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日本語版ラーベの日記『南京の真実』(講談社、平野卿子訳)については、 >
WEB上でもさまざま誤訳が指摘されたりしており、
私は梶村さん訳のラーベの日記を出版すべきではないかと思う。 梶村さんはおそらく私のラーベ日記の認識を不快に思っていると思う(^^; もちろん、私はドイツ語はわからないし、平野氏訳本を根拠にするしかないので梶村さんとの論争は不可能である。しかし、他の邦訳された当時のドイツ人(西欧人)の一般的ユダヤ認識からすると平野訳には結構な説得力があるのである。
私は平野訳を根拠にラーベの人間像について何度か言及してみたが、皆に怒られた(笑) 言葉と言うのは非常に不思議である。論理的な解釈では梶村さんの主張が正しいようにも思う、しかし、我々が通常使う日本語にしても決して論理的ではない。あらゆる状況から判断してしかもその場にいない限りは決して理解できないのが「言葉」である。
確かに今の時代とラーベの時代ではその感覚は大きく異なるであろうが、やはりラーベの時代の一般的認識にはあからさまなユダヤ差別があるように思う、その中でラーベは進歩的リベラル派ではあったのかもしれないが現代の倫理観からしてみるとやはりラーベも人種差別主義者であったと私は思うのだ。
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