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[1493]靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/19(水) 0:22
[1498]Re(1):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/19(水) 1:36
[1499]Re(2):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/19(水) 1:55
[1503]Re(2):靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/19(水) 9:38
[1507]Re(3):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/19(水) 13:50
[1518]Re(4):靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/19(水) 21:19
[1508]Re(3):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/19(水) 15:31
[1517]Re(4):靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/19(水) 21:19
[1519]Re(5):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/19(水) 21:23
[1550]Re(5):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/21(金) 20:00
[1509]参考文献:戦争犯罪論、前田明著より(罪刑法定原則と国際法の関係について) とほほ 05/10/19(水) 16:54
[1510]参考文献:戦争犯罪論、前田明著より2(遡及処罰の禁止) とほほ 05/10/19(水) 17:10
[1527]事後法で裁いてはいけないのでしょうか? 熊猫 05/10/19(水) 23:53
[1533]Re(1):事後法で裁いてはいけないのでしょうか? とほほ 05/10/20(木) 2:12
[1548]東京裁判の法的根拠 gallery 05/10/21(金) 13:48
[1549]Re(1):東京裁判の法的根拠 とほほ 05/10/21(金) 19:12
[1581]参考文献:東京裁判憲章第五条 とほほ 05/10/27(木) 5:10
[1505]Re(1):靖国神社とA級戦犯 ピッポ 05/10/19(水) 12:31
[1522]Re(2):靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/19(水) 21:57
[1525]Re(3):靖国神社とA級戦犯 ピッポ 05/10/19(水) 22:43
[1528]Re(4):靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/19(水) 23:54
[1537]Re(5):靖国神社とA級戦犯 ピッポ 05/10/20(木) 12:33
[1538]Re(6):靖国神社とA級戦犯 ジュンフ 05/10/20(木) 17:37
[1540]Re(7):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/20(木) 18:14
[1544]Re(7):靖国神社とA級戦犯 ピッポ 05/10/20(木) 23:27
[1546]Re(8):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/20(木) 23:47
[1542]Re(1):靖国神社とA級戦犯 タラリ 05/10/20(木) 22:01
[1545]Re(2):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/20(木) 23:31
[1551]Re(2):靖国神社とA級戦犯 とほほ 05/10/21(金) 23:14
[1562]Re(3):靖国神社とA級戦犯 タラリ 05/10/22(土) 21:15
[1992]靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/11(水) 11:37
[1993]Re(1):靖国神社:追悼施設のあり方 やじろべえ 06/1/11(水) 19:19
[1994]Re(2):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/12(木) 1:51
[2005]Re(3):靖国神社:追悼施設のあり方 やじろべえ 06/1/13(金) 9:40
[2006]Re(4):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/13(金) 13:52
[2007]Re(5):靖国神社:追悼施設のあり方 やじろべえ 06/1/14(土) 16:59
[1995]Re(1):靖国神社:追悼施設のあり方 七生報国 06/1/12(木) 18:09
[1996]Re(2):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/12(木) 18:24
[1997]Re(3):靖国神社:追悼施設のあり方 七生報国 06/1/12(木) 18:52
[1998]Re(4):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/12(木) 19:14
[1999]Re(5):靖国神社:追悼施設のあり方 七生報国 06/1/12(木) 19:56
[2000]Re(6):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/12(木) 20:09
[2001]Re(7):靖国神社:追悼施設のあり方 七生報国 06/1/12(木) 20:59
[2002]Re(8):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/12(木) 23:33
[2003]Re(8):靖国神社:追悼施設のあり方 とほほ 06/1/12(木) 23:54
[2131]Re(9):靖国神社:追悼施設のあり方 七生報国 06/2/24(金) 2:49

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[1546]Re(8):靖国神社とA級戦犯
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/20(木) 23:47 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>昭和天皇のことを本名である「ヒロヒト」または「ヒロヒトさん」と、
>今上天皇のことを本名である「アキヒト」または「アキヒトさん」と、
>必ず呼んで(陛下などとは決していわないで)1ヶ月すごしてみてごらんなさい。

これ、マスコミは最近特にひどくなってますよね(^^;
私が20代くらいのときはさすがに天皇や皇太子を「さん」では呼ばないにしろ、みちこさん、だし、なるちゃん、だったのが今では赤ん坊にまで愛子様と来たものです(^^;

マスコミが「様」呼ばわりするのは皇室くらいのものでしょうね。
あ、ヨン様と杉さま、がいたか(^^;これと同じのりなのでしょうか?まさかですよね。

みちこさんを呼び捨てにして右翼の殴りこみにあったのは「噂の真相」でしたっけ?
46 hits

[1548]東京裁判の法的根拠
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 gallery E-MAIL  - 05/10/21(金) 13:48 -

引用なし
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   一度削除しまして題名変更。紛らわしいことして失礼。

「罪刑法定主義に基づく事後法の禁止」は東京裁判の批判として真っ先に登場し
これに反しておるから「東京裁判は無効」などという論は、最近政治家なども
お題目のように口にしております。事実、批判の余地は充分にありますが、
東京裁判の法的根拠は、むしろポツダム宣言10条に求められるのが一般です。

http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Potsdam.html#top

>吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ

つまり、「ポツダム宣言受諾による日本と連合国との合意」が法的根拠で。
既出でしたり、すでにご存知でしたらご容赦を。

よって、東京裁判を引っくり返すには
サンフランシスコ平和条約やらポツダム宣言やらも破棄せにゃならんわけで、
またアメリカと戦争でもする気かね?と(笑)。
でも、そういう人に限って
批判の矛先はアメリカよりも中国に向いてたりするネジレ現象。
そして、そういう人に限って、
広島・長崎の原爆投下を「人道に対する罪」と批判する。
ニュルンベルク裁判や東京裁判で登場した概念を、裁判自体を否定する人が
どうして器用に唱えることができるのか、不思議でならないのだがな。
152 hits

[1549]Re(1):東京裁判の法的根拠
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/21(金) 19:12 -

引用なし
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   ▼galleryさん:
>よって、東京裁判を引っくり返すには
>サンフランシスコ平和条約やらポツダム宣言やらも破棄せにゃならんわけで、
>またアメリカと戦争でもする気かね?と(笑)。

これは私もしょっちゅう言っている事です(^^;
『東京裁判の結果を受け入れない、否定すると言う事は、もう一回アメリカと戦争して勝たなくてはならないと言う意味なんだぞ』
と言うと、返答がない(笑)
一端の右翼なら根性見せて「そのとおり、もう一回アメリカと戦争するぞ」くらい、言えないものかと思います(^^;(^^;

【まず真実を追究する、と言う事と法廷で決着をつける、と言う事の意味の違いがわかっているのか?(^^;
裁判と言うのは何も真実を追及する場ではないのです。(原理的に)ある意味で決着をつける場です。
しかも支配下の民衆への国家権力の行使であるわけです。

で、その歴史的事象においての法廷裁判はその事象のなかですでに決着がついているのですよ。しかもその法廷は今はもうないのです。
その裁判のやりなおしをしたいのであればもう一度戦争してその法廷を開かなくてはなりません。戦争裁判などそのあり方から不条理なのです。戦争そのものが不条理なのだから当たり前なのですが、、、。】
とほほ空間内「自由主義史観」より
150 hits

[1550]Re(5):靖国神社とA級戦犯
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/21(金) 20:00 -

引用なし
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   ▼ジュンフさん:
>英国は裁判なしの即処刑を主張していましたね。しかし「復讐への誘惑」を断ち切り法に委ねたとはいいように言い過ぎでしょう。事後法によって裁いている時点で、法に委ねたとはとても言えませんし、

東京裁判の意義についてですが、ジュンフさんは一応この掲示板上の議論に目を通した上での見解であると思い、あえてこの論点は私は避けたのですが、念のために【B・C級戦犯:林  博 史】の記事を一部抜粋しておきます。
戦犯裁判の意義  

 第二次世界大戦後の戦犯裁判は、戦争における過度な残虐行為を規制し、さらに戦争自体を禁止しようとする戦争違法化の努力の一つとしておこなわれた。それは大規模に行なわれた最初のものだっただけに多くの問題を含んでいたことは事実であるが、もしドイツや日本がおこなった侵略戦争とその中での残虐行為が裁かれなかったとしたら、そのこと自身が平和への営みを逆行させることになっただろう。

 もちろん原爆投下や都市への無差別爆撃をはじめ連合国の戦争犯罪を裁かなかったことは大きな問題であったが、後にベトナム反戦運動を支えた論理の一つが、かつてアメリカがおこなった戦犯裁判に照らして、アメリカのベトナム戦争は犯罪であるという論理だった。戦犯裁判がおこなわれたことによって、その後の侵略戦争や戦争犯罪を批判する手掛かりが得られたのである。その経験は今日、旧ユーゴにおける戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所の活動や常設の国際刑事裁判所の設置の動きとつながっている。そこでは被告の人権の保障措置や死刑の廃止(最高が終身刑)など戦犯裁判の経験への反省が生かされている。

戦犯裁判が大国のパワーポリティックスによって歪められたことから、否定的にとらえる見方が強いが、そうした大国の横暴を規制し、公正な国際社会秩序を作る方向で国際刑事裁判所が活用されるならば、戦争をなくそうとする方向への重要なステップになることだろう。

35 hits

[1551]Re(2):靖国神社とA級戦犯
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/21(金) 23:14 -

引用なし
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   ▼タラリさん:
>広田弘毅が入っているから、少しは参拝してもいいじゃないかという理屈はまったく成り立ちません。

思い出した事をその度にちょこまかとすみません(^^;

広田弘毅の開戦責任はどうしても免れる事はできないでしょう、ただ死刑判決はどうかな?とは思いますが。確かに非戦派ではありますが、いざ日中戦争がはじまり上海陥落、南京陥落直前で日本軍の勢いに調子付いて、蒋介石軍との交渉打ち切りを時の外務大臣として主張しているわけですから。東郷重徳にしてもやはり日米開戦時の外務大臣としてその責任を逃れる事はできないと思います。真珠湾闇討ちは外務省すなわち東郷茂徳が行なった事ですし、、、。
31 hits

[1562]Re(3):靖国神社とA級戦犯
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 タラリ E-MAIL  - 05/10/22(土) 21:15 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
ジュンフさんの意見にはおおむね賛成で、一部に対して異論があったのですか、うまく表現できていません。

例えていいますと、こういうことです。
サリン被害者を祀る神社ができた。
後年、死刑になった松本智津夫を含むオウム真理教の面々までがなぜか、その神社に祀られることになった。サリンを撒くのはやめてくれ、と最初は反対したが、言いくるめられて撒いた信者Aや脅されて撒いた信者Bも祀られた。

その神社に政府が参拝するのはおかしい、と言ったところ、松本智頭夫はわかるが、信者A、信者Bまで一緒にするのはおかしい、と主張する人がいた。

しかし、私が言っているのは松本智頭夫が入っているから参拝は許されない。それだけです。あと、信者Aが入っていようが、信者Bが入っていようと参拝の是非に関する判断はそのことで変わらない、と、こういうことを言いたかったわけです。


以下の点はとほほさんに同意です。
広田弘毅にしろ、東郷重徳にしろ開戦時の内閣に入っている以上、幾分かの責任は存在するはずです。その責任範囲や刑の軽重の議論はいろいろあるでしょうし、他に彼らより責任の重かったものもあるやも知れませんが、それは今回は深く立ち入りません。
34 hits

[1581]参考文献:東京裁判憲章第五条
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/27(木) 5:10 -

引用なし
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   東京裁判憲章第五条    人並に犯罪に関する管轄
本裁判所は、平和に対する罪を包含せる犯罪に付き個人として又は団体員として訴追せられたる極東戦争犯罪人を審理し処罰するの権限を有す。左に掲ぐる一又は数個の行為は個人責任あるものとし本裁判所の管轄に属する犯罪とす。
(イ)平和に対する罪 即ち、宣戦を布告せる又は布告せざる侵略戦争、若は国際法、条約、協定又は誓約に違反せる戦争の計画、準備、開始又は遂行、若は右行為の何れかを達成する為めの共通の計画又は共同謀議への参加。

(ロ)通例の戦争犯罪 即ち、戦争の法規又は慣例の違反。

(ハ)人道に対する罪 即ち、戦前又は戦時中なされたる殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、その他の非人道的行為、若は犯行地の国内法違反たると否とを問はず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に関連して為されたる政治的又は人種的理由に基く迫害行為。

上記犯罪の何れかを犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者、組織者、教唆者及び共犯者は、斯かる計画の遂行上為されたる一切の行為に付、其の何人に依りて為されたるとを問はず、責任を有す。

とほほ注:季刊中帰連34号【戦争犯罪論講座一四(東京裁判を超えて)前田明】より引用。
引用文はカタカナをヒラガナに、また改行・段落等をWEB用に編集。
文中の(イ)(ロ)(ハ)の各項は英文ではそれぞれ【abcであり、これが「A級戦争犯罪人」「BC級戦争犯罪人」という表現の由来となった(同書、前田明氏)】

25 hits

[1992]靖国神社:追悼施設のあり方
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/11(水) 11:37 -

引用なし
パスワード
   >「(遊就館は)戦争を美化する感じではなく、当時をありのままに伝えているだけ。当時はそうだったと事実を述べているにすぎない」
>http://nishiha.blog43.fc2.com/blog-entry-20.html
>
>太平洋戦争開戦の前年に生まれた麻生氏がはたして当時のことをどれだけ覚えているかは疑問ですが、まさにそのとおり遊就館は当時の雰囲気をそのままに伝えています。

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060109/p1
上記URLはある方のブログの記事で、遊就館を訪れた感想が書かれています。
もし時代が今のような風潮ではなく、この方のような感性で遊就館を観察することが出来るのであれば遊就館のような施設もありかな?と思ったりしてしまいました。

こちらのMLでは戦争体験者の方が多いのでお分かりになりにくいかもしれませんが、我々若い世代にとって「戦争」と言うものに対して現実味がないのですよね、わたしなんかでも一生懸命自分がこの立場だったら自分が殺される立場だったら自分が殺す立場だったら、と考えながら非戦の誓いを新たにするわけですが、それでもどこかに「遠い世界の話」と言う感覚があり、だから余計に戦争に対する警戒心が強いわけですが、この方の体験によれば「戦争を肯定する精神と言うものが全く理解できなかったが、ここを訪れたことでどういうものであるのかがわかった気がする」と言うようなことをいっていると思うのです。もちろんその精神を理解したわけでも共感したわけでもなく、「形が見えた」と言うことかな?
うまく言葉に出来ませんが、、、。

この方は「勝ってくるぞと勇ましく」の有名な軍歌に遊就館で涙した、と言います。
以下一部抜粋します。
日本の疲弊した農村や都市部から集められ、戦線に送られた多くの兵士たちは、中国の戦野で人を殺したり、殺されたりすることを余儀なくされ、「露営」という言葉どおり、厳寒の野原や、ぬかるんだ沼地に軍服のまま時にはテントも寝袋もなく寝て、まるで虫のように死んでいったのだろう。

戦線の兵たちの姿を映し出したモノクロのフィルムと、「露営の歌」の歌詞とメロディに触れたとき、ぼくは自分のなかに沸きあがってくる熱い感情があるのを、認めざるをえなかった。

あの戦争が正しかろうと間違っていようと、この人たち(男たち)はここで戦って死んでいったのであり、そこにある「真実」はいかなる倫理によっても否定されることはない。たとえそれが、「虫」のような生と死であっても。

いや、この兵士たちは「虫」なのだ。虫であるからこそ、この死者たちが担わされている「国のために」という思想は強い。

それは、彼らの生と死を利用しようとする、国家やテーマパーク(資本、外資)の思想より、はるかに強いだろう。
いくら平和だ、非戦だ、反戦だ、と言ってもこうした感性への理解が無いと帰って危険なのかもしれません。なぜならこうした感性は美しいものだからです。その美しいものが戦争を引き起こしてしまう、と言う理解ももたなければ戦争はいずれ又起こるようにも思います。

『土も草木も 火と燃える

果てなき広野 踏みわけて

進む日の丸 鉄兜

馬のたてがみ なでながら

明日の命を 誰が知る』


であるから、私は、もちろん首相靖国参拝反対ですが、新追悼施設を無宗教とすることに違和感を思えるのです。宗教であるか否かと言う問題は靖国参拝問題とは全く別物だと思うのです。
首相の靖国参拝を阻止するために「政教分離」を利用しているに過ぎない。

特定の宗教に囚われない、という言い方が一番わかりやすいのですが、私の言いたい本当の事は違う、宗教とはなにか?靖国とは本当に宗教と言えるのか?と言うもっと本質的なものに踏み込んでいかないことには、以前にも書きましたが新追悼施設を作ったところで「ネオ靖国」の新築に他ならないと思うのです。
○日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動や日本の係わる国際平和のための活動における死没者を追悼
とほほ案
【大日本帝国の帝国主義・軍国主義の侵略戦争の犠牲となった将兵・人民及び国際平和のための非暴力活動における死没者を追悼。】


○国のために戦死した将兵
とほほ案
【大日本帝国の帝国主義・軍国主義の犯した侵略戦争の犠牲となった将兵・人民】


○前述のような死没者一般がその対象になり得るというにとどまり、それ以上に具体的な個々の人間が追悼の対象に含まれているか否かを問う性格のものではない
とほほ案
【前述のような国籍・軍民を問わず犠牲者一般がその対象になりえるが、大日本帝国の帝国主義・軍国主義の侵略戦争を推進しあまたの犠牲者を出した殺戮責任者は追悼の対象に含まれない。】


○ 靖国神社の社憲前文によれば、靖国神社は、「國事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため」「創立せられた神社」とされている。これに対し、新たな国立の施設は、前述のような死没者全体を範疇とし、この追悼と戦争の惨禍への思いを基礎として日本や世界の平和を祈るものであり、個々の死没者を奉慰(慰霊)・顕彰するための施設ではなく、両者の趣旨、目的は全く異なる。
 また、靖国神社は宗教法人の宗教施設であるのに対し、新たな施設は国立の無宗教の施設である。この性格の違いは、異なった社会的意義を保障するものである。
とほほ案
【靖国神社は侵略戦争の正当化を行い続ける限り、宗教思想として不適正であり、宗教法人としてこれを認めない。また平和憲法を標榜する日本国家の政治団体としても不適切でありこれを認めない】


と言う風にとほほ案のようにしないと、ただ単に文句を言われないためのネオ靖国をつくろうとしているだけだと思います。あとこれはあまりどうでもいいことだと思うのですが【無宗教施設】と言う表現は不適切です、死者への追悼と言う行為そのものが宗教行為ですから【特定の宗教にとらわれない施設】とすべきではないでしょうか。
無宗教と言う表現で違憲判決を回避しようと言う心根が見えているようでなりません。

32 hits

[1993]Re(1):靖国神社:追悼施設のあ...
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 やじろべえ  - 06/1/11(水) 19:19 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほさん:
>特定の宗教に囚われない、という言い方が一番わかりやすいのですが、私の言いたい本当の事は違う、宗教とはなにか?靖国とは本当に宗教と言えるのか?と言うもっと本質的なものに踏み込んでいかないことには、以前にも書きましたが新追悼施設を作ったところで「ネオ靖国」の新築に他ならないと思うのです


こんにちは。
以前ご紹介した「昭和天皇」いかがでしたか?

さて、少しだけ述べさせてください。

以前、カルト問題に関心を持って色々と調べまわったことが
あります。
統一教会、エホバの証人、そしてオウム真理教・・

その後靖国のことを考えたとき、靖国があまりにも破壊的
カルト宗教に類似しているのに気付きました。
「靖国とは国家カルト」と考えると大変スッキリするのです。

カルトが宗教なら、確かに靖国も宗教でしょう。
「宗教」ほどのクセモノ言葉はちょっと他には見当たりません。


とほほさん仰る
「宗教とはなにか?靖国とは本当に宗教と言えるのか?」

これはまさに本質的な問いです。
このような人間にとって本質的な問いからは、一時的に逃げることは
可能かもしれませんが、永久に逃げ続けることは果たして可能なのでしょうか?

いや、「逃げる」前に「出あわ」なければならないわけですが。


この問いは、太古のアニミズム的宗教観を胸底に持つ
文化のもとで、近代的な契約社会を構成することができるのか?

という問いにいつしかつながるような気がします。
30 hits

[1994]Re(2):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/12(木) 1:51 -

引用なし
パスワード
   ▼やじろべえさん:
>こんにちは。
>以前ご紹介した「昭和天皇」いかがでしたか?

すみません、まだ内容を十分に理解把握できてません(^^;
これの書評が書けるようになったときは、きっと保留中のタラリさんの議論に反論できるときだと思うのですがタラリ論がなかなか強力で、、(^^;

>その後靖国のことを考えたとき、靖国があまりにも破壊的
>カルト宗教に類似しているのに気付きました。
>「靖国とは国家カルト」と考えると大変スッキリするのです。

よっかた、共感します。私もそのように考えると色んな筋が通るのです。私はよく天皇教とオームを揶揄した表現で靖国を批判することが多く、タラリさんも確か一度そのような表現で靖国批判をしたことがあるのでこの辺からのタラリ攻めを考えてます。

>カルトが宗教なら、確かに靖国も宗教でしょう。
>「宗教」ほどのクセモノ言葉はちょっと他には見当たりません。

そうなんですよね。

>この問いは、太古のアニミズム的宗教観を胸底に持つ
>文化のもとで、近代的な契約社会を構成することができるのか?

そうなんです。近代・中世以降のユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教などの大宗教はアミニズムを排斥したり理論体系化したりしてとにかく近代化してきたのですが、神道全般に言えることですがそこにはそうした理論体系が皆無でアミニズムを宗教と言うよりは伝統として引き継いでいる。

国家神道がはじめて体系化されたのですが、それこそ国家神道であり他宗教との大きな違いは、宗教とは民衆の中にあり民衆から生まれてくっるものなのですが全く逆なわけです。成立過程からして宗教ではない、と言うことも出来ると思うのですよね。
33 hits

[1995]Re(1):靖国神社:追悼施設のあ...
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 七生報国 E-MAILWEB  - 06/1/12(木) 18:09 -

引用なし
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   とほほ案
【靖国神社は侵略戦争の正当化を行い続ける限り、宗教思想として不適正であり、宗教法人としてこれを認めない。また平和憲法を標榜する日本国家の政治団体としても不適切でありこれを認めない】


 上記案は憲法の信教の自由を否定する非常に危険なものであると思います。一宗教法人に過ぎない靖国神社の教条が不適正であるから国が禁止するというのは憲法に定められた思想良心信教の自由を侵すものであることは明白です。また、政教分離にも著しく反することも明白です。このような論理が通用すれば他の一切の宗教法人も同様に国家の判断で禁止できることになり、ひいては国による思想統制を是認するものです。思想言論統制を良しとする全体主義国家になりかねません。一党独裁の中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国や国家保安法のある大韓民国なら可能かもしれませんが日本国憲法を奉じている我々には決して取りえない論理です。


 以上から私もとほほさんと同じように上記論理を持ち出さないと正当化できないような「無宗教」追悼施設建設には反対です。

PS
私的には、上記論理を以って創価学会や統一教会、エホバの証人だのカルト宗教を日本から殲滅できるなら靖国神社が無くなっても良いかなぁと思っています。
28 hits

[1996]Re(2):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/12(木) 18:24 -

引用なし
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   ▼七生報国さん:
> 上記案は憲法の信教の自由を否定する非常に危険なものであると思います。一宗教法人に過ぎない靖国神社の教条が不適正であるから国が禁止するというのは憲法に定められた思想良心信教の自由を侵すものであることは明白です。

正にそこが本質的な問題であり、宗教とはなにか?と言う命題に根ざしているわけです。「人を殺しても良い、悪いことを氏も良い」等と言うものが宗教と認められないのは当然でしょう。オーム真理教を宗教法人として認めてないでしょう、日本は。

アレフでさえ建前上は戦争や暴力を否定しているわけで、堂々と戦争を肯定美化している靖国が宗教と言えるのか?そんなものは宗教ではない、という主張であるのだから信教の自由を侵すことにはならないのですよ。

>私的には、上記論理を以って創価学会や統一教会、エホバの証人だのカルト宗教を日本から殲滅できるなら靖国神社が無くなっても良いかなぁと思っています。

それらの宗教法人の中で戦争や暴力を肯定している宗教法人がありますか?またテロを起こした経験がありますか?靖国はその経験を持っている上にそれを正当化しているのですよ。そのテロも数千万人と言う単位の虐殺テロです。
33 hits

[1997]Re(3):靖国神社:追悼施設のあ...
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 七生報国 E-MAILWEB  - 06/1/12(木) 18:52 -

引用なし
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   ▼とほほさん
私は宗教がなんであるかとかそんな崇高なことを言ってるのでは在りません。
一宗教法人として国に認めらている靖国神社を国が教条に問題があるといって禁止するのは憲法違反ではないかということです。靖国神社は国の定めた宗教法人法に則ったれっきとした宗教法人です。
オウム真理教の件ですが、宗教法人法に違反したので解散命令を受けたのですよ。しかも麻原を奉じるアーレフとして現在でも存続してるでは在りませんか。
解説は以下にありますのでどうぞ
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7956/han/han26.html
カルトといえども現に犯罪を行っていると処断されない限り信教の自由は憲法上最大限に擁護されるはずです。

『それらの宗教法人の中で戦争や暴力を肯定している宗教法人がありますか?またテロを起こした経験がありますか?靖国はその経験を持っている上にそれを正当化しているのですよ。そのテロも数千万人と言う単位の虐殺テロです。』

私の書き方が誤解を招いたようですみません。私の書き込みは国家が教条に問題があるといって宗教法人を活動禁止に出来るなら前記のようなカルト宗教を殲滅したいなぁという個人的願望を表わした物です。
ですがとほほさんの上記の書き方では
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[1998]Re(4):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/12(木) 19:14 -

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   ▼七生報国さん:
>私は宗教がなんであるかとかそんな崇高なことを言ってるのでは在りません。
>一宗教法人として国に認めらている靖国神社を国が教条に問題があるといって禁止するのは憲法違反ではないかということです。靖国神社は国の定めた宗教法人法に則ったれっきとした宗教法人です。

ですから、靖国はオームよりももっと悪質なことをしているわけです。その本質的問題を言っているのです。宗教法人として認めるべきではない、と言う主張に対して「認められているのですよ」は反論になりません。「認められるべきである」と言う主張をせねばならないのです。

>オウム真理教の件ですが、宗教法人法に違反したので解散命令を受けたのですよ。しかも麻原を奉じるアーレフとして現在でも存続してるでは在りませんか。

アーレフは現状分裂に危機にはありますが、教条的には麻原を廃し教義を変更することで宗教法人として認められてます。靖国はそれをしていない。確かに現アレフには麻原回帰の動きが顕著です。もしそうなれば当然宗教法人の認可は取り消されるでしょう。

思想・信条・信教の自由とは、いやいかなる自由であれ「悪いことをしても良い」と言う自由などないのですよ。人殺しを教える宗教を宗教と認めること自体が間違っているのです。つまり日本は「宗教とは何か?」と言うことがわかっていないのです。
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[1999]Re(5):靖国神社:追悼施設のあ...
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 七生報国 E-MAILWEB  - 06/1/12(木) 19:56 -

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   ▼とほほさん:
『宗教法人として認めるべきではない、と言う主張に対して「認められているのですよ」は反論になりません。「認められるべきである」と言う主張をせねばならないのです。』

私の書き方が上記のような誤解を招いたと思うのですが、要件を満たせば法律上誰でも宗教法人を作れます。これは憲法の保障する法の下の平等の現れです。勤行をつめば現世御利益が得られる等を掲げるどんなトンでもな教条を掲げる宗教法人でも要件を満たせば設立できますし、外部の人間がその教条に異論を唱えようと国はその信仰の自由を擁護する立場にあります。
http://www.morioffice.net/new_page_1.htm
http://www.morioffice.net/new_page_27.htm

ここで整理しておきますが国が一宗教法人の教条を理由に当該法人の活動を禁止するのは憲法違反ではないかといっているのです。オウム真理教は日本国憲法下で組織ぐるみの犯罪を犯しましたですから、宗教法人法により解散命令を受けました。翻って靖国神社は日本国憲法下で組織ぐるみで犯罪を犯しましたか?
私はとほほさんが靖国神社を否定するのが憲法違反と言っているのではありません。とほほさんの案の中で取っておられる、国が教条を理由に宗教法人たる靖国神社を廃止するということは憲法違反ではないかと言っているのです。

私は宗教がなんであるかとかそんな崇高なことを言ってるのでは在りません。
法律論の立場から国が教条を理由に一宗教法人の活動を禁止することの危険性を言っているだけです。

上記見解は、インターネット掲示板思考錯誤において提起された靖国神社を国がその教条を理由に廃止するという考えを受けて考えられ、私七生報国が法律論の立場から異論を提示したものであり、とほほさんが靖国神社を否定されることを何ら制限するものではございません。
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[2000]Re(6):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/12(木) 20:09 -

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   ▼七生報国さん:
>ここで整理しておきますが国が一宗教法人の教条を理由に当該法人の活動を禁止するのは憲法違反ではないかといっているのです。

ですからそこですよ。
憲法が否定している行為を肯定する自由などないのですよ。自由とは他者の人権を侵害しない限りにおいて自由なのです。法理論から言えば「殺す」「殺しても良い」と思ってもこれは一向に構わないのです。実行して初めて犯罪です。
私が言うのはそういう思想を宗教と認めるべきではない、宗教法人とすべきではない、と言っているのです。

任侠道を宗教法人として認められますか?
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[2001]Re(7):靖国神社:追悼施設のあ...
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 七生報国 E-MAILWEB  - 06/1/12(木) 20:59 -

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   ▼とほほさん:

『ですからそこですよ。
憲法が否定している行為を肯定する自由などないのですよ。自由とは他者の人権を侵害しない限りにおいて自由なのです。法理論から言えば「殺す」「殺しても良い」と思ってもこれは一向に構わないのです。実行して初めて犯罪です。
私が言うのはそういう思想を宗教と認めるべきではない、宗教法人とすべきではない、と言っているのです。

任侠道を宗教法人として認められますか?』
任侠道がどんなご大層な宗教か知りませんが、宗教法人法に違反してなければ設立を認められます。
何度も言っているようにそのような論理を使えば国がどんな宗教法人でも潰せることになりませんか。靖国神社が戦争を賛美していようとそれは全く以って思想・言論の自由の範囲内ですよ。遊就館の展示内容や靖国神社の前文がどんな法に反しているか、また憲法の保障する精神的自由の外にどうして当て嵌まるのか、またその法律構成を教えていただければ幸いです。
精神的自由は最大限に国によって保障されなければなりません。いいですか法律に何の根拠もなく国が恣意的に宗教法人を潰すことは絶対に認められませんよ。具体的に宗教法人設立にあたって提出された定款に何処に不備があるんですか?

http://www.morioffice.net/new_page_1.htm
http://www.morioffice.net/new_page_27.htm

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/dai2/siryo1_1.html

憲法を蔑ろにするような論理は護憲を掲げるとほほさんが取るべきではありません。
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[2002]Re(8):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/12(木) 23:33 -

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   ▼七生報国さん:
>何度も言っているようにそのような論理を使えば国がどんな宗教法人でも潰せることになりませんか。

ですからそういうことにならないように慎重な法整備は必要でしょうね。
例えばアウシュビッツの嘘罪のような、、、。
この法なども一般に考えるような、単純な法律ではないです。人権や言論思想信条の個人的には自由の確保には必要以上とも思えるほど配慮された法律だと思います。

私のホームページに掲載してある前田朗氏の論考を提示しておきます。
参考:人種差別思想宣伝について
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[2003]Re(8):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/12(木) 23:54 -

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   ▼七生報国さん:
>http://www.morioffice.net/new_page_1.htm
>http://www.morioffice.net/new_page_27.htm
>
>http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/dai2/siryo1_1.html
>
>憲法を蔑ろにするような論理は護憲を掲げるとほほさんが取るべきではありません。

ん?
よく読んだら現行法でも十分に可能ではないですか?現行法で問題になるには正に「審査基準」にあるわけですから、現行法のほうがアウシュヴィッツの嘘罪より危険です。
そして私はその「靖国の社憲前文」を根拠に宗教法人と認めるべきではないと言っているのですから、七生報国さんの議論ははやり論点がずれてます。
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[2005]Re(3):靖国神社:追悼施設のあ...
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 やじろべえ  - 06/1/13(金) 9:40 -

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   とほほさん、レスをありがとうございました。
活発なご議論の途中にこんなものをはさむのは気が引けたのですが・・。


>タラリ論がなかなか強力で、、(^^;

そのご議論はどこかで拝見することができますか?
もしよろしければ、ご紹介いただければありがたいです。


> よっかた、共感します。私もそのように考えると色んな筋が通るのです。

いやこの件では初めて共感してくださる方を見い出しました。
冷静に見ると、共通していることぐらい誰にでも見えると思うのですがね。


> 理論体系が皆無でアミニズムを宗教と言うよりは伝統として引き継いでいる。

ここのところ、危ういですね。
国家神道側が「神道は宗教ではなく、単なる伝統」と主張して、
多くのキリスト者にすら抵抗の理由を見失わせ、取り込むことに
まんまと成功した過去がありますから。

私は靖国はあくまで宗教である、としないと、
戦略的にはマズイのではないかと思います。
靖国は宗教、と断言すべきではないかと。

ただし宗教と言っても、人間の宗教心であるところの
「自分よりも大きなものに帰依し、自己を捧げたい」
この欲求までも、国家が独占的に収奪し尽くすための強欲な
「似非」宗教ですが。

カルトと呼ぶゆえんです。


>宗教とは民衆の中にあり民衆から生まれてくるものなのですが

少なくとも世界宗教の中には、民衆から「生まれた」宗教は
ありませんよね。

こうした普遍的宗教を生み出したのは、例外なく
「衆」ではなくて「個人」でした。
まあその個人は民衆の中から生まれ育ったと言ってよいと
思いますが。

そしてその個人の動機・目的は、大雑把に言うと
「万人の精神的救済」だったと思います。

ここが国家神道と根本的に異なる点だと私は思います。
国家神道が制定されたそもそもの目的は、つまるところ
「既成秩序(支配・被支配関係)の維持」
「人心統制」だったわけですから。

問題の根本は、国家神道における最高の祭司が天皇だということ
ではないでしょうか。
つまり、今、そこに国家の公的・政治的な存在として実在し、
対外的には国家元首の役割を果たしている人物が、靖国においては
実質的に最高の権威であるということです。

残滓も残らないぐらい徹底的に天皇制を消滅させるのなら、
権威を失った靖国がどんな悪魔的教義を唱えても、政教分離が
厳守される限り、許容するべきかもしれません。
その教義を私人が実行に移せば法で裁かれますから。
(実際には仮に天皇制が消滅したら、靖国もおのずと運命を
共にするかもしれませんが。)

しかし国家が実行に移した場合、国家が自らを裁くことは期待できません。
国家によるいかなる行為も合法化することが可能です。

法で裁かれないものを裁く、判断することができるのは、
国家より上位に存する道徳的理念のみです。

政治的権威が精神的権威を一身にまとうことができれば、
無敵の無謬性を詐称できるわけです。


こうしたことから政教分離の原則が近代国家の基本なわけですが、
日本では分離どころか、120年前からずっと一貫して合体し続けて
るんじゃないですかね。
天皇が特定の(破壊的)宗教の最高の祭司であり続けている、という点で。
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[2006]Re(4):靖国神社:追悼施設のあ...
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 とほほ E-MAIL  - 06/1/13(金) 13:52 -

引用なし
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   ▼やじろべえさん:
>そのご議論はどこかで拝見することができますか?
>もしよろしければ、ご紹介いただければありがたいです。

あー、これはやじろべえさんが『昭和天皇』を紹介してくれたスレッドにある議論です。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1195;no=1312;id=sikousakugo#atop

>ここのところ、危ういですね。
>国家神道側が「神道は宗教ではなく、単なる伝統」と主張して、多くのキリスト者にすら抵抗の理由を見失わせ、取り込むことにまんまと成功した過去がありますから。

キリスト教には神から付与された王権と言う考え方がありましたから、それはそれほどには影響していないと思います。私が幼稚園のときなどはクリスマス劇の時にも壇上には日の丸がありましたし(^^;

>私は靖国はあくまで宗教である、としないと、戦略的にはマズイのではないかと思います。
>靖国は宗教、と断言すべきではないかと。

この辺をどう説明して良いのか、七生報国さんともなかなか折り合わない点なのですよね。宗教は宗教でしょう、しかし近代宗教としてまた近代国家の宗教法人として認めるべきではないと思います、先に例を挙げたとおり任侠道もそういう意味では宗教でしょう。

>少なくとも世界宗教の中には、民衆から「生まれた」宗教はありませんよね。

いえ、すべての世界宗教は民間信仰から生まれたものです。キリスト教はキリストが体系化したものですが源流となる宗教は民間に受け継がれたものですユダヤ・イスラムのことですね。仏教もブッダが体系化したものですが源流となる民間信仰は存在してました。

>こうした普遍的宗教を生み出したのは、例外なく「衆」ではなくて「個人」でした。
>まあその個人は民衆の中から生まれ育ったと言ってよいと思いますが。

そういうことですよね。

>ここが国家神道と根本的に異なる点だと私は思います。
>国家神道が制定されたそもそもの目的は、つまるところ「既成秩序(支配・被支配関係)の維持」「人心統制」だったわけですから。

これはある意味国家神道に関わらず神道全般がそうです。もともとあった各地の民間信仰に対して鳥居を建設することで大和朝廷の勢力範囲を顕示したものです。

>問題の根本は、国家神道における最高の祭司が天皇だということではないでしょうか。

上記の概念も認識したらそうは単純には行かないのではないでしょうか?神道そのものに源流があるのも確かです。

>つまり、今、そこに国家の公的・政治的な存在として実在し、対外的には国家元首の役割を果たしている人物が、靖国においては実質的に最高の権威であるということです。

もちろんそれが一番よく目立つ悪性だと思います。現人神の概念は未だに捨ててはいないでしょう、言うなれば現在の靖国は隠れキリシタンならぬ隠れ天皇教でいつの日か復活を夢見ていることでしょう(笑)

>残滓も残らないぐらい徹底的に天皇制を消滅させるのなら、権威を失った靖国がどんな悪魔的教義を唱えても、政教分離が厳守される限り、許容するべきかもしれません。

うーーーん、宗教ってそんなにはあまくないと思います。カルトの恐ろしさはやはり認識が必要で少なくとも宗教法人として国家が認めるべきではありません。個々人が悪魔教を崇拝することを法的に禁じることは憲法の精神に反しますが、、。

>しかし国家が実行に移した場合、国家が自らを裁くことは期待できません。
>国家によるいかなる行為も合法化することが可能です。

三権分立は夢物語なのでしょうか?コスタリカはきちんと国家の戦争加担を「違憲」と裁断しました。

>法で裁かれないものを裁く、判断することができるのは、国家より上位に存する道徳的理念のみです。

ふむ。

>政治的権威が精神的権威を一身にまとうことができれば、無敵の無謬性を詐称できるわけです。
>こうしたことから政教分離の原則が近代国家の基本なわけですが、日本では分離どころか、120年前からずっと一貫して合体し続けてるんじゃないですかね。
>天皇が特定の(破壊的)宗教の最高の祭司であり続けている、という点で。

そういうことだと思います、靖国はそう考えるとよく理解できます。

以前にこのような論考をしたことがあります。
南島におけるキリスト教の受容
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[2007]Re(5):靖国神社:追悼施設のあ...
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 やじろべえ  - 06/1/14(土) 16:59 -

引用なし
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   > あー、これはやじろべえさんが『昭和天皇』を紹介してくれたスレッドにある議論です。
> http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1195;no=1312;id=sikousakugo#atop

あ!ありがとうございます。
読んだはずなのですが、記憶がサッパリ。
もう一度読むことにいたします。いやはやなんとも・・。


> キリスト教には神から付与された王権と言う考え方がありましたから、それはそれほどには影響していないと思います。私が幼稚園のときなどはクリスマス劇の時にも壇上には日の丸がありましたし(^^;

ちょっと仰ることがよくわからないのですが、
当時の「神道取り込まれキリスト者」は、神が天皇に王権を
付与したという発想で、全く抵抗せずに神道を受け入れた、と
仰っているのですか?

そうでない人々のことをどこかで読んだことがあるのですが、
書名を忘れました。

ただ、戦中のプロテスタント系教会の指導的立場の方が書いた文章が
その余りの無惨さから記憶に焼きついていました。
日本のために死ぬことをキリストの犠牲になぞらえていたのでした。

人間は例えばいったんトリイの前で敬礼するという行動を取ってしまうと、
その行動に整合するように徐々に思考を組みなおす習性がありますからね。
どんな理屈でもいいから、とりあえず敬礼させてしまうというのは、
いかにも人心操作のプロが思いつきそうなことだと考えておりました。


> 宗教は宗教でしょう、しかし近代宗教としてまた近代国家の宗教法人として認め
>るべきではないと思います、先に例を挙げたとおり任侠道もそういう意味では宗教>でしょう。

理解できたような気がします。

つまり宗教「法人」として認めるという事は、その宗教に
制度上の保護を与えることであり、公序良俗に反するような
宗教には「保護」する理由も資格もない、と仰ってるんでしょうか?

もしそうでしたら、同意です。

ただし、何が公序良俗かを判断する価値基準が、判断客体に
取り込まれないようにきちんと担保できなければなりませんね。
まな板の鯉に包丁を持たせても、鯉のアライはできませんし、
万一客が刺身にされたら困ります。


> いえ、すべての世界宗教は民間信仰から生まれたものです。キリスト教はキリストが体系化したものですが源流となる宗教は民間に受け継がれたものですユダヤ・イスラムのことですね。仏教もブッダが体系化したものですが源流となる民間信仰は存在してました。


ここは私は同意できないです。
仏陀もキリストも、もともとあったものを単に体系化したのでは
全くありません。
その説いたところは当時の人間にとって「新しい」ことでした。
だからこそ、民族や文化を乗り越える衝撃力を持てたのです。
今の人間にとってもある意味、大いに新しいです。

「体系化」ではなく、やはり「創始」がふさわしい言葉だと考えます。
テーマから外れるので詳述は避けますが。


>>国家神道が制定されたそもそもの目的は、つまるところ「既成秩序(支配・被支配関係)の維持」「人心統制」だったわけですから。
>
> これはある意味国家神道に関わらず神道全般がそうです。もともとあった各地の民間信仰に対して鳥居を建設することで大和朝廷の勢力範囲を顕示したものです。

神道だけでなく、仏教も支配の道具として骨抜きにされたことを
忘れるべきではなく、キリスト教が迫害されたのだって、
精神的権威を横取りされる恐怖から、という要素がありますね。

この国の為政者は散々練習を積んできたわけですねえ・・・。
対立的な精神的権威となりそうなものは、片っ端から引き摺り下ろすか
消滅させるかしてきたわけですから、手法もソフィスティケートしてます。
侮るべからず、ですね。


> 上記の概念も認識したらそうは単純には行かないのではないでしょうか?神道そのものに源流があるのも確かです。

いつも可笑しいのは、靖国肯定論者の口走る
「神道は死ねば皆仏(?!)で戦犯だろうと死者を差別しない」
などという世迷言です。(一体何のことだ?)

源流は確かに神道にあるのでしょうが、靖国は少なくとも、
ご都合主義で人工的にデッチ上げられたお粗末な接木のように見えます。

とりあえずこの部分だけを相手にしないと、「文化」とか
「伝統」という言葉の前で思考停止せざるを得なくなるような
気がしますが。
日本政府がこれらの言葉を濫発するのは、一つにはこの目的の
ためですし。

物事を変えることができるのは、明晰な思考のみです。
アニミズム的感性や情動の中では、物事は「変える」のではなく
為すすべもなくただ「変わる」のです。
従って方向性をコントロールするなど、主体的関わりは一切できません。

気候と同じように、社会的事象もただ「変わる」「転がる」「移り行く」。
何かあるたびに、多くの人の感覚は実はこういうことなんじゃないかと
疑念が湧きます。


> うーーーん、宗教ってそんなにはあまくないと思います。カルトの恐ろしさはやはり認識が必要で少なくとも宗教法人として国家が認めるべきではありません。個々人が悪魔教を崇拝することを法的に禁じることは憲法の精神に反しますが、、。


宗教「法人」として認めるべきでない、というご趣旨は
理解できました。


>>しかし国家が実行に移した場合、国家が自らを裁くことは期待できません。
>>国家によるいかなる行為も合法化することが可能です。
>
> 三権分立は夢物語なのでしょうか?コスタリカはきちんと国家の戦争加担を「違憲」と裁断しました。


日本でももちろん可能だと思いますよ。と言うか
不可能と断言することはできない、という意味ですが。
そのためには、没論理におさらばする必要があります。

支配層にはそれなりの功利的な論理があります。
三権分立など、元々は薬にしたくもなかったはずです。
司法の権威だって精神的権威の一つですから。
正直に言えずに紆余曲折するから、三権分立が成立していると
信じたい人が信じていられるだけの状況だと思います。

必要なのはこれを見抜く、被支配側の現実認識と論理です。
私はそう考えて、そのための活動を細々ながらやってますが
ミトコンドリア並みに微細で、少々無力感を覚えます。
ラクじゃありませんね。

最近、人と話しててよく思うのですが、まるで子供のように
現実や論理に耐えられない人が多すぎる気がして仕方がないのです。
いやだからどうというわけではないのですが。


> 以前にこのような論考をしたことがあります。
> 南島におけるキリスト教の受容


拝読させていただきました。面白いですね。
私は宗教が時代を経て伝播していく過程に興味がありますので
そのうち「南島におけるキリスト教の受容」も読んでみたいと
思います。
41 hits

[2131]Re(9):靖国神社:追悼施設のあ...
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 七生報国 E-MAIL  - 06/2/24(金) 2:49 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
長らくお待たせしました、実際どこからとほほさんに説明すればよいか思案している内にリアルで忙しかったり、パソコンがぶっ壊れたりして議論を中断してしまいました。申し訳ないです。

1.教義(+展示内容)を国(行政庁)が審査して法人格を取り消すことができるとする立法の違憲性。
宗法とは別にもっぱら憲法上の宗教団体の教義(+展示内容)を審査する、つまり団体の宗教的事項を審査して法人格の付与の可否を決し、又は法人格を取り消すつまり解散命令を出して精算させるという立法は著しい違憲性を持つ。まず、宗教法人法がもっぱら財産や組織の維持管理といった世俗的事項のみを規律し、宗教的事項には一切干渉しないという建前を置いて、世俗的な一定の条件を満たした宗教団体に法人格を付与するとした意味は、国家が宗教的事項を審査して特定の思想を弾圧するが如きの行為をする危険性をなくし、国民の信教の自由を広く保障することにある。翻ってとほほさんの求める立法は、宗法が世俗的事項のみを規律するとした意味を無に帰し、憲法が認めた信教の自由を侵すものであるのことは明白であり、違憲性が非常に強い。ましてや何ら犯罪等を犯していない靖国神社に対して当該神社の教義に着目し、当該立法に基づいて解散させることは重大な信教の自由への挑戦であり明確に違憲である。

2.宗教法人法に基づき宗教法人靖国神社に解散命令を出すことの違憲性。
解散とは宗教法人がその本来の活動を終止して、既存の法律関係の整理・残余財産の処理の為の手続(清算手続)に入ることであり、解散後の法人は清算の目的の範囲内に置いてのみ存続し、清算の終了を以て消滅する(民法73条)。解散には任意解散と法定解散とがあり、後者の一つに裁判所の解散命令がある。そして解散命令の事由は大きく、法令違反・反公共の福祉の行為または目的逸脱の行為があった場合(宗法81条一項一号・二項前段)と宗教団体若しくは宗教法人としての実体を喪失した場合(宗法同条同項二号後段・三号〜五号)とに分かれる。解散命令に及びこれに基づく清算の結果、法人格を失った宗教団体は各種特典を受けられなくなるが、しかし団体及び信者の宗教活動それ自体が禁じられるわけではない。しかしこのように解散命令の制度は宗教活動を法的に制限するものではないとしても、解散した宗教法人に帰属する礼拝施設その他の宗教活動の用に供していた財産は処分されることになるから、宗教団体としての存続や信者の活動に支障が出るのは否定できない。そこでオウム真理教に対する解散命令の合憲性が争われた裁判で最高裁は解散命令を信教の自由の問題に関するものと判断し、憲法の許容性につき慎重に吟味すべきとした。
そして同事件に於いて最高裁は解散命令について1.規制目的の世俗性(宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容喙する意図によるものではないこと)、2.規制の必要性(法人格を剥奪することが必要かつ適切であること)、3.被侵害利益の軽微性(宗教団体や信者の宗教活動に対する支障が間接的で事実上のものにとどまること)、4.手続の適正さ(宗法81条の規定に基づき裁判所の司法審査によって発せられたもの)を事由に合憲としている。

翻ってとほほさんが宗教法人法に基づき宗教法人靖国神社に対して解散命令を出すとする主張の場合はどうか。上記の基準からすれば文句なく違憲である。


とほほさんは護憲を旗印にしているように一見思えますので、上記のような高度に違憲性をふくむ立法を求めるといったことや憲法破壊的な論理を以て靖国神社の法人格を剥奪するが如き、みずからの足場を突き崩すような主張はなされるべきではないと私は考えます。とほほさんの主張はテサロニケと同じように独善の誹りを免れえません。
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