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[2093]秦郁彦氏による印象操作(?) トロープ 06/2/18(土) 10:16
[2097]Re(1):秦郁彦氏による印象操作(?) 渡辺 06/2/18(土) 19:20
[2112]Re(2):秦郁彦氏による印象操作(?) トロープ 06/2/21(火) 0:30
[2113]Re(3):秦郁彦氏による印象操作(?) 渡辺 06/2/21(火) 13:30
[2298]Re(3):秦郁彦氏による印象操作(?):本人ご回答 渡辺 06/3/26(日) 19:12
[2300]Re(4):秦郁彦氏による印象操作(?):本人ご回答 トロープ 06/3/29(水) 2:07
[2303]Re(5):秦郁彦氏による印象操作(?):本人ご回答 とほほ 06/3/29(水) 10:51
[2313]追加 トロープ 06/4/3(月) 23:53

[2093]秦郁彦氏による印象操作(?)
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 トロープ  - 06/2/18(土) 10:16 -

引用なし
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    お久しぶりです。かなり前の話ですが、ザ・掲示板の「らむぜ」さんと「一初心者」さんのやり取りが興味深かったので、多少の私見も交えてまとめてみました。

 まず予備知識として、1997年12月の13日から14日にかけて、南京陥落60周年を記念するシンポジウムが東京で開かれました(実は私も詳しくは知らないのですが)。このシンポの模様は藤原彰氏が『南京事件をどう見るか』(青木書店)という本にまとめていらっしゃいます。

 問題となるのは秦郁彦氏です。氏もいくつかの本でこのシンポに触れているのですが、「らむぜ」さんが指摘されたようにその書き方がどうも怪しいのです。というわけで秦氏の文章と『南京事件をどう見るか』を比較していきたいと思います。

『現代史の争点』(文春文庫)P34〜

 このシンポではもう一つ面白いシーンが見られた。笠原十九司氏が中国代表団に配慮してか、「ラーベは五〜六万と言っているが、彼の目が届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者を足すと三〇万ぐらいになるはず」と述べたところ、中国側代表格の孫宅巍氏が異議を申し立てたのである。「三〇万は南京城内だけの数字である。地域や時期を勝手に広げてもらっては困る」というのだ。
 そこで私から孫氏へ「今朝の読売新聞に出た新華社電が犠牲者は住民五十万以上、武装解除された十万人近い中国兵と伝えているが、どう思うか」と質問したところ、「その報道は知りません」との回答。
『南京「虐殺」研究の最前線 平成十四年版』(展転会)P27〜

南京事件―論点と研究課題 秦郁彦

 二年前の平成十年(一九九八)、南京六十周年のシンポジウムが開かれたとき、東京の会場から笠原氏に「ラーベの日記に民間人五万ないし六万と書いてありますが」と質問がありました。笠原氏はいつもの持論である「十数万または二十万以上」と述べ、付け加えて、ラーベが南京を去った後の数字、さらに彼が知っているのはおおむね南京市内だったから「ラーベが見ていない郊外地帯を含めると三十万になるのではないでしょうか」と答えたら、中国代表が手を上げて発言を求め、「笠原説は中国として受け容れることはできません。勝手に期間や場所を広げられるのは困る」と反論したのです。
 笠原氏は困ってしまいましたが、藤原彰氏が「いろいろな見解があり、お互いに議論を尽くすべきで、これからも日中共同で真相の究明に努めるということでいかがでしょうか」と取り持って、うやむやにしてしまいました。
 私はその日の出がけに、新華社が六十万という数字を発表したという新聞報道を見てきましたので、それを中国代表に質問したところ、「まだ連絡を受けていないので、ノーコメントです」との返答でした。中国は二階に上げて梯子を外してしまうのがお得意ですが、せめて政府代表を派遣しているシンポジウムのパネリストくらいには連絡しておくべきではないかと思ったしだいです。
 二つ目の本では1998年になっていますが、これは1997年の間違いでどちらも同一のシンポジウムの話だと考えていいでしょう。二つの文章間には微妙な相違点が多いのですが、そこは細かく突っ込まないでおきます。
 さて、文章に従えば、当シンポジウムで以下のような一幕があったことになります。

《1-1》会場から「ラーベ日記には民間人五万ないし六万と書かれてますが」という質問が挙がる。
《1-2》笠原氏が「私は十数万または二十万以上と考える。ラーベは五〜六万と書いているが彼の知らない範囲を含めれば三十万ぐらいになるのでは」と返答した。(※この発言に矛盾を感じるのは私だけでしょうか)
《1-3》そこに孫氏が「勝手に期間や場所を広げられるのは困る」とクレームをつけ、笠原氏を困らせた。
《1-4》藤原氏が取り持ってうやむやにしてしまった。

ついでに
《2-1》秦氏が新華社の報道について中国の代表(孫氏?)に訊ねた
《2-2》中国の代表は知らないと答えた。

 しかし『南京事件をどうみるか』より対応すると思われる箇所を抜き出してみると、秦氏の紹介とはかなり印象が異なります。むしろ「妙な印象操作をしてないか?」と疑わしく思えるほどです。
 もっとも、シンポの全内容が活字になったわけでもないでしょうし、必ずしも「元ネタ」を発見できるわけではありません。結論から言うと、上記に並べたうち《1-1》と《1-2》の「元ネタ」は見つかりませんでした。

 まず「質疑・討論I」から抜粋します。

『南京事件をどうみるか』P71〜

――笠原先生が城外だけでなく行政区まで虐殺地域をひろげたのは、二〇万という数字が十二月十三日以降の城内だけでは不可能であるための策ではないか――

笠原 南京事件の範囲の問題になるが、これは行政区としての南京市で起きた事件、つまり日本の南京攻略戦とその後の占領にともなった事件として私はとらえている。南京大虐殺の事実そのものは否定できなくなったので、虐殺否定派は数を少なくみることに議論を集中して、事件を過少に思わせようとしている。今となっては正確な数の算定は困難である。数の問題に論議を集中すると、南京でどのような残虐事件があったか、どういう状況で民衆は犠牲となったか、被害者ならびに家族はどういう思いで過ごしたか、という肝心な犠牲者の傷痕を思いやり癒してやろうという思いがとんでしまうという問題がでてくる。今後資料がでてきて事件の全体像が明らかになればなるほど、数の問題はより実態に迫ってくる。その意味でも近郊の農村、県城の実態の不明なところを埋めていって全体像が解明されていくにつれてより確実な数が推定できるというわけで、その逆ではない。その原則を忘れてはならない。
 もし《1-1》および《1-2》に「元ネタ」があるとしたらここではないかと思います。冒頭の質問がラーベ日記が述べる犠牲者数からの流れで出たのなら間違いないと思うのですが……。
 もしかしたら秦氏の文章と完全に無関係である可能性もありますが、本に載っている限りにおいて、《1-1》と《1-2》に最も話題が近いのは上記の引用部分であると思いますので、参考のために載せておきます。
 この「質疑・討論I」には《1-3》および《1-4》に相当する発言はありません。それが出てくるのは「質疑・討論II」と「質疑・討論III」を経た「全体討論」になってからです。

『南京事件をどう見るか』P145〜

藤原 日本側ではすべての資料が発掘されているわけではないので、孫先生の報告のなかでも日本側に該当する記録がないのが相当ある。だから日本側も今後さらに資料発掘の努力をする必要がある。(中略)このように発掘していけば、中国側の孫先生の調査に対応する事実がでてくるのではないか、双方の記録をつき合わせることによっていっそう確実になっていくと考える。
 もうひとつ問題を提起したい。笠原先生は近郊農村を含めた範囲についての報告だったが、孫先生の「南京大虐殺の規模について」という報告のなかで、範囲はどのようにとっておられるのか伺いたい。これがはっきりすると日本側との間で整合性ができると思うので。

 私は南京のまわりの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている三〇万というのは周りの六県その他地域を入れていない。これはあらたな課題として考えていきたい。

笠原 私の研究は数が前提ではなく実態を明らかにするのが前提になっている。そのためには中国側の資料は非常に大事だと思っているが、残念ながら日本国民の意識のなかに、一部の否定派の研究者が繰り返し宣伝していることもあって、中国側の資料は白髪三千丈式の誇張があると思う傾向がある。そこで私の研究は中国側の資料に依拠しなくても虐殺が証明できることを念頭において、アメリカ側や日本軍の資料を使って事実を明らかにしてきた。南京には集団虐殺の記念碑がたくさん立っている。それぞれの場所は集団虐殺があったところであり、そこで作戦行動を行った日本軍の部隊までは分かるようになってきた。さらに具体的行為を記した日本軍の資料をあわせてみれば集団虐殺の実態と数が証明されるわけだが、日本側の資料はまだ少ない。今後日本軍の各部隊の行動が資料的にもっとわかるようになれば、犠牲者の数の問題もさらに明らかになっていくと思う。

 午前中に章先生がベイツの資料を引用したが、これが確かな証拠である。当時、日本軍は上海から南京まで進軍してきて、その進軍途中でも殺人行為をくり返してきた。江蘇省の各都市にはそれに関する資料がたくさん保存されている。

藤原 これからさらに研究が必要だということが、これで確認された。とくに日本側の記録と孫先生があげられた各地域の状況とを整合する作業がとくに必要だと思うので、ぜひこれを進めていきたい。
 ここでの孫氏の発言が《1-3》の元ネタであるのはほぼ確実だと思います。同じく《1-4》の元ネタは最後の藤原氏の発言でしょう。しかし最初の藤原氏の発言は、日本側の資料という流れで出たものであり、ラーベの日記はまったく話題に挙がっていません。おそらく秦氏は複数の場面を混ぜこぜに記憶しており、それを頼りにいい加減な記事を書いたのでしょう。

 あるいは別の場面で《1-1》〜《1-4》のやり取りがあったとも考えられますが、一回のシンポジウムで同じような話題を何度も繰り返したとも考えにくいですから、その可能性はほぼないはずです。

 では、再び抜き出してみます。

 私は南京のまわりの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている三〇万というのは周りの六県その他地域を入れていない。これはあらたな課題として考えていきたい。
 これが秦氏にかかると「勝手に期間や場所を広げられるのは困る」と「翻訳」されるのです。孫氏の言葉を要約するなら「期間や場所を広げるのはよいが、人数の解釈は異なる」となるはずです。秦氏はまったく逆の意味にして、孫氏が笠原氏を困らせたことにしてしまっています。

藤原 これからさらに研究が必要だということが、これで確認された。とくに日本側の記録と孫先生があげられた各地域の状況とを整合する作業がとくに必要だと思うので、ぜひこれを進めていきたい。
 これを「うやむやにしてしまいました」とするのもいただけません。日中資料の突き合わせを提案し、それによって事件の細部を明らかにしていこう、という学術的な姿勢です。

 遡りますが《1-2》も、笠原氏の著作の内容と合致しないデタラメな発言です。『南京事件と日本人』(柏書房)などを読むかぎり、笠原氏は30万人説には否定的な態度を取っています。これではシンポでは自説を曲げて中国寄りの発言をしたことになってしまいます。

 こうしてみると、秦氏はいわゆる「肯定派」の研究者のスタンスを歪めて伝え、「なんかうさんくさい」という印象を読者に与えようとしているようにしか見えません。能力的にはともかく、人格的にはクソウヨと同程度なんじゃないかと疑ってしまいます。
 たまに見かける「勝手に範囲を広げて中国に怒られた」といったアホ発言も、秦氏の本が発祥だとするとかなり罪深いような気がします。

 ついでというのもなんですが、《2-1》と《2-2》の「元ネタ」らしき箇所も発見しましたので載せておきます。

『南京事件をどう見るか』P71〜

――産経新聞の[一九九七年]十二月十三日朝刊の新華社報道によると、章先生が東京でおこなわれているこのシンポジウムで、ベイツ資料のなかに殺害数三〇万の数字があると報告すると報じていたが、具体的なことを知りたい――
――十二月十四日の読売新聞の記事で新華社が虐殺数六〇万と報道したというが本当だろうか――

 ベイツの文献のなかに、一九三八年、日本が南京で起した犯罪を批判している内容があり、さらに上海から南京までに三十万人の民間人を虐殺したという記載がある。これはイェール大学神学図書館の所蔵資料のなかにみつけることができる。その数字の根拠はどうなのかと尋ねられたことがあるが、私はベイツにかわって答えることはできない。ベイツはその出所をはっきり言っていないが、彼はオックスフォード大学でマスターをとっている歴史学者で、良い教育を受けており、虐殺の犠牲者について正確な数字を出すことができたと思われる。もし、その証拠はというのなら、ベイツ資料のなかにある例を紹介できる。各慈善団体が死体を埋葬していったが、ベイツの資料や手紙のなかにその統計数が書かれている。また、その死体が山積みになっているのをみずから目撃したことや、国際委員会がおこなった調査からでた結果や分析も、ベイツの主張する根拠となっている。わたしたちは南京市内外で虐殺のほとんどがおこなわれたと思っている。ベイツが指摘した虐殺された人数には軍人は含まれておらず、一般市民だけである。投稿した兵士や捕虜は含まれていなかった。六〇万という数字は、私自身、イェール大学の資料文献室でもみていない。
 二番目の質問には「報道したのは本当か?」と「60万人殺害は本当か?」の二通りの解釈があります。章氏はどうも後者として受け取っているように読めます。
 ところで秦氏は孫氏に質問したと書いているのに、ここで答えているのは章氏だったりします。微妙に答え方も違いますので本当に別であるとも考えられますが、ここまで来ると秦氏の記憶力の方を怪しく思ってしまいます(ちなみにこの質疑応答は上で引用した笠原氏の範囲の話題の直後にあたります)。


 今回は以上ですが、本投稿のほとんどはザ・掲示板の「らむぜ」さんの発言の焼き直しです。「らむぜ」さん、勝手に申し訳ありません。
63 hits

[2097]Re(1):秦郁彦氏による印象操作...
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 渡辺  - 06/2/18(土) 19:20 -

引用なし
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   ▼トロープさん:
> 問題となるのは秦郁彦氏です。氏もいくつかの本でこのシンポに触れているのですが、「らむぜ」さんが指摘されたようにその書き方がどうも怪しいのです。というわけで秦氏の文章と『南京事件をどう見るか』を比較していきたいと思います。

問題の箇所は聞いたままではなく、秦氏の解釈によるものと私は理解しています。
機会がありましたら、笠原氏に直接確認してみます。

ところで、私が秦郁彦氏の姿勢に疑問を持ったきっかけは『現代史の争点』でした。
南京事件などの記事を読んで、秦氏は研究をやめて第三者的な評論を書くようになってしまったのかという印象でした。
一方、731部隊の件については、なるほどと思われる部分もありました。ところが、裁判での証言記録を掲載した『裁かれた七三一部隊』(晩聲社)を読みましたら、『現代史の争点』で秦氏が言っていることと実際とではかなりニュアンスが違います。『現代史の争点』には、うんざりさせられたというのが、正直なところです。
42 hits

[2112]Re(2):秦郁彦氏による印象操作...
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 トロープ  - 06/2/21(火) 0:30 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>問題の箇所は聞いたままではなく、秦氏の解釈によるものと私は理解しています。
>機会がありましたら、笠原氏に直接確認してみます。

 どうもこんにちは。
 秦氏が嘘をついた、というか意図的に印象操作をしたわけではないにしても、氏に妙な予断や偏見があるのは間違いないと思います。少なくとも笠原氏が犠牲者数30万人と言ったとは思えません。似た発言があったとしても、文脈を強引に歪めたのではないかと思うのですが……。
 笠原氏に確認してくださるとのこと、わざわざありがとうございます。お手数ですがお願いします。

>ところで、私が秦郁彦氏の姿勢に疑問を持ったきっかけは『現代史の争点』でした。

 実は私も『現代史の争点』で秦郁彦氏の評価を下げました。もっとも私の場合は渡辺さんと違って感情的な理由ですけど……。否定派の連中にならともかく、肯定派(この言葉もあまり好きではないのですが)の方々に対して下品な難癖をつけているのが非常に不愉快でした。そもそも呼び方からして「大虐殺派」とか「自虐派」とかですし……。

>一方、731部隊の件については、なるほどと思われる部分もありました。ところが、裁判での証言記録を掲載した『裁かれた七三一部隊』(晩聲社)を読みましたら、『現代史の争点』で秦氏が言っていることと実際とではかなりニュアンスが違います。

 興味がありますので『裁かれた七三一部隊』はいつか読んでみようと思います。『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』(教育史料出版会)でも突っ込まれていましたので、微妙に気になってはいたのですが、どうも裁判と本とでは食い違いがあるみたいですね。
45 hits

[2113]Re(3):秦郁彦氏による印象操作...
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 渡辺  - 06/2/21(火) 13:30 -

引用なし
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   ▼トロープさん:
> 興味がありますので『裁かれた七三一部隊』はいつか読んでみようと思います。『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』(教育史料出版会)でも突っ込まれていましたので、微妙に気になってはいたのですが、どうも裁判と本とでは食い違いがあるみたいですね。

『裁かれた七三一部隊』は一審で、控訴審での証言記録と詳細な秦批判は『<論争>731部隊』に掲載されています。
もちろん、教科書検定当時の1983年までに731部隊の事実が分かっていたかが問題にされています。
一審の証言を覆す記事を、その2年余り後に秦氏自身が『正論』に発表したのですが、資料が発見されたから判断が変わったというような言訳に対して批判がなされているわけです。
詳しくは、上の二冊の本をご覧ください。
森村誠一編『裁かれた七三一部隊』には、森村誠一・秦郁彦・江口圭一証言、秦証言批判
松村高夫編『<論争>731部隊』には、松村高夫意見書、松村高夫・秦郁彦証言、ヒル・レポート(総論)、フェル・レポート(総論)、1983年までに刊行されていた731部隊に関する文献リスト、秦証言批判などが掲載されています。
48 hits

[2298]Re(3):秦郁彦氏による印象操作...
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 渡辺  - 06/3/26(日) 19:12 -

引用なし
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   ▼トロープさん:
>▼渡辺さん:
>>問題の箇所は聞いたままではなく、秦氏の解釈によるものと私は理解しています。
>>機会がありましたら、笠原氏に直接確認してみます。
>
> どうもこんにちは。
> 秦氏が嘘をついた、というか意図的に印象操作をしたわけではないにしても、氏に妙な予断や偏見があるのは間違いないと思います。少なくとも笠原氏が犠牲者数30万人と言ったとは思えません。似た発言があったとしても、文脈を強引に歪めたのではないかと思うのですが……。
> 笠原氏に確認してくださるとのこと、わざわざありがとうございます。お手数ですがお願いします。

最近、笠原氏にお会いしましたので、問題の件を尋ねしました。
トロープさんの投稿の写しをもって行くのをわすれたのですが、笠原氏はすぐに何のことかわかりました。
あれは、ひどい。抗議はしなかったが、でたらめだ、私がどう言っているか知っているのにあんなことを書くなんて、とかなり怒っていました。
笠原氏は秦氏が意図的に事実をまげていると考えておられるようです。

たまたま隣に教科書裁判で秦氏に対し反対訊問をした弁護士がいたのですが、秦氏が書いていることと実際とが全然違うことがあると、実例をあげて話してくれました。非常に面白かったのですが、内輪の話ですので、残念ながら公開できません。あしからず。
43 hits

[2300]Re(4):秦郁彦氏による印象操作...
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 トロープ  - 06/3/29(水) 2:07 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:
>最近、笠原氏にお会いしましたので、問題の件を尋ねしました。
>トロープさんの投稿の写しをもって行くのをわすれたのですが、笠原氏はすぐに何のことかわかりました。

 わざわざありがとうございました。
 やはり秦氏の紹介は、笠原氏がお怒りになるような不正確なものだったわけですね。自分の心が汚れているせいで悪意を感じたのか、と密かに心配していましたので一安心です。って安心するようなことでもないですけど……。
 秦氏に限らないのですが、そういったせこい手段を取るのではなく、堂々とした言論で正面から勝負してもらいたいものです。

 ところで先日ご紹介いただいた本ですが、『裁かれた七三一部隊』だけは入手することができました。確かに『現代史の争点』の書き方と違い、かなり苦しげな証言をしている感じがします。『<論争>731部隊』のほうもなんとか探して読んでみたいです。
45 hits

[2303]Re(5):秦郁彦氏による印象操作...
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 とほほ E-MAIL  - 06/3/29(水) 10:51 -

引用なし
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   ▼トロープさん:
> 秦氏に限らないのですが、そういったせこい手段を取るのではなく、堂々とした言論で正面から勝負してもらいたいものです。

秦さんって、家永裁判のころから、自著で言っていることと法廷で言っていることが180度違う方ですよね(^^;
彼の思考遍歴の検証も結構面白いかもしれませんね(^^ゞ、、(゜゜;)ハ゛キッ\(--;
56 hits

[2313]追加
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 トロープ  - 06/4/3(月) 23:53 -

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    また秦氏の怪しい文章を発見しましたので載せておきます。注目部分にはアンダーラインをつけています。って、こんなことばっかりやっていると私の方が印象操作しているような気分になりそうです。
『現代史の争点』(文春文庫)P24〜25

 だが、前記のプリンストン大学の発表で、笠原氏が、原因論について「中国人への蔑視感」「女性差別」「捕虜になるのを禁じた日本軍は敵の捕虜を認めなかった」「上海戦いらいの補給難と復讐感情」などをあげたあと、私が「付け加えれば、唐生智にも原因がある」と述べたところ、会場のあちこちから憤激の声があがり、騒然となって、質疑は中断した。
 そのあとも一、二度そうしたシーンがあり、司会役の教授が「ここは学術研究の場ですから」と鎮めたが、シンポ自体が中国系米国人の組織したものだけに、予想どおりだったともいえる。
 南京事件に関して、唐生智にある程度の責任があったのは間違いないでしょう。そのため、この部分を読むと「偏った思想の持ち主(中国系米国人)が正論に対して感情的に反発している」というイメージを植え付けられます。
 実は秦氏が書いたことは決して嘘ではありません。しかし同じシンポジウムのことを述べた笠原氏の文章によると……
『南京事件をどうみるか』P180〜182

 私は、「南京大虐殺の歴史的要因」と題する報告をおこなった。私はまず、南京大虐殺事件の定義と範囲、内容を規定したうえで、なぜ日本軍は残虐事件を引き起こしたのか、歴史的社会的要因として、日本兵・日本人のアジア人・中国人にたいする蔑視意識があり、女性に対する性差別意識があり、日本軍隊の非人権的特質があり  、人間性を喪失させた天皇の軍隊の特質があったことを述べた。(中略)
 司会から私のコメントにたいする反論を求められた秦氏が、南京大虐殺の原因については笠原報告に賛同するが、数に関しては違うとして、中国軍が殺害されたのは、唐生智が降伏勧告を拒否したうえに軍隊を放置して逃げたこと、司令官、指揮官のもとに投降した軍隊だけが捕虜に相当する、と発言したところで、会場から異議、抗議の声が上がり、一時騒然とする。議長が「ここは学術的討論の場であるから、感情的にならずに静粛に」とどうにか鎮めた。
 まさか他人の主張を歪めて書いているということはないでしょうから、笠原氏が書かれたことはほぼ事実でしょう(余談ですが『南京事件と三光作戦』にもこれと同じ文章があり、そちらには氏の報告の全文も掲載されています)。

 なんと秦氏は「殺害された中国兵には捕虜になる資格がなかった」と言っていたのです。これはかなり無茶な主張であり、会場が騒然となるのも当たり前でしょう。顰蹙を買った発言を巧妙に伏せておきながら、反発した側に非があるように書くというのは、どうにもアンフェアに感じます。
43 hits

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