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とほほさんの問題提起、大変興味深く読ませていただきました。 特に、以前のとほほさんの投稿は、民主主義を支える人間にとって一読の価値はあるのではないでしょうか。私もこれに関して最近思うことが多いので僭越ながら意見を述べたいと思います。
日本の国民をして、「投票日だけの有権者だ」という評価を以前耳にしたことがあります。政治運動には、為政者に常に民意に沿った政治を行わせる(あるいは、民意に沿わない政治をストップさせる、でもよい)という意義があり、民主主義の核心である投票行動と表裏一体のものだと考えられないでしょうか。ですから、政治運動自体を白眼視する一方で、「定率減税廃止されたら困る」などと不平をぐちぐちとこぼしている、という状況は民主主義国家としては理解しがたい現象だと言えるでしょう。政治運動の方法・主張に反対すること(これは、とほほさんの仰る「自由」の追求、ということになるかと思います)と、政治運動自体に反対することは全く違います。政治運動自体を否定することは、民主主義を半身不随にしてしまうことに等しいのです(にも関わらず、政治運動自体を白眼視しながら、堂々と北朝鮮やイラクと違って日本は民主主義国家だと主張している人間もいるのはおかしくも恐ろしいことです)。
労働組合に関しても、似たようなことが言えるのではと感じています。ホワイトカラーエグゼンプションの施行は、現場で働く人間が不安と不満を感じているにも拘らず、具体的に対策を打てていないように感じます。これは労働組合の組織力が落ちてしまっていることが原因だとは考えられないでしょうか?労組の組織力を(イデオロギーから離れて)高める必要があるのでは、というのが今の私の見解です。
最後に、とほほさんの意見に関して質問をしたいのですが、「親日」や「反日」といった概念を持つこと自体がファシズムだという点について、具体的に説明していただけないでしょうか?民主主義では、個々の人間が、自身の考えが「中立公正」とか、「中道」、「客観的」というように認識しているよりは、自身の思想の偏頗を認識している(以前のとほほさんの投稿になぞらえれば、「私」の考えを「偏っている」と感じている「彼」がいることを「知っている」ということになるでしょうか)いるべきだ、というのが私の考えなのですが…。
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