3404]Re(10):かな使い
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/16(月) 0:16 -

引用なし
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   ▼佐藤 俊さん:
>このスレの主旨である「ヒロヒトは人非人である」という主張にも触れることにします。
>天皇にも戦争責任がある、という主張に一理を認めてもよいでしょう。しかし、「人非人」や「猿にも劣る」という表現は許されるものではない。
>「罪を憎んで人を憎まず」は民主主義の原則です。非があるからといって、人格まで否定はされない。犯罪者であっても奴隷や賤民にされるわけではない。「身分」は民主主義においては否定されるものです。
>しかし「人非人」「猿にも劣る」というのはすなわち「人間以下」呼ばわりしていることである。つまりは「差別」にほかならない。


「天皇にも戦争責任がある」というのは自明に近い、と私は思う。
「人非人」や「猿にも劣る」という表現は厳しいが、そのような表現をもって批判されるべき行為はあるし、そのような人間もいると思う。

したがって、「人非人」や「猿にも劣る」という表現にふさわしい、愚行・悪行であることを摘示してそのような罵言を言うことは差別には当たらない。
佐藤 俊さんが争うべきは一般的な悪罵の是非ではなく、天皇の行為に対する具体的な評価を争うことである。
169 hits

[3410]Re(11):かな使い
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 会長 E-MAIL  - 06/10/16(月) 12:41 -

引用なし
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   しばらくの間このスレッドを見ない間に、佐藤俊氏が乱入してきてスレッドの趣旨とは異なる仮名遣い問題に話をそらせました、それに対して主としてとほほさんが、またタラリさんが私の代わりに論陣を張ってくださりお礼を申し上げます。

 佐藤氏の投稿は趣旨違いですから初めから無視すればよかったのですが、うっかり私が答えてしまったのでご迷惑を掛けてしまい済みませんでした。

 仮名遣いの件ですが、この問題は私が二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存の言行不一致を問題にしてからおよそ6ヶ月になります。問題点の論議は出尽くしていて、今は単なる水掛け論や、いたちごっこの不毛な論議を繰り返しているに過ぎません。

 しかし、福田恒存信者である旧かな支持者にとっては、宗教の信者が教祖を批判されると、その批判の論拠の正否を問わずに、論旨をずらす、論点を無視する、批判文の語句に文句をつける、批判者の人格を攻撃するなどのやり方で反撃するだけで、批判に正面から反駁することは決してしません。説く私が行っている福田恒存批判は、スレッド番号3278で私が書きましたように

>繰り返しになりますが、とほほさんもお書きになっているように、根拠なしに他人を誹謗しながら、自分は主張と相反する行為で金儲けをしていた、ということを批判しているだけです。(中略)、何人かの福田信者が私の主

張に反論していますが、それらの人たちは福田恒存が「根拠なしに他人を誹謗しながら、自分は主張と相反する行為で金儲けをしていた」という事実を頑として認めないか、多少認めたとしても、そういう事実は軽微なものであ

るからたいしたことではない、と知らぬ振りをするかのいずれかの態度をとるだけです。もっとも、私の主張を認めたら、福田恒存と同じ事をしている自分の存在基盤を否定することになりますから、私の主張の根幹は絶対に認めず、とはいってもそれに対して絶対に否定できないことは知っているので、無関係の事を持ち出したりしてごまかそうとしているわけで<以下略

ということで、自己のよって立つ基盤がなくなりますから、いかなる詭弁を弄してでも、私の主張を認めるわけにはいかないわけです。福田信者と書きましたが、新かな反対論者のほとんど全て、特に国語問題協議会の会員、は福田恒存を敬うことまさに神のごとくで、福田の新仮名遣い批判書である「私の国語教室」を聖典として崇めています。

 上のほうで、「根拠なしに他人を誹謗しながら、自分は主張と相反する行為で金儲けをしていた」というのは次の事実です。

 「さねとう氏は原稿を分かち書きで書いて編集者をてこずらせ、不当に原稿料を稼いでいました(以下略)」(文芸春秋版福田恒存全集第4巻624頁)。および「雑誌や単行本の編集者の中には、たくさん売るためには「現

代仮名遣い」でなければだめだと思い込んでいる人がおりますが(略)これは単なる先入観に過ぎません。試みに吉川英治氏の小説を歴史的仮名遣いで出してきるといい。売れ行きは少しも減らないでしょう。いや、現に谷崎潤

一郎氏の「鍵」は歴史的仮名遣いですが、それはこの作品がベストセラーになることを妨げはしなかった。(略)同様に私が「現代仮名遣い」に改宗したところでそれだけ印税収入が殖えるということもありますまい。(略)仮名遣いの旧新は決してほんの売れ行きを左右いたしません」(上掲書498頁)。

と書きながら、福田は、大量に翻訳出版していた米英の探偵小説の全て(例えばチェスタートンの作品)、およびその他の翻訳書(例えば、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」、ヘミングウェイの「老人と海」など)のほと

んどを新かな表記で出版していたし、翻訳以外の書籍も新かな表記で出版したもの(例えば「私の幸福論」)がいくらもあります。特に許せないのは、福田が聖典「私の国語教室」を雑誌に連載していた最中にも新かな表記の本を出

版していたり、国語学者の金田一京助氏と仮名遣い論争を激しく遣り合って、同氏を口を極めて罵っていたりしている最中にも、批判は批判、論争は論争と、新かな表記の本を平然と出版し続けたことです。世の中にはずうずうしく厚かましい人間はいくらもいますが、それでも福田のような言論で生きている人間が福田のような言行不一致をした例を知りません。

 上記の「さねとう氏は原稿を分かち書きで書いて編集者をてこずらせ、不当に原稿料を稼いでいました」ということを福田はどのようにして知ったのでしょうか。さねとう氏は「分かち書きのかな文字論者」でありましたから原

稿を分かち書きで書いたのは当然ですし、分かち書きで書いたから編集者が編集にてこずるなどということはありえません。逆に「新かな反対論者である」福田が、旧かなで・旧字体で書いた原稿を、新かな表記の書物にするため

に編集者が行わねばならない編集作業のほうが格段に面倒であったことは確実です。そういうことを百も承知で上のようなことを平然と書く福田のいやらしさ。また、「不当に原稿料を稼いでいました」ということを公開の文書

で書いたからには、福田はさねとう氏がそのことを誰かから聞いたことがあるのでしょうが、いったい、原稿を分かち書きにして「原稿料を不当に稼げる」ものでしょうか。分かち書きにすれば分かち書きのための1字分だけ現

行の升目が埋まるでしょうから、その文の字数だけ原稿料が増加することは事実でしょうが、それを「不当に稼いでいました」と非難するほどのことでしょうか。それよりも、そういった、さねとう氏が稼いでいたということを福

田はいったいどこから聞いたのでしょうか。上述のことから、さねとう氏はそのようなことができなかったことは明らかですから、福田の書いた事はすべて福田の想像に過ぎず、さねとう氏を貶めるためのデマです。

 それだけでも福田は人間の屑とも言えるような手合いですが、「同様に私が「現代仮名遣い」に改宗したところでそれだけ印税収入が殖えるということもありますまい。(略)仮名遣いの旧新は決してほんの売れ行きを左右いた

しません」と大見得を切っていながら、実際は新かな表記のほうが売れ行きがいいので、「印税収入を殖やすために」海外探偵小説その他の翻訳書や、一般大衆向けの本は全て新かな表記で出版していたのです。「同様に私が「現代仮

名遣い」に改宗したところでそれだけ印税収入が殖えるということもありますまい。(略)仮名遣いの旧新は決してほんの売れ行きを左右いたしません」のなら、なぜ、編集者に「仮名遣い変更、漢字書体変更」などの大変な手間をかけさせてまで、持論の旧かな表記ではなくて新かな表記で作品を出版したのか、教祖様のみ心は不信心な私にはまったく理解できません。

 こういうkとを書くと、佐藤俊氏を初めとする福田信者は、新かな表記で出版された本は少数だからかまわないとか、生活のためだとか、出版社の都合・力関係もあるとか、その他いろいろ愚にもつかない理由を述べ立てま

す。しかし、たとえ1冊だろうと新かな表記の本を出版したことで、特に福田のような言論人はその言論を信用できなくなるのが当たり前ですが、そこのところが福田信者には理解できないらしい、というよりも理解したら信者

の存在自体が無に帰するのが恐ろしいためにあえて理解できないフリをしているだけです。福田のように新かな排斥運動はしなかったが、新かな反対の立場を貫いて作品を出版した小説家は、例えば、山本周五郎、井伏鱒二、倉橋由美子など私の知っているだけでも数名はいました。それでもそういう人たちは、福田とは異なって、新かな排斥などとは主張せずに自己の信念に従っていました。

 まことに福田恒存という人間は 屑 そのものですが、一部では評価が高く、特に最近の社会情勢では信者の運動もあってその名はますます高くなるようで寒心のいたりです。

 というわけで、佐藤俊氏などのような輩の相手にはならないほうが無難です。言って聞かせて分かるような手合いではありません。無視するのが一番です。

 それから、瀬戸内寂聴という小説家兼尼僧がいますが、この人間も、「国語問題協議会」という新かな排斥・旧かな普及をしている団体の役員をしていて、新かな排斥運動をしていますが、その尼さんが公に書く文章は小説はも

ちろん、全て新かな表記です。お釈迦様の説く戒律に妄語戒というのがありますが、瀬戸内寂聴はその戒を公然と破っている破戒尼です。こういうインチキな人間の言うことを金を払ってまでして(瀬戸内のウェブサイトには説

教を拝聴するための手続きが表示されています。教祖福田恒存と同様に何事もかね、金、金です)拝聴する人間がいる大勢存在するのですから、詐欺師には住みやすい世の中ですねえ。
168 hits

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