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[3440]守山特派員は何人? ピッポ 06/10/20(金) 9:16
[3446]守山特派員のラーベインタビュー ゆう 06/10/20(金) 23:26
[3449]Re(1):守山特派員のラーベインタビュー ピッポ 06/10/21(土) 2:08
[3459]Re(2):守山特派員のラーベインタビュー 熊猫 06/10/21(土) 18:19
[3460]1月5日の守山記事 熊猫 06/10/21(土) 22:56
[3461]Re(1):1月5日の守山記事 タラリ 06/10/22(日) 2:07
[3462]Re(2):1月5日の守山記事 タラリ 06/10/22(日) 2:44
[3465]Re(3):1月5日の守山記事 ピッポ 06/10/22(日) 7:32
[3467]Re(2):シン(ド)バーグと棲霞山の難民キャンプ ピッポ 06/10/22(日) 10:01

[3440]守山特派員は何人?
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/20(金) 9:16 -

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   ラーベの日記(講談社版)1937年12月20日に、
「守山特派員」という人物が登場しています。

(前略)
午後六時、ミルズ(※W.P.Mi11s、合衆国長老派教会伝道団)の紹介で、大阪朝日新聞の守山特派員が訪ねてきた。守山記者はドイツ語も英語も上手で、あれこれ質問を浴びせてきた。さすがに手慣れている。私は思っているままをぶちまけ、どうかあなたのペンの力で、一刻も早く日本軍の秩序が戻るよう力を貸してほしいと訴えた。守山氏はいった。「それはぜひとも必要ですね。さもないと日本軍の評判が傷ついてしまいますから」

いまこうしているうちにも、そう遠くないところで家がつぎつぎ燃えている。そのなかにはYMCA会館も入っている。これは故意の、というよりむしろ当局の命令による放火ではないだろうか。
(後略)


ここでは、大阪朝日新聞の特派員となっています。
「ドイツ語も英語も上手で」とあることから、のちに朝日新聞のベルリン支局員としてナチス敗北を日本に報道した、守山義雄氏ではないかと思いますが、いかがでしょうか?

彼の行なった南京報道とはいかなるものでしょうか?
googleで「守山特派員」を見ますと、写真草稿をした「朝日の守山特派員」と、ゆうさんのサイトにある「東京日々新聞の守山特派員」がヒットします。何人もの「守山特派員」がいたかのようです。

私が一番望むことは、ラーベ会見にもとづいた記事の存在の如何を知りたいということです。
21 hits

[3446]守山特派員のラーベインタビュ...
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 ゆう WEB  - 06/10/20(金) 23:26 -

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   「東京朝日新聞」昭和13年1月5日に掲載されています。参考までに。

http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/ivhqrf/ucaqrf.html#ucaqrf
29 hits

[3449]Re(1):守山特派員のラーベイン...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/21(土) 2:08 -

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   ▼ゆうさん:
>「東京朝日新聞」昭和13年1月5日に掲載されています。参考までに。
>
>http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/ivhqrf/ucaqrf.html#ucaqrf

ゆうさん
ありがとうございました。旧思考錯誤で基本的な資料は渉猟されているのですね。

読ませていただきましたが、現在の感覚から言いますと、いったいどこにジャーナリスト精神があるのか、と訝ります。守山氏も単なる事実の歪曲者であって、彼の記事の中から真実を透かして見るのは至難の技です。

彼の著作集「守山義雄文集」も図書館で捜して読んで、戦後彼がどのように戦時ジャーナリズムを自己総括したのか、検討してみたいと思います。

しかし、

12月20日のラーベ日記
 
寧海路に着いてから、棲霞山の江南セメントエ場のシンバーグ氏と知り合った。けがした中国人を数人、南京に運ぶつもりだったという。ラジオで、南京は完全に落ち着いており、電気・水道や電話設備も正常化しているといっていたからだ。いざ来てみて、そうとうびっくりしたらしい。


と、1月5日の守山記事

南京が完全に日本軍の手に帰してから四、五日目のある夜どこからともなく「南京はまだ陥落せず、市中には電燈がつき水道も断水してゐない」といつた内容のラヂオ放送がきこえてきたが、それは恐らく国民政府側の笑止な放送であらう。


この2つの共通項は、「南京の敗北はたいしたこと無い」と、動揺を防ぐ国民政府の宣伝が直後にあったということです。ミッドウエー海戦大敗北を隠した日本国大本営と同じ心理でしょうか。
32 hits

[3459]Re(2):守山特派員のラーベイン...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/10/21(土) 18:19 -

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    う〜ん、ラーベがラジオ放送を聴いたのであれば、南京は12月18日には電気が通電していた?東中野センセの羅瑾氏の写真現像の疑問も一発で解決しますが・・・・・・・
 ラーベが福田氏と発電所の復旧について話し合ったのが、12月17日ですので守山氏の記事は不自然です。ラーベがジーメンス(シーメンス)の支社長であったことを考えれば、何らかの手を使ってラジオを聴くことが出来たと考えるべきか?
37 hits

[3460]1月5日の守山記事
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 熊猫 E-MAIL  - 06/10/21(土) 22:56 -

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   ラーベは、シンバーグから聞いた話を守山氏にした可能性がありますね。これだと電源の問題が直ぐに解決します。
 もう1つは、ジーメンスの支社長ですので技術のある部下もいただろうし、ラーベだったら何らかの方法でラジオの電源を確保することが出来たかもわかりません。但し「ある夜どこからともなく」というのは不自然ですが・・・・・。
35 hits

[3461]Re(1):1月5日の守山記事
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/22(日) 2:07 -

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   ▼熊猫さん:
> ラーベは、シンバーグから聞いた話を守山氏にした可能性がありますね。これだと電源の問題が直ぐに解決します。

関連部分の試訳です。
12/20
At 6 o'clock ,I was paid a visit from Mr. Moriyama, the correspondent of of th Osaka Asahi Shimbun, who was introduced to me by Rev. Mills. Moriyama speaks good German and English and interviews me in regular journalsitic fashion.
I do not keep my opinions to myself, and ask him to use influence to see that order is reestablished among the Japanese troops as quickly as possible. He admits that the matter is indeed urgent and crucial, since otherwise the reputation of the Japanese army will suffer.

6時にミルズ師から紹介されていた、大阪第朝日新聞の通信員、守山氏の訪問を受けた。 守山氏はドイツ語と英語を上手に話し、通常の記者のやり方で私に質問を投げかける。
私は、自分の意見を抑えたまま、秩序が日本軍部隊の間でできるだけはやく再建されるよう影響力を行使することを彼にお願いした。 彼はその件は本当に、緊急で重要だと認めた、さもなければ、日本の軍隊は評判に苦しむだろうからというのだ。

”I do not keep my opinions to myself”は「意見をぶちまけた」ではなかろうと思うのですけど。


Returning to Ninhai Lu, I make the acquaintance of Herr Brernhard Arp Sindberg of Kiannan Cement Works in Hsi Sha Shan. Sindberg had wanted to bring several wounded Chinese to Nanking, since he had heard on the radio that Nanking was perfectly calm, with its electricity and waterworks as well as its telephone system fully restored. He was not a little amazed to learn about current conditions. About halfway here he had to send the wounded Chinese back Hsi Sha Shan, since the Japanese wouldn't let him through. He took it into his head, however, that he had to press on to Nanking no matter what and walked a good part of the way before being picked up by Japanese truck that brought him safety to the North Gate. Now the question is how to get back home.

寧海路に戻って、私は棲霞山の江南セメントエ場のBrernhard Arp Sindberghy氏と知り合いになる。Sindberg氏は南京は完全に平穏で電気、水道、それに電話網も回復しているとラジオで聴いていたので、負傷した数人の中国人を南京に運ぼうとしていました。 彼は、現在の状況を知って、少なからず驚いていた。 日本軍が彼を通してくれそうにないので彼は 道半ばにして負傷した中国人を連れて棲霞山にとって返さなければならなかった。しかし彼は、なんとしてでも南京に行こうと心に決めており、歩き続けていたところ運良く日本軍のトラックに拾われて安全の内に北門まで運んでもらった。 現在、問題はどうやって戻るかということです。

#シンドバーク氏は明らかに棲霞山でラジオを聴いていた。
#ラジオが「平穏で電気、水道、それに電話網も回復している」と告げていたのは中国の放送なのだろうか。日本による放送ではないのだろうか。
36 hits

[3462]Re(2):1月5日の守山記事
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 タラリ E-MAIL  - 06/10/22(日) 2:44 -

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   ▼タラリさん:

>”I do not keep my opinions to myself”は「意見をぶちまけた」ではなかろうと思うのですけど。

勘違いでしたーぁ!
意見を憚らず述べた、ですから「意見をぶちまけた」でよかったです。


>#シンドバーク氏は明らかに棲霞山でラジオを聴いていた。
>#ラジオが「平穏で電気、水道、それに電話網も回復している」と告げていたのは中国の放送なのだろうか。日本による放送ではないのだろうか。

-----------------------
南京が完全に日本軍の手に帰してから四、五日目のある夜どこからともなく「南京はまだ陥落せず、市中には電燈がつき水道も断水してゐない」といつた内容のラヂオ放送がきこえてきたが、それは恐らく国民政府側の笑止な放送であらう。
-----------------------

南京は陥落せず、は別として、南京の電気、水道、電話の回復状況について語ることができるのは日本軍の情報を受けたものしか出来ないであろう。

国民政府がもし、この時期に語るとすれば、それは日本軍の暴虐しかテーマがない。
自らが情報源の一つも持たないのに、南京の電気、水道、電話の回復状況については語ることは出来ない。その必要もない。この時期において陥落を否定することはそれを認めたくない国民政府としても到底出来ることではない。

すなわち、守山記者は電気も来ていない、水道も断水しているという南京の現実を知っていて、ギリギリの線で真実の報道を守ろうともがいていたことがわかる。

ゆうさん、昔の話になりますが、すぐれた投稿をありがとうございました。
42 hits

[3465]Re(3):1月5日の守山記事
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/22(日) 7:32 -

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   ▼タラリさん:
熊猫さん、タラリさん、レス有難うございます。

ラーベの日記9月24日にこんなのがあります。

九月二十四日

この間の激しい爆撃のとき、ようやく防空壕から出てきて、さて音楽でも、と上海放送をつけたところ、なんとベートーベンの葬送行進曲が流れてきた。おまけにこんなコメントまで。「この曲は上海葬儀社がみなさんに心から捧げるものです」


つまり、戦局を知るために当然ラジオにも耳を傾けていたわけです。しかし、ラーベは南京陥落後、ラジオを聞いてなかったと思いますがいかがでしょうか。他の南京在留ヨーロッパ人がラジオのことに言及していますか?

12月20日、この日かそのまえ、棲霞山ではラジオが聞けて南京城内では聞けなかった。ラーベはシンバーグからきいたことも守山に話した。ぶちまけた。守山はラーベの義憤は自分の胸にだけしまって、捏造記事を書いた。後世の史家、よろしく判断せよ?と。ラジオの件も又聞きに創作を施したものということですね。
42 hits

[3467]Re(2):シン(ド)バーグと棲霞...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/10/22(日) 10:01 -

引用なし
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   なお、
シン(ド)バーグと棲霞山の難民キャンプについては、熊猫さんが以前旧試行錯誤で中国青年報の写真入り記事を翻訳されました。

静養中のとほほさんには申し訳ありませんが、今アクセスできませんが幸いにも、
Internet Archive に保存されていました。
http://web.archive.org/web/20041019002357/http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/9/uenqrf/uenqrf.html
(連続した2つの投稿をお見逃しなく)

これを私が、写真とあわせて1つの見易いページとして作成していました。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/seikasan/seikasan.htm

※こちらはアクセス可能です。翻訳するまえの熊猫さん投稿と、それに対するディスカッションです。
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/vfzqrf/vfzqrf.html#vfzqrf

※ゆうさんのサイトにも関連記事があります
3.棲霞山寺の難民避難所
http://www.geocities.jp/yu77799/kokusaiiinkai.html##seikasan
30 hits

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