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[3298]私の死刑廃止論 とほほ 06/9/30(土) 2:49
[3299]まだまだ復讐代行システムが必要なのです。 熊猫 06/9/30(土) 14:42
[3301]私も死刑廃止論 タラリ 06/9/30(土) 23:51
[3302]Re口先だけの謝罪なんて… フナずし 06/10/1(日) 18:05
[3303]Re(1):Re口先だけの謝罪なんて… タラリ 06/10/1(日) 21:45
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[3321]Re(4):Re口先だけの謝罪なんて… フナずし 06/10/5(木) 10:30
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[3315]私は終身刑にも反対 指環 06/10/4(水) 7:13
[3360]Re(1):私は終身刑にも反対 とほほ 06/10/7(土) 22:40
[3359]Re(1):私の死刑廃止論 とほほ 06/10/7(土) 22:15
[3369]Re(1):私の死刑廃止論 パルミーロ 06/10/9(月) 16:26
[3372]Re(1):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/10(火) 0:31
[3373]Re(2):私の死刑廃止論 とほほ 06/10/10(火) 3:04
[3377]Re(3):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/10(火) 22:53
[3378]Re(4):私の死刑廃止論 とほほ 06/10/10(火) 23:31
[3379]Re(5):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/11(水) 2:25
[3383]Re(6):私の死刑廃止論 指環 06/10/11(水) 18:43
[3382]Re(2):私の死刑廃止論 指環 06/10/11(水) 18:40
[3391](参考資料)団藤重光氏の『死刑廃止論』 指環 06/10/14(土) 1:09
[3392]Re(3):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/15(日) 1:18
[3406]Re(4):私の死刑廃止論 指環 06/10/16(月) 2:22
[3393]Re(3):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/15(日) 2:58
[3407]Re(4):私の死刑廃止論 指環 06/10/16(月) 2:53
[3409]Re(4):私の死刑廃止論 とほほ 06/10/16(月) 4:36
[3416]Re(5):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/16(月) 21:36
[3418]Re(5):私の死刑廃止論 とほほ 06/10/16(月) 21:57
[3539]Re(5):私の死刑廃止論 熊猫 06/10/25(水) 23:17
[3540]Re(6):私の死刑廃止論 タラリ 06/10/25(水) 23:54
[3475]バダンテール死刑廃止演説 全文訳 とほほ 06/10/23(月) 3:03
[3519]【参考資料】韓国議会死刑廃止法案 とほほ 06/10/25(水) 13:28

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[3298]私の死刑廃止論
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 とほほ E-MAIL  - 06/9/30(土) 2:49 -

引用なし
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   私の死刑廃止論と言うのは、確かに【冤罪】と言う問題もあるのですが、その前に「刑罰とは何か?いかにあるべきか?」と言う考え方が基調になってます。つまり、重すぎる、とか、軽すぎる、と言う思考は何を根拠にしているのだろう?と言うことです。(幸徳秋水をはじめとした一連の大罪事件は冤罪の問題の範疇を超えてますが(^^; )

私はこう思うのです。
法とは「他者の人権を侵害した場合のみ、その侵害を行った人物の人権を侵害することが出来る」と言うことではないのでしょうか?
人権侵害は基本的に【悪】です。ですから国家や法といえども、刑罰が悪であることの本質は変わらないわけです。ですから刑罰は犯罪者が他者の人権を侵害しないような処置にしか過ぎないのではないでしょうか?そうでなくては【法】の正当性を失ってしまいます。決して法は被害者の復讐代行システムであってはならないと思います。

このように考えると、犯罪者を殺す、と言う行為になんら必然性がないのです。つまり国家権力には人間を殺す権利はないのです(これは亀井静香氏の廃止論にも通じると思います)。法が殺人を否定しているのにその法が殺人を犯すのは大いなる矛盾なのです。
そればかりかそのことにより真相は闇の中となってしまうことはオームの麻原の例をとってもよくわかると思います。

少し考えて見ましょう、死刑以外の刑罰で法が否定している行為を法自身が行っているのは【監禁】だけなのです。この【監禁】には必然性があります。他者の安全のためです。

もう、十年近く前になるでしょうか?池袋の通り魔殺人事件の被害者の家族(当時中学生と高校生の兄弟)の「死刑廃止論の批判ページ」が開設され話題になったことがあります。被害者の感情はよくわかります。彼等の前で私も一言も発言することは出来ませんでした。しかし、敵討ち、は周囲の人間は何とかそれを止めさせるべきであると同様に、死刑(法)は復讐代行システムであってはならない、と私ごときは考えるわけです(^^ゞ
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[3299]まだまだ復讐代行システムが必...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/9/30(土) 14:42 -

引用なし
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    多くの人が、法による刑罰を復讐代行として受け止めているのではないでしょうか。被害者の中に死刑を望む声がある限りは、死刑は廃止するべきではありません。本来、刑罰は法を犯す行為を抑止するためのものだと思います。刑が重いか軽いかの判断基準は、刑罰が抑止効果として機能しているかという問題と、被害者が納得できる刑罰であったかということが重要だと思います。日本の裁判官は、被害者の感情を軽視していると思います。
 日本において死刑というのは認知された刑罰であり、それを承知の上で犯罪を犯すのですから、判決及び刑の執行には問題はないと思います。
 「無念をはらす」ということは、まだまだ日本人にとって重要なことなのです。そして「被害者の方は自分で復讐して下さい」というような事はあってはならないのです。

 現行のままでは死刑廃止論は、「被害者の皆さん、泣き寝入りしましょう。」としか聞こえないのです。例えば、とほほさんの文章にはそのようなことは全く書かれていません。しかし被害者の方が読むと、「泣き寝入りということか?」ということになります。被害者の方は、全く違った主観で「死刑」をとらえているのです。

 制度としての「死刑」は後回しにして考えては如何でしょうか?制度が悪いのではなく、犯罪を犯すことが悪いのです。死刑という制度があっても誰も犯罪を犯さなければ、「死刑」そのものは存在しえないのです。
 ズラズラと内容のないことを書きましたが、悪質な凶悪犯罪の被害者を出さないこと、つまり凶悪犯罪のない社会をつくる取り組みをすることが先決なのです。これは法のような制度だけの問題ではなく、社会環境の全面的な見直しが必要なのです。極端に言ってしまえば、テレビ番組の内容まで見直す必要があるかと思います。

 私は現行において死刑を容認していますが、将来的に死刑は廃止するべきだと思います。しかしそれは社会の道徳観を高めた後のことなのです。つい先日、近所で酒を飲んで車を運転して、3人の子供を殺した市役所の職員がいました。後日、同じ場所で検問をしたらそれでも、飲酒運転で捕まる不謹慎な輩がいます。自分の子供が車と一緒に沈んでいく親の気持ちが理解できないのでしょうか?
 駐車場付のスナックや居酒屋があり、平気で飲酒運転がおこなわれ警察も本気で取り締まらない。まず社会が人命を尊重するような風土を作ることが先決です。
56 hits

[3301]私も死刑廃止論
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 タラリ E-MAIL  - 06/9/30(土) 23:51 -

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   かの有名なハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」というのが復讐法だという俗説があります。目を傷つけたら目を傷つけて返し、歯を傷つけたら歯を傷つけて返すという応報と取られたわけです。

しかし、これはむしろ罪刑法定主義の始まりとみなされています。傷害を受けた側が復讐の念から犯罪者に対して過剰に仕返しするのを防ぐためにはじまったことで、一定の罪に対して法で定めた罰を与えるということがはじまった。また、傷害を受けた側の私的な報復を禁じ、刑の執行は国家がこれを行うということを定めたはじめでもあった。

犯罪者の刑罰は被害者の手を離れるのであるから復讐とは考えない方がいい。刑罰の内容はいろんな要素からなっている。罪に対する罰という倫理的な意味、犯罪者の再教育・矯正が主なものであろう。刑の軽重は社会のいろんな情勢や人々の考え方で変わるが、基本はそうである。

国家が目指すのは人の命が奪われない社会であるし、そうあるべきである。したがって国家が死刑をするということは国家の理念に反しているというべきである。

犯罪被害者の間に犯人の重罰、極刑を望むという気持ちが生じることは理解ができる。しかし、重大犯罪を冒した犯人が死刑になればそれですべてが済むのであろうか。たとえ犯人が死刑になっても被害者家族の気持ちは癒されない。

癒されない被害者家族の気持ちを重く見て重罰化、死刑待望がよく言われているが、これは本末を誤っている。私は殺人などの凶悪犯が罪を自覚することもなく謝罪の気持ちを抱くこともなく死刑台の露と消えるのはいかがなものかと考える。むしろ、被害者の気持ちにしてみれば、十分な罪の自覚にたち、被害者家族の心境を察することにより、重大な反省・謝罪の念を持つことこそ被害者家族の癒しの第一歩であろうと考える。

被害者家族の心の傷はその他に、心理的ケアや、犯罪被害者の補償制度を作ることによって癒されるべきだと考える。犯罪者による被害者救済補償についてもできるだけ幅広く考えていい。実は心の傷を癒すシステムがないからこそ、重罰を主張するに至っているのだと考える。

重大な犯罪を犯したにもかかわらず、死刑に次ぐ最高刑が無期懲役であり、20−40年で仮出獄できるのは不当であるという指摘がある。これは納得できる。死刑を廃止して終身刑を作ることで矛盾は解決できる。

死刑に処せられる中には単に重大な犯罪であることに加えて、改悛の情もなく、再犯の恐れが極めて強い場合があるが、そのような場合であっても、一生、社会から隔離するということで犯罪者が新たな犯罪をすることを防ぎ、国家もまた別種の重大犯罪を行うという愚を避けることができる。
69 hits

[3302]Re口先だけの謝罪なんて…
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 フナずし  - 06/10/1(日) 18:05 -

引用なし
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   お久しぶりです。

▼タラリさん:
>
>犯罪被害者の間に犯人の重罰、極刑を望むという気持ちが生じることは理解ができる。しかし、重大犯罪を冒した犯人が死刑になればそれですべてが済むのであろうか。たとえ犯人が死刑になっても被害者家族の気持ちは癒されない。
>
>癒されない被害者家族の気持ちを重く見て重罰化、死刑待望がよく言われているが、これは本末を誤っている。私は殺人などの凶悪犯が罪を自覚することもなく謝罪の気持ちを抱くこともなく死刑台の露と消えるのはいかがなものかと考える。むしろ、被害者の気持ちにしてみれば、十分な罪の自覚にたち、被害者家族の心境を察することにより、重大な反省・謝罪の念を持つことこそ被害者家族の癒しの第一歩であろうと考える。

それはどうでしょうね。口先だけの謝罪なんていくらでもできることです。
事実、元検事総長の土肥原さんがこんな話を著書で述べられています。
無期懲役になった殺人犯が10年間も服役するうちに模範囚となり、刑務官の信用を勝ち取るようになりました。そんな彼が仮出所中に何をしたと思います?また人殺しを繰り返したんですよ。こういう結果結果死刑になった犯人が数多くいることを考えれば、タラリさんの考え方はあまりにものん気だと思います。「お礼参り」という専門用語があることは、ご存知だと思います。
それに本村洋さんのように、「犯罪者が反省して真人間に戻ったのを確認した瞬間に処刑をするしたほうが、かえって人の命を奪うことの残酷さを社会に知らしめることになる」という意見もありますが。
それに、「癒しなんかいらない」とご本人が明言されています。
60 hits

[3303]Re(1):Re口先だけの謝罪なんて...
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/1(日) 21:45 -

引用なし
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   ▼フナずしさん:
>お久しぶりです。

どうも、こんばんは。
そうですか、お久しぶりだったですか。あまり覚えていないのですが、問答有用板の方ですか、この板でははじめてではなかったでしょうか。

>それはどうでしょうね。口先だけの謝罪なんていくらでもできることです。

そもそも謝罪というのは口頭でするものです。その謝罪さえしない犯人が多数いるのですから、まず、その謝罪をさせるようにもっていくことが必要でしょう。

>事実、元検事総長の土肥原さんがこんな話を著書で述べられています。
>無期懲役になった殺人犯が10年間も服役するうちに模範囚となり、刑務官の信用を勝ち取るようになりました。そんな彼が仮出所中に何をしたと思います?また人殺しを繰り返したんですよ。こういう結果結果死刑になった犯人が数多くいることを考えれば、タラリさんの考え方はあまりにものん気だと思います。「お礼参り」という専門用語があることは、ご存知だと思います。

ご存じのように死刑判決は非常に数は少ないです。人を殺したらすぐ死刑になっているわけではありません。仮出獄した殺人犯が再犯したということですが、それは死刑にしなかったから起きたとするのは飛躍があります。

仮出獄の判断はよかったのか、再犯の可能性をどう判断したのか。
仮出獄後の監視は適正だったのか。
その殺人犯は真面目に更正を誓っていたのだとしても、出所後の生活基盤を作れていたのかどうか。

再犯の可能性というのはどのような有期刑にもありえることです。(現在の「無期懲役」は事実上一種の有期です)矯正不可能、再犯必至の犯罪者と判断されれば終身刑が適当です。

>それに本村洋さんのように、「犯罪者が反省して真人間に戻ったのを確認した瞬間に処刑をするしたほうが、かえって人の命を奪うことの残酷さを社会に知らしめることになる」という意見もありますが。

それは国家権力の残酷さを知らしめることですよね。

>それに、「癒しなんかいらない」とご本人が明言されています。

ご本人はそのつもりなのでしょうが、「犯罪者が反省して真人間に戻ったのを確認した瞬間に処刑をするしたほうが、・・・」と述べていることは、どこかで犯人に反省をしてほしいと願っていると判断しますね。
犯罪者が反省することですべて本村さんの心の傷が癒されるとはまったく考えていませんが、最低限必要なことです。

死刑は国家としてすべきでないことなのです。殺人刑を容認する国家が殺人を裁くのは不適当です。
60 hits

[3309]Re(2):Re口先だけの謝罪なんて...
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 フナずし  - 06/10/3(火) 1:24 -

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   フナずしです。まず、元検事総長のお名前は土肥孝治さんです。誤って土肥原さんと書いてしまいました。この場を借りて土肥さんにお詫び申し上げます。

▼タラリさん:

>
>ご存じのように死刑判決は非常に数は少ないです。人を殺したらすぐ死刑になっているわけではありません。仮出獄した殺人犯が再犯したということですが、それは死刑にしなかったから起きたとするのは飛躍があります。
>
>仮出獄の判断はよかったのか、再犯の可能性をどう判断したのか。
>仮出獄後の監視は適正だったのか。
無意味な疑問だと思われます。
飛躍というほどのことはないでしょう。森川哲行がいい例です。
先ほど申し上たように、犯人らは「模範囚」でした。再犯の可能性がないと刑務官らを信じ込ませるくらい演技がうまかったからこそ、仮出獄が適当と信じ込ませたから出てこられたのです。

>その殺人犯は真面目に更正を誓っていたのだとしても、出所後の生活基盤を作れていたのかどうか。
本当にまじめに更正なんか誓ってたら、仮釈放中のわずかな期間中に殺しませんよ。

> 再犯の可能性というのはどのような有期刑にもありえることです。
>(現在の「無期懲役」は事実上一種の有期です)矯正不可能、再犯必至の犯罪者と判断されれば終身刑が適当です。

脱獄されればお終いですので同意できません。刑務官の買収、脅迫、幾らでも方法はあります。数ヶ月前ブラジルで大騒ぎになりましたよね?

>>それに本村洋さんのように、「犯罪者が反省して真人間に戻ったのを確認した瞬間に処刑をするしたほうが、かえって人の命を奪うことの残酷さを社会に知らしめることになる」という意見もありますが。

正確には、以下のとおりです
http://critic2.exblog.jp/3251270/
>死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ、とそのように言っていた。
>>それに、「癒しなんかいらない」とご本人が明言されています。
>
>ご本人はそのつもりなのでしょうが、「犯罪者が反省して真人間に戻ったのを確認した瞬間に処刑をするしたほうが、・・・」と述べていることは、どこかで犯人に反省をしてほしいと願っていると判断しますね。

そう願うのはやめたようです。「世に倦む日々」からの本村さんのせりふ引用です。
「この世での謝罪は謝罪にはならない。私は被告人に謝罪は求めておらず、あの世で妻と娘に存分にしてもらいたい」
http://critic2.exblog.jp/3258643#3258643_1
94 hits

[3313]Re(3):Re口先だけの謝罪なんて...
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/3(火) 14:29 -

引用なし
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   ▼フナずしさん:

>先ほど申し上たように、犯人らは「模範囚」でした。再犯の可能性がないと刑務官らを信じ込ませるくらい演技がうまかったからこそ、仮出獄が適当と信じ込ませたから出てこられたのです。

>本当にまじめに更正なんか誓ってたら、仮釈放中のわずかな期間中に殺しませんよ。

逆に言いますと、「本当にまじめに更正を誓えば、わずかな期間中には殺さない」とフナずしさんは認めているわけですね。だから、「仮出獄の判断はよかったのか、再犯の可能性をどう判断したのか」という問題になります。

>> 再犯の可能性というのはどのような有期刑にもありえることです。
>>(現在の「無期懲役」は事実上一種の有期です)矯正不可能、再犯必至の犯罪者と判断されれば終身刑が適当です。
>
>脱獄されればお終いですので同意できません。刑務官の買収、脅迫、幾らでも方法はあります。数ヶ月前ブラジルで大騒ぎになりましたよね?

そこまで言うならば「刑務所はいらない」ということになります(笑)。

ある特定の例をもって全体を規制することは不適当です。フナずしさんは再犯のおそれ、特に凶悪犯罪のおそれがあるものは死刑にせよ、と主張していると受け取りました。

しかし、刑法は犯した犯罪を処罰するものです。未だ犯していないが、将来犯しそうなものを処罰するということは法律の体系にないのです。

>正確には、以下のとおりです
>http://critic2.exblog.jp/3251270/
>>死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ、とそのように言っていた。

正確な文章を読んでも同じことです。国家が殺人をして、社会が人の命の尊厳を知るとは倒錯した考えです。

>そう願うのはやめたようです。「世に倦む日々」からの本村さんのせりふ引用です。
>「この世での謝罪は謝罪にはならない。私は被告人に謝罪は求めておらず、あの世で妻と娘に存分にしてもらいたい」
>http://critic2.exblog.jp/3258643#3258643_1

こちらの言い方でも、「あの世で謝罪してもらいたい」とどこかで謝罪を求めているでしょ。
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[3315]私は終身刑にも反対
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 指環 E-MAIL  - 06/10/4(水) 7:13 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>重大な犯罪を犯したにもかかわらず、死刑に次ぐ最高刑が無期懲役であり、20−40年で仮出獄できるのは不当であるという指摘がある。これは納得できる。死刑を廃止して終身刑を作ることで矛盾は解決できる。
>
>死刑に処せられる中には単に重大な犯罪であることに加えて、改悛の情もなく、再犯の恐れが極めて強い場合があるが、そのような場合であっても、一生、社会から隔離するということで犯罪者が新たな犯罪をすることを防ぎ、国家もまた別種の重大犯罪を行うという愚を避けることができる。

 私も少し書かせていただきます。

 無期懲役刑に処せられた者でも改悛の状のあるとき、10年を経過した後、仮出獄が許されるとされています(刑法28条)。
 このことについて、「無期刑が確定しても、たった10年で刑務所から出られるのはおかしい」という意見が時々あります。

 しかしながら、この意見はいくつかの点で間違った認識を前提にしているのではないかと思われます。

 先ず、ほとんどの無期刑受刑者が10年で出獄するかのような誤解があるようですが、10年はあくまで法文上仮出獄が可能となる期間に過ぎません。実際に10年で仮出獄が許される無期刑受刑者などほとんどいません。
 特にここ10年では18年以内で仮出獄が許された者は皆無です。仮出獄者自体が減っていますし、仮出獄が許された者もその多くは服役期間が20年以上になっています。そして、服役囚の中には服役期間が50年を超える者もいるというのが現状です。
 つまり、無期刑といっても(少なくともその一部は)事実上は終身刑と異ならない運用がなされているのです。

 仮出獄を決定するのは法務省の機関「地方更生保護委員会」ですが、(1)悔悟の情が認められる、(2)更生の意欲が認められる、(3)再犯の恐れがない、(4)社会の感情が仮出獄を是認すると認められる、を判断の基準としています(仮釈放および保護観察等に関する規則)。
 そして、地方更生保護委員会に対して仮出獄の申請を行うのは刑務所長ら矯正施設の長です。受刑者本人が仮出獄の申請を行うことはできません。
 また、忘れてならないのは、無期刑の場合、刑の終わりがないため、仮出獄しても死ぬまで保護観察下に置かれるということです。

 さらに問題なのは、「悔悟の情が認められる」とは有罪の自認を前提としているので、無実を訴え、再審を請求していると「悔悟の情なし」と判断され、仮出獄が認められないことになりがちという点です。

 これらの点から、現状では「無期刑の受刑者が短期で出てくるのはおかしい」などとはとても言えず、むしろ長期拘禁や仮出獄の恣意的な判断こそ問題だと思われるのです。


 次に終身刑について。

 タラリさんは終身刑については支持されるようですが、私は死刑だけでなく終身刑にも反対です。死刑廃止のための当面の代替刑としての終身刑導入は、まぁ仕方ないかな、と思いますが、終身刑それ自体を積極的に支持することはできません。

 そもそも、死刑は残虐な刑罰だが終身刑はそうではないと言えるでしょうか? 終身刑とは死ぬまで刑務所で服役させるという刑罰です。そんな刑罰が科されるくらいだったら、死刑になり、あっさり殺された方がマシだと考えられてもおかしくありません。
 社会復帰は最初からあり得ないとされています。受刑者を更正させることなど最初から考えられないことになります。凶悪犯を真人間にする努力は放棄されます。
 結局のところ、死刑とほとんど変わらない残虐な刑罰です。(考えようによっては死刑以上に残虐かも知れません。)ドイツなどでは死刑だけでなく終身刑も廃止しました。「終身刑も残虐ではないか」と批判されたからです。

 真に人権が尊重される成熟した社会となるためには、重大犯罪を犯した者でも更正させ社会復帰させるべきだし、少なくともその努力を怠ってはならないと考えるのです。

 終身刑の問題点については、↓下記の監獄人権センターの論稿もご覧ください。
http://www.jca.apc.org/cpr/2002/kaido-muki.html
125 hits

[3321]Re(4):Re口先だけの謝罪なんて...
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 フナずし  - 06/10/5(木) 10:30 -

引用なし
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   こんにちは。

▼タラリさん:
>>先ほど申し上たように、犯人らは「模範囚」でした。再犯の可能性がないと刑務官らを信じ込ませるくらい演技がうまかったからこそ、仮出獄が適当と信じ込ませたから出てこられたのです。
>
>>本当にまじめに更正なんか誓ってたら、仮釈放中のわずかな期間中に殺しませんよ。
>
>逆に言いますと、「本当にまじめに更正を誓えば、わずかな期間中には殺さない」とフナずしさんは認めているわけですね。だから、「仮出獄の判断はよかったのか、再犯の可能性をどう判断したのか」という問題になります。

違います。仮出獄の判断が「良かった」かどうかの評価なんて無意味です。
猫かぶっていたから、仮出獄の判断が「正しい」と刑務官に思い込ませたわけでしょう。

>>脱獄されればお終いですので同意できません。刑務官の買収、脅迫、幾らでも方法はあります。数ヶ月前ブラジルで大騒ぎになりましたよね?
>
>そこまで言うならば「刑務所はいらない」ということになります(笑)。

何でいらないことになるしょうね。論理が飛躍していますよ。
まさかO.ヘンリーの小説みたいに食うに困って窓ガラス割ってムショ暮らしで寒さをやり過ごす軽犯罪者すら処刑するわけにはいかんでしょう。まして即決裁判ではなおさらです。

>ある特定の例をもって全体を規制することは不適当です。
>フナずしさんは再犯のおそれ、特に凶悪犯罪のおそれがあるものは死刑にせよ、と主張していると受け取りました。

いまのタラリさんの文章は、この社会を「特定」と、それ以外の圧倒的多数の「何か平凡なもの」に分類して、「特定」を神聖化しているように見えます。
この社会は多種多様の「特定の」者に臨機応変に対応できるように日々秩序を作り続けているのではありませんか。飲酒運転だって、人をひき殺すのは「特殊な」少数例のはずです。

>しかし、刑法は犯した犯罪を処罰するものです。
>未だ犯していないが、将来犯しそうなものを処罰するということは法律の体系にないのです。

建前ではそうでしょうけれど、そう述べておられる方々がどこまで本気なのか分かったものではありません。
イソップの嘘吐き少年と同じく、人命に関るような嘘を連発するものは信用されなくなります。銀行のブラックリストとて同様です。

>>>死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ、とそのように言っていた。
>正確な文章を読んでも同じことです。
>国家が殺人をして、社会が人の命の尊厳を知るとは倒錯した考えです。

だが理にかなっています。それを人は「逆説」と言います。

>こちらの言い方でも、「あの世で謝罪してもらいたい」とどこかで謝罪を求めているでしょ。

あればの話ですが、「あの世で」ですがね。
72 hits

[3334]Re(5):Re口先だけの謝罪なんて...
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/6(金) 12:41 -

引用なし
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   ▼フナずしさん:

>>ある特定の例をもって全体を規制することは不適当です。
>>フナずしさんは再犯のおそれ、特に凶悪犯罪のおそれがあるものは死刑にせよ、と主張していると受け取りました。
>
>いまのタラリさんの文章は、この社会を「特定」と、それ以外の圧倒的多数の「何か平凡なもの」に分類して、「特定」を神聖化しているように見えます。
>この社会は多種多様の「特定の」者に臨機応変に対応できるように日々秩序を作り続けているのではありませんか。飲酒運転だって、人をひき殺すのは「特殊な」少数例のはずです。

具体的に今の論争について言いましょう。現在、議論となっているのは特に殺人を犯した、無期刑のひとの問題ですが、フナずしさんは以下のように、仮出獄をすることはやめてすべて死刑にせよ、ということを主張されているわけです。

フナずしさんwrote:
1.犯人らは「模範囚」でした。再犯の可能性がないと刑務官らを信じ込ませるくらい演技がうまかったからこそ、仮出獄が適当と信じ込ませたから出てこられたのです。
2.仮出獄の判断が「良かった」かどうかの評価なんて無意味です。
3.脱獄されればお終いですので(仮出獄の停止や終身刑に対しても)同意できません。刑務官の買収、脅迫、幾らでも方法はあります。


フナずしさん、

1.現行刑法が発効してから、いったい何人の無期刑の人が仮出獄になりましたか。
2.仮出獄したものの何人が殺人を犯しましたか。
3.無期刑の中で何人が脱獄に成功しましたか。
4.脱獄に成功したものの何人が殺人を犯しましたか。

私も実数を知っているわけではありませんが、上記の数が非常に少ないことは明らかでしょう。にもかかわらず、フナずしさんはこれらのまれな例を一般化して、無期刑のひとをすべて死刑にしろと言っているではありませんか。

フナずしさんが「多種多様の「特定の」者に臨機応変に対応できるように」するといいいますが、実際に主張したのは無期を食らった殺人犯をすべて死刑にせよ、という臨機応変を投げ捨てた発想ではありませんか。

>
>>しかし、刑法は犯した犯罪を処罰するものです。
>>未だ犯していないが、将来犯しそうなものを処罰するということは法律の体系にないのです。
>
>建前ではそうでしょうけれど、そう述べておられる方々がどこまで本気なのか分かったものではありません。
>イソップの嘘吐き少年と同じく、人命に関るような嘘を連発するものは信用されなくなります。銀行のブラックリストとて同様です。

これは法律の精神であって、特定の個人の発言によって支えられている仕組みではありません。これを否定するならば、無法律のリンチ時代に逆戻りです。


本宮さんの死刑の意味について:

>だが理にかなっています。それを人は「逆説」と言います。

「殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命」までを国家が奪うことが正当とされるなら、なんと人の命というものは軽いものだな、と私には思えてきますね。
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[3344]Re(1):Re口先だけの謝罪なんて...
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 指環 E-MAIL  - 06/10/7(土) 15:26 -

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   ▼フナずしさん:
>それはどうでしょうね。口先だけの謝罪なんていくらでもできることです。
>事実、元検事総長の土肥原さんがこんな話を著書で述べられています。
>無期懲役になった殺人犯が10年間も服役するうちに模範囚となり、刑務官の信用を勝ち取るようになりました。そんな彼が仮出所中に何をしたと思います?また人殺しを繰り返したんですよ。こういう結果結果死刑になった犯人が数多くいることを考えれば、タラリさんの考え方はあまりにものん気だと思います。「お礼参り」という専門用語があることは、ご存知だと思います。

 初めまして。指環と申します。
 フナずしさんは現実に無期懲役の受刑者が10年間で仮出獄できると思われてますか? ここ最近でそんな例はありません。
 実際には、仮出獄があり社会復帰を前提としているはずの無期懲役刑が仮出獄のない終身刑と異ならない運用がなされているといるというのが現状です。仮出獄はほとんど認められなくなっています。現行の無期刑自体が実質的な終身刑となっているのです。
 前提とする現状認識自体が間違っているのではないでしょうか。

 さて、それでフナずしさんの一連のご投稿を拝読したところ、フナずしさんは死刑制度について存置すべきか、あるいは廃止は時期尚早とお考えのようにお見受けします。
 私は死刑制度については即時廃止論の立場です。(終身刑についてもタラリさんとは異なり導入反対論の立場です。)
 ところで、死刑廃止論の主要な論拠は、一般的には

(1) 残虐な刑罰を禁じた憲法36条に違反する。
(2)国家が殺人を行うことに道義性がない。
(3)冤罪の可能性がなくならないのに、死刑は執行してしまうと取り返しがつかない。

だと言われています。
 特に(3)の冤罪の可能性の問題は大きく、この理由から死刑を廃止した国が多いと言われています。
 私も、冤罪の起きる可能性を完全にゼロにすることが無理である以上、死刑は即時廃止すべきと考えるものです。

 この冤罪の可能性の問題についてはフナずしさんはどのようにお考えなのでしょうか? よろしかったら、ご意見をお聞かせください。
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[3359]Re(1):私の死刑廃止論
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 とほほ E-MAIL  - 06/10/7(土) 22:15 -

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   私はこのように思うのです。ざっくばらんに言えば、10年とか20年とか数十年と言う「タイムスパン」を実感として捕らえているのだろうか?という問題なのです。

「犯罪を犯すような奴は、何年たっても同じだよ」そのように考える根拠は、おそらく人生経験を重ねてきた人々は否定すると思うのです。この辺、どうなのでしょうか?
私は若い頃に罪を重ねました、人を騙したし、盗んだし、暴行も加えたし、いわゆる「犯罪」を犯してきました、しかし運が良かったので警察のお世話になることもありませんでした。でも経験を重ねることで「非常に申し訳ないことをした」と思うようになりました。

「警察のお世話になるような犯罪を犯してないからそれでいいんだよ」と言う言説の根拠はどこにあるのでしょうか?
私、多分、20代のころにタイミングとか運とかが悪ければ人を殺してます。
65 hits

[3360]Re(1):私は終身刑にも反対
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 とほほ E-MAIL  - 06/10/7(土) 22:40 -

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   ▼指環さん:
>▼タラリさん:
> 私も少し書かせていただきます。

あ、(^^;
私も「終身刑」も所詮復習刑に過ぎないと思ってます。とりあえず意思表示だけ(^^ゞ
84 hits

[3369]Re(1):私の死刑廃止論
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 パルミーロ  - 06/10/9(月) 16:26 -

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   お久しぶりです。パルミーロです。
ついにこの掲示板でも死刑論が出てきましたね。
さて、死刑について論じられる際、様々な論点が出されます。
「冤罪」「遺族の感情」「残酷さ」「抑止力」etc...

がしかし、これらについてのみ論じるべきではありません。ミシェル・フーコーは、死刑を3つの観点から論じるべし、と述べています。すなわち、「刑罰の機能の仕方という問題、精神医学―刑罰の関係という問題、死刑という実際的問題」です。そして、前二者について答えなければ、問題は解決しない、と主張します。
さて、彼は、死刑並びに終身刑の存在は、「二種類の犯罪」についてではなく、「二種類の犯罪者」について述べている者である、と考えました。ある犯罪者を、死刑または終身刑に処すと言うのが、何を意味するのか、という問題があります。それはつまり、その犯罪者が、「再起不能」である、「矯正不可能」であると判定することです。

しかし、これはもはや、司法の領分ではなく、医学的領分に属するものです。しかし、医師が裁判官をつとめるわけにはいかない以上、「矯正不可能性」を判断することはできないということになります。

それゆえにフーコーは、刑にはすべて期限がなければならない、と考えたのです。
以上のような問題は、いわゆる「異常犯罪」の問題にもあてはまります。ある犯罪が「異常」であると誰が判断するのでしょうか?終局的には、これは医学的判断です。「異常犯罪が増えたか否か」これも安易に判断できる問題ではないと思います。

※参考文献『ミシェル・フーコー思考集成VIII』(筑摩書房)
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[3372]Re(1):私の死刑廃止論
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 熊猫 E-MAIL  - 06/10/10(火) 0:31 -

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    冤罪は死刑に限ったことではなく、全ての刑罰で許されない問題であり、冤罪の問題と死刑廃止は別次元の問題だと思います。無実の人を、1分、1秒たりとも身柄を拘束してはならないし、無実の人から1円たりとも罰金を取ってはいけないのです。無実の人の死刑はいけないが、他の刑罰なら赦されるという論法はないのです。冤罪は刑罰の問題ではなく捜査と裁判の問題です。
 
 最初に考えないといけないのは、如何にして犯罪被害者を無くすかであり、事件の後、加害者をどうするかは、後回しでよいと思います。死刑があっても無くても、凶悪犯罪の数が変わらないのであれば、死刑の意味は無
いと思います。
 その刑罰には違法行為の抑止力があるかどうかがポイントであり死刑をマイナスにとらえるのではなく、死刑があることにより何人の尊い命が救われているのか考えることが最優先されるべきだと思います。
 悪いのは重い刑罰ではなく、犯罪なのです。刑罰を重くすることで社会の治安を維持しようとするのは短絡的で好きではありませんが、犯罪被害者を救う論議よりも先に死刑廃止論があるべきではないと思います。

 犯罪がなくなれば死刑もなくなるのです。
61 hits

[3373]Re(2):私の死刑廃止論
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 とほほ E-MAIL  - 06/10/10(火) 3:04 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> 冤罪は死刑に限ったことではなく、全ての刑罰で許されない問題であり、冤罪の問題と死刑廃止は別次元の問題だと思います。

これは明らかに間違っていると思います。
確かに他の刑でも「冤罪で失った時間」は取り返しが付きません。しかし死刑で失う時間は永遠であり命なのです。
82 hits

[3377]Re(3):私の死刑廃止論
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 熊猫 E-MAIL  - 06/10/10(火) 22:53 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>これは明らかに間違っていると思います。
>確かに他の刑でも「冤罪で失った時間」は取り返しが付きません。しかし死刑で失う時間は永遠であり命なのです。

 刑罰の重さに関係なく無実の人を制裁することに正義はありません。冤罪の本質は裁判官が「疑わしきは罰せず」という本来の被告人の利益を守っているかの問題です。充分な根拠もなしに安易に有罪判決を出してしまう裁判所の体質を変えるべき問題です。

 「一人の罪なき者が苦しむより10人の罪人が免れたほうがよい」----パクリですが素晴らしい格言だと思います。

 この当たり前のことが理解できないアンボンタンに裁判官をやらせるからいけないのです。冤罪の問題ではなく裁判の問題だと思います。
70 hits

[3378]Re(4):私の死刑廃止論
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 とほほ E-MAIL  - 06/10/10(火) 23:31 -

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   ▼熊猫さん:
> この当たり前のことが理解できないアンボンタンに裁判官をやらせるからいけないのです。冤罪の問題ではなく裁判の問題だと思います。

どうなのでしょうか?
正しい裁定をを下せる裁判官など論理的にありえるのでしょうか?

その人が冤罪である可能性を100%否定できる判決なんてありえるのでしょうか?

我々が否定論を排斥する真の根拠はそこにあると思うのです。我々は断罪はしない、事実を見つめそれを評価する、しかし事実は必ずしも真実を構成をしていない。

しかし、人間社会はある意味決着をつけねばならない、それが法である。それは決して真実を100%証明したものではない。よって死刑は廃止すべきである。わかっていただけると思います
83 hits

[3379]Re(5):私の死刑廃止論
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 熊猫 E-MAIL  - 06/10/11(水) 2:25 -

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   ▼とほほさん:
>どうなのでしょうか?
>正しい裁定をを下せる裁判官など論理的にありえるのでしょうか?
 ありえません。だからこそ「疑わしきは罰せず」なのです。ところが代用監獄を含むさまざまな問題が日本にはあるのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/daiyookangoku.html

>その人が冤罪である可能性を100%否定できる判決なんてありえるのでしょうか?
 その場合は無罪としなければなりません。ある程度のところで妥協して判決を下してはいけないのです。私は具体的な統計は知りませんが、日本の裁判は有罪率が非常に高いそうです。安易に有罪判決を出してるか、事件捜査に何らかの欠陥があるからだろうと思います。
 怪しい人、つまり「犯人だろう」は無罪なのです。
 勿論、無罪無実という意味ではありません。冤罪について妥協してはいけないのです。

>我々が否定論を排斥する真の根拠はそこにあると思うのです。我々は断罪はしない、事実を見つめそれを評価する、しかし事実は必ずしも真実を構成をしていない。
>
>しかし、人間社会はある意味決着をつけねばならない、それが法である。それは決して真実を100%証明したものではない。よって死刑は廃止すべきである。わかっていただけると思います
 だから、無罪という決着をつけなければならないのです。裁判に真実を期待してはいけないのです。誰もが犯人だろうと思う被告に、無罪判決を下した裁判官に対して、その勇気を賞賛するくらいの度量が必要なのです。

老婆心ですがとほほさんの心の中に「裁判は人間のやることだから、冤罪は仕方がないだろう」という気持ちは絶対に持ってはいけないのです。
90 hits

[3382]Re(2):私の死刑廃止論
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 指環 E-MAIL  - 06/10/11(水) 18:40 -

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   ▼熊猫さん:
> 冤罪は死刑に限ったことではなく、全ての刑罰で許されない問題であり、冤罪の問題と死刑廃止は別次元の問題だと思います。無実の人を、1分、1秒たりとも身柄を拘束してはならないし、無実の人から1円たりとも罰金を取ってはいけないのです。無実の人の死刑はいけないが、他の刑罰なら赦されるという論法はないのです。冤罪は刑罰の問題ではなく捜査と裁判の問題です。

 やはり冤罪の問題が死刑制度の是非をめぐる議論で最大の論点ということになりそうですね。ちなみに、イギリスで死刑制度が廃止されたのは1949年のエヴァンス事件が契機だと言われています。(エヴァンス事件とは、1949年にロンドンで妻子を殺害したとして夫で第一発見者のエヴァンスが逮捕、死刑判決を受け処刑されたが、その3年後、エヴァンスの住んでいたアパートから6人の女性の死体が見つかり、ジョン・クリスティが逮捕され、エヴァンス妻子の殺害も自白したという事件。最初エヴァンスが逮捕されたのは、クリスティの目撃証言によるものであり、クリスティはエヴァンスの陪審裁判でも証言台に立ち、エヴァンスに不利な証言もしていた。)

 さて、論点を整理してみましょう。

・冤罪の問題は死刑に限ったことではない。他の刑罰でも許されないのだから、冤罪の可能性がなくならないことは、死刑だけを廃止すべき理由にならないのではないか?

 冤罪の問題は死刑に限ったことではないのは、そのとおりです。ですが、死刑は裁判が確定し、執行されると生命を奪ってしまう点で他の刑罰と根本的に異なります。裁判が確定しても、非常救済手続の制度として再審の制度があり、再審請求は刑の執行が終わった後でもすることができるとされていますが(刑訴法441条)、死刑は執行されると取り返しがつきません。死刑判決が確定し処刑された後、新証拠の発見などにより再審で無罪になったとしても、どんな意味があるのか、という問題になります。

 裁判が人が人を裁くものである以上、誤判や冤罪の可能性をゼロにすることは不可能です。訴訟上の証明は、自然科学上の証明とは異なります。通常人なら誰でも合理的疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得ることをもって、証明ができたとするものです。裁判官の心証形成の問題であり、結局のところ蓋然性の程度概念であると言われているのです。

 なお、菊田幸一教授の調査によると、死刑確定囚の何人かは、自白も物証もなく、第一審から一貫して無罪を主張しているのだそうです。
 また、本当は殺した後、被害者が財布を持っていることに気づきその財布を奪ったのだが、財布を奪うために殺したと認定されてしまった死刑確定囚もいると言います。前者なら殺人と窃盗ということになりますが、後者なら強盗殺人になります。利得目的の強盗殺人は普通殺人と異なり、死刑になる可能性が高いのです。
 ところが、法律知識がなく、殺したことに違いはないのだから大した違いではないと思って強盗殺人を認めてしまい、弁護人は国選だったために十分な弁護が行われなかった。つまり、殺人と窃盗なら死刑にならなかったはずなのに、強盗殺人と認定されてしまったために死刑になってしまったというケースもあるのです。


・そうは言っても、冤罪が起きるのは捜査や公判手続に問題があるからであり、そのことと刑罰制度としての死刑制度の是非の問題は分けて考えるべきではないか? 

 よく聞く反論です。
 しかし、ここで議論しているのは、観念の世界で、あるいは実験室の中での話ではありません。現実社会における制度の是非についての議論なのです。そうである以上、その制度が運用されることで、どのような結果が生じるかを考えなければなりません。
 冤罪や誤判は捜査や公判手続の問題だからと言って、切り離して考えることはできないのです。
 
> 最初に考えないといけないのは、如何にして犯罪被害者を無くすかであり、事件の後、加害者をどうするかは、後回しでよいと思います。死刑があっても無くても、凶悪犯罪の数が変わらないのであれば、死刑の意味は無
>いと思います。
> その刑罰には違法行為の抑止力があるかどうかがポイントであり死刑をマイナスにとらえるのではなく、死刑があることにより何人の尊い命が救われているのか考えることが最優先されるべきだと思います。
> 悪いのは重い刑罰ではなく、犯罪なのです。刑罰を重くすることで社会の治安を維持しようとするのは短絡的で好きではありませんが、犯罪被害者を救う論議よりも先に死刑廃止論があるべきではないと思います。
>
> 犯罪がなくなれば死刑もなくなるのです。

 死刑制度に凶悪犯罪の予防効果があることは何ら証明されていません。死刑を廃止した国で、凶悪犯罪が増加したということはありません。死刑制度が存在する日本でも、凶悪犯罪は相次いでいます。
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