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[2596]捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/7(水) 9:06
[2598]Re(1):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/7(水) 20:38
[2600]Re(2):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/8(木) 3:32
[2601]Re(3):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/8(木) 7:26
[2602]Re(3):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/8(木) 21:44
[2603]Re(4):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/9(金) 15:16
[2604]Re(5):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/9(金) 17:16
[2610]Re(6):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/10(土) 10:58
[2612]Re(6):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/10(土) 13:49
[2614]Re(7):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/10(土) 20:50
[2619]Re(8):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/11(日) 17:39
[2624]Re(7):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/12(月) 5:02
[2625]Re(6):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/12(月) 7:26
[2633]Re(7):捏造原稿のコピーについて 核心 06/6/16(金) 23:40
[2644]Re(7):捏造原稿のコピーについて: 4列50m 渡辺 06/6/22(木) 22:52
[2645]Re(8):捏造原稿のコピーについて: 4列50m タラリ 06/6/23(金) 13:18
[2646]Re(9):捏造原稿のコピーについて: 4列50m 核心 06/6/23(金) 14:38
[2647]Re(10):捏造原稿のコピーについて: 4列50m 核心 06/6/23(金) 15:05
[2650]Re(10):捏造原稿のコピーについて: 4列50m タラリ 06/6/23(金) 22:45
[2654]Re(11):捏造原稿のコピーについて: 4列50m 核心 06/6/24(土) 2:29
[2659]阿羅聞き取りの解析 タラリ 06/6/25(日) 18:35
[2660]Re(1):阿羅聞き取りの解析 タラリ 06/6/25(日) 18:58
[2664]Re(2):阿羅聞き取りの解析 核心 06/6/26(月) 1:49
[2665]Re(2):阿羅聞き取りの解析 核心 06/6/26(月) 2:29
[2661]Re(1):阿羅聞き取りの解析 核心 06/6/25(日) 21:18
[2666]Re(2):阿羅聞き取りの解析 タラリ 06/6/26(月) 12:29
[2669][投稿者削除]
[2670]Re(4):阿羅聞き取りの解析 とほほ 06/6/26(月) 21:28
[2671]Re(5):阿羅聞き取りの解析 核心 06/6/26(月) 22:40
[2672]Re(6):阿羅聞き取りの解析 とほほ 06/6/26(月) 22:57
[2674]Re(7):阿羅聞き取りの解析 核心 06/6/27(火) 4:18
[2662]Re(1):阿羅聞き取りの解析 核心 06/6/25(日) 21:29
[2746]Re:核心さんへのお願い ピッポ 06/7/7(金) 6:41
[2748]いいですよ 核心 06/7/7(金) 8:25
[2749]Re(1):いいですよ ピッポ 06/7/7(金) 10:17
[2751]Re(2):いいですよ 核心 06/7/7(金) 10:47
[2752]Re(3):いいですよ ピッポ 06/7/7(金) 11:53
[2784]テストリライトについて ピッポ 06/7/9(日) 13:18
[2785]テストリライト(1)捏造原稿のコピーについて ピッポ 06/7/9(日) 14:21
[2795]南京関係の本 核心 06/7/10(月) 0:21
[2786]Re(1):テストリライトについて 核心 06/7/9(日) 16:29
[2789]Re(2):テストリライトについて ピッポ 06/7/9(日) 18:08
[2788]テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について ピッポ 06/7/9(日) 18:04
[2834]Re(1):テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について 核心 06/7/13(木) 9:09
[2840]Re(2):テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について ピッポ 06/7/13(木) 9:35
[2841]Re(3):テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について 核心 06/7/13(木) 10:15
[2842]Re(4):テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について ピッポ 06/7/13(木) 10:35
[2843][投稿者削除]
[2844][投稿者削除]
[2846][投稿者削除]
[2847][投稿者削除]
[2848]Re(9):テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について 核心 06/7/13(木) 14:13
[2849]Re(10):テストリライト(2)畠中秀夫氏の捏造記事について ピッポ 06/7/13(木) 14:29
[2851]記事の引用・転載について とほほ 06/7/13(木) 14:48
[2853]Re(1):記事の引用・転載について 核心 06/7/13(木) 15:50
[2855]Re(2):記事の引用・転載について とほほ 06/7/13(木) 16:34
[2854]Re(1):記事の引用・転載について 核心 06/7/13(木) 16:16
[2856]Re(2):記事の引用・転載について とほほ 06/7/13(木) 16:45
[2857]各社などの対応 核心 06/7/13(木) 19:10
[2858]Re(1):各社などの対応 ピッポ 06/7/13(木) 20:59
[2860]Re(2):各社などの対応 核心 06/7/13(木) 23:26
[2862]ヒツウチ表示の無言電話 核心 06/7/14(金) 2:29

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[2661]Re(1):阿羅聞き取りの解析
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 核心 E-MAIL  - 06/6/25(日) 21:18 -

引用なし
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   ▼タラリさん:

>外部に対して証言を始めてから間もない時期であるだけに、記憶はそれ以後よりも保たれています。

私は貴兄が何を言いたいのか分かりません。
私が書いてきたことを読んで、そのような事を言われているのですか?
何度も言うようですが父(栗原利一)が毎日新聞と本多氏の取材に応じたのは私が基本的に賛成していたからです。
昭和59年8月7日の夕方には他の兄弟も家に来て、それ以降はすでに任意で話せる状況ではなくなっています。
(少し補足をしますと父の名刺に書いた日付は全く正しいかは疑問の感じているところがあります。勿論、最初に取材に来られたのは毎日新聞の福永氏ですし、本多氏の取材に応じるように勧めたのは私です。柿を荷造りするころとは10月に入ってからになります。私は日々両親と暮らしていますので脅迫手紙は多々目にしていますし、いろいろな電話があったことも事実です。なにをおっしゃりたいのか貴兄の意図が分からないのですが。)
73 hits

[2662]Re(1):阿羅聞き取りの解析
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 核心 E-MAIL  - 06/6/25(日) 21:29 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:

まず、残桜会関係の資料から分かることは昭和47年当時に残桜会の連中に幕府山の捕虜虐殺を聞き取り調査すること自体が馬鹿げたことだということです。
強盗に「強盗しましたか?」と聞くようなものでまともな回答が返ってくるハズがないじゃないですか。
申し訳ないけど私の説明が終わるまで干渉しないでいただけますか。
質問なり反論はそれから受け付けます。
68 hits

[2664]Re(2):阿羅聞き取りの解析
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 核心 E-MAIL  - 06/6/26(月) 1:49 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:

>本多聞き取り(五十九年九月七日、十四日)が出てきた。

本多氏の聞き取りは私の記憶では8月7日、午後ですし、本多氏の名刺の日付によっても8月10日です。
私はある理由から私の記憶が正しいと考えています。
結論から言いますと遅くとも8月10日には本多氏の聞き取りは完了しているのです。
それも私の「歴史的なことなので事実を正確に話した方がいい」とのアドバイスつきで。
なんで小平市剣友会元会長、小平市福島県人会元会長、警察で40年(?)、自民党員暦40年(?)の超保守の人間が左翼系(?)ジャーナリスト本多勝一氏に詳細に虐殺の模様を語る合理的な理由があるのですか?
それはただ一つ、長い間同居して家族を支えている息子からの勧めがあったからですよ。
(そこいらの事情は家族のプライバシーに関することなのでこれ以上は言いません。)
77 hits

[2665]Re(2):阿羅聞き取りの解析
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 核心 E-MAIL  - 06/6/26(月) 2:29 -

引用なし
パスワード
   ▼タラリさん:

本多氏の聞き取りの経緯については別の掲示板でも書き込みをしたと思いますが以下の通りです。

私の記憶では8月7日の午前中に父から、少し心配そうな声で「本多勝一さんと言う人から電話があったんだけど?」から始まって午後に取材に来られると言った相談がありました。
それで私は『さすが、本多勝一、他紙の朝刊にも目を通している』と考えたのですから。
父には(表現は悪いのですが)何食わぬ顔して「歴史的なことなので正確に話しておいた方がよい。」と答えておきました。

本多氏は午後1時ころに来られて夕方になる前に帰られました。
私は『思ったより、短いな?』と感じたのですが。

誰にしても突然訪ねて来た見ず知らずの人に幕府山の虐殺のようなことを理由も無く詳細に語ることは無いでしょう。
74 hits

[2666]Re(2):阿羅聞き取りの解析
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 タラリ E-MAIL  - 06/6/26(月) 12:29 -

引用なし
パスワード
   ▼核心さん:
>▼タラリさん:
>
>>外部に対して証言を始めてから間もない時期であるだけに、記憶はそれ以後よりも保たれています。
>
>私は貴兄が何を言いたいのか分かりません。

私の書き込みがお気にさわったようで申し訳ありません。
質問、意見はしばらく控えさせていただきます。
核心さんの発言が終わりましたら、またよろしくお願いします。
74 hits

[2669][投稿者削除]
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   - -

引用なし
パスワード
   この書き込みは投稿者によって削除されました。(06/6/26(月) 22:29)
79 hits

[2670]Re(4):阿羅聞き取りの解析
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 とほほ E-MAIL  - 06/6/26(月) 21:28 -

引用なし
パスワード
   ▼核心さん:
>そんなものも私は学者でも無いので真剣に議論するつもりはありません。

えっと、一応管理人として道案内させていただきます(^^ゞ

基本的に「議論」をすることは構わないです。ただ、レスポンスした方に議論の相手をしてもらおう、ということではない。ということです。今回もタラリさんは核心さんに議論を吹っかけているわけでも反論しているわけでもありません。タラリさんの論考を投稿しているわけで、それが核心さんの主張に対する反論を形成していたとしても核心さんに訂正を求めているわけではないわけです。

核心さんの論考同様にタラリさんの論考も大変為になります。当思考錯誤では投稿者(今回の場合は核心さん)の投稿の意図がどこにあれ、それへの反論、批判、同意、共感を表現することは全く自由です。もちろん、核心さんが「もう少し反論は待ってくれ」と他投稿者諸氏に依頼することも自由です。

真実を追究するのに「(俗に言うプロの)学者」である必要はないと思います。こと歴史問題に関しては当掲示板では真摯に追求していく姿勢は大歓迎です。忘れないでいただきたいのは当掲示板は「肯定論者」の集う場所ではなく「真実を追究する人々」が集う場所です。
84 hits

[2671]Re(5):阿羅聞き取りの解析
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 核心 E-MAIL  - 06/6/26(月) 22:40 -

引用なし
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   ▼とほほさん:

失礼しました。
でも南京大虐殺で「肯定」でない「真実」なんて考えられるのですか?
想像できないです。
82 hits

[2672]Re(6):阿羅聞き取りの解析
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 とほほ E-MAIL  - 06/6/26(月) 22:57 -

引用なし
パスワード
   ▼核心さん:
>でも南京大虐殺で「肯定」でない「真実」なんて考えられるのですか?
>想像できないです。

全くおっしゃるとおりだと思います。
しかし「否定論vs肯定論」と言う図式で議論していては、相手(否定論)の思う壺、です(^^;
そういう図式を成立させること自体が「否定論という立場」を認めていることになります。
ですから、それを「批判」と感じたのであれば、批判に対しては真摯に向き合い、反論と感じたのであれば、それにも真摯に向き合い、互いに切磋琢磨し、真実に近づいていくのではないのだろうか?と、私ごときは思います(^^ゞ

#簡単に言えば、大前提としてこの掲示板の論者は「否定論」という立場を認めてません、その上での議論です(笑)
また、「否定論」と言う言葉の意味は本来「南京事件はなかった、あった」と言う論理構成の上に立つのではなく「あったとされる事実を否定するための論理の脆弱性」と言う意味合いもあるのです。
83 hits

[2674]Re(7):阿羅聞き取りの解析
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 核心 E-MAIL  - 06/6/27(火) 4:18 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:

ついでに言わせてもらっておきます。

天皇主権国家→ポツダム宣言受諾→国民主権国家

という流れで日本人は国民主権国家になれたと言うことです。
日本人は「日本人自身の手では国民主権国家には辿りつけなかったのだ」と言う程度のことは認識しておきべきだと言うのが私の持論です。
俗に言う日本国民は主権を「負け取った」と言うことです。

私はたまたま栗原利一の息子なのでいろいろ知ってしまっているので仕方なく南京大虐殺の個人的PR活動をしているところです。
天皇主権国家ではこれだけ恐ろしいことが出来ちゃったのだよ、そして国民も天皇もそんなことは知らなかったのだよと言うことですね。
でも国民主権国家でも相変わらず人権侵害メディア、大政翼賛メディアによって国民はほとんど南京大虐殺を理解してないんだよ、恐ろしい国ですねえ、お馬鹿な国民ですねえ、ってとこですかね。
89 hits

[2746]Re:核心さんへのお願い
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/7(金) 6:41 -

引用なし
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   ▼核心さん:

 先日は、CD有難う御座いました。
 郵送料ぐらいはカンパしなければと思いながら、今日にいたっています。申し訳ありません。

 私は核心さんの、このスレッドと畠中スレッドを読ませていただいています。そこでお願いというか提案です。

(1)核心さんがここに書いていらっしゃるような内容の文章は、引用が多く、引用の中に引用があり、最近の忍耐力の無い若者にはとても難しいものと成ります。いたしかたないことです。
 そこでわたしが、引用文や注釈文を色分けして、編集させていただきたいと思ったのです。お許しいただけば、この掲示板に貼って、核心さんの御校閲をいただきたいと思っています。

(2)2つめのお願いは、
 いずれ核心さんの原稿は、K-Kさんのサイトに上梓されると期待しておりますが、そのさいには、この『捏造原稿のコピー』の写真も「証拠」として絶対に載せていただきたいのです。
 公安とかに盗まれぬよう、K-Kさんに撮影していただくとか、信頼の置ける面識ある個人に託したほうがいいでしょう。
 といいますのは、例の阿羅健一「南京 事件 日本人48人の証言」(2002年、「聞き書き 南京事件」の増補改訂版)が、WEBの若者達のあいだで大手をふるって歩いているからです。御父君の証言を贋造した男の聞き書きが、まるで「歴史の真実」であるかのごとく、です。


 核心さん、勝手なお願いですが、検討してくだされば幸いです。
62 hits

[2748]いいですよ
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 核心 E-MAIL  - 06/7/7(金) 8:25 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん:

>そこでわたしが、引用文や注釈文を色分けして、編集させていただきたいと思ったのです。お許しいただけば、この掲示板に貼って、核心さんの御校閲をいただきたいと思っています。

私から記事のコピーと原稿のコピーをお送りしましょうか?
その方が貴兄も編集しやすいでしょうから。

>2つめのお願いは、写真も「証拠」として

私がデジカメで撮ってお送りしておきます。

捏造記事の強要などと言うものには法的保護に値する利益などと言うものは全くありませんし、むしろ公序良俗違反として見逃すべきものではありませんから。
64 hits

[2749]Re(1):いいですよ
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/7(金) 10:17 -

引用なし
パスワード
   ▼核心さん:
>私から記事のコピーと原稿のコピーをお送りしましょうか?
>その方が貴兄も編集しやすいでしょうから。

いや、『編集』というのはこの場合、印刷物の為の編集ではなく、WEBページや掲示板に乗せるための、HTML「見栄え」の編集です。
ですから、原稿はすでに核心さんがここにお書きになったもので充分です。
核心さんの書き込みを僭越ですが読みやすくしようという試みです。


>>2つめのお願いは、写真も「証拠」として

>私がデジカメで撮ってお送りしておきます。

でしたら、デジカメで撮った写真の電子データ(JPGファイル)を紙焼きにせず、データのままこの掲示板に添付ファイルとして、核心さん自身がUpしたらいかがでしょうか。

核心さん自らUPすることにより、証拠価値は高まるとおもいます。
雑誌記事のコピーなども、デジカメで撮ったものをUPすれば良いと思います。

写真データのアップの仕方がわからなかったら、仰ってください。

>捏造記事の強要などと言うものには法的保護に値する利益などと言うものは全くありませんし、むしろ公序良俗違反として見逃すべきものではありませんから。

当然です。
61 hits

[2751]Re(2):いいですよ
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 核心 E-MAIL  - 06/7/7(金) 10:47 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:

>核心さんの書き込みを僭越ですが読みやすくしようという試みです。

これは全然構いません。
そのように解釈していましたから。
ただ原稿の小文字の部分や私の記入のミスがある場合に貴兄が手元にコピーがあったほうが修正がしやすいと考えたのですが。

>証拠価値は高まるとおもいます。

正直なところ、畠中氏の原稿のコピーは、一枚ごとに捺印された原稿のコピーです。
いくら記事が捏造であるとはいえ、そのような原稿をネット上に晒すようなことは信義上、問題があるものと考えます。
基本的には証拠として保持していたいと考えています。
65 hits

[2752]Re(3):いいですよ
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/7(金) 11:53 -

引用なし
パスワード
   ▼核心さん:

>ただ原稿の小文字の部分や私の記入のミスがある場合に貴兄が手元にコピーがあったほうが修正がしやすいと考えたのですが。

それは予めお示しますから、ご校閲下さい。

>いくら記事が捏造であるとはいえ、そのような原稿をネット上に晒すようなことは信義上、問題があるものと考えます。
>基本的には証拠として保持していたいと考えています。

それは勿論、核心さんのなすがままです。
67 hits

[2784]テストリライトについて
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/9(日) 13:18 -

引用なし
パスワード
   テストリライトについて
===========

核心さんはこの掲示板で、御父君栗原利一の証言を捏造した資料の内容を、公開しました。

思考錯誤
[2596]捏造原稿のコピーについて
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2596;id=sikousakugo#atop
につづくスレッドです。

核心さんはその後、捏造者が畠中秀夫氏であることを図書館で確認しました。
>「ゼンボー昭和60年3月号」の畠中秀夫氏
だと

そして、別のスレッド
[2658]畠中秀夫氏の捏造記事について
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2658;id=sikousakugo#2658
において、活字化された記事と、先の「捏造された原稿のコピー」との比較検討をしています。

私は、核心さんの了解を得て、
核心さんの論考のなかの引用関係や「原稿」と「記事」の異同比較を明瞭にしたく、HTMLタグを用い

て視覚的色分けなどを試みました。

======

以下に、核心さんに校閲していただくためのテスト投稿いたします。
よろしくご高閲ください。


なお、
核心さんは、「捏造に苦慮した部分は細かい文字での挿入文が多用されています。」とおっしゃっていましたが、私にはかならずしも明確ではありません。該当個所をご指摘して下されば幸いです。

もしも、ご指摘自身が面倒であれば、
原稿のコピーのコピーをメール又は手紙で下さるようお願い申し上げます。


この件につきましては、一旦、核心さんからの申し出をお断りしましたが、作業を進めていくうちにその重要性を痛感しました。核心さんには、私の不明を深くお詫び申し上げます。

=========

また、この掲示板読者の中に、

>「ゼンボー昭和60年3月号」の畠中秀夫氏

の記事のコピーをお持ちの方がいましたら、ご連絡書き込み下さるようお願い申し上げます。
54 hits

[2785]テストリライト(1)捏造原稿...
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 ピッポ E-MAIL  - 06/7/9(日) 14:21 -

引用なし
パスワード
   テストリライト(1)
==============
捏造原稿のコピーについて
==============
[2596]捏造原稿のコピーについて
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2596;id=sikousakugo#atop
につづくスレッドのうち、核心さんの報告部分をリライトしました。


#001-------------------------------------------------------[2596]



 私の父(栗原利一)の証言は毎日新聞、朝日ジャーナルに記事が掲載された後にいろいろな方に捏造されてきたことはOFF会で述べた通りです。---#k001

 自宅まで来られた方で父の証言を捏造された方の原稿のコピーが、つい最近見つかりました。作成者は不明です。多分、父に取材後に確認の意味で送られてきたものだと思われます。---#k002

 原稿は女性の筆跡で清書されたものです。---#k003

 筆者が捏造に苦慮した部分は細かい文字での挿入文が多用されています。---#k004

 原稿のコピーを見ただけでも外観的に捏造であることの分かる文面になっています。どの部分が父と長年暮らして来た者として不自然であり、ここ数年、父と話している話と食い違うか説明して行きたいと思います。---#k005

 40ページにわたる原稿ですので最初の部分から記述してゆきたいと思います。---#k006


 昭和12年12月に日本は中国の首都南京を陥落させたが、後にこの時、大虐殺がおきたとされた。この南京大虐殺に関しては林房雄氏が15年ほどたってからおおよそ次の様に述べている。
 「かくすことも誇張も必要ない。日本人自身の手によってはっきりさせるべきだ」
今から20年前のことである。---#n001

 私は林氏のこの意見には全く同感で、しかもこの林房雄氏の問題提起に結論は出たと思っていた。しかし、新聞、教科書などをみていると社会一般は私の思っていたものとちがうようだ。そこで私なりに南京大虐殺について調べ始めた。改めて当時書かれたものや戦後発表されたものを読むと百人百様である。当時の南京を詳しく述べているのに虐殺については一言も言及してしていない書物もある。これらを別にしても、南京で殺された人は百人か2百人という人から30数万人という人まで様々である。---#n002

 既に歴史上の出来事になっている訳でもないのにあまりにもくいちがっている。そう思った時、まだ当時の南京を知ってる人がいるだろうから直接その人に会って確かめるのが手取り早いと思った。昭和12年12月に南京に行った人は20才すぎの若い兵隊から60才の松井中支派遣軍総司令官まで、多くの人がいた。それから47年。大東亜戦争緒戦の嚇々たる戦果、敗戦、経済困窮、高度経済成長、石油ショック、様々な出来事があり、ほぼ半世紀を経過している。---#n003

 当時もっとも若かった人でも既に68・9才になっており、大部分は既に亡くなっている。しかし誰もいない訳ではなく、この半年の間に10人ほどの人に会えた。会っただけでは無意味なので聞き書きをしてそれを公表するようにしている。この聞き書きはその一部である。---#n004

 第65連隊の兵士として南京攻略戦に参加した栗原利一さんを知ったのは毎日新聞の社会面に載った記事からである。昭和59年8月7日の毎日新聞に次の様な見出しが載っていた。---#n005
 
 南京捕虜1万余人虐殺
 元陸軍伍長、スケッチで証言


 ドキッとするような見出しである。内容は東京小平市に住む栗原利一さん(73才)の話と証言で、記事によると南京攻略中の第13師団(仙台)の第65連隊(会津若松・連隊長両角業作大佐)は12月14日、南京城外の幕府山で1万3千余名の捕虜をとらえ、17日か18日にこの捕虜を揚子江岸につれて行き、四方から一斉射撃をして殺した。---#n006

 栗原さんも65連隊の一兵士として捕虜を連行し射殺した。栗原さんはそのことを自ら証言し、当時書いたスケッチも証拠としてもっている、というものである。証言するにいたった動機は「真実はきちんと後世に伝えたい」からと毎日新聞は伝えている。---#n007

 幕府山の捕虜については既に当時から知られており、昭和12年12月の東京朝日新聞は鳥龍山、幕府山で14、777を捕虜にしたと伝えていた。また福島民友新聞社の昭和14年の戦史は2万人の捕虜があったと伝えている。この捕虜戦果が捕虜虐殺に一転したのは20年後である。昭和12年当時福島民友新聞の記者だった秦賢助氏が昭和32年の「日本週報」に「捕虜の血にまみれた白虎部隊」と題する回想記を書き、その中で12月15日、白虎部隊は2万の捕虜を虐殺したと暴露した。白虎部隊とは65連隊の編成地からとった別称である。---#n008

 昭和40年、福島民友新聞は第65連隊についての歴史「郷土部隊戦記」を連載した。これは微に入り細に渡ったもので、両角連隊長、従軍作家、兵士ら健在であった多数の証言をてらしあわせた正確なものであった。この中ではさきほどの秦氏の証言をもとりあげ、昭和12年当時秦氏は従軍しておらず、虐殺はなかったと断定している。昭和47年、洞富雄氏が自著「南京事件」のなかで再び1万4千余人の捕虜のことをとりあげた。---#n009

 洞氏は「東京朝日新聞」と「日本週報」は知っていたが「郷土部隊戦記」のことは知らないらしく、自著「南京事件」の冒頭で冒頭でこの捕虜がどうなったかと疑問を投げ、結局虐殺されたといっている。その直後、鈴木明氏が南京大虐殺のルポルタージュにとりくみ「”南京大虐殺”のまぼろし」を発表した。この時は両角部隊長は亡くなっていたが、その上にあたる山田栴二旅団長は86才で健在で、鈴木氏は福島、仙台に行って取材をしている。それによれば8千人くらいの捕虜を揚子江の向こうに釈放する途中暴動がおき混乱の中で射殺した、ということであった。---#n010

 鈴木氏の著書はベストセラーになった上、今も文庫本になって読まれているのは言うまでもない。この鈴木氏の説が今では定説になっている。---#n011

 今回の栗原さんの証言と証拠はこれを覆すものである。鈴木氏のルポルタージュは何人かからの取材である。一方、栗原さんの証言は一人ではあるが当時のスケッチという証拠もある。どちらが正しいのだろうか。どちらかに虚偽の証言があるのか。---#n012

この部分は父の証言はありませんので特に説明することはありません。---#k007


#002-------------------------------------------------------[2598]




 あるいは間違って記憶していたのか。さもなくば記者による何らかの操作か。これらのうちのどれかしかない。一体どれなのか私は確かめたかった。そしてそれ以上に、栗原さんが当時の南京を知っていると聞いたからには是非会わねばならないと思った。---#n013

 毎日新聞に載っていた住所をたよりに、一度お会い出来れば、と葉書を差し上げた。一週間たっても二週間たっても返事はこない。折から「朝日ジャーナル」では本多勝一氏が「南京への道」を連載中で、さっそく21回目(9月7日号)と22回目(9月14日号)でこの証言をとりあげた。---#n014

 栗原さんは「南京への道」では田中という仮名で登場、捕虜全員虐殺というストーリーの中で決定的な証言をしている。朝日ジャーナルによれば、証言するにいたった動機は

 「南京陥落後、無抵抗の捕虜を大量処分したことは事実だ。この事実をいくら日本側で否定しても、中国に生き証人がいくらでもいる以上かくしきれるものではない。事実は事実としてはっきり認め、そのかわり中国側も根拠のない誇大な数字は出さないでほしいと思う。

 あと20年もたてば、もう事実にかかわった直接当事者は両国ともほとんどいなくなってしまうだろう。今のうちに、本当に体験した者が、両国ともたがいに正確な事実として言い残しておこうではないか。真の日中友好のためにはそのような作業が重要だと思う」

 ということである。また朝日ジャーナルには、「もし田中さんに何らかの連絡をとりたい方があれば、責任ある手紙をくだされば仲介しますが、匿名など不審なものは黙殺します」とあった。---#n015

 私は本多氏に今まで何度か質問、依頼などしたことがある。無視されるか、せいぜい3ケ月以上たってから印刷物が送られてくるだけである。いそがしい人だから、それは仕方がないが、今回は念のため仲介を希望した。しかし、3ケ月以上も待てないので迷惑だろうとは思いつつも直接栗原さんの家に伺うことにした。ウィークデーのある日、地図をたよりに郊外を走る私鉄のある駅におりたった。しかし、捜す家は見当たらなかった。新聞に載っていた住所にそんな家はないのである。---#n016

 あの住所は本当なのかと思いはじめた。そんなことがあってから数日、ひょんなことから栗原氏に関してもう一つの住所がわかった。葉書を出すとともに今度は日曜日に伺ってみた。毎日新聞に載っていた住所は故意かミスか新しく聞いた住所と微妙にちがっていた。新しい住所は同じ駅をはさんで逆と方向である。こんどは簡単に見つかった。しかし留守らしい。玄関の小さな電気はついているがベルを押しても誰も出て来ない。30分ほどまわりをうろうろしていたが結局あきらめた。翌日、おもいきって電話をかけてみた。---#n017

 奥さんがでてきて、栗原さんは旅行中で今夜帰ってくる、あすの朝もう一度電話を下さい、という。なんとか会えそうな気がして来た。翌日、9時すぎ電話をすると栗原さんが電話口に出た。奥さんから既に聞いていたらしく、こちらの用件はわかってくれたが会いたくないという。私の一方的なお願いだからそういわれるととりつく島もない。栗原さんの都合のいい時間で結構ですからとくいさがる。あすは剣道大会の審査、あさっては会合、と連日予定があり無理だという。---#n018

 それなら今日はどうですか、と伺うと11時10分に出かけるからだめだという。じゃその前に10分だけでも、とお願いするとあきらめたらしく本当に10分だけですよと承諾してくれた。それでもすぐこれるか、とか乗り換えが大変だ、とか断りたいらしくいろいろと言う。すぐ行きます、と答えると11時までに来てほしいという。そうすれば10分間の時間はある訳だ。新宿でなく高田馬場から急行に乗れば早いともいう。こっちからみれば一度行っているから栗原さんの玄関がチラチラしている。---#n019

 大丈夫、わかります、といって電話をきった。もうその時は靴をはいていた。地下鉄、国電、私鉄とすべてタイミングが良く、栗原さんの門の前に立ったのは10時10分だった。一分ほどはずむ息を静めながらベルを押した。栗原さんが出てきた。予想以上に早いのでびっくりしている。---#n020

 「娘に柿を送ってやろうと思ってね」
といいながら梱包していた箱を片付けて居間にとうしてくれた。---#n021

 駅の近くで買い求めた菓子折りをさしだすと
 「いただく筋のものではありません」
と断られた。二千円ほどの菓子折りは、一方的に訪問して話を伺うことに対しての気持ちであり、常識的なことであろう。どういう訳か栗原さんはかたくなっている。その上
 「簡単にお願いします」
と機先を制せられた。---#n022

 「わかりました。お聞きしたいことが二十くらいありますので一つ三十秒づつどんどんお聞きしたいと思います」
と答えた。居間に通してくれたものの栗原さんは中腰で顔と口調は緊張している。---#n023

 「何を知りたいのですか」つっけんどんな言葉がとんでくる。「栗原さんの体験したことは毎日新聞と朝日ジャーナルを読んで充分知っています。それでもよくわからないところがありますのでお聞きしたいのです」---#n024


 父の名刺に日付が書いてあるので分かったのですが毎日新聞の福永平和氏が来られたのは8月1日です。本多勝一氏が来られたのは8月10日です。8月7日に毎日新聞に記事が掲載されてからは脅迫手紙や脅迫電話がひっきりなしに続いていましたので柿の荷造りの時期には父はこの件ではどなたともお会いしたくなかったと思います。直接の証言には言及されていませんのでこの部分も特に言うことはありません。 ---#k008


#003-------------------------------------------------------[2600]




 栗原さんは応じない。私は続けた。
 「ああいった体験を発表すると反響がずいぶんあるでしょうね」---#n025

 まだのってこない。毎日新聞や朝日ジャーナルに証言している位だからインタビューにはなれているはずなのに、といぶかりながら黙っている訳にもいかず困ってしまった。その時ちょうど奥さんが外から戻って来て、お茶を入れてくれた。栗原さんが
 「どうぞ」
とすすめてくれる。指はふとく、手全体がふっくらとしている。剣道八段と書いてあったが、そのせいかなとふとおもった。お茶に手を出しながらいろんなことを考える。---#n026

 これでは栗原さんの自主的な話は聞けそうもない。こちらの疑問点をどんどんぶつけるしかない。そう思った。

 「私が聞いている限り南京で大虐殺があったとは思えません。私は毎日新聞や朝日ジャーナルとは違います。しかし私は南京を見ていない。私が南京大虐殺はなかったといっても栗原さんがあったというのならあったのでしょう。
 今まで私は南京にいった人は何人かに会いましたが誰も大虐殺はあったといってません。あったのなら栗原さんから直接聞きたいのです」---#n027

 栗原さんの顔から緊張の色がとけはじめた。

 「スケッチブックという証拠もあるので栗原さんの話は嘘ともおもえません。でも聞く人によって証言が微妙に違って来ます。栗原さんの話を直接自分で聞いて今迄証言されたものと照し合わせてみたいのです」---#n028

 栗原さんの証言を読んで私なりに何点か疑問がある、1万3千余人の死体といったら5、6階建てのマンションいっぱいの死体である。本当にそんなにいたのか。そして数えたのか。四方から一斉射撃したというが日本兵にあたる恐れはなかったのか。等々。こうなったらハッキリそこまで聞くつもりでいた。---#n029


 まず、私の父に幕府山の捕虜虐殺について話したほうがよいと薦めたのは後にも先にも私だけです。軍隊仲間にも知り合いにも身内にもいません。私の場合も結果的にそうなっただけなのですけど。最も面倒みた戦友からも「話したほうがいいなんていう息子は馬鹿息子だ」なんて言われてましたから。---#k009

 『何人かに会いましたが誰も大虐殺はあったとはいってません。』というのは本当の話でしょう。その戦友の方が生前、この騒動以来、梨を毎年送ってこられるようになるのですけど。軍隊仲間ではこの話は外部には話さないということが当然の如く話されていたのだと思います。長い間、県知事を勤められていた木村守江さんは65連隊の軍医でしたから、そういったことも影響していたのでしょう。父は県人会の旅行で福島に行くときは必ず木村守江さんをお訪ねしていました。---#k010


#004-------------------------------------------------------[2601]



 木村守江さんは歩65残桜会の最高顧問でした。父の名刺によると平林貞冶氏は昭和61年9月13日にお会いしていますが歩65残桜会の当時の会長です。---#k011


#005-------------------------------------------------------[2602]




 「私が聞いている限り南京で大虐殺があったとは思えません。私は毎日新聞や朝日ジャーナルとは立場が違います。しかし私は南京を見ていない。栗原さんは見ている。私が南京大虐殺はなかったといっても栗原さんがあったというのならあったのでしょう。今まで私は南京にいった人と何人かに会いましたが誰も大虐殺はあったといってません。あったのなら栗原さんから直接聞きたいのです。」

 栗原さんから緊張の色がとけはじめた。

 「スケッチブックという証拠もあるので栗原さんの話は嘘とも思えません。でも聞く人によって証言が微妙に違ってきます。栗原さんの話を直接自分で聞いて今まで証言されたものと照らし合わせてみたいのです」---#n030


 栗原さんの証言を読んで私なりに何点か疑問がある。1万3千余人の死体といったら5・6階建てのマンションいっぱいの死体である。本当にそんなにいたのか。等々。こうなったらハッキリそこまで聞くつもりでいた。すると、

 「あなたが今まで書いたものとかありますか」
と栗原さんはいった。あわててバックを捜すと偶然に私が今迄書いたコピーがあった。---#n031


 「こういうものを私なりに書いています」
と出すと、ちょっとそれを見ながら

 「毎日新聞には言いもしないことを書かれました。自分の言いたいことが逆になった」
という。私はびっくりした。

 「それはどういうことですか」
と聞くと、それまで中腰だった栗原さんは座りなおして語りはじめてくれた。---#n032



 まず私の父は軍隊で報告書を書くのは自分の役目であり、上官はそれをまとめ書きするだけだ。つまり父の書いた内容が最終、隊の報告書になるのだと言ってました。父は達筆で習字は何段かだったと思います。長兄を中村春堂さんに習わせていたくらいですから。春堂さんから頂いた新築祝いの額もあります。当時の編成表なども残っていますがとてもきれいな字体です。また両角さんくらいになると現場のことは全く分からないのだとも言ってます。当然、現場にもいってなかったということです。---#k012

 また父は幕府山の虐殺について『自分の言いたいことが逆になった』などと言うことは一度も口にしていません。なぜ話すことを禁じられるのか分からないということです。父を知っている人は誰でも知っている父の口癖は「俺は正直だ、俺は嘘をつかない」です。嘘なんてものがつけないのだと思います。『言いもしないことを書かれた』なんてことも一言も聞いたことはありません。---#k013

 この筆者の捏造の第一のポイントは父は間違ったことを書かれたと言ったとしている点です。こんな話は聞いたとこがありません。上述の話で戦友に「子供も話した方がいいと言う子供もいる、話さない方がいいと言う子供もいる」とは言ってますが、間違ったことを書かれて困っているなんてことは一言も口にしていません。---#k014


#005-------------------------------------------------------[2603]




 栗原さんの語ってくれた半生と戦争体験そして南京での出来事は次のようなものであった。

 栗原さんは明治の末に生まれ、初年兵として満州事変に出征し、支那事変を青年のまっただ中でむかえ、応召兵として再び出征した。そして満州事変、上海上陸、南京攻略戦、徐州会戦、漢口攻略とつねに最前線で戦ってきた。血と汗と涙の体験の連続である。殺して、殺される、そういう日々だった。人間としてぎりぎりの日々を体験した。満州では排便に使った泥だらけの手で戦友に御飯を与える。与えざるを得なかったし、戦友もそれを食べる。戦友に御飯を持って行こうと敵弾の中を匍匐前進する兵。その兵が敵弾に当たって死んでも手も足も出せない自分。まわりに迫撃砲が炸裂する最前線。二メートル前進した時、二分前まで立っていた場所で迫撃砲が炸裂した。両親が見守ってくれていると思った。前進中、近くで迫撃砲が炸裂し「分隊長がやられた」と部下の叫ぶ声を土の中で聞いた時もある。---#n033

 徐州大会戦では、徐州の中心地に分隊長として最初に入った。あとで入って来た岩仲戦車隊は栗原さんを中国兵とおもって撃って来た。間もなく中心の塔を占領したが日本の飛行機は塔のまわりに爆弾を投下する。ゆれる塔からあわてて日の丸を出した。このような経験を何度もした。
---#n034


 この部分は捏造にはほとんど関係ありません。最後の一文だけ小文字の挿入文です。---#k015


#006-------------------------------------------------------[2604]




 南京攻略戦では戦友を次々失った。鳥龍山近くに来た時は半分以下に減ってしまった。誰が死んでもおかしくない状況だった。幕府山近くで、栗原さんが分隊長をしている11人は120人の捕虜をつかまえた。武装解除して進む。他の部隊も捕虜をつかまえその合計は13500人捕虜をつかまえたと聞いていた。南京攻略戦全体では7万の捕虜だとも聞いた。捕虜は廠舎に収容した。自分たちにも充分食べるものがなかったがそれでも捕虜たちには中国の茶碗一杯づつおかゆを食べさせた。---#n035

 次の日はもう食べる物がなくて捕虜の半分にしかゆきわたらなかった。まもなく捕虜を揚子江の中洲に放すというので一個大隊、135人で護送した。13500人とは聞いていたが実際の捕虜の数は4千から6千ぐらいだったろう。捕虜の仲には教導総隊のみるからにしっかりした兵もいた。4列か8列かにして護送した。栗原さんは列の一番最後にいた。最初に江岸についた捕虜は座って待っていたが全員が着く迄2・3時間かかった。薄暗くなってきた。栗原さんがまだ護送している頃、江岸に着いていた先頭では暴動がおきた。日本の将校が殺されたと聞いた。そんな動揺が伝わってきて混乱がおき、その中で射撃がはじまった。ほぼ全員射殺で、日本側も何人か死んだ。最初から射殺するつもりで江岸に集めたのではない。上のほうはどうだったのかわからないが殺すか殺されるかの戦争の継続の中で虐殺ではない。

 栗原さんの戦争体験、南京体験はこのようなものであった。---#n036



 ここは思いっきり捏造されている部分です。捕虜に食べさせた食料は捕虜の投降した砲台で保管していた食料をです。『実際の捕虜の数は4千から6千ぐらい』なんてことも聞いてません。父はこのような曖昧なものの言い方が出来る人ではありませんから父を知る人には奇異に感じる内容です。『2・3時間』もつじつまあわせの表現です。『暴動がおきた』ではありません。必死になった捕虜の一人が紐をほどき将校の刀を抜いて襲い掛かったという話です。事前に「なにかあったら一斉に撃て」と言われていて、その時をキッカケに一斉射撃、水平撃ちが三方から始まったのです。日本側に死者はいません。事前に機銃(?)を隠しておいて捕虜から見えないようにしていて一斉射撃をしたと言ってます。---#k016

 父は『虐殺』と言わず「処分」といいますが具体的事実は同じです。---#k017


#007-------------------------------------------------------[2610]




 戦争の苦しさ、つらさを充分に体験しているように見えた。戦友の一人は今でも両足切断で国府津にいるという。栗原さんは満州事変から徐州作戦まで働いたということで金鵄勲章をもらったが誇りにおもっている。徐州作戦では「麦と兵隊」で有名な第13師団として参加している。現在はマメで世話好きなこともあり、老後とはいえいそがしい毎日を送っている。いたって元気ではあるが73才とはいえ平均寿命に近い。---#n037

 その栗原さんが7月22日の毎日新聞を手にびっくりした。社会面のトップには「南京大虐殺、中国側、初の史料で立証」という大きい見出しがでており、中国側の史料によれば中国側の史料によれば30余万人が南京で虐殺された、と報じていたからである。---#n038

 これを読んで栗原さんは「正義感に燃え」、毎日新聞に抗議の電話をした。今まで大虐殺があったと新聞などは伝えていた。しかしこれほどの大々的な記事ははじめてである。このままにしていたら日本人が30万人の中国人を殺してことになる。南京攻略戦に参加し、自分の目でみてそれはありえない。そう思って抗議した。電話のやりとりがあり、記者が栗原さんを訪れることになった。訪れた毎日新聞の記者に栗原さんは私に話してくれたと同じ体験を話した。その時昭和13年、漢口攻撃戦で負傷して入院中に書いたスケッチブックをみせ
 「捕虜の殺戮は戦争の一部であり虐殺ではなく、中国の本に載っているようなことはなかった」
と語った。---#n039

 その話が8月7日に記事になった。読んでみてびっくりした。毎日新聞では4〜6千人の捕虜が「13500人」になり、暴動と混乱の中で攻撃が始まったのが「後ろ手に縛られ、身動きもままならなかった捕虜が集団で暴動を起こすわけない。虐殺は事実」になった。---#n040

 「言ってないことが記事になり、30万人虐殺に抗議したのが一転して虐殺の証人になった。全く逆になった」
と栗原さんはくやんだ。---#n041


 この部分は殆ど捏造です。この筆者は毎日新聞の記者から父がどのように聞かされて取材を受けたのか全く知らないようです。私が確認したところでは「父がもっともよく知っていると聞いて取材に来た」と聞きました。毎日新聞の記者の方は南京事件や幕府山の捕虜虐殺につき事前に福島などで取材し、それで父を知ったということだったようです。それに毎日新聞に載った記事を見て父がビックリしたというのもありえません。ビックリしたくらいなら直後に本多さんの取材はうけるハズがありませんから。また父は新聞社に抗議の電話をするようなタイプの人間ではありません。---#k018


#008-------------------------------------------------------[2612]




 新聞に栗原さんの証言が出ると、「嘘つき」「馬鹿野郎」という抗議の手紙が十通ほどきた。昔の戦友からも一通きた。後輩なのでこれは事実をいってわかってもらった。逆に同じくらいよく告白してくれたという激励の手紙も来た。変な気持ちになったそうだ。---#n042

 手紙のほかに人が尋ねてきた。防衛庁の戦史の方も二人が来た。5分だけどと言って朝の9時ごろ来たが結局午前中いた。
 「防衛庁の人は黙って話を聞いていたが防衛庁でも事実は知ってるはずですから私の話に納得したはずです」
という。---#n043

 世界日報の記者が来た。朝日新聞の本多記者も来た。何年か前、南京大虐殺とよくいわれるようになった。その時から栗原さんは南京大虐殺に関する本を読んで自分なりにしらべはじめた。自分の個人的体験から大虐殺はなかったと思っているし、大虐殺を主張する本を読んでもあったとも思わないと確信している。---#n044

 「本多記者は中国人の言う嘘ばかり書いている。ジャーナリストは気が狂っているのではないかと思う。それでも私の家に来た時は毎日新聞の記者に話したような自分の体験を話した。しかし、ここでも裏切られた。朝日ジャーナルを読むと自分の言ったことは書いてあるが、全体として私が言おうとしていることとは別のことになっている。のせられた。自分では捕虜が4千から6千と思うと言ったが1万3千にすりかわっている。---#n045

 捕虜にはラーメンなどを食べる大きい茶碗で食べさせたが、それが中華料理などで使われる小さな支那茶碗にかわっている。---#n046

 私は護送だけだったのに小銃で撃ったように書いてある。---#n047

(ピッポ註:栗原発言としての引用符はまだ閉じず)




 この部分も捏造だらけですね。『後輩』から電話もきました。福島で虐殺を話した方がよいと言うかたは一人もいません。この後輩の方から「話した方がいいなんて言うのは馬鹿息子だ」と言われてしまったのですから。本多氏に父が詳しく話したのはOFF会で話したように私が「歴史的な出来事なので事実を正確に話したほうがよい」と勧めたからです。別に本多さんにのせられたからではありません。---#k019

 『朝日ジャーナルを読むと』というのも変な話です。父は朝日ジャーナルなんて週刊誌はその存在さえ知らなかったと思います。大体、父は月刊誌や週刊誌の類は購入したことがありませんから。剣窓とか剣道日本とかを定期購読しているだけですから。---#k020

 『気が狂っている』という言葉は長兄のことを考えれば父の口からは出ない言葉でしょう。明治44年生まれで鬼畜米英で戦ってきた人間には『ジャーナリスト』なんて言葉も不釣合いです。父が横文字言葉を使うのは聞いたことがありません。---#k021

 究極的な捏造は『護送だけだったのに小銃で撃ったように書いてある』でしょう。これはありえません。---#k022


#009-------------------------------------------------------[2614]




 江岸での出来事は戦争の流れの一つで、みせたり書いたりすることではないと思っている。---#n048


 謝家橋鎮では私の部下の松本が負傷して後送される大激戦があったのに本多記者の本には何もなかったと書かれていた。基本的な間違いが多いといってやったんだがね」

(ピッポ註:栗原発言としての引用符はここで閉じられる)



 本多氏と会った時のことをこう述べているが、この間、何度も「のせられた」と語った。---#n049

 時間は既に11時を過ぎていた。
 「防衛庁の時と同じで十分間といってもやっぱり午前中かかるな」
といいながらも「満州事変記念写真帳」や「夕陽千万峰」といって栗原さんの所属していた65連隊2中隊の記録などをとりだして説明してくれた。---#n050
 
 南京大虐殺についてもスクラップをはじめ十冊ほどの関係書をとりだしてきて説明する。---#n051

 洞富雄氏の著作を
 「一部だけとりだして虐殺があったといっている。殺すか、殺されるか、その流れの中の行動であって虐殺ではない。中国兵をこの野郎と思い、にくらしいと思っていた兵隊の気持ちは分からないでしょう。何故こんなことを書くのだろう」---#n052


 この筆者はなにか脅しみたいことを言ってきた人だと思います。「お前は人を殺していないことにしてやるから、こっちが書きたいように書くから黙ってろ」みたいな話だったと思います。うちの父が本多さんや洞さんの著作についても批評したことは聞いたことがありません。---#k023


#010-------------------------------------------------------[2619]




 と手きびしい。

 栗原さんの話は八割ほどが戦争・戦闘の話で、残り二割が南京での話である。---#n053

 戦争のつらさ、生死が背中合わせの状況、敵へのにくしみ、死んでいく戦友、そして戦争が終わった時たまたま栗原さんが生きていた。それが栗原さんの実体験であり実感である。---#n054

 南京での出来事はその中の一部であり、戦争・戦闘の延長上に捕虜の殺戮があったので、虐殺ではなかった。これも栗原さんの実感である。南京全体のことは一兵士の栗原さんは知る由もないが。---#n055


 ということでお仕舞いです。基本的に全く任意に捏造されていることがお分かりいただけたかと思います。この記事の作者と本が分かる方がおりましたら教えていただけますか?掲示板で明らかにすることに差しさわりがある時はメールで教えてください。できたら国会図書館などで確認したいと思います。法的に問題がなければ捏造であることを指摘してK−Kさんのサイトででも掲載していただこうかなと考えているところです。---#k024
57 hits

[2786]Re(1):テストリライトについて
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 核心 E-MAIL  - 06/7/9(日) 16:29 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:

>申し出をお断りしましたが

>「ゼンボー昭和60年3月号」の畠中秀夫氏

私は全く気にしていません。
両方とも明日、発送させていただきます。
(いろいろな連絡役もしていますので郵送用の道具はそろっています。)
55 hits

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