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[3213]『虐殺撤回』説にたいして ピッポ 06/9/5(火) 8:32
[3214]Re(1):『虐殺撤回』説にたいして タラリ 06/9/5(火) 12:29
[3215]Re(2):『虐殺撤回』説にたいして ピッポ 06/9/5(火) 16:19
[3218]Re(3):花輪総領事は42,200余体 渡辺 06/9/5(火) 21:40 [添付]
[3219]Re(4):花輪総領事は42,200余体 タラリ 06/9/5(火) 23:03
[3224]Re(5):人戦争行為論要 渡辺 06/9/6(水) 1:17
[3226]Re(4):花輪総領事は42,200余体 ピッポ 06/9/6(水) 13:58
[3227]Re(5):紅卍字会後援会 渡辺 06/9/6(水) 17:01
[3228]Re(5):花輪総領事は42,200余体 Queso 06/9/6(水) 20:35
[3229]Re(5):花輪総領事は42,200余体(校正済み) ピッポ 06/9/7(木) 10:05

[3213]『虐殺撤回』説にたいして
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 ピッポ E-MAIL  - 06/9/5(火) 8:32 -

引用なし
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   東中野修道は『「南京虐殺」の徹底検証』で

>4万体を虐殺体と主張するシャール・ベイツ南京安全地帯国際
>委員の4万人虐殺説は公式記録から4度も削除されて、一度も追認
>されなかった。

など主張しているとのことですが、
(要約参考)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H10/1008/100805truth.html
http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/13-2.html

これに対する反証・反論例をご紹介ください。
40 hits

[3214]Re(1):『虐殺撤回』説にたいし...
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 タラリ E-MAIL  - 06/9/5(火) 12:29 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>東中野修道は『「南京虐殺」の徹底検証』で
>
>>4万体を虐殺体と主張するシャール・ベイツ南京安全地帯国際
>>委員の4万人虐殺説は公式記録から4度も削除されて、一度も追認
>>されなかった。
>
>など主張しているとのことですが、


「削除されている」ということはいったんはその事実が認められ、表記されたという事実があってはじめて「削除された」ということが言えるわけです。中国政府がベイツの4万人虐殺説を刊行したことはないのですから、削除ということは言えません。

戦争当事国である中国の主張が、特に自国民の手記などを元にした被害人数が、欧米諸国にとってそのまま受け入れられることは難しいと考えたのは無理からぬことだったと思われます。ですから、ベイツなどの中立的な外国人の調査を元にした被害人数を諸種の刊行物に記載したと考えられます。

国際問題委員会の編纂した「日本人の戦争行為」という文書の原題がなんなのか、どういうものかはわかりませんが、1938年の4月段階で中国政府・国民党は占領された南京に在住するベイツとは直接に連絡を取ることはできません。

中国政府はベイツの「メモランダム」を直接入手したのではなく、ティンパリーの『戦争とは何か』の中にある、ベイツの書簡の部分を掲載したにすぎません。『戦争とは何か』の手稿は1月中旬(?)に楊明がティンパリーから譲り受け、大急ぎで翻訳するとともに、漢口に持って行き『外人目睹中之日軍暴行』として出版しました。ところが、1月下旬(?)のベイツの書簡に1万2千人の市民と3万人の捕虜殺害があったという確実な情報があったのでティンパリーは最終原稿の中のベイツのレポートの中にこの重要ニュースを急いで取り入れたのです。

※注(?)印のある日付については正確ではありません。この辺りは渡辺さんの方が詳しいでしょう。
この項は南京事件FAQに関するbcのtimperley_v4、6.国際宣伝処は虐殺はなかったと認識していた、の項を参照して下さい。
それから、未整理資料の中の what_wm出版問題.txt も参照して下さい。
これはTheBBSの過去ログですが、 Hawkさん というひとが詳しいようです。

----------http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/13-2.html ----------------
これがティンパーリが1938(昭和13)年3月に編集した「戦争とは何か」に掲載されます。
 ベイツは何と主張したいかと言いますと、日本軍は市民を殺すな、捕虜を殺すなと定めた国際法を「無視」して、1万2千人の市民と3万人の捕虜を殺した、と「メモランダム」で主張しました。

(中略)

 ところが意外な事実が発見されました。
 4万人虐殺を主張するベイツの「メモランダム」は、1938年3月の翌月、4月に、中華民国の国際問題委員会の編纂した「日本人の戦争行為」に再び掲載されました。
 また、「要約・日本人の戦争行為」(1939年1月)、「チャイニーズ・イヤーブック1938−39」(1939年3月)、「南京安全地帯の記録」(1939年5月)にも再録されます。
 この4冊はいずれも中華民国の政府機関と考えられるカウンシル・オブ・インターナショナル・アフェアズが監修した本です。
 カウンシル・オブ・インターナショナル・アフェアズ、漢字表記ではどのように表記されていたか不明ですが、これを直訳しますと国際問題委員会となります。
 この国際問題委員会の監修する本に、ベイツの「メモランダム」がそっくりそのまま再録されたのですが、どうしたことか、右に引用した「非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁の近くで殺されたことを埋葬証拠は示している。そのうち約3割は決して兵士ではなかった」という肝心な4万人虐殺部分だけは、右の英文4冊において、そっくりそのまま削除されました。
 ベイツ「メモランダム」の心臓部が中華民国政府機関と考えられる国際問題委員会によって否定されてしまったのです。
-------------------------------------------------------------------------
26 hits

[3215]Re(2):『虐殺撤回』説にたいし...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/9/5(火) 16:19 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
詳しいレスありがとう御座います


>国際問題委員会の編纂した「日本人の戦争行為」という文書の原題がなんなのか、どういうものかはわかりませんが、1938年の4月段階で中国政府・国民党は占領された南京に在住するベイツとは直接に連絡を取ることはできません。

国際問題委員会なるものが怪しげですね。

>この辺りは渡辺さんの方が詳しいでしょう。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/warmeans.html

の(6)ですね。なんかややっこしいですね。もっとも、そう仕向けているのは東中野ですが。

ベイツの報告書と徐淑希の編纂は、同じ「档案」をソースにした別の文書ですから『異同』があるのは当たり前ですね。それを、無理やりねじ込んでから撤回したというのは、まるで曲解ですね。

>この項は南京事件FAQに関するbcのtimperley_v4、6.国際宣伝処は虐殺はなかったと認識していた、の項を参照して下さい。

拝読しました。
東中野の言っていることは自己撞着そのものですが、否定派はそれを、
「国民党は虐殺を撤回したが、捏造されたプロパガンダは継続させた」と強弁するでしょうね。

そのへんが「東中野の自己矛盾」を指摘するだけでは弱いような気がしています。
その辺を東中野はとっくに承知の助だと思います。


>それから、未整理資料の中の what_wm出版問題.txt も参照して下さい。
>これはTheBBSの過去ログですが、 Hawkさん というひとが詳しいようです。

----------http://www.history.gr.jp/~koa_kan_non/13-2.html -----------
 彼ら6人は東京のアメリカ大使館のコービル武官に対して、どこそこに死体があるという話はしましたけれども、日本軍の戦時国際法違反の殺害を指摘したことはありませんでした。
 つまり戦時国際法に違反して日本軍が市民や捕虜を殺したという話は一切しませんでした。
 大事なところですので、一緒にお考え頂きたいのですが、このベイツの4万人虐殺否定と南京在住欧米人の言動は、どのような意味を持つのでしょうか。
 私は次のように考えています。
 南京陥落から3ヶ月間、様々な虐殺説が飛び交いました。
 南京在住の欧米人は、すべてそれを知っていました。
 その話が本当なのかどうか調べていました。
 そして終(つい)に陥落から4ヶ月目の昭和13年4月には、日本軍に対する審判を、全員が一致して下したということです。
 日本軍が、南京で虐殺をした、戦時国際法違反をした、ということは妥当であるとは判断しなかったのです。
--------------------------------------------------

軍事占領下で真実が麻痺することは、「はだかのゲン」を思いおこせば分かります。ヒロシマ・ナガサキの原爆の話は、永らくわが国内でもタブーだったのです。被爆後9年経って国民が「騒ぎ始めた」のです。このブランクをもって「捏造」の根拠にするなら、原爆被爆もきっと「捏造」に終わったことでしょう。

========

しかし、東中野を論破しようとすると、どうしても話がややこしくなります。
一刀両断でスパッと読ませる「東中野批判」も欲しいですね。
27 hits

[3218]Re(3):花輪総領事は42,200余体
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 渡辺  - 06/9/5(火) 21:40 -

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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : 1617合成.jpg
・サイズ : 238.3KB
  
添付画像【1617合成.jpg : 238.3KB】 ▼ピッポさん:

>>国際問題委員会の編纂した「日本人の戦争行為」という文書の原題がなんなのか、どういうものかはわかりませんが、1938年の4月段階で中国政府・国民党は占領された南京に在住するベイツとは直接に連絡を取ることはできません。
>国際問題委員会なるものが怪しげですね。

それって、徐淑希『日人戦争行為論要』(The War Conduct of the Japanese), Kelly and walsh, 1938 のことじゃないでしょうか。
ちなみに、徐は南京事件を含めて日本軍の国際法違反についてかなりのページをさいて論じています。

ところで、1938年6月に花輪総領事が紅卍字会の「支那兵戦死体」埋葬数について42,200余体と公文書に書いているのですが、ご存知でしょうか?
(掲載画像、3頁目)

東中野の言っている「完了」というのは、国際委員会の埋葬プロジェクトのことです。
何が completed したのか、原文で主語を確かめてみてください。
紅卍字会の埋葬は主に日本軍特務機関の「指導下」で行われたことは、他の文書でも確認できます。
例の「北支版」の新聞記事で1体の埋葬にどれくらいの人員が必要であったか計算してみてください。
国際委員会報告書の費用や人員は少なすぎるようです。
国際委員会が支援した費用と人員は全体の10分の1程度と、私はみています。

今、忙しいので、これにて失礼いたします。
30 hits

[3219]Re(4):花輪総領事は42,200余体
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 タラリ E-MAIL  - 06/9/5(火) 23:03 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:

お忙しい中ご苦労さまです。
まだザッとしか読んでいないのですが
私の"Wat War Means"が徐淑希"The War Conduct Of The Japanese"(日人戦争行為論要)の材料ではないか、という推測は間違っていたわけですね。

ずいぶん以前にこれらの文書の関係を分析済みだったわけです。南京事件に入り立ての頃、"What War Means"第3章と「档案」の異同について+東中野説批判(長文)
というページはてんで何の事やらわけがわからなかったです。

ようやく、関心を持って読めるようになりました。多謝。
32 hits

[3224]Re(5):人戦争行為論要
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 渡辺  - 06/9/6(水) 1:17 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>私の"Wat War Means"が徐淑希"The War Conduct Of The Japanese"(日人戦争行為論要)の材料ではないか、という推測は間違っていたわけですね。

徐淑希は序文で、Timperleyが著書に档案を使っているという事実は書いていますが、档案を忠実に転載しています。("Wat War Means"に掲載されていない文書が多数あります。)
なお、両者は同じときに作られたカーボンコピーを、それぞれ使っていると考えられます。
このコピーは上海に送られた档案原文を見て打ち直したものと思われます。改行のしかたが異なるところや、省略された個所があり、Timperleyと徐が同じときに作成されたカーボンコピーを使用したことがわかりました。
档案原文の一部と思われるものは、ラーベの日記の中国語版に写真が掲載されています。ラーベのと同じ文書が、上海工部局警察処機密文書(マイクロ化されている)のなかにありました。(受理印は1938年4月)Timperleyと徐のコピーにはない 図が書かれています。
40 hits

[3226]Re(4):花輪総領事は42,200余体
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 ピッポ E-MAIL  - 06/9/6(水) 13:58 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
レスありがとう御座います。

>>>国際問題委員会の編纂した「日本人の戦争行為」という文書の原題がなんなのか、どういうものかはわかりませんが、1938年の4月段階で中国政府・国民党は占領された南京に在住するベイツとは直接に連絡を取ることはできません。
>>国際問題委員会なるものが怪しげですね。
>
>それって、徐淑希『日人戦争行為論要』(The War Conduct of the Japanese), Kelly and walsh, 1938 のことじゃないでしょうか。
>ちなみに、徐は南京事件を含めて日本軍の国際法違反についてかなりのページをさいて論じています。


>ところで、1938年6月に花輪総領事が紅卍字会の「支那兵戦死体」埋葬数について42,200余体と公文書に書いているのですが、ご存知でしょうか?
>(掲載画像、3頁目)

チョット書き起こしてみました。
みなさん、校正をお願いします。


昭和13 一九四四三 暗 南京 七月六日後発 文化、亜
            本省   六日夜着
  宇垣外務大臣            花輪總領事

第二〇三號
貴■合第一八六九號に関し(世界紅卍字会に関する件)

一、国民政府との関係
国民政府成立以来紅卍字会の之と如何なる関係ありたるやは容易に察知し得ざる処本会が純然たる慈善団体たるを標榜し国民政府側より資金等の供給を得くることなく其の独自の立場に於て救済事業に従事し居りたりと為す者多し(国民政府南京引揚に際しては米、麦等の保存食料品を供給せられたる由)

ニ、国際委員会との関係
昨年12月皇軍南京入城に先立ち南京残留米国人を中心として国際委員会(後に国際救済委員会と改称す)の成るや互に其の趣旨を同ふする関係上之と合作し金陵大学、同女子大学、同神学院、同女史神学院、同中学校、及大方巷十五號の六箇所に難民収容所を設け白米及粥を無料にて配給し積極的救済活動を為したり(右活動が国際委員会の財政的援助並に指導下に行はれたるものなることは想像に難からす)
五月下旬前記難民収容所が閉鎖せらるに先立ち国際救済委員会と共同にて紅卍字会国際委員会連合賑済委員会を組織し救済を要する難民に対しては白米を支給し或いは最高五元の資金融通を為しつつあり

三、紅卍字会の活動
前記の如く難民救済に積極的活動を演じ居る一方苦力をして事変直後南京市内外に放置せられありたる無数の支那兵戦死体を収容埋葬しその数四萬二千二百余人に達し又市内■嶺路四號に診療所を設け殆ど無料にて診療施療し相当数の支那人患者を取扱ひ居るものの如し

四、所見以上の如く紅卍字会の活動も概ね国際委員会の援助指導の下に行はれ居り前記屍体の収容埋葬が■に我宣撫版の指導下に行はれたるに過ぎざる現状なる国際委員会との合作も偶々両者が難民救済なる同一目的の為便宜的に協同したるものにして本会が純然たる慈恵団体たるを標榜し居るにも鑑み何等他意なきものと見ること至当なるべく従て我方の方策如何に依りては支那側民心収攬の為本会を利用し得る余地多分に存すると思考せらる然れ共本会は前記の如く純然たる慈善団体たるを標榜し居る関係上之に政治的色彩を表示することは極力避くるを要し飽迄慈善団体として活動を容易ならしむる要ありと存す(了)

■は、私にはまるっきり解読不能
ほかにも想像で充てた文字多いですから、よろしくご校正を!

しかし、外務本省は花輪総領事に、どうせい、と訓令したんでしょうかね。
32 hits

[3227]Re(5):紅卍字会後援会
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 渡辺  - 06/9/6(水) 17:01 -

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   ▼ピッポさん:
>■は、私にはまるっきり解読不能

二番目のは「僅に」です。

>しかし、外務本省は花輪総領事に、どうせい、と訓令したんでしょうかね。

紅卍字会は大本教と関係があったにもかかわらず、救済活動の実績や中立性が評価されていました。そこで、中国占領後の行政機能の空白を埋めるのに、経済的に逼迫した紅卍字会を利用しようと考え、情報を収集したのです。
その後、東京に紅卍字会の分会をつくったのですが、日本の国策を設立趣意書に入れようとして、会員の強い抵抗にあいました。
そこで、日本政府が直接に関わることは断念して、紅卍字会後援会なる団体を東京に設立して援助しようとしました。また、人材は紅卍字会と縁を切らせてから、傀儡政権に登用しようとしました。

なお、紅卍字会後援会設立までは分かりましたが、実際にどういう活動をしたのかは、まだ分かりません。
33 hits

[3228]Re(5):花輪総領事は42,200余体
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 Queso E-MAIL  - 06/9/6(水) 20:35 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:

先越されちゃいました ;-)

>第二〇三號
>貴■合第一八六九號に関し(世界紅卍字会に関する件)

これは,電合でしょうね.

二つ目は,牛古(牛扁に古い, 牯)嶺路では無いでしょうか.
56 hits

[3229]Re(5):花輪総領事は42,200余体...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/9/7(木) 10:05 -

引用なし
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   渡辺さんご提供



これを皆さんの校正により。
なお、
漢字は旧字体を改め新字体に、
カタカナはひらがなにしました。

昭和13 一九四四三 暗 南京 七月六日後発 文化、亜
            本省   六日夜着
  宇垣外務大臣            花輪総領事

第二〇三号
貴電合第一八六九号に関し(世界紅卍字会に関する件)

一、国民政府との関係
国民政府成立以来紅卍字会の之と如何なる関係ありたるやは容易に察知し得ざる処本会が純然たる慈善団体たるを標榜し国民政府側より資金等の供給を得くることなく其の独自の立場に於て救済事業に従事し居りたりと為す者多し(国民政府南京引揚に際しては米、麦等の保存食料品を供給せられたる由)

ニ、国際委員会との関係
昨年12月皇軍南京入城に先立ち南京残留米国人を中心として国際委員会(後に国際救済委員会と改称す)の成るや互に其の趣旨を同ふする関係上之と合作し金陵大学、同女子大学、同神学院、同女子神学院、同中学校及大方巷十五号の六箇所に難民収容所を設け白米及粥を無料にて配給し積極的救済活動を為したり(右活動が国際委員会の財政的援助並に指導下に行はれたるものなることは想像に難からす)
五月下旬前記難民収容所が閉鎖せらるに先立ち国際救済委員会と共同にて紅卍字会国際委員会連合賑済委員会を組織し救済を要する難民に対しては白米を支給し或いは最高五元の資金融通を為しつつあり

三、紅卍字会の活動状況
前記の如く難民救済に積極的活動を演じ居る一方苦力をして事変直後南京市内外に放置せられありたる無数の支那兵戦死体を収容埋葬しその数四万二千二百余人に達し又市内■嶺路四号に診療所を設け殆ど無料にて診療施療し相当数の支那人患者を取扱ひ居るものの如し
(註:■=牛へんに古 &#29295)

四、所見以上の如く紅卍字会の活動も概ね国際委員会の援助指導の下に行はれ居り前記屍体の収容埋葬が僅に我宣撫班の指導下に行はれたるに過ぎざる現状なる処国際委員会との合作も偶々両者が難民救済なる同一目的の為便宜的に協同したるものにして本会が純然たる慈恵団体たるを標榜し居るにも鑑み何等他意なきものと見ること至当なるべく従て我方の方策如何に依りては支那側民心収攬の為本会を利用し得る余地多分に存すると思考せらる然れ共本会は前記の如く純然たる慈善団体たるを標榜し居る関係上之に政治的色彩を表示することは極力避くるを要し飽迄慈善団体として活動を容易ならしむる要ありと存す(了)


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