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[1882]小さな戦い レビア 05/12/12(月) 5:07
[1883]Re(1):小さな戦い とほほ 05/12/12(月) 14:04
[1890]これもパターンのうち……(T_T) レビア 05/12/13(火) 2:42
[1897]Re(1):これもパターンのうち……(T_T) SASKE 05/12/14(水) 0:32
[1884]Re(1):小さな戦い パルミーロ 05/12/12(月) 14:40
[1886]Re(2):小さな戦い SONG 05/12/12(月) 17:35
[1888]Re(3):小さな戦い とほほ 05/12/13(火) 0:24
[1889]Re(4):小さな戦い SONG 05/12/13(火) 0:58
[1895]Re(5):小さな戦い とほほ 05/12/13(火) 22:36
[1904]人種差別 七生報国 05/12/14(水) 23:43
[1906]Re(1):人種差別 とほほ 05/12/15(木) 4:20
[1912]Re(2):人種差別 熊猫 05/12/16(金) 0:47
[1913]Re(3):人種差別 とほほ 05/12/16(金) 1:06
[1914]Re(4):人種差別 熊猫 05/12/16(金) 1:59
[1915]Re(5):人種差別 とほほ 05/12/16(金) 2:17
[1916]Re(6):人種差別 熊猫 05/12/16(金) 12:41
[1918]Re(7):人種差別 とほほ 05/12/16(金) 15:32
[1919]Re(8):人種差別 とほほ 05/12/16(金) 15:46
[1921]解放同盟らしい嘘ですね 熊猫 05/12/16(金) 20:28
[1922]Re(1):解放同盟らしい嘘ですね とほほ 05/12/16(金) 21:44
[1924]Re(2):解放同盟らしい嘘ですね 熊猫 05/12/17(土) 2:20
[2130]Re(3):解放同盟らしい嘘ですね 七生報国 06/2/24(金) 2:48
[1931]Re(2):解放同盟らしい嘘ですね SONG 05/12/19(月) 13:42
[1920]Re(8):人種差別 熊猫 05/12/16(金) 19:35
[1885]Re(1):小さな戦い あっちゃん 05/12/12(月) 16:16
[1898]Re(2):小さな戦い SASKE 05/12/14(水) 1:11
[1899]Re(3):小さな戦い あっちゃん 05/12/14(水) 13:11
[1932]Re(4):小さな戦い とほほ 05/12/19(月) 21:47
[1934]Re(5):小さな戦い あっちゃん 05/12/21(水) 8:34
[1941]Re(6):小さな戦い SASKE 05/12/25(日) 2:00
[1940]Re(4):小さな戦い SASKE 05/12/25(日) 1:46
[1953]Re(5):小さな戦い あっちゃん 05/12/30(金) 19:59
[1887]Re(1):小さな戦い 七生報国 05/12/12(月) 20:03

[1882]小さな戦い
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 レビア  - 05/12/12(月) 5:07 -

引用なし
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    こんにちは。
 以前一度だけ投稿させていただいた、レビアと申します。

 前の時は某巨大掲示板で南京に関して話をしていたのですが……。
 その後、意外な方向から議論をふっかけられました。
 学生時代の先輩です。

 最初は電話だったのです。
 普通に世間話をしているうちに、今の外交政策やら教育の問題やら、その辺りの話になって……。
 会話は適当に打ち切ったのですが、その後でその先輩からメールが来ておりまして。
「直接の言い合いだと言いたいことがうまく言えないのであらためてメールで送ります」と。
 その内容が……いわゆる「つくる会」の主張を全面的になぞったようなものでした。
「私は昔は左翼的だったが、今では考えをあらためている」とのこと。
 私もレスを返しました。そしてやりとりになりました。
 この手の話のお約束で、国旗・国歌問題やら日本が戦時中やったことへの謝罪問題やら、話題はあちこちに飛び、段々と収拾がつかなくなってきます。

 その中で、先方から、驚愕かつ脱力ものの発言が次々と。
(メールでのやりとりですので、そのまま引用はしておりません。ご了承ください)

 向こうが『いつまで謝罪すればいいのか』のようなことを言ってきたので、「今の日本のやりようでは到底本気で謝罪しているようには見えないだろう」と返しました。
『具体的に何をどこまでやればいいのか』と返してきました。
 私は、「一律的にこれをやれば終わりというものではないけれども、少なくとも自衛隊を海外に出すようなことは絶対にやってはいけない」と書きました。
 すると……。
『ということは、沿岸から12海里以上離れてはいけないのですね。それでは和歌山県潮岬から東京へ直行することも不可能。航空機も、飛び立ってすぐに領海外。それでは何もできないではないですか』
 小学生ですか、あなたは。
「公海というものを知っていますか。親善航海というものもあります。航空自衛隊の場合は防空識別圏というものが各国間で定められていて……」などと細かく説明し、「要するに軍事目的で海外へ自衛隊を出すな、ということです」と書き送りました。
 するとさらに……。
『誤読させるように書いた君が悪い。そもそも自衛隊の目的から軍事を取ったら何が残るのか』
 …………はあああ(ため息)。

 国旗・国歌問題についても、『職務命令に従わない教員を処罰するのは当然である』『厳粛に執り行われるべき儀式の場において、それを乱すような行為をすれば罰せられても仕方ない』『日の丸を掲げたい・君が代を歌いたいという人の気持ちは無視ですか』などなど、お約束発言のオンパレード。
 歌いたい人は歌えばいい、それは否定していない、大事なのは嫌な人に強制しないことです、と何度書いても通じません。

 そして極めつけは、「愛国心」を巡るやりとりでした。
 先輩が『平和・人権・平等を名乗る団体がどれほど害悪をまきちらしているか』と言ってきたので、「そういう困った団体があることは否定しませんけれども、それがなくなった時のことを考えれば、“人権”“平和”が大声で言われている方が、“愛国心”が言われるよりよほどましでしょう」と返しました。
 それに対して、驚愕のレスが。
『なくなった時というのがよくわかりません。具体的な説明をお願いします』

 ……………………。

 膝から崩れ落ちる感覚、というのは初めてです。
 鼓腹撃壌、という故事を思い出しました。いや本当にこの国は平和です。ありがたいことです。

 ああ、こういう人に『つくる会』は支持されているのかと、心の底から実感できました。

 この掲示板の本来の目的とは違う投稿で申し訳ありません。
 あまりにも衝撃的だったので、サンプルの一例として報告させていただきました。

 なお、この先輩とのやりとりはいまだに続いています。
 最近ではこちらが『議論の進め方がなってない』『ちゃんと扶桑社の教科書を買って読め』と非難(?)され続けております。まったくもう……。

 それでは失礼いたします。
29 hits

[1883]Re(1):小さな戦い
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/12(月) 14:04 -

引用なし
パスワード
   ▼レビアさん:
> こんにちは。
> 以前一度だけ投稿させていただいた、レビアと申します。

こんにちは、いつもながらレビアさんの奮闘(とため息(^^; )がじわじわと伝わってくるようなご投稿をありがとうございます。

> 前の時は某巨大掲示板で南京に関して話をしていたのですが……。
> その後、意外な方向から議論をふっかけられました。
> 学生時代の先輩です。

およよよ(^^;
身近にそういう方がおられるとはレビアさんにとって貴重な存在なのかもしれません、その先輩を大事にされてください(笑)←他人事だと何でも言える(^^;、、、(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

>「私は昔は左翼的だったが、今では考えをあらためている」とのこと。

パターンですな(ーー;)

>「公海というものを知っていますか。親善航海というものもあります。航空自衛隊の場合は防空識別圏というものが各国間で定められていて……」などと細かく説明し、「要するに軍事目的で海外へ自衛隊を出すな、ということです」と書き送りました。
> するとさらに……。
>『誤読させるように書いた君が悪い。そもそも自衛隊の目的から軍事を取ったら何が残るのか』
> …………はあああ(ため息)。

これもパターンですな(ーー;)
そうなんです、連中は自分が理解できないこと知らないことは全部「他人のせい」なのです。

> 歌いたい人は歌えばいい、それは否定していない、大事なのは嫌な人に強制しないことです、と何度書いても通じません。

パターンです(ーー;)
この掲示板にもその先輩さんと全く同じ事を繰り返す方がみえられたことがあります。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=400;no=471;id=sikousakugo#atop

>『なくなった時というのがよくわかりません。具体的な説明をお願いします』

パターーーーンです(ーー;)
こういう方には、具体的に説明したってわかりません。昔の人は良い言葉を残してくれたものです。
「見てわからんものは、聞いてもわからん」

> 最近ではこちらが『議論の進め方がなってない』『ちゃんと扶桑社の教科書を買って読め』と非難(?)され続けております。まったくもう……。

もう本当にどっかにマニュアルがあるのではないかと本気で想像しちゃうくらいのパターンですよね(^^;
でも、レビアさんは偉いと思います。私なんぞはもうメールでそういうやり取りをすることは一切しません、昔はネット上でも有名な否定論者さんともメールで一生懸命やり取りしたのですが、やめました(笑)
とにかく公開の場で相手が間違っていることを論証していくことにしました。あーなるともうカルト宗教のようなものです。オームの信者に「オームは間違っている」と説得しようとしても無駄なのと同じです。しかし身近なお方ともなるとそうもいかないのでしょうね、ご苦労をお察しします。
29 hits

[1884]Re(1):小さな戦い
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 パルミーロ  - 05/12/12(月) 14:40 -

引用なし
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   レビアさん、こんにちは。パルミーロと申します。

▼レビアさん:
>
> 国旗・国歌問題についても、『職務命令に従わない教員を処罰するのは当然である』『厳粛に執り行われるべき儀式の場において、それを乱すような行為をすれば罰せられても仕方ない』『日の丸を掲げたい・君が代を歌いたいという人の気持ちは無視ですか』などなど、お約束発言のオンパレード。
> 歌いたい人は歌えばいい、それは否定していない、大事なのは嫌な人に強制しないことです、と何度書いても通じません。
>

 私は上記の件で、常に、根源的な問いを投げかけてきました。
「ならば、北朝鮮における人権抑圧もまったく問題ないはずである。」と。
北朝鮮における人権抑圧は、「法にもとづいて」行われているのですから。
 また、「国旗国歌が気に入らなければ、選挙で勝って廃止すればよい」
という意見に対し、
「ならば、北朝鮮の反政府勢力も、最高人民会議で過半数をとって、金正日をひきずりおろせばよいではないか」
と、返します。
 かつて、フランスの思想家ミシェル・フーコーは、死刑廃止をめぐる電話インタビューに対し、死刑にだけ反対すべきではない。「すべてについて語る必要がある」と、答えました。我々も、北朝鮮だけでなく、「あらゆる場における」人権について語る必要があるのです。

 私の上記の主張が暴論であることは百も承知です。しかし、根源的でもあるのです。
28 hits

[1885]Re(1):小さな戦い
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 あっちゃん E-MAIL  - 05/12/12(月) 16:16 -

引用なし
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   ▼レビアさん:

 どうも、初めまして。レビアさんの先輩の方とのやり取りを見ていると、大変そうですね。僕も友人とふと靖国問題で、友人が靖国に行ったけども普通の神社だった。あれのどこが問題なのかという話になって、反論した所、非常に気まずい状態になってしまった事がありました(^^;)

 しかし、靖国とか、過去の歴史認識、対中国、韓国との関係、国旗国歌強制問題などいろいろありますが、相手の話を聞かずにひたすら自分達の主張のみを繰り返すのを見ていると、彼らには相手に対する想像力っていうものがちょっと欠けているのではないかと...(^^;) 謝れ、謝れ!と言われる内に、段々腹が立って来てしまい。んで、日本は悪くない!悪いのは向こうだ。と単純に考えてしまうのでしょうか。

 しかし、他人に迷惑を掛けたら謝るとか、口で言った事をきちんと行動でも示す、約束は守る、人にはいろいろな考えがあり民主主義体制では人の思想や信教は自由であるとか、普通に考えると常識だと思うんですが...
29 hits

[1886]Re(2):小さな戦い
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 SONG  - 05/12/12(月) 17:35 -

引用なし
パスワード
   パルミーロさん、はじめまして。とほほ師匠・・・一応はじめまして。

> 私は上記の件で、常に、根源的な問いを投げかけてきました。
>「ならば、北朝鮮における人権抑圧もまったく問題ないはずである。」と。
>北朝鮮における人権抑圧は、「法にもとづいて」行われているのですから。

 そうですね。『法』に基づいてさえいれば『正当』ではありません。ナチのホロコーストも「法に基づいて」行われたのです。私たちが一番問わなければならないのは「合法」か「非合法」ではなく「正当」か「不当」かが問題だということです。

 お約束のように「朝鮮併合は当時の国際法上合法だった」も「従軍慰安婦」も「強制連行」もすべて『合法』的に行われたのです。『合法』だったからこそ『不当性』があり、重大な国際問題として問われているのです。

> また、「国旗国歌が気に入らなければ、選挙で勝って廃止すればよい」
>という意見に対し、
>「ならば、北朝鮮の反政府勢力も、最高人民会議で過半数をとって、金正日をひきずりおろせばよいではないか」
>と、返します。

 多数決は民主主義を行使するためのただのツールであり、多数決が必ずしも民主主義を担保するものではありません。

> 私の上記の主張が暴論であることは百も承知です。

 暴論だとは思わないです。
33 hits

[1887]Re(1):小さな戦い
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 七生報国 E-MAILWEB  - 05/12/12(月) 20:03 -

引用なし
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   ▼レビアさん:
 そして極めつけは、「愛国心」を巡るやりとりでした。
 先輩が『平和・人権・平等を名乗る団体がどれほど害悪をまきちらしているか』と言ってきたので、「そういう困った団体があることは否定しませんけれども、それがなくなった時のことを考えれば、“人権”“平和”が大声で言われている方が、“愛国心”が言われるよりよほどましでしょう」と返しました。
 それに対して、驚愕のレスが。
『なくなった時というのがよくわかりません。具体的な説明をお願いします』

 ……………………。

「愛国」が党名に入っている政治団体が迷惑な街宣活動や企業を恐喝してる件についてその御仁の見解を聞きたいですね。
第一「愛国心」を国民に押し付けることは政権への盲目的な服従を要求することに繋がり易いという現実をどうお考えなのでしょう。
人権・民主・平和に勝る愛国心なんて存在しないと思うのですが
まぁ 七生報国なんて私はHNつけてますけど(笑)
30 hits

[1888]Re(3):小さな戦い
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/13(火) 0:24 -

引用なし
パスワード
   ▼SONGさん:
>パルミーロさん、はじめまして。とほほ師匠・・・一応はじめまして。

およよ、そうかSONGさんは思考錯誤ははじめましてですね。自分とこの掲示板では別キャラとほほですのでそこんとこ一つよろしくお願いしますm(__)m、、、(^^;

>> 私の上記の主張が暴論であることは百も承知です。
>暴論だとは思わないです。

わたしも暴論とは思いませんね、正に根源的な問いかけであり、60安保時代の学生さんが「自由を否定する言論に自由はない」としたことも一見過激派学生に利用されそうなスローガンですが根源的な問いかけであり自問自答しながら自分の中で昇華していかねばならない類の問いかけと同じだと思います。
30 hits

[1889]Re(4):小さな戦い
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 SONG  - 05/12/13(火) 0:58 -

引用なし
パスワード
   >わたしも暴論とは思いませんね、正に根源的な問いかけであり、60安保時代の学生さんが「自由を否定する言論に自由はない」としたことも一見過激派学生に利用されそうなスローガンですが根源的な問いかけであり自問自答しながら自分の中で昇華していかねばならない類の問いかけと同じだと思います。

 一昨日、NHKbsで、アフリカアメリカンの公民権運動の母、故ローザ・パークスのドラマを子供達と観ました。高校生の娘が「アボジ・・・この時代のアメリカはバスで黒人が白人に席を譲らへんかったら、逮捕されたんや・・・。ひどいな。」「そうや。それが当時のアメリカの法律やったんや。」「おかしいよ。」「おかしいと思うやろ。それは、今を生きるアメリカ人もおかしいと思っているんや。」

 日本社会は時間を逆行しているのでしょうか?

「ザマーカンカンカッパノヘ」も確かに時代を逆行しているとも思いますが・・・(w
34 hits

[1890]これもパターンのうち……(T_T)
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 レビア E-MAIL  - 05/12/13(火) 2:42 -

引用なし
パスワード
    とほほさん、パルミーロさん、あっちゃんさん、七生報国さん、レスありがとうございました。SONGさん、初めまして。未熟者ですが、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

>これもパターンですな(ーー;)
>そうなんです、連中は自分が理解できないこと知らないことは全部「他人のせい」なのです。

 まさにその通りのやりとりがありましたよ。

 先輩が『日本を非難ばかりする中韓はおかしい』と言ってきたので、「そりゃ日本は先の戦争で悪いことをしたんですから非難されるのは仕方ないでしょう」と返しました。
 先輩『悪いことばかりしたわけではない、良い点を見ないのは恣意的だ』
 私「善行があったこと自体は否定しませんが、圧倒的に悪い方が多かったわけで」
 すると。
 先輩『圧倒的に悪い方が多かったとは、具体的にどのくらいか、どこが悪かったのか。物事を批判するときはそのように曖昧な言い方をしてはいけない』
 と、こう書いてきましたので、私は……これは私が書いたメールですので、書いた通りに張りつけます。
「日本軍が当時行った蛮行の数々を、すべて羅列しろとおっしゃるので?
 戦闘行為とは無縁の、無数の暴行、略奪、殺戮。
 八紘一宇だのアジアの解放だの口にしながら、その実まったくそんな気はなかった欺瞞。
 現地の感情や宗教概念を無視して日本的生活様式を強引に押しつける傲慢、無知。(もちろん罰則を含みます)
 などなど、関連する書籍は山ほど出ています。図書館でも容易に見つかります。興味がありましたら探してみるといいでしょう」

 ……予想はついておられることでしょうが、見事なまでにお約束の、パターン通りの返答が返ってきましたよ。

『逆ギレしてるんじゃない。したいなら勝手に列挙しろ。そっちが言い出したのだからそっちが探せ。「関連する書籍」は多いだろうが、「それに反論する書籍」も同じくらい多いはずなので、あわせて読むように』

 ああああああ!(ノToT)ノ ┫:・'.

 言い出したって、あのですねえ……そもそも聞いてきたのはあなたなんですけど……。


 国旗・国歌に関するやりとりでも、先輩は素晴らしい発言をしてくださいました。

『国旗・国歌を拒否する教師たちは、教師としての責任を放棄している。このような教師のもとでは、子供たちが「何をやってもよい」「大人の言うことなどきかなくていい」という風になってしまうことは明白だ』

 何と論理的で実証的、個性的にして独創的、説得力に満ちあふれた意見でしょう。
 ……なお、メール原文ではこの内容を、この三倍以上の文章で延々と語っております。

『国旗・国歌教育の推進は、学校を軍隊的・統制的にしようとする企てなどではない。そのことを再三説明してきた。反論があるのなら、こちらが納得できるように説明してくれ』

 はあ……「納得できるように」説明、ですか。
 それってつまり「俺が受け入れられる意見を言え」ってことじゃないんですか?


 で、こういうことを言う人が、
『君の発言は論理の構成が弱すぎる。もっと説得力のある論理を構築するように』
『自分の読解力のなさを棚にあげて人を批判するのは笑止』
『自分の行為に無自覚な人間が他人に反省を強要するな』
 などと言ってくるわけで……。


>もう本当にどっかにマニュアルがあるのではないかと本気で想像しちゃうくらいのパターンですよね(^^;

 挙げていただいた国旗・国歌関係のログや、他の議論のログを読ませていただいておりますが、私もつくづくそう思います。

 思うに、この手の人たちは、根が「批判者」なんですよね。
「自分はこうする」じゃない。何かの意見を表明した人に対して、「それはおかしい」と攻撃を行う。
「中韓が日本に文句を言うのは間違っている」とは言いますが、では「今後の日中韓関係をよくするにはどうすればいいのか」という自分の意見は言おうとしない。
 この先輩は、私が「つくる会」の教科書はよくないと批判すると、「その批判が正当である根拠を示せ」「君の批判は成り立たない」などと延々と言ってきているのですが、これまで十回を超えるメールのやりとり中、一度も「自分はつくる会の教科書を支持している」とは明言していません。
 この手の人は、「こうだ!」と言い切ってしまって、それが批判され、否定されるのが恐ろしいのだろうと邪推wしています。


>でも、レビアさんは偉いと思います。私なんぞはもうメールでそういうやり取りをすることは一切しません、昔はネット上でも有名な否定論者さんともメールで一生懸命やり取りしたのですが、やめました(笑)

 気合いを入れるとこちらがもたないので、ゆるゆるとやってゆきますw。

 最新のメールでは、扶桑社の教科書を買おうとしない私に対して
『議論するにあたってもっとも基礎的な根拠である資料を参照しようとしないその態度をどうにかしろ』と言ってきています。

 ええと……扶桑社に自分の金を払うのが業腹なだけで、図書館にあれば読むことに異存はないと言っているのですが……向こうはこちらの意見を聞く前にさっさと購入しているので、余計に居丈高です。『君の分も僕が買って送ってもいい』とまで言ってきています。ああカルトにはまった人とはこういう感じなのだろうな、と実感(T_T)。

 内容についてならまだしも、白表紙本流出問題、間違いの量が他社と比較して非常に多いことなどの問題に関しては、別に市販本の現物はそれほど基礎的資料というわけでもないのですけど……むしろ検定前、白表紙本の方がつくる会の本質が如実にあらわれていると言えるので、参照するならそちらがより重要ではないかとも思うのですが……。

 さて、こういったことが、どう言えば伝わるのか。(^_^;)
 市販本を自分で『最も基礎的な資料』と言い切ってしまっているので、そうではないということは受け入れられないだろうな……と、返信する前からもうため息です。


 まあとにかく、肩の力を抜いて、のんびりとやっていきます。


 愚痴も同然の自分の書きこみに丁寧に対応してくださいまして、本当にありがとうございました。m(_ _)m

 サンプルとして、誰かのお役に立てれば幸いです。
40 hits

[1895]Re(5):小さな戦い
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/13(火) 22:36 -

引用なし
パスワード
   ▼SONGさん:
> 一昨日、NHKbsで、アフリカアメリカンの公民権運動の母、故ローザ・パークスのドラマを子供達と観ました。

これ、私も見てました(^^ゞ
映画とかではあまり強調されることはないのですが、被差別者側にも差別を受け入れる根強い文化社会があることも描かれていて、良い映画だと思いました。
(ちうか、これをやっているから必ず見ろ、と私に言ってきた友人が、良い場面になると「ひどい話だと思うだろ」と30分置き位に電話してくるので、おしゃべりな友人と映画見に行った後のような物足りなさはあった(^^; )

> 高校生の娘が「アボジ・・・この時代のアメリカはバスで黒人が白人に席を譲らへんかったら、逮捕されたんや・・・。ひどいな。」「そうや。それが当時のアメリカの法律やったんや。」「おかしいよ。」「おかしいと思うやろ。それは、今を生きるアメリカ人もおかしいと思っているんや。」

これは今でも南部では露骨らしいですね。日本も決して例外ではないことを認識しておかなくてはならないと思います。今度はスピルバーグのカラーパープルをご家族で見ましょう(^.^)
30 hits

[1897]Re(1):これもパターンのうち…...
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 SASKE E-MAIL  - 05/12/14(水) 0:32 -

引用なし
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   ▼レビアさん:

 はじめまして。SASKEです。
 いろんな方が、たくさん答えてくれていますね。やっぱり、ここは素敵だなと思います。

> サンプルとして、誰かのお役に立てれば幸いです。
 ありがとうございます。とっても勉強になりました。
58 hits

[1898]Re(2):小さな戦い
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 SASKE E-MAIL  - 05/12/14(水) 1:11 -

引用なし
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   ▼あっちゃんさん:
 でいいのでしょうか。はじめまして。SASKEです。

> しかし、他人に迷惑を掛けたら謝るとか、口で言った事をきちんと行動でも示す、約束は守る、人にはいろいろな考えがあり民主主義体制では人の思想や信教は自由であるとか、普通に考えると常識だと思うんですが...
 そうですね。このことに、ケチつけようとする人は、少数派でしょうね。しかし、あえて僕は、これを批判してみます。管理人様に、また叱られるかもしれませんが……。

 「しかし、他人に迷惑を掛けたら謝るとか、口で言った事をきちんと行動でも示す、約束は守る、人にはいろいろな考えがあり民主主義体制では人の思想や信教は自由であるとか」、そして、人に助けてもらったらありがとうと言うとか、「コハガラナクテモイヽ」と言ったり、「ツマラナイカラヤメロ」と言ったり。大事なことはたくさんあります。大事なのは、双方が心が通い合った、とお互いに思えるような声かけを相手にすることだと思います。それが、前提ですが、相手が、目上のときと、目下のときと、どちらであっても、謙虚に謝ることができるのでしょうか。自分が上の立場であると、相手との関係を見たときに、自分のほうが優位であることを自覚していた場合に、相手からの批判に対して、素直に、当たり前のこととして謝ることができるのでしょうか。僕の娘から、批判されたときに、素直に自分の非を認めることは容易ではないことを僕は自覚しています。娘に、自分の非を築かされて、素直に、自分の非を認められないことがあります。多くの場合、娘に対して、詫びること、非を認めることはできているつもりですが……、できない場合があることは、自覚しているのです。

 「普通」とか、「常識」ということで、強者が弱者を踏みにじることは簡単です。「普通」でない、非「常識」であるとレッテル張りされて、マイノリティーが迫害された歴史も知っています。上の娘の保育園最後の運動会での出し物で、「普通」の○○はこうだ、という発表をした時、背筋が凍る重いでした。
28 hits

[1899]Re(3):小さな戦い
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 あっちゃん E-MAIL  - 05/12/14(水) 13:11 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:

 どうも、こちらこそ初めまして、SASKEさん。いつもご投稿のほう見させて頂いています。

>大事なのは、双方が心が通い合った、とお互いに思えるような声かけを相手にすることだと思います。

 確かにそうです。謝罪と言うのは一方の努力だけでは成り立ちませんから。両者の歩みよりが必要なのは当然です。
 

>それが、前提ですが、相手が、目上のときと、目下のときと、どちらであっても、謙虚に謝ることができるのでしょうか。自分が上の立場であると、相手との関係を見たときに、自分のほうが優位であることを自覚していた場合に、相手からの批判に対して、素直に、当たり前のこととして謝ることができるのでしょうか。

この目上、目下の関係と言うのは、日本と近隣諸国との関係において、日本が目上であり、近隣(中国、韓国)が目下という意味なのでしょうか?確かに、個人の関係であれば、目上が目下に謝罪すると言うのは素直になれない面がある事はあるかもしれませんが、ただ、この場合は公的な国と国との関係において、日本が過去に被害を与えたという事ですから、別に目上、目下とかは関係無く、謝罪するのは当然であると思うのですが...。しかも、公的には日本が過去侵略したということを認めているわけですし。


>「普通」とか、「常識」ということで、強者が弱者を踏みにじることは簡単です。「普通」でない、非「常識」であるとレッテル張りされて、マイノリティーが迫害された歴史も知っています。上の娘の保育園最後の運動会での出し物で、「普通」の○○はこうだ、という発表をした時、背筋が凍る重いでした。

 確かに、アジア通貨危機時や南米において、それらの国にIMFや世銀が融資をする際に米国の新自由主義的な経済政策を「常識」として、相手の国情を無視しておしつけて混乱を拡大させたり、例えば、ある人が海外に行き、その人の自国の常識が通用しないからと言って、その国への偏見を深めると言ったような「常識」の押し付けは問題だと言えます。しかし、他国に迷惑を与えた事に対して謝罪するとかいう事は、普遍的な常識で人間として当たり前の事ではないかと思います。これが、常識の押し付けである。といわれてしまうと、他国を侵略して迷惑を与えてしまってもべつに謝罪などしなくても良い。という事になります。となると、当然、日本がどこかの国から攻撃されたとしても、向こうの国が、俺は謝罪しない。といった場合に日本が謝罪を求める事は出来ないという事になります。
35 hits

[1904]人種差別
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 七生報国 E-MAILWEB  - 05/12/14(水) 23:43 -

引用なし
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    私も高校の頃、英語の授業でキング牧師やパークス女史の伝記を読んで感動した記憶があります。特にキング牧師の"I have a dream"で始まる演説は良かったです。普遍的な理想を決して諦めない姿にとても感動しました。同じアメリカ国民でありながら不当な差別を受けているという状況に白人も義憤を覚えて、全国を巻き込んだ大衆運動に発展していくアメリカ人の凄さも感じました。

 以下誤解を恐れずに書きます
 日本を振り返ってみると、当初、差別撤廃を叫んでいた人たちが政治的イデオローギーや「利権」の垢にまみれて自己の利益のみを追求する汚らわしい巨大な利権集団に成り果ててしまったのが本当に残念です。重ね重ね誤解を恐れずに言いますがそれらが別の意味で関ってはいけない不可触民のような扱いになっているのは本当に残念です。
 被差別部落解放の理念に義憤に燃えて賛同した若者たちが昔大勢いたようですが、運動を展開していくうちに訳の分からない政治的イデオロギーに組織が絡めとられ分裂し、理念を失った組織には利権だけが残ったという悲惨な状態です。
 また、そのような組織は他者からの批判を受け入れず、批判=差別といった具合に考えて自浄作用を失ってさらに腐敗していく・・・
 日本でアメリカのような大衆動員型運動に成り得なかったのは、当時の日本独特の政治状況があったのかもしれませんね。
 以上乱筆失礼しました
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[1906]Re(1):人種差別
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/15(木) 4:20 -

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   ▼七生報国さん:
> 被差別部落解放の理念に義憤に燃えて賛同した若者たちが昔大勢いたようですが、運動を展開していくうちに訳の分からない政治的イデオロギーに組織が絡めとられ分裂し、理念を失った組織には利権だけが残ったという悲惨な状態です。

具体的にはどのような組織のことでしょうか?
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[1912]Re(2):人種差別
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/16(金) 0:47 -

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   ▼とほほさん:
>▼七生報国さん:
>> 被差別部落解放の理念に義憤に燃えて賛同した若者たちが昔大勢いたようですが、運動を展開していくうちに訳の分からない政治的イデオロギーに組織が絡めとられ分裂し、理念を失った組織には利権だけが残ったという悲惨な状態です。
>
>具体的にはどのような組織のことでしょうか?

開放同盟・同和会・全開連のことでしょ。間違えてたらゴメンなさい。
大義名分は別として、その組織自体は単なる利権団体となっているのは否定できません。
旧社会党と言うべきでしょうか、私が社民党や民主党を嫌いになったのも同和問題です。
このような問題は部分を見て、全体を判断してはいけません。政治家が選挙のために同和問題を利用し、その甘い蜜に群がる人々が大勢いたのは確かです。
組織や集団は一蓮托生に論じられてしまいがちですが、中には理念を持ち続けている人もいます。
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[1913]Re(3):人種差別
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/16(金) 1:06 -

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   ▼熊猫さん:
>このような問題は部分を見て、全体を判断してはいけません。政治家が選挙のために同和問題を利用し、その甘い蜜に群がる人々が大勢いたのは確かです。

よくわかりません。そういうことに利用される組織はいくらでもあります。それが「単なる利権集団になった」と言う評価は全く意味がわかりません。
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[1914]Re(4):人種差別
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/16(金) 1:59 -

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   ▼とほほさん:
>よくわかりません。そういうことに利用される組織はいくらでもあります。それが「単なる利権集団になった」と言う評価は全く意味がわかりません。

そういうことに利用される組織はいくらでもあります。
利用される組織は、一つもあってはいけないのです。
利用してはいけないし、利用させてもいけないのです。
部落解放運動とは政権をとることではなく差別をなくすことです。
利権のために存在する組織であってはいけないのです。同和地域や差別を受けている人のための組織ではなく、部落開放同盟のための組織だからです。
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[1915]Re(5):人種差別
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/16(金) 2:17 -

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   ▼熊猫さん:
>部落解放運動とは政権をとることではなく差別をなくすことです。
>利権のために存在する組織であってはいけないのです。同和地域や差別を受けている人のための組織ではなく、部落開放同盟のための組織だからです。

差別撤廃運動とは社会の中から差別を撤廃すると言う政治運動です。差別を許さないとする政権の確立は当然の目標です。日本の民衆運動を強力に推進し動力となったのは間違いなく在日朝鮮人団体や被差別部落運動団体です。それが一部の利権屋に利用されたことがあったからといってそのことでいささかも差別撤廃運動の崇高さが損なわれることはありません。

そのような論理は「昔のことをいつまでも持ち出して、外交カードに使っていると中国」等と言うアホウヨ論理と同じです。

宣言

 全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。

 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

綱領
一、特殊部落民は部落民自身の行動によって絶対の解放を期す
一、吾々特殊部落民は絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し以て獲得を期す
一、吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向って突進す

大正十一年三月三日
全國水平社創立大會

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[1916]Re(6):人種差別
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/16(金) 12:41 -

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   ▼とほほさん:
>差別撤廃運動とは社会の中から差別を撤廃すると言う政治運動です。差別を許さないとする政権の確立は当然の目標です。日本の民衆運動を強力に推進し動力となったのは間違いなく在日朝鮮人団体や被差別部落運動団体です。それが一部の利権屋に利用されたことがあったからといってそのことでいささかも差別撤廃運動の崇高さが損なわれることはありません。
>
>そのような論理は「昔のことをいつまでも持ち出して、外交カードに使っていると中国」等と言うアホウヨ論理と同じです。
>

だからその水平社は今は無くなってしまった、というのが七生報国さんの論説ではないでしょうか。水平社運動の崇高を否定しているものではないと思います。

解放同盟・同和会・全解連・その他に分裂しています。つまり、「全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。」ではなく「全國に散在する吾が特殊部落民よ分裂せよ。」になってしまっているのです。
一部の利権屋を問題視しているのではなく、組織として利権団体になっていることが問題なのです。全ての団体がそうであると云う訳ではありません。
旧社会党系の団体は、完全なる利権団体です。
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[1918]Re(7):人種差別
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/16(金) 15:32 -

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   ▼熊猫さん:
>だからその水平社は今は無くなってしまった、というのが七生報国さんの論説ではないでしょうか。水平社運動の崇高を否定しているものではないと思います。

しつこいな、そんなことはわかってますよ(笑)

>解放同盟・同和会・全解連・その他に分裂しています。つまり、「全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。」ではなく「全國に散在する吾が特殊部落民よ分裂せよ。」になってしまっているのです。

それも一時期の話としてもはや過去の話でしょう。現実にはまだまだ同和差別部落差別に苦しむ人は大勢いるし、決して差別がなくなっているわけではない。解同にしろどこにしろ一生懸命撤廃運動をやっているし、そこになんらやましいことはない。運動をしていく中で幾多の運動論が展開され組織が細分化していくことは何も水平社に限ったことではない、鉄の共産党もしかり労連もしかり、がその運動は歴史を重ね日々研鑽され発展していきます。

私自身も非常に組織と言うのは苦手だし、組織に参入するのが嫌いなのは、そうしたことがあるからだが、だからと言ってその活動を否定することは決してしない。

同和、解同という言葉が新たな差別を形成していく手伝いのような言説を発すべきではない。
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[1919]Re(8):人種差別
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/16(金) 15:46 -

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   解放同盟ホームページより、一部抜粋
1922年(大正11)に全国水平社が創立されたとき、われわれの先輩たちは、その創立大会の決議のなかで「吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底糾弾を為す」と決議しています。そして各地で相ついで起こった差別事件にたいして、激しい差別糾弾闘争を展開してきました。しかし、その当時は、どちらかといえば「差別」を言葉や行動によって表面化する「差別観念」「差別意識」のみとしてとらえる傾向がありました。つまり、差別を単なる「心の問題」「意識の問題」ととらえていく傾向が強く、差別にたいする怒りを爆発させ、それによって、差別をした人のみに反省を求めるということに陥りがちな不十分さもあったことは否定できません。
 また、われわれの差別糾弾闘争を戦前の政府や官憲は「脅迫」とか「恐喝」または「暴力・暴行」といった名目で監視し、厳しく取り締まり、水平社の運動を徹底的に弾圧してきたという歴史的経過があります。糾弾闘争のために逮捕され、不当な判決をくだされて刑務所に送られた水平社の活動家は、毎年かなりの数にのぼっています。全国水平社が創立された直後の1926年(大正15)4月、時の政府は暴力的行為等処罰に関する法律を制定していますが、これは水平社の運動を取り締まるためにつくられた法律でもあったのです。
 このために世間では、今日でもなお、"怒りの爆発"のような糾弾が続けられていると思い込んでいる人もありますが、過去60数年にわたって、われわれの差別にたいするとらえ方も糾弾の理論も発展し、差別の現象から差別の本質へと掘り下げ、人間の変革を求めるものへと変化しています。俗に言われる「つるしあげ」とか「報復」というものでは絶対ありません。それは著しい誤解と偏見であると言わなければなりません。時代ごとの「差別」のとらえ方の発展に応じて「糾弾」のあり方も変化しています。しかし、その根底に流れているものは、部落差別のために踏みにじられてきた部落大衆の、あらゆる市民的な権利を取り戻すということであり、人間解放への当たり前の、具体的な営みなのです。
 しかし、最近になっても「糾弾」たいする人びとの偏見は改められてはおりません。むしろ、日本共産党や「全解連」による差別キャンペーンなどによる差別扇動によって、差別的な風潮は広がっています。その結果、さすがに公然と口に出しては言いませんが、「糾弾はこわい」と誤解し、偏見を持ちつづけている人は、かなりおります。
 一方、われわれの差別糾弾闘争にたいする支配権力側の弾圧と攻撃も、戦前のような露骨な手段をとらないまでも、きわめて巧妙に、組織的・計画的に進められています。「地対協路線」がその典型だと言えます。
 そこでは、「地対協基本問題検討部会報告」「地対協意見具申」「啓発推進指針」という装いをこらしてわが同盟の差別糾弾闘争を公然と攻撃し、「糾弾」そのものを否定し、さらには国民の間に「こわい」という意識を植えつけようとたくらみ、「同和」対策の打ち切りをちらつかせながら解放運動の弱体化をねらう意図が、はっきりと表われています。これは明らかに弾圧であり、攻撃であり、わが部落解放同盟の糾弾闘争にたいする公然たる挑戦であるといわなければなりません。
 他方、われわれ同盟員は「差別事件を行政闘争へ発展させよう」という命題を正しく理解し、実践を行なわなければなりません。
 今もなお、部落差別を残し、これを助長しているのは、封建的な差別意識を利用して、部落民に市民的権利(就職、教育の機会均等、交際・結婚、居住・移転の自由等)が行政的に完全に保障されていないからなのです。その結果、部落民の生活は、きわめて劣悪な状態に追いこまれ、それがまた、世の中の多くの人たちの差別意識を支えていることは、これまでの部落解放運動で実証されていることです。
 このために、差別意識をなくしていくには、部落の生活環境や仕事や教育などを良くし、積極的に啓発をして人権意識を高めていくことが重要なのです。ですから、一つの差別事件を掘り下げ、それを糾弾していくなかから、その基本的解決に向けての課題を明らかにして行政闘争へと発展させていかなければならないのです。

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[1920]Re(8):人種差別
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/16(金) 19:35 -

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   ▼とほほさん:
>それも一時期の話としてもはや過去の話でしょう。現実にはまだまだ同和差別部落差別に苦しむ人は大勢いるし、決して差別がなくなっているわけではない。解同にしろどこにしろ一生懸命撤廃運動をやっているし、そこになんらやましいことはない。運動をしていく中で幾多の運動論が展開され組織が細分化していくことは何も水平社に限ったことではない、鉄の共産党もしかり労連もしかり、がその運動は歴史を重ね日々研鑽され発展していきます。

同和問題は完全な解決はしていませんが、被差別部落の人々が「基本的に解決がはかられたといえる状況に至りました。」と申しております。解同は差別は無くなったなんて絶対に言わないと思います。
http://homepage2.nifty.com/z-sai/%20miti-net/Net.02.12.html
同じ被差別部落の人でありながら全解連の人だけ差別されず、解同の人だけ差別されているなんてことはありえません。被差別部落の人々のために、解同が何かしていると思ったら大間違いです。
解同がなぜ差別を存続させたがっているか考えるべきなのです。
身銭で活動している人と、国の金を取って活動している人とでは本質的に違います。「思想信条による分裂」と「利権による分裂」を混同して論じてはいけません。

>同和、解同という言葉が新たな差別を形成していく手伝いのような言説を発すべきではない。
これらの組織は、本来、同和問題と無縁の組織だと思っています。また特定の団体が学校教育にまで介入するのは異常な事態だと思います。
http://homepage2.nifty.com/z-sai/Opinion/“¯˜a‹³ˆç’²¸.html
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[1921]解放同盟らしい嘘ですね
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/16(金) 20:28 -

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   今更驚く内容ではありません。
しかし、最近になっても「糾弾」たいする人びとの偏見は改められてはおりません。むしろ、日本共産党や「全解連」による差別キャンペーンなどによる差別扇動によって、差別的な風潮は広がっています。その結果、さすがに公然と口に出しては言いませんが、「糾弾はこわい」と誤解し、偏見を持ちつづけている人は、かなりおります。
偏見ではなく事実です。解同による集団リンチ事件は部落解放運動とは相容れないものなのです。
http://www.geocities.jp/zenkairen21/11.html
過ちを指摘されると「差別キャンペーンなどによる差別扇動によって、差別的な風潮は広がっています。」などと悪びれもしないふてぶてしさ。
運動に於いて過ちはあるでしょうし、仕方のないことです。しかし過ちを認めないどころか、隠蔽してしまうような運動は否定されるべきです。
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[1922]Re(1):解放同盟らしい嘘ですね
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/16(金) 21:44 -

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   ▼熊猫さん:
><偏見ではなく事実です。解同による集団リンチ事件は部落解放運動とは相容れないものなのです。

こうした事件がおきていたことは私と熊猫さんの年代の人間であればよくわかっていることです。過激派学生の殺人やテロを持って60年安保を熊猫さんに否定ができますか?

私は共産系の同和政策は全く差別の本質を見誤った政策である、と考えています。「差別をされるのは差別される側が汚いからだ、部落を整備しきれいにしていけば良い」
地域のインフラ整備になんら異論はありません。がしかしこれは差別の本質を見誤ったがゆえに差別を温存し、何の解決にもつながらないばかりか利権構造を作り出したものです。共産系の撤廃運動は決して被差別側の視点で為されたものではなく差別者側の差別撤廃論に過ぎなかったのです。

現実に「今ある、差別に対してそれを認識できません」私は同和にしろ解同にしろそれぞれの政治的主張に対しては個別に異論があります、例えば現在提出されている人権擁護法に対しては私は反対ですが、必要である、と言う点では解同に同調してしてます。

差別者が差別をそれと気が付かないことは多々あります。しかし被差別者側も自分に押し付けられた生き方が差別であることに気が付かないことも多いのです(SONGさんへの映画の評論はそのことを言っています)。差別撤廃とは差別がそこにあることをまず認識しなくてはなりません、認識されたならば差別者被差別者に関わらずそれを撤廃せねばなりません。解同は間違いも犯したがそれは受けてきた苦痛を本当に味わった人たちが故、差別の本質を知っています。

よろししいか、差別でもっとも被差別者をコントロールしやすいのが、自分の都合の良いように改造した被差別者を優遇することです。そしてこれがある限り差別は永久になくなりません。
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[1924]Re(2):解放同盟らしい嘘ですね
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 熊猫 E-MAIL  - 05/12/17(土) 2:20 -

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   ▼とほほさん
>過激派学生の殺人やテロを持って60年安保を熊猫さんに否定ができますか?
60年安保は否定できませんが、過激派学生は否定します。部落解放運動は否定できませんが、解同は否定します。
過去に過ちがあることで、その組織の全てを否定するつもりは毛頭ありません。私が容認できないのは、解同がリンチ暴力事件を隠蔽し誤魔化しているところです。

思想信条は自由であり、見解の違いや判断の違いに対して言及する気はありません。
差別の苦痛を受けてきたのは解同だけではありません。他の団体の方も同様に苦痛を受けています。むしろ、被差別部落の人でありながら民主化を求めて解同から離れていった人々の方が、解同からの差別を受けるぶん二重の苦痛に苦しまなければなりません。
解同の利権あさりについては、マスコミを含めみんなが解同の暴力を恐れて何も言わないだけです。
きれい事で、組織を誤魔化すのは「つくる会」と同じです。
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[1931]Re(2):解放同盟らしい嘘ですね
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 SONG  - 05/12/19(月) 13:42 -

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   ▼とほほさん:

>「差別をされるのは差別される側が汚いからだ、部落を整備しきれいにしていけば良い」

 これね、少し違うのですが在日朝鮮人差別の問題にも良く似ているのですね。

>地域のインフラ整備になんら異論はありません。がしかしこれは差別の本質を見誤ったがゆえに差別を温存し、

 私たち、在日コリアンの社会ではよく「通名を名乗ることは日本社会に差別があるからだ」なんて論議があります。日常生活で利益を逸失しうる可能性がある場合も(例えば自営業者など)あり、在日がプラグマティックに通名を使用することは一向に構わないとは思います。しかし、本来の自身を隠蔽しなければ不利益をこうむる社会への批判が隠されてしまい、そこに本質的なものが見えなくなる。そして、その矛盾が温存され被差別者が、その差別を安易に容認してしまう悪循環が繰り返されるのです。

>差別者が差別をそれと気が付かないことは多々あります。しかし被差別者側も自分に押し付けられた生き方が差別であることに気が付かないことも多いのです

 まさに、この部分なのですね。

 良く、在日の中でも日本国籍を取得することを積極的に推進しようとする勢力があります。いわゆる「コリア系日本人」ですね。単一民族国家論が制度的にも意識的にも根強い日本社会に於いて「〜系日本人」なるものが事実上存在できるのかと問いたい。そこには、権力という物や自身を取り巻く多数派に対して媚びを売るが如きポーズが見え隠れするのです。
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[1932]Re(4):小さな戦い
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 とほほ E-MAIL  - 05/12/19(月) 21:47 -

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   ▼あっちゃんさん:
> この目上、目下の関係と言うのは、日本と近隣諸国との関係において、日本が目上であり、近隣(中国、韓国)が目下という意味なのでしょうか?確かに、個人の関係であれば、目上が目下に謝罪すると言うのは素直になれない面がある事はあるかもしれませんが、・・・<略>

これが儒教文化なのですよね(^^;
東アジア全般に浸透している。儒教の「礼」と言うのは対人関係における上下を明確にした上での「礼」を保ち社会を安定させると言う考え方です。ですから相手と自分の関係がどうあるのか?と言うことを読む能力が必要になります。

これと西洋的平等概念とが対立してしまうわけです。私なんかでもネットでは偉そうにしてますが(笑)、実社会における「礼」には非常に気を使いますしそれがなければやはりうまく社会生活をおくれません。が、しかしこれが差別の根源になっていることは否めないのです。
自分が目上に礼をとって生きてきたのに目下が自分に礼をとらないことが大変不公平に感じるわけですね、日本及びアジアの保守層にとって、これはすなわち封建制度下では十分に機能した社会倫理ではありますが、目下を軽蔑する、と言う感情をまで醸造し、それが差別になります。

清朝の高官がアメリカの全権大使との交渉の際に、米大使は清朝の高官に無礼があってはならない、と自ら率先して会場の椅子の整理とかをしていたら、清朝の高官がそれを見て「あのような小人と自分がなぜ対等に話をせねばならないのか」と席を立った、と言う逸話があるそうですがアジア的な礼の概念からすると清朝の高官に対して米大使はその職責に応じた礼をとらなかったとして「無礼」にあたるわけなのですよね。

近代に入り西洋的な倫理観がアジアにも浸透してきて、ここまで極端な例はなくなったのかもしれませんが、まだまだ根強い。

とは、いえ(^^;
私も今の若い人を見て「おいおい、誰にタメ口きいているんだ」と思うことは多々ありまして、われながらこれは治さなくてはならない、と常に思っていますが、この前もNHKで10代の青少年の討論番組を見ながら、15歳と19歳がタメ口で、なんのけれんみもなく討論をしているのを見て、なんとなく安心しました、が、私の中の保守もなかなか頑強で、、、。(^^;

15歳と19歳の間で、そもそも議論が成立すること自体「むりだんべや」とか感じてしまう。15歳が大人になったのか、19にも20にもなって全然成長のない現代若年層なのか、はわかりませんが、私がその年のころを思い返すと私自身も1年で全然違うし、他者を見ても一つ違いの差はすごく大きく感じたように思ったのだけど、、、。これも文化の違いなのでしょうね。

こうした現代若年層文化は必ず差別撤廃につながると思うな、私は、、、。

#えー、自分で何が言いたいのかよくわからんコメントでした(^^ゞ
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[1934]Re(5):小さな戦い
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 あっちゃん E-MAIL  - 05/12/21(水) 8:34 -

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   ▼とほほさん:

>これが儒教文化なのですよね(^^;
>東アジア全般に浸透している。儒教の「礼」と言うのは対人関係における上下を明確にした上での「礼」を保ち社会を安定させると言う考え方です。ですから相手と自分の関係がどうあるのか?と言うことを読む能力が必要になります。
>
>これと西洋的平等概念とが対立してしまうわけです。私なんかでもネットでは偉そうにしてますが(笑)、実社会における「礼」には非常に気を使いますしそれがなければやはりうまく社会生活をおくれません。が、しかしこれが差別の根源になっていることは否めないのです。
>自分が目上に礼をとって生きてきたのに目下が自分に礼をとらないことが大変不公平に感じるわけですね、日本及びアジアの保守層にとって、これはすなわち封建制度下では十分に機能した社会倫理ではありますが、目下を軽蔑する、と言う感情をまで醸造し、それが差別になります。

 前回の投稿で書いた、目上、目下という意識に対し、僕はそれとは違って国と国との公の関係であるのだから、謝罪するべきところは謝罪するべき(西洋的平等概念)と書いたのですが、ただ、この東アジア的な相手との関係を斟酌しながら「礼」をつくしたり、相手の立場、考えを思いやる、配慮するというコミュニケーションの有り方は、別に悪いとは思いませんし、僕自身、社会の中で生きていく上で当然の事ながら気を使っている所でもあります。

 しかしながら、一方でその場合、目下は目上を尊重する変わりに、目上は目下に対し、寛容であるべきではないかとも思います。目上の目下に対する「礼」も必要ではないかと思うんです。かつての中国の冊封体制においても、中国の皇帝に対して、各国は一ランク下の王として認められ敬意を示させるわけですが、一方、その礼を尽くせば、変わりに大量の宝物が与えられ、その内政までには干渉しませんでしたよね。これが、中国側が、大幅に内政に干渉したり、服従だけを求め、利益はもたらさないなど「礼」を尽くさなければ、冊封体制は崩壊したのではないかと思います。なので、目上、目下とも互いに礼を尽くすのが流儀なのではないかと思うんです。

 と書いていて、思ったのですが、前に書いた、謝るのは当然。というのも少し言い方を間違えたのかもしれません。右の方から見れば、もう十分謝罪の言葉は言ったんだし、ODAなんかも沢山出したのだから、いいじゃないか。なぜいつまでも謝罪しなければいけないんだ?という論理に、悪いんだから謝罪せよ。ではダメなのかもしれませんね。なぜ、謝罪を曲がりなりとも重ね、日中国交正常化の際に、一部の軍国主義者が間違いであり、日本国民は被害者であったという前提で、過去の日本犯罪という臭い物を箱に仕舞い込んで解決したのに、それをわざわざそれを開けて問題化させるのか?国粋という我を押し出す事で、損失する損害を考えるべきで、個人的な国粋主義は構わないが、それを国が前面に出す事が最終的にどのような災いをもたらすのかもっと考えた方が良いですよ。とでも言ったほうが良いんでしょうか、う〜む (^^;)

 比較は出来ませんが、差別撤廃にしても、かつて、日本人がアジアや中国を見くびった結果、戦略的なミスリードを露呈してしまい、最終的に敗戦へと追い込まれて行った経緯を考えると、差別をしているとそれが、差別をしている側にも損失として必ず跳ね返ってくるから、止めた方が良いというように考える事が出来れば、納得出来るかもしれません。いや、でも普通そうは考えないかもしれませんね(笑)自分自身でもかなり怪しい結論になってしまいました...(^^;);)
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[1940]Re(4):小さな戦い
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 SASKE E-MAIL  - 05/12/25(日) 1:46 -

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   ▼あっちゃんさん:
 大変な亀レス、恐縮です。

>▼SASKEさん:
>
> どうも、こちらこそ初めまして、SASKEさん。いつもご投稿のほう見させて頂いています。
 たいしたことを書いたことはないように思います。恐縮です。

>>大事なのは、双方が心が通い合った、とお互いに思えるような声かけを相手にすることだと思います。
>
> 確かにそうです。謝罪と言うのは一方の努力だけでは成り立ちませんから。両者の歩みよりが必要なのは当然です。
 ここでは、人と人との関係において書いたつもりでいました。もちろん、国と国との関係においてもそうだと思います。

>>それが、前提ですが、相手が、目上のときと、目下のときと、どちらであっても、謙虚に謝ることができるのでしょうか。自分が上の立場であると、相手との関係を見たときに、自分のほうが優位であることを自覚していた場合に、相手からの批判に対して、素直に、当たり前のこととして謝ることができるのでしょうか。
>
> この目上、目下の関係と言うのは、日本と近隣諸国との関係において、日本が目上であり、近隣(中国、韓国)が目下という意味なのでしょうか?
 実は、国と国との関係において書いたつもりはまったくありませんでした。国と国との間柄において、目上、目下といったことは、国際社会を考えるものとしてはなじまないものと思います。一部の特権国があるという、国連機構の現実も、改革されていくべきものと思います。

>確かに、個人の関係であれば、目上が目下に謝罪すると言うのは素直になれない面がある事はあるかもしれませんが、
 まさに、この面として、目上、目下について書きました。そもそも、「人の上に人を作らず人の下に人を作らず」。どこであろうと、お互いにいいたいことを言い合える関係が必要なのだと思います。それは、どちらか一方が、俺に意見するなんてけしからん、なんて考えであれば、成り立ちません。この場合、自分のほうが優位にあると自覚したら、相手の言いたいことを受け止めようとする努力がまず目上の側に求められることと思います。

>ただ、この場合は公的な国と国との関係において、日本が過去に被害を与えたという事ですから、別に目上、目下とかは関係無く、謝罪するのは当然であると思うのですが...。
 そうですね。謝罪するのは当然です。それができないのは、自分が目上であると思っていることによるものと思います。
 50年前のバンドン会議による、「世界平和と協力の推進に関する宣言」の10原則の3は、「すべての人種の平等と代償を問わずすべての国家の平等の承認」を書いています。
 国家間の平等意識の欠如こそ、今の日本外交の破綻を生み出しているものと思います。

> 確かに、アジア通貨危機時や南米において、それらの国にIMFや世銀が融資をする際に米国の新自由主義的な経済政策を「常識」として、相手の国情を無視しておしつけて混乱を拡大させたり、例えば、ある人が海外に行き、その人の自国の常識が通用しないからと言って、その国への偏見を深めると言ったような「常識」の押し付けは問題だと言えます。
 同意します。

>しかし、他国に迷惑を与えた事に対して謝罪するとかいう事は、普遍的な常識で人間として当たり前の事ではないかと思います。
 僕が書いたのは、まさにこの部分です。あっちゃんさんにあっては、「普遍的な常識」という言葉は「当たり前の事」なのかもしれませんが、普遍性は常識とは別物と思います。常識は、ある限定的な歴史局面においてある小さな集団の範囲内で広くいきわたった考えであるかもしれません(それが、マスメディアの発達においては国家的な洗脳というべきほどの自体さえ作り得るものでもあるように思います)が、それは、そうした一面的情報が、ある局面、有効であるという限定された時期において“常識”とされるものがあります。自衛隊が軍隊であることは、日本国内においても“常識”となっています。しかし、自衛隊を軍隊とすることは、長く政府は認めなかった。なぜなら、自衛隊が軍隊であることを認めることは、憲法9条に違反することが明白だからですね。今や、政府レベルでも、自衛隊を軍隊とすることは常識となってしまいました。
 自民党の新憲法草案では、憲法第9条の1項を温存して、第2項を書き換えています。
 「わが国の平和と独立並びに国および国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」
 こう書き換えるにあたって、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする現行憲法の現実が、すでに、踏みにじられていることなしに、新憲法を作るのであれば、現状は、軍隊がないところから始めなければなりません。「自衛軍」という語は、現憲法にはありません。ないものを作るのなら、ないところからはじめなければなりません。今軍隊ではない自衛隊が、ある日突然軍隊となることはありません。現憲法に反して、軍隊を作っていたことを認めるのなら、憲法99条違反行為をし続けたことを先に認めなければなりません。
 自衛隊が、軍隊であることが常識なら、現憲法に基づけば、憲法改正までの間は、自衛隊は、なくしていなければ憲法違反です。立憲主義の立場からは当然のことなのですが、自民党にしても、民主党にしても、立憲、を放棄していますね。日本は、「立憲君主国」と名乗っていたものと思っていましたが、立憲主義が壊れています。立憲主義を壊すべきといっている、集団はともかく、学問は、どこにも存在しないのですが。
 憲法前文に「普遍」の語がありますね。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
 「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」であるとする人類普遍の原理は、自民党の新憲法草案では、消し去られています。人類普遍の原理は、常識的なものとなっているでしょうが、住民の意思に反した行政がまかり通る現状、憲法が踏みにじられていることも、常識となっている方々も多いのではないでしょうか。憲法改正に、賛成の世論も過半数になったとも言われますが。

 普遍的なものが何か、まだ、人類は、求め続けているものであって、まだ、わがものとできていないそれが、今の到達と思います。

>これが、常識の押し付けである。といわれてしまうと、他国を侵略して迷惑を与えてしまってもべつに謝罪などしなくても良い。という事になります。となると、当然、日本がどこかの国から攻撃されたとしても、向こうの国が、俺は謝罪しない。といった場合に日本が謝罪を求める事は出来ないという事になります。
 そうやって、日本は、言葉の上ではともかく、実質的には謝罪しませんね。
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[1941]Re(6):小さな戦い
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 SASKE E-MAIL  - 05/12/25(日) 2:00 -

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   ▼あっちゃんさん:

> 前回の投稿で書いた、目上、目下という意識に対し、僕はそれとは違って国と国との公の関係であるのだから、謝罪するべきところは謝罪するべき(西洋的平等概念)と書いたのですが、ただ、この東アジア的な相手との関係を斟酌しながら「礼」をつくしたり、相手の立場、考えを思いやる、配慮するというコミュニケーションの有り方は、別に悪いとは思いませんし、僕自身、社会の中で生きていく上で当然の事ながら気を使っている所でもあります。
 そうですね。異議ありません。

> しかしながら、一方でその場合、目下は目上を尊重する変わりに、目上は目下に対し、寛容であるべきではないかとも思います。目上の目下に対する「礼」も必要ではないかと思うんです。かつての中国の冊封体制においても、中国の皇帝に対して、各国は一ランク下の王として認められ敬意を示させるわけですが、一方、その礼を尽くせば、変わりに大量の宝物が与えられ、その内政までには干渉しませんでしたよね。これが、中国側が、大幅に内政に干渉したり、服従だけを求め、利益はもたらさないなど「礼」を尽くさなければ、冊封体制は崩壊したのではないかと思います。なので、目上、目下とも互いに礼を尽くすのが流儀なのではないかと思うんです。
 そうですね。

> と書いていて、思ったのですが、前に書いた、謝るのは当然。というのも少し言い方を間違えたのかもしれません。右の方から見れば、もう十分謝罪の言葉は言ったんだし、ODAなんかも沢山出したのだから、いいじゃないか。なぜいつまでも謝罪しなければいけないんだ?という論理に、悪いんだから謝罪せよ。ではダメなのかもしれませんね。
 「なぜいつまでも謝罪しなければいけないんだ?」 の問いには、「悪いんだから」では、ダメですね。ODAは、謝罪ではなく、新たな日本企業の儲け口を作るためであって、謝罪行為でも何でもありません。どれだけ多くの金を出したか、はなんら問題解決になりません。多くの金を出して、それよりも多くの金を得るんであれば、普通の企業行為であって、国の予算を外国に出して、国内企業がそれより多く、企業の収益にする、それは、国の総体としては、他国からさらに絞り続けているわけで、謝罪して金出したから、感謝しろと主張していることです。

>なぜ、謝罪を曲がりなりとも重ね、日中国交正常化の際に、一部の軍国主義者が間違いであり、日本国民は被害者であったという前提で、過去の日本犯罪という臭い物を箱に仕舞い込んで解決したのに、それをわざわざそれを開けて問題化させるのか?
 「『ごめんね』、って言いなさい」って保育士さんから言われて「ごめんね」とわびて、謝ってはみたけど、何で謝らなければいけないのか、まだわかっていないから、「問題化させる」んだと思います。

>国粋という我を押し出す事で、損失する損害を考えるべきで、個人的な国粋主義は構わないが、それを国が前面に出す事が最終的にどのような災いをもたらすのかもっと考えた方が良いですよ。とでも言ったほうが良いんでしょうか、う〜む (^^;)
 こういう言い方が、相手にとってわかりやすければ、その局面においてそれでもいいと思います。

> 差別をしているとそれが、差別をしている側にも損失として必ず跳ね返ってくるから、止めた方が良いというように考える事が出来れば、納得出来るかもしれません。
 そうですね。

>いや、でも普通そうは考えないかもしれませんね(笑)自分自身でもかなり怪しい結論になってしまいました...(^^;);)
 だから、僕は、普通とは何なのか、常識とは何なのか、そこを問題にしました。
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[1953]Re(5):小さな戦い
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 あっちゃん E-MAIL  - 05/12/30(金) 19:59 -

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   ▼SASKEさん:

どうも、こんばんわ。こちらこそ長いレス頂き有難うございます。基本的にSASKEと僕とは殆ど同じ意見なのだと思います。

> 僕が書いたのは、まさにこの部分です。あっちゃんさんにあっては、「普遍的な常識」という言葉は「当たり前の事」なのかもしれませんが、普遍性は常識とは別物と思います。常識は、ある限定的な歴史局面においてある小さな集団の範囲内で広くいきわたった考えであるかもしれません(それが、マスメディアの発達においては国家的な洗脳というべきほどの自体さえ作り得るものでもあるように思います)が、それは、そうした一面的情報が、ある局面、有効であるという限定された時期において“常識”とされるものがあります。自衛隊が軍隊であることは、日本国内においても“常識”となっています。しかし、自衛隊を軍隊とすることは、長く政府は認めなかった。なぜなら、自衛隊が軍隊であることを認めることは、憲法9条に違反することが明白だからですね。今や、政府レベルでも、自衛隊を軍隊とすることは常識となってしまいました。

>自民党の新憲法草案</a>では、憲法第9条の1項を温存して、第2項を書き換えています。

> 「わが国の平和と独立並びに国および国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」

> こう書き換えるにあたって、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする現行憲法の現実が、すでに、踏みにじられていることなしに、新憲法を作るのであれば、現状は、軍隊がないところから始めなければなりません。「自衛軍」という語は、現憲法にはありません。ないものを作るのなら、ないところからはじめなければなりません。今軍隊ではない自衛隊が、ある日突然軍隊となることはありません。現憲法に反して、軍隊を作っていたことを認めるのなら、憲法99条違反行為をし続けたことを先に認めなければなりません。
> 自衛隊が、軍隊であることが常識なら、現憲法に基づけば、憲法改正までの間は、自衛隊は、なくしていなければ憲法違反です。立憲主義の立場からは当然のことなのですが、自民党にしても、民主党にしても、立憲、を放棄していますね。日本は、「立憲君主国」と名乗っていたものと思っていましたが、立憲主義が壊れています。立憲主義を壊すべきといっている、集団はともかく、学問は、どこにも存在しないのですが。
> 憲法前文に「普遍」の語がありますね。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
> 「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」であるとする人類普遍の原理は、自民党の新憲法草案では、消し去られています。人類普遍の原理は、常識的なものとなっているでしょうが、住民の意思に反した行政がまかり通る現状、憲法が踏みにじられていることも、常識となっている方々も多いのではないでしょうか。憲法改正に、賛成の世論も過半数になったとも言われますが。
>
> 普遍的なものが何か、まだ、人類は、求め続けているものであって、まだ、わがものとできていないそれが、今の到達と思います。

 確かにいわゆる常識とされるものが時代や状況によって変化したり、ある時にはスタンダードであったものがその次の時代には完全にマイナーになってしまうというような事はよくあると思います。自衛隊の問題にしても、現行憲法の設立当時の状況とその後の情勢の変化の違い(当初は日本を米国が非軍事化したかったが、その後、北朝鮮、中国などが共産化してしまい日本を反共の砦にする為に軍事化を必要とした)に憲法が追いついていない事が現在のような状況をもたらしてしまっている。といえるかもしれません。

 確かに現行憲法を素直に読むと日本が軍事力を保有するのは合憲だとはとても言えないですね。SASKEさんの仰る通り、自衛隊を軍に昇格して憲法にもその存在を盛り込むというのであれば、新しく一から軍隊を作るという事になりますし、もし自衛隊という軍事組織が在ったと言うのなら、それは憲法違反であるというのをキチンと認めよ。という意見は、正しいですし、憲法上の手続きを尊重するのなら、そういった事が必要だと思います。ただ、今まではこれをやるとなると政治的にも大きな議論となるので、取りあえずは解釈改憲的な方向で行き、既成事実を重ね挙げる事でお茶を濁してきたと言うのが、現在の台湾問題でもそうですが、いかにも東アジア的だなと思います。ただ、個人的には、この東アジア的な解決方法は、そんなに悪くはないのではないかとも思っています。

 少し、話がずれましたが、過去の日本の侵略行為に関して取るべき態度というのは、個人レベルではいろいろあっても良いとは思いますし、自分達が直接謝るというのではなくても、過去の先人達の近隣国に対する謝罪の精神、枠組みを引き継ぐ事は非常に大切ですし、当たり前の事ではないかとも思います。現在の日本は、過去の問題を解決する為に近隣国と作り上げた前提や枠組みさえ壊そうとしており、これは非常に問題だと考えています。この、過去の先人達の近隣国に対する謝罪の精神、枠組みを引き継ぐ事は、再び同じようなことをしない為の戒めとしても、日本においては常識であって欲しいです。(こう書いていると言う事はそれが常識にはなっていないという事を認めているのと同じですね(^^;);)
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[2130]Re(3):解放同盟らしい嘘ですね
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 七生報国 E-MAIL  - 06/2/24(金) 2:48 -

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   私も熊猫さんと同意見です。

実は私の父が高校教員&同和担当で、しかも解同系の学生に勉強を教えるボランティアをやるようなガチの解同シンパでして、それで小学生の時分から狭山事件糾弾大会とかに連れて行かれたことがありました。
教科書無料闘争や差別糾弾闘争、松本治一郎の偉大さを教え込まれて中学までなんて解同は素晴らしい団体なんだ!共産党は卑怯な奴等などと本気で思っていました。(笑)

高校になって「部落利権の真相」やインターネットで社会党系、自民党系、日共系の団体の醜聞を見て考えを改めました。醜聞に関しては皆さんご存知かと思いますので割愛させて頂きます。そのような醜聞からすると差別で飯を食ってると言われても仕方がないことを彼らはやっていますよね。
官僚の税金無駄使いが非常に問題になっているなか、解同やその他がそのようなことに手を染めている現状では利権団体の謗りを免れ得ないと思います。
以前父にそういう不正行為をする輩を解同から追い出さねば世論の支持は得られず、別の意味で不可触民が如き扱いは免れ得ないと思うが如何に?と聞いたところ、そのようなことをすれば「同胞を差別するのか!」とか言う輩が現れて組織が崩壊するから出来ない、という返事が返ってきました。私はこれを聞いて「ああこの団体には自浄能力が奪われているのだなあ」と思いました(笑)
食肉偽装のハンナンの会長が逮捕された件を見てもそれは明らかだと思います。
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