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田中正明は『南京事件の総括』(謙光社,S63)「第十四の論拠」(pp.225-227)で 「箝口令など布かれていない」と主張しています。 (主な内容は下記
url に転載されていますが、誤植や改変があります。) http://www.history.gr.jp/~nanking/reason15.html
--- 教科書には「日本国民には知らされなかった」(中教出版)とある。それならば、「南京事件」について喋ってはいけない、書いてもいけない、という箝口令が軍なり政府なりから出ていたのであろうか。答えは全然「ノウ」である。[p.225] ---
「知らされなかった」からといって「箝口令」があったなどということにはなりません。 また、『「南京事件」について喋ってはいけない、書いてもいけない、という箝口令が軍なり政府なりから出ていた』などという主張は存在しません。
では、この架空の命題はどこから出てきたのでしょうか? 『諸君!』1985年4月号『「南京大虐殺」の核心』という座談会で次のように田中正明氏は発言しています。(p.78) --- 田中 (途中省略)「秦さんの本(『日中戦争史』)のなかに、当時、そういうこと(虐殺事件)があったことは言わないように口止めされていた、すなわち箝口令が布かれていたというくだりがあります。 秦 「報道を禁止された」という表現だったと思います。 田中 ええ、その「報道禁止」があったから南京のことは日本国民に知らされなかったとおっしゃりたいわけでしょう。 ――それは、日本内地の話ですね。 田中 いや、内地にしろ外地にしろ。 洞 命令はなくても、それに類したことはあったんでしょう。 田中 いや、ないです。絶対にないですよ。 秦 事実上の検閲ということですよ。書けば石川達三の『生きている兵隊』のように発禁になってしまうんですから。 田中 私自身も南京に行っており、また南京に入場した兵隊さんに会うたびに聞くんですよ。「南京のことを内地に帰って喋ってはいかんと口止めされましたか」って。そうすると、答えは「そういうことは全然ない」という。当時の新聞記者諸氏の答も揃って「そういう制約はなかった」といっています。 ---
この対談から次のことが分かります。 (1)
「箝口令」の出展は「秦さんの本」(『日中戦争史』)である。(秦『南京事件』が刊行されたのは、1986年。) (2) 秦郁彦氏は、「報道を禁止された」という表現で「事実上の検閲」の意味だと述べている。 (3) 洞氏は「命令はなくても、それに類したことはあったんでしょう」と述べている。
秦『日中戦争史』(河出書房新社)の問題の部分は次のようなものです。 --- この事実は日本国内では報道を禁止されたが、世界的な非難を浴びて陸軍中央部は狼狽した。[1972年増補3版,
p.286] ---
ということは、「箝口令が軍なり政府なりから出ていた」などと述べている人はいないないのです。 確かに秦氏の表現は南京事件のみについて報道を禁止されたと解釈できないわけではありませんが、秦氏自身がその真意を述べています。 実際、当時、南京事件については海外で報道されていましたが、国内では禁止されており、もし発表すれば石川達三のようなことになったでしょう。
--- 「虐殺派」の中には、戦争中、とくに昭和十二年末から十三年の春にかけて、かくかくの発禁処分や処罰を受けたものがいるといって、あたかも南京事件に関して箝口令が布かれていたかのごとく言う論者もいるが、その内実を見ると、それらはことごとく<流言蜚語>に類するもので、流言蜚語取締法にふれたもののリストアップであって、南京事件とは何ら関係ないのである。[p.226] ---
「あたかも南京事件に関して箝口令が布かれていたかのごとく言う」論者とは「命令はなくても、それに類したことはあったんでしょう」という洞氏のことでしょうか。 どうやら、「南京事件に関して箝口令が布かれていた」という論者が存在しないことを田中正明氏は知っているようです。
ところで、「流言蜚語取締法」って何??? 報道の内容が本当に流言蜚語かどうかは、どうやって判定するんでしょうか。「その内実を見ると」というのですが、「内実」とは何でしょうか?結局、南京で何があったかを知らない当時の官憲の判断を信じなさいという奇妙な話です。 いずれにしろ、流言蜚語という名目で、南京事件だけでなく日本軍の残虐行為を話すことや報道することを取り締まっていたことは事実です。 在香港総領事・中村豊一は1938年7月25日稿『時局解決ニ関スル一考察』で、内地や現地では事実が隠蔽されていると次のように述べています。 --- 然ルニ今次ノ日本軍隊ノ進出ニ當リテ意外ニモ其ノ暴行振リハ支那民衆ノ憤激ヲ買ヒ、彼等ノ日本軍ニ對スル信頼ノ大ナリシタケニ其ノ失望モ亦頗ル大ナルモノアリ
比等ハ内地及現地ニ於テハ事實蔭蔽セラレ居ルモ外國通信員及南支ニ於ケル出版物ニ於テハ忌憚ナク發表セラレ居リ内地ニ於テハ想像モ及ハサルトコロナリ [「支那事変関係一件・善後措置」p.90
「アジア歴史資料センター」レファレンスコード
B2002306664 ----
以上のように、そもそも、田中氏がいうような南京事件について「箝口令が軍なり政府なりから出ていた」と主張している者はいません。しかし、南京事件に限らず日本軍の暴行を日本国内で話したり報道することは禁止されていたので、多くの日本人は南京事件を知らなかったのは事実ということになります。
(「知らされなかった」という教科書のあいまいな記述については、クリストファー・バーナードが『南京虐殺は「おこった」のか』(筑摩書房,1998年)pp.26-30
で、その問題点を的確に批判しています。)
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