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[3644]ベイツ教授論文『南京の人口』 ゆう 06/12/10(日) 6:56
[3650]Re(1):ベイツ教授論文『南京の人口』 渡辺 06/12/11(月) 1:51
[3654]Re(1):ベイツ教授論文『南京の人口』 タラリ 06/12/11(月) 15:12
[3664]感謝! ついでに新コンテンツのお知らせ ゆう 06/12/13(水) 19:39

[3644]ベイツ教授論文『南京の人口』
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 ゆう WEB  - 06/12/10(日) 6:56 -

引用なし
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   おそらく皆さん、まだご存知ないかと思いますので、こちらで紹介しておきます。

『南京の人口 雇用、所得、消費』と題する論文があります。著者は、あのベイツ教授。中村哲夫氏が上海図書館の蔵書から筆者・影印(コピー?)し、その全文(英文)を自署『日中戦争を読む』(晃洋書房、2006.11.30初版)で紹介しています。

私の英語力は心もとないので、とりあえずは中村氏の解説を頼りに斜め読みしているのですが、内容は、南京の戦前戦後の人口構成(家族、性別、年齢別)を分析したものであるようです。


まず、序文より。中国の「人口調査」の不完全さについてです。(以下、翻訳は中村氏によります)

過去にあっては、この種の数字は、よくある不注意と、官庁の調査にたいしては隠し立てする習慣があるため、たいていは不完全なものとして疑わしいとされてきた。(ゆう注 後の文を見ると、「隠し立て」の理由は、労役・兵役逃れのためであるようです)

そのうえ、幼い子供、特に女の子が報告から省かれている。このような欠陥は、戦争になる以前からずっと続いてきたのであるけれども、現在の統計では、男性がやや多めに報告されているかもしれない。なぜなら、女性より隠される傾向が弱く、証明を得るために自ら進んで登記するからである。また、市部の外側に暮らす男性のうちには、交易や輸送のため市内にはいるのに不自由しないよう、城郭の内部で登記している。そのうえ、短期滞在者の多くは男性であるから、報告結果に影響しているかもしれない。(P168-P169)

戦後人口(1939年1月)について、ベイツ博士はこう分析しています。

(1)この都市から、かつての居住者の半数が減少している。その大部分は、直接あるいは間接に、公的な機構や教育機関に関係し、この都市における経済生活に重要な意味をもち、旧来の財政的、商業的な機関と指導制をあわせもっていた。

(2)現在の人口数には、南京の城内よりもずっと安全性が乏しく、生き延びる希望が少ないと感じている近郊の農村からの放浪者が数万人も含まれている。(P174)


さて、論文には、こんな表が掲載されています。

男女比の推移。1932年115→1938年(スマイス報告)103→1939年(ベイツ調査)93。

年齢層別の男女比推移は、
0-14歳  1932年109→1938年105→1939年102。
15-49歳 1932年124→1938年111→1939年91。
50歳以上 1932年94→1938年85→1939年79。

なかなか興味深く、いろいろな「分析」が可能であると思います。


ただどうも、中村氏の解説は、ちょっと「偏り」があるような気もします。

中村氏は、「徹底的に学術的な厳格さをたもつ研究こそ、隠された真実の扉をあける鍵を握っていることを知る学者」「その分析は学術的な批判に耐えうる」と徹底的に持ち上げておいて、「むしろ、その後の1938年から1939年にかけ、さらに大きな年齢別の男女比の変化があるとみていることがわかる。つまり、占領の直後の「大虐殺」が、男女人口比の構造的な変化を招いたとは論証できないのである」と結論づけます。

「否定される」ではなく「論証できない」ですので言い方は慎重なのですが・・・。


もっとも、氏の「大虐殺」認識は、こんなものです。

ところで、極端な大虐殺論者は、1938年2月の統計から消えた50万人が日本軍に虐殺されたという。通常の虐殺論者は、消えた20万人は国民党政府関係者とその家族とみなし、日本軍占領前に南京から避難していたので、残りの30万人が虐殺されたと宣伝する。(P171)

思わず引っくり返ってしまったのですが、これが氏の「大虐殺」のイメージなのであれば、さすがにちょっと「論証」できそうにありません。中国側の主張だって、「戦死者を含む軍民合計」であったはずです。


だいたい、最初のページからしてこうです。

1937年7月13日からの日本軍の上海攻撃に際し、上海でユダヤ人が被災する。その救済を目的として、国際救済委員会ができる。ユダヤ系の組織である。その南京支部の活動と深く関係する調査研究の成果が本書である。(P165)


どうも世間一般のイメージとは、ちょっとずれているような・・・・。


さて、時間ができましたら、辞書を引き引き、英文の方にもチャレンジしてみることにしましょうか。
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[3650]Re(1):ベイツ教授論文『南京の...
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 渡辺  - 06/12/11(月) 1:51 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>『南京の人口 雇用、所得、消費』と題する論文があります。著者は、あのベイツ教授。中村哲夫氏が上海図書館の蔵書から筆者・影印(コピー?)し、その全文(英文)を自署『日中戦争を読む』(晃洋書房、2006.11.30初版)で紹介しています。

それって、The Nanking Population という南京国際救済委員会が1939年に刊行した小冊子じゃないでしょうか。それなら、上海まで行かなくてもT大学内の図書館に実物があります。大学関係者以外は事前に予約が必要ですが複写できます。

スマイスとベイツは男女比の変化を「虐殺」とみていたようですが、それは統計と現実に南京で起こった状況からの推測でしょう。
彼らが用いた人口資料は公的資料とは男女比など異なります。(調査方法は INTRODUCTION に書かれています。私は、このやりかたは問題があると思っています。)なお、市政府による調査は第一回の調査資料を見る限り、服役者まで含む全人口の調査をしたことになっています。

>過去にあっては、この種の数字は、よくある不注意と、官庁の調査にたいしては隠し立てする習慣があるため、たいていは不完全なものとして疑わしいとされてきた。

細かいところですが、「この種の」という訳は抵抗感があります。such figures とは市政府の1930-1939年の調査の数字を指しています。
「今まで、それらの数字は通常、全体的な不注意と公的調査に対する常習的な無届に起因する不完全さを疑われてきた」ということではないかと思います。for の訳しかたによってニュアンスが変わってくるようです。
原文:
In the past such figures have usually been suspected for incompleteness due to general carelesness and to habitual concelement from official inquiry. (p.2)
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[3654]Re(1):ベイツ教授論文『南京の...
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 タラリ E-MAIL  - 06/12/11(月) 15:12 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>おそらく皆さん、まだご存知ないかと思いますので、こちらで紹介しておきます。
>
>『南京の人口 雇用、所得、消費』と題する論文があります。著者は、あのベイツ教授。中村哲夫氏が上海図書館の蔵書から筆者・影印(コピー?)し、その全文(英文)を自署『日中戦争を読む』(晃洋書房、2006.11.30初版)で紹介しています。

>  過去にあっては、この種の数字は、よくある不注意と、官庁の調査にたいしては隠し立てする習慣があるため、たいていは不完全なものとして疑わしいとされてきた。(ゆう注 後の文を見ると、「隠し立て」の理由は、労役・兵役逃れのためであるようです)

「隠し立て」があったとすれば、成人男子ないし、将来労役・兵役を課される男児についてであるはずですが、官庁(南京市政府・首都警察)の調査では男女比は約1.5であって、スマイス、ベイツの報告よりずっと高値なのですから、ベイツが「隠し立て」があったという見立てをするのは理屈にあいません。

>  そのうえ、幼い子供、特に女の子が報告から省かれている。このような欠陥は、戦争になる以前からずっと続いてきたのであるけれども、

「幼い子供、女の子を報告から省いた」というベイツの判断の根拠がどこにあるか知りたいところです。原著を読んでみなければ何とも言えませんが、そのように報告することは、南京市民にも官庁にとっても何も利益はないはずです。

原著を読まないとなんとも言えませんが、ベイツは中国における女児の選択的間引きの実状を理解していなかったので、小児男子の過剰を女児の報告過小であると即断したのではないかと思われます。


>現在の統計では、男性がやや多めに報告されているかもしれない。なぜなら、女性より隠される傾向が弱く、証明を得るために自ら進んで登記するからである。

ベイツがそう推測する理由がわからない。

>また、市部の外側に暮らす男性のうちには、交易や輸送のため市内にはいるのに不自由しないよう、城郭の内部で登記している。そのうえ、短期滞在者の多くは男性であるから、報告結果に影響しているかもしれない。(P168-P169)

官庁(南京市政府・南京市警察)が、市部の外側で暮らす男性を城郭の内部で登記したり、短期滞在者を定住者と誤って登録したために、官庁報告では男性が見かけ上増えている、という推測を述べたものであろう。これは官庁調査とベイツ調査における男女比のギャップを説明するための推測であろう。

そうではあっても、1938年と1939年において「城郭内部で登記」したもの、「短期滞在者」が属する15−49歳の年齢階級の男女比が低下することまでは説明不可能である。

1932年、1938年はスマイスが調査に当たり、1939年はベイツの調査となっています。同一基準での調査であったのなら3つのデータの比較から何かを言うことが可能ですが、ベイツの調査手法はスマイスとまったく同じなのでしょうか。

私は、むしろベイツの調査方法に重大な欠陥があったのではないかと思います。

スマイスの1932年、1938年の調査自体、家族構成員数と男女比について戦争後にしては不合理な調査内容であるのが問題です。
     家族構成員数   男女比
1932年  4.2人      114.5
1938年  4.7人      103.4
家族から多くの成人男子が失われたはずであるのに、家族構成員数がかえって増えている。


官庁の人口に関する調査は非常に完成度の高いものです。その結果をスマイスやベイツの限られた調査方法、調査結果をもって否定するのは問題が多いと思います。これはベイツに対する批判であるとともに、中村哲夫氏に対する批判であります。
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[3664]感謝! ついでに新コンテンツ...
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 ゆう E-MAILWEB  - 06/12/13(水) 19:39 -

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   渡辺さんのおかげで、中村教授が「史料的な面で重要な検討の素材を学会に提供する」とまで大見得を切った史料が実は結構知られていた資料であったことを知ることができました。

また、タラリさんの鋭さも相変わらず。

この掲示板の常連でよかった、と思える瞬間です。他の掲示板では、絶対にこんな鋭い反応はありません。


ところで今朝、「皇軍に感謝した毛沢東?」と題する新コンテンツをアップしました。

http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/moutakutou.html

内容は、以前のこちらへの投稿を手直ししたもの。「軽い」コンテンツですので、こちらで宣伝する気はなかったのですが、なぜか早くも180近いヒットをいただいており(どうやら「はてな」がルーツらしい)、意外とウケているようですので、こちらでもご案内させていただきます。
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