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おそらく皆さん、まだご存知ないかと思いますので、こちらで紹介しておきます。
『南京の人口 雇用、所得、消費』と題する論文があります。著者は、あのベイツ教授。中村哲夫氏が上海図書館の蔵書から筆者・影印(コピー?)し、その全文(英文)を自署『日中戦争を読む』(晃洋書房、2006.11.30初版)で紹介しています。
私の英語力は心もとないので、とりあえずは中村氏の解説を頼りに斜め読みしているのですが、内容は、南京の戦前戦後の人口構成(家族、性別、年齢別)を分析したものであるようです。
まず、序文より。中国の「人口調査」の不完全さについてです。(以下、翻訳は中村氏によります)
過去にあっては、この種の数字は、よくある不注意と、官庁の調査にたいしては隠し立てする習慣があるため、たいていは不完全なものとして疑わしいとされてきた。(ゆう注 後の文を見ると、「隠し立て」の理由は、労役・兵役逃れのためであるようです)
そのうえ、幼い子供、特に女の子が報告から省かれている。このような欠陥は、戦争になる以前からずっと続いてきたのであるけれども、現在の統計では、男性がやや多めに報告されているかもしれない。なぜなら、女性より隠される傾向が弱く、証明を得るために自ら進んで登記するからである。また、市部の外側に暮らす男性のうちには、交易や輸送のため市内にはいるのに不自由しないよう、城郭の内部で登記している。そのうえ、短期滞在者の多くは男性であるから、報告結果に影響しているかもしれない。(P168-P169)
戦後人口(1939年1月)について、ベイツ博士はこう分析しています。
(1)この都市から、かつての居住者の半数が減少している。その大部分は、直接あるいは間接に、公的な機構や教育機関に関係し、この都市における経済生活に重要な意味をもち、旧来の財政的、商業的な機関と指導制をあわせもっていた。
(2)現在の人口数には、南京の城内よりもずっと安全性が乏しく、生き延びる希望が少ないと感じている近郊の農村からの放浪者が数万人も含まれている。(P174)
さて、論文には、こんな表が掲載されています。
男女比の推移。1932年115→1938年(スマイス報告)103→1939年(ベイツ調査)93。
年齢層別の男女比推移は、 0-14歳 1932年109→1938年105→1939年102。 15-49歳 1932年124→1938年111→1939年91。 50歳以上 1932年94→1938年85→1939年79。
なかなか興味深く、いろいろな「分析」が可能であると思います。
ただどうも、中村氏の解説は、ちょっと「偏り」があるような気もします。
中村氏は、「徹底的に学術的な厳格さをたもつ研究こそ、隠された真実の扉をあける鍵を握っていることを知る学者」「その分析は学術的な批判に耐えうる」と徹底的に持ち上げておいて、「むしろ、その後の1938年から1939年にかけ、さらに大きな年齢別の男女比の変化があるとみていることがわかる。つまり、占領の直後の「大虐殺」が、男女人口比の構造的な変化を招いたとは論証できないのである」と結論づけます。
「否定される」ではなく「論証できない」ですので言い方は慎重なのですが・・・。
もっとも、氏の「大虐殺」認識は、こんなものです。
ところで、極端な大虐殺論者は、1938年2月の統計から消えた50万人が日本軍に虐殺されたという。通常の虐殺論者は、消えた20万人は国民党政府関係者とその家族とみなし、日本軍占領前に南京から避難していたので、残りの30万人が虐殺されたと宣伝する。(P171)
思わず引っくり返ってしまったのですが、これが氏の「大虐殺」のイメージなのであれば、さすがにちょっと「論証」できそうにありません。中国側の主張だって、「戦死者を含む軍民合計」であったはずです。
だいたい、最初のページからしてこうです。
1937年7月13日からの日本軍の上海攻撃に際し、上海でユダヤ人が被災する。その救済を目的として、国際救済委員会ができる。ユダヤ系の組織である。その南京支部の活動と深く関係する調査研究の成果が本書である。(P165)
どうも世間一般のイメージとは、ちょっとずれているような・・・・。
さて、時間ができましたら、辞書を引き引き、英文の方にもチャレンジしてみることにしましょうか。
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