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さて、東京裁判に提出された、有名な資料です。
「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」
此間、敵側の欺瞞妨害等激烈にして民心消沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者甚だ少きのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際に於ても、冬の蝉の如く口を噤みて語らざる者、或は事実を否認する者、或は自己の体面を憚りて告知せざる者、他処に転居して不在の者、生死不明にして探索の方法なき者等あり。 (『南京大残虐事件資料集』第1巻 極東国際軍事裁判関係資料編 P142〜P143) そうか、みんなもう、「事件」のことなど思い出したくなかったんだな、というのが素直な読み方でしょう。しかしこれが、東中野氏にかかると、このようなことになってしまいます。
その公文書が南京で「前代未聞の大残虐」が発生したと主張するものの、この「調査報告」の告白するところによれば、日本軍の虐殺行為を申告する者が「甚だ少き」ばかりか、南京虐殺の聞き取り調査を行うと人々が唖然として「冬の蝉の如く口を噤みて語らざる者」までいたという。そしてまた、南京虐殺を「否認する者」までいたという。 (『南京虐殺の徹底検証』 P371) 「人々が唖然として」なんて勝手な形容詞を加えたり、どうも読み方がひねくれている。しかしこれ、ネットでも結構「材料」として使われてしまっています。
さて、『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』という本が最近出たのですが、読んでいたら、こんな記述がありました。同じ調査かどうかははっきりとしませんが、当時「調査」を受けた南京の人々の様子がよくわかります。
「南京市臨時参議会関於協助調査南京屠殺案経過概術」(1946年11月)
(略) さて、調査方法は以下の通りである。
本件について、かつて幾つかの機関が調査を行なったことがあるが、事件からすでに八年間の歳月が経過し、被害者の死亡や移動により、訴えを代理する人もいなくなった。あるいは、時間が経つに連れて怒りも徐々に薄くなり、旧い傷跡を触りたくなくなった。
代表的な事例は、女性が敵に強姦された後、殺されてしまうケースである。また、加害の部隊の番号を知らないとか、調査に協力しても苦しい生活の改善につながらないとかを理由に、関心を示さず、調査員の訪問を無視するケースもある。 (同書 P133〜P134)
実際のところ、そうだったのでしょう。少なくとも東中野氏のひねくれた解釈よりは、はるかにリアルでわかりやすいと思います。
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