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私が父の証言に肯定派的立場から父をフォローしなかったのは新聞掲載の当日夕方には兄弟が家に来てその事を話題にし、相当、職場でも困った立場にもおかれたことを知らされたことが理由だとはオフ会で話した通りです。
先日、盗難事件の件で相手先の管轄の警察に伺った時のことなのですが父の南京大虐殺への対応については、父はマインドコンロールを受けていたのだろう、と説明しました。 昭和59年当時からこの言葉が一般的であったわけではないのですが、父の電話のやりとりや電話対応を見たり聞いたりして、父の態度を説明するのには一番分かりやすいと感じた言葉です。
私が電話に出ると無言で、父が出るといろいろ脅迫をするという例の電話なのですが。 私はとても鈍いところがあるので(多分、父親似、自分に関することにはとても鈍いです。殆ど全く何を言われても気がつかない。)20年以上続いたこの電話には「はい、栗原ですが」と出るだけでした。 そのときどきで私に無言電話をかけてくる可能性のある人(女性?男性?)を思い浮かべては電話を切るだけでした(鈍い)。
相当前からなのですが居間に壁掛けの電話があり、電話が鳴るたびに父が あせったように急いで電話にでるということが度々ありました。 家に来る電話は当然、父あてに来る電話だけではないので母や私は少し困っていました。
そのうちコンピュータ対応の電話応対がはやるようになり、父があせって出ても、父には全く意味不明の対応のとれない電話なので「なんだか分かんねえ」と言って一方的に電話を切ることも度々起こるようになりました。
それから、少し考えて居間の壁掛けの電話を電話線ごと居間と食堂の間のカウンターに移動させました。 こうすると、父はいつもは居間にいますから電話にでようとしても食堂にいる母や私の方が早く出ることができるようになりました。
数年前からは今度は電話に相手先の電話番号が表示されるようになりました。 例の無言電話は「ヒツウチ」と表示されることに気が付くようになりました。 このころは父はメッタに電話に出ることはなくなりました。
松尾板への書き込みごろから、私の法律的な解釈などを踏まえながら南京大虐殺について父と会話するようになったのですが、そのころからマインドコントロールから抜け出せたのだと思います。
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