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昭和59年8月12日付の父(栗原利一)宛ての手紙の一部です。この手紙などが板倉氏の捏造に協力した際に捕虜の数が減っていた理由だと思います。 ”前略 8月7日付毎日新聞の記事を拝見。何で今頃、思慮の浅い単純な目立ちたがり屋か老人ボケの現象という感じでした。この様なモノを新聞に発表するならば「私もやった」という記述のないのが何とも不思議で、自分は無関係というのではないでしょう。... 真実をきちんと後世に伝えたいなどと尤もらしい事を言われるが一年そこそこの戦線体験しかもたない一下士官の危うげな記述より、より高度で精度の高い公式記録が他に幾つもある事を君は知らないようだ。今は秘密でも後世に必ず伝わります。... 私の岳父は昭和12年事変と同時に応召しました。42歳妻子五人がいました。応召兵としては最古参だったそうです。『南京攻撃作戦に参加し指揮(歩兵中尉)をとったがあの事件は日本にとって永久に残る心の傷だ。止むを得ない事情(釈放した捕虜が再武装し次に幾千幾万の味方の将兵が殺されるかもしれない)だったと自己弁護しているが考えて見れば可愛そうな事をしたと今でも(悔悟)涙の出る事がある』と話していました。... よく覚えておいて下さい。この事件はかって報道されたほど大規模ではなかった。その数も当時としては戦果の誇示であった。... ...こんな事美談でも快挙でもないから知られたくないので私の名も伏せておこう。... ...今年68歳南京当時陸軍少尉とだけ記しておこう。”
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