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[1008]12月10日柳川部隊の兵士が書いた手紙 熊猫 05/8/26(金) 22:42 [添付][添付]
[1010]Re(1):12月10日柳川部隊の兵士が書いた手紙 熊猫 05/8/27(土) 23:02 [添付]
[1431]9月2日33連隊の軍事郵便 熊猫 05/10/14(金) 21:23 [添付][添付]
[1438]Re(1):9月2日33連隊の軍事郵便 ja2047 05/10/15(土) 6:56 [添付][添付]
[1563]12通の手紙(1938年1月29日) 熊猫 05/10/22(土) 22:02 [添付]
[1597]12通の手紙(1938年3月5日) 熊猫 05/10/30(日) 21:23
[1598]Re(1):12通の手紙(1938年3月23日) 熊猫 05/10/30(日) 23:00
[1599]Re(2):12通の手紙(1938年3月23日) ピッポ 05/10/31(月) 17:37 [添付][添付][添付]
[1600]Re(3):余談:縦書きソフト とほほ 05/10/31(月) 18:07
[1603]12通の手紙(1938年日付不明) 熊猫 05/11/3(木) 0:42 [添付]
[1606]Re(1):12通の手紙(1938年1月29日) 熊猫 05/11/3(木) 21:48 [添付][添付][添付]
[1607]良郷とはどこ? ピッポ 05/11/3(木) 23:29
[1609]Re(1):良郷とはどこ? 渡辺 05/11/4(金) 18:53
[1610]Re(2):良郷とはどこ? ピッポ 05/11/4(金) 20:17
[1614]Re(1):良郷とはどこ? 熊猫 05/11/5(土) 20:51
[1615]Re(2):良郷とはどこ? ピッポ 05/11/5(土) 22:09
[1928]1937年9月12日では? 熊猫 05/12/18(日) 4:10 [添付]
[1930]Re(1):1937年9月12日では? とほほ 05/12/18(日) 17:13
[1933]Re(2):1937年9月12日では? 熊猫 05/12/20(火) 0:23
[2014]弥太郎氏と幸子さんを引き裂いた命令 熊猫 06/1/21(土) 3:34
[1616]12通の手紙(1938年1月13日) 熊猫 05/11/5(土) 22:56
[1617]Re(1):12通の手紙(1938年1月13日) ピッポ 05/11/5(土) 23:12
[1618]Re(1):12通の手紙(1938年1月13日) ピッポ 05/11/5(土) 23:46 [添付][添付][添付]
[1619]Re(2):12通の手紙(1938年1月13日) 熊猫 05/11/6(日) 1:25
[1621]Re(3):12通の手紙(1938年1月13日) ピッポ 05/11/6(日) 9:00 [添付][添付]
[1622]Re(2):12通の手紙(1938年1月13日) ja2047 05/11/6(日) 9:19
[1623]Re(3):12通の手紙(1938年1月13日) ピッポ 05/11/6(日) 12:09
[1624]県外動員? ピッポ 05/11/6(日) 18:49
[1625]Re(1):12通の手紙(1938年1月13日) 熊猫 05/11/6(日) 19:42 [添付]
[1626]Re(2):12通の手紙(1938年1月13日) ピッポ 05/11/6(日) 21:39 [添付]
[1627]Re(3):12通の手紙(1938年1月13日) 熊猫 05/11/6(日) 22:45 [添付][添付]
[1628]12通の手紙(1938年2月7日) 熊猫 05/11/7(月) 1:26
[1629]Re(1):12通の手紙(1938年2月7日) ピッポ 05/11/7(月) 9:41
[1686]12通の手紙(1938年3月18日) 熊猫 05/11/12(土) 17:17 [添付][添付][添付]
[1692]Re(1):12通の手紙(1938年3月18日) 熊猫 05/11/12(土) 19:39
[1961]Re(1):12通の手紙(1938年3月18日) 熊猫 06/1/3(火) 23:03 [添付][添付]
[1720]12通の手紙(1938年4月11日) 熊猫 05/11/13(日) 21:42
[1721]Re(1):12通の手紙(1938年4月11日) 熊猫 05/11/13(日) 22:23 [添付][添付][添付]
[1856]12通の手紙(?年10月1日) 熊猫 05/12/8(木) 23:27
[1876]12通の手紙(?年11月27日) 熊猫 05/12/11(日) 20:28
[1881]Re(1):空軍(浅羽町史の軍事郵便) とほほ 05/12/12(月) 4:55
[1926]12通の手紙(1938年12月7日) 熊猫 05/12/17(土) 22:17
[1927]12通の手紙(1939年1月15日) 熊猫 05/12/18(日) 3:56
[1991]野砲兵第26連隊の絵葉書 熊猫 06/1/11(水) 0:24 [添付]
[2110]弥太郎氏の勇姿か?(1937年7月28日) 熊猫 06/2/20(月) 2:02 [添付]
[2582]一億人の昭和史 熊猫 06/6/4(日) 3:33 [添付]
[1565]8月19日海軍陸戦隊の手紙 熊猫 05/10/22(土) 23:04 [添付]
[1566]Re(1):8月19日海軍陸戦隊の手紙 熊猫 05/10/22(土) 23:43 [添付][添付]
[1582]Re(1):8月19日海軍陸戦隊の手紙 熊猫 05/10/27(木) 8:51 [添付][添付][添付]

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[1622]Re(2):12通の手紙(1938年1...
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 ja2047  - 05/11/6(日) 9:19 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>もしかして、初午ではないでしょうか?

初午は本来旧暦2月の最初の午の日ですから、寺社によっては3月にやるんですが、
京都では伏見稲荷が2月の初午を祝います。
節分と初午が一緒に来るところがいかにも京都人らしい季節感ですね。


>半欠け、ではないかと。

1938年1月13日の月令は12ですね、ちょうど半月と満月の間です。
片破月というのは私も聞いたことがありません。


私は最初、弥太郎氏というのは京都出身で、京都以外の他家に養子に入ったので弟さんと所属部隊が違うのかと思ったのですが、奥さんへの手紙を見ると、新婚家庭は京都にあるみたいですね。
やっぱり弥太郎氏の所属がわかりません。
京都の砲兵連隊は南京へ行ったはずなのですが・・・
 
31 hits

[1623]Re(3):12通の手紙(1938年1...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/6(日) 12:09 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>初午は本来旧暦2月の最初の午の日ですから、寺社によっては3月にやるんですが、
>京都では伏見稲荷が2月の初午を祝います。
>節分と初午が一緒に来るところがいかにも京都人らしい季節感ですね。

初午というと、路地裏のお稲荷さん(普段はだれも振り向かない)のお陰で町内会のおじさんがお菓子を配ってくれました。何月だったは覚えていません。・・・東京台東区の50年前。

>>半欠け、ではないかと。
>
>1938年1月13日の月令は12ですね、ちょうど半月と満月の間です。

すごい。


>私は最初、弥太郎氏というのは京都出身で、京都以外の他家に養子に入ったので弟さんと所属部隊が違うのかと思ったのですが、奥さんへの手紙を見ると、新婚家庭は京都にあるみたいですね。
>やっぱり弥太郎氏の所属がわかりません。
>京都の砲兵連隊は南京へ行ったはずなのですが・・・

熊猫さんによれば、第20師団。

朝鮮軍第20師団(京城・龍山)で、盧溝橋事件1937年7月7日の4日後の7月11日、現地和平協定成立したにもかかわらず、東京では、関東軍と朝鮮軍から4個師団の応急派遣を決定。第20師団は支那派遣軍の隷下となる。とのことです。

で、当時の朝鮮軍や台湾軍は、
兵士の補充はどのようにやっていたのでしょうか?
弥太郎さんは、朝鮮に籍を移していたのでしょうか?
それとも京都で朝鮮軍として徴兵されたのでしょうか? 
あるいは、将校さんだったのでしょうか?

疑問が残ります。

※ 朝鮮人の志願兵募集は、1938年12月からだそうです。
40 hits

[1624]県外動員?
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/6(日) 18:49 -

引用なし
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   県外動員の事例記事
http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/yamasenso04062.htm

山口県人の多くが朝鮮軍19師団、20師団に入営。と

京都府民もそうか?
66 hits

[1625]Re(1):12通の手紙(1938年1...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/6(日) 19:42 -

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野木将軍ではなく、乃木将軍が正しいですね(^^;
弥太郎氏の誤字を指摘しながら、私のほうが間違えてはいけませんね。
川岸部隊(第20師団)の砲兵隊といえば限定されるのですが、細川部隊外山隊今木小隊ということが解っていますので、そのうち解るのではないかと思います。
今回紹介した手紙(1938年1月13日)以降、封筒に【今木】と【大倉】の捺印があり、弥太郎氏の手紙は上官である今木氏に検閲されていたものと思います。

弥太郎氏の「御父様(源次郎氏)」「御母様」は幸子さんの両親であり、幸子さんは実家で生活しているようです。1月29日の手紙は、自分の母親ではなくて幸子さんの母親宛の手紙だったということだと思います。苗字が違うのは当然でした。

>弥太郎さんは、朝鮮に籍を移していたのでしょうか?
>それとも京都で朝鮮軍として徴兵されたのでしょうか? 
>あるいは、将校さんだったのでしょうか?
可能性は皆無ではありませんが、少なくとも将校の可能性はないと思います。1937年3月23日の時点で弥太郎氏は、幸子さんと謎の想い出を作っていましたので、召集はそれ以降であると思われます。下士官にすらなれていないのではないでしょうか。
職業軍人であったために、京都の部隊に配属されなかった可能性もあり、既に下士官あたりまで出世していたかも・・・・・・
1937年の封筒は朝鮮のものですので、朝鮮の時点で出兵していたとも考えられると思います。
23 hits

[1626]Re(2):12通の手紙(1938年1...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/6(日) 21:39 -

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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
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野砲兵第二十六聯隊営門
 
http://brown.gazo-ch.net/orz/read.php/thread/27/166603/ より


「細川部隊」は
(朝鮮京城龍山)野砲第二十六聯隊長 細川忠康大佐(当時)のようですね

http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel/hosokawa.html
70 hits

[1627]Re(3):12通の手紙(1938年1...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/6(日) 22:45 -

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細川部隊の資料がありましたので提示します。弥太郎氏の手紙では、2月7日も同じ場所に宿営しているようなのですが・・・・
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[1628]12通の手紙(1938年2月7日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/7(月) 1:26 -

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なぜか今夜は眠れないので、眠れぬままに当分の間に筆をとります。風が高粱畑に吹き付けて居ります。私らは今、戦友とともに故郷の話をして居ります、魚屋様の大阪の話しに戦友四人が面白がって聞いていると、又隣から嵯峨の植木屋様が嵐山のじまんをして故郷を思い出して居ります。
男って面白いものですね。余程恋人と善いものに見えます。
この間も隣に寝ている電気屋様に恋人の写真が来て、皆がわいわいに言ふて眠れないのですよ。
向い新屋から露営の夢という歌が聞こえております。(「露営の歌」のことと思われます)
皆が凱旋する時には、その歌を唄うことでしょう。支那酒を飲んで特務官長にしかられる魚屋様や、なかなか面白いです。しかし昨夜は歩哨に立って七星を見ていると、やはり故郷にもこの星が出ていると思うと「想うは貴女のことばかり、ああそれなのにそれなのに」
今度は皆が手紙を書き出しました、皆故郷にのこした恋人や愛妻に送る為でしょう。この間、慰問袋をもらいました。それが朝鮮部隊は朝鮮から送った慰問袋で、皆朝鮮人のばかりです。妓生さんから来た物で、電気屋様にはちり紙ばかり入っていたので皆が大笑いです。又、タオルばかり入っている人もありました。
それではこれにて当分の間ご無沙汰致します。まだまだ寒い日が続きます。貴女も十分御体を大切に、銃後の為に働いて下さい。御母様や御父様に宜しく、さようなら
                太原平□にて
    二月七日       弥太郎
幸子様

>それが朝鮮部隊は朝鮮から送った慰問袋で、皆朝鮮人のばかりです。
恥ずかしながら、このようなことがあったとは知りませんでした。どのようにして集めたのか興味があります。
21 hits

[1629]Re(1):12通の手紙(1938年2...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/7(月) 9:41 -

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   ▼熊猫さん:
>皆が凱旋する時には、その歌を唄うことでしょう。支那酒を飲んで特務官長にしかられる魚屋様や、なかなか面白いです。

特務曹長では?
正式呼称が「准尉」になっても、内務班では下士官仲間の愛称として「特務曹長」が使われたのでは?
http://www31.ocn.ne.jp/~zenibo/mclj.htm

>>それが朝鮮部隊は朝鮮から送った慰問袋で、皆朝鮮人のばかりです。

朝鮮応召組(日本人)と内地応召組(日本人)があったのですね。
(※朝鮮人志願兵は1938年12月からですから、20師団の北支動員には間に合わないか)

独身者が多い朝鮮応召組の兵隊さんには、妓生さんが「一夜妻」になってくれた。
・・・のかな?
19 hits

[1686]12通の手紙(1938年3月18日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/12(土) 17:17 -

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霊石という場所は、ネットでも意外と簡単に探せました。とても景色の良いところですね。行ってみたい場所がまたひとつ増えました。霊石県の静升鎮は素晴らしい!今回は画像で我慢するか.......。

この霊石という所は、山の上に寺があります。その寺の中に、一つの石があるのです。その石が年中うなっているのです。それでこの所の名を、霊石と言うのだそうです。
本日の命令で四五日の内には南へ向かって前進、出発致します。この所は第百十四師団が警備に付くことになり私等の本隊はすでに南へ四十里、平陽におります。第一回の行軍はそこまで行きます。第三大隊は本日、郭□と言ふ処にて戦闘しているはづです。郭□には敵が四十万人余居るそうです。第三大隊が郭□を占領した後、平陽で落ち合うことになっております。
それより南へ処の名は知りませんが、三十里程の処で又、久しく待機することになって居ります。なかなか凱旋できるようなことはありません。また夏服を着るような事になるかも知れません。
何分、不在中は宜しく御願いします。
私は益々元気です。貴女も御身大切にそれではこれにて、当分ご無沙汰致します。石橋様や吉田様に宜しく、五条のお母様の事をたのみます。
    三月十八日夜    弥太郎
幸子様


18 hits

[1692]Re(1):12通の手紙(1938年3...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/12(土) 19:39 -

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   >また夏服を着るような事になるかも知れません。
夏服どころか、冬服を着る事になります。
37 hits

[1720]12通の手紙(1938年4月11日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/13(日) 21:42 -

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御母様、御書面を有難く拝見致しました。□月五日の御はがきは昨日(四月十日)に受取りました、どうも手紙が後や先になって、三月の手紙など二三日前に受取っておりますのに、この手紙は後になっております。その後、御母様には御無事でなによりです。色々と御世話になりまして誠に申訳御座いません、今しばらく宜しく御願い申し上げます。
先月、吉野の方に行かれたそうですね、御親類の皆様は御無事ですか、伯父様の□□益々御繁栄の御事と存じ上げます。
暖かくなりましたね、吉野の桜花は今が見頃でしょうね。この北支那にも春が来りました、今迄寒い時は一本の青い木もなかったのですが、あの頃から大分南へよっているためでもありますが、今の頃は野には□が長くのび、それになたねの花が咲き乱れて、誠に春らしい気候です。どちらを向いても青々として、誠に良い気分がいたします。
御書面で何を送りし良いのかとの、おたずね有難う御座います。今ではこれと言ふている物もありませんから御心配御無用に願います。それに早や凱旋の日も遠くない事と思はれます。
吉田様が第二回目に御送り下さいました、小包は今に入手致す事と存じます。石橋様の小包もまだです。其の内には受取る事ができると存じて居ります。
啓三様は毎日元気で学校に通って居られる由、安心致しました。
御母様にも御身大切に益々御健勝を御祈り致します。私は益々元気一パイ軍務に服し居ります、御父様に宜しく、皆様に宜しく。
    四月十一日        弥太郎
□月五日の御はがきは昨日(四月十日)に受取りました、どうも手紙が後や先になって、三月の手紙など二三日前に受取っておりますのに、この手紙は後になっております。
日本から戦地への手紙の、配送期間が記述されています。早く出せば先に着くとは限らなかったようです。また小包は手紙よりも届くのに時間がかかったようです。

川岸師団長時代の弥太郎氏の手紙は、これが最後です。つまり年代がはっきりしているのはこの手紙までということです。
22 hits

[1721]Re(1):12通の手紙(1938年4...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/13(日) 22:23 -

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今回の弥太郎氏の手紙は、青いインクの万年筆で書かれています。また、幸子さんの母親宛に出すこともあるのでしょうが、いつもよりも丁寧な文字で書かれており誤字も少ないのが特徴です。十分な灯りのある部屋で、机で書かれたものではないかと思われます。比較的読みやすい文章なのでアップしてみました。私が解読できなかった箇所には、赤線を引いていますので、皆さんも是非悩んでみてください(^^)


23 hits

[1856]12通の手紙(?年10月1日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/8(木) 23:27 -

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八月八日出の航空郵便正に入手致しました。何事かと驚きましたが、私の御無沙汰をお尋ね下され有難く御礼申上げます。私等が不便な処に居る為か、航空便が九月三十日に受取りました。時によっては並みの手紙と変わらないようです。先日御手紙を出しました、敵戦闘に次ぐ戦闘の為、似外の御無精を致し深く御わびいたします。前日より又一戦闘をいたし、只今は早や北に二十余里の基地に、益々元気に軍務に服し居ります。八月の中旬までの御手紙は、全部拝見致しました。幸子には色々と苦労をかけて誠にすまない事と想って居りますが、凱旋帰郷致しました節は、一生懸命に働いて之の御恩を御かへし致します。何分とも今しばらく宜しく御願い申上げます。
早いものです、暑い暑いと言ふた山西の夏の日も今は虫なく、秋の気候となりました。皆様には之の季節替りに、十分御気を御付け下さい。
私は益々元気で居ります。幸子が家に帰りました節には宜しく御つたへ下さい。
御身大切に又の日に
     十月一日     弥太郎
御父様
幸子さんのお父さん(源次郎)に出した手紙です。この時期、幸子さんは別の家で生活をしているようです。
この手紙の年代は不明ですが、牛島部隊となっているので、1938年10月1日と思います。
27 hits

[1876]12通の手紙(?年11月27日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/11(日) 20:28 -

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   其の後はお変わりありませんか、私も相変わらず元気です。だいぶ寒くなりましたね、御身御自愛下さい。
今日弐拾円送金致しました、御受取の説は御一報願います。
久し振りで写真を撮りましたから同封致します。鉄帽が少し深くて目が見えないようです。軍刀は戦友の借物です。この次には上手に写します、この写真は戦友等に借物の部隊長と言ふ名がついております。男前が悪いのでしかたありません。
待ちに待っている小包はまだ到着しません、書簡とは少しおくれますから今月の末か今月(来月?)の始には受取る事と思って居ります。
今頃(近頃?)毎日午前中は馬術で午後になると道路工事をして居ります、角力の土俵を造ったり中々土方が上手になりました。風呂場を造ったり兵隊はなんでもやります。
追々野球などできるようになります。ピンポンなどして居ります。この頃は私等の宿営地の上を友軍の荒鷲が某地に爆撃を行いし為に通過します。空軍は勇ましいですね、御地の新聞には出ている事でしょう。
それでは、また後便に小包の着く日をまって居ります。御父様御母様によろしく私は之の写真のように元気です。本格の寒さになってきます。御身大切に凱旋の日をお待ち下さい。
                      弥太郎
  十一月二十七日
幸子殿


 戦場は何でもあり!の世界であることがこの手紙で判ります。弥太郎氏は砲兵ですが、馬術や工兵のように土方までしています。残念ながら手紙に書かれている写真は手許にはありませんが、誰が日本刀を持って写真に写っていても不自然ではないことがこの手紙でわかります。
日本軍には空軍は無かった?
 みなさんご存知のように、日本には組織としての空軍はありませんでした。しかし言葉としての空軍はありました。日本兵は航空部隊のことを空軍と呼んでいました。今回の弥太郎氏の手紙からもそのことが判ります。
16 hits

[1881]Re(1):空軍(浅羽町史の軍事郵...
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/12(月) 4:55 -

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   ▼熊猫さん:
> みなさんご存知のように、日本には組織としての空軍はありませんでした。しかし言葉としての空軍はありました。日本兵は航空部隊のことを空軍と呼んでいました。今回の弥太郎氏の手紙からもそのことが判ります。

「その時歴史は動いた」の批判スレッドで渡辺さんの記事中で紹介されている田村貞雄さんのサイトに南京虐殺のことが書いてある軍事郵便のページがあるのですが、そこを改めて読んでいましたら、やはりこの軍事郵便でも「空軍」と呼んでいました。
[今いるところは天津であるが、毎日天津より南西の二十里位の所の列車警備に行くのですが、実弾がビューと音立てて走って来るのですこぶる気持ちが悪いよ。(中略)天津でも毎日毎日便衣隊が我々の手に捕われるのですが、道路上で皆銃殺してしまいます。幾日も幾日も置いて紫色にくさった様を見て、初めは食事もとれませんでした。しかし今は何とも思いません。故郷の方でも相当騒いだことでしょう。天津の戦いは、大きな建物は我が空軍の為に全部破壊されまして見るも哀れな姿です。今いるところは金坊という会社である。此の会社でもやられて非常なる損害を受けたそうです。]
浅羽町史の軍事郵便より

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[1926]12通の手紙(1938年12月7日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/17(土) 22:17 -

引用なし
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随分寒さも厳しくなりましたね。其の後御変わりありませんか、私は相変わらず軍務に励んでおります。
只今居る処は、京都とは気候の変わりはないと思います。まだ氷の張っているような寒い日はありません。
この分なら去年のような寒い日は無いと想はれます。安心して下さい。
待ちに待っている小包はまだ到着しません。今日は来るか明日はと毎日首を長くして待って居ります。子供のようです。
亦、写真を写しましたから御送りします。前よりは良く撮れて居ります。貴女も写真を撮ったら一枚御送り下さい、第二回目の新年を戦地で迎へます。淋しい時もあります、一度顔が見たいものだと思ふような時もあります。
今はこれと言って変わった事もありません。其の内には良いたよりができる事でしょう。この手紙が着く頃には、年末の買出しで御忙しい時でしょう、今しばらく御苦労ですがガンバッて下さい。
御身を充分大切に御父様と御母様に宜しく。
送金は到着しましたか、其れでは次の日に
   十二月七日     弥太郎
 幸子殿
第二回目の新年を戦地で迎へますと記述されていますので、1938年であることが解ります。
19 hits

[1927]12通の手紙(1939年1月15日)
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/18(日) 3:56 -

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   弥太郎氏の手紙は今回で最後になります。手紙には、日付は書かれていませんが封筒に日付が書かれていました。
久しく御無沙汰致しました。輝く新春も今日は小正月です、軍隊でも今日は赤飯を食いました。今日は沢山の手紙が到着しました、貴女からの手紙も三日出のものと六日の書面を受取りました、有難う。
其の後、私も相変わらず元気一パイ軍務に服し居ります、御安心下さい。
写真を見る貴方の元気な様子に安心致しました。細くやせて居ると心配ですが、良く肥えて居る写真を見て安心致しました。
其の後御父様や御母様は御元気ですか、啓三様も良く写って男前になりましたね。先に御送りした御金の返事は、御父様より早く今の月の始には受取りました。今年の正月は、便利の良い処に居る御蔭で色々と沢山な物を支給され、恤兵品も沢山いただきました。酒などは一人に五合余も洽おされ、遠きこの戦地でこの様な正月のできるのも、皆銃後の御支援の御かげと深く感謝致し居ります。
正月の元旦と二日はまだ部隊が残敵掃蕩の為、行軍中で四日の日に全部隊も帰り良い正月を致しました。四日の午前に遠く東の空に近い(誓い?)遥かに遥拝式を致し天皇陛下万歳を三唱致しました。続いて隊長の勅諭奉読式がありこの記念すべき戦■の新年を祝いました。
只今では毎日之と言ふ目に立つ仕事もなし、午前中は馬術などして午後は時々野球などして遊んで居ります。近く亦古い人が○○(ママ)ですから其の中には私の戦友もあり、一度家に立ちよっていただくつもりです。其の時には色々と御話しして下さる事と思います。
今年は昨年より南に居る為か、暖かい日が続い<て>居ります、京都より暖かいように思はれます。内地の皆様が思って居られる程、寒い事はありません。
只今では後方の便利も良くなり、皆々や品物が買へるので御金は前のように貯金などできなくなりました。この間、妹から手紙が来て京都は中々寒いように書いてありました、仕事などは忙しいように書いてありましたので安心致し居ります。
其の内に亦、御身大切に
結局、弥太郎氏は幸子さんと生きて再び会うことができたのか、興味のあるところですがノンフィクションの辛いところで解りません。検閲が厳しくなったのでしょうか、弥太郎氏の手紙から所在地などの地名が記述されなくなっています。内地からの手紙が10日以内で兵士の手許に届くことがあるとは私としては意外でした。
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[1928]1937年9月12日では?
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/18(日) 4:10 -

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再度、注意して封筒を観察しました。9・12と読める文字があり、この手紙は9月12日に書かれた手紙のようです。
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[1930]Re(1):1937年9月12日では?
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/18(日) 17:13 -

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   ▼熊猫さん:
>再度、注意して封筒を観察しました。9・12と読める文字があり、この手紙は9月12日に書かれた手紙のようです。

[9-12]と読んだのでしょうかね?
でもこれ、この方がソロバンの経験があるなら、ソロバンで使う数字にも見えます。
ソロバンだとこれは[712]もしくは[7/2]と読めると思います。
2の書き方もソロバンで使う書き方なんですよね、でもわからないけど。9よりはソロバンの7の方が近いようにも見える。
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[1933]Re(2):1937年9月12日では?
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/20(火) 0:23 -

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   ▼とほほさん:
>▼熊猫さん:
>>再度、注意して封筒を観察しました。9・12と読める文字があり、この手紙は9月12日に書かれた手紙のようです。
>
>[9-12]と読んだのでしょうかね?
>でもこれ、この方がソロバンの経験があるなら、ソロバンで使う数字にも見えます。
>ソロバンだとこれは[712]もしくは[7/2]と読めると思います。
>2の書き方もソロバンで使う書き方なんですよね、でもわからないけど。9よりはソロバンの7の方が近いようにも見える。

寒くなりましたね、秋ですね。北支では夜間は京都の十一月の時節です。
というのが最初の手紙の書き出しです。10月前後と考えたほうが妥当ではないかと思います。何かの記号のようにも見えますね。
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[1961]Re(1):12通の手紙(1938年3...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/1/3(火) 23:03 -

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自転車部隊が活躍したようです。弥太郎氏の手紙は霊石陥落後20日以上経過して書かれたものです。弥太郎氏の手紙は山西作戦の小さな記録でしょうか、「霊石の包囲攻略戦」とコメントがあるから提示したものの霊石と思って大丈夫か?
「支那事変郷土部隊写真史 両角部隊戦況と銃後の実況」福島民放社(1938年6月10日発行)より引用


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[1991]野砲兵第26連隊の絵葉書
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 熊猫 E-MAIL  - 06/1/11(水) 0:24 -

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時代は解りませんが、盧溝橋事件以前のものではないかと思います。
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[2014]弥太郎氏と幸子さんを引き裂い...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/1/21(土) 3:34 -

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   第20師団(人員9,804名 馬1,741頭)
師団長:川岸文三郎中将(15期)
師団司令部---参謀長:杵村久藏大佐(25期)・参謀:牧野四郎大佐(26期)・北川潔水中佐(28期)・向田宗彦少佐(32期)
--歩兵第39旅団---旅団長:高木義人少将(19期)
----歩兵第77連隊---連隊長:鯉登行一大佐(24期)
----歩兵第78連隊---連隊長:小林恒一大佐(22期)
--歩兵第40旅団---旅団長:山下奉文少将(18期)
----歩兵第79連隊---連隊長:森本伊市郎大佐(24期)
----歩兵第80連隊---連隊長:鈴木謙二大佐(23期)
--騎兵第28連隊---連隊長:岡崎正一中佐(22期)
--野砲兵第26連隊---連隊長:細川忠康大佐(24期)  弥太郎氏の部隊
--工兵第20連隊---連隊長:南部薫大佐(22期)
7月16日に衛戌地を出発し19日には主力は天津、一部は唐山、山海関に集結し27日の本動員により、輜重兵第20連隊、第20師団通信隊、衛生隊、野戦病院、兵器勤務隊も派遣されました。20師団といえば中国に着くや否や郎坊事件(25日)ですから、騒がしい部隊ですね。
臨参命五十七号(7月11日)
命令
一  第二十師団ヲ北支那ニ派遣ス
二  第二十師団長ハ成ルヘク速ニ北支那ニ到リ支那駐屯軍司令官ノ隷下ニ入ルヘシ
   満支国境通過ノ時ヲ以テ支那駐屯軍司令官ノ隷下ニ入ルモノトス
三  細項ニ関シテハ参謀総長ヲシテ指示セシム
この短い命令がその後の二人の運命と、日中両国の歴史を大きく変えることになるとは・・・・・
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[2110]弥太郎氏の勇姿か?(1937年7...
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 熊猫 E-MAIL  - 06/2/20(月) 2:02 -

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 提示した写真はアサヒグラフ臨時増刊『北支事変画報 第二輯』-16-よりスキャニング致しております。キャンプションは「南苑を砲撃する我が砲兵部隊(七月二十八日)」となっています。
 川岸部隊細川部隊!
 そうです!これは弥太郎氏の野砲兵連隊の写真なのです!このなかの一人が弥太郎氏・・・・・・・・かも知れません。まあ私としましては、弥太郎氏の細川部隊(野砲兵第二十六連隊)の写真と記事を見つけただけでパブロフの犬のように反射的に投稿してしまいました(^^)。
 最近、タイトルだけは三流週刊誌レベルまで向上したなと自己満足しています。これもひとえに否定派の先生諸氏のおかげと感謝しています。そして文章内容のレベルの低さも否定派諸先生の、指導の賜物と有難く思っております。
1938年1月29日の手紙より
しかし新聞を見ると南京の事ばかりで、我々の占領した太原方面の事があまり出て居ないのでそれが残念です。そして砲兵の事は少しも出て居ないので誠に残念ですが、我々砲兵の働きが如何に我友軍をたすけたか、砲兵があればこそこの大きな戦勝が出きたものと思います。
凱旋致しましたら大いに砲兵のじまんを致しますつもりです。
新聞ではありませんが、アサヒグラフにありました。デカデカと写真つきで砲兵の活躍が書かれています。
 さて、次回は弥太郎氏の意外な一面を知ることになります。セコイ次回予告を入れるのは、ある右翼の弟子とのやり取りで覚えました(^^)。
 
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[2582]一億人の昭和史
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 熊猫 E-MAIL  - 06/6/4(日) 3:33 -

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『一億人の昭和史 日本の戦史 3 日中戦争1』
毎日新聞社 38p

中国第38師・第132師主力のいる南苑を攻撃した第20師団は28日午後1時 早くも占領 北平方面へ後退した中国軍は駐屯兵旅団に捕捉され29軍副軍長とう凌閣  132師長趙登禹以下5000が戦死  第26野砲兵連隊の三八式野砲
 おお、もしかするとこの中の一人は弥太郎氏かも!?
 野砲兵第26連隊と記述するべきでしょうが、それよりも「改造三八式野砲」と思っていたのですが「三八式野砲」とは(驚)!


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