|
12月17日に『栗原証言聞き取り阿羅版批判』と『東中野氏のむなしい「証拠写真の検証」を論駁する』の二つをアップしました。前者は12月27日に早速改訂しました。 後者はクマさんのご依頼に応えて、埼玉県の平和資料館の展示から村瀬写真が消されたことに対して抗議するための資料としてまとめたものです。
今年は百人斬り関連で3件アップしていますので5件アップしています。
省みますと、 2003 19件 2004 6件 2005 0件 2006
5件 で、今年はまあまあ。2005年は何をしていたのかしら。
今年は5月に歴史問題ネットワーカーの集いに参加し、多くのひとたちが歴史認識の問題を自己の問題として捉えており、その輪が広がりつつあるのを実感した。
以前、歴史修正主義者と語ることの意味を旧思想錯誤板で書いたことがある。
−−−−−−−−−−−−−−−− http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/4/vruqrf/trqqrf.html#trqqrf >皆さんがネットの世界で歴史問題を語ることの意味をどう思っていらっしゃるのか、出来ればお聞かせ願いたいと思います。
第一に面白いからでしょう。次に正義感です。ただし、歴史修正主義者は決して 考えを変えません。『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』にもそう書いて あります。では、なぜ掲示板に書くのかというと、かれらを転向させようとかいう んじゃないです。
この世の中に歴史修正主義という悪があるのは知っている、だけど、それとの戦い なんかどうでもいいことじゃないか、と思っていたのですが、勉強して行くと、 「どうでもいいじゃないか」という考え方自体が歴史修正主義が拡大していくため の絶好の肥料なんですね。自分がまず勉強して、そういう考えから脱却できること それ自体が歴史修正主義との戦いなんですね。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/4/vruqrf/arkqrf.html#arkqrf 「君がすることはほとんど無意味だが、それでもしなくてはならない。 なぜなら、それは世界を変えるためではなく、世界によって自分が 変えられないようにするためだからだ」
歴史修正主義者と討論しても彼らが考えを変えることはない、ほとんどない。 しかし、彼らと闘うことで新たな自分が生まれる。きっと、呼応する人たち が立ち上がる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「きっと、呼応する人たちが立ち上がる」とは書いたが、当時はこんなに早く、こんなに輪が広がるとは思っていなかった。
その流れで南京事件FAQプロジェクがはじまったのだと思う。このサイトもすでに多くのファンがついて、否定派と闘いはじめたひとたちがいるようです。
提唱者のQuesoさんはじめ一緒に作った仲間たち、とりわけja2047に感謝したいと思います。
| |