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[2794]南京の慰安所 熊猫 06/7/10(月) 0:16 [添付]
[2796]Re(1):南京の慰安所 ピッポ 06/7/10(月) 8:10
[2798]Re(2):南京の慰安所 とほほ 06/7/10(月) 18:44
[2799]Re(3):南京の慰安所 ピッポ 06/7/10(月) 21:26
[2809]Re(4):南京の慰安所 熊猫 06/7/11(火) 8:54
[2804]第六師団は南京で強姦をしています。 熊猫 06/7/11(火) 1:33
[2806]Re(1):第六師団は南京で強姦をしています。 ピッポ 06/7/11(火) 7:32
[2808]Re(2):第六師団は南京で強姦をしています。 ピッポ 06/7/11(火) 8:19
[2824]訂正 熊猫 06/7/11(火) 23:17
[2825]Re(1):五島広作氏、お年は? ピッポ 06/7/12(水) 0:26
[2962]五島広作記者の大嘘 熊猫 06/7/22(土) 21:33
[3071]独立攻城重砲兵 第二大隊 熊猫 06/8/5(土) 12:50 [添付]
[3077]慰安婦、中国人は1円也! 熊猫 06/8/6(日) 19:40 [添付][添付]
[2916]五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/18(火) 1:08 [添付]
[2928]Re(1):五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/19(水) 8:50
[2949]Re(2):五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/21(金) 0:55
[2951]Re(3):五島広作氏の妄想 ピッポ 06/7/21(金) 12:08
[2952]Re(4):五島広作氏の妄想 eichelberger_1999 06/7/21(金) 13:34
[2954]Re(5):五島広作氏の妄想 ピッポ 06/7/21(金) 23:35
[2965]Re(6):五島広作氏の妄想 eichelberger_1999 06/7/24(月) 18:30
[3072]法螺吹き小野田の大嘘 熊猫 06/8/5(土) 14:02
[2956]Re(5):五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/22(土) 10:34
[2967]Re(6):五島広作氏の妄想 eichelberger_1999 06/7/24(月) 18:39
[2973]Re(7):五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/25(火) 9:54
[2976]Re(8):五島広作氏の妄想 eichelberger_1999 06/7/26(水) 11:49
[2977]Re(9):五島広作氏の妄想 とほほ 06/7/26(水) 12:00
[2979]Re(9):五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/27(木) 8:31
[2980]Re(10):五島広作氏の妄想 熊猫 06/7/27(木) 8:36
[3074]Re(1):五島広作氏の妄想 熊猫 06/8/6(日) 7:12

[2794]南京の慰安所
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/10(月) 0:16 -

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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
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左の写真は南京市利済巷2号にある旧日本軍の慰安所です。南京占領後に40箇所の慰安所が造られたそうです。

 昭和13年(1938年)に出版された『南京指南』には9軒の慰安所が記されていました。
 大華楼慰安所 白下路312号
 共楽館慰安所 桃源鴻3号
 東雲慰安所  利済巷普愛新村
 浪花慰安所  中山東路
 菊花館慰安所 湖北路楼子巷
 青南楼慰安所 太平楼白菜園
 満月慰安所  相府営
 鼓楼慰安所  鼓楼飯店
 人民慰安所  貢院東街2号


23 hits

[2796]Re(1):南京の慰安所
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/10(月) 8:10 -

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   ▼熊猫さん:
>左の写真は南京市利済巷2号にある旧日本軍の慰安所です。南京占領後に40箇所の慰安所が造られたそうです。

 昭和13年(1938年)に出版された『南京指南』には9軒の慰安所が記されていました。
> 大華楼慰安所 白下路312号
> 共楽館慰安所 桃源鴻3号
> 東雲慰安所  利済巷普愛新村
> 浪花慰安所  中山東路
> 菊花館慰安所 湖北路楼子巷
> 青南楼慰安所 太平楼白菜園
> 満月慰安所  相府営
> 鼓楼慰安所  鼓楼飯店
> 人民慰安所  貢院東街2号

熊猫さん、
おはよう御座います。

南京の慰安所は何月に営業開始なのでしょうかね?
それによって、阿羅健一による「五島広作」証言が、阿羅による「真っ赤な作文』であることが傍証されるんですけど。

ネトウヨたちが好んで貼る
============
大阪毎日新聞 五島広作記者の証言

―― 第六師団は北支で感謝状をもらってないから、中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。

「はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています」

―― 南京陥落後の第六師団の行動はどうでした?

「十三日、十四日は城内掃蕩で、残虐行為などありません」

(中略)

―― 五島さんはいつまで南京にいましたか。

「翌年の一月十日頃までいました。
この間、南京のあちこちに行きましたが、虐殺といわれることは見ていません。
また、強姦もあったといわれますが、すでに慰安所ができてましたから、戦後いわれていることは嘘です。(後略)」
===============

おかしいんじゃない、慰安所はまだできてないかも、と指摘したら、

なんと、別のネトウヨちゃんが
===============
 では、慰安所の開設時期は何時か。
 南京における慰安所開設の日付を示す資料は現在まで見つかっていないとされている。
 但し、その時期を推定できる資料はある。

飯沼守日記
十二月十九日
「・・・迅速ニ女郎屋ヲ設ケル件ニ就キ長中佐ニ依頼ス。」
(南京戦史資料集)

上村利道日記
十二月二十八日
「・・・南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス。・・・」
(南京戦史資料集II)

 これ以降に慰安所開設について審議したという記録は無いから、年末段階では慰安所開設が決定していたことが推定される。
 少なくとも、1月10日には慰安所が開設されていたという五島証言を疑う合理的な理由は無い。
===============

良く調べたけど、より疑惑は深まりました。


『強姦が頻発した⇒だから急遽「慰安所」を設置した』という時間軸、因果関係を
「いわゆる五島証言」は無視して
『急遽「慰安所」を設置したから⇒ 強姦はなかった』
と逆立ちさせています。

これは、体験者である五島氏には出来ない芸当です。
戦争非体験者であるボンボン、阿羅健一の『真っ赤な』作文ではないかと、私は思っているんです。


29 hits

[2798]Re(2):南京の慰安所
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 とほほ E-MAIL  - 06/7/10(月) 18:44 -

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   ▼ピッポさん:
>なんと、別のネトウヨちゃんが

>上村利道日記
>十二月二十八日
>「・・・南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス。・・・」
>(南京戦史資料集II)

>『強姦が頻発した⇒だから急遽「慰安所」を設置した』という時間軸、因果関係を
>「いわゆる五島証言」は無視して
>『急遽「慰安所」を設置したから⇒ 強姦はなかった』
>と逆立ちさせています。

上村利道日記
十二月二十八日
軍隊の非違愈々多きが如し・・・南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス。」

軍隊の非違愈々多きが如しをスルーするあたりはさすがわネトウヨ、面目躍如といったところかな。松尾一郎も真っ青。
24 hits

[2799]Re(3):南京の慰安所
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/10(月) 21:26 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>上村利道日記
>十二月二十八日
> 「軍隊の非違愈々多きが如し・・・南京慰安所ノ開設ニ就テ第二課案ヲ審議ス。」
>
>軍隊の非違愈々多きが如しをスルーするあたりはさすがわネトウヨ、面目躍如といったところかな。松尾一郎も真っ青。

戦史研究所さんにも、上村利道日記が引用されています。上村利道さんってえらいさんだったんですね、
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6anzenku.htm


 強姦について、南京陥落後、杭州攻略に向かった第10軍が、12月20日に出した命令「丁集参一第一四五号」の中に南京において「婦女暴行ノミニテモ百餘件ニ上ル忌ムヘキ亊態ヲ發生セル」と書かれています。
 この命令が出たのが、12月20日ですから、南京占領後、1週間も立たない内に、公式に判明しただけでも、100件以上の強姦事件が発生した訳です。
 まさに「忌ムヘキ亊態」と言わざるを得ません。
 しかし、第10軍は、杭州においては、そのような事態が発生しないように、迅速に対策を講じています。
 第10軍は隷下の第18、第101師団から、それぞれ歩兵1個中隊を抽出して補助憲兵とし、これを第10軍の憲兵隊長の指揮下に加えることで警察機能を強化し、秩序の維持を図っています。

 こういった第10軍の迅速な対応に比べて、南京に駐留していた上海派遣軍やその上部組織の中支那方面軍の対応はお粗末きわまりないものでした。

 例えば、中支那方面軍司令官松井石根大将の12月20日の陣中日記に


一時我将兵ニヨリ少数ノ奪掠行為(主トシテ家具等ナリ)強姦等モアリシ如ク多少ハ已ムナキ実情ナリ

 とあるように、司令官自身が、少数(1週間足らずの間に、強姦だけでも100件以上の事件が発生しているにも関わらず、それを「少数」としてしまうその感覚は理解を絶しますが)の掠奪や強姦等はやむを得ないと認容し、何らの対策も講じませんでした。
 中支那方面軍が、具体的な対策を講じるのは、1月6日です。
 12月30日に陸軍大臣、参謀総長連名で注意電報が来てから1週間の日数が経過しています。

 しかし、この後も、信じられないことに、指揮官を先頭に部隊ぐるみで強姦をやる者たちが出てきます。

 上海派遣軍参謀長飯沼守少将の日記を見てみます。


憲兵ノ報告ニ依レハ(中略)避難民区ニ将校ノ率ユル部隊侵入強姦セリト言フ。(真偽確カナラサルモ)

 12月19日

本夕本郷少佐ノ報告。(中略)中隊長ヲ訊問シタルニ中隊長ハ其権限ヲ以テ交ル交ル女ヲ連レ来リ金ヲ与ヘテ兵ニモ姦淫セシメ居レリトノコト。依テ憲兵隊長小山中佐及33〔i〕第二大隊〔長〕ヲ呼ヒ明朝ノ出発ヲ延期セシメ大隊長ノ取調ニ引キ続キ憲兵ニテ調フルコトトセリ。

 1月26日
注・iは歩兵連隊のこと。

 この事件の取調の様子を、上海派遣軍参謀副長だった上村利道大佐も日記に書いています。


天野中尉ノ取調ニ就テ憲兵報告……昨夜ノ勢当ルヘカラス、大隊長不甲斐ナクモ統御出来ス。残置命令ヲ当番兵ヲシテ伝達セシム。

 1月27日

 まさにこれは、上官が部下を統制出来なくなっていることを示しており、軍隊としては末期的な症状です。
 当時の日本軍に犯罪行為が多発した理由はこれでしょう。

 この後も、強姦事件が続いたことが、飯沼少将の日記から伺えます。


 米領事「アリソン」ヨリ一月二十八日以後二月一日迄ノ日本兵ノ非行トシテ掠奪強姦八十九件ヲ抗議シ来レリ。甚タ誇大ナルヘキモ日本兵ノ非行ハ憲兵ノ報告ノミニテモ数件アリ実ニ慨嘆ニ堪ヘス。

 2月12日

 これらの記録から、日本軍の軍人たちが強姦を行っていたことは明らかです。



>上海派遣軍参謀副長だった上村利道大佐
:
:
36 hits

[2804]第六師団は南京で強姦をしてい...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/11(火) 1:33 -

引用なし
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   はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。

 残念ながら、その第六師団の兵士が強姦をやっちゃいました(^^)
『南京戦史資料集』448p〜449p
折田護日記歩兵第23連隊第2大隊砲小隊長(12月17日より)
 夕刻入城祝を小隊にて催せしが、一八・○○大隊本部に各中小隊長集合を命ぜらる。席上大隊長より次の注意あり。
 「昨日IIMGの兵二名市内にて支那婦人二名を強姦せるを柚木円優中尉発見しR本部にて問題となり目下取調べ中の由、厳にかかる行為のなきよう注意せられたし」と。
 つまり、12月16日に第六師団歩兵第二十三連隊第二大隊機関銃中隊(橋口与熊大尉)の兵士二名が強姦をして連隊本部通信班の柚木円優中尉に見つかって、連隊本部で問題になっていますので「強姦しなかった」は大嘘です。
 第六師団は輓馬編成の部隊ですので連隊本部にいた新聞記者(五島広作氏)に25179人の兵隊が毎晩何をしているか解かる筈ないじゃないですか。

「慰安所があったので強姦は無かった」と言うのは嘘です。
 12月16日に第六師団による強姦事件がありましたが、もちろん慰安所はありませんでした。1月10日までに慰安所はあったかといえば、その可能性は考えられると思います。しかし、南京の日本兵の性欲を満たすためには何軒の慰安所と、何人の慰安婦が必要かを考えるべきでしょう。
 1人の兵士が5分と計算して、1時間に12人・・・・・これでは強姦の抑止効果は期待できませんね。仮に慰安所があったとしても、需要と供給のバランスがとれてなくて慰安婦の恩恵に与れた日本兵は、極一部の例外的存在ということになるでしょう。
 娼婦のいない国など皆無に等しいと思います。では、強姦は無いのか?
 「ニューヨークは路上に娼婦が溢れていますので強姦事件はありません。」「日本にもソープランドがありますので強姦事件はありません。」と言うのが、現実離れしていることは誰にでも判るでしょう。
 「売春」と「強姦」は別次元の問題であり、強姦を否定するためにパーキンソン病の老人が考えついた法螺話か、聞き取りをした人の嘘でしょう。それとも、「世界中の強姦事件は全て嘘であり無かった」という話を信じますか(^^)。

阿羅本の留意点
 これは仕方のないことですが、高齢者からの聞き取りが多いことです。若いときから継続した発言なら別ですが、高齢者というのは嘘つきなのです。
 巧妙な嘘ではなくて、小学生レベルの嘘を平気でつきはじめるのです。実際に自分が見たことや体験したことは事実でしょうが、それに自分の想像(空想)を混ぜて証言しているのが、阿羅本の特徴です。
 阿羅本を読むコツは、証言者の「体験」と「空想」の部分を分けて読むことです。
50 hits

[2806]Re(1):第六師団は南京で強姦を...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/11(火) 7:32 -

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   ▼熊猫さん:
>はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした。
>先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。

> 残念ながら、その第六師団の兵士が強姦をやっちゃいました(^^)
『南京戦史資料集』448p〜449p
>折田護日記歩兵第23連隊第2大隊砲小隊長(12月17日より)
> 夕刻入城祝を小隊にて催せしが、一八・○○大隊本部に各中小隊長集合を命ぜらる。席上大隊長より次の注意あり。
> 「昨日IIMGの兵二名市内にて支那婦人二名を強姦せるを柚木円優中尉発見しR本部にて問題となり目下取調べ中の由、厳にかかる行為のなきよう注意せられたし」と。
 つまり、12月16日に第六師団歩兵第二十三連隊第二大隊機関銃中隊(橋口与熊大尉)の兵士二名が強姦をして連隊本部通信班の柚木円優中尉に見つかって、連隊本部で問題になっていますので「強姦しなかった」は大嘘です。
> 第六師団は輓馬編成の部隊ですので連隊本部にいた新聞記者(五島広作氏)に25179人の兵隊が毎晩何をしているか解かる筈ないじゃないですか。


つまり、叱責をくらった小隊長の日記ですね。
畠中秀夫こと阿羅健一は、偕行社の資料を読んで
記録を遺した人物を避けたのですね

謀略を集中する人間を覗いて



>「慰安所があったので強姦は無かった」と言うのは嘘です。
> 12月16日に第六師団による強姦事件がありましたが、もちろん慰安所はありませんでした。1月10日までに慰安所はあったかといえば、その可能性は考えられると思います。

「慰安所」は、酒保規則にある「酒保内の慰安施設」であって、目的をもって設置されたものです。占領された町に勝手に出来た「おじょろや」を軍人が「慰安所」といったのかどうかも疑問です。


>しかし、南京の日本兵の性欲を満たすためには何軒の慰安所と、何人の慰安婦が必要かを考えるべきでしょう。
> 1人の兵士が5分と計算して、1時間に12人・・・・・これでは強姦の抑止効果は期待できませんね。仮に慰安所があったとしても、需要と供給のバランスがとれてなくて慰安婦の恩恵に与れた日本兵は、極一部の例外的存在ということになるでしょう。


何人の慰安婦が必要か?
今にも軍袴を脱がんとする日本兵の数を何人とすればいいですか?



> 娼婦のいない国など皆無に等しいと思います。では、強姦は無いのか?
> 「ニューヨークは路上に娼婦が溢れていますので強姦事件はありません。」「日本にもソープランドがありますので強姦事件はありません。」と言うのが、現実離れしていることは誰にでも判るでしょう。

某掲示板に書き込まれていましたが、
「クーニャンライライ、ピーカンカン」http://history.bbs.thebbs.jp/1132207796/80
という言葉は南京に攻め上る日本兵ならば誰もが知っている中国語?だったらしいのですが・・・

この卑猥な言葉をきいた中国婦女はなんと思ったのでしょうか?
どういう意味に受け取ったのでしょうか?



>阿羅本の留意点
> これは仕方のないことですが、高齢者からの聞き取りが多いことです。若いときから継続した発言なら別ですが、高齢者というのは嘘つきなのです。
> 巧妙な嘘ではなくて、小学生レベルの嘘を平気でつきはじめるのです。実際に自分が見たことや体験したことは事実でしょうが、それに自分の想像(空想)を混ぜて証言しているのが、阿羅本の特徴です。

高齢者というのは嘘つきなのです・・・なるほど。
干からびてくると、自分本位、自己正当化という人間の本質の一部だけが残るのですね。ああ自覚しなくっちゃ(笑)
ところで、若いときから自分本位、自己正当化だけで生きてきた人間は、
歳をとると何が残るのだうか?


> 阿羅本を読むコツは、証言者の「体験」と「空想」の部分を分けて読むことです。

「体験」と「空想」を分けるまでもなく、48人のうちの半分はインタビューではなく葉書アンケートだったそうです。畠中秀夫こと阿羅健一自らが、自慢げに語っています。
・・・長いので、これのレスとします

50 hits

[2808]Re(2):第六師団は南京で強姦を...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/11(火) 8:19 -

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   >・・・長いので、これのレスとします

こちらに書き込みました。

[#2807]Re(1):石川達三インタビューは葉書アンケートに過ぎなかったのか?
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2807;id=sikousakugo#2807
38 hits

[2809]Re(4):南京の慰安所
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/11(火) 8:54 -

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   南京戦史を読んだのではなく、
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/nagai.html
を読んでコピペしただけの御仁ではないかと思います。
37 hits

[2824]訂正
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/11(火) 23:17 -

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    私は「パーキンソン病=痴呆」と認識しておりましたが、パーキンソン病は必ずしも痴呆ではないようです。
 五島広作氏がパーキンソン病であることと、証言の内容が関係あるとは特定できないと認識を変えます。だからといって、法螺話であることの認識は変えません。
32 hits

[2825]Re(1):五島広作氏、お年は?
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/12(水) 0:26 -

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   五島広作氏が、阿羅健一こと畠中秀夫に法螺話を語ったのは、一体おいくつのときでしょうかね?
五島広作氏のことを調べましたら、南京事件否定の初代教祖様だとか。
34 hits

[2916]五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/18(火) 1:08 -

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 左の表は、『別冊1億人の昭和史 日本陸軍史 日本の戦史別巻1』(毎日新聞社)233pよりスキャンした日本の軍人の俸給です。兵長という階級は南京陥落当時はありませんでしたので、南京事件当時の兵士の俸給は左の表とは違うのではないかと思います。
 軍人の俸給が如何に少ないかということを理解していただくために提示しました。

『昭和十二年 陸海軍 軍事年鑑』380pより日本兵の月額の給料を抜粋します。
 ■曹長・・・一等39円 二等34円50銭 三等30円
 ■軍曹・・・一等22円50銭 二等18円 三等15円 四等13円50銭
 ■伍長・・・一等10円50銭 二等9円
 ■上等兵・・6円40銭
 ■一等兵、二等兵・・・5円50銭

 南京事件当時の日本兵の給料が上記金額で間違いないとは断定できませんが、提示した昭和18年の表よりは少なかったのではないかと思います。

一個中隊の編成
 ■中隊長・・・・・大尉(1人)
 ■中隊長付将校・・中尉、少尉(3人)
 ■准尉(1人)
 ■曹長(1人)
 ■軍曹、伍長(20人)
 ■上等兵(21人)
 ■一等兵、二等兵(145人)
 軍人の75%が一等兵、二等兵であり上等兵を加えて86%の軍人にとって料金の安い慰安婦でさえ「高嶺の花」なのです。五島氏が接していた師団本部のお偉いさんと、最前線で命を賭けて戦う兵士の給料は「月とすっぽん」なのです。

五島広作氏の給料は
 毎日新聞の記者はたった1日で13円の手当(伍長の1ヶ月の給料より多い!)を貰っていました。五島にとって慰安所の料金なんて安いもんでしょう。兵士の経済感覚が理解できていたとは到底思えません。

慰安所の料金
 ■将校・・・5円  ■兵士・・・2円

 これじゃ一等兵、二等兵のみなさんは1ヶ月に3発は無理ですね(^^)。この戦争に徴兵された多くの兵士は、一家の大黒柱であり「雀の涙」ほどの給料を慰安所で使うわけにはいかないのです。12月7日の手紙で弥太郎氏が幸子さんに「送金は到着しましたか」と書いていましたが、多くの兵士が弥太郎氏と同じ状況でした。
 国に妻や子供がいれば、給料の1/3の料金を簡単に払えるものではありません。

 「強姦もあったと言われていますが、既に慰安所ができてましたから、戦後言われていつことは嘘です。」五島広作談
 お前の言うとることが嘘やろ!世界中から強姦がなくなったら信じたらい!


 
28 hits

[2928]Re(1):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/19(水) 8:50 -

引用なし
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『国防婦人会』藤井忠俊(岩波新書)146p

 若者たちは好んで戦場におもむいたわけではない。赤紙がきたら出て行かねばならぬ。そうしなければ、兵役忌避として監獄行きなのだ。八月二日、広島県府中警察署長あて発信人不明の当初が舞いこんだ。
 「出征前、涙ながらに書く一出征兵士です。私は妻子五人を残して万感胸にせまりながら明朝出征いたします。私は一日九十銭で労働する一人ですが、明日より妻子は米代にも困ります。官公職に有る人は俸給全部戴けるに反し、我々労働者は何の手当もありません。何たる不合理な規定によるか、私等にも一日九十銭あれば妻子にことは一切心配せずに勇んで出征しますが、ただただ妻子の不憫が心残りで戦死しても死に切れません」(『特高外事月報』八月分)
 このたびの応召者には妻帯者も少なからず含まれていた。この手紙の主は、最初に動員された広島第五師団の召集兵である。師団は、八月一日、二日に宇品を出港、中国大陸へむけて船出して行った。
 一日九十銭も労働者の所得は、月給にして21円か22円くらいのものでしょう。当時としては貧しい家庭の労働者です。出正後に6円前後の俸給を貰ったところで、全額家族に仕送りしても、家族の生活費としては不足です。
 日本兵による食糧や金銭の略奪や、強姦を防止するなら慰安所を設置する前に、一人50円程度の俸給を支給するのが先でしょう。
 当時のサラリーマンの給料は50円程度ではなかったかと思いますが、ちょっと自信がありません(^^;
31 hits

[2949]Re(2):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/21(金) 0:55 -

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    歩兵第六十五連隊の兵士も雀の涙ほどの給料を家族に仕送りしていました。須藤清吉氏と公家裕氏の会話より状況を想像して下さい。
『白虎部隊』秦賢助(平凡社)98p

「お前のお父さんは―――」
 と訊いた。
「お父さんはないのであります」
「死んだのか。」
「死んだのか、生きて居るのか、生まれた時から知らないのであります。何べん母に聞いても教へてはくれないのであります。母は私を育てるために、他人の家に奉公したりしていろ/\と苦労をしました。食ふ物も食べられない時があつたと聞いてゐます。」
「兄弟はないのか。」
「ありません、母と二人きりです。」
「母の年はいくつだ。」
「五十八であります。」
「お母さんが百姓仕事をして居るやうだが、村の人達は黙つて見て居るのか。」
「はい、私の村は、隣の部落にゆくにも、山を二つ三つも越して行かねばなりません。そして私の部落には家がたつた八軒しかありません、みんな貧乏なその日暮しをしてゐますから、他人の世話など、出来ないのであります。」
「うむさうか、そしてお前は金をお母さんに送つてゐるか。」
「はい。」
「酒も煙草もやらないのか。」
「酒も煙草もやらないのでありますが、みなさんが時々御馳走してくれますので、頂きます。」
「金はどれ程送つてゐるか。」
「月に五円の時も十円の時もあります。」
 公家は不思議さうな顔をして、
「そんなにどうして送れるのだ、軍隊ではそんなに手当がある筈がないが―――」
「戦友達から頂くのであります。洗濯をさせて貰つたり、靴を磨かせて貰つたり、使ひをさせて貰つたりして、頂いた金を貯めて送つてをりました。」
 残念ながら孝行息子の須藤清吉氏は老家宅(「白虎部隊」には老家宅とは記述されていませんが、前後の文章より熊猫が判断しました)で戦死しました。
 6円前後の超安月給の兵士が、故郷の家族への送金をしようしているのに、慰安所に2円も払うか?
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[2951]Re(3):五島広作氏の妄想
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/21(金) 12:08 -

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   ▼熊猫さん:
> 6円前後の超安月給の兵士が、故郷の家族への送金をしようしているのに、慰安所に2円も払うか?

兵士の給料の1/3というのは何らかの「統計」があったものと思われます。小野田寛郎氏の文章にもそれが表れています。

2004年1月号
小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」より
http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-16-onoda_ianhunoshoutai.html

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。

 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約4円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。
 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。

なんだかとてもあいまいな根拠だが、仮に何らかの統計が有ったとしても、
『当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で』という論じ方だから、一等兵二等兵はとてもとても、この統計では掬われて(救われて)いない。
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[2952]Re(4):五島広作氏の妄想
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 06/7/21(金) 13:34 -

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   ▼ピッポさん:
>なんだかとてもあいまいな根拠だが、仮に何らかの統計が有ったとしても、
>『当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で』という論じ方だから、一等兵二等兵はとてもとても、この統計では掬われて(救われて)いない。

 前に熊猫さんが紹介されたのは、たぶん陸軍給与令の規定による平時または内地勤務の兵の給料ではないかと思われます。それとは別に陸軍戦時給与規則なるものがあり、それによれば、動員されて戦地に赴く場合には、平時の給料に戦地加俸が加算されます。
 正確な数字は忘れたのですが、加俸率は大東亜戦争の頃では、60%だったように記憶しています。

 60%だとすると、一等兵9円、2等兵6円の平時給料の平均7円50銭の60%増しで12円となります。

 『当時の給料は兵は一カ月平均十三円程』というのは、それほど誇大な数字でもなさそうです。

 なお、現役兵の中には、家計のたしに、すくない給料から家に送金した孝行息子も多数いたにちがいありませんが、20歳前半の独身男性という気楽な身分から、給料の一部を遊興費にまわせた者も少なからずいたように思われます。
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[2954]Re(5):五島広作氏の妄想
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/22(土) 1:37 -

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   ▼eichelberger_1999さん:
こんばんは
詳細な情報、レス有難う御座いました

> 前に熊猫さんが紹介されたのは、たぶん陸軍給与令の規定による平時または内地勤務の兵の給料ではないかと思われます。それとは別に陸軍戦時給与規則なるものがあり、それによれば、動員されて戦地に赴く場合には、平時の給料に戦地加俸が加算されます。
> 正確な数字は忘れたのですが、加俸率は大東亜戦争の頃では、60%だったように記憶しています。
>
> 60%だとすると、一等兵9円、2等兵6円の平時給料の平均7円50銭の60%増しで12円となります。
>
> 『当時の給料は兵は一カ月平均十三円程』というのは、それほど誇大な数字でもなさそうです。

なるほど。

わたくしも、小野田氏の書くことはデテールにおいては法螺を吹いたりしないと、前々から思っておりました。記憶力抜群だから幹部候補生、陸軍中野学校に抜擢されたのですから。そのおかげで、従軍慰安婦を否定しているかに見える前記「正論」記事からは、逆に、軍管理軍施設としての慰安所の実態が映像的に浮かんできます。

もともとの主計将校である兄の情報とは、どんなソースだったかは知りたいところですね。また小野田氏の語り口から慰安所の総売上を軍中枢が掌握していたこともわかります。

なお下記の略歴と前掲の「正論」記事からすると、小野田氏が17歳で商社員として漢口にわたったのは、昭和14年(1939年)春と思われます。年代ごとの兵士の給与は調べれば正確に出るのでしょうね。戦地加俸も含めて。

 
1922年和歌山県海南市に生まれる。父種次郎、母タマエ、長兄敏郎(軍医中佐)、次兄格郎(元主計曹長)、姉千恵、弟滋郎(元少尉)。中学卒業後貿易会社に就職し中国に渡り、中国語を習得。上海の商事会社で働いていた頃現地召集を受けて、1942年、現役兵として歩兵第61連隊に入隊。転属等を経て、陸軍甲種幹部候補学生に合格、陸軍予備士官学校に入学、卒業後、当時軍の上層学校だった陸軍中野学校二俣分校へ入校、情報将校として育成され卒業する。中国語や英語が堪能だった事から、1944年12月、「遊撃戦の指導の任を与えられフィリピンのルバング島に着任。部下と共にゲリラ戦を展開した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8Eより

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[2956]Re(5):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/22(土) 10:34 -

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   ▼eichelberger_1999さん:
給料について更に調べました
 『一億人の昭和史』にあった俸給は1938年4月以降のもののようです。時期は解かりませんが昭和13年(1938年)のある時期に軍人の給与改訂があり、推論ですが軍服の改訂と同じ6月からではないかと思います。「兵長」という階級を新設したときに改訂したのではないでしょうか。私は、二等兵6円というのを戦時加俸と思っていましたが、翌年に給与改訂があったことを知りませんでした。一等兵と二等兵の給与に差をつけたのは、隊内での序列を明確にするのと、戦争が長期化したためではないかと思います。
 南京事件当時は『軍事年鑑』(昭和12年版)の給料で、一等兵と二等兵の給料は同じであったと思われます。
 戦時加俸は将校以上が40%(五分ノニ)、准尉以下が50%(四分ノ二)というのがありました。実際には8円25銭ということになりますね、それでも現代の物価に換算すると3万円(弱)程度であり、「2万円が3万円になったところで・・・・」といったとこではないでしょうか。 

>20歳前半の独身男性という気楽な身分から、給料の一部を遊興費にまわせた者も少なからずいたように思われます。
 そのような連中は、一晩に何発するか考えれば解かることです。一晩で給料を使い果たしてしまうのではないでしょうか。圧倒的に給料が足りません。
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[2962]五島広作記者の大嘘
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/22(土) 21:33 -

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    日本軍が常州を占領したのは、11月29日です。そして、常州に慰安所が出来たのは1月20日です。ほぼ同時期に占領した地域において、慰安所が出来るまでに52日間の日数を要しております。
■群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月19日付)
■山形県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「北支派遣軍慰安酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月25日付)
■高知1事発内務大臣宛「支那渡航婦女募集取締ニ関スル件」(1938年月25日付)
■和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」 (1938年1月7日付)
■茨城県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月14日付)
■宮城県知事発内務大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月15日付)
■内務省警保局長通牒案「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年1月18日付)
■内務省警保局長発各地方長官宛「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(1938年1月23日付)
 当然ながら日本で募集した慰安婦が、1938年1月10日に間に合うはずがありません。問題は慰安婦を如何にして確保するかだと思いますが、案の定、最初は現地調達をしたようです。
『飯沼守日記』12月25日より抜粋

 長中佐上海より帰る。青幇の大親分黄金栄に面会上海市政府建設等の打合せを為し先方も大乗気、又女郎の処置も内地人、支那人共に招致募集の手筈整ひ年末には開業せしめ得る段取りとなれり。

[原文カタカナはひらがなに変更]
 12月25日の時点では、慰安所は出来ていません。年末に開業となっていますが、内地人慰安婦は物理的に間に合いません。推論ですが中国人慰安婦20〜30人程度の慰安所が1軒あった程度ではないでしょうか。

五島広作記者の大嘘
 それにしても、12月13日〜年末の間は慰安所が無かったわけですから、第六師団の兵士は慰安婦とチョメチョメは出来ませんでした。残念!捏造斬り!!!!
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[2965]Re(6):五島広作氏の妄想
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 06/7/24(月) 18:30 -

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   ピッポさん,御挨拶がおくれましたが,eichelberger_1999と申します。今後ともよろしくお願いいたします。

▼ピッポさん: 
>わたくしも、小野田氏の書くことはデテールにおいては法螺を吹いたりしないと、前々から思っておりました。記憶力抜群だから幹部候補生、陸軍中野学校に抜擢されたのですから。そのおかげで、従軍慰安婦を否定しているかに見える前記「正論」記事からは、逆に、軍管理軍施設としての慰安所の実態が映像的に浮かんできます。

小野田さんが,「「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実」として,兵士の支出の1/3が「慰安所」に流れていたという,主計官である兄の証言をもちだしていますが,これは

「兵士が楽しみにしていた「酒保」のあんパンやお菓子は,すべて兵士が自分のお金を出して購入するもので,無料で支給される官給品ではなかった。」

と言っているのと同じです。このこと自体は,まぎれもない事実です。小野田さんのお兄さんの話でも,兵士は支出の1/3を「飲食費」に使っているわけですが,その「飲食費」のかなりの部分が「酒保」で購入する品物に支払われているはずです。

 でも,そのことをもって,「酒保」は軍隊とは無関係な民間の食品・雑貨屋だとか,軍の管理下にはなかったなどという人はいません。小野田さんもそんなバカなことは思いもしないでしょう。
 「酒保」あるいは「物品販売所」は,天皇が定めた軍令である軍隊内務書や軍隊内務令にも出てくる,れっきとした軍隊の組織ですから。

 「酒保」を経営している「酒保商人」は,軍籍をもたない民間の商人であり,かれらはたしかに商売をしていますが(その意味では,「酒保」での物品販売は完全な「商行為」です),しかし軍と契約を結んで営業している「御用商人」であり,純然たる民間の商人ではありません。軍の管理下におかれています。その点では「慰安所」の経営者も同じです。「慰安婦」はその「慰安所」の従業員ですので,同様に軍の管理下におかれています。そもそも,「慰安所」は「野戦酒保」の附属施設として生まれたのですから,これは当然のことです。

 にもかかわらず,「酒保」とはちがって,「慰安所」の場合には,「「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実」を示すことが,「慰安所」が軍と無関係の施設である証明につながるといった錯覚を,小野田さんも含めて多くの人が抱いています。

 この「錯覚」は,「慰安所は軍とは無関係の施設であってほしい」という無意識の願望がそこに伏在しているから生まれるのだと思われます。
 これを逆に言えば,「慰安所が軍の施設であることは,たいへん恥ずかしいことであり,あってはならないことである」との価値判断を,それらの人が無意識のうちに保有していることでもあります。

>なお下記の略歴と前掲の「正論」記事からすると、小野田氏が17歳で商社員として漢口にわたったのは、昭和14年(1939年)春と思われます。年代ごとの兵士の給与は調べれば正確に出るのでしょうね。戦地加俸も含めて。

 兵士の給料については,ご指摘のとおり,法令上の金額はほぼ正確にわかります。この点については,熊猫さんに対する返信に書きましたので,ご覧いただけるとさいわいです。
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[2967]Re(6):五島広作氏の妄想
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 06/7/24(月) 18:39 -

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    熊猫さん。まず,無用の誤解をうまないよう,先に確認しておきますと,兵士の給料が安いことに異論があるわけではありません。

 これはある意味で当然のことで,「徴兵制」というのは,安上がりに大規模の軍隊を維持するために編み出されたシステムですから。兵士の給料が高くては,その目的は達せません。兵士の給料が安いからこそ,靖国のような装置が必要だったわけです。

 ただ,具体的に兵士の給料の額はいくらだったのかが問題となると,話は少しちがってきます。熊猫さんの指摘が無用の誤解を生んではまずいと思って,#2952の投稿をした次第です。この点はご理解くださるようお願いします。

▼熊猫さん:
>▼eichelberger_1999さん:
>給料について更に調べました
> 『一億人の昭和史』にあった俸給は1938年4月以降のもののようです。

 私も,兵士の給料について,陸軍の規定がどうなっていたか。調べてみました。
『一億人の昭和史』では,

兵長 13円
上等兵10円
一等兵 9円
二等兵 6円

とありますが,私が調べた陸軍給与令の規定では, 

表1
兵長 13円50銭
上等兵10円50銭
一等兵 9円
二等兵甲9円
二等兵乙6円

とでした。
 これは,1942年6月30日制定の改定陸軍給与令(勅令602号)および1943年7月28日制定大東亜戦争陸軍給与令(勅令第625号)の定めるところです。

> 南京事件当時は『軍事年鑑』(昭和12年版)の給料で、一等兵と二等兵の給料は同じであったと思われます。

 上の1942年勅令第602号以前は,1929年制定の改定陸軍給与令(勅令140号)の給与表がそのまま継続していたように思われます。それによれば,こうなります。

表2
下士官勤務諸兵 7円
上等兵 6円40銭
一等兵 5円50銭
二等兵 5円50銭

『軍事年鑑』(昭和12年版)の給料は,上記のものです。ですので,日中戦争期の給料(平時)は表2で,太平洋戦争期が表1だということになります。

 表1,表2はあくまでも陸軍給与令の規定ですので,戦地や外地にいる軍隊の場合は,これに戦時加俸や外地在勤俸が加算されます。

> 戦時加俸は将校以上が40%(五分ノニ)、准尉以下が50%(四分ノ二)というのがありました。

「戦時加俸は将校以上が40%(五分ノニ)、准尉以下が50%(四分ノ二)」は1931年12月より前の数字です。1931年12月に陸軍戦時給与規則が改定されて(勅令297号),将校以上は50%,准士官以下は60%にアップされています。

 しかし,日中戦争時には,この加俸率は適用されません。1937年8月に「北支事変ニ関スル陸軍戦時給与規則ノ特例」(勅令434号)がつくられ,日中戦争に従軍する場合,下士官兵士の加俸率は,最大90%にさらにアップされます。それが表3です。

表3      給与令        戦時増俸(最高額)
下士官勤務諸兵 7円        13円30銭
上等兵 6円40銭        12円16銭
一等兵 5円50銭        10円45銭
二等兵 5円50銭        10円45銭

 もちろん,実際の加俸率は人によりちがうでしょうから,平均すればより低い金額となるでしょう。

 太平洋戦争期になると,加俸率がさらにあがります。1942年6月30日の勅令603号で,上記1937年の勅令434号が改定され,下士官以下の加俸率は最大110%にまで引き揚げられます。この加俸率は,1943年の大東亜戦争陸軍給与令では外地在勤俸90%以内と戦地増俸25%以内の2本立てとなりますが,両者あわせると,115%となります。
 しかも,1942年の給与令でベースがアップしていますので,戦地勤務の場合,以下のようになります。(1942年末を想定)

表4   給与令        戦時増俸(最高額)
兵長 13円50銭        28円35銭
上等兵10円50銭        22円5銭
一等兵 9円            18円90銭
二等兵甲9円            18円90銭
二等兵乙6円            12円60銭


 なお,ピッポさんが紹介された小野田さんの記事がほんとうなら,1939年頃に漢口周辺の日本軍兵士は,平均して給料の1/3を慰安所利用につかっていたようです。
 表3をもとに考えると,兵士の平均給与12円という小野田さんのみつもりは,そんなにまちがっていないと思われますので,平均すると一人あたり月4円を慰安所行きに支出していたことになります。

 もちろん,兵士の中には,慰安所など行かずに,給料を家に送金していたものも多くいたでしょうが,しかし,上記の数字は,そうでない者も少なからずいたことを示しています。
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[2973]Re(7):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/25(火) 9:54 -

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    セコイ考えのない人間なんで心配する必要はありません。むしろ気を使わずにズケズケと言って頂いて結構です。

 良く調べられましたね、昭和13年の「軍事年鑑」を探しているのですが入手困難なようです。もしかしたら発行されてないのかも知れません。昭和14版は入手可能ですが高価ですので手が出ません。

 当初は南京の慰安所がどのような状態だったかという点でスレが流れると思ったのですが、五島氏ネタで思わぬ方向に進むところが掲示板の楽しいところでしょう。
 むしろ大きな問題点が見えてきたような気がします。犯罪を防ぐには、慰安所を創設するより俸給を上げたほうが効果があるのではないでしょうか。
 むしろ「慰安所」遊びをするために略奪などの犯罪をしてしまうのではないかと思います。慰安所といえば、慰安婦問題がクローズアップされますが占領地住民の被害を生む要因となった可能性もあります。勿論、本質は低賃金にあるのでしょう。食糧の徴発だけでなく、金銭の略奪があったのは、家族の仕送りだけでなく、遊ぶ金がいる兵士も金銭が必要だったからと思われます。
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[2976]Re(8):五島広作氏の妄想
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 eichelberger_1999 E-MAIL  - 06/7/26(水) 11:49 -

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   ▼熊猫さん:
> 良く調べられましたね、昭和13年の「軍事年鑑」を探しているのですが入手困難なようです。もしかしたら発行されてないのかも知れません。昭和14版は入手可能ですが高価ですので手が出ません。

 アジア歴史資料センターで,内閣文書の御署名原本というカテゴリーを選らんで,キーワードで「陸軍給与令」や「戦時陸軍給与規則」を指定すれば,ゾロゾロ出てきます。高い金を出さなくても,根気さえあれば,調べられます。

 根気がいるのは,陸軍給与令は頻繁に改定される勅令なので,給与表が改められた勅令を特定するのが,けっこうめんどいからです。それに,陸軍給与令の条文構造を理解していないと,部分的な改定の意味がわかりにくいためでもあります。

> むしろ大きな問題点が見えてきたような気がします。犯罪を防ぐには、慰安所を創設するより俸給を上げたほうが効果があるのではないでしょうか。

 兵士の「俸給を上げる」と,徴兵制である意味がなくなりますので,それはできない相談でしょう。「俸給」があがっても,軍服は個人もち,食費も給料から天引きされて,結局手取りはかわらんということになりかねません。

> むしろ「慰安所」遊びをするために略奪などの犯罪をしてしまうのではないかと思います。(略)勿論、本質は低賃金にあるのでしょう。食糧の徴発だけでなく、金銭の略奪があったのは、家族の仕送りだけでなく、遊ぶ金がいる兵士も金銭が必要だったからと思われます。

 その論法だと,「慰安所」の料金を無料にするか,低廉化して,ごく安い値段で遊べるようにするのも,解決策として「あり」だということになりませんか。

 もっともそうすれば,60年後に「慰安婦は商行為だ」―これは要するに,「俺はフーゾクに行ったけれど,ちゃんと金を払って遊んだのだから,やましいところはない,今さら文句を言うな」と言っているのと同じにすぎないのですが―などといって,何かを証明したような気になる輩に,言い逃れのための口実を与えなくてすんだのかもしれませんが。
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[2977]Re(9):五島広作氏の妄想
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 とほほ E-MAIL  - 06/7/26(水) 12:00 -

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   ▼eichelberger_1999さん:
>> むしろ「慰安所」遊びをするために略奪などの犯罪をしてしまうのではないかと思います。(略)勿論、本質は低賃金にあるのでしょう。食糧の徴発だけでなく、金銭の略奪があったのは、家族の仕送りだけでなく、遊ぶ金がいる兵士も金銭が必要だったからと思われます。
>
> その論法だと,「慰安所」の料金を無料にするか,低廉化して,ごく安い値段で遊べるようにするのも,解決策として「あり」だということになりませんか。

私も戦時強姦というのは単純な性欲の問題ではないと思います。征服欲やら憎悪やらいろいろ入り混じっているのでしょう、イラク戦争中の米軍女性兵士の敵軍に対する性的虐待などでもそれが推し量られます。だから「慰安所をつくれば強姦が減る」などと言う単純構造おつむは日本軍らしいと思います。
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[2979]Re(9):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/27(木) 8:31 -

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   >兵士の「俸給を上げる」と,徴兵制である意味がなくなりますので,それはできない相談でしょう。「俸給」があがっても,軍服は個人もち,食費も給料から天引きされて,結局手取りはかわらんということになりかねません。
 そうでなくても、実際の俸給は色々と引かれ物があり満額受取ることはなかったようです。当時の兵隊達も自分の給与の明細は知らなかったかも解かりませんね。
 現実的には兵士の犯罪を防ぐことは、日本の国力からして不可能な話でしょう。現代の金額にして慰安婦の料金なんて、7000円程度でしょう。その内、慰安婦の懐にいくら入っていたかは知りませんが、今時その様な金額で売春をするような女性は殆んどいないと思います。

>その論法だと,「慰安所」の料金を無料にするか,低廉化して,ごく安い値段で遊べるようにするのも,解決策として「あり」だということになりませんか。
 そうはならないでしょう。兵士が慰安所だけに金を使っていたならの話であって、実際には酒や煙草、家族への仕送りを含め金はいくらあっても足りません。50円や60円の収入のあった人たちが、徴兵により五分の一程度の収入になるのです。ビール3本は慰安婦より高い買物となります。やはり、金品を強奪する兵士は後をたたないと思います。 
 慰安所というのは、占領地の女性を強姦から守るのではなく、日本兵の中に性病が蔓延するのを予防するために必要だったんじゃないですかね。

 慰安婦問題の本質は性暴力であり金を払おうが払うまいが、性暴力になります。金を払わないからといって、性暴力と決め付けられないでしょう。金を払う払わないに関係なく、性暴力は容認されるものではありません。
48 hits

[2980]Re(10):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/7/27(木) 8:36 -

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   >慰安所というのは、占領地の女性を強姦から守るのではなく、日本兵の中に性病が蔓延するのを予防するために必要だったんじゃないですかね。
う〜ん、ちょっと違いますね、単なる性欲対策かな。
58 hits

[3071]独立攻城重砲兵 第二大隊
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/5(土) 12:50 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : man01.JPG
・サイズ : 67.6KB
  
添付画像【man01.JPG : 67.6KB】 > 日本軍が常州を占領したのは、11月29日です。そして、常州に慰安所が出来たのは1月20日です。ほぼ同時期に占領した地域において、慰安所が出来るまでに52日間の日数を要しております。
 写真は、独立攻城重砲兵 第二大隊の万波蔀大隊長です。


■万波蔀大隊長の「状況報告」1938年1月20日
「慰安施設は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するもの二カ所あり」
軍が慰安所を管理していたことが解ると思います。 

■独立攻城重砲兵第二大隊「常州駐屯間内務規定」
 第九章 慰安所使用規定
 営業者は特に許したる場所以外に外出するを禁ず
(『従軍慰安婦資料集』208p)
慰安婦の外出の自由を厳しく制限していました。



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[3072]法螺吹き小野田の大嘘
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/5(土) 14:02 -

引用なし
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    小野田氏の話は一部(漢口)の事例を持って、全体を誤魔化す幼稚なトリックでしかありません。
 漢口の慰安所を事例に出して慰安婦問題を論じている人がいれば、その人は間違いなく大嘘つきです

 漢口の慰安所については、漢口兵站司令部の軍医であった方の著書(『漢口「慰安所」』長沢健一/図書出版社)が解り易いかと思います。実際に小野田のおっさんなんかよりは、慰安婦と接しており世間知らずの帰還兵よりはまともです。
 性奴隷として虐待されている慰安婦のことを克明に記録しています。しかし漢口の慰安婦は、兵站司令部が管理する大都市の条件のよい慰安所であり、現実にはこれよりはるかに条件の悪い慰安所のほうが多かったのです。

 条件のよい漢口の慰安所を見て、慰安婦問題を煙に巻こうとする幼稚なセコさが小野田氏の人格を表しています。沙洋鎮の慰安所がどのようなものだったか、小野田氏に語ってもらいたいものです。「わしゃ、見とらんから知らん!」と己の無知を認めるかな?
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[3074]Re(1):五島広作氏の妄想
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/6(日) 7:12 -

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    「強姦もあったと言われていますが、既に慰安所ができてましたから、戦後言われていつことは嘘です。」五島広作談
『岡村寧次大将資料 上巻』稲葉正夫(原書房)302p

 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
 第六師団にとって、慰安婦は強姦防止効果は無かったようですね。戦後言われているのではなく、戦時中から言われていることです、第六師団は強姦をしていました。

 ゴーカンかましたら悪かとですよ!
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[3077]慰安婦、中国人は1円也!
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 熊猫 E-MAIL  - 06/8/6(日) 19:40 -

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 写真は、独立攻城重砲兵第二大隊が警備していたころの常州です。
 私が元日本兵に慰安所のことを聞いたときに「中国人1円、日本人・・・・」と階級ではなく、人種によって料金が違うと聞かされていましたが、具体的な資料なしでコメントするのは控えていましたが、「常州駐屯間内務規定」に明確にそのことが記されていました(^^;
 将校5円・下士官2円というのは、撤回します。地域別に値段の違いや、一回あたりの時間の違いなど調査すれば色々と出るかなと思います。村瀬守保写真集には「但し時間は三十分とする」と書かれており、他の資料でも「2円」という料金があり思考回路がロックしておりました。

「常州駐屯間内務規定」
 第九章 慰安所使用規定
単価
使用時間は一人一時間を限度とす
支那人一円〇〇銭 半島人一円五十銭 日本人二円〇〇銭
 常州ではタップリ一時間!しかも花姑娘なら1円!これなら安月給の一等兵や二等兵も払える料金ですね。
 如何なる大義名分をもってしても、日本軍のあからさまな人種差別には嫌悪感を感じずにはいられません。
 1円というのは現代の物価で3,500円程度でしょうか、実際に慰安婦が受け取る金額はその半分以下でしょう。この料金が高いか安いかは個人の価値基準によると思いますが、もしソープランドに行って、5000円しか払わなかったら鼻血が出るまでひっぱたかれると思います。中州は前金ですので、ひっぱたかれる前につまみ出されるでしょう。


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