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とほほさん、 大変手数のかかる書き起こし有難う御座います。
一九三七年の日本の対外貿易においてアメリカが占める比重は、輸入の三三.六パーセント、輸出の二〇.一パーセントを占め、輸入品のなかで、日中戦争に不可欠な軍需品や戦争機材が高い比率をしめていた。たとえば、日本が輸入する石油および重油の七六.六パーセントはアメリカからであったし、同様に、屑鉄は五一.一パーセント、銅九七.一パーセント、燐鉱石二五.二パーセント、機械および部品は四二.一パーセント、自動車および部品は九四.三パーセントとなっていた。
これでは、アメリカが中立法を発動したら、日本は中国では戦争が継続できませんね。石射猪太郎は当時上海総領事だったのでしょうか?ボヤキまくっていますね。
ヒューゲッセン事件とは >8月26日 英国駐華大使ヒューゲッセン、日本海軍機の誤射で負傷。 http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/ww2/nenpyo01.htm ですね。
アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告する(一九三九年七月二六日)以前に、アメリカの世論は、七四パーセントが中国に同情をしめし、六六パーセントが日本商品のボイコットに賛成、七二パーセントが武器・軍需物資の対日禁輸を支持するようになっていた。
そういえば、フィッチが持ち帰ったマギーフィルムが、対日くず鉄禁輸キャンペーンで使われたと書いて有りましたね。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/mg_images/youshi.htm(サイト主訳) http://humanum.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMMage.html(原英文)
ジョージ・フィッチと「彼の」フィルム An e-mail from Sharon
Kuykendall Date: Wed, 17 Apr 1996 18:44:39 -0400
ジョージ・フィッチが合衆国に戻り、多くの人にフィルムを見せたのは、一体何が起きているのかをアメリカの人に知らせるためでした。ちょうどその時、鉄くずの合衆国から日本への輸出の実行という時事問題がおこり、フィッチたちは、「鉄くずは兵器になり中国人や友人達に敵対する」ことを特に強調して、政府を説得しました。多くの人にフィルムを見せれば鉄くず輸出が止められると思ったわけです。
残念にもジョージ・フィッチは体を壊し、上映のスケジュールがこなせなくなりました。彼は、一度上映会で出会った私の祖父Arthur
N.
Bierkleにフィルムのコピーを託したのです。私の祖父は既に、日本へのサポートに反対する活動に熱心でした。なぜなら、南京大学に1年学んだことを含めて1925-1933の間、中国で暮らしていたからです。かれは、フィッチが離脱せざるを得なかった場所、主に南カルフォルニアを選んで上映会を開いたのでした。
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