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[1021]選挙に行こう。 とほほ 05/8/30(火) 23:47
[1057]Re(1):選挙に行こう。 とほほ 05/9/3(土) 1:36
[1067]Re(1):選挙に行こう。 熊猫 05/9/3(土) 21:23
[1077]Re(2):選挙に行こう。 とほほ 05/9/4(日) 5:04
[1081]Re(3):選挙に行こう。 msq 05/9/4(日) 20:45
[1082]Re(4):選挙に行こう。 とほほ 05/9/4(日) 22:07
[1089]Re(5):選挙に行こう。 SASKE 05/9/5(月) 23:26
[1100]Re(4):選挙に行こう。(国民審査) とほほ 05/9/8(木) 23:25
[1104]Re(5):選挙に行こう。(期日前投宣誓書) ピッポ 05/9/9(金) 9:54
[1119]Re(5):選挙に行こう。(国民審査) あっちゃん 05/9/10(土) 1:48
[1121]Re(6):選挙に行こう。(国民審査) とほほ 05/9/10(土) 2:16
[1138]Re(7):選挙に行こう。(国民審査) あっちゃん 05/9/11(日) 19:34
[1140]Re(8):選挙に行こう。(国民審査) とほほ 05/9/11(日) 19:58
[1156]Re(9):選挙に行こう。(国民審査) あっちゃん 05/9/12(月) 20:54
[1088]Re(2):選挙に行こう。 SASKE 05/9/5(月) 23:24
[1092]世話のやけるやっちゃなぁ〜 熊猫 05/9/6(火) 1:42
[1097]世話をやいていただきましたか SASKE 05/9/8(木) 18:17
[1105]ちょっとテスト 熊猫 05/9/9(金) 20:51
[1106]行って来ました期日前投票 とほほ 05/9/9(金) 21:05
[1108]Re(1):行って来ました期日前投票 SASKE 05/9/9(金) 23:01
[1117]Re(2):行って来ました期日前投票 とほほ 05/9/10(土) 1:26
[1157]Re(3):行って来ました期日前投票 SASKE 05/9/12(月) 21:26
[1120]Re(2):行って来ました期日前投票 とほほ 05/9/10(土) 1:57
[1110]Re(1):行って来ました期日前投票 熊猫 05/9/9(金) 23:13
[1180]Re(1):行って来ました期日前投票 桜陽 05/9/13(火) 21:33
[1181]Re(2):行って来ました期日前投票 とほほ 05/9/13(火) 22:08
[1182]Re(3):行って来ました期日前投票 桜陽 05/9/13(火) 22:28
[1107]だから、せわがやけるちゅーうねん! 熊猫 05/9/9(金) 22:40
[1109]Re(1):だから、せわがやけるちゅーうねん! SASKE 05/9/9(金) 23:10
[1151]せやから、世話がやけるんやないかい。 熊猫 05/9/12(月) 1:30
[1189]Re(1):せやから、世話がやけるんやないかい。 SASKE 05/9/15(木) 0:08
[1087]Re(1):選挙に行こう。 SASKE 05/9/5(月) 23:19
[1101]Re(2):選挙に行こう。 とほほ 05/9/8(木) 23:33
[1111]Re(3):選挙に行こう。 SASKE 05/9/9(金) 23:26
[1115]Re(4):選挙に行こう。 とほほ 05/9/10(土) 1:12
[1124]Re(5):選挙に行こう。 SASKE 05/9/10(土) 8:26
[1126]Re(6):選挙に行こう。 とほほ 05/9/10(土) 10:43
[1132]Re(7):選挙に行こう。 SASKE 05/9/11(日) 17:33
[1134]Re(8):選挙に行こう。 とほほ 05/9/11(日) 18:58
[1136]Re(9):選挙に行こう。 SASKE 05/9/11(日) 19:06
[1137]Re(10):選挙に行こう。 とほほ 05/9/11(日) 19:14
[1141]Re(11):選挙に行こう。 SASKE 05/9/11(日) 20:06
[1142]Re(12):選挙に行こう。 とほほ 05/9/11(日) 20:24
[1146]Re(13):選挙に行こう。 SASKE 05/9/11(日) 21:52
[1147]Re(14):選挙に行こう。 とほほ 05/9/11(日) 21:59
[1148]Re(15):選挙に行こう。 SASKE 05/9/11(日) 22:47
[1149]Re(16):選挙に行こう。 とほほ 05/9/11(日) 22:53
[1116]Re(4):選挙に行こう。 とほほ 05/9/10(土) 1:22
[1150]Re(1):選挙に行こう。 とほほ 05/9/12(月) 0:22
[1179]Re(1):選挙に行こう。 とほほ 05/9/13(火) 21:32
[1185]Re(2):選挙に行こう。 SASKE 05/9/14(水) 0:00
[1186]Re(3):選挙に行こう。 SASKE 05/9/14(水) 0:05
[1191]Re(2):選挙に行こう。 とほほ 05/9/15(木) 3:40

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[1126]Re(6):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/10(土) 10:43 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:
> 1101でとほほさんは、こう書かれましたね。
>>全国で誰にでも投票できて上位から当選を決めていく、当選最低ラインを決めておいて一次で定員に達しない場合2次、3次を行う。
> 「当選最低ラインを決めておいて」というのは、誰が決めるのでしょうか? どうやって決めるのでしょうか? 

それが最低得票数なり妥当な線を国会が決めるのです。昔の全国区と私が言っている選挙区なんか入らない、は意味が違うのですよ。つまり私の言っている選挙区なんか入らないと言うのは完全全国区だけで選挙をすると言う事です。

そうなると、定数100に対してトップ10が得票数のほとんどを占めてしまう可能性があるのです。残りは現在の最低得票数にも達しない可能性があるわけです。そのためにトップ10は当選として残りは再選挙で決めていくと言う事です。
34 hits

[1132]Re(7):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/11(日) 17:33 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼SASKEさん:
>> 1101でとほほさんは、こう書かれましたね。
>>>全国で誰にでも投票できて上位から当選を決めていく、当選最低ラインを決めておいて一次で定員に達しない場合2次、3次を行う。
>> 「当選最低ラインを決めておいて」というのは、誰が決めるのでしょうか? どうやって決めるのでしょうか? 
>
>それが最低得票数なり妥当な線を国会が決めるのです。昔の全国区と私が言っている選挙区なんか入らない、は意味が違うのですよ。つまり私の言っている選挙区なんか入らないと言うのは完全全国区だけで選挙をすると言う事です。
>
>そうなると、定数100に対してトップ10が得票数のほとんどを占めてしまう可能性があるのです。残りは現在の最低得票数にも達しない可能性があるわけです。そのためにトップ10は当選として残りは再選挙で決めていくと言う事です。
 もっとましな使い方も成り立つとは思っていましたが……。

 具体性を帯びてくるとわかりやすくなりますね。先に僕が書いた例にもかかわらず、11番目の得票率の候補を、100人の定員から排除する制度です。それは、民の声を聴く制度としてふさわしいでしょうか?
 書きたいのは以上ですが、わからないこと、こうではないかと思っていたとほほさんの文章がますますわからなくなりました。
「昔の全国区と私が言っている選挙区なんか入らない、は意味が違うのですよ」は、どういうことをおっしゃっているのでしょうか。「選挙区なんか入らない」は、選挙区なんかは、いらない」の誤変換とばかり思っていました。「選挙区なんか入らない」がとほほさんがとほほさんの頭の中を表現したとおりのものであるとしたら、「選挙区なんか入らない」とはどういう意味なんでしょうか? ある政党の党首が、ある選挙区に入らない、選挙区入りをしないということですか?
 それと、昔の全国区というものを、とほほさんは、どういう風に捉えていらっしゃるのでしょうか? もしかしたら、二院クラブという今はなき政党の候補者の当選用件あたりで考えていらっしゃいますか?

 今、投票を済ませてきました。

 最初に渡された紙、「候補者名を」との投票用紙交付者の声。記載ならびに投票箱に入れると、次は、「政党名」をと別の投票用紙交付者が声かけをしていました。その時に最高裁の裁判官の国民審査の投票用紙も同時に交付されます。2枚の用紙の交付を受けて、記載後投票箱に入れるわけですが、投票箱は2種類。これ、ぎょっとしたのです。今までもこんなだったっけ? 2枚の別の種類のものを別々の箱に入れるという行為には、間違えて入れる可能性があります。ひとつは、逆に入れること。もうひとつは、二種類あることを見落として2枚ともひとつの投票箱に入れること。当然立会人はいますが、投票箱への投入の瞬間に入れ間違いを目撃しても、指摘して止めるなどとはできないでしょう。入れ間違いは、本来無効票扱いになるものと思いますが、入れ間違いをおこすことが予想されるような投票方法であるとしたら、無効とするのには問題があるのではないかと感じています。
 もうひとつのびっくりは、記載代に貼られた政党名にある略称、「日本」。へえ。これが略称とはいえ、政党名になるんだ! ちょっと前なら、政党名の頭に、日本を冠した政党名は、いくつかあったので、略称が略称として、認められたかどうか、不思議な感じです。
36 hits

[1134]Re(8):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 18:58 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:
> 具体性を帯びてくるとわかりやすくなりますね。先に僕が書いた例にもかかわらず、11番目の得票率の候補を、100人の定員から排除する制度です。それは、民の声を聴く制度としてふさわしいでしょうか?

わからない人ですね(^^;
10番目かどうかなんてのは関係ないのですよ、わかりやすいようにトップテンを具体例にしているだけです。
トップテンが全得票数の95%を占めてしまい、残りの5%で90人の議員を決定するのが民意の反映でしょうか?
以上でこの件につき問答打ち切り。
34 hits

[1136]Re(9):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/11(日) 19:06 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼SASKEさん:
>> 具体性を帯びてくるとわかりやすくなりますね。先に僕が書いた例にもかかわらず、11番目の得票率の候補を、100人の定員から排除する制度です。それは、民の声を聴く制度としてふさわしいでしょうか?
>
>わからない人ですね(^^;
>10番目かどうかなんてのは関係ないのですよ、わかりやすいようにトップテンを具体例にしているだけです。
>トップテンが全得票数の95%を占めてしまい、残りの5%で90人の議員を決定するのが民意の反映でしょうか?
>以上でこの件につき問答打ち切り。
 わからないのは、どちらさまでしょうか? 95%の得票者に5%の運命も決めてしまうのでしょうか? そうした考えなら、そもそも、100人の定員はいらないじゃありませんか。10人による専制政治が、とほほさんの民主主義ですか?
43 hits

[1137]Re(10):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 19:14 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:
> わからないのは、どちらさまでしょうか? 95%の得票者に5%の運命も決めてしまうのでしょうか? そうした考えなら、そもそも、100人の定員はいらないじゃありませんか。10人による専制政治が、とほほさんの民主主義ですか?

得票数と発言力と言うのは何も関係ないのですよ。一人は一人であり国会の議決権も一人分しかないのです。
有効得票数に達する議員を定数まで国民全員で選出していく事になるのです。それがなぜ10人の寡頭政治になるのですか?

残りの90人を5%の支持者で決めてしまうのであればその5%の支持者に選ばれた議員が国会での議決権を握る事になるのですよ、わかりましたか?
40 hits

[1138]Re(7):選挙に行こう。(国民審...
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 あっちゃん E-MAIL  - 05/9/11(日) 19:34 -

引用なし
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   ▼とほほさん:

>はい、赤旗と民主法律家協会は参考にしました(^^ゞ

そうでしたか、(^^;) さすがとほほさんですね。確かに、国民審査で裁判官を判断するのに裁判官の判決だけというのでは少し問題かもしれません。本来なら、なぜその判決や決定をしたのかというプロセスまで見ていかないと本当の判断は下せないかもしれませんが、一般人が中々そこまでやるのは難しいですね。しかし、アメリカでは最高裁の判事の選出自体が大きな論点になっていますが、日本のマスコミも選挙戦の刺客がどうとかいうのも良いけども、もっとこの国民審査についても紹介すればいいのに。と思ったりもします。

 先ほど、投票に行きましたが、今回の選挙は最後まで争点が郵政民営化から離れず、小泉氏のペースに日本全体が乗せられてしまっているようですが、憲法や増税などこれから、自民がやろうとしている事を考えると、今回の自民選択は、殆どの国民にとっては、悪い選択になるでしょうね。
32 hits

[1140]Re(8):選挙に行こう。(国民審...
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 19:58 -

引用なし
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   ▼あっちゃんさん:
> しかし、アメリカでは最高裁の判事の選出自体が大きな論点になっていますが、日本のマスコミも選挙戦の刺客がどうとかいうのも良いけども、もっとこの国民審査についても紹介すればいいのに。と思ったりもします。

日本の場合は民主国家としての民度が低い、なかなかアメリカのように行くとは限らないでしょうね。ある意味裁判を専門家に全て責任転嫁している、裁判所の裁定と言うのは日本人にとって「神の声」に近いのではないでしょうか?陪審員制度も日本人にとっては中々理解しにくい制度だと思いますね。

裁判員制度もうまく機能してくれたらよいのですが、裁判が犯罪被害者の復讐代行になりかねない問題もある。私の考えでは遅々とした発展かもしれませんが、日本ではまず「有罪・無罪」はあくまで裁判官が決める(当然、現行の法体系の抜本的改革が必要です、裁判官の裁量権は大幅に縮小せねばならないでしょう)、量刑に対して裁判員なり陪審員が議決する。
32 hits

[1141]Re(11):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/11(日) 20:06 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>▼SASKEさん:
>> わからないのは、どちらさまでしょうか? 95%の得票者に5%の運命も決めてしまうのでしょうか? そうした考えなら、そもそも、100人の定員はいらないじゃありませんか。10人による専制政治が、とほほさんの民主主義ですか?
>
>得票数と発言力と言うのは何も関係ないのですよ。一人は一人であり国会の議決権も一人分しかないのです。
一人分ではなく、一議席分ですね。

>有効得票数に達する議員を定数まで国民全員で選出していく事になるのです。それがなぜ10人の寡頭政治になるのですか?
 有効得票数がそもそも、恣意的なのです。10人に95%との得票が集中するという、とほほさんの考え方がそもそも、荒唐無稽なのです。なぜ、荒唐無稽になってしまうかと言うと、とほほさんの発想には、政党政治の現実がすっぽり抜け落ちている。政党は100人目の当選者は、わが党から、出す、そうした意思のもとに、何人の当選者を出そうかと考えます。51人の当選者をだす、のが選挙における目標となれば、51等分の票割りを行うのです。その一人ひとりの差が極小であれば、より少ない得票数で多くの当選者を出すことができますが、ある候補に集中してしまうような失態を犯すと総得票でだったらもっと当選者を出せるはずの得票でも、落選者を生むことになってしまいます。

>残りの90人を5%の支持者で決めてしまうのであればその5%の支持者に選ばれた議員が国会での議決権を握る事になるのですよ、わかりましたか?
 ぜんぜんわかりません。先の10人の当選者が、90人の考えとは異なるものとしての想定のように思いますが、そうした発想は、いったいどこから来るのでしょうか? 多くの得票者が、直接に強い権限を持っているわけではありません。議決において多くの票を投じることができるわけではありません。議員の一人一人の権限は、議会においては等しいのです。
46 hits

[1142]Re(12):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 20:24 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:
> 有効得票数がそもそも、恣意的なのです。10人に95%との得票が集中するという、とほほさんの考え方がそもそも、荒唐無稽なのです。

だからわかりやすいような数字的仮定なんですよ(^^;

> なぜ、荒唐無稽になってしまうかと言うと、とほほさんの発想には、政党政治の現実がすっぽり抜け落ちている。

当たり前でしょう、政党政治脱却するための提案なんですから。

> 政党は100人目の当選者は、わが党から、出す、そうした意思のもとに、何人の当選者を出そうかと考えます。51人の当選者をだす、のが選挙における目標となれば、51等分の票割りを行うのです。

それを出来ないようにするのが目的です。

> その一人ひとりの差が極小であれば、より少ない得票数で多くの当選者を出すことができますが、ある候補に集中してしまうような失態を犯すと総得票でだったらもっと当選者を出せるはずの得票でも、落選者を生むことになってしまいます。

それでいいのです。得票数からこぼれた候補者を切り捨てるのではないですよ。最後の一人まで国民の総意の下に議員を決めていくのです、党利党略で政治が決定しないようにするのです。SASKEさんの錯誤はそれこそ政党政治が念頭から離れないから理解できないのですよ。セクト主義と何ら変わりがありません。

政党政治的に判断するなら一次投票でのトップテンの動向がその後の政党の議席数に指針を与えます、トップテンに何人の政治家を送り込めるかで政党に対する民意が反映されるのです。SASKEさんがこの案を恐れるのは民意を信用してないからですよ、トップテンを自民党が独占すると思っている、この制度で自民党がトップテン入りするのは大変難しいですのですよ。おそらくこの制度で当選の自信のある自民党候補者は一人もいません。組織票が何の役にも立たないからです。

抜本的な選挙制度改革なのです。どのような権力基盤も役に立たない制度でありフェアな闘いが出来る制度なのです。

> ぜんぜんわかりません。先の10人の当選者が、90人の考えとは異なるものとしての想定のように思いますが、そうした発想は、いったいどこから来るのでしょうか?

場合によって麻原尊師が0.0数%の得票率で当選する可能性だってあるのですよ。100人の議員を選ぶのに上から順番にそのまま当選させたら。

先の10人が90人の考えが異なるか否かは関係ないのです。有権者は二次三次投票においても全く同等の行使力を持つのですよ。よしんば個人を選ぶのではなく政党を選ぶのであればトップテンの勢力図がそのまま二次三次に反映されます、それならいっそ面倒な事をしないで、、、というのが「比例代表」と言う制度です。政党政治を健全なものにするためにもデタラメな議員を党員にするなんて民主党のような真似は出来なくなるのです。
50 hits

[1146]Re(13):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/11(日) 21:52 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>当たり前でしょう、政党政治脱却するための提案なんですから。
 やっぱりそうでしたか。とほほさんの妄想って、そんなもんだと思っていました。政党政治とは無縁な、民主国家なんて世界中のどこかに存在ますか? 歴史的に政党政治を脱却する政治形態が成り立ったことがありますか? 政党とは無縁な地方議会が存在しますか?
 荒唐無稽ですね。
 政党政治を否定するような公民教科書など存在しますか? 新しい公民教科書でさえも、政党政治を肯定的に扱っています。この教科書の面白いところは、政党助成金交付額の一覧で、政党を紹介しているところです。官から、民へ、と言いながら、税金で政党活動を支えられてる、官営政党一覧です。民の声は届かない。自前で成り立たない政党なんて、存在意義がないと思っています。
48 hits

[1147]Re(14):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 21:59 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:
>▼とほほさん:
>>当たり前でしょう、政党政治脱却するための提案なんですから。
> やっぱりそうでしたか。とほほさんの妄想って、そんなもんだと思っていました。政党政治とは無縁な、民主国家なんて世界中のどこかに存在ますか? 歴史的に政党政治を脱却する政治形態が成り立ったことがありますか? 政党とは無縁な地方議会が存在しますか?

再掲しましょう。
先の10人が90人の考えが異なるか否かは関係ないのです。有権者は二次三次投票においても全く同等の行使力を持つのですよ。よしんば個人を選ぶのではなく政党を選ぶのであればトップテンの勢力図がそのまま二次三次に反映されます、それならいっそ面倒な事をしないで、、、というのが「比例代表」と言う制度です。政党政治を健全なものにするためにもデタラメな議員を党員にするなんて民主党のような真似は出来なくなるのです。
健全な政党政治を発展させるためにも、、、。と書いてあります。今の不健全な政党政治を否定しているわけです。しかも政党政治が民主政治になくてはならないものだと言うSASKEさんの主張には何にも根拠がありません、私は別に否定はしませんが健全である必要はある。と述べています。また、政党政治が民主主義に必要不可欠だとも考えてません。
54 hits

[1148]Re(15):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/11(日) 22:47 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>>>当たり前でしょう、政党政治脱却するための提案なんですから。
>> やっぱりそうでしたか。とほほさんの妄想って、そんなもんだと思っていました。政党政治とは無縁な、民主国家なんて世界中のどこかに存在ますか? 歴史的に政党政治を脱却する政治形態が成り立ったことがありますか? 政党とは無縁な地方議会が存在しますか?
>
>再掲しましょう。
先の10人が90人の考えが異なるか否かは関係ないのです。有権者は二次三次投票においても全く同等の行使力を持つのですよ。よしんば個人を選ぶのではなく政党を選ぶのであればトップテンの勢力図がそのまま二次三次に反映されます、それならいっそ面倒な事をしないで、、、というのが「比例代表」と言う制度です。政党政治を健全なものにするためにもデタラメな議員を党員にするなんて民主党のような真似は出来なくなるのです。

 
こんな表現も可能なんですね。
 
いろいろ勉強になります。
>健全な政党政治を発展させるためにも、、、。と書いてあります。今の不健全な政党政治を否定しているわけです。
 健全、不健全と言うよりは、まだ、いまだ日本における政党政治が古い体質のまま、ということの問題と思います。

>しかも政党政治が民主政治になくてはならないものだと言うSASKEさんの主張には何にも根拠がありません、私は別に否定はしませんが健全である必要はある。と述べています。また、政党政治が民主主義に必要不可欠だとも考えてません。
 あれ? 「政党政治が民主政治になくてはならないものだと言うSASKEさんの主張」なんて、そんなこと、どこかに書きました? 「政党政治が民主主義に必要不可欠」ということではなく、必然的にそうなる、ということでしょう。偶然にその例外が起こることがあっても、それは一時的、ということと思います。

[#1142]へのレスに書き遺しがありました。
>場合によって麻原尊師が0.0数%の得票率で当選する可能性だってあるのですよ。100人の議員を選ぶのに上から順番にそのまま当選させたら。
 「麻原尊師(尊師などとつける必要があるのかは疑問です)」が、当選したら何か不都合がありますか? 民意にもっともだ、と思わせるような発言なしに、議会においては何一つ形になるものはありません。「権威は国民に由来」するものですから、国民の世論の背景なしには、国会においてなしうるものは、皆無です。
56 hits

[1149]Re(16):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 22:53 -

引用なし
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   ▼SASKEさん:
> 「麻原尊師(尊師などとつける必要があるのかは疑問です)」が、当選したら何か不都合がありますか? 

ありますよ、国民の0.0数%(おそらくそれより以下でしょうが)しか支持されない候補が議席を持つことは少しも民意を反映してません。
73 hits

[1150]Re(1):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/12(月) 0:22 -

引用なし
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   しっかし。
この選挙結果では、何を議論しても本日は気が重いだけですな。

郵政民営化なんてのはどうでもいいけど、憲法九条は大変危険な状況だ。今日は寝よう。
40 hits

[1151]せやから、世話がやけるんやな...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/9/12(月) 1:30 -

引用なし
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   なんや知らん、春介の逆バージョンを相手にしとる気がしてきた。他の掲示板での熊猫キャラが出てきよる........。
最近、春介と遊んでない所為か?

>それはそれは、ぜひとも、熊猫国憲法試案を拝見しとうござりまする。
無理でんな!日本国憲法ごとき凌駕しているというのは、私は日本人である前に地球人として自分を見ているのです。
「国益とは地域エゴの別称であり、何処に国境線を引いたところで地球の表面積は変わらない。」これが、熊猫の基本スタンスなのです。

権利とは、その行使が自由であり責任の無いものではないでしょうか?つまり、行使しなくても赦されるもの。
33 hits

[1156]Re(9):選挙に行こう。(国民審...
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 あっちゃん E-MAIL  - 05/9/12(月) 20:54 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>日本の場合は民主国家としての民度が低い、なかなかアメリカのように行くとは限らないでしょうね。ある意味裁判を専門家に全て責任転嫁している、裁判所の裁定と言うのは日本人にとって「神の声」に近いのではないでしょうか?

まあ、アメリカの場合も、同性愛や差別の問題などの判断をどう下すのかという問題を巡って、本来なら罪や争いに対して公正に判断を下すのが司法の役割であるのに、最高裁自体が左右両派の政争の具になっていて、判事も公正な視点から物事を見ずに保守やリベラルといった本人の価値観に左右される傾向があるのはどうなのかな?とも思いますが、司法自体がお上に弱く、政権寄りで腰が引けている日本と比べれば、随分マシです。それと、日本では和解で決まる事が多いですよね?日本人には(アジア人も?)裁判で白黒ハッキリつけるというのは、これまであまり馴染まなかったのではないかと思います。大岡裁きのようなものが昔から日本人は好きなんじゃないでしょうか。その結果、権力に対して、自らの権利を守る為に司法制度を活かすといったような発想は全体としてあまり出て来ないという傾向があるんでしょうね。

>裁判員制度もうまく機能してくれたらよいのですが、裁判が犯罪被害者の復讐代行になりかねない問題もある。私の考えでは遅々とした発展かもしれませんが、日本ではまず「有罪・無罪」はあくまで裁判官が決める(当然、現行の法体系の抜本的改革が必要です、裁判官の裁量権は大幅に縮小せねばならないでしょう)、量刑に対して裁判員なり陪審員が議決する。

 陪審員制度は、アメリカ人でも時間が取られるのを嫌がって、いろいろな理由を付けて、逃げたりする場合も多いようですから、日本で果して、上手く行くかどうか。もちろん、閉鎖的な日本の司法制度を改革する事自体は良いのですが、まず、あの読みにくく婉曲な表現が多くて分かりにくい判決文や裁判で使う言葉をもっと普通に使うような表現にしてほしいな。と思います。

 しかし、小泉党のあそこまで(自民が都市層で、民主が地方層を取るとは・・・)の躍進はホント気味が悪いです。なんだか、益々、今の自己責任、強者天国かつ、劇場型の政治が蔓延しているアメリカに似てきているような・・・(^^;) 今回自民に投票した人達はその結末が自分達にどう跳ね返ってくるかを本当に理解して投票しているんでしょうか。
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[1157]Re(3):行って来ました期日前投...
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/12(月) 21:26 -

引用なし
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    どういうわけか、2つの書き込みを見落としていたようです。
[#1117]
▼とほほさん:
>▼SASKEさん:
>> 消しゴムで消えません。濃厚な消し後の上に別の候補者名を書いてあったとしたら、おそらく、無効票となるでしょう。それほどに、消すことができません。
>
>本当にイチャモンヤですね(笑)
>消せますよ、B4の鉛筆です。賭けましょうか?(笑)

 賭けません、命に換えても。それは、僕の主義に反します。
 というより、賭けて明らかとなることではないでしょう?
 実験により確かめられることです。次のoff会のとき、皆さんの立会いの下、やってみましょう。投票用紙、用意しといていただけますか?

 なお、今使われている投票用紙は、合成紙であると思っています。二つ折りして投票箱に入れても、開票しやすいように広がる、という話ですよね。
「通信用語の基礎知識-紙」では、こう説明しています。
「現在は, 合成紙と呼ばれる木材繊維以外の材料から作られたものも使われる. 合成紙は石油から作られた合成樹脂から作られる紙のようなもので, 例えば選挙の投票用紙などにも使われており, 折り畳んでも直に元に戻るという特徴がある. 」
 僕は、投票用紙が合成紙であるという認識と、なぜ、鉛筆で紙に書いたものが消えるかの基礎知識の上に、試したことのない結果がどうであるかについて、書いたものでありました。
>> 消しゴムで消えません。濃厚な消し後の上に別の候補者名を書いてあったとしたら、おそらく、無効票となるでしょう。それほどに、消すことができません。
 根拠なく、こう書いたわけではありません。もちろん、こう書いたことが誤りであるのかもしれません。でも、それは、「イチャモンヤですね」となることですか?

[#1120]もあわせて、見落としていました。こちらは、もう一つのスレの話題と思いますのでそちらで書くようにしますので、今しばらく、お待ちください。
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[1179]Re(1):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/13(火) 21:32 -

引用なし
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   ▼とほほ:
>***結局この「小選挙区制」と言うやつが、どうしようもない悪制度なんですよね(^^;

興味深い記事のページを見つけたので全文無断転載します(^^;
怒られたら削除の可能性がありますのであしからずご了承ください。
選挙制度の話しより。
日本語と隣の国から世界を見る上記ホームページ 信太 一郎氏主宰
選挙制度は選ぶ側が決めよう!

はじめに 選挙制度については、選ばれる側にとっての死活問題だということばかりが言われています。しかし、この問題は、それ以上に選ぶ側の権利の問題であり、それゆえに民主主義の根幹をなすものと、私は考えています。外国では選挙制度の変更にあたっては、国民投票を介する例が多いのですが、日本では、この問題がもっぱら選ばれる側によって論じられ、決せられています。今の小選挙区比例代表並立制への変更は、国会の場で一度は否決されながら、どういう権限があるのか分からない密室での細川・河野会談によって導入されました。新制度での初の選挙の後、私の身近なところでも、「えらく選挙区が増えた」とか、「えっ、一人しか当選できないの?」と言っている人にしょっちゅう出会ったものです。このことは、変更が本来第一の当事者であるべき有権者に十分な説明もなしに、拙速に行われたことを物語っています。

選ぶ側にとって理想の選挙制度とは? 選挙制度に一長一短があることは確かです。しかし、日本では、「選挙制度は選ばれる側が決めること」という前提の上に、「理想の選挙制度などない」と言われていることが問題です。選ばれる側の利害は対立します。選ばれる側の間での選挙制度論議は、どうしても利害が先行します。いろいろと理屈をつけても、それは後付けにすぎません。解決は力関係を反映したゴリ押しか、適当なところでの妥協という形でしか実現しないのです。だから、今までの選挙制度論議の前提を根本から覆し、選ばれる側の立場からではなく、選ぶ側の立場でこの問題を考える必要があると思います。

 選ぶ側の立場から見て、理想的な選挙制度とは、ひとことで言って公平な制度ということです。どの政党を支持しようが、どの地域に住んでいようが、有権者の1票は平等に扱われ、その意思は平等に選挙結果に反映されなければなりません。また、あまりに複雑な制度は、有権者にとって「選んだ」という実感が得にくくなりますから、好ましくありません。

小選挙区制は最悪の制度 一つの選挙区から一人しか当選者を出さない小選挙区制が、大政党に圧倒的に有利な制度であることは、ちょっと考えれば小学生にでも分かることです。理屈の上では、すべての選挙区で過半数の票を得た政党は、なんと100%の議席を独占できます。対立政党がたくさんあるときには、過半数の票も必要なく、全選挙区で一位になりさえすれば議席を独占できます。現実にはここまで行かないとしても、得票率と議席配分との間にひどいゆがみが生まれることに変わりはありません。2000年6月の衆議院選挙の小選挙区部分で、自民党は41%の得票率(比例区では28%)で59%の議席を得ました。さらに、中国地方の小選挙区の場合、自民党は57%の得票率で86%(21議席中18議席)の議席を得ています。一方、小選挙区にくまなく候補者を立て全国で12%の得票を得た共産党は、小選挙区では1議席も獲得できませんでした。比例代表との並立ではなく、単純小選挙区制で選挙が行われていたらどんな結果が出たかは、火を見るより明らかです。

 有権者の中に、当選者の内訳を小選挙区と比例区とに分けて調べる人は、残念ながらほとんどいません。そのために、このような明らかな矛盾に気づく人が少ないのです。全体としての選挙結果を見ただけで、新聞を捨ててしまったりせず、この内訳をしっかりと調べてほしいものです。
    
1890年7月1日、警察官立会いのもとで行われた第1回総選挙。一定額以上を納税するごく一部の者による制限選挙のため、警官の後ろに群がっているのは選挙権のない見物人。ビゴー画。    

比例代表制こそ理想の選挙制度 有権者の一人一人が平等であるとするならば、4割の得票の政党には4割の議席、3割の得票の政党には3割の議席という制度が望ましいことは言うまでもありません。その理想を実現するのが比例代表制です。いちばん分かりやすい方法は、全国一括で政党別の得票率に基づいて政党別に議席を与え、各政党があらかじめ出した名簿の順位にしたがって、各政党に配分された議席の範囲内で当選者を決めていく方法です。しかし、これでは有権者は候補者を選ぶことはできませんし、あまりに味気ないという印象をぬぐえません。そこで、比例代表制の理想を生かしながら、さまざまに工夫をする必要が生じてきます。そのため、比例代表制はともすれば複雑になりやすく、また、比例代表制論者の数だけの比例代表制があるというほど、さまざまな変種があります。そこで、この工夫を最小限にして、分かりやすさと公平さとを両立する方法が追求されなければなりません。

「重複立候補」「復活当選」はよくないことか? 現行の並立制において、「重複立候補」「復活当選」の評判がよくありません。評判が悪い第一の理由は、有権者の多くが、小選挙区制を導入した以上、どうしても「重複立候補」「復活当選」が必要になってくる理由について、じっくり考えようともせず、感情的に考えているからです。

 小選挙区制では、中小政党の候補者の当選の確率はきわめて低いものとなります。とっておきの候補者を小選挙区に立てた場合、中小政党が比例区に立てる候補者は、「重複立候補」がない限り、言葉は悪いのですが「間に合わせ」の候補者ということになってしまいます。こうして、とっておきの候補者が小選挙区で落選した場合、中小政党は最も大事な候補者を国会に送れなくなってしまいます。そのために「重複立候補」が必要となってくるのです。個人的魅力のあるとっておきの候補者の個人としての運動が政党の票をも掘り起こすことを考えるなら、「重複立候補」の禁止は、政党間の不公平をいっそう拡大するものでしかありません。

 問題は、この制度を利用して、小選挙区でも当選できる大政党の候補者までが「重複立候補」し、「復活当選」することです。有権者の感情的な反発はこのようなケースに対して向けられています。一方、中小政党の候補者の場合は、小選挙区で供託金を没収されるほどの僅かな票しか取れぬまま、比例区で「復活当選」するというケースが生じます。この場合、問題は、僅かな票しか取れない小選挙区という過酷な制度を、中小政党に押し付けたことにこそ問題があるのです。

 私も、「重複立候補」「復活当選」という制度は、確かに複雑であると思います。しかし、その複雑さは、小選挙区制と比例代表制という水と油のように性質の違う制度を木に竹をついだように無理やりくっつけたところから生じてくるのです。単純小選挙区制が好ましくないことはさきに書きましたので、「重複立候補」「復活当選」のような分かりにくい制度を廃止するには、小選挙区制の廃止が前提です。小選挙区制がある以上は、「重複立候補」も「復活当選」も存続させなければならないのです。なお、「復活当選」という表現は、意識的なのか無意識的なのかは別として、小選挙区制を前提とした表現であり、小選挙区で当選するのが本来の姿という思い込みの上に成り立っています。問題は、「落ちるべき人が通ること」にあるのではなく、「通るべき人が落ちる」ことにあるのだということを忘れてはなりません。


新幹線岐阜羽島駅前にある大野伴睦夫妻の像。大きい町がないここに駅ができたのは、政界の実力者だった大野氏の力が大きい。選挙区が小さくなればなるほど、このような狭い地域への利益誘導が盛んになる。    

小選挙区制に利点はあるのか? 小選挙区制の導入にあたっては、PL法の対象となりそうな誇大宣伝が行われました。いわく、政権交代ができる、派閥や族議員がなくなる、悪いことをした人を落とせる、金がかからないなどなど。しかし、現実には中村喜四郎、藤波孝生の両氏は小選挙区でゆうゆうと当選しました。藤波氏が中選挙区制で一度落選していることを考えると、小選挙区制が政界浄化につながるとはいえません。候補者の多くが中選挙区制のときより「金がかかるようになった」と答えていることも見過ごせません。派閥や族議員の横行は、政権交代が長い間なかった結果に過ぎないと考えます。政権を失う心配がなかったからこそ、自民党の候補者は同士討ちに専念することができたし、当選後は族議員としてのうまみを味わうことができたのです。

 戦後長い間政権交代が起こらなかった第一の理由は、冷戦体制にあると私は考えています。戦前の日本に戻すことを建前とする政党と社会主義国家をつくることを建前とする政党のいずれをも心からは支持できないままで、ともかくも政権を握ってきた政党だからということで、有権者の多くが自民党を選択し続けてきたということでしょう。政権交代がなかったことを、中選挙区制のせいにするのは短絡に過ぎません。

 小選挙区制では、多くの有権者の意思が死票として切り捨てられます。もちろん選挙に死票はつきものですが、それをできるだけ少なくして、得票率と議席配分の誤差を最小限にする努力が必要です。小選挙区制では、政党も候補者も自由な主張がしにくくなります。有権者は不自由な選択を強いられます。いったい、こんな制度のどこに利点があるのでしょうか?

日本で小選挙区制での政権交代は可能か? 結論からいえば、政権交代はどんな選挙制度のもとでもありえます。1989年、土井社会党が「マドンナ旋風」で圧勝した参議院選挙では、小選挙区(1人区)のみならず、中選挙区(複数区)でも比例区でも自民党と社会党の逆転は起こりました。その中で、社会党がほとんどを独占した小選挙区(1人区)の結果ばかりが注目されたのは、単に変化が劇的だったからに過ぎません。小選挙区制のもとでは、得票率の僅かな変動で、カナダなどに実例があるように、昨日までの与党が一挙に議席の大半を失うというようなことがときどき起こります。変化は何も劇的である必要はありません。敗れた側にも一定の議席を与え、捲土重来の機会を与えるのがまともな選挙制度だと思います。

 細川政権の登場を政権交代というのなら、その交代は皮肉なことに中選挙区制のもとで起こりました。そして、自民党の金城湯池たる農村部に厚い定数の是正が早くに行われていたのなら、自民党はそれ以前に過半数を割っていたはずでした。よく、中選挙区制では野党が共倒れを恐れて多数の候補者を立てられないから政権交代が起こらなかったなどといわれましたが、短期的にはともかく、長期的にもこの論理が成り立つかどうかは疑問です。

 89年の場合は、参議院ということでもあり逆転は一時的でしたが、この選挙のとき、自民党は複数区や比例区で一定の議席を獲得することができました。このような条件のない単純小選挙区制では、2大政党制どころか、1党独裁体制が永続することも十分に可能性のあることです。2大政党制がいいかどうかも、議席の大半が固定されている上に死票がおびただしい英米の現状を見れば、きわめて疑わしいと思っています。

 まして、同質性が強く、メディアの発達した日本では、たいていの所で同じ政党が第一党になりがちです。第二党以下が選挙協力をしてこれに対抗しようとしても、小選挙区制のもとでの選挙協力は、独自候補をおろすという形でしか行えません。これは、独自の主張をするという政党の使命に反するばかりでなく、有権者の選択の幅をも狭め、選挙を事前の取引を事後承認する儀式と化してしまうことにつながります。選挙協力といっても、候補をおろした政党の強い支持者の中からは棄権に回る者も出てくるので、統一候補の得票が各党の合計に達することはまずありません。政党の主張に大差がなくなって政治への関心を失う有権者が増えている現状の原因の多くが小選挙区制にあることは明らかです。


ニ大政党制は理想的な政治形態か? 日本で二大政党制が実現するとするならば、自民党以外の政党が少しずつ歩み寄る一方で、自民党からもそれに加わる者が出るという道筋しか考えられません。しかし、選挙協力の難しい小選挙区制のもとでは、政党間に路線の対立に加え、選挙をめぐって絶えず利害の対立が生じます。こんな火種を常に抱えるところへわざわざ行こうという自民党の議員は少なく、寄らば大樹の陰という心理が生じます。細川政権成立直後にあいついだ自民党からの離党者の多くが古巣に舞い戻ったのも、その証でといえるでしょう。

 「政治改革(私の賢いワープロは”政治家威嚇”と変換した)」後の離合集散には利害や計算がからんでおり、理念や政策の異同によって起こっているものとは考えにくい感じがします。冷戦が終結し、イデオロギーにとらわれずに歩み寄れる条件が整った今こそ、百家争鳴が可能な選挙制度にすることが望ましいでしょう。二大政党制も、その上での内容ある離合集散を経て自然に実現するのならいいのですが、不自由な選挙制度で無理やりつくろうとするのはいただけません。

 自民党の若手議員にしても、親分のもとでの徒弟修業はもういやでしょう。中選挙区制のままだったら、さらには比例代表制になっていたなら、自民党の解体は今よりさらに進んでいたに違いありません。小選挙区制のもとでは、民主党も、内部の考え方の違いを封じ込めることに汲々とせざるを得ません。小選挙区制のもとでの政権獲得など、幻想というより妄想に近い現状です。小選挙区制で第三党以下を排除することで形だけ第二党の座を保持するのでは「民主」の名が泣きます。政治の硬直化を打開するには、まず小選挙区制を廃止しなければなりません。ニ大政党制が理想的な政治形態かどうかも疑問ですが、このままでは、ニ大政党制の実現のめどすら立たないままです。

民意を反映する選挙制度を! 有権者といっても、大政党の支持者は小選挙区制を支持するかも知れません。しかし、これでは、有権者同士で政党や議員と同じ不毛な争いを繰り返すばかりです。ここでは、有権者相互の意思と平等を尊重しあい、有権者の側が提供するルールとしての公平な選挙制度のもとで、政党や候補者が正々堂々と争うことが望ましいと考えます。そのような制度としては、比例代表制が望ましいのですが、比例代表制は先にも述べたように、論者の数だけ方式がありますから、比例代表でいくという合意が十分に出来上がらないと実現は難しいと思います。そのため、私は、当面は中選挙区制の復活でもよいと考えています。ただ、選挙制度の決定権が選ばれる側に握られている現状にあって、多少の妥協はやむをえないかも知れません。比例代表制と中選挙区制による選挙制度の提案は、別稿に譲らせていただきます。

23 hits

[1180]Re(1):行って来ました期日前投...
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 桜陽  - 05/9/13(火) 21:33 -

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   ▼とほほさん:

えーっと、一応お礼に参りました。
共産党の候補者に投票していただきありがとうございましたm(__)m。
38 hits

[1181]Re(2):行って来ました期日前投...
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/13(火) 22:08 -

引用なし
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   ▼桜陽さん:
>えーっと、一応お礼に参りました。
>共産党の候補者に投票していただきありがとうございましたm(__)m。

おや、と言う事は共産党員さんでしょうか?
それでしたら、当掲示板には若干一名共産党アレルギーの少年がおりまして、冬休みにはまた書き込みをしてくると思いますので、その際には共産党の真髄を教えてやってください。(笑)
42 hits

[1182]Re(3):行って来ました期日前投...
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 桜陽  - 05/9/13(火) 22:28 -

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   はい、未熟者の党員です。
え? アレルギーの人ですか?
う〜ん。へたに近づいて、湿疹出るとかわいそうだしなぁ…。
51 hits

[1185]Re(2):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/14(水) 0:00 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
 このスレッドは、選挙が終わったら、若干の論評を残すのみで終わりと思っていましたので、書きかけを含めてUPしないでおくことにしたのですが、もう少し、続けましょうか。

>▼とほほ:
>>***結局この「小選挙区制」と言うやつが、どうしようもない悪制度なんですよね(^^;
>
>興味深い記事のページを見つけたので全文無断転載します(^^;
>怒られたら削除の可能性がありますのであしからずご了承ください。
 了解です。その上で、書いてみましょう。

>選挙制度の話しより。
>日本語と隣の国から世界を見る上記ホームページ 信太 一郎氏主宰
選挙制度は選ぶ側が決めよう!
>
>はじめに 選挙制度については、選ばれる側にとっての死活問題だということばかりが言われています。しかし、この問題は、それ以上に選ぶ側の権利の問題であり、それゆえに民主主義の根幹をなすものと、私は考えています。

 僕も同意します。

>外国では選挙制度の変更にあたっては、国民投票を介する例が多いのですが、日本では、この問題がもっぱら選ばれる側によって論じられ、決せられています。今の小選挙区比例代表並立制への変更は、国会の場で一度は否決されながら、どういう権限があるのか分からない密室での細川・河野会談によって導入されました。新制度での初の選挙の後、私の身近なところでも、「えらく選挙区が増えた」とか、「えっ、一人しか当選できないの?」と言っている人にしょっちゅう出会ったものです。このことは、変更が本来第一の当事者であるべき有権者に十分な説明もなしに、拙速に行われたことを物語っています。

 導入後も、次々に変わりますね。これほどの重要な案件が、全国各地での公聴会を開くまでもなく、ね。

>選ぶ側にとって理想の選挙制度とは? 選挙制度に一長一短があることは確かです。しかし、日本では、「選挙制度は選ばれる側が決めること」という前提の上に、「理想の選挙制度などない」と言われていることが問題です。選ばれる側の利害は対立します。選ばれる側の間での選挙制度論議は、どうしても利害が先行します。いろいろと理屈をつけても、それは後付けにすぎません。解決は力関係を反映したゴリ押しか、適当なところでの妥協という形でしか実現しないのです。だから、今までの選挙制度論議の前提を根本から覆し、選ばれる側の立場からではなく、選ぶ側の立場でこの問題を考える必要があると思います。

 お説はごもっとも、と思います。
 しかし、選ぶ側の立場で考えるのはともかく、制度化するのにはどうしたらいいのでしょうか。とほほさんの選挙制度が、荒唐無稽となってしまうのは、この部分もそのひとつです。選ぶ側の立場でこの問題を考えるメンバー、すなわち、選挙制度審議委員を集めるとします。一部公募委員枠も作って、より、広く意見を聞くポーズも取るかもしれません。まず、メンバーを決めるのは、権力を握っている側です。権力の域のかかっている御用学者と、財界人でかためて、幾人かの公募委員。その先行にも、権力の側の先行要因により、振り分けます。そもそも、その公募に応じる人そのものが、当選を約束された桜である場合もあるでしょう。選ぶ側の立場で作ったことになる選挙制度が議会の承認を得て、新たな選挙制度となります。
 権力側にとっては、あり得べからざることですが、権力の意に反した結論を得ることもなくはないのですが、役割を果たさなかったと、答申を無視して、独自に行政の計画をごり押しすることもあります。
 東京都練馬区では、2月の区長の一声で、区立保育園の委託化方針が決まり、選定委員会が作られました。選定委員会は、保育の質を下げずに、保育を続けることができる業者は、該当なしの答申を出しました。
 練馬区は、新たな選定委員を選びなおし、業者委託を決めたようです。

http://blog.goo.ne.jp/sawab/d/20050902

 これほどの無謀、行政がやったらその後どうとりつくろえるのか、興味津々です。でも、この自民党大勝の衆議院選挙の結果を受け、区議会与党が、驕り高ぶって、総とっかえの選挙の準備をしてくれるかもしれません。


> 選ぶ側の立場から見て、理想的な選挙制度とは、ひとことで言って公平な制度ということです。どの政党を支持しようが、どの地域に住んでいようが、有権者の1票は平等に扱われ、その意思は平等に選挙結果に反映されなければなりません。また、あまりに複雑な制度は、有権者にとって「選んだ」という実感が得にくくなりますから、好ましくありません。

 これも、全面的に賛成です。[#1115]以下、二人っきりの世界に浸っていましたが、とほほさんは、10回もの再選挙を想定した、選挙制度を、示されました。現行選挙制度と比べると、1回で決めることができない制度なので、10回分のお金がかかります。選ぶ側の立場として、選ぶために余計なお金を使う制度は、選ばないと思います。


>小選挙区制は最悪の制度 一つの選挙区から一人しか当選者を出さない小選挙区制が、大政党に圧倒的に有利な制度であることは、ちょっと考えれば小学生にでも分かることです。理屈の上では、すべての選挙区で過半数の票を得た政党は、なんと100%の議席を独占できます。

 選挙区ごとに、数字は違うでしょうが、東京都ブロックにおける当選者の得票の総和は、有効投票数の51.8%です。そのうち、自公両党は、25選挙区のうち24選挙区を占めました。民主党候補への36.5%の投票は、25分の1、すなわち、4%の議席となります。ちなみに、最低の得票率での当選者は、43.2%です。そう。過半いかなくても当選できます。なお、この数字が、どの選曲出てたのかの詮索は、やめておきましょう。与党同士の仲違いのもとは、示さずにおきます。


>対立政党がたくさんあるときには、過半数の票も必要なく、全選挙区で一位になりさえすれば議席を独占できます。現実にはここまで行かないとしても、得票率と議席配分との間にひどいゆがみが生まれることに変わりはありません。2000年6月の衆議院選挙の小選挙区部分で、自民党は41%の得票率(比例区では28%)で59%の議席を得ました。さらに、中国地方の小選挙区の場合、自民党は57%の得票率で86%(21議席中18議席)の議席を得ています。一方、小選挙区にくまなく候補者を立て全国で12%の得票を得た共産党は、小選挙区では1議席も獲得できませんでした。比例代表との並立ではなく、単純小選挙区制で選挙が行われていたらどんな結果が出たかは、火を見るより明らかです。
>
> 有権者の中に、当選者の内訳を小選挙区と比例区とに分けて調べる人は、残念ながらほとんどいません。そのために、このような明らかな矛盾に気づく人が少ないのです。全体としての選挙結果を見ただけで、新聞を捨ててしまったりせず、この内訳をしっかりと調べてほしいものです。

 新聞は、捨てていいと思います。新聞に出ているものを再入力して吟味するような労力は無用です。各自治体の選管がすべての数字を示しています。


>比例代表制こそ理想の選挙制度 有権者の一人一人が平等であるとするならば、4割の得票の政党には4割の議席、3割の得票の政党には3割の議席という制度が望ましいことは言うまでもありません。その理想を実現するのが比例代表制です。いちばん分かりやすい方法は、全国一括で政党別の得票率に基づいて政党別に議席を与え、各政党があらかじめ出した名簿の順位にしたがって、各政党に配分された議席の範囲内で当選者を決めていく方法です。しかし、これでは有権者は候補者を選ぶことはできませんし、あまりに味気ないという印象をぬぐえません。そこで、比例代表制の理想を生かしながら、さまざまに工夫をする必要が生じてきます。そのため、比例代表制はともすれば複雑になりやすく、また、比例代表制論者の数だけの比例代表制があるというほど、さまざまな変種があります。そこで、この工夫を最小限にして、分かりやすさと公平さとを両立する方法が追求されなければなりません。

 「比例代表制こそ理想の選挙制度」と僕も思います。

>「重複立候補」「復活当選」はよくないことか? 現行の並立制において、「重複立候補」「復活当選」の評判がよくありません。評判が悪い第一の理由は、有権者の多くが、小選挙区制を導入した以上、どうしても「重複立候補」「復活当選」が必要になってくる理由について、じっくり考えようともせず、感情的に考えているからです。
>
> 小選挙区制では、中小政党の候補者の当選の確率はきわめて低いものとなります。とっておきの候補者を小選挙区に立てた場合、中小政党が比例区に立てる候補者は、「重複立候補」がない限り、言葉は悪いのですが「間に合わせ」の候補者ということになってしまいます。こうして、とっておきの候補者が小選挙区で落選した場合、中小政党は最も大事な候補者を国会に送れなくなってしまいます。そのために「重複立候補」が必要となってくるのです。個人的魅力のあるとっておきの候補者の個人としての運動が政党の票をも掘り起こすことを考えるなら、「重複立候補」の禁止は、政党間の不公平をいっそう拡大するものでしかありません。

 これも、同意です。

> 問題は、この制度を利用して、小選挙区でも当選できる大政党の候補者までが「重複立候補」し、「復活当選」することです。有権者の感情的な反発はこのようなケースに対して向けられています。一方、中小政党の候補者の場合は、小選挙区で供託金を没収されるほどの僅かな票しか取れぬまま、比例区で「復活当選」するというケースが生じます。この場合、問題は、僅かな票しか取れない小選挙区という過酷な制度を、中小政党に押し付けたことにこそ問題があるのです。
>
> 私も、「重複立候補」「復活当選」という制度は、確かに複雑であると思います。しかし、その複雑さは、小選挙区制と比例代表制という水と油のように性質の違う制度を木に竹をついだように無理やりくっつけたところから生じてくるのです。単純小選挙区制が好ましくないことはさきに書きましたので、「重複立候補」「復活当選」のような分かりにくい制度を廃止するには、小選挙区制の廃止が前提です。小選挙区制がある以上は、「重複立候補」も「復活当選」も存続させなければならないのです。なお、「復活当選」という表現は、意識的なのか無意識的なのかは別として、小選挙区制を前提とした表現であり、小選挙区で当選するのが本来の姿という思い込みの上に成り立っています。問題は、「落ちるべき人が通ること」にあるのではなく、「通るべき人が落ちる」ことにあるのだということを忘れてはなりません。

 まったく同意です。


> 「政治改革(私の賢いワープロは”政治家威嚇”と変換した)」後の離合集散には利害や計算がからんでおり、理念や政策の異同によって起こっているものとは考えにくい感じがします。冷戦が終結し、イデオロギーにとらわれずに歩み寄れる条件が整った今こそ、百家争鳴が可能な選挙制度にすることが望ましいでしょう。二大政党制も、その上での内容ある離合集散を経て自然に実現するのならいいのですが、不自由な選挙制度で無理やりつくろうとするのはいただけません。

 あら。百家争鳴が可能な選挙だそうですよ、とほほさん。TOP10の幻想はお捨てになったらいかがですか?

> 自民党の若手議員にしても、親分のもとでの徒弟修業はもういやでしょう。中選挙区制のままだったら、さらには比例代表制になっていたなら、自民党の解体は今よりさらに進んでいたに違いありません。小選挙区制のもとでは、民主党も、内部の考え方の違いを封じ込めることに汲々とせざるを得ません。小選挙区制のもとでの政権獲得など、幻想というより妄想に近い現状です。小選挙区制で第三党以下を排除することで形だけ第二党の座を保持するのでは「民主」の名が泣きます。政治の硬直化を打開するには、まず小選挙区制を廃止しなければなりません。ニ大政党制が理想的な政治形態かどうかも疑問ですが、このままでは、ニ大政党制の実現のめどすら立たないままです。

 全面的に賛成です。

24 hits

[1186]Re(3):選挙に行こう。
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/14(水) 0:05 -

引用なし
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   ▼SASKE:

 あれあれ、途中から、沈んじゃいましたね。未熟者ゆえ、ご容赦ください。
39 hits

[1189]Re(1):せやから、世話がやける...
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 SASKE E-MAIL  - 05/9/15(木) 0:08 -

引用なし
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   ▼熊猫さん:
>なんや知らん、春介の逆バージョンを相手にしとる気がしてきた。他の掲示板での熊猫キャラが出てきよる.......。
>最近、春介と遊んでない所為か?
 わたくしめは、春介様を存じ上げませぬゆえ、おっしゃることがよくわかりませぬが、SASKEめを、「他の掲示板での熊猫キャラ」と書かれたのでござりまするか?
 とんでもねえでござりまするだ。広島off会でお会いした印象では、とほほさんキャラを演じるというのはありそうなこととも思われまするが、熊猫様には到底及びませぬ。

>>それはそれは、ぜひとも、熊猫国憲法試案を拝見しとうござりまする。
>無理でんな!日本国憲法ごとき凌駕しているというのは、私は日本人である前に地球人として自分を見ているのです。
 客観化は大事ではありまするが、抽象化された地球人が意味を持つのは、現実の熊猫さんの抽象したものであっても必要な要素は、抽象としての地球人熊猫さんの視点にすべて備わっているものとしてのものであるはずです。凌駕とは、あるものを、ないものにすることにする、ということではないですよ。

>「国益とは地域エゴの別称であり、何処に国境線を引いたところで地球の表面積は変わらない。」これが、熊猫の基本スタンスなのです。
 国益と、地域エゴが同じものですか? 僕は、ある都立病院から徒歩1分のところに住んでいますが、もともと16あった都立病院が、統廃合により8つにされてしまう計画の途上にあります。都立病院を守ろうという取り組みは、統廃合計画を進めようとする方々によって、「地域エゴ」と非難されています。僕らがやっていることは、もしかしたら、「国益」を守る運動なのでしょうか。そうした視点を持てずにいました。

 それに、地球の表面積の求め方は存じ上げませんが、地球の表面積というのは、水面と地面の総和のことですか? それでしたら、瞬間瞬間で変わるものです。あるいは、陸の総面積をおっしゃったんでしょうか。それも、海面上昇の結果、減りつつあるものです。地表の表面積については、温暖化防止の取り組みいかんによって、陸地の狭まりへの歯止めがかけられるものと、各国努力中です。京都議定書から、から逃げようとする取り組みや、議定書を認めないならず者大国などもありますが。

>権利とは、その行使が自由であり責任の無いものではないでしょうか?つまり、行使しなくても赦されるもの。
 このやり取りの中心は、この話題ですね。
(「言葉は大事ですがそんなものに囚われて議論したって意味がない」と書かれる方もいますが、中心がどこであるか、を見失ってやっているわけではありません。その他の枝葉の部分は、会話を楽しむ以上のものではないことなのですが、「だんだん腹立ってきたぞ(笑)」と怒りを買う書き方もしてしまったようです。書き手の意図に反して、相手の感情の逆なでをしたとしたら、まず、お詫びをしなければならないことです。意図はともかく、相手の感情を害したのですから。
 ここは、画像資料を表示できるところでありますが、議論は、あくまでもテキストベースですよね。相手の表情を伺いながら、議論するという対面での議論ではありません。「言葉は大事ですがそんなものに囚われて」しまうのは、言葉に囚われるのではなく、言葉の刺激を通じて、感情が虜となってしまっていることと思います。
 喧嘩は、どんな近しい関係であっても起こります。夫婦、兄弟、親子と言う家族関係の中でも。親友とは、時に大喧嘩する間柄の身近な他人であると思っています。喧嘩するほど仲がいいの言葉通り、喧嘩ができないような間柄は、本当の友人関係とはまだ、至っていないということと思います。とほほさんと、出会った場で、とほほさんが、僕を挑発してきたことは幾度かありました。しかし、僕は、そこでの衝突を回避してきました。それをやりたいときは直接にメールでのやり取りにしましたし、ね。ここでは、とほほさんに対して、気兼ねなく書ける場だと思っていますので、いろいろぶつかることもあるかもしれません。基本部分での考え方が違うわけですから、意見の食い違いは当たり前。でも、相手が何を言いたいのかをつかもうとする努力はし続けたいと思います。相手の言わんとすることを理解すれば、議論が平行線であっても、どうってことなくもなります)。

 話題の中心。権利論ですが、別の掲示板で、ある通新制大学の月報の記事を紹介したことがあります。

 もちろん、地球人として物事を考える熊猫さんは、国際人権規約にも精通されていることと思いますが、念のため、引用しておきますね。
「3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う」
 これが国際人権規約です。
 「権利とは、」「責任の無いもの」との熊猫さんの考え方をもう少し、説明いただけますか?
 それが、「つまり、行使しなくても赦されるもの」とつながるのもわかりません。男と女がある行為をするにおいて、○○するのは、互いの権利が、合致したから行うのでしょうが、そこに、責任は介在しませんか? その権利行使において、新たな責任が生じることもありませんか?「赦され」ますか? 権利の自覚は、責任の自覚でもあると思っています。

 歴史研究に熱心な熊猫さんに、最後に、ある欧日研究家の権利論を紹介して終わりにします。
 「こうした歴史を一瞥するだけでも明らかなように、基本的人権の歴史は決して平坦なものではなく、各国と世界の人民のたたかいによってかちとられ、また、現在もかちとられつつあるものなのである」
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[1191]Re(2):選挙に行こう。
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/15(木) 3:40 -

引用なし
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   ▼とほほ:
>***結局この「小選挙区制」と言うやつが、どうしようもない悪制度なんですよね(^^;

今回の選挙で海外亡命を宣言する人も多いようです(^^;
確かにファシズムに陥ってしまえば大変に危険な状況です。牛歩だろうがなんだろうがどんな方法でもいいから野党にはとりあえず九条を死守してもらいたいと思います。

小選挙区制の問題点はいろんな方がネット上で指摘されていますが、結局小選挙区制と言うのは勝ち組に絶対権力を与えて自由に政策を実行させることの出来る制度だともいえます。が、大政党に有利であるのは最大のネックです。

小泉の「自民党をぶっ壊す。派閥制度をぶっ壊す」というのが「自民党を全部小泉派にする」と言う意味であることが今回の選挙戦で判明したわけです、自民党に投票した人はこれから自分自身の生活の中でその責任を実感していかねばなりません。
貧乏への耐久力では自民党に投票したアマちゃん小僧どもには私は負けません、1週間や10日くらいなら水だけで生きられます(笑)。小僧どもがどこまで貧乏に耐えられるのか見ものです。

以下はAMLで配信された小選挙区制論考です。転載します。
#表はHTMLで編集しました。

*** *** *** *** ***

 http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

 9月13日(火)

◆自民党に押し寄せた「変革願望」の波

 「こんなにバカな国民が多かったのか」という驚きの声が、ネット上を飛び交っています。「バカな国民」とは穏やかではありませんが、今回の総選挙で自民党の圧勝を作り出した人々のことです。

 今回の選挙を端的に評すれば、自民党の圧勝と民主党の惨敗、後はほぼ微増ということになります。このうち「バカな国民」は、「小泉マジック」に踊らされて投票所に向かい、自民党に入れた人々です。

 それはどれほどの数になるのでしょうか。数字で確認してみることにしましょう。そうすれば、今回の結果は、「バカな国民」以上に「バカな選挙制度」に、より大きな責任のあることが分かるでしょうから……。

 まず、下の票をご覧ください。比例代表と小選挙区の前回と今回の得票数を比較したものです。

比例代表 今回 前回 増減
自民党 2589 2066  523
民主党 2104 2210 △106
公明党 899 873 26
共産党 492 459  33
社民党 372  303  69
国民新党 118 118
新党日本  163 163
諸派・無所属  43  43
合計  6781 5910 871
*国民新党、新党日本、諸派・無所属の合計は324万票小選挙区
小選挙区 今回 前回 増減
自民党 3252 2609 643
民主党 2480 2181 299
公明党 98 89
共産党 494 484 10
社民党 100 171 △71
国民新党 43 43
新党日本 14  14
諸派・無所属 326 417 △91
合計 6807  5950 857

 
 政党の力関係がハッキリと表れる比例区で比較してみましょう。前回93年総選挙の投票総数は5910万票、今回は6781万票ですから、今回新たに投票した人は871万人になります。この人たちが、投票率を6.66ポイント押し上げたわけです。

 この新たに投票した人のうち、324万人が新党に入れたと考えれば、残りは445万票です。これに民主党が今回減らした分、106万票を加えて、公明、共産、社民の微増分を減らせば、自民党の増加分523万票となります。

 これが、今回新たに自民党に投じられ、圧勝を作り出した「バカな国民」の数です。523万という数字は、このような劇的な結果を生み出した要因として、多いのでしょうか、少ないのでしょうか。

 自民党が増やした得票数は523万票ですが、これを得票率で見ると前回35.0%から、今回38.2%への増となります。わずか3.2ポイントの増加にすぎません。

 投票総数での割合も8%弱です。自民党の比例区での当選は、前回が69で今回は77です。8議席増ですから、それほどの増加ではありません。1割ほど増えただけです。

 それなのに何故、これほどの躍進につながったのかというと、その秘密は小選挙区制にあります。自民党の小選挙区での当選者は、前回の168から今回の219へ51も増えました。議席では130%もの増加ですが、得票数では643万票、得票率ではわずか4ポイント増えただけです。

 ここに小選挙区制の特性が明瞭に表れています。第2党とのわずかな差が、議席の上ではきわめて大きな差に増幅されるという特性です。

 自民党と民主党の差は771万票で、得票率からすれば11.4ポイントにすぎません。それが議席になると219対52という4倍以上もの差になってしまいます。

 これが、人為的な多数派を作り出す小選挙区制の仕組みです。安定した多数派を生み出す機能だとして、これをプラスに評価したのが小選挙区制導入論者たちでした。

 つまり、今回の自民党の圧勝は制度のカラクリによるもので、民主党の後退はそんなに大きなものではなく、自民党と民主党の差も見かけほど大きくはありません。民主党にとっては、十分挽回可能な位置に付けているということになります。

 また、「こんなに多かったのか」というほどに、「バカな国民」が多かったわけでもありません。確かに、今回新たに自民党に投票した523万票という数字は決して小さなものではありません。

 しかし、民主党は2000年衆院選の1508万票から2003年衆院選の2210万票へと702万票増やした実績があります。523万票は、決して追い抜くことのできないほどの差ではないでしょう。

 しかも、この523万票は決して「バカな国民」などではなく、日本の政治を変えたいという「変革願望」の特殊な現れ方のように思われます。選挙のたびごとに、その受け皿を求めてさまよい続けてきた「変革願望」が、「改革幻想」に惑わされて小泉自民党に向かったというのが、今回の結果なのではないでしょうか。

 以前、雑誌『経済』2004年10月号の座談会「現代日本とイデオロギー III部 対抗的イデオロギーの現状と展望 科学的社会主義・社会民主主義・市民主義の盛衰」で、このような「変革願望」について、私は次のように指摘したことがあります。


 日本の場合、いま申し上げたような形で対抗イデオロギーはあったのですが、それが「変革願望」を受けとめて政権を変えるほど大きな力にはならず、「受け皿」としてはっきり認知されませんでした。89年参院選では社会党がこのような変革願望の「受け皿」として期待されたわけですが、その後は「無党派」に向かって青島・ノック現象を生みだし、95年参院選では新進党を躍進させ、98年参院選では共産党にもこの波がやってきます。01年参院選では「小泉ブーム」という形で自民党にまで「変革願望」の波が押し寄せました。そして今回、04年の参院選では民主党がこのような「変革願望」の「受け皿」になった。「受け皿」としての民主党は03年衆院選でデビューし、今回の参院選で認知されたということになります。


 つまり、03年衆院選、04年参院選と、2度にわたって「変革願望」の「受け皿」となった民主党は今回の衆院選では見限られ、01年参院選に続いて、再び「『小泉ブーム』という形で自民党にまで『変革願望』の波が押し寄せ」たわけです。民主党が、「受け皿」としての期待を持続させることができなかったからです。

 その結果、比例代表区では、前回に比べて民主党だけが得票を減らしました。今回の選挙について、「自民党が勝ったのではなく民主党が負けたのだ」といわれるのは、そのためです。

 民主党は、今回、大きな失敗を犯しました。それはある種の警告だったと言えるかもしれません。

 ということで、この点について詳しくは、また明日……。

*** *** *** *** ***
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