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[3246]いまさらの質問で恐縮ですが ピッポ 06/9/22(金) 20:55
[3247]Re(1):いまさらの質問で恐縮ですが 渡辺 06/9/23(土) 1:11
[3250]Re(2):いまさらの質問と強姦問題の引用 ピッポ 06/9/23(土) 3:45
[3251]誤訳といえば東中野のおっさんでごわす! 熊猫 06/9/23(土) 20:52 [添付]
[3252]Re(1):誤訳といえば東中野のおっさんでごわす! 渡辺 06/9/23(土) 23:47
[3266]Re(2):誤訳といえば東中野のおっさんでごわす! 熊猫 06/9/25(月) 9:04
[3300]Re(3):誤訳といえば東中野のおっさんでごわす! 渡辺 06/9/30(土) 18:44
[3257]アマゾンによる陶片追放(オストラシズム)について タラリ 06/9/24(日) 10:40
[3258]Re(1):アマゾンによる陶片追放 タラリ 06/9/24(日) 10:59
[3271]Re(1):アマゾンによる陶片追放について Anpontan 06/9/27(水) 5:31
[3318]Re(1):誤訳といえば東中野のおっさんでごわす! タラリ 06/10/5(木) 0:26

[3246]いまさらの質問で恐縮ですが
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 ピッポ E-MAIL  - 06/9/22(金) 20:55 -

引用なし
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   1、ラーベの日記「南京の真実」には誤訳が多いということが肯定派の常識になっているのですが、そのことによって、ラーベの日記「南京の真実」を読んだり引用したりすることにブレーキが掛かっています。また否定派からのラーベに対する人格攻撃が効果を持ったりしてます。

そこで伺います。誤訳を指摘している方は、その場所だけでも正誤表を書いたりしているのでしょうか。例えば渡辺さんの論考などを拝見していると、何か読んだり引用したりしないほうがいい、という錯覚に陥ってしまうのですが。そうした困難を克服して多くの人に読んで貰うにはどうしたらよいのでしょうか?

あるいは正しい訳文がどこかにあるのでしょうか?

2、同じようなことは、アイリスチャンの「レイプ・オブ・ナンキン」にも言えると思います。私は読んだわけではありません。確かに専門家の方が「事実」と「プロパガンダ」を混同していると鑑定した結果、また、その修正注釈をチャン側が拒んだ結果、日本語版出版が頓挫したそうですね。

それは確かに学問的態度としては立派でしたが、数年たった結果として「レイプ・オブ・南京」という言葉自身が忌み嫌われ、海外では最大問題の「強姦」が日本における南京事件評価からすっぽり抜け落ちてしまいました。これは、否定派肯定派両方に共通する日本人的知の営為の欠点かもしれませんね。何か両者に暗黙の紳士協定でもあったかの如くです。

-------
今日わたしはあのどす黒い九段の神社に生まれてはじめて足を踏み入れ、元社と鎮霊社が高さ3メートルの鉄柵の檻に閉じこめられてきた様をみながらボーっと30分ばかりすごすうちに上記のような事を感じたのであります。本社もきっと見えない檻の内、私はあんなところに押し込められた「英霊」達の吐く息に中ってしまったのでしょうか。
19 hits

[3247]Re(1):いまさらの質問で恐縮で...
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 渡辺  - 06/9/23(土) 1:11 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
....
>そこで伺います。誤訳を指摘している方は、その場所だけでも正誤表を書いたりしているのでしょうか。

梶村太一郎氏が 「週間金曜日」No198(1997年12/5号 P26-27)の「ゆがめられたラーベの人物像」で、いくつか実例をあげています。
また、私は下記urlに誤訳といいかげん訳の個所の実例を「問答有用」板に投稿したことがあります。(ページ数が書いてないところがあって申し訳無い。)
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/005138.html
誤訳や いいかげん訳は毎ページあると言っても過言ではありません。ひどいところは、ほぼ全ページでたらめです。例えば p.215「私はそいつを玄関へひきずりだした。〜」のページです。
翻訳の品質がページによって違うのは、複数の人が手分けして翻訳したことを反映したものでしょう。中には、初学者レベルの誤りがあります。
ところが、人名には いやに詳しいところがあります。日中戦争や南京事件にかなり詳しい人から情報を得たものとと思います。原文には苗字しか書かれていないのに、氏名を訳出しています。なんと言っていいやら...

>例えば渡辺さんの論考などを拝見していると、何か読んだり引用したりしないほうがいい、という錯覚に陥ってしまうのですが。そうした困難を克服して多くの人に読んで貰うにはどうしたらよいのでしょうか?

引用しないほうがいいというのは「錯覚」ではなく、事実です。
しかし、どんなことが書いてあるのかを知るためには、講談社版でも てっとり早くて便利に使えます。もっとも、ガイドブックとして使う場合も、勝手に割愛されているところがありますので注意が必要です。なお、資料の部分は全面的に割愛されています。
私は、引用にあたっては英訳を調べることにしています。英訳はよくできていますが、もちろん意訳された個所もあります。
なお、ラーベの日記は独語原書が出版前の原稿のうちに翻訳されたとのことで、それが原因で原書と違いができた他、各国語版で相互に違っている個所もあります。

>あるいは正しい訳文がどこかにあるのでしょうか?

翻訳しなおそうという動きもあったようですが、実現していません。
日本では資料を専門の翻訳者が訳すということが少ないので問題です。
洞氏の編纂した資料集にも、「死者」が「死傷者」になっているとか、「よく知っているというわけではない」が「よく知らない」と訳されているところがあります。

>2、同じようなことは、アイリスチャンの「レイプ・オブ・ナンキン」にも言えると思います。私は読んだわけではありません。確かに専門家の方が「事実」と「プロパガンダ」を混同していると鑑定した結果、また、その修正注釈をチャン側が拒んだ結果、日本語版出版が頓挫したそうですね。

「プロパガンダ」というよりは間違いが多かったということでしょう。
もっとも、この手の「歴史書」はいくらでもあります。
私は邦訳するほどの内容の本ではなかったと思います。

>それは確かに学問的態度としては立派でしたが、数年たった結果として「レイプ・オブ・南京」という言葉自身が忌み嫌われ、海外では最大問題の「強姦」が日本における南京事件評価からすっぽり抜け落ちてしまいました。

日本では強姦という意味で理解されることが多いようですが、ここでいう「レイプ」は強姦のことではなく、強奪とか蹂躙という意味です。
歴史的には、強奪するという意味から、強姦するという意味を持つことになったようです。
25 hits

[3250]Re(2):いまさらの質問と強姦問...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/9/23(土) 3:45 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
ご回答ありがとう御座います。

1、ラーベの日記については、紹介するには英訳本を手に入れて、誤訳を覚悟で自分で一日に日記一日分を翻訳し、例えば渡辺さんのような方につっこみ校正を入れていただく、という方法しかないにでっしょうか?

ところで、ヴォートリンの日記の方の翻訳はどうなんですか? 渡辺さんのおっしゃり様を見ると、何かおしなべて疑いを抱いてしまいそうです。

2、Rape of Nanking とは、「南京での強姦」、ではなく「南京という都市の掠奪・凌辱」という意味なんですね。ありがとう御座いました。誤解していました。
しかし、わが国の議論のなかで、「強姦」というものの被害について殆ど触れようとしないfront lineが暗黙のうちにできているかに見えるのも確かなことです。

まあ、そんなことばっかりいっていても仕方ないので、おとつい借りてきた本を引用します。
「共同研究日本軍慰安婦」吉見義明・林博史 P220〜225より


2 日本軍の特質

 「戦時利得」としての強姦の肯定

 日中戦争以降、日本軍でなぜ軍慰安婦問題のような大規模な人権侵害がおきたのか。第一に考えられるのは、「戦時利得」として強姦をひそかに肯定する考え方が、日本軍隊の中に深く浸透していったことである。
 そのいくつかの例をあげると、早尾軍医中尉は、「戦場二於ケル特殊現象ト其対策」(一九三九年)という意見書の中で、出征軍人による強姦事件の精神病理学的検討をおこない、

「留学生ガ西洋女二興味ヲ持ツト同様デ、支那女トイフ所二好奇心ガ湧クト共二、内地デハ到底許サレヌコトガ、敵ノ女ダカラ自由ニナルトイフ考ガ非常二働イテ居ルタメニ、支那娘ヲ見タラ憑カレタ様ニヒキツケラレテ行ク」

とのべている。また、部隊長が

「兵ノ元気ヲツクルニ却ツテ必要トシ、見テ知ラヌ振リニ過シタノサヘアツタ」

とものべている。
 一九三九年の南昌攻略作戦に参加した第一〇一師団衛生隊の岡村俊彦軍医は、作戦間に強姦が日常的におこなわれていたことを、無念の思いで、日記に記している。

「七時出発、冷めたい空気が気持良い、部隊本部の落伍者に会う、部落に入る度に女の悲鳴と豚、鶏の叫び声、これが戦争だと眼をつぶる、私には行軍が精一杯の力なのだ、残念だが仕方がない」(三月二五日)

 岡村寧次大将は、北支那方面軍司令官時代(一九四一年から四四年まで)を回顧した一文の中で、強姦事件をおこして起訴された若い兵士が軍法会議で陳述した内容で共通していたことは

「家郷を出発する送別宴の席上などで、既に戦地の務めを終えて帰郷した先輩から、中国戦線では良いことがあるぞと強姦を示唆されていたので、ついムラムラとその気が起きたということで」

あり、このことから中国戦線に出動した予後備兵の風紀観念がいちじるしく悪化していることを知ったとのべている。
 戦場では強姦もしたい放題だといった期待が日本軍や日本の男杜会の中で半ば公然と広がっていたことになる。ところで、岡村大将も指摘しているように、強姦事件をおこすのは、二〇代前半の若い現役兵は少なく、二〇代後半から一二〇代の予備役兵・後備役兵が中心だった。彼らは、社会的経験もあり、結婚し、家庭をもっている場合も多かったので、戦争による長期の動員で、人生設計の見通しを失い、白暴自棄になる傾向が強かった。たとえば、当時三四歳で歩兵第二一四連隊の下士官だった村田和志郎は、いつ帰還できるかもわからない泥沼の戦場にいたが、一九三八年二月、湖州警備隊の討伐戦に参加したときには半ばヤケ気味になっていた。そのときの日記には

「戦いは一発の弾丸に始まり、最後の一人の女に終わる」
「一向遠慮はしない。戦争だ。放火、殺人、強盗は常だ」

と記されている。
 休暇制度がきわめて不十分であることが、このような問題を拡大したことはすでにみたが、より根本的には、作戦行動において、日本軍が作戦に必要な食料などを十分に用意せず、戦地でそれを徴発させたことも大きかった。食料や炊事用具などがわずかしか補給されないため、戦場では兵士によるこれらの徴発(事実上は掠奪)が一般化するとともに、その延長上に財貨の掠奪や強姦も蔓延した。富士正晴の卓抜な表現によれば

「徴発にせよ緊急購買にせよ、結局は只もらい、強盗の別名にすぎない。品物を徴発し、男を徴用苦力として早速徴発物資をかつがせ、女は強姦に役立ちそうなのは先ず性器を徴発し、ついでに徴発物資が多すぎた場合にはこれをかつがせる」

ということになったのである。

 日本軍隊の人権抑圧構造

 それでは、どうして強姦を容認する気風がひろがったのか、また、なぜ大規模な慰安所制度を必要とするようになったのか、ということが問題になるだろう。それは日本軍の構造と深い関係がある。
 大正デモクラシー期以降、とくに第一次世界大戦後、兵士の中にも意識の変化が生まれ、自由を求め、権利意識にめざめ、知的文化的に成長していった。しかし、日本軍は、兵士の自覚に対応する内面的忠誠を獲得する新たな理念・組織原理をつくりだせなかった。日中戦争に突入すると、軍隊生活への嫌悪、批判精神、将校への軽蔑、総じて軍隊内秩序への反抗が生まれ、軍隊内犯罪、とくに対上官犯(上官に対する反抗)が増えていった。このような中で、放火・掠奪.強姦など住民に対する不法行為がおこったが、その責任を追及することは、

「野暮だ」
「大目に見よ」
「厳格に過ぎれば却つて恐るべき結果を招来する」

とする態度が生まれた。中国民衆に対するこのような蛮行は、「軍隊内秩序を維持するための一種の安全弁」とされてしまった。強姦の黙認も、慰安所の設置も、軍紀の維持、
兵士(とくに下士官や古参兵)の命令への服従を実現するため、日本軍にとって、必要なこととされていくことになる。その意味で、これは国家犯罪であった。
 では、高級将校用の慰安所が優先的につくられたのはどう説明できるだろうか。これは、下士官や兵のためといいながら、将校みずからが率先して「性的慰安」を求めたということ以外のなにものでもないであろう。

 アジア人に対する蔑視意識

 次に、強姦を「戦時利得」として肯定する考え方が軍隊内に浸透することを可能にした条件として、日本軍将兵や日本杜会に蔓延していた他のアジア人に対する蔑視意識をあげなければならない。ふたっだけ例を挙げよう。
 一九四五年、湖南省?県にいた独立歩兵第五一八大隊の一部は、部落に徴発に行き、荒らされていない家をみつけ、主婦がいることも確認した。しかし、その主婦から

「わたしは日本人です。結婚してこちらにいます。中国の人は火着けと強姦を一番恐れています。欲しい物は何でもあげます」

といわれ、なにもできなくなって、

「はいそうですかと、一同何も取らず引き揚げた」という。

 独立混成第八八旅団経理部の元見習士官の回想によれば、作戦中にみつけた中国人女性はかならず強姦して殺すといわれていたある軍曹が、一九四四年一ニ月、貴州省独山で捕えた女性を強姦しようとしたところ、この女性は、日本語で「やめて」と叫んだ。びっくりした軍曹がわけをきくと、中国人と結婚した横浜育ちの日本人だった。そのとき、この軍曹はもはや「やれなくなった」だけではなく、それ以来、人柄がすっかり変わり、女に興味をもたなくなった、という。
 以上の事例は、兵士の掠奪や強姦は、戦場で外国人、とくに日本人以外のアジア人を相手にした場合にのみ許される、という意識のもとでの行動だったことをよく示している。
 しかし、差別意識の問題はそれだけではない。オランダ人女性が強制的に慰安婦とされ、オーストラリア人看護婦が慰安婦となるよう強要されたということは、白人に対する劣等感を暴力によって逆転しようとする意識があったことを示すと思われる。
 また、貧困な家庭出身の日本人女性も慰安婦にされたということは、日本軍が、民族差別.人種差別とともに、経済的弱者に対する差別や、女性に対する根深い差別意識をもっていたことを示している。

 女性に対する差別意識

 旧軍人の戦争体験記を読んで気がつくのは、女性をもつぱら物として、あるいはセツクスの対象としてだけ考える意識である。そこでは、女性の人権はまったく無視されていた。
 一九四〇年・南寧に第二二軍司令部が新設されたとき、一五〇名の軍慰安婦が送りこまれたが、近衛混成旅団の桜田武少将は、その配属を断つた。しかし、その後、部下が軍司令部管理下の慰安所を数多く利用していると知らされて驚いた桜田少将は、前言を撤回して配属を求めた。このとき、今村均第五師団長は、

「君が率直に前言を取り消し、あの設備を宿営地内に設けてやれば、兵は遠路を通う必要がなくなり、きっと喜ぶだろうと思う」

とさとしたという。
 一九四二年、飛行場などをつくる海軍第二設営班の主計長、中曽根康弘主計中尉(戦後首相となった)は、設営班員のための慰安所を設置したことを次のように白慢している。

「(第二設営班は)三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくつてやったこともある。」

 このように、日本軍将校は、部下への恩恵として慰安所を設置したが、そこに入れられる女性の人権をまったく考慮しなかった。そして、このような意識は、日本の敗戦と軍隊解体後も変わることなく、現代日本で根強く持続しているのである。


虐殺は上官命令だが、強姦は集団心理である。虐殺よりも強姦のほうが他人事でなく、余計に口を閉ざす。復員して「善き夫」に戻るのだから口をお閉ざすのは、あたりまえだが。
36 hits

[3251]誤訳といえば東中野のおっさん...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/9/23(土) 20:52 -

引用なし
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : higasinakano.jpg
・サイズ : 8.6KB
  
添付画像【higasinakano.jpg : 8.6KB】 http://www.amazon.co.jp/gp/product/479421488X/ref=pd_sxp_f_r/503-9940598-4393565?ie=UTF8

 あのぉ〜、アマゾンのカスタマーレビューに投稿したもんで、投票していただけないでしょうか?
25 hits

[3252]Re(1):誤訳といえば東中野のお...
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 渡辺  - 06/9/23(土) 23:47 -

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   ▼熊猫さん:
>http://www.amazon.co.jp/gp/product/479421488X/ref=pd_sxp_f_r/503-9940598-4393565?ie=UTF8
>
> あのぉ〜、アマゾンのカスタマーレビューに投稿したもんで、投票していただけないでしょうか?

あ、なんかおかしいですよ。

>1937年の出来事を、1938年〜1941年の『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』...

Timperleyの本は 1938年7月刊、国際宣伝処はたしか 1937年11月にできたと思います。ですから、時間的には東中野説でも問題ないと思います。

1938年〜1941年の『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は、1941年作成の文書だと思います。Timperleyの本の件も、いつのことかは書かれていなかったと思います。これは、1940年代に印影版を作ったことを言っているのではないかと思います。そこで、私は中国語『外人目睹中之日軍暴行』には複数の版が存在するのではないかと考えたわけです。
結局、複数の版があったことは間違いないようです。文章のページは「初版」というところまで丸写しで、写真のみが版によって異なるようです。
27 hits

[3257]アマゾンによる陶片追放(オス...
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 タラリ E-MAIL  - 06/9/24(日) 10:40 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>http://www.amazon.co.jp/gp/product/479421488X/ref=pd_sxp_f_r/503-9940598-4393565?ie=UTF8
>
> あのぉ〜、アマゾンのカスタマーレビューに投稿したもんで、投票していただけないでしょうか?

絶対、投票にていきましょう!!
その前にこれを。

アマゾンの書評欄についてはウヨクの書評ばかりが幅を利かせ、下らんなあ、同じ土俵で勝負すべきではない、と感じていました。
ところがこの感じ方に対して真っ向から覆すのが青狐さんの活動です。
彼はまめに書評を貼り付けています。
ところが驚いたことにはいったん掲示された彼の書評が、ウヨクたちの「この書評は参考にならない」という投票によって、アマゾンが撤去したのです。青狐さんはきちんと抗議をしました。その経緯は下記にあります。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060729/p2

私はその後どうなったか一度青狐さんに問い合わせたのです。そのときは、あれはどうなっていたかなあ、というご返事でした。

私はアマゾンのこのやり方は許せない、と思う。単にウヨク書評が多く並び、ウヨク投票が多数になるのは、ウヨクの書評に関する活動が活発であるということを示すのであり、しかたがない現象である。しかし、アマゾンがわれわれに納得できない理由により、あるいは明らかにできない理由によって特定の書評を削除すれば、それは言論による陶片追放ではないか。

そこで、みなさんに訴えたいことはアマゾンの書評管理に対して異議を唱えていただきたい。ネットの世界はロング・テイルを網羅することに意味がある。それを特定の部分で斬ってしまえば、書籍の世界での言論統制になってしまう。

それから、書評の投票についていま私はたまたま目を通す際にはすべての書評に投票している。こうした活動をしなければならないほどいまの書籍販売事業は問題となっている。

たとえば、ラーベの日記、『南京の真実』の紹介文はなんと書いてあるか!
「ラーベは日本軍に感謝している、こんな事実も書いてある」となっているではないか!
39 hits

[3258]Re(1):アマゾンによる陶片追放
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 タラリ E-MAIL  - 06/9/24(日) 10:59 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>▼熊猫さん:
>>http://www.amazon.co.jp/gp/product/479421488X/ref=pd_sxp_f_r/503-9940598-4393565?ie=UTF8
>>
>> あのぉ〜、アマゾンのカスタマーレビューに投稿したもんで、投票していただけないでしょうか?

渡辺「博士」の真摯な事実追求努力は別として、
ただいま投票しました。
正確には下のような流れになります。

--------------------------------
このレビューは参考になりましたか? [はい][いいえ](このレビューについて報告する)
--------------------------------

はい、いいえについて押したあと、(このレビューについて報告する)を押すと
下記掲示が別ブラウズで現れます。


--------------------------------
このコンテンツをAmazon.co.jp に掲載しないほうがいいとお考えですか?

このコンテンツはAmazon.co.jp に掲載するのに、ふさわしくない内容だとお考えの場合は、「報告する」のボタンをクリックしてください。キャンセルするには、キャンセルボタンをクリックしてください。
注意:この報告は、コンテンツの削除をお約束するものではありません。そのため、内容によりましては、削除されない場合もございますのであらかじめご了承ください。
---------------------------------

青狐さんはこれによって掲示を削除されたのです。

ところで、アマゾンに事情説明・抗議をしようと探してみたのですが、どこに言えばいいのか、わかりませんでした。青狐さん、抗議先を教えて下さい。
33 hits

[3266]Re(2):誤訳といえば東中野のお...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/9/25(月) 9:04 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:

>Timperleyの本は 1938年7月刊、国際宣伝処はたしか 1937年11月にできたと思います。ですから、時間的には東中野説でも問題ないと思います。
>1938年〜1941年の『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は、1941年作成の文書だと思います。Timperleyの本の件も、いつのことかは書かれていなかったと思います。これは、1940年代に印影版を作ったことを言っているのではないかと思います。そこで、私は中国語『外人目睹中之日軍暴行』には複数の版が存在するのではないかと考えたわけです。

 そのことを認識してでの記述です。
 発刊が何時かではなく書いたのは何時かです。金を渡して書かせるには書く前に金を渡すあるいは、書く前に金を渡す旨を伝えなければいけません。
 国際宣伝処が機能したのは、1938年の4月、実質的にはそれ以降じゃないですかね。軍事委員会政治部が機能したのは1938年の4月以降のことです。組織はあるが実態がないと言った常態でした。人事も決まっていなければ、予算も決まっておらず、具体的宣伝工作を開始したのは4月以降のことです。南京が陥落してそれどころじゃなかったというのが実態でしょう。国際宣伝処は、軍事委員会政治部とコラボで活動していましたので、機能していなかったと判断して問題ないと思います。
 あくまでも、テインパリーの本の出版の表に出ていたのは軍事委員会政治部第三庁(庁長:郭沫若)であり、1938年4月に出来た組織です。
33 hits

[3271]Re(1):アマゾンによる陶片追放...
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 Anpontan  - 06/9/27(水) 5:31 -

引用なし
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   ▼タラリさん:

>そこで、みなさんに訴えたいことはアマゾンの書評管理に対して異議を唱えていただきたい。

私もかねがね、アマゾンの書評については問題があるなと感じていたので、この点においてはタラリさんに賛同します。ただ、主旨の方は少しずれてしまっているかも知れませんが^^;

私が、まずアマゾンの書評について問題だ、と感じるのは、書評の体すら為していないものまで、平然と書評として掲載されているという点です。中には、ほぼ誹謗中傷としか取れないもの…たとえば、笠原十九司著の『南京事件』ですが、

本 の 内 容 に 全 く 触 れ て い な い

ものまであるという状態です。
『南京事件』の内容を批判する書評を書くこと自体は私は否定するつもりはありません。書評欄に、書評でないものまで掲載することが問題なのです。

書評の投票システムに関しても、書評としての出来不出来を審査するものではなく、タラリさんの仰るように自分(結果的には多数派)と思想・信条が異なる意見を排除するシステムとして機能してしまっているのであれば、やはり問題といわざるを得ません。万人に書評を書く機会を提供するのであれば、様々な観点から書かれた「書評」を載せていく点にこそ意義があるのではないか、と思います。
38 hits

[3300]Re(3):誤訳といえば東中野のお...
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 渡辺  - 06/9/30(土) 18:44 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
> 発刊が何時かではなく書いたのは何時かです。金を渡して書かせるには書く前に金を渡すあるいは、書く前に金を渡す旨を伝えなければいけません。
> 国際宣伝処が機能したのは、1938年の4月、実質的にはそれ以降じゃないですかね。軍事委員会政治部が機能したのは1938年の4月以降のことです。組織はあるが実態がないと言った常態でした。人事も決まっていなければ、予算も決まっておらず、具体的宣伝工作を開始したのは4月以降のことです。南京が陥落してそれどころじゃなかったというのが実態でしょう。国際宣伝処は、軍事委員会政治部とコラボで活動していましたので、機能していなかったと判断して問題ないと思います。

熊猫さんの、お考えは了解いたしました。
鈴木明は第三庁だとか言っていたようですが、北村、東中野は国際宣伝処だと言っているので、書評の読者には理解されないのではないかと危惧します。
東中野は意図的なのか、いいかげんなのか、中国語の文献が『外国人目睹中之日軍暴行』というときに、それが英語原本のことなのか、中国語訳のことなのか混同しています。
北村、東中野がいうのは、本来は英語原本のはずです。

国際宣伝処は、
「1937年11月6日,軍事委員会第五部又改為国際宣伝処」で、
「12月1日,国宣処在漢口召開了第一次外国記者新聞会議,...」
[重慶抗戦叢書編纂委員会編『抗戦時期重慶的新聞界』重慶出版社、1995年、p.100]
ということです。
国宣処は国民党中央宣伝部の組織になりましたが、これは副部長であった董顕光が第五部の責任者であったことによるもののようです。しかし、中央宣伝部からも独立した存在であったとされています。
12月に漢口で新聞記者の会合があったことは事実で、Timperleyを始め、著名な在中国の外国人記者が行っています。
Timperleyは蒋介石をインタビューした後、1月始めにには香港経由で上海にもどっています。
もし、漢口で国宣処とコンタクトがあったのであれば、この時期以外にはありません。ということは、Timperleyは南京事件については、知らなかったと考えるべきでしょう。
Timperleyの電報の内容がジャキノ神父やベイツに基づくことからも、南京事件については上海で情報を得たものと思います。
一方、曾虚白の回想では、Timperleyが日本軍占領下の南京にいて、そこから上海にきたので、漢口にきてもらって打ち合わせをし、費用を渡して本をかいてもらったことになっています。
それ自体は筋の通った話ですが、間違いが大分入っています。
軍事委員会政治部は1938年1月12日に陳誠が初代部長となっていますので、このときに創設されたものだと思います。
郭抹若『抗日戦回想録』に、「三庁の成立以来、国際宣伝に関して国宣処はわれわれは協力関係にあった」(p.162)という記述があるのですが、東中野はこの個所から、かなり空想を広げているようです。
郭抹若は、月曜の記者会見、宣伝会報編集を共同し、一種の画報を共同編集したことがあるので、曾とはいつも顔を合わせていたが、「何の友情も感じないかわりに別に反感もおぼえない」程度の関係であったとしています。
協力とはその程度のものでしょう。

> あくまでも、テインパリーの本の出版の表に出ていたのは軍事委員会政治部第三庁(庁長:郭沫若)であり、1938年4月に出来た組織です。

東中野説は国際宣伝処が書かせて出版したことにこだわっています。
そうすると、国民党の組織が、左翼文人で別組織の郭沫若に中国語訳の序文を書かせたという奇妙なことになります。
郭沫若は、1938年4月の宣伝週のときに党本部から「人民」は「国民」に、「祖国」は「国家」に、「崗位」は「職分」に改め「今後、一切の対外文書は部の許可を得て発行すること」という訓令を受けたとしています。(p.75)そして、これらの語は「一般の禁忌となった」としています。
このような、「禁忌」となった左翼的な語が1938年刊行の国民党の組織の出版物に使われるでしょうか?国際宣伝処も第三庁も関係がないとみるべきでしょう。

次に、軍事委員会政治部第三庁も「表」には出ていないと思います。
郭沫若の序文だけでなく、訳者序文も明らかに左派の用語を使っています。肩書きも書かれていません。
これは、Timperleyの本の中国語訳は軍事委員会政治部と関係の無いところで作られたことを示唆していると思います。
いずれにしても、英語原本には中国機関が顔を出さなかったのに、中国語訳にTimperleyから直接原稿をもらいましたと書いたり、郭沫若と関係がありますというのでは、片手落ちというものでしょう。
これらの機関は秘密組織ではなく、通常は刊行物に組織名を書いています。中国機関が顔を出してもよいというなら、軍事委員会政治部、あるいは国際宣伝処発行と明記すればよいわけです。組織の実績になるわけです。

ここで、問題となるのは、国宣処が中国語訳を刊行したとしていることです。
刊行したというのはどの本で、いつのことでしょうか。いろいろな資料があるらしく、実は、よくわからないのです。
例えば『抗戦時期重慶的対外交往』(p.239)では「1940年,国際宣伝処将英国人田伯烈編著的披露"南京大屠殺"真相一書《外国人目睹中之日軍暴行》,在倫敦公開発行,使英国民衆,看到了日本帝国主義又在中国土地上犯下的滔天罪行」となっています。
どうやら、1940年頃の文書に国際宣伝処が1940年に『外国人目睹中之日軍暴行』を発行したというものがあると推測されるのですが、『抗戦時期重慶的対外交往』が何に典拠しているかはわかりません。

国際宣伝処と曾虚白の資料は気をつけたほうがいいと思います。
他の資料でも、国際宣伝処の手柄に書いているところに事実と異なる部分があるようです。また、曾虚白は別件で疑惑があるようです。これは、ある学術書で知ったのですが、後ほど探してきて掲載しましょう。

ということで、国際宣伝処は1938年12月には活動していたので、その点では東中野説に問題はありません。
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[3318]Re(1):誤訳といえば東中野のお...
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/5(木) 0:26 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>http://www.amazon.co.jp/gp/product/479421488X/ref=pd_sxp_f_r/503-9940598-4393565?ie=UTF8
>
> あのぉ〜、アマゾンのカスタマーレビューに投稿したもんで、投票していただけないでしょうか?

しましたとも。
ついでに私もカスタマーレビューを書きました。HNを入力し損ないましたが、9月28日付けのが私のレビューです。
どうやらK−Kさんも書かれたらしい。最近のレビューではわれわれの圧勝。
28 hits

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