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本多勝一氏から「貧困なる精神
B集」が父に贈られてきていました。
その中で父が幕府山の捕虜の虐殺人数を変えていったことが記載されています。
”「田中三郎さん」の当時のメモは1万3500人である。ところが、田中さんの証言が最初に毎日新聞で実名で報道されると、右翼や思慮浅き人々から電話や手紙による脅迫・いやがらせが相次いだ。田中さんはむろん自分一人の手で1万3500人を数えて確認したわけではない。そこで以後会う人毎に「実際は○○○人くらい」と次第に数をへらしていったらしく、秦郁彦氏には「5千〜6千」と答え、さらに板倉氏には(もし板倉氏が「証言改鼠」していなければ)「4、5千人」と答えている。(『潮』1986年11月号)”
父が電話で上記のように答えていたのは事実です。 私も数度、見聞きしていますから。 ただ、それは畠中秀夫氏の脅迫的言動により記事が捏造された以降のことです。
父は多少やけになって答えていましたから。
畠中秀夫氏の捏造記事はゼンボウ昭和60年3月号に掲載されています。
また、本多氏は板倉氏を不誠実なインチキ人間と評されていますが、私の知っている限りでは南京大虐殺の真実を明かさないことが彼らの信念なのだと思います。
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