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父は昭和59年の騒動の後、いろいろ回想録を随筆風に書いています。最初は昭和60年の相模原武道学園の第3次日中友好少年文化使節団に同行した際の報告を紹介させていただきます。最終的には栗原利一資料集にアップする予定です。 使節団の活躍と私の戦争体験 使節団顧問 栗原利一 鄭州少年宮での日中少年交流会 第三次日中友好少年文化使節団は、昭和60年3月30日、鄭州少年宮に於いて鄭州市長始め学校職員生徒及び体育専門学校生徒を交えての交換会が行なわれた。私は幸運にもこの列に連なることができ感激で一杯でした。 会場入口上部には「日中友好少年文化使節団歓迎」の横断幕、その上部を基点に四方に両国国旗のアーチを張りめぐらされ、歓迎の音楽には日本民謡・花笠音頭・会津磐梯山・大漁唄などと次々に流して、ムードを盛り上げました。誠意溢れる音楽を聞いて、友好の真心の溢れる大会の雰囲気に自ら胸を打たれ涙ぐむ感激を覚えた次第です。 この大会での式次第は次の様に運ばれました。 一、入場整列少年団両国国旗を振りながら入場 二、中日両国家の斉唱 三、中国人側の歓迎挨拶 四、吉川団長の挨拶 五、中国側少年歓迎挨拶 六、日本側少年稲垣君代表挨拶・流ちょうな中国語での挨拶には好感を受けた。 七、中日両方記念品交換 八、中国少女の歓迎の歌 九、日本少年「太湖の歌」並びに詩吟「江南の春」外 十、琴と胡弓の演奏 十一、栗原顧問の夢想神伝流居合 十二、中国少年の唄 十三、日本吉原秘書長の太極拳、富岡・萩生田秘書の茶道、吉川由紀団員の生け花。尺八の音が流れる中での静の行は実に見事であった。 十四、中国少年独唱 十五、剣道の披露、少年試合トーナメントで行い続いて吉川団長、栗原に対し打ち込み練習を実施した。 十六、中国鄭州少年体育専門学校生徒の個人演技が披露され、これもまた素晴らしく激しい動きとスピードは実に見事なもので、最後に二人組んで行なわれた演技も観客側は目を見張って大拍手を送った次第である。 すべての行事も終わって記念写真を写したり交歓の意を交えて大盛会のうちに目的を果たした。日中友好のきづなを一層深くし、21世紀に向かいより盛んに躍進されることを期待し信ずる次第である。 次回には8ミリビデオカメラを携行し写し」、土産にしたいものである。 この大会は二時間以上続きましたが、鄭州市長胡樹倹先生はこの長い時間、一時市政府に行かれたようであったが、他は全部中央の席に座って、終始日中双方の子供たちの演武演技を熱心に鑑賞して居られる真面目な態度に私は感心したしました。
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