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[3384]緊急上網:日中戦争開戦時の「船舶臨検」について ピッポ 06/10/12(木) 20:52
[3385]はしがき と 目次 ピッポ 06/10/12(木) 21:26
[3386](イ)海上交通を遮断する ピッポ 06/10/13(金) 5:40
[3387](口)遮断を侵破した中華民国船舶 ピッポ 06/10/13(金) 7:30
[3388](ハ)「第三国」へ転籍された中華民国船舶の処置 ピッポ 06/10/13(金) 7:32
[3389]姑息で身勝手な軍律解釈 ピッポ 06/10/13(金) 7:49
[3398]Re(1):姑息で身勝手な軍律解釈 佐藤 俊 06/10/15(日) 21:12
[3405]Re(2):姑息で身勝手な軍律解釈 とほほ 06/10/16(月) 0:20
[3429]Re(1):緊急上網:PSI構想・防衛白書より ピッポ 06/10/18(水) 8:18

[3384]緊急上網:日中戦争開戦時の「...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/12(木) 20:52 -

引用なし
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   北朝鮮の『核実験』に対して、今、安直に「船舶臨検」が語られています。

69年前のあの「暴支膺懲」スローガンで人気を高めた近衛内閣&出来立ての大本営ですら、「船舶臨検」の実施上の手間隙、その効力、あるいはまた第三国への深謀遠慮、それらを振り返えり自己評価すると、「大変な面倒の割に効果が薄いものであった」ということであったようです。

私がこれから貼るのは、
北博明著 中公新書「日中開戦〜軍法務局文書からみた挙国一致体制への道」です。

今なぜこのようなものを著者吟味もせずに、貴重な思考錯誤スペースを消費してまで貼付するかというと、きのう今日の新聞一面をいろどる事々が、よしんば先の69年前と似て非なるものであるとしても、「戦争にあらざる戦争」を何時の間にか始めてしまう惧れが、皆無ではないと思うからです。
29 hits

[3385]はしがき と 目次
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/12(木) 21:26 -

引用なし
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   中公新書1218
北博昭著
日中開戦
軍法務局文書からみた挙国一致体制への道
中央公論社刊
1994年12月20日発行
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(表紙裏折込)
昭和十二年七月七日、北京郊外で起こった盧溝橋事件が導火線となって、日本と中国は泥沼の戦闘状態に突入するが、日本政府は国際法上の国家の交戦開始の意志表示を行なわず、これを「支那事変」と呼称する、しかし「戦争」ではなく「事変」としたことは、大小多岐にわたるギャップを生じさせた。本書は、「軍法務」の観点から、これまでの政治史や戦史で描ききれなかった「挙国一致」体制への道程をかいまみ、戦争の実態を解析する。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

はしがき

『支那事変海軍司法法規』という、海軍省法務局のマル秘資料集が私の手元にある。昭和十四年六月にまとめられたもので、B五判の紐綴じ。一部謄写版刷りのタイプ印書、全二五九頁。作成者は同法務局員の馬場東作海軍法務官である。

この資料集は、当時、主に海軍法務関係部局にあてて部内資料として小部数配布された。しかし、現在ではおよそ残存していない。国立国会図書館、防衛庁防衛研究所図書館、財団法人水交会といったところにも見当たらない。

そこには、日中戦争つまりシナ事変の発生以後昭和十四年三月に至る問、海軍省法務局が、直接・間接に自局にかかわる事変関係の法規につき行なった解釈と、発した運用上の指針が収められている。戦いの進行にともなって生じた諸々に関する所見も認められる。作成者の馬場法務官は、「海軍司法法規より見た事変と云う意味」になるものだと「はしがき」で述べている。

資料集をめくれぼ、右の期間での海軍の動きが、大半は軍法務の視点において確かに随所に浮かび上がってくる。軍法務とは、およそ、裁判機関としての軍法会議の裁判・審察・予審といった事項を扱う司法事務と、職員の人事や給与、服制、軍法会議・監獄の事務指導、法律教育、法律諮問、法の改正その他に関する事項を扱う司法行政事務を指す。

多くはないが、同じ軍法務の視点においての、たとえぼ陸軍の様子も知ることができる。議会の動きもうかがえなくはない。これは政治史や戦史などの領域では描き切れない側面ともいえる。戦いに関して引き起こされるほとんどの事柄は、っまるところ法規により、そのつど、各ヶースごとにけじめをつけられていたことがわかる。戦争は法典によって手当てされるとでもいえようか。『支那事変海軍司法法規』の史料的価値は否めない。

そこで本書では、この資料集を有力なべースにしながら、ということは主に軍法務の観点により、日中の戦いを事変と称してしまったために起こるギャップのなかで採られた、あるいは採られざるを得なかった日本側の対応を広く追ってみたい。これが本書のねらいである。もっとも、そうした対応をとおして、開戦にともなう「挙国一致」体制への道程をかいまみることもできよう。

広くということから、ピック・アップした事例は多岐にわたる。概して資料集による。一の「『事変』であって戦争ではない」では対外的な、三の「『事変』は事実上の戦争である」では対内的な事象にかかわる事柄を主に採り上げた。二の「戦争と称しなかったために」は対外・対内の双方におよぶ事柄である。大は国家的な国際法上の、小は個人的な国内の民事・刑事法上の事例まで収めた。

本書は、一定のテーマを設定し、それに向かって各項目が有機的に整合され、帰納的にひとつの結論に到達するという類いのものではない。それぞれが単独のテーマともなり得る各項目を、さきに述べたようなねらいから追い、提示したものである。統一的なテーマをあえて想定するなら、軍法務に比重を置いた便覧、とでもなろうか。

とはいえ、戦いの生んだ事象は多種多様であり、前記したねらいに照らしてみても、たとえばつぎのような事柄が落ちている(*は『支那事変海軍司法法規』にも所収)。私の力不足と紙幅の制限による捨象である。

[対外的なもの]
・毒ガスの使用
・上海租界法院の接収問題(*)
・「ケロッグ・ブリアン条約(不戦条約)」
・「支那に関する九国条約(九カ国条約)」

[対内的なもの」
・議会制度審議会の設置
・「支那事変の為従軍したる軍人及軍属に対する租税の減免、徴収猶予等に関する法律」
・「日満司法事務共助法」(*)
・「国境取締法」(*)

政治史や戦史といった側面から日中の戦いを扱った叙述は多い。しかし、この戦いを幅広く理解するには、より多面的なアプローチが必要である。軍の機構に限っていえぼ、経理(主計)や軍医、技術といった側面から迫るのも興味深い。ここでの試みはそうした側面よりするもののひとっにすぎない。

本書の対象とする時期であるが、それはシナ事変の起点となった昭和十二年七月の蘆溝橋事件から、ほぼ十四年一月の第一次近衛文麿内閣の総辞職直後までに限定される。『支那事変海軍司法法規』を第一の下敷きにしているからである。この資料集は、すでに明らかなように十四年三月をもって収録の終期としていた。列挙した捨象の例示もほぼこの時期までのものである。

近衛内閣の退陣は三国同盟問題での閣内対立を主因とする。平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣がこれに替わった。シナ事変の見通しはまったくついていなかった。このあと、日中の戦いは果てしのない膠着状態にはいっていく。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

目次

はしがき

一、「事変」であって戦争ではない
     ――なぜ「事変」なのか

1、国際法上の戦争に当たらない
盧溝橋事件 「事変」と戦争 宣戦せず 自衛権を発動した陸軍 海軍も自衛権を発動した 「事変」の名称と始・終期

2、中華民国は事実上の敵国
敵国になった時期 利敵行為による罪 中国軍に参加したアメリカ人将校の扱い

二、戦争と称しなかったために
     ――「事変」とされたことの意味

1、新法令で大本営を設ける
設けるまで 大本営令の公布 めざされた統帥の一元化 政府との連絡協議体を設ける

2、占拠地か、占領地か
占領地の意味 事実は占領地

3、軍律で「第三国人」を処罰できるか
軍律とは何か 処罰できる

4、捕獲された中国軍将兵の身分はどうなるか
海軍は俘虜とみる 陸軍は俘虜とみない 海軍の処遇 陸軍の処遇

5、封鎖にできなかった封鎖
(イ)海上交通を遮断する
実態はほぼ平時封鎖 交通遮断の宣言 遮断の結果
(口)遮断を侵破した中華民国船舶
拿捕船舶調査委員会を設ける 抑留された船舶はどうなるか
(ハ)「第三国」へ転籍された中華民国船舶の処置
「第三国」の船舶に効力は及ぼない 偽装転籍の場合 正当な転籍の場合

6、諸事件への対処
(イ)南京空爆の予告
避難を勧告する 空爆は正当
(口)日清汽船会社船舶の撃沈
中華民国船舶を抑留 抑留は正当な報復
(ハ)イギリス大使への銃爆撃
強気の回答 形式的な譲歩
(二)パネー号の爆沈
ただちに陳謝 過失責任を認める

三、「事変」は事実上の戦争である
     ――戦時体制の整備

1、時局関係法を定める
(イ)「軍機保護法」の改正
秘匿と防諜の必要性が増す 「軍機保護法」違反の実列
(口)「兵役法」の改正
兵員の不足 人的兵備の拡充 兵役の忌避
(ハ)「国家総動員法」の制定
国力を総合的に発揮するために 紛糾した審議 可決
(二)「軍用資源秘密保護法」の制定
国家総動員上の秘密のひとつ 対象は外国諜報 民間側の対応例
(ホ)「人事調停法」の制定
銃後の家庭を守る 家庭紛争は道義と温情で

2、気運を統一する
(イ)軍機軍略記事の新聞紙掲載禁止
陸・海軍省令で対処 禁止の尺度 処分件数
(口)軍刑法による造言飛語の防止
造言飛語罪とは 他の法令との関係 造言飛語罪の実例
(ハ)銃後の刑事事件の状況
減少傾向 刑法犯の実例

3、戦死者に対して配慮する
(イ)戦死・戦傷死への優遇
戦死と戦傷死を戸籍簿に明記 死亡後の婚姻届も有効 入籍は死亡時に遡る
(口)死体がなくても戦死と認定
戦闘中に行方不明 認定例
(ハ)戦場がらみの死亡報告は簡易な手続きで
実情に合わない「戸籍法」の規定 海軍省が発意

4、軍法務の側面から手当てする
(イ)海軍軍法会議の裁判権の拡大
宣誓海軍軍属の範囲を広げる 民間人も艦隊軍法会議に
(口)中国における犯罪の実態
増える犯罪 犯罪への対応
(ハ)更生して再び軍の一員に
「事変」による自覚の促進 仮出獄の要件を緩める

5、軍律法廷を設ける
(イ)軍律の運用
事変下では初めての軍律法廷 軍律の実例 軍律法廷のあらまし 処罰は臨機応変に
(口)軍律法廷の処分実例
陸軍の場合 海軍の場合


あとがき

主な引用・参考文献

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27 hits

[3386](イ)海上交通を遮断する
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/13(金) 5:40 -

引用なし
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5、封鎖にできなかった封鎖
(イ)海上交通を遮断する
実態はほぼ平時封鎖 交通遮断の宣言 遮断の結果
(口)遮断を侵破した中華民国船舶
拿捕船舶調査委員会を設ける 抑留された船舶はどうなるか
(ハ)「第三国」へ転籍された中華民国船舶の処置
「第三国」の船舶に効力は及ぼない 偽装転籍の場合 正当な転籍の場合
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(上記部分の転載)

5、封鎖にできなかった封鎖

(イ)海上交通を遮断する

実態はほぼ平時封鎖

盧溝橋事件が起こってから一か月ほどのち、戦火は華北から華中へ飛び火した。昭和十二年八月十三日には壮烈な上海戦が始まり、激闘・死闘はおよそ三か月もつづいた。
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中国軍の士気は高く、その主力はとくに軽火器において外国製の優れた小銃や機関銃で武装していた。以下は、外国製品の一例である。

短銃   ドイツのモーゼル、アメリカのトンプソン
小銃   ドイツの八八式歩兵銃、チェコ・スロバキアのブルノニ四式歩騎兼用銃
軽機関銃 ドイツのベルグマン、チェコ・スロバキアのチェッコ
重機関銃 ドイツのマキシム、アメリカのコルト
砲    イギリス式一八ポンド野砲、スウェーデンのポフオース山砲、イタリア式アンサルド七センチ五高射砲

中国が外国から輸入する諸種の軍需物資は、日本軍にとってはありがたくないものである。日中の戦いが国際法上の戦争なら、中立義務を「第三国」に生ぜしめる中立法規が発動する。そのため、「第三国」っまり中立国は兵器などの輸出ができなくなる。しかし、事変である。中立法規の発動はなかった。

兵器その他の運び込みを阻止する有効な方法には、海軍による海上の戦時封鎖という手もある。だがこれも事変であるために行なえない。戦時封鎖は国際法上の戦争の手段なのである。

戦時封鎖となると、被封鎖国である敵国はもちろん、「第三国」の船舶も出入りできなくなる。封鎖を破る船舶は、国籍を問わず、封鎖している国の海軍力によって拿捕され、積み荷とともに
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戦時捕獲審検所の検定に付されたのち、没収となる。乗組員も必要ならぼ抑留される。ただし、封鎖宣言と「第三国」政府への告知が効力要件のひとつである。

戦時封鎖ができなけれぼ、同じ国際法上の平時封鎖という手もまだ残っている。ただ、戦時封鎖に比し、「第三国」の船舶の出入りを禁じることができないというマイナス点がある。とはいえ、船籍を確かめるための臨検は許される。封鎖を侵破する被封鎖国たる相手国の船舶や積み荷の抑留もできる。だが、没収はまずできない。捕獲審検所も設け得ないのが普通である。封鎖に際しての、正式な封鎖宣言も必須ではない。宣言に代わる適当な通達でもかまわない。ただし、「第三国」政府に対する告知が要るかどうかにっいては定説がない。

平時封鎖は、その名のとおり、平時に行なわれるものだから、事変下でも実施できる。戦時封鎖のできない日本にとって都合のよい次善の策である。

にもかかわらず日本の海軍は、平時封鎖を行なわなかった。いや、より正確には、平時封鎖という言葉を使わなかった。交通遮断という名目で平時封鎖同然の対応策をとったのである。海軍省法務局は、これは「平時封鎖と解すべきものである」と述べている(『海軍司法法規』)。

海軍のとった交通遮断の内容の実際は、平時封鎖の内容とほぽ同じである。ただ、捕獲審検所まがいの拿捕船舶調査委員会が設けられているのは見落とせない。平時封鎖とはいわず、交通遮断と称したことが設置を容易にしたのだろう。この調査委員会についてはのちに触れる。
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平時封鎖といわなかったのは、中華民国に利害関係をもつ外国の動静を気遣ったためとも考えられる。同国の背後には、たとえぼ、フェイントまがいの門戸開放を盾に中国進出をねらうアメリカが、そして、すでに大きな利権をもつイギリスがいた。平時封鎖は、平時といい表わしはするものの、一方的な強力手段である。これでは、それらの国に戦争開始の意思表示とも解されかねない。国際法では、被封鎖国の意思次第で戦争行為と認めることができるという説もある。

最悪の場合、アメリカやイギリスが中華民国に与して戦いの相手国となったらどう対処するか。それに、平時封鎖は相手国に義務の不履行や不法行為がなけれぼ行なえない。そうした行為のあったとき、義務を履行させ、不法行為を防止し、すでに被った損害を補償させる目的で仕返しもしくは干渉として行なわれるのが平時封鎖である。平時封鎖に値するほどの義務の不履行ないし不法行為が中国側にあったのか、とアメリカやイギリスが正面切って問うてくればどう答えるか。

平時封鎖を使わなかったひとつはこのような不都合の生じるのを避けてのことだったかもしれない。だが、当の海軍自体、用語は遮断よりも封鎖のほうを多く部内的には用いている。交通遮断の実態が「平時封鎖と解すべきもの」だったためだろう。たとえぼ、遮断宣言後の十二年十一月二十日、支那方面艦隊司令長官から遮断に関して指揮下の第四艦隊にあてた命令がそうである。
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交通遮断の宣言

昭和十二年八月二十五日、海軍は第三艦隊司令長官長谷川中将の名でつぎのような交通遮断を宣言した。これにより、揚子江河口の上海付近から広東省の汕頭にいたる沿岸で中国の公私船舶の航行はできなくなった。この一帯は第三艦隊の警戒担当海域であった。翌二十六日には、海軍省と外務省もその宣告と同じ趣旨の声明を発表した。

本官は、昭和十二年八月二十五日午後六時以後、北緯三十二度四分・東経百二十一度四十四分より北緯二十三度十四分・東経百十六度四十八分に至る中華民国沿海を、本官の指揮下に属する海軍力を以て、中華民国公私船の交通を遮断する事を宣言す。本遮断は、中華民国船舶に対しては総て其の効力を有すべし。第三国船舶は及帝国船舶遮断区域内に出入りするを妨げず。

遮断の監視には、第三艦隊の第五水雷戦隊が充てられた。

この交通遮断ののちも戦いはっづき、戦火は広がっていった。海軍はさらに広い範囲にわたる交通遮断の必要性を認め、ふたたび交通遮断の宣言を出した。

すなわち九月五日に、第二艦隊司令長官吉田善吾中将と第三艦隊司令長官長谷川中将がそれぞれ宣言をし、海州湾(江蘇省)以北の中国沿海の警戒担当だった第二艦隊がその海州湾を起点にして北へ山海関(河北省)の東方までの遮断に当たり、第三艦隊がそれまでの警戒担当区域に合わせて海州湾を境にここから南に下る中国沿海の遮断に当たることになった。第二艦隊では第二
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水雷戦隊ほかが、第三艦隊では第一潜水戦隊ほかが監視に従った。

遮断は同日の午後六時より実施され、これで、ほぼすべての中国の沿岸は中華民国船舶に対して閉ざされてしまった。除外区域は、山東省の青島と、当たりまえといえばいえる「第三国」の租借地だけだった。租借地にはイギリスの香港(九龍を含む)、ポルトガルの澳門、フラソスの広州湾があった。

青島が外されたのは、同省の中国側を刺激しないためだった。青島居留の日本人たちは、戦火を避けようと、九月四日を最後にすでに引き揚げてしまっていた。その際、山東省主席と青島市長に掛け合い、紡績工場や鉱山施設などの日本の権益や個人財産は保護するという言質を得て、それらをそのままにしてきていたのである。

同じ五日、海軍省と外務省も宣言へのコメソト的な声明を公表した。海軍省の声明はこうである。


帝国海軍は、曇(さき)に自衛の一手段として且亦速(すみやか)に事態を安定せしめんとするの考慮に基き、支那船舶に対し、中南支沿海一部の交通を遮断せるが、更に其区域を拡め、第三国の租借地及び青島を除きたる爾余の中華民国領域の全沿岸に対し、支那船舶の交通を遮断するの措置を執るに至れり。右の措置は専ら支那側の反省を促し、速に事態を安定せしめんとするの念慮に出でたるものにして、第三国の平和的通商に対し、干渉を加うるの企図を有せざることは従前と異る所なし。
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この声明にみられる遮断が自衛のためのものであるというのは、日本の初めからの主張だった。前回のときの外務省の八月二十六日の声明にも、遮断は「支那側の不法行為に対する自衛的措置に外ならず」とあった。日本にとってシナ事変そのものが自衛権の発動とみなされていたことはすでにみた。

十月二十日、連合艦隊下から離れた第三艦隊と新設の第四艦隊を合わせて支那方面艦隊が編成された。第三艦隊司令長官の長谷川中将が支那方面艦隊の司令長官を兼ねた。長谷川中将は、第三艦隊の担当していた区域の遮断を、この日から同艦隊に代わって第四艦隊が行なうよう命じた。連合艦隊下に留まった第二艦隊はこれまでどおりの担当区域で遮断に当たった。

しかしほどなく、第二艦隊の日本国内への帰還が決まり、遮断はすべて支那方面艦隊に委ねられることになった。十一月二十日、同方面艦隊司令長官としての長谷川中将は、第二艦隊の吉田.第三艦隊の長谷川両司令長官が九月五日の宣言でなした交通遮断は、「二十日午後六時以降、本官の指揮下に属する海軍力を以て之を行う」と宣言した。遮断の任務には第四艦隊がいっさい統一的に当てられた。この宣言は、その後、支那方面艦隊司令長官が代わるたびに、新しい長官の名で繰り返された。

十二月にはいると、青島では残してきた日本の権益や財産に対する中国側の侵害が目立ってき
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た。十八日の夜から十九日の朝にかけては紡績工場が焼かれた。外務省の石射東亜局長は翌二十日にこう記す(『石射猪太郎日記」)。

青島の我工場等やかれたとの情報。青島[引き揚げ居留民代表]連中陳情に来る。愈(いよいよ)出兵となるであろう。之は蒋介石の手である。戦局更に拡大、日本コマル。滋(ここ)が彼のネライドコであろう。


山東省主席の韓復蹐癲△垢任暴酬遒砲脇蝙「叛錣Δ海箸鯡世蕕・砲靴討い拭C羆r海陵弯Δ魴鵑佑襪・譴蓮∋嚇貍覆砲い訛荵囲・海料躬愆・韻任△蝓・莽桟海侶劃垢任發△辰拭」

こうした事態にいたり、十二月二十六日、長谷川中将は同日の午後八時以降における青島の交通遮断を宣言した。これで、租借地を除き、中華民国の全船舶はすべての中国沿岸で出入りできなくなってしまった。

遮断の結果

日本海軍は、山海関の東方からフランス領インドシナ、現在のベトナムの国境にいたる全中国沿岸を封じ込むことになった。しかし、気の遠くなるほどの長い沿岸線に比べ、遮断に当たる艦艇は少なかった。絶え間のない監視が昼夜をおかずにつづいた。
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しぶきも凍る支那海の
逆巻く浪を押し分けて
敵の海上鎖(とざ)さんと
今日も見張の甲板で
睨みつづける吾が頬に
霙(みぞれ)静かに溶けてゆく

昭和十四年七月、古橋才次郎少佐は遮断任務をこう詠んだ。全五番のなかの一番である。かれは第四艦隊にあって遮断に従っていた。

遮断により、中華民国の公私船舶の多くは動きを封じられ、あるものは日本軍の手の届かない揚子江の上流に移って行った。小型の河川用船舶がほとんどであった。

そして、あるものは船籍を「第三国」に転じて航行をつづけた。こうすると船舶に遮断の効力が及ぼず、兵器、弾薬、トラツクなどの運び込みが可能となる。遮断が「第三国」の船舶の出入りまで禁じ得ないことは述べた。なお、このケースからは偽装移籍とみなされるものも出てきている。移籍船舶の問題については項を改める。

また、あるものは香港を利用して軍需物資の運び込みに従った。いわゆる香港ルートである。主要海路としては、租借地のうちの、香港だけが中国船舶に対して開かれていた。

追い込まれた搬入。これが遮断されたあとの中国側の実情だった。十四年四月当時の海軍省調
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査課長高木惣吉大佐はのちにこう伝えている(高木『自伝的日本海軍始末記」)。

全支沿岸三十五港の出入船舶は、十二年八月に比べて九月の統計は、入港一、九九六隻(約九一万トン)、出港二、一一二隻(約九一、五万トン)で三六バーセソト、六月に比べて五五バーセントに激減したのであった。

こうした窮地を免れるために中国側はふたつの方法を採った。

ひとつは、「第三国」の船舶に依頼して物資を供給してもらうことである。だが、日本の遮断宣告後、トラブルを避けるためだったろう、軍需物資を運ぶ「第三国」の船舶の出入りは少なくなっていた。

しかし、イギリスの船舶だけは搬入の割合がまだ高かった。供給をつづけるというイギリスの基本的な態度は、これまでと同じだった。

アメリカの場合は異なる。トラブルを避けようとする姿勢がイギリスよりも強かったためか、十二年九月十四日にルーズヴェルト大統領の声明が出されている。政府所属の船舶は兵器をふくむ軍需物資を中華民国へ運んではならない。その他のアメリカ籍船舶にはそうまではいわないものの、安全について政府は責任を負わない、と。

この声明の効果はあった。たとえぼアメリカ政府所有船のウイチタ号のヶースである。同年八月二十七日のこと。同号はワシントン近くのボルチモアを出港した。中華民国の依頼による拳銃
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や鉄条網、ベンガラ社製造の爆撃機一九機などの軍需品を積んでいた。

最初の遮断宣言の直後であるだけに、日本ではかなりの反響をよんだ。大統領の声明はまだ出ていなかった。

声明のあった二日後の九月十六日、アメリカ大陸を大西洋岸から太平洋岸へと抜けていたウイチタ号はカリフォルニアのサンペドロ港にはいった。しかし結局、ここで同号は積んでいた軍需品を降ろしてしまう。そして、翌々日の「東京朝日新聞」夕刊は、「米機陸揚げ」という見出しでこう報じた。

ウイチタ号船長は大統領の禁輸令によりそれらの軍需品を同港で卸し、予定の香港行を中止してマニラに向うこととなったが、ワシントンにおける消息では支那側は右の軍需品を米国以外の第三国の船に積み替えるべく奔走中であるといわれるが、これによりウイチタ号と日本海軍との間に予想された蟠(わだかま)りは解消されることとなった。

アメリカはただし、搬送制限の対象国として中華民国だげでなく日本をも加えていた。日本が軍需物資の多くをアメリカに頼っていたことからすると、ルーズヴェルト大統領の声明は日本の遮断への牽制を兼ねていたとも推測される。

さていまひとつは、陸路による運び込みである。十三年十一月には、ソ連からの赤色ルート(共産ルート)、アメリカ、イギリス、フランスからの仏印ルート(ハノイルート)、ビルマ雲南ル
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ート(ビルマルート)という援蒋ルートができていた。この四か国は常に蒋介石の国民政府を援助していた。

こうした海路や陸路による中国側の対抗に、日本軍は手を焼いた。中国軍の戦力の減殺をねらった封じ込め策がじゅうぶんに功を奏しないのである。したがって、さらにつぎの手を打たねばならなかった。中国側が主要な補給拠点として使っている港や地域に対する新たな攻略戦の展開である。

しかし、作戦が成功しても、中国側はすぐにまた別の援蒋ルートを開設してしまう。十三年十月二十一日に広東を陥落させて香港ルートを断ったときには、すでにビルマルートが設けられ始めていた。作戦が対抗策を生み、対抗策がまた作戦を生む。日本軍はこうして、戦いを重ねるごとに広大な中国大陸に限りなく呑み込まれていった。

とはいえ、海上交通の遮断が中国側にかなりの影響を及ぼしていたのも事実であった。さきには「追い込まれた搬入」といい表わしたが、だからこそ、いま述べたような対抗策が講じられたのである。
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[3387](口)遮断を侵破した中華民国船...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/13(金) 7:30 -

引用なし
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   (口)遮断を侵破した中華民国船舶

拿捕船舶調査委員会を設ける

海軍は遮断を侵破したすべての中華民国公私船舶を享捕することにした。そして、第一次の遮断宣告を行なった翌日、昭和十二年八月二十六日、拿捕船舶の取り扱いにっき、海軍次官山本中将と軍令部次長嶋田繁太郎中将の連名で、各艦隊、鎮守府、要港部、「満州国」に置かれていた駐満海軍部へ応急の指示が出された。

そして九月四日、海軍大臣米内大将より佐世保鎮守府司令長官と旅順要港部および台湾の馬公要港部の司令官に「拿捕船舶調査委員会組織の件訓令」が達せられ、同鎮守府と両要港部に拿捕船舶調査委員会が設けられた。ここで、遮断を侵破して拿捕された船舶を調査し、その結果に基づき、それぞれの船舶を抑留.保管するか、あるいは解放するかを司令長官または司令官が決定することにした。場合によっては、決定前に海軍大臣の指揮を仰ぐようにもした。

右の訓令によれば、拿捕船舶調査委員会には委員長一名と委員数名、書記数名を置いた。参謀長が委員長に、参謀その他の士官ならびに司法事務官が委員に、部下の判任官が書記に充てられた。司法事務官とは聞き慣れないが、これは主に司法行政事務を担当する行政官であり、正式には海軍司法事務官という。海軍の司法官である海軍法務官をもって充てた。

拿捕船舶の処理の規準と調査の手続きについては、同じ四日に、やはり海軍大臣の訓令が出ている。「拿捕船舶処理標準」と「拿捕船舶調査委員会調査手続」がそうである。

ところで、中華民国の船舶についてはともかく、「満州国」の場合、その船舶は拿捕.抑留の
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対象になるか。これに関しては、「拿捕船舶処理標準」の第一条が「満州国」は「帝国」つまり日本に準ずると規定している。だから、原則的に対象とならないのである。

しかし、実際には、ことはそう簡単ではなかったようだ。海軍省法務局は、旅順要港部の司法事務官に対する十三年八月十九日付の回答に寄せて、こう述べている(『海軍司法法規』)。

満州国は帝国と同様に見做される。随て満州国人所有船舶は抑留するを得ぬ。併し、山東、北支方面と満州、関東州方面とは其の地理的人種的関係より相互に往来頻繁にして、満支人の区別を為すことの困難な場合が多い。出生地、老家(先祖代々の墳墓の地)、居住地、営業の本拠のある地、妻子・財産の存在する地等を標準とし、或は本人の意思によりて決する等、種々考えられるが、一律には決し難く、要は右諸条件を考慮し、航行遮断及抑留の目的並作戦上政策上の見地より決する外あるまいと思われる。


抑留された船舶はどうなるか

抑留された船舶は保管処分に付された。交通遮断という「平時封鎖と解すべき」措置からきたものである。戦時封鎖と異なり、平時封鎖の場合、没収はできない。ことが解決したのち、抑留・保管された船舶は中華民国へ返還される。

保管中の船舶のうち、あるものは日本側で使用した。官だけでなく、民問にも貸与した。
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官では、たとえば、十二年十月十五日に馬公で抑留された赤櫛号と十三年二月十七日に同じく馬公で抑留されたペルー号のケースがある。海軍はこれらの汽船の管理を台湾総督府に委任し、国策会杜である台湾拓殖会杜に運航させている。

民問の場合には、使用料を徴収し、使用京責任をもつことを条件に使用させた。海軍が必要とするときはいつでも賃貸契約を解除する、というのも条件である。民間への貸与にっいては、海軍省軍務局長井上少将吉より文書が出ている。十二年十二月三十一日の旅順要港部参謀長あて「『拿捕船舶使用に関する件』回答」と、十三年五月十七日の台湾の台北在勤海軍武官および馬公要港部参謀長あて「抑留船舶使用条件の件」である。

ところで、中華民国は交通遮断への対抗措置のひとつとして物資の運び込みに海賊船を利用してもいた。背に腹はかえられないというところか。十四年二月十四日の「東京朝日新聞」タ刊は、海南島の攻略作戦に関連してこう報じている。

蒋政権はこの島をバックとして、安南[ベトナム]、雷州半島[広東省]よりさかんに武器弾薬の輸入を行つていたのは顕著な事実であり、一方これと相呼応して、同島を足溜りに南支那海に跳梁する海賊ジャンク[帆かけ船]が密輸入を行ったのである。

当時の中国沿岸の海賊については、こんな記述もある(海軍大臣官房『軍艦外務令解説』)。

海賊は、現今に於ては次第に其の跡を断ちたる状況なるが、独り支那沿岸近海は全く其の例
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外を為す。特に中南支沿岸近海に於て然りとす。
支那海賊は、其の沿革古く、常に官憲の無権威に乗じて其暴威を逞しくし、或る頭目の如きは数万の部下を有し、其の組織武装等、宛然軍隊たるの観を呈すと謂わる。主としてあもい厦門(あもい)の金門島、海壇島、南澳(なんいく)島、「バイアス」湾等を根拠地と為せるが如し。

海賊とは、いずれの国家の保護も受けず、公海上で不特定国の船舶に対して自由航行を危険に陥れる程度の暴行・掠奪を行なうものを指す、とおよそ国際法は教える。

そして、同法上、海賊船とその貨物は拿捕者の属する国家によって原則的に没収される。抑留ではない。海賊行為の結果として得られたものは原所有者に返される。原所有者の不明なときは国庫にはいる。ただし、中国のさきの場合の「海賊ジャンク」が国際法にいう海賊と同義かどうかは即断できない。

十三年八月十九日、享捕した海賊船の搭載する兵器類の処分に関し、海軍省法務局は各拿捕船舶調査委員会に対してつぎのように伝えた(『海軍司法法規』)。国際法の原則に準拠した解釈といえる。

該兵器は、海賊が暴行掠奪の行為の用に供し又は供せんとしたもので、所有者の発見は極めて困難なる実情にあるから、没収の上、国庫に帰属せしむべく戦利品に準じ、要港部(鎮守府)に於て適宜保管すべきものである。

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[3388](ハ)「第三国」へ転籍された中...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/13(金) 7:32 -

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   (ハ)「第三国」へ転籍された中華民国船舶の処置

「第三国」の船舶に効力は及ばない

交通遮断の効力は「第三国」の船舶には及ばなかった。遮断が「平時封鎖と解すべきもの」だったからである。

第一回の遮断宣言の翌日、昭和十二年八月二十六日の外務省の声明にも「第三国の平和的通商を尊重す云々」と述べられていた。もっともこれは、軍需物資を運ぶような非平和的通商ならば遮断の効力を及ぼすぞ、という無言の牽制ともとれる。

ともあれ「第三国」の船舶は遮断にかかわりなく航行できた。日本の海軍はその航路を変更させることも、没収も拿捕、抑留もできなかった。戦時封鎖とは異なるのである。

さらには海軍は、「第三国」の船籍であれぼ、たとい中華民国に傭船された船舶の場合でも、手出しを控えようとしていた。また、たとい軍需物資を運び込もうとしていても、原則として拿捕、抑留はしないという方針で臨んだ。馬公要港部の司法事務官にあてられた十二年十二月三十一日の海軍省法務局長潮見法務官の回答がそう語っている。

だが一方、傭船による運び込みにつき、海軍省法務局はこうもいっている(『海軍司法法規」)。

斯かる場合に出先艦船が、斯る船舶に対しても臨検、捜索を為し、事実上、其の行動を抑制することは出来るであろう。

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法務局長の回答とは一見齟齬するようにもみえる。しかし、拿捕、抑留できるとまではいっていない点で矛盾はない。その前の、臨検と捜索の段階である。最小限の方策としてまず、「第三国」の船舶に対して平時封鎖でも許される臨検を利用し、運び込みを抑制しようというわけある。遮断の性格が「平時封鎖と解すべきもの」だったことは、いくどか述べた。交通遮断の宣言後、この臨検は海軍の手で実際に行なわれている。なにはともあれ、「第三国」の国旗を掲げた船舶がほんとうに「第三国」のものかどうか、っまりは封鎖を受ける国の船舶でありはしないか、を確かめるためである。

なお、法務局の見解と異なり、国際法上、臨検につづいての捜索はできないという説もある。だがかりに、捜索して軍需物資を見つけたところでどうしようもない。平時封鎖はその名のとおり、平時のものである。平時には中立法規の発動はなく、基本的に「第三国」による軍需物資の運び込みにまで干渉できないのである。

「平時封鎖と解すべき」遮断に基づく「第三国」の船舶に対する臨検も、実施に移すに当たっては容易ではなかったらしい。このころ、海軍省の大臣官房に勤務していた杉田主馬海軍書記官は回想する(昭和五十九年、筆者あて同氏書簡)。

所謂平時封鎖施行に伴い、第三国籍船に手がつけられざるのに大苦心を致し、謀略を用い、
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米国人を説いて、第三国籍船にも臨検、積荷の処分を認めしめたる等、相当苦肉の方策を起案、実施したこと有之。

交通遮断の効力は、その後、「第三国」の船舶にも及ぶように変更される。もっとも、区域を限ってである。さきがげは、北支海軍最高指揮官という名をもって十五年二月十四日に出された布告による遮断とみなせよう。

布告には、「一切」の船舶に対し、翌十五日以降「特令ある迄」「威海衛(含まず)青島(含まず)に至る山東半島沿岸の出入を禁止す」とある。「一切」の船舶には「第三国」の船舶も含まれよう。中華民国の「一切」の船舶とは解せない。中華民国の船舶は、すでにこの区域での航行を遮断されてしまっている。対象国を明示せず、「一切」の船舶と表現したのは「第三国」への気兼ねのせいだったろうか。

そして同年七月十五日、蘆溝橋事件時に軍令部次長だった支那方面艦隊司令長官嶋田大将(進級)は、翌日の午前零時以後、浙江省の温州港や福建省の三都澳などへの、「第三国」船舶をふくめた「一切」の船舶の出入りを禁じる宣言を出す。正面切って「第三国」の船舶に対しても効力を及ぼすという遮断の宣言である。支那方面艦隊司令長官名による同種の宣言は、八月十日、十二月二十三日と、そして、それからのちにも出されている。宣言が追加されるたびに遮断の区域は広がっていった。
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日本はどんな理由で、平時封鎖のおよその原則に反してまで、「第三国」の船舶に対しても遮断は許されるとしたのか。もちろん背景には、軍需物資を中華民国に運びつづける「第三国」の船舶に対する悩みがあった。

だが、遮断宣言の対象にふくまれる「第三国」のリアクションヘの危倶はそれ以上にあったはずである。

国際法でも、平時封鎖の効果として「第三国」の船舶の出入りに干渉できるという説はある。この説は広く認められてはいないが、「第三国」の船舶に手を焼く日本はこれに与したものか。とすると、「平時封鎖と解すべき」遮断の効力を「第三国」の船舶に及ぼしたのもうなずける。あるいは、厳密には平時封鎖でなく、そう「解すべき」遮断だからかまわないとみたのかもしれない。

これに関しては、国際法の分野より、日中の戦いが事実上の戦争だったことを前提にしたいささか居直り気味のつぎのような見解も生じている(大平善吾『支那の航行権問題』)。十八年という太平洋戦争にはいってからのものである。

支那事変完遂のために航行遮断を強化するも、第三国の航行権を阻害するの違法行為となるとは言い得ない。(略)我が支那沿岸航行遮断は法理上は平時封鎖にして、その効果を第三国船舶に適用したる一の例を作ったものである。

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偽装転籍の場合

中華民国の船舶のなかには、商船だけでなく、船籍を「第三国」に移転したかのようにみせかけ、日本海軍の航行遮断をくぐり抜けようとする軍用船までもあった。これらが仮装転籍である。それはなによりも、「第三国」の国旗を僭用し、掲揚するというかたちで表われる。昭和十三年八月十四日の「東京朝日新聞」夕刊はこう伝える。

支那側の第三国国旗悪用は最近殊に著るしく、又第三国艦艇、権益の所在標識を欠くもの多く、我が作戦行動に支障を来しつつあるに鑑み、谷[正之上海駐在]公使は海軍側の要求により、去る九日、各国大公使に左の如き要望をなし、同時に日高[信六郎上海]総領事よりも上海領事団首席に対し、同様の申入れをなした。

九江漢口間揚子江上において、支那側は小型船を用い機雷施設その他軍事工作をなしつつあるところ、海軍側調査によれぼ、機雷敷設船至近の距離に於て第三国国旗を掲げ、不信の行動をなす者多数あり、右は支那軍用船が我方の攻撃を避ける為、故意に第三国旗を詐用するものと判断せられ、帝国海軍に於ては第三国艦船との問に万一にも錯誤を惹起せしめざらんがため、六月十一日付を以て第三国一般艦船の所在を逐一通報方を要求し置きたるが、前述の如き危険水面に於て不信の行動をなすものの国籍判断は、素より之を航空
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機上より識別すること殆ど不可能なるを以て、今後は一層帝国と密接なる連絡の下に艦船の所在を遅滞且つ遺漏なく通報あらんことを特に希望す。尚、識別困難なる小型第三国船は支那軍の作戦地区に行動せざるよう切望す。

中華民国船舶の「第三国国旗悪用」、つまり仮装転籍はなにもこのころに始まったのではない。交通遮断の当初よりあった。第一回の遮断宣言から一か月も経たない十二年九月十八日、外務省ははやくも、東京に駐在する関係国の大公使に政府の覚書をもって通告している。内容は、遮断の宣告ののち、第三国に船籍を移した中華民国船舶の転籍は、「関係国の国法に従い、且事実上も完全に為されたるに非ざれぼ之を」認めない。だから、「貴国政府に於ても、此種支那船舶が貴国国籍を仮装的に取得するが如きことなき」よう配慮してほしい、というものだった。

そして、転籍に疑いのある船舶は、「之が調査の為、臨検・留置等の必要なる措置を執ること」がある、と記されていた。疑いが晴れ、転籍が正当と認められた場合、その船舶は解放される。仮装転籍の事実が明らかになれば、中華民国の船舶と認定されて抑留されるのである。こうした判断はもちろん拿捕船舶調査委員会が下した。

海軍省法務局は、仮装転籍の例としてさきに示した赤櫛号とペルー号を挙げている(『海軍司法法規』)。ともにバナマ国籍を仮装していた。このほかにも、つぎのようなものを録している。十三年二月四日に抑留の、ギリシア国籍を仮装していたスパルタ号。同月十七日に抑留の、パナ
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マ国籍を仮装していたパナマ号。十四年一月九日に抑留の、ポルトガル国籍を仮装していたルソー号など。

正当な転籍の場合

仮装転籍の疑いで臨検、留置されたのち、解放されるのは転籍の正当性を認められた船舶だけである。調査に臨んでは、交通の遮断宣言後に「第三国」へ転籍された中華民国の船舶がなによりも問題となる。

転籍が有効かどうかをみるには、そのための規準がなければならない。以下に、海軍省法務局の見解を引く(『海軍司法法規』)。

「第一に、其の国籍及所有権の移転が絶対且完全に遂行せられ居ること、第二に、其の移転後、該船舶の利益を収受する者が移転前の利益収受者とは別個の者にして且事変終了後買戻の特約なきこと、の二個の条件を必要とす」るものと考えられる。

これは、昭和十三年の馬公要港部の『仮装第三国転籍船舶に関する一考察』と十四年のノルド号に対する調査書を踏まえてのものである。十三年以前の規準がどうだったかはわからない。「 」内は、踏まえた二文書のうちのいずれかからの引用だろう。ちなみに、ノルド号はパナマ国籍を仮装しているのでないかと疑われたのだった。しかしのちに、旅順要港部拿捕船舶調査委
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員会で転籍を有効と認められ、解放された。

ノルド号と同様の解放になったヶ-スはほかにもある。たとえぽ、イギリス国籍のエーシアン号である。取り調べには馬公要港部拿捕船舶調査委員会が当たった。

エーシアン号の拿捕は十三年二月七日だった。遮断をくぐり抜けるための仮装転籍の疑いだった。転籍前の船籍は中華民国にあった。馬公に連行され、調査された。だが結局、十一日には疑いが解け、十九日に解放となっている。拿捕された原因は、臨検を受けたときにエーシアン号の船長が、「同船の所有者に変動ありたる時期及其の理由等に付、明確なる答弁を為さなかった為、偽装転籍を疑われ」たことによる(『海軍司法法規』)。

真正の転籍だったのであれば、船長はこう思っていたかもしれない。イギリスはシナ事変において「第三国」である。イギリスの船舶が日本海軍の臨検を受けるすじあいはない。
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6、諸事件への対処
(イ)南京空爆の予告

避難を勧告する

昭和十二年九月十四日、第三艦隊司令長官長谷川中将は指揮下の航空部隊に、十六日以降、南京にある中国側の航空兵力と軍事関係諸機関・諸施設を空襲するよう命じた。この背景には、活発な動きをみせ始めた中国軍への危惧があった。華南にいる中国軍の空軍力が増強されつつあるという情報もはいってきていた。同じ十四日には、交通遮断に従っている第二十九駆逐隊の旗艦夕張に対する空爆もあった。

南京への空襲はこんどが初めてではない。最初のそれは一か月ほど前の八月十五日だった。その後、十数回の出撃を経て少し中断してはいたが、この際、中国の空軍力を主に広く叩いておこうというのである。南京とならんで、広東、漢口、南昌となどの航空基地ほかも空襲の目標とされた。

第三艦隊に所属する第二連合航空隊の司令官三並貞三大佐を指揮官として、三隊から成る南京攻撃部隊は、同月の十九日より二十五日にかけて一一回の空襲を行なった。延べ機数、艦上爆撃機一三七、艦上戦闘機五九、艦上攻撃機二七、水上偵察機六六、計二八九機による大空襲だった。南京の大校場飛行場、兵工廠、憲兵司令部、無線電信所、砲台、電灯廠、防空指揮所などが爆撃され、中国軍機もかなり撃墜された。だが、蒋介石はめげなかった。二十五日の空襲の日、彼は日記に、「敵はくり返し爆撃すれぼ、われわれを遷都か屈服に追い込めると考えているのだろう。
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(以下 略 powered by たなか君 by Ja2047さん)
50 hits

[3389]姑息で身勝手な軍律解釈
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/13(金) 7:49 -

引用なし
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   この本は著者も述べているように、
海軍法務部の内部資料の内容を紹介しているもので、その内容の真偽、あるいはそれを肯定すべきや否やの評価は避けています。

したがって、文章の部分部分を読むと、海軍法務部見解を肯定し宣伝しているかにも見えないことはありません。

じっさい、そのように読む人も多いでしょう。しかし私は、おおづかみに流れを読み取ると、日中戦争というものが恐ろしくも「姑息で身勝手な軍律解釈」のもとに遂行されたということを痛感します。

まさしく
(エーシアン号の)船長はこう思っていたかもしれない。イギリスはシナ事変において「第三国」である。イギリスの船舶が日本海軍の臨検を受けるすじあいはない。


さらにいえば、日本海軍が中国船舶を臨検することも、国際道義に立っての事では決してななったのです。

いっぽう今、北朝鮮に対する『制裁』と称して国連決議案の『臨検』が取りざたされていますが、国際道義に立って臨検を行なう、といっても、現実には軍事挑発の仕返しにしか過ぎないわけです。『臨検』を口実に制海=軍事的封鎖をすることなのです。 
35 hits

[3398]Re(1):姑息で身勝手な軍律解釈
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 佐藤 俊 WEB  - 06/10/15(日) 21:12 -

引用なし
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   1つお尋ねします。
ピッポさんの投稿を見ると、引用部分がはるかに多く、また本文も引用部分の紹介、感想でしかない。「本文が主、引用が従」という、引用の要件を満たしていないように感じます。
ピッポさんはこの「転載」にあたり、著者や出版社に許諾は得ているのでしょうか。ピッポさんが著者の北氏本人であるというのであれば問題はありませんが。
47 hits

[3405]Re(2):姑息で身勝手な軍律解釈
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 とほほ E-MAIL  - 06/10/16(月) 0:20 -

引用なし
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   当掲示板では著作権関連の問題に関しては、あくまで当事間での解決をお願い致しております。             著作権問題はあくまで申告罪です(違ったりして^^;         いずれにせよ、その辺で何かを聞きかじった知ったかぶりが口をだすたぐいの話ではありません。改行          もちろん、貴方の燃えるような正義感ら著作権者に通告することは一向に構わないと思いますよ。改行          ただしこの話題は何度もやっとおり態度もあきらかにしているわけで、発展性のない場合削除します。
34 hits

[3429]Re(1):緊急上網:PSI構想・...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/18(水) 8:18 -

引用なし
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   どうやら、今回の「臨検」問題は、今回の国連安全保障委員会の決議で急浮上したものではなくて、03(同15)年5月ブッシュ政権が提唱し、米軍と自衛隊との間ですでに実行予定が既成事実化している、大量破壊兵器拡散阻止構想(PSI)の具現化であるようです。

一昨年10月には横須賀で各国合同の「海上阻止(「臨検」)訓練」が行われ、去年6月にはシンガポールで阻止訓練が行われています。防衛白書掲載の写真を見たりする限りでは、海上警察行動の一環のように見えますがどうでしょうか。

米艦が北朝鮮を常駐封鎖し臨検をおこない、自衛艦がそれに給油するとなれば、それは、写真に有るようなゴムボートのイメージとは全く異なります。


防衛庁文書を見つけました。
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2005/2005/html/ryakugo.html#PSI

PSI Proliferation Security Initiative 拡散に対する安全保障構想 大量破壊兵器など関連物資の拡散を防止するために、参加国が共同してとりうる措置を検討しようとの構想


防衛白書2005
第4章 国際的な安全保障環境の改善のための主体的・積極的な取組
大量破壊兵器の不拡散のための国際的な新たな取組
(1)拡散に対する安全保障構想(PSI)
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2005/2005/html/17422300.html


防衛白書2006
第1章 わが国を取り巻く安全保障環境 
1 北朝鮮
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2006/2006/html/i1221000.html
第5章 国際的な安全保障環境の改善
3 大量破壊兵器の不拡散のための国際的な新たな取組
1 拡散に対する安全保障構想(PSI)
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2006/2006/html/i5331000.html

一部抜粋

(1)成立の背景
 ブッシュ政権は、北朝鮮、イランをはじめとする拡散懸念国などが大量破壊兵器・ミサイル開発を行っているとして強く懸念し、02(平成14)年12月に「大量破壊兵器と闘う国家戦略」を発表し、拡散対抗、不拡散、大量破壊兵器使用の結果への対処からなる包括的なアプローチを提唱した。
 この一環として、03(同15)年5月、ブッシュ米大統領は訪問先のポーランドで、拡散に対する安全保障構想(PSI:Proliferation Security Initiative)1を発表し、これらの取り組みは、本年5月現在70か国にも及ぶ国際的な支持を受けるに至った。

(2)これまでのPSIの実績とわが国の取組
 参加国は、これまでにPSIの目的や阻止のための原則を述べた「阻止原則宣言」2に同意し、PSI活動の能力向上を目的とした陸・海・空における阻止訓練を行っており、本年5月までに、図表5-3-2のとおり、計22回の合同阻止訓練が行われた。

 このような合同阻止訓練の実施に加え、参加国による総会やオペレーション専門家会合が開催され、各種検討が進められている。この結果、例えば、BBCチャイナ号事件3など、実際のオペレーション面での成功例も出てきている。
 PSIの目的が、わが国の安全保障政策に沿ったものとして、わが国は、03(同15)年5月のPSI発足当初から一定の期間、コアメンバーの一員として重要な役割を果たしてきた。
 また、現在20か国4で構成されているオペレーション専門家会合メンバーの一員として、積極的にこのPSIの取り組みに参加しているところである。

(3)これまでの防衛庁・自衛隊としての取組
 防衛庁・自衛隊としては、こうしたわが国の取り組みの中で、自衛隊が有する能力を最大限に活用しつつ、関係機関・関係国と連携し、積極的にPSIに関与していくことが必要であると考えている。
 現在までの具体的な対応としては、第3回のパリ総会から各種会合に海上・航空自衛官を含む防衛庁職員を派遣するとともに、オブザーバーを派遣し、関連する情報の収集を行ってきた。
 これらを通じて、例えば、PSI阻止活動の際に、艦艇や航空機による警戒監視活動などの情報収集活動によって得た関連情報を関係機関や関係国へ提供し、さらに、海上阻止活動では、海上警備行動が発令された場合には、海上保安庁と連携の上、海自が容疑船に対して乗船・立入検査を行うといった役割を担いうると考えている。
 この点を踏まえて、04(同16)年10月には、外務省および海上保安庁とともに、わが国主催の海上阻止訓練5を行い、その一環として、乗船・立入検査に関する展示訓練を行った。また、昨年8月、ASEANでは初めてとなるシンガポール主催のPSI海上阻止訓練に、海自護衛艦1隻、哨戒機2機を派遣するなど、積極的にPSI訓練に参加している。

(後略)

(4)今後の取組

(略)

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