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▼熊猫さん: >カイカイデー、ピーカンカン、ハオクーニャン > はい、ろくな中国語は使ってませんね。熊猫の中国語教室(月謝2000円テキスト代別途)ではこのような品性の無い中国語は教えておりません。
熊猫先生ご提示の「カイカイデー」で検索しましたら、渡辺先生の「生きている兵隊シナ語」を発見しました。Googleキャッシュですが。 http://72.14.235.104/search?q=cache:qgQ9hIpOA4gJ:t-t-japan.com/bbs/kyview.cgi%3Fk%3Da%26dir%3Dtohoho%26pg%3D8%26id%3Dkvfqrf%26id2%3Dkvfqrf+%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%BC&hl=ja&ct=clnk&cd=7&lr=lang_ja
カイカイデー/クワイクワイデー
快快地(「快快的」と表記されていることがあるが、正しくは「快快地」。) kuaikuai
de 速く 「来い。快々的[カイカイデー]!」青年は素直に歩き出し、二人の兵がその後に従った。(『生きている兵隊』p.10) 日はとっぷりと暮れ、私は青年に「快々的[カイカイデー]」と叫んで激励した。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.237)→マンマンデー(慢慢地)
※ナンキンムシに襲われた日のことではないようです
ピーカンカン
尸+穴看看/尸+必看看(和製中国語) bi,
kankan 女性に対し「性器を見せろ」の意味。「ピー」は、女性の性器のこと。 誰かが叫んだ。「ニーデー、ピーカンカン」彼女はしっかりと己が手で身をかかえて、毒を呑まされたやうに目を引き吊り、青くなり、ふるえ、喘ぐやうにひからびた声で何かしゃべった。(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.219)→カンカン ・・・クーニャンはピーカンカン、サイコサイコ、カンホシテーハヲをおこなって竹槍等にてさゝれたのわ[は]おもしろくない(「高橋光夫陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.291)→クーニャン、サイコサイコ
カンカン
看看 kankan 見ること。女性の性器を見ること。 「誰か、やったのかい?」「いや誰もやらなかった。カンカンしただけだよ。」(「東日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.220)→ピーカンカン 女を捕まえるとな「カンカン、サイコ」言うんや。カンカン言うたら大事な所見せろちゅうことや。サイコサイコ言うたらもうすることや。(太田俊夫『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』p.294)→サイコ
クーニャン/クーニャ
姑娘 guniang 娘、女の子 殊に生肉の徴発は姑娘[クーニャ]を探しに行くという意味に用いられた。(『生きている兵隊』p.45) ・・・クーニャンはピーカンカン、サイコサイコ、カンホシテーハヲをおこなって竹槍等にてさゝれたのわ[は]おもしろくない(「高橋光夫陣中日記」『南京大虐殺を記録した〜』p.291)
サイコサイコ/サヰコサヰコ/サイコ/サヰコ
(日本語で「さあ行こう、さあ行こう」が転化した言葉)
女郎屋や慰安所に行くこと、性交のこと 「さいこさいこでい、くうにゃん、アハハ。」と云つて笑ふ。さいこさいこでい、といふのも日本語から転化したもので、『さア行かうさア行かう。』ががその語源であるが、今では支那全体にわたつて、"悪所通ひ"の意味になってゐるのだ。(「成瀬関次「血刀修理行」『刀と剣道 昭和十四年十二月号』p.152) 市内へ見物に出る。支那のおやまもみました。ぴーかんかん、さゐこさゐこ、ゐも銭(五十銭)でやりました。[「おやま]は、方言で「娼妓」のこと。](「上羽日記」『南京事件 京都師団関係資料集』p.18)→ピーカンカン
上記の言葉などを決して件(九段?)の神社で叫んではなりません。そこは地球の中心ではありませんから。なお、シナ征伐に連れて行かれた兵隊さんはシナでは毎日叫んでいた言葉も、復員したら決して(宴会で酔いつぶれたとき以外は)上記の言葉を叫んだりはしませんでした。私たちの今と同じように、善き夫、良き父を演じなくてはなりませんから。
※渡辺先生の「生きている兵隊シナ語」は、しごく真面目なものですから、誤解なきよう。
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