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「本多勝一氏は、「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけ」と言っている」。ネットで、よく見かける書きこみです。しかもたいていの場合、「南京大虐殺」とセットになっています。
この「元ネタ」を発見しましたので、報告します。というか、皆さんとっくにご存知だったかもしれませんが。
田辺敏雄氏『追跡 平頂山事件』よりの引用です。(P236)
久野健太郎氏は反証として自書(ゆう注 撫順炭砿を扱った「朔風挑戦三十年」のことであると思われます)を送り、抗議した一人である。本多記者の久野氏にあてた返信がある。一九八六年三月九日の日付になっている。個人あてとはいえ、公の場で反証を呼びかけ、これに応じたものに対する返信であるから、公表して差し支えなかろう。久野氏の了解の上で引用する。
「追伸。いま万人坑のところを読みましたところ、ほんの一ページ足らずをもって、あれを全面否定しておられます。しかしながら私はこれだけの内容をもって、あれが全部うそだというにはとても説得力を感じないのであります。また私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか。中国側との間で何らかの合意点が見つかったときには、それをまた本で採用したいと思っております」
万人坑は現地人を炭鉱が酷使したあげくの「人捨て場」であったと、本多氏は書く。これに対して久野氏は、撫順炭鉱でこのようなことはなく、事実無根と主張する。
引用した追伸の万人坑うんぬんは、これに対する返答であり、本文は平頂山事件について、久野氏の著書を参考文献として『中国の旅』に載せるようにするという内容である。
この文は「万人坑」を対象としたものであり、少なくとも直接には「南京大虐殺」に関する記述ではありません。まあ「拡大解釈」すればそうとれないこともないのかもしれませんが、少なくとも「本多氏は南京大虐殺について「私は中国側の言うのをそのまま代弁した」と発言した」という文章を見たら、それははっきりと「ウソ」だと言うことができるでしょう。
そして、久野氏がどのような手紙を出したのか、これではわかりません。本多氏の「返信」だけでは、必ずしもニュアンスを正確に伝えていない怖れがあります。
なおこれは、「私信の一方的な公開」でした。田辺氏は「受信者」の久野氏には了解をとったようですが、肝心の「発信者」本多氏には了解はとらず、「公表して差し支えなかろう」との一方的な判断の下に公開を行っています。
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