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[1777]通州事件 熊猫 05/11/21(月) 0:07
[1778]何故か27日の爆撃の記述がない 熊猫 05/11/21(月) 1:43
[1781]何というマニアックな ゆう 05/11/21(月) 22:49
[1783]Re(1):何というマニアックな 熊猫 05/11/22(火) 3:23
[1794]ラジオ放送はあったのか? 熊猫 05/11/23(水) 1:16
[1795]簡単なラジオ知識 熊猫 05/11/24(木) 1:29
[1796]Re(1):簡単なラジオ知識 とほほ 05/11/24(木) 8:53
[1801]電波の種類が違います。 熊猫 05/11/25(金) 11:45
[1797]Re(1):簡単なラジオ知識 渡辺 05/11/24(木) 18:03
[1798]Re(2):簡単なラジオ知識:関東軍の要請 渡辺 05/11/24(木) 18:26
[1802]中国のラジオ放送 熊猫 05/11/25(金) 15:54
[1831]Re(1):中国のラジオ放送 渡辺 05/12/4(日) 1:28
[1832]Re(2):中国のラジオ放送 熊猫 05/12/5(月) 1:56
[1942]中国のラジオ放送(時局解説百科要覧より) 熊猫 05/12/26(月) 1:03

[1777]通州事件
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/21(月) 0:07 -

引用なし
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   やはり右翼の大好きなスレッドがないと面白くないかと・・・・・
右翼って、日本人が虐殺された・略奪された・強姦されたなんてマゾヒズムな歴史が大好きですよね。それって自虐史観っていうんだっけ?
馬鹿右翼の喜ぶネタですが、真面目な内容にまとめたいと思います。
ゆうさんの「通州事件」−直接の引き金を読んでからROMしていただくと幸いです。

資料を提示して私なりに検証してみたいと思います。(例によって旧漢字は新漢字に変更しています。)
部外秘『北支事変情報 第三号』偕行社編纂部(偕行社特報 昭和十二年九月第二十七号付録)より、事件までの経緯をセレクトしてみます。
【7月27日】24P
通州城外に駐屯せる第二十九軍独立三十九旅の一営に対し二十七日朝在通州部隊と冀東保安隊と協力、武装解除を要求せしも拒否せられ、交戦し大打撃を与ふ

つまり、27日の戦闘の時点では冀東保安隊は日本軍と協力関係にあったことが日本軍の記録に残っているのです。そして27日に爆撃を行ったという記述はありませんが、28日に爆撃をした記述があります。意図的に誤爆の事実を隠蔽した可能性もあると思います。

7月27日に日本軍による冀東保安隊への爆撃はあったのか?
事件当日の7月29日、通州にいた同盟記者の安藤利男氏は、『通州の日本人大虐殺』(文芸春秋 臨時増刊 昭和の35大事件)1955年8月5日発行 176P〜181Pにおいて、下記のような日本軍の誤爆の記述をしていますので、同書179Pより引用します。
(略)第一にあげなばならないものは、冀東保安隊幹部訓練所爆撃事件である。これが日本軍の手でやられたと云うのだから、驚いたものである。これが少なくとも直接の原因だったといってよい。事件前々日の、二十七日、日本軍が通州の宋哲元軍兵舎を攻撃した。その時一機の日本軍飛行機は、どうしたものか、宋哲元軍兵舎ではなく、冀東兵営を爆撃した。冀東兵営には冀東政府の旗、五色旗がひるがえっていた。
 びっくりした冀東兵営はさらに標識をかかげて注意をうながしたがそれにもかゝわらず、爆弾はそれからも落されたのだ。死傷者も出た。(略)

「第一にあげなばならないものは」と書かれていますが、「第二」は書かれておりませんので作為的な省略ではありません。安藤利男氏も爆撃があったのは27日としています。氏は28日のラジオ放送を聞いたと記述しているが、通州事件の原因は日本軍の誤爆にあると考えているようです。

秦郁彦氏は安藤利男氏がラジオ放送を聞いたのは夕方であると主張していますが、事実は少々違います。同書177Pより引用します。
筆者はその二十八日の夕刻までの間を、冀東政府の建物に出入りしていたが、どの部局の部屋へ入つてもだわめきたつていた。どこから送られてくるものかしらなかつたが、ラジオはさかんに支那軍の前面戦勝を放送していたのだ。
安藤利男氏は夕方にラジオ放送を聞いたとは、言っていません。
39 hits

[1778]何故か27日の爆撃の記述がな...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/21(月) 1:43 -

引用なし
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   『北支事変情報 第三号』を読む限り、26日・28日・29日と爆撃の記述があるにもかかわらず、27日の爆撃の記述はありません。29日の通州事件の記述はありますので提示します。
【29日】27P
◎通州保安隊の叛乱
冀東保安隊(千学忠の旧部下)約三千早暁突然兵変を起し支那敗残兵と共に我守備隊を包囲す、守備隊之に応戦
(戦死 将校二、兵十八、負傷 将校一、下士官一、兵十一)

【30日】28P
◎通州方面
一、爆撃により叛乱軍包囲を解き北方地区に終結せるが如し
二、特務機関、居留民に多数の損害あるが如きも同日夕迄不明
三、川邊部隊の一部到着

【31日】29P
◎通州事件
一、通州叛乱軍部隊主力は北平に向ひしが鈴木部隊に攻撃せられ、其一部は殷汝耕の命を受けたる第一、第二総隊の一部将校により門外にて、武装解除し約千名を修編す
二、殷汝耕は北平に収容せらる
三、池宗墨は天津に於て冀東防共自治委員会長代理を命ぜらる
四、駐屯軍に於ては北平武官より報告ありしも雨天にして飛行活動し得ず

29 hits

[1781]何というマニアックな
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/11/21(月) 22:49 -

引用なし
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   最近ちょっとWikipediaに関わり、その流れで改めて「盧溝橋」関係の資料を読み返しているところです。「衝突前史」「事件から事変へ」といった、構想だけで放っておいてあるコンテンツもあるし、こちらにも少し取り組み直してみようかな。「毒ガス戦」関係コンテンツがまだ中途半端なのが気になってはおりますが。

しかし熊猫さんの資料収集の熱心さには、参った。『北支事変情報 第三号』なんて、そもそも存在自体知りません。安藤手記も、捜しているけどなかなか見つからないんですよね。葛西『新資料盧溝橋事件』に別の「安藤手記」が掲載されておりますが、ご紹介の文を見ると、こちらの方が詳しいようです。


さて、「27日の日本軍の爆撃」です。当時の記録はなかったかと、ついつい、手許の資料を片っ端から引っくり返してしまいました。捜すこと小一時間、ようやく発見。新聞タイムス社編・東京代々木皇徳奉賛会発行『各社特派員必死の筆陣 支那事変戦史』です。ここまでマイナーだと、さすがに熊猫さんも持っておるまい(^^)


******************************

通州の敵兵営・木っ葉微塵
  ○○二十八日発・朝日特派員 永田正義

郎坊に於ける日支軍の衝突では我が空軍が事変以来初めてその威力を示したが今度は平部隊が友軍の地上部隊を援護して通州の爆撃を敢行我が空軍のため大に気を吐いた―

二十七日未明○○の我が○○部隊は通州の兵営にある支那軍の二ヶ大隊に武装解除を要求したが敵は答へるに銃弾をもつてしたので同隊では直に空軍の援護を求め午前八時四十五分頃、俊敏果敢を以て鳴る○○部隊に出動命令が発せられた。

前夜来万端の戦闘準備をして待機してゐた平部隊長は○機を従へて敵陣地へ急ぎ同九時頃には通州上空に現れた、兵営に拠る敵部隊の乱射に対して友軍の地上部隊は西と北から攻撃態勢をとり平然と静まりかへつてゐる、

平部隊長は直に地上の友軍部隊に対して『我が隊は貴隊に協力し敵軍を爆撃せんとす、爆撃を希望せらるるや』の通信筒を落して回答を待つた、地上部隊からは折返し『直に爆撃を開始せられんことを希望す』と信号して来たので玆に空陸呼応して我が猛攻撃は開始された、

我が空軍は地上部隊が攻撃の火蓋を切つたのを認めるや先づ約一千メートルの高度を取つて爆撃を加へ爆弾はビューンと音を立てながら狙ひ違わず敵の兵営に命中、忽ちこれを潰滅し瞬間、彼我の勝負は決したのであつた、

この爆撃を了ると今度は我空軍の最も得意とする爆撃に移り先づ隊長機が敵陣目蒐けて爆弾を投下するとともに逃げ惑ふ敵兵に機関銃を浴せかけた、

その快速! まるで弾丸だ、神技だ、

隊長に続き岩谷機並にその僚機も敵陣に攻撃を加へ爆弾と機関銃を乱射して壮絶の限りを尽し爆弾の命中とともに爆破の轟音は天地を震はし兵営は木葉微塵に粉砕され敵兵の死骸は山を為すばかり、

この間に友軍の地上部隊は攻撃又攻撃、頑強に抵抗した敵もこの頃には殆ど潰滅、かくて空軍は約三十分間に亘り友軍地上部隊と緊密な連絡の下に縦横無尽に活躍し止めを地上部隊に依頼して午前十一時五分原隊に帰還したのであつた、

なほこの戦ひに我全機は敵弾一つ受けて居らず如何にその動作の俊敏であつたかを立証してゐた。(同書 P171〜P172)

******************************


どうやら「誤爆」は、この時の爆撃の一部であったようです。「誤爆」については、寺平忠輔氏『盧溝橋事件』が、一番詳しいでしょうか。


******************************

夜はほのぼのとあけ離れ、ニプ色の陽の光が城壁を照らし始めた。この時、戦闘に協力すべき友軍爆撃編隊が通州上空に浮び出て来た。浮足立った中国軍の頭上に猛烈な爆弾の雨を注ぎ始めた。兵はクモの子を散らしたように、兵営の外へとび出して行く。それが新南門を固めていた我が軍からの、横なぐりの銃火を浴びる。

この戦闘において、我が軍は将校以下六名の戦死者と、二十六名の負傷者を生じたが、新設連隊初陣の殊勲に、将兵の士気はあがった。二十七日午前十一時ごろまでに、付近一帯の残敵掃蕩を完全に終り、宝通寺の中国兵営にはもはや一兵の姿も見受けられず、戦闘目的は、完全に達成する事が出来た。

ところがこの戦闘に関連して、厄介な問題が起った。宝通寺の兵営と境を接している冀東保安隊幹部訓練所では、爆撃隊が対地戦闘を開始したと知るや、好奇心から隊員一同、広い校庭にとび出して、この戦闘を見物し始めたのである。

華北の戦場に到着したのは数日前であり、通州の戦闘参加の命令をうけたのが今日の明け方だという飛行隊は、冀東と冀察の境界線がどのようになっているのか、保安隊訓練所がどこにあるのか、そのような細かい点はわからない。

から今、脚下にとぴ出して騒いでいる冀東保安隊の姿を見た時、二十九軍の一味に違いない、と即断したのも無理はなかった。爆撃の雨は、この保安隊の頭上にも、浴せかけられたのである。たちまち保安隊員の数名が重傷を負い、数名はその場に爆死した。(同書 P368〜P369)

******************************


両方の記録を重ねると、凡その「事実」が見えてきます。

27日、日本軍は「通州」にある敵兵舎を爆撃した。しかし、爆撃隊の不慣れから、敵と味方を十分に判別できず、「保安隊」という「味方」まで爆撃してしまった。とまあ、こんなところでしょうか。
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[1783]Re(1):何というマニアックな
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/22(火) 3:23 -

引用なし
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   はい!少なくとも板倉由明のおじさんが恥ずかしくなるような、マニアックな「南京の人口資料」を提示しますので楽しみにしておいて下さい。
板倉由明氏も知らない(もし知っていたら板倉氏は大嘘つきということになります)資料ですし、洞富雄先生も知らない資料だと思います。もし『南京大虐殺の証明』を執筆中の洞先生に見せたら、泣いて喜んだんじゃないかと思います。
あと「安藤手記」と「若杉参謀」の文芸春秋と週刊朝日は、来月にでもゆうさんにプレゼントします。文芸春秋の方は盧溝橋事件の記述もありますので楽しみに待っててください(^^)

27日の誤爆について、安藤利男氏は更に下記のような記述をしています。同文芸春秋180Pより引用します。
あとで聞いたところでは、この日本軍の飛行機は、天津や北京から来たものではなくて、朝鮮から飛んで来たものだともいわれた。地上戦闘と飛行機の連絡がまずかつたものか、出来なかつたものか、それとも冀東兵営と知りながら狙つたものなのか、その辺のところまで来ると当時の状況については、ついにその後も分らずじまいにされている。
 ともかくこの爆撃事件が冀東保安隊の寝返りにふんぎりを与えたことは事実のようだ。この爆撃事件がなかつたならば通州事件の惨劇は生まれなかつたということと、この爆撃事件を起したものが通州事件の張本人だという人もいる。

事件の当事者であり、同盟の記者でもあった安藤氏としては随分と中途半端でいい加減な情報です。取材できなかったのか?取材しなかったのか?普通ならこれだけの大事件を新聞記者、自らが体験できたのであれば必死で取材するのではないでしょうか?

誤爆ですが先に裏切ったのは、日本軍であり寝返ったという表現は不適切だと思います。
誤爆後の保安隊に対する細木中佐の対応がまずかったのではないでしょうか、戦友を殺されたのですから、細木中佐には対応できる状況ではなかったのかも知れません。
39 hits

[1794]ラジオ放送はあったのか?
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/23(水) 1:16 -

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   その内容はともかく、ラジオ放送があったのは事実でしょう。しかしそれが通州事件の原因であるというのはトンデモだと思います。
同盟の記者の安藤利男氏は通州に於いて、ラジオ放送を聞いたと証言しています。日本軍が負けた危機的な状況であれば、新聞記者なら取材くらいするはずです。ラジオ放送というのは、28日だけのことではなく恒常的な軍事プロパガンダであり、聴くほうもそのことは知っていたことを念頭におく必要があるでしょう。

私が寺平忠輔氏をインチキ臭いと思ったのは、「事実、通州のような田舎に引込んでいると、日本軍でさえとかく全般の情勢にうといのが通例である。いわんや冀東の保安隊など、戦争はいったいどちらが勝っているのか敗けているのか、皆目わからず、半信半疑でいたところへこうしたラジオ放送である。」などと意味不明の論説を言っているところです。
そんなことは電話で解決することです。事件当日、通州に残っていたのは通信兵です。冀東軍にしても軍隊です。ラジオ放送を信用したのであれば電話や通信機で事実確認くらいはするでしょう。
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[1795]簡単なラジオ知識
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/24(木) 1:29 -

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   南京のラジオ放送を北京や通州で聞くことができるのか?
最初に結論から申します。通州で南京のラジオ受信するのは不可能です。この初歩的な常識が、寺平忠輔氏には理解できていません。
関東に御住まいの方は、九州のラジオ放送を聞くことが出来るでしょうか?
南京と北京や通州との距離は1000km以上はあるでしょうか、だとするとそのラジオ放送は日本(九州)でも聞くことが出来たという事になります。
ラジオ電波の電波には、地上波空間波があり、地上波の遠距離受信は不可能であり頼みの空間波も夏場(寺平氏7月27日・佐藤氏7月28日)なら夜間でなければ聞くことはできません。電波は太陽エネルギーにより発生する地球を取り巻く電離層によって吸収・反射される性質を持っているからです。ラジオの電波は電離層の条件により、遠距離受信ができたりできなかったりするのです。
出力の高いラジオ局の電波ならば、遠距離受信は可能です。しかし、当時の中国にはそのような放送設備はありませんでした。

中国のラジオ放送局
南京広播電台(75キロ)という当時としては、とてつもない大出力の放送局があったのは事実です。現在の日本の地方の地方民法ラジオ局(5キロ)の15倍の出力ですから、政治的或は軍事的意図を持って造られたものであることは間違いありません。
それでも、通州まで電波を飛ばすことは出力不足であり無理です。2番目に出力のある漢口のラジオ放送局(5キロ)からでも無理です。あと杭州と香港(両方共2キロ)がありましたが論外です。つまり、1キロ以上のラジオ局は4箇所しかありませんでした。
南京のラジオ放送を北京や通州で聞くためには、最低でも放送局側出力は100キロは必要でしょう。1932年のラジオの性能からすると更に高い出力が必要と思われます。

福岡では、韓国のラジオ放送を聞くことが出来ますが、それは韓国の放送局の出力が500キロあるからです。日本の地方民法ラジオ局の100倍の出力ですので当然といえば当然です。日本でも東京都のラジオ放送局は100キロの出力だそうです。
60 hits

[1796]Re(1):簡単なラジオ知識
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 とほほ E-MAIL  - 05/11/24(木) 8:53 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>福岡では、韓国のラジオ放送を聞くことが出来ますが、それは韓国の放送局の出力が500キロあるからです。日本の地方民法ラジオ局の100倍の出力ですので当然といえば当然です。日本でも東京都のラジオ放送局は100キロの出力だそうです。

こんにちは(^.^)
私自身はラジオとか無線とかに全く興味をもったことはなくマニアになったこともないので筋違いなのかもしれませんが、この出力を上げるということ自体は簡単なのではないでしょうか?と申しますのもトラックの運転手をしていたころ当時はCB無線と言う違法無線がはやってました(^^;
で、そのマニアたちは無線機を改造して競い合うわけですが、その話が東北で高速走行中に「今日は九州とつながった」「すげー」とか言う自慢話を良く聞いていたのです。

ま、関係ないかもしれないですが当時の戦時放送の情報戦なども調べないとなんともいえない、と言うことはないですかね?(^^;
もっとも当時の無線技術が日本軍を代表にアジアは全くお粗末であった、ゼロ戦が苦戦したのは無線のせい、と言う話を見かけるのも確かです。
62 hits

[1797]Re(1):簡単なラジオ知識
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 渡辺  - 05/11/24(木) 18:03 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>南京のラジオ放送を北京や通州で聞くことができるのか?
>最初に結論から申します。通州で南京のラジオ受信するのは不可能です

これは、断定できないと思います。

(1)というのは、南京空襲のときに放送局が攻撃されたのですが、これを関東軍が要請しているのです。
上海で南京の放送局の電波にオーバーライドして日本軍の宣伝放送をしようという計画がありました。その関係で真っ先に爆撃されたのかと、当初は思っていましたので、関東軍の爆撃要請の文書を見つけたときは意外でした。
今、締め切りが過ぎた原稿をかかえていますので、時間ができたら、その文書を探してみます。
(2)もう一点、短波放送もやっていました。国内向け放送もあったかも知れません。
60 hits

[1798]Re(2):簡単なラジオ知識:関東...
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 渡辺  - 05/11/24(木) 18:26 -

引用なし
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   あ、すぐ出てきました(^^)
「南京ノ放送ハ滿洲国及北支ノ思想昇ヲ撹乱シ其害尠カラス」とあります。
「昭和12、6、29」は原文(漢数字)のとおりですが、これは八を六と書き間違えたのかな。

「アジア歴史資料センター」
----
レファレンスコード:C01003299700

 表題: 南京放送局爆撃に関する件
(昭和12年 「満受大日記 其の20」)
 作成者: 関東軍參謀長
 作成年月日: 昭和12年06月29日
 内容: 閲 常務 陸満密受第一三六三号 昭和12、6、29 秘電報 9、25、後5、15發 7、10著 関宣電第七一号 次官 次長宛 関東軍參謀長
南京放送局ノ爆撃ニ関シテハ8月19日当部ヨリ現地海軍側ニ要請スルト共ニ中央部ニモ通報セル所ナルカ今日ニ至ルモ未タ其成果ヲ見ス南京ノ放送ハ滿洲国及北支ノ思想昇ヲ撹乱シ其害尠カラス又当方ニ於テハ南京放送局破壊ノ時機ヲ待チ其波長ヲ使用シテ支那内部ニ対シ放送ニ倚ル思想宣傳戰ヲ敢行スルノ準備アリ之カ實施ニ因リ支那ノ混乱屈服ヲ早ムルコトヲ得ヘキモノト信スルヲ以テ貴方ヨリ更ニ海軍側ニ対シ南京放送局ヲ速ニ爆撃スル様要求セラレ度 (終)
-----

▼渡辺さん:
>▼熊猫さん:
>>南京のラジオ放送を北京や通州で聞くことができるのか?
>>最初に結論から申します。通州で南京のラジオ受信するのは不可能です
>
>これは、断定できないと思います。
>
>(1)というのは、南京空襲のときに放送局が攻撃されたのですが、これを関東軍が要請しているのです。
>上海で南京の放送局の電波にオーバーライドして日本軍の宣伝放送をしようという計画がありました。その関係で真っ先に爆撃されたのかと、当初は思っていましたので、関東軍の爆撃要請の文書を見つけたときは意外でした。
>今、締め切りが過ぎた原稿をかかえていますので、時間ができたら、その文書を探してみます。
>(2)もう一点、短波放送もやっていました。国内向け放送もあったかも知れません。
65 hits

[1801]電波の種類が違います。
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/25(金) 11:45 -

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   ここまで、美味しいレスを頂けると有難いです。
ラジオ放送ではなく無線である可能性があるのではと思っています。そして、短波放送であれば可能ですね。

CB無線は違法ではありません。合法的な出力やアンテナで使う分には一切問題はありません、ただし法律を守っている方がどの程度いるかは疑問です(^^;
際どい文章を書かせていただきます。あくまでも私の個人的見解ということで大目に見てやってください。
CB無線なんてものは売るほうも買うほうも法律を守らないで、下駄を履かせる(出力を上げる)ことを前提でキットで素人でも改造できるものとは本質的に違います。

CB無線というのは、電波の波長が短いので僅かな出力で遠くまで送信することができるのです。本来なら、0.5ワットルなのを1000倍の500ワットルに下駄を履かせればEスポットなどの条件がよければ海外のトラック野郎とも簡単に交信できるのです。
つまり、短波放送であれば可能ということです。
67 hits

[1802]中国のラジオ放送
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 熊猫 E-MAIL  - 05/11/25(金) 15:54 -

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   当時の日本軍の資料ではなく、中国のラジオの歴史のサイトがありましたので紹介します。
1928年8月1日に国民党中央広播電台が南京で500Wの出力で放送開始しています。そして、南京の江東門に新しく建設した放送局が1932年11月12日に75キロWの開始したとなっています。これは、短波ではなく中波(AM)です。

実は私の思考回路もここでロックしてしまいそこから先に踏み出せませんでした。
>もう一点、短波放送もやっていました。国内向け放送もあったかも知れません。
1937年の7月に南京の放送を聞く可能性としてはこれしかないと思います。その存在が解らなかったのですが、日本が短波放送を開始した翌年の1936年2月23日より南京では500Wの出力で短波放送を開始しています。中国語、厦門語、マレー語、英語の4ヶ国語で放送されており、海外の華僑を意識しての放送でしょうか、その放送はニュージーランドまで届いたそうです。中国語の放送もあったということですから、国内向けの放送としても兼用されていたのは間違いないでしょう。
1937年当時の軍人にラジオ電波の種類の違いがまともに認識されていないのはむしろ仕方のないことかも知れません。
短波だと、北京や通州で放送を聞くことは可能です。問題なのは普通(AM用)のラジオでは聞くことが出来ません。

寺平忠輔氏が聞いたのは、短波放送かも知れません。AMラジオではなく短波ラジオまたは、軍事用無線機で聞いたと推定すれば可能です。
しかし南京の放送局といえば、満州事変以来、すぐにもう、「あああのデマ放送か」とうなずかれるほど有名になっていたが、これが盧溝橋事件以後、活発な宣伝を始めていた。と言ってます、塘沽協定は1933年5月です、例外はありますが世界的にも短波放送のない時代であり1935年以前に短波放送を聞くことはありえません。
渡辺さんが提示した「満受大日記」の頃には既に短波放送がありましたので、寺平忠輔氏の記述とは本質的に違うのではないでしょうか?
58 hits

[1831]Re(1):中国のラジオ放送
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 渡辺  - 05/12/4(日) 1:28 -

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   ▼熊猫さん:
>当時の日本軍の資料ではなく、中国のラジオの歴史のサイトがありましたので紹介します。
>1928年8月1日に国民党中央広播電台が南京で500Wの出力で放送開始しています。そして、南京の江東門に新しく建設した放送局が1932年11月12日に75キロWの開始したとなっています。これは、短波ではなく中波(AM)です。

それが、北京や満州でも傍受できたということではないでしょうか。
ASIA誌、1935年1月号に Radio Brodocasting in China (by Ernest T. Shaw) という記事が掲載されています。
記事では、こうなっています。
「1932年、党の援助のもとに、国の最も離れた地区にも届くほど強力な放送局が南京に建てられた。それは、XGOA 75キロワット、660キロサイクル、6万ドルの費用でドイツの会社によって設置されたものだ。はるかシカゴでも聞かれている。」
この記事からは、中国全土で聞くことができ、しかもシカゴにも届いたと読めます。
通常、AMラジオの実用的な到達距離は、5KWで50Kmだそうです。これでいきますと、電界強度は距離の2乗に反比例するとして、75KWでは200Km程度になります。シカゴで聞くことができたというのは夜間のことでしょう。恐らく、北京などでは夕方くらいから聞こえたのではないでしょうか。
ちなみに、南京日本商工会議所『南京』p.104によりますと、国民党の放送局は75KW,600Hzとのこと。これらの放送局の周波数が低いのは、回折をねらって、なるべく遠くへ電波を飛ばそうとしたものと思われます。

----
原文:
In 1932 a station powerful enough to reach the most remote sections of the country was erected at Nanking, under the Party's auspices. This is XGOA, 75 kilowatts, 660 kilocycles, installed by a German firm at a cost of $60,000. It has been heard as far away as Chicago.
[ASIA, January, 1935, p.22]
---
66 hits

[1832]Re(2):中国のラジオ放送
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/5(月) 1:56 -

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   すみません、途中でほっぽらかしていました。というか、自分でネタ振りしてドツボにはまっている状態です。当時の無線技術を調べている最中なんですが、電波の飛距離を証明するのは難しいですね。そのうち真空管無線機博士になりそうな気がしています。
ラジオの電波については、否定的見地からと肯定的見地から見ないといけないと思います。
否定的見地
中国全土で聞くことが出来るということは、その放送は日本でも聞くことが出来るということです。
日本放送は100キロWですので、南京広播電台の75キロWより遥かに出力があります。短絡的ですが九州で日本放送が聞けないのだから、北京で南京広播電台は聞くことが出来ないだろうということです。私にはアメリカで「オールナイトニッポン」が聞けるとは思えません。
肯定的見地
今となっては確認できないことですが実は、無線やラジオの電波については現代の技術でも不可能では?と言いたくなるような事例はあります。
現代のように使える周波数が限定されているのではなく、空き領域だらけの場合は想像以上に遠くまで電波が飛んだと想定されます。これらは現代のような環境の中では実験は不可能かと思われます。
それにしても、好条件がかさならないと難しいと思います。電離層の影響は無視できないでしょうし、単発的に聞こえることはむしろあったと思います。

とんでもない深みにはまったようです(汗)!
67 hits

[1942]中国のラジオ放送(時局解説百...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/26(月) 1:03 -

引用なし
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   『時局解説百科要覧』(平凡社)昭和12年11月20日発行
この本、個人的にはオススメなのですが価値観が違いますので.......。残念なのは資料の出所が不明なとこでしょうか、当時の資料集としては貴重なのではないかと思います。この本と『日本の粘土の足』と『貧国強兵』を併読すると面白いのではないかと思います。
今なら2000円でゲットできますので早いもの勝ち!
私がこのような案内をするときは、既に自分がゲットした後です(^^)。


-229-より
      4 ラヂオ放送台
国営ラヂオ放送局
 所在  呼出符号     パワー     周波数
 南京  XGOA  75,000W    660KC
 南昌  XGOC     500W  1,132KC
 漢口  XGOW    -------      -----
 雲南  XGOY     500W    698KC
 済南  XOST     500W    857KC
 杭州  XGOD   1,000W    977KC
 広東  XGOK   1,000W    677KC
 北京  XOPP     100W    952KC
 天津  XOTN     500W    ------
 太原  XTOY     500W    625KC
全支ラヂオ放送台一覧
 名 称   呼 号  電力(W) 波 長   周 率  所在地
 其 美  PUON   100  211  14213  上海
 江 蘇  XGWS    50  216  13888  無錫
 華 東  --------    50  218  13771  上海
 法 人  FFZ    250  224  13392  〃
 孫 氏  XSY     50  247  12145  〃
 大中華  XGNE   100  250  12000  〃
 亜 美  XGAE   100  267  11232  〃
 永 生  XCIS    50  279  10752  〃
 東 方  XGGH   100  295  10119  〃
 中 西  XCCD   100  296  10100  〃
 浙 江  XGY    100  308   9740  杭州
 北 京  XOPP   100  315   9523  北京
 国 華  XGKH   100  337   8849  上海
 頤和堂  XGYW   100  340   8824  蘇州
 山 東  STB    500  350   8571  済南
 友 連  XGVE    50  352   8522  上海
 百 霊  XGBL    50  310   8333  蘇州
 新 新  XGX     50  361   8310  上海
 建 華  XGCH    50  375   8021  〃
 三端堂  XCSZ    50  359   7595  〃
 広 州  CMB   1000  440   6818  広州
 中 央  XGOA  7500  440   6818  南京
 天 津  COTN   500  480   6250  天津

      5 無線台一覧
全支主要無線電台
  台 名     電力(W)  波長(m)   周率(千)  所在地
中央広播電台   75,000  454.0    680.0  南京
浙江省広播電台   1,000  307.0    977.5  杭州
広州市無電播音台  1,000  443.0    677.2  広州
山東省会広播電台    500  348.8    857.1  済南
天津広播電台      500  480.0    625.6  天津
雲南省広播電台     500  429.7    697.0  雲南
上海其美電台    1,000  208.3  1,460.0  上海
大中華広播電台     500  258.6  1,160.0  上海
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資料は見やすいように漢数字をアラビア数字に置き換えました。気になる数値はありますが、ママで提示しています。
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