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[3622]目からウロコの南京大虐殺論争 gallery 06/12/5(火) 14:51
[3623]板倉氏と原氏の適正派は間違い 核心 06/12/5(火) 23:56
[3624]Re(1):目からウロコの南京大虐殺論争 渡辺 06/12/6(水) 4:23
[3625]Re(2):目からウロコの南京大虐殺論争 とほほ 06/12/6(水) 14:48
[3626]南京大虐殺論争の本質 核心 06/12/6(水) 16:54
[3627]Re(2):目からウロコの南京大虐殺論争 gallery 06/12/7(木) 1:44
[3628]Re(3):目からウロコの南京大虐殺論争 とほほ 06/12/7(木) 2:00
[3629]Re(3):目からウロコの南京大虐殺論争 とほほ 06/12/7(木) 2:15
[3631]Re(4):目からウロコの南京大虐殺論争 とほほ 06/12/7(木) 2:40
[3630]30万人説 核心 06/12/7(木) 2:30
[3634]Re(3):目からウロコの南京大虐殺論争 gallery 06/12/7(木) 23:53
[3633]Re(2):目からウロコの南京大虐殺論争 タラリ 06/12/7(木) 22:49
[3632]Re(1):目からウロコの南京大虐殺論争 トロープ 06/12/7(木) 20:26
[3643]Re(1):目からウロコの南京大虐殺論争 ゆう 06/12/10(日) 6:10

[3622]目からウロコの南京大虐殺論争
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 gallery E-MAILWEB  - 06/12/5(火) 14:51 -

引用なし
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   SF作家・山本弘さんの『神は沈黙せず』の文庫化に際して、
ご本人が以前から言っておられた南京虐殺関連ページ、オープンしました。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm

>初心者がこれから勉強するためのガイド、
>「南京大虐殺論争はこう読めば分かりやすい」という指針

…とのことで、充分、初心者にも分かり易い作りとなっております。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin01.htm
常々、南京虐殺「論争」は「定義」を巡る争いだと思ってました。
専門家である歴史学者が、南京虐殺をどう定義しておるか。
逆に否定論者の定義はどうなのか。それが学問的に見てどうなのか。

定義の違いを明確した上で、否定論者は歴史学者に相手にされてないこと。
少なくとも、「南京虐殺FAQ」に出てくるような質問するような輩は
分類上否定論者であり、学問的に価値のない「素人」に過ぎないこと。

それらを強調した方が、初心者にも南京虐殺「論争」の内訳が分かり易く
スッキリするのではないかと考えておりまして、
自分とこのサイトで作るつもりだった擬似科学批判コンテンツで
そのこと書く予定でしたが……先にやられちゃいましたな。くそ(笑)。

個人的には、秦郁彦氏の説を「適正派」としてあと全部に×つけるのは
少々疑問に思うところですが。私個人としては、過大派△ 適性派△。
49 hits

[3623]板倉氏と原氏の適正派は間違い
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 核心 E-MAIL  - 06/12/5(火) 23:56 -

引用なし
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   板倉由明氏と原剛氏が「適正派」というのは間違いです。
板倉氏の捏造については「大嘘つき野郎」と言うことで多少の情報を開示していますが、原剛氏についてもいろいろ情報を保持しています。
この方は、「適正派」という名の「捏造派」を生かしたい「最後に登場した捏造派」に属する人なのでしょう。
61 hits

[3624]Re(1):目からウロコの南京大虐...
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 渡辺  - 06/12/6(水) 4:23 -

引用なし
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   ▼galleryさん:
>SF作家・山本弘さんの『神は沈黙せず』の文庫化に際して、
>ご本人が以前から言っておられた南京虐殺関連ページ、オープンしました。
>http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm

「南京事件Q&A」の執筆で苦しんだ者としては、ちょっと複雑な心境です(^^;
例えば、定義(A)と(B)も、なんか変じゃないかな。
まず、定義(B)ですが、次のようになっています。
---
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin01.htm
 1938年12月、南京に侵攻した日本軍は、南京市とその周辺で、国際法に違反した捕虜の大量虐殺を行なった。犠牲になった中国兵は数万人。殺された中には便衣兵(ゲリラ)と間違えられて連行された民間人も多数含まれていた。また、日本兵による略奪・強姦も頻発しており、その際に殺された人も少なからずいた。
---

1938年は1937年の誤植でしょうが、12月というのは明らかに誤りです。
また、「定義」のしかたにも問題があります。
「犠牲になった中国兵は数万人。殺された中には便衣兵(ゲリラ)と間違えられて連行された民間人も多数含まれていた。」がはたして定義といえるだろうか?
通常、「定義」というのは時期、地理的範囲、事件の性質(虐殺、強姦、掠奪、放火)のことで、この「定義」における規模や原因などは論考にあたるのではないでしょうか。

「便衣兵(ゲリラ)と間違えられて連行された民間人も多数含まれていた」と市民殺害の原因を限定することにも問題があります。16師団などで市民をも殺害せよという命令があった、あるいは、実際に殺した、殺したと聞いたという資料がある以上、市民虐殺がそのような脈略の中で行われた可能性は考慮すべきでしょう。
また、「近郊六県を含む行政区としての南京市」を地理的範囲としているのは、五県を含めるスマイス調査とほぼ同じです。つまり、スマイスの調査を使っている笠原氏と同様に秦氏も結果としてこの範囲をとっているのです。

定義(A)ですが、「犠牲者30万人」がなぜ定義になるのかも了解しがたいところです。
そもそも、「定義」を問題とするのは、事件の規模などを議論するための共通の土俵を設定する目的であり、定義のなかに規模や事件の原因を入れているのでは話になりません。

また、「30万人派 過大派 適性派 過小派 まぼろし派」というのは、数字がどのように導き出され、どのような議論の限界を踏まえているのかを無視しています。例えば、板倉氏がどのようにして数字を算出しているか理解していれば、間違っても「適性派」などに分類できないはずです。単純化すれば、分かりやすくなるというものではなく、単純化された数の議論こそが問題です。

史料の扱いにおいても問題があります。
幕府山捕虜は2万人、山田支隊が得ただでも1万5千程度と考えられ、日記では、ほぼ全員殺害されたとしています。それが、なぜ「8000人(1万人以上とも言われる)」になるのか理解に苦しむところです。
件のHPは、次のように述べています。
---
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin03.htm
 何にせよ、体験者や目撃者の証言を、ありのままの事実と受け取るのはまずい。だから僕は、松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』(社会評論社)のような証言集の類は、(一応の参考にはしても)重きを置かない。
---

しかし、「8000人(1万人以上とも言われる)」というのは、「(一応の参考にはしても)重きを置かない」はずの証言によるものではなかったでしょうか。山本氏が信頼するという日記に従えば、およそ二万人が殺害されたことになっているのです。
「体験者や目撃者の証言を、ありのままの事実と受け取るのはまずい」のは当然としても、「証言集の類は、(一応の参考にはしても)重きを置かない」という歴史の研究者が果たしているでしょうか?
証言に記憶違いあるとしても、日記や公文書には書かれていない重要な事実が述べられている可能性もあるのです。虐殺の規模の問題にしても、見解の相違は必ずしも「定義」によるものではなく、個々の史料をどう判断するかというところにも大きく依存しているのです。

というようなわけで、山本氏のHPはトンデモ批判としては評価するものの、南京事件の難しさを改めて感じさせるものでもありました。

(「定義」や笠原・秦・板倉説の解説は拙稿「南京事件Q&A」1回、4回、それぞれ『季刊 中帰連』34号、37号に掲載されています。記事がゴテゴテしているのは、小生の七転八倒のなごり。)
46 hits

[3625]Re(2):目からウロコの南京大虐...
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 とほほ E-MAILWEB  - 06/12/6(水) 14:48 -

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   ▼渡辺さん:
>「南京事件Q&A」の執筆で苦しんだ者としては、ちょっと複雑な心境です(^^;
>例えば、定義(A)と(B)も、なんか変じゃないかな。

私も山本氏の論考はおかしいと思います。渡辺さんはトンデモ批判としては評価できる、とされてますが、私はそういう評価にも届いてないのではないかと思います。否定論と言うトンデモが目的としているそらされた論点の上で議論してしまってます。

以前に熊猫さんが言及している、
私が知りたいのは南京事件であって南京市事件ではないのです。
事件の本質は、「宣戦布告もしていない日本の軍隊が何故、南京を占領したのか」だと思います。

[#1071]Re(1):南京の人口より
この本質を探るためにあらゆる定義が意味のあるものになってくるわけです。例えば南京の人口を推定するには範囲と言う定義がなくては当然議論は成立しません。しかし上記の【本質】においてはこういう定義も議論もほとんど無意味なわけです。

定義の違いが問題なのではなく、定義の仕方が否定論は間違っているのです。自分で勝手に何かを定義してそれを否定して悦に浸る、これが否定論ですので、あまりここに集中していては本質を見失いがちです。渡辺さんが南京事件の難しさ、と言われている事はこういうことだと思います。純粋に難しいと言う点では他の歴史学上の課題と比してそれほど難しいものではないと思います。

否定論に議論の論点を紛らわされているから、難しくなってしまうのでしょうね。
97 hits

[3626]南京大虐殺論争の本質
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 核心 E-MAIL  - 06/12/6(水) 16:54 -

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   基本的に南京大虐殺は、それを否定したり矮小化したりする勢力がいるから難しく見えるのです。
原爆投下やユダヤ人虐殺を行なった国でそれを否定したり矮小化する勢力がいて、言論界で一大勢力を占めているようなものです。
原爆投下の米国は戦前も戦後も同じ国民主権の政治体制ですが、ユダヤ人虐殺のドイツは戦前はワイマール憲法下、戦後は新憲法下で憲法的価値の否定を許さない政治体制になっています。
日本は戦前は天皇主権国家、戦後は国民主権国家で全く違う政治体制なのです。
戦後、民主主義国家になり言論の自由が保障されているのをいいことに天皇主権国家の犯罪を否定したい連中が蠢いているだけです。
基本的には家永三郎裁判で教授側に立つか、その反対側に立つかの違いだけです。
もともと彼らには端から真実を知ろうなんて意思は無いのですから。
45 hits

[3627]Re(2):目からウロコの南京大虐...
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 gallery E-MAILWEB  - 06/12/7(木) 1:44 -

引用なし
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   どうも遅くなりまして申し訳ありません。
個人的な感想でなんですが、いわゆる「否定論」への防波堤としては
充分に機能すると思います。というか、それが第一の目的なのではないかと。
  (「対・否定論」的な手段・方法論としては有効、の意)
ただ、妙に断定的で「学問的」手法を取ってないのに驚いてまして。
その内容も、ちょっと個人的には承服しかねるところです。
私も同趣旨のコンテンツを作成するつもりですが、断言口調は取らないつもりです。
しかし、知名度を除いても、それが方法論的に有効かどうかは分かりませんが。

ぶっちゃけこの問題は、日中間の学者が互いの国の資料を付き合せて
可能な限りの共通認識(妥協点?)を見出すべき問題だと考えております。
見出しても否定する奴は否定するでしょうが、そんなのは放っとけと。
実際に日中間でそのような動きがあるようなので、幸いなことですが
その際に最も邪魔になるのが、「否定論(過少説)」の存在なので。
一応、「否定論(過少説)」以外は南京虐殺が「存在した」ことを含め、
当時の日本軍の蛮行を認めており、まだ話し合いの土俵には上がれるわけで。
しかし、南京事件FAQみたいな主張する世論が多数を占めた日には、
もはや学説はおろか、政治そのものが彼岸の彼方に飛んで行かざるを得ない。
いわゆる「南京事件のカジュアル化」も進行・浸透しておるようですし
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20060828/1156778144#tb
そういう国民のトンデモ化にストップをかける効果がある、という意味で
このサイトを紹介し、評価するところです。

反面「過大説」の扱いには、どうにも納得いかないのですが。
何か別の意図があって、敢えて学問的手法を取らなかったんじゃないか、
などなど色々と勘繰ったり推察したり。思うところはあるのですが、
あくまで想像と推測の範囲なので。考え過ぎかもしれません。
42 hits

[3628]Re(3):目からウロコの南京大虐...
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 とほほ E-MAILWEB  - 06/12/7(木) 2:00 -

引用なし
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   ▼galleryさん:
>その際に最も邪魔になるのが、「否定論(過少説)」の存在なので。
>一応、「否定論(過少説)」以外は南京虐殺が「存在した」ことを含め、当時の日本軍の蛮行を認めており、まだ話し合いの土俵には上がれるわけで。

ここなのですよ、ここ。(笑)
否定論(トンデモ論)か否か、と言うのは虐殺数が過小か否かで判定はできないのです。
あくまでその論に論理的な誤謬があるか否かの問題なのです。

仮に、仮にですよ、、、。
科学的に南京虐殺で100万人が犠牲になったことが証明されたとしましょう(あくまで思考実験です)。

それでも30万虐殺説をあげて「言われているような数の大虐殺ではない、せいぜい三十万人程度である、南京大虐殺は中共の陰謀である」とするのが否定論なのです。

彼等が欲しい結論は「南京大虐殺は中共の陰謀である」だから「南京大虐殺は虚構」なのです。これを一旦認めると「三十万人が虐殺されたのだ」と言う主張はどこかに消えて「南京大虐殺は虚構」だけが一人歩きするのです。
41 hits

[3629]Re(3):目からウロコの南京大虐...
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 とほほ E-MAILWEB  - 06/12/7(木) 2:15 -

引用なし
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   ▼galleryさん:
>反面「過大説」の扱いには、どうにも納得いかないのですが。
>何か別の意図があって、敢えて学問的手法を取らなかったんじゃないか、
>などなど色々と勘繰ったり推察したり。思うところはあるのですが、
>あくまで想像と推測の範囲なので。考え過ぎかもしれません。

私は決して中共の主張する虐殺数を過大である、とは考えてませんよ。論理的にそれを否定する手法での科学的主張があるのであれば別ですが、決して否定はできません。この掲示板でも誰一人として三十万人ではない四十万人ではない、と言う論理的展開をしている人はいません。笠原氏も藤原氏もそうです。

なぜなら中国側の学説が確認できないからです。その為に熊猫さんが一生懸命今翻訳に挑んでいるわけです。

私も度々主張してますが、戦闘中の殺人は虐殺ではない、と言う主張にどれだけの説得力があるのでしょうか?南京防衛軍の編成と言うは半数近くが八月に始まった防衛戦途上に防衛軍に加わった農民達とその家族達です。いきなり、理由もなく(宣戦布告もできず)武力侵攻してきた山賊どもに抵抗した民衆が殺害されていくのを虐殺ではないあれは国際法で認められている【戦争】であって戦争で戦闘員を殺すのは当たり前、なんて通用すると思います?
39 hits

[3630]30万人説
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 核心 E-MAIL  - 06/12/7(木) 2:30 -

引用なし
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   ▼galleryさん:

>反面「過大説」の扱いには、どうにも納得いかないのですが。

私あたりの年代では日中戦争の実態について想像できるのですが。
父のスケッチ帳を読んでいただければ部分的には分かります。
そのような戦争を中国中で進めていたのです。
中国側が時間や場所を拡大して30万人と称しても別に誇大な数字ではないのです。
当然、我が家にも首さらし写真や首つるし写真はあったという話ですから当時の日本人にとってはそんなことは当たり前のことだったのです。
別に父から中国人捕虜の首切りの話を聞いたからと言って珍しいことでもなかったのです。
剣道の形に真剣を使わなくなったのは昭和40年くらいからのことだと思います。
父の書き置いた戦争の記録はいろいろあるので今後、サイトのアップする予定でいます。
それを読んでいただければ当時の日本人の考えが分かると思います。
43 hits

[3631]Re(4):目からウロコの南京大虐...
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 とほほ E-MAILWEB  - 06/12/7(木) 2:40 -

引用なし
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   ▼とほほ:
>▼galleryさん:
>>反面「過大説」の扱いには、どうにも納得いかないのですが。

あ、これって山本氏の「過大説の扱い」を批判しているのがgalleryさんですね(^^;
59 hits

[3632]Re(1):目からウロコの南京大虐...
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 トロープ E-MAIL  - 06/12/7(木) 20:26 -

引用なし
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   ▼galleryさん:
>SF作家・山本弘さんの『神は沈黙せず』の文庫化に際して、
>ご本人が以前から言っておられた南京虐殺関連ページ、オープンしました。
>http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm

 失礼かもしれませんが、個人的にはあまり納得できない内容でした。まず派閥の分け方とか。
 「30万人派」→決して否定はできない
 「過大派」→充分にありうる
 「適正派」→最低限度これくらい
 「過小派」→これは少なすぎる
 「まぼろし派」→絶対にない
 私はこう考えていますので、数万人の殺害が「適正」だと断言することに違和感を覚えます。板倉氏を「適正派」に含めることも驚きです。

 しかし、個人的に最も納得がいかないのは以下の部分です。
 左寄りの論者(30万人派、過大派)は、何としてでも中国人の犠牲者数を多くしたい。だから「南京」「虐殺」の定義を可能なかぎり広くする。
 右寄りの論者(過小派、まぼろし派)は、何としてでも中国人の犠牲者数を少なくし、できれば「なかった」ことにしたい。だから「南京」「虐殺」の定義を可能なかぎり狭くする。
 彼らは歴史の真実を知りたいのではない。自分たちの信条を正当化したいだけなのだ。最初から結論があり、それに合わせて定義を自由自在にもてあそび、虐殺者数を操作しているのだ。
 私は「左寄りの論者」とされる方々が犠牲者を多くするために範囲を広げているとは思いません。彼らの著書が日本軍の体質を非難するような書き方になっているのは確かだと思いますが、それは結論であって目的ではないと考えるからです。

 笠原氏の『南京事件と日本人』には以下のようにあります。
 日本では「南京事件の実否」をめぐる学問的論争は否定派の破綻ですでに決着がついているのに、日本の学界やマスメディアでは、「南京大虐殺派」といわれる私たちの主張も「独断的」「イデオロギー的」「泥仕合」であるとして、嫌悪感、拒否感を表明する。日本では良識派に属する研究者の中にも、いわゆる「南京大虐殺論争」にたいして傍観の態度をとって発言しない、「南京大虐殺派」の研究成果をまともに評価しようともせず、学問的には破綻している否定論の横行を批判することもせず、ただ黙認、放任している人たちが少なくない。(109ページ)
 「良識ある多数派」が南京大虐殺論争から眼を背け、南京虐殺の事実を国民共通の認識に定着させる努力にも冷ややかで、傍観的であることこそ、否定派のもくろみといえる。そのために否定論者の言論活動は「イデオロギー論争」「泥仕合」「誹謗合戦」の印象をことさら強調するものになる。日本の「良識ある多数派」に必要なのは、眼を背け、傍観することではなく、どちらが歴史認識にもとづいた議論をやっているかの審判を下すことではあるまいか。(111ページ)
 これを読むと、いわゆる「肯定派」の方々を「イデオロギー的」だとしてしまうことは、否定派の思い通りではないかと思ってしまいます。

 笠原氏らは「何が起こったのか」を正しく理解するために範囲を広げているのであって、これを「中国の犠牲を大きくするため」だというのは失礼ながら下衆の勘ぐりというものでしょう。事件当時から農村部の被害がよりひどいと認識されていたわけですし、そこまで範囲を広げて実態を明らかにすることはむしろ必然ではないかと思います。

 ところで冒頭の参考資料に『南京大残虐事件資料集』がないのですが、もしかしてスマイスの戦争被害調査が農村部まで対象としていたことをご存じなかったりして……。あと笠原氏の『南京事件』と『南京事件資料集』もないのが気になります。これで「南京本」を書くつもりだったのなら、かなり無謀ではないかと思うんですけど。

 ついでに気になったところがあります。
 1985年にオープンした南京大虐殺記念館には「一般市民三十万人以上」という数字が掲げられているという。ふざけんな、と言いたい。
 私も実際に見たわけではなく、ちょっとweb上で調べただけですが、記念館正面の壁面にあるのは「遇難者 VICTIMS 300000」という字のようです。これは「一般市民」という意味ではないですよね? 別ページで「伝言ゲームの危険性」を指摘されていますが、もしかしてご本人が妙な伝言ゲームにひっかかっているのでは……。
 まあ、展示場のどこかにはそう書いてあるのかもしれませんけど、中国の見解としては「軍民合わせて30万虐殺」ですから、単なる書き間違いでしょう。
84 hits

[3633]Re(2):目からウロコの南京大虐...
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 タラリ E-MAIL  - 06/12/7(木) 22:49 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
渡辺さんなどがおっしゃる通りです。

何が「目からウロコ」なのだろうか。
思うに小林よしのり『戦争論』のウソなどに反発してこういう研究を始めたのだろう。きっかけは何であってもいいのだが、いったい山本弘氏がこの研究を通じていいたいこと、学んだことはなんなのか。

否定派の主張を笑うのはよい。しかし、過大派、適性派、過小派、まぼろし派などと新しい分類などをして悦にいってもらっても困るのだ(適性派というのも適正派の誤変換だろう)。過大とか、過小とか名付けるならば、学問的な批判に堪える虐殺数を提示するだけの資料と論理を用意しているのか。そもそも、虐殺数を提示してもいない人たちが否定派、肯定派を通じて多数いる。それが何で主張する虐殺数によって分類できるのだろう。


彼に最も欠けているのは、南京大虐殺が彼にとって何であり、どういうモチベーションで研究すべきかということなのだ。私にとっては南京事件をどう捉え、中国人被害者とどう向き合うかを知ることこそ、モチベーションである。これに対して否定派諸氏にとっては中国の虐殺説によってなすりつけられた日本の汚名をいかに晴らすかということなのであろう。そのようなモチベーションが皆無なので、ついつい高見の見物に走るのだ。学問的には裏付けられない主観によって分類を行い、批評家を気取っても意味はない。

おそらく、彼にとっては数々のトンデモ学説批判と同じ位置を占めている。トンデモ学説を批判することは知的トレーニングとして興味があるだけのことなのだ。したがって彼の今回のページで一番出来がいいのは「伝言ゲームの危険性」だ。これには害がない。小林よしのりの対抗としてこういうのを精々たくさんやるとよい。
43 hits

[3634]Re(3):目からウロコの南京大虐...
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 gallery E-MAILWEB  - 06/12/7(木) 23:53 -

引用なし
パスワード
   >反面「過大説」の扱いには、どうにも納得いかないのですが。

「適正」一つ残して、あと全部切り捨てる態度は学問的でない、の意です。
特に南京虐殺論争や「定義」は、明確に区分できるものではありませんし。
中共主張の犠牲者数が「過大だ」と表現するつもりはありませんでした。
どうも、紛らわしい書き方をしてすみませんです。

で、色々と想像を巡らした結果、整合性ありそうな一つの仮説に行き着きまして
あくまで想像(妄想?)の範囲の、それも不謹慎なバカ仮説かもしれませんので
ここでの発表は控えますが。…これもヘンな書き方ですね。すみません。
47 hits

[3643]Re(1):目からウロコの南京大虐...
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 ゆう WEB  - 06/12/10(日) 6:10 -

引用なし
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   山本氏からは、K−Kさんと私のページをご紹介いただいていますね。感謝。

皆さんの批判には私としても同意せざるを得ないのですが、一読すれば、山本氏の主要ターゲットが「なんにもなかった」派にあることは明らかです。氏としては、「反左派」にも納得してもらえるように、あえてあのようなページづくりを行ったのではないか、という気がします。

むしろ私としては、「伝言ゲームの危険性」を面白く拝見しました。
http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankinb01.htm

小林よしのり氏の元ネタ、大井満氏だったのですね。大井氏自身かなりいい加減な引用をする人物であるようですし、さらにそこから孫引きする小林氏もいい加減。結果として、原資料とは似ても似つかない「絵」が出来上がる。う〜ん、このあたり、私がやりたかった(笑)。

面白そうな標題が並んでいますので、続編に期待しましょう。
40 hits

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