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[2388]東中野教授の新作 ja2047 06/4/29(土) 22:02 [添付]
[2389]Re(1):東中野教授の新作 とほほ 06/4/29(土) 22:44
[2400]Re(2):東中野教授の新作 ピッポ 06/5/1(月) 16:58
[2414]Re(3):新しくもなんともないネタ ピッポ 06/5/2(火) 11:09
[2433]お可哀想に、ニ少尉遺族の方々 ピッポ 06/5/3(水) 0:11
[2434]Re(4):東中野某は筆を折れ! フナずし 06/5/3(水) 0:12
[2435]Re(4):新しくもなんともないネタ 渡辺 06/5/3(水) 3:19
[2484]Re(1):東中野教授の新作 熊猫 06/5/9(火) 0:37
[2485]ヤバ!訂正します。 熊猫 06/5/9(火) 0:55
[2492]Re(2):東中野教授の新作 渡辺 06/5/10(水) 0:56
[2493]Re(3):東中野大々教授は、こころの入れ替えでしょうか? ピッポ 06/5/10(水) 20:29
[2504]Re(3):東中野教授の新作 熊猫 06/5/14(日) 1:10

[2388]東中野教授の新作
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 ja2047  - 06/4/29(土) 22:02 -

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「25歳が読む南京事件」を探しに書店に行ったところ、これを見つけて早速購入しました。
ひとまずゆっくり読みます。


25 hits

[2389]Re(1):東中野教授の新作
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 とほほ E-MAIL  - 06/4/29(土) 22:44 -

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   ▼ja2047さん:
>「25歳の見た南京事件」を探しに書店に行ったところ、これを見つけて早速購入しました。
>ひとまずこれからゆっくり読みます (^^

ふーん、「国民党極秘文書ですか?」(笑)
ま、確かに国民党は早い時期から日本の戦争犯罪調査をしています。
1942年1月に戦犯処罰を宣言したセント・ジェームス宮殿の会議(注1)にオブザーバーとして出席していた中国代表は、この宣言の原則に同意し、日本に対してもこれを適用する意志を表明した。そして同年春には外交部(外務省)に日本の戦争犯罪の情報を収集する機関を設置した。長年にわたり日本による侵略を受けていた中国にとって、日本軍による被害は深刻であった。行政院などでも資料の収集に努めたが、日本軍の占領下で具体的な証拠を集めることは難しかった。その後、43年6月に政府を挙げての新たな調査機関を設けることを決定、44年2月に行政院の指導の下に外交部、司法行政部、軍政部などが参加して敵人罪行調査委員会が重慶に設置された。43年10月に発足した連合軍戦争犯罪委員会の下部組織である極東太平洋小委員会が、中国の主張に基づいて重慶に設置され(44年5月設置決定、11月に発足)、両者は協力して戦争犯罪の調査に当たった。
(注1)つまりアジア太平洋戦争開戦時、連合軍の戦争目的がドイツや日本の行っている戦争犯罪を断罪することであったことを表す宣言です。(とほほ注)
「BC級戦犯裁判」林博史著、岩波新書
多分、その「国民党極秘文書」ってのはこのときの調査資料のことではないですかね?(笑)
というのも国民政府の戦犯裁判もかなりその処置は寛大です。南京軍事裁判にしろあれだけの大虐殺を行いながら死刑判決はたったの4人です。中国の戦犯裁判は他の米英の戦犯裁判に比しても圧倒的に無罪判決が多いです。中京政府の行った太源・瀋陽の二つの裁判にいたっては死刑判決0、多くの戦犯が寛大な待遇と処分であったことは中期連・受け継ぐ会会員であればご存知の通りです。

しかし、中共の寛大判決と国民政府の判決を同一視することは出来ません。国民政府の戦犯裁判は八路軍支配下における戦争犯罪に対してはほとんど関心を示していないばかりか、国共内戦に追われ日米の協力を必要とし、ついに台湾に脱出直前にはほとんど審理のないまま次々と無罪判決を出しています、しかも審理の間に合わなかった戦犯に対しては中共政府の強い反対に関わらず500百数名の戦犯を日本に引き渡してしまってます。

つまり、国民政府の無罪判決には政治的な意図がはっきりと示されているだけの話で中共との内戦で戦犯裁判にかまっていられない状況にあり日米の協力が必要である、と言う事情があったということですね。

中華人民共和国成立時にはしたがってその支配化には日本兵の戦犯は一人もいなかったのです。国民政府とは別の軍閥の指揮下で戦闘を続けていた日本兵が太源へ、シベリアから受け継いだ戦犯が撫順へ送られて中華人民共和国の戦犯裁判が行われたわけです。

この辺の事情さえ抑えておけば、トリックにごまかされることもないでしょう。どうせ東中野のことです。無罪判決や連合軍指揮下の資料収集であったことを根拠にでっち上げ説や戦争犯罪はなかった説を展開しているのではないですかね?ま、読んでみないことにはなんとも言えませんが、よく知られている資料を「極秘」だとか「新資料」だとかのパターンには読む気さえ起こりません。(笑)
26 hits

[2400]Re(2):東中野教授の新作
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 ピッポ E-MAIL  - 06/5/1(月) 16:58 -

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   ▼とほほさん:
>▼ja2047さん:
>>「25歳の見た南京事件」を探しに書店に行ったところ、これを見つけて早速購入しました。
>>ひとまずこれからゆっくり読みます (^^
>
>ふーん、「国民党極秘文書ですか?」(笑)

私は今、目次だけを読みました。

=========
目次

極秘文書発掘…………プロローグに代えて
現在の南京大虐殺の根拠となった『戦争とは何か』
極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』を手にして
やはり『戦争とは何か』は対敵宣伝本だった
国際宣伝処ができるまで
第二次上海事変の勃発から日中全面戦争へ
南京死守か放棄か
国民党中央宣伝部国際宣伝処の成立
国民党中央宣伝部を率いた董顕光と曽虚白
巧妙な国際宣伝
キリスト教団体を使っての宣伝活動
外国人記者の記事に対する厳格かつ綿密な検査
対敵宣伝の狙い
南京大虐殺が報じられるまでの序曲
南京でお茶会と記者会見が開催される
避難民の人口
安全地帯の範囲
ラーベ委員長の周辺
中国兵を武装解除し安全地帯の中に入れてしまう
南京戦の敗北を想定していた中央宣伝部
スティール、ダーディン両記者が「南京大虐殺」を報じる
中央宣伝部は「南京大虐殺物語」を虚報と認識していた
宣伝本『戦争とは何か』を改めて検証する
中央宣伝部は南京大虐殺はなかったと考えていた
戦時国際法から見た陥落後の中国兵
中央宣伝部は日本軍による処刑が合法か検討していた
中央宣伝部が処刑を合法と考えていた更なる証拠
戦争プロパガンダの視点に立って……ほか

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421488X/ref=pe_snp_88X/250-217 7042-4182601
=================================

新資料は赤字のところだけ?
新資料といっても「・・・を検証する」の冒頭部分の焼き直しでしょうか?
それとも、深く引用分析しているのでしょうか?

そうしてあとは膨大な、東中野妄想集でなければよいですね。
前作のように。
読まずに言ってはいけないのでしょうが。
31 hits

[2414]Re(3):新しくもなんともないネ...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/5/2(火) 11:09 -

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   ところで

「中央宣伝部国際宣伝処工作概要(二十七年迄三十年四月)」 って、北村稔が『発掘』したんでなかったっけ?

それとも、東中野修道が発掘したのを北村稔がさきに本にしてしまったので、東中野がこんかい「改めて発見者自ら書き下ろした」ってことですか??

いずれにしても、新しくもなんともないネタなんですね。

参照
タラリさんのページ
http://www.nextftp.com/tarari/
http://www.nextftp.com/tarari/timperley.htm
渡辺さんのページ
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/
35 hits

[2433]お可哀想に、ニ少尉遺族の方々
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 ピッポ E-MAIL  - 06/5/3(水) 0:11 -

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   お可哀想に、
向井、野田ニ少尉の遺族は、
第二審に対するなんら有効な支援もなかったのに、
突然、
『最後の勝利を目指す決起集会』と称して、
大阪、山口、福岡と、
じつは、東中野大センセの出版記念講演の前座、
本の宣伝のために引き回されています。

引き回しである証拠にか、
東京では判決後の集会までは何もやらないそうです。

http://hpmboard3.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ICB63781
1291. Re: 行事予定(1) 支援する会
1292. Re: 行事予定(2) 支援する会
39 hits

[2434]Re(4):東中野某は筆を折れ!
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 フナずし  - 06/5/3(水) 0:12 -

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   ▼ピッポさん:
こんばんは、フナずしです。


>「中央宣伝部国際宣伝処工作概要(二十七年迄三十年四月)」 って、北村稔が『発掘』したんでなかったっけ?
>
>それとも、東中野修道が発掘したのを北村稔がさきに本にしてしまったので、東中野がこんかい「改めて発見者自ら書き下ろした」ってことですか??
>
>いずれにしても、新しくもなんともないネタなんですね。
>
>参照
>タラリさんのページ
>http://www.nextftp.com/tarari/
>http://www.nextftp.com/tarari/timperley.htm
>渡辺さんのページ
>http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/

お二人のページは僕も拝見しました。豊富な資料引用でデマを一つ一つ丁寧に退けているというのに、この自称教授ときたら…

こんなことを懲りもせずに繰り返す東中野某はさっさと筆を折るべきですな。
38 hits

[2435]Re(4):新しくもなんともないネ...
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 渡辺 E-MAIL  - 06/5/3(水) 3:19 -

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   ▼ピッポさん:
>「中央宣伝部国際宣伝処工作概要(二十七年迄三十年四月)」 って、北村稔が『発掘』したんでなかったっけ?

大騒ぎしたのは、東中野先生が最初です。
が...資料は井上久士氏が、東中野先生より先に見つけています(^^)
『現代歴史学と南京事件』をご覧ください。

Wikipedia のほうに概要を書いておきました。(もともとあった「とんでも」記事を編集したもの。)
『WHAT WAR MEANS』に関する議論
---
「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(台北・党史館所蔵)という1941年に作成された文書は、国際宣伝処が『外国人目睹之日軍暴行』("What War Means"の中国語書名)を宣伝書として編集印刷したとしている。(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』p.265-6)また、国際宣伝処処長曽虚白の回想記『曽虚白自伝(上集)』に「ティンパーリーとスマイスに金を払って目撃者として二冊の本を書いてもらった」記されていることから、北村稔は、これら二つの資料の背後には国際宣伝処が控えていたとする。(『「南京事件」の探究』p.43-4)しかし、渡辺久志は、曽虚白がティンパーリーを日本軍占領下の南京にいたとする誤りを前提として語っていることなどを指摘、この証言には問題があるとする。また、曽虚白はティンパーリーが当時、中央宣伝部と関係あったとしていないとして渡辺は北村説に疑問を投げかけている。(『季刊 中帰連』21号 2002・夏, p.69-72) また、井上久士は「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史档案館所蔵)に「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあり、曽虚白の回想記の「二冊の本を書いてもらった」という記述は誤りとしている。(『現代歴史学と南京事件』p.249)
---

もっとも、「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」にも疑問がないわけではありません。「南京大屠殺」というような言葉は1941年以降のものではないかと思います。
1941年頃に中央宣伝部が『外国人目睹中之日軍暴行』をリプリントし、その際、1938年夏に撮影された日本軍の暴行写真を加えたというのが私の仮説です。『外国人目睹〜』は左派の人士によって出版されたものなので、戦後の軍事裁判では英文原書から『日軍暴行記実』という題名で(徐『安全区档案』もなぜか混在させ)部分を訳しなおしたと推察しています。(南京の軍事裁判では国防部による原書からの翻訳が使われています。)
39 hits

[2484]Re(1):東中野教授の新作
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 熊猫 E-MAIL  - 06/5/9(火) 0:37 -

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   この本の出版のことは知りませんでしたので、とりあえず取り寄せることにしました。
GWは先月ゲットした『惜春賦(わが青春の思い出)』六車政次郎を読んでいたため潜伏しておりました(^^)。『万葉集』を戦地に持参するほど歌をつくるのが好きな六車氏は野田氏とは非常に親しかったんですね。暇を見てネタ出しします。

向井氏=銃剣道三段!→関の孫六
野田氏=薩摩示源流の達人!→波平
山本七兵=兵役検査乙種合格→ただの軍刀
・・・・刀だけではなく身体能力も違う山本氏が己の経験で、他人を評価するとは笑止!
28 hits

[2485]ヤバ!訂正します。
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 熊猫 E-MAIL  - 06/5/9(火) 0:55 -

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   ×山本七兵
○山本七平
おすすめ本『にせユダヤ人と日本人』浅見定雄(朝日文庫)
35 hits

[2492]Re(2):東中野教授の新作
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 渡辺 E-MAIL  - 06/5/10(水) 0:56 -

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   ▼熊猫さん:
>この本の出版のことは知りませんでしたので、とりあえず取り寄せることにしました。

すでにYahoo!オークションで 700円だったかで出ていました。
あわてて新品を買うほどの内容の本ではありません。
昔からの持論と新展開の妄想(「読み解く」は、すなわち妄想)の炸裂が主たる内容です。
例の、ベイツ顧問説のもととなった新聞切り抜きの写真が掲載されているのが、目新しいところです。
34 hits

[2493]Re(3):東中野大々教授は、ここ...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/5/10(水) 20:29 -

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   ▼渡辺さん:
>例の、ベイツ顧問説のもととなった新聞切り抜きの写真が掲載されているのが、目新しいところです。

これは例の、原典出所を書かないで他人の再検証の便宜をはからわない、東中野大々先生の真骨頂のところでしたね。新聞名も発行年月日も記さないでいたのが、切り抜き写真として掲載されていたのですか。なるほど。

大々先生は、そうした『学者』様にはあるまじき(とうてい修士は落第)習癖を、こころを入れ替えて、脱却したのですか?
33 hits

[2504]Re(3):東中野教授の新作
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 熊猫 E-MAIL  - 06/5/14(日) 1:10 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>すでにYahoo!オークションで 700円だったかで出ていました。
はい!落札させていただきました(^^)。ちなみに『証拠写真』は200円で出ていましたので、慌てずに待てばよかったと後悔してしまいました。

>あわてて新品を買うほどの内容の本ではありません。
この本の150pに「新民門」の記載された地図があります。新民門の場所が解からずに苦労して調べて、やっとの思いで試行錯誤で公開したのが4月28日で、東中野本が出版されたのが5月2日です。ゆうさん達の話では出版日以前からあったそうですので、少々残念ですが「新民門」の場所を確定できたという意味に於いて価値があったかと思います。150pの地図も「鐘阜門」を間違えています・・・・・
36 hits

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