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[1039]知覧特攻基地 虎吉 05/9/2(金) 3:37
[1040]Re(1):知覧特攻基地 とほほ 05/9/2(金) 4:23
[1044]Re(2):知覧特攻基地 虎吉 05/9/2(金) 14:45
[1045]Re(3):知覧特攻基地 とほほ 05/9/2(金) 15:05
[1048]Re(3):知覧特攻基地 とほほ 05/9/2(金) 16:07
[1058]Re(4):知覧特攻基地 虎吉 05/9/3(土) 1:41
[1060]Re(5):知覧特攻基地 とほほ 05/9/3(土) 2:40
[1061]Re(6):知覧特攻基地 とほほ 05/9/3(土) 2:53
[1131]Re(5):知覧特攻基地【大義】 とほほ 05/9/11(日) 12:09
[1042]倒錯した平和ボケ ピッポ 05/9/2(金) 7:30
[1046]Re(1):倒錯した平和ボケ 虎吉 05/9/2(金) 15:18
[1047]Re(2):倒錯した平和ボケ ピッポ 05/9/2(金) 15:47
[1053]Re(3):倒錯した平和ボケ 虎吉 05/9/3(土) 0:06
[1049]Re(1):知覧特攻基地 gallery 05/9/2(金) 18:47
[1055]Re(2):知覧特攻基地 虎吉 05/9/3(土) 1:01
[1066]Re(3):知覧特攻基地 gallery 05/9/3(土) 16:35
[1052]Re(1):知覧特攻基地 あっちゃん 05/9/2(金) 23:43
[1056]Re(2):知覧特攻基地 虎吉 05/9/3(土) 1:14
[1079]Re(3):知覧特攻基地 あっちゃん 05/9/4(日) 17:28
[1080]Re(4):知覧特攻基地 あっちゃん 05/9/4(日) 17:33
[1059]犬死 とほほ 05/9/3(土) 1:57
[1064]Re(1):犬死 虎吉 05/9/3(土) 3:13
[1065]Re(2):犬死 とほほ 05/9/3(土) 4:18
[1062]Re(1):知覧特攻基地 KIM 05/9/3(土) 2:59
[1063]Re(2):知覧特攻基地 KIM 05/9/3(土) 3:04
[1075]特攻隊の死・ナベツネの証言 指環 05/9/4(日) 1:36

[1039]知覧特攻基地
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 虎吉  - 05/9/2(金) 3:37 -

引用なし
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   はじめまして。虎吉と申します。
ここの掲示板はネットサーフィンで見つけましたが、正直、納得いかない投稿が多々ございましたので、僭越ながら僕の「感性」の部分で感じ取っていることをお伝え申し上げます。

今年の5月に、鹿児島は知覧の特攻平和会館へ行って来ました。
僕は、大東亜戦争で散華した特攻隊員たちに深い畏怖の念と、興味があり、ずっと行きたいと思っていたのだが、結論から言えば、行って良かったです。
まず、何よりも特攻隊員たちの遺書が非常に達筆で、日本語に優れていること。そして、短い生涯を閉じようとしている彼らの、死を間近にした思想が実に深遠であること。
僕は、大学で哲学や文学を学びましたが、どんな哲学者や文豪なんかよりも、余程哲学的であり、文学的であるのです。
それも若干二十歳そこいらの若者がですよ!
死を背負っている人間、それも頭脳明晰で肉体的にも健康な若者が、この短い生涯、いかに自分の死を見つめるか、そこには平和ボケした我々現代人には計り知れないほどの充実した生があったのではないか、を思わせます。
彼らは私を捨て、公に殉じた。私を捨てるというのは、文字通りの死を意味していた。
しかも、それが純粋な郷土愛、家族愛、そして愛国心でもって、自分の故郷を自らが犠牲になることで守り抜こうとする崇高な精神性から発しています。

その後僕は、知覧飛行場跡へ行って見ました。
現在は茶畑になっているこの場所から、若き特攻隊員たちは、沖縄方面へ飛んでいったのです。少なくとも、生還率は0%ということをわかっていながら。
開聞岳を後にする若き飛行士たちは、何を思い日本を後にしたのだろう・・・
涙がとめどなく溢れました。
特攻隊員たちこそが、日本が世界へ誇る比類なき聖人ではないでしょうか。
そして、究極の素晴らしきサムライの子孫たる日本人の完成体ではないでしょうか。
僕は、特攻隊員を誇りに思い、特攻隊員により現在、生かされていることを感じ、感謝します。

あの頃、日本人が守るべきものは何だったのでしょうか。
日本人は何に賭してアメリカと戦争をしたのでしょう。
アメリカが虚偽の「自由と民主」を守る戦い、というのであれば、日本人は民族の誇りを守るための戦いだったのです。
したがって、負ける戦、合理的に勝てない戦でも、精神力でもって文字通り命を張って戦わねばならなかったわけだし、それを合理主義で割り切ろうとするのは現代人の傲慢ではないでしょうか。
もちろん日中戦争にしても、混沌とする国際情勢の中でアジア人の誇りを守るべく、中国と共存しなければならなかった故の必然であったはずです。
戦争であるから、全てが全て、クリーンに行くわけがない。無茶もやろうし、残酷なこともやったろう。しかし、それはお互い様であって、平和の世に生きるボケた頭で善悪を決めることではない。それこそ、傲慢極まりなく当時を精一杯生きた僕たちの祖父母に失礼というものだ。

知覧を後にするとき、僕は疚しい気持ちでいっぱいでした。
こんなに素晴らしい崇高な日本人が、ほんの60年前にいたんだ、と思い、そして命を捨てて郷土を守り抜こうとし、実践するその行為に対し、僕ら戦後民主主義の私利私欲まみれの平和ボケ世代が、いくら理屈を言おうとも彼らの遠く足元にも及ばない。
そして僕は、明日も生き、私欲にまみれた生活を送る・・
彼らの犠牲があってこそだと思う。そして、現代の情けない日本人を反省し、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

皆さん、どうかこの日本を否定しないでください。
どうか、特攻隊員をはじめ、国を守ろうとした人々を蔑まないでください。
そして、世界に恥じることのない堂々たる日本人でいてください。
かつての清らかで美しい、誇りある大和民族でいてください。
13 hits

[1040]Re(1):知覧特攻基地
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/2(金) 4:23 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
> 戦争であるから、全てが全て、クリーンに行くわけがない。無茶もやろうし、残酷なこともやったろう。しかし、それはお互い様であって、

誰と誰がお互い様だったのですか?歴史認識をしっかり持たないとダメです。

貴方がどのような宗教心を持とうと、それを他人に共有せよとは押し付けられません。人間が人間である由縁は【知性】です。主義主張の違うもの同士が共存していくためには互いに互いの【感性】を押し付けてはなりません。知性で持って何が正しいのか?正しくないのか?を議論していかねばなりません。

知性を否定して文明などとは言えないのですよ。

知覧へいかれましたか(^.^)
そうですね、彼らがどう生きてどう死んだのか?貴方の宗教では英霊になっているのでしょうが現実は「ただ死んだ」のです。死んだ人間に何が還元されるのでしょうか?二〇歳前後の歳では何もわかりません。自分がその年のころを想像してみてください。「生きる」「死ぬ」こうした事の意味さえわかりません。

私なんか「痛みさえなければ死ぬのって別に怖くないよな」なんて思っていた、大馬鹿でしたし(^^;
死に美徳を感じる感性と言うのもそれはそれで自由ですが、大切なのは殺されたものには生きているものの感性なんか屁の役にも立たないということです。何に殺されたのかをしっかり見据えていきましょう。そしてそうした感性を共有しない人間に決して押し付けてはなりません。自分だけで美しく死んでいってください。

飛龍特攻の記 (特攻出撃に参加して)   浜松第七航空教育隊・飛行第六二戦隊  前村 弘
ある特攻隊員の生と死
神風
知覧特別攻撃隊
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[1042]倒錯した平和ボケ
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 ピッポ E-MAIL  - 05/9/2(金) 7:30 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:

>どうか、特攻隊員をはじめ、国を守ろうとした人々を蔑まないでください。

皆様をさげすまない為には、同じ道を歩まぬ誓いをたてることです。
同じ過ちを繰り返すことこそ、尊くもまた無念なる皆様の犠牲を顧みないことです。

>そして、世界に恥じることのない堂々たる日本人でいてください。

それは、平和を堅持することです。戦争をしない誓いを新たにすることです。
そうすれば恥じることはありません。

>かつての清らかで美しい、誇りある大和民族でいてください。

極限の中で出口が見出せない、閉じ込められた清らかさと耽美な虚無。
そこに、もののあわれ共感を感じたとしても、
決して、あこがれ見習うべきものではありませぬ。

あの皆様は、決してあなたにそれを望んではいませぬ。
物欲であろうとなんであろうと謳歌すべき現実の青春があれば、
遠慮なく邁進せられよ。平和を満喫せよ。
そうした声があなたには聞えませぬか。

皆様のそうした願いに気がつかず、
あくがれ粋がることこそ、倒錯した平和ボケの最たるものです。
25 hits

[1044]Re(2):知覧特攻基地
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 虎吉  - 05/9/2(金) 14:45 -

引用なし
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   ▼とほほさん:
>> 戦争であるから、全てが全て、クリーンに行くわけがない。無茶もやろうし、残酷なこともやったろう。しかし、それはお互い様であって、
>
>誰と誰がお互い様だったのですか?歴史認識をしっかり持たないとダメです。
部分だけ言うのもバカらしいのですが、一例を挙げれば、中国では国共内戦に日本人が巻き込まれ、反日・抗日宣伝からくる日本人への虐殺行為等がありましたし、また、日本が中国へ進出した背景には、ロシアの南下政策の脅威などから自衛の必然という「大義」があったわけです。
このてのことを言えば、数行では収まりきらないが、少なくとも当時の国際情勢の中で、日本が悩みぬいた末に選択した道であるということは事実で、戦術上の反省点はあるにせよ、戦略上は決して間違っていたなどとは言えないはずです。
僕は貴殿の「しっかり持たねばならぬ歴史認識」こそが一方向的な押し付けであると感じます。

>貴方がどのような宗教心を持とうと、それを他人に共有せよとは押し付けられません。人間が人間である由縁は【知性】です。主義主張の違うもの同士が共存していくためには互いに互いの【感性】を押し付けてはなりません。知性で持って何が正しいのか?正しくないのか?を議論していかねばなりません。
>
>知性を否定して文明などとは言えないのですよ。
議論はいつだって水掛け論で、結果、議論のための議論に終始してしまい僕は好みませぬが、
僕は知性を否定するものではありません。
しかしながら知性を追及することと同時に、説明不能などうしようもない感性も、人間を人間たらしめるものであると思っております。
それは何か、と問われれば、僕が何かを考え、感じ、喜び、悲しむとき、根底にはどうしようもない民族無意識があると感じます。
紛れもなく日本人としての感性です。その感性から発し知性へと繋がってゆく。
そして僕は「日本人である」と堂々と言うことができる。
そこではじめて自分のアイデンティティが確立され、そして他者を理解することが可能になるのではないでしょうか。
貴殿のおっしゃる現代の「歴史認識」とやらは、その「日本人である」という意識を冒涜し、蔑み、自信を喪失させるものだと思っています。
何故なら歴史感覚こそが、民族を民族たらしめるのだから。

>知覧へいかれましたか(^.^)
>そうですね、彼らがどう生きてどう死んだのか?貴方の宗教では英霊になっているのでしょうが現実は「ただ死んだ」のです。死んだ人間に何が還元されるのでしょうか?二〇歳前後の歳では何もわかりません。自分がその年のころを想像してみてください。「生きる」「死ぬ」こうした事の意味さえわかりません。

言われるまでもなく、絶えず想像していることです。
20台はおろか、今(33歳)だに、その意味がわかりません。ただ、生涯わからないかもしれないが、死生観を模索して、生きていくことが肝腎なのではないかと思います。それによって、はじめて充実した生が得られるのではないでしょうか。
特攻隊員たちが、逼迫した逃げ場のない状況のなかで、自分の「死」をどのように見つめていたのか、そしてどのように死を乗り越えようとしていたのか。
少なくとも、彼らの言霊に触れることで、自分により大きな死生観を与えてくれます。

>私なんか「痛みさえなければ死ぬのって別に怖くないよな」なんて思っていた、大馬鹿でしたし(^^;
>死に美徳を感じる感性と言うのもそれはそれで自由ですが、大切なのは殺されたものには生きているものの感性なんか屁の役にも立たないということです。何に殺されたのかをしっかり見据えていきましょう。そしてそうした感性を共有しない人間に決して押し付けてはなりません。自分だけで美しく死んでいってください。
>
「殺された」と思うのと、「名誉のために死を選ぶ」と思うのとでは捉え方が大分違ってくると思います。
日本人にある美徳に、「命より名こそ惜しみけれ」というものがあります。
死ぬのが怖くないはずないじゃないですか!
誰だって、生きて王道楽土に遊びたいですよ!
だけど、それを乗り越え、後続の子孫のために死を選ばねばならなかった。
それは死に畏怖し、糞小便ちびって逃げ出してまで生き延びるよりも、誇りを守るために死を選んでいった人々のおかげで、我々は世界に胸をはれる日本人になれるということです。
彼らの精神を継承することで、僕らはより高尚な精神を獲得し、それによって国をより発展させていく存在になれるのではないでしょうか。

そういう感性が持てないならば、自分だけで醜く死んでいってください。
25 hits

[1045]Re(3):知覧特攻基地
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/2(金) 15:05 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
>部分だけ言うのもバカらしいのですが、一例を挙げれば、中国では国共内戦に日本人が巻き込まれ、反日・抗日宣伝からくる日本人への虐殺行為等がありましたし、

なぜ日本人がそんな場所で巻き込まれたのですか?

> また、日本が中国へ進出した背景には、ロシアの南下政策の脅威などから自衛の必然という「大義」があったわけです。

それは、日本の【大義】であって、ロシアにはロシアの中国には中国の韓国には韓国の【大義】があるのではないですか?

しかも、日中戦争開戦に際して日本の言う【大義】がどこにあったのか、私のホームページをしっかり読んでそれに反論があるのであればそうしてください。

日中戦争開戦前夜

>このてのことを言えば、数行では収まりきらないが、少なくとも当時の国際情勢の中で、日本が悩みぬいた末に選択した道であるということは事実で、戦術上の反省点はあるにせよ、戦略上は決して間違っていたなどとは言えないはずです。

戦略上の間違いとは何ですか?人間社会としての大きな間違いをしでかしたのではないですか?
25 hits

[1046]Re(1):倒錯した平和ボケ
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 虎吉  - 05/9/2(金) 15:18 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>>どうか、特攻隊員をはじめ、国を守ろうとした人々を蔑まないでください。
>
>皆様をさげすまない為には、同じ道を歩まぬ誓いをたてることです。
>同じ過ちを繰り返すことこそ、尊くもまた無念なる皆様の犠牲を顧みないことです。
「尊くもまた無念なる皆様の犠牲を顧みない」という発想は、歴史を顧みないという発想ですよね。
貴殿らが掲示板でおっしゃっている「歴史認識」なるものは、「歴史を抹殺せよ」という意味でしょうか?
そして、何故、単純に「過ち」というのか、あの国際情勢のなかで日本のとるべき道は何だったのか、そして現在、同じような状況になれば我々は何をなすべきなのか、そういう説明が抜けていると思われます。
少なくとも、僕には理解できません。僕が頭悪いだけなのでしょうかね。

>>そして、世界に恥じることのない堂々たる日本人でいてください。
>
>それは、平和を堅持することです。戦争をしない誓いを新たにすることです。
>そうすれば恥じることはありません。
>
>>かつての清らかで美しい、誇りある大和民族でいてください。
>
>極限の中で出口が見出せない、閉じ込められた清らかさと耽美な虚無。
>そこに、もののあわれ共感を感じたとしても、
>決して、あこがれ見習うべきものではありませぬ。
極限だからこそ、人間性と民族性が問われるのではないでしょうか。
そして、個人にも歴史にも、不可避的な運命というものがあるのではないでしょうか。
その運命に翻弄されるなかで、何をなしたか、ということが肝要なのではないかと思います。
特攻隊員たちの振舞いは、僕が調べた限りではほとんどの人が、最高に立派な振舞いをしたと思います。

>あの皆様は、決してあなたにそれを望んではいませぬ。
>物欲であろうとなんであろうと謳歌すべき現実の青春があれば、
>遠慮なく邁進せられよ。平和を満喫せよ。
>そうした声があなたには聞えませぬか。
>
>皆様のそうした願いに気がつかず、
>あくがれ粋がることこそ、倒錯した平和ボケの最たるものです。
あげ足取りのようで申し訳ないのですが、「あなたにそれを望んではいませぬ」とは、誰に聞いたのですか?どの資料に、全特攻隊員何人中何人がそう言っているのですか?

もうひとつ言えば、謳歌する青春であっても、そこには規律が発生します。
時には欲望を抑えなければならないときもあります。
家族のため
会社のため
友人のため
地域のため
そして国のため
広く言えば、公のために、献身せねばならないときは、大人になれば腐るほどあるじゃないですか。
でないと、底が抜けて欲望のみに邁進する獣的人間が生み出されます。
それこそが「知性」の欠如じゃないんですか?
その結果が少年犯罪の多発や児童虐待の多発に繋がっているとは単純には言えないとは思うものの、無関係ではないと考えるものです。

ご理解いただかなくても結構ですが、
僕は、共同体で生きる上での規律−時には命をも賭さねばならない規律−という意味で、彼ら特攻隊員から学ぶべき箇所はたくさんあるのではないか、と申し上げているのです。
32 hits

[1047]Re(2):倒錯した平和ボケ
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 ピッポ E-MAIL  - 05/9/2(金) 15:47 -

引用なし
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   トラキチくん

最初の書き込みだけで止めといたら良かったね。
けっこう美文調でまとまっていましたよ。

しかし、後が続かず馬脚をあらわしたね。
誰かの文章の寸借だったの?

それとも文体の大いなる違いは、
文哲青年モードとインネン屋モードとの違いかな?
君子豹変す(爆)。

もはや返答は無用でしょう。
トラキチくんの文哲青年モードを暖めて置くには。
27 hits

[1048]Re(3):知覧特攻基地
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/2(金) 16:07 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
>部分だけ言うのもバカらしいのですが、一例を挙げれば、中国では国共内戦に日本人が巻き込まれ、反日・抗日宣伝からくる日本人への虐殺行為等がありましたし、また、日本が中国へ進出した背景には、ロシアの南下政策の脅威などから自衛の必然という「大義」があったわけです。

こう言う方にはわかりやすく説明しないとわからないかもしれませんね。
対立するやくざ同士の一方が間にある他人の家を「あそこを盗られたらやばい」とか言ってその家に強盗に入り、略奪し、家人の抵抗にあい、逆切れし、家人を皆殺しにして「お互い様だ」と言っているやくざの【大義】と日本の【大義】が同じものだと言っている事になるのですが、そうなんですか?ときいているのです。

もしそうであれば頼むからせめて「俺は日本人だ」というのだけはやめて欲しい(^^;
お仲間と思われたくない、と言っているのです。日本と言う郷土を愛するもの一人として、そう言う人には日本人をやめてもらいたいです。
27 hits

[1049]Re(1):知覧特攻基地
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 gallery E-MAILWEB  - 05/9/2(金) 18:47 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
まず根本的な問題として、「感性」で歴史を語るもんじゃないですね。
「感性」で語った歴史が正しければ、架空戦記は全部本物ですがな(笑)。
あくまで「理性」。そして、感情を排した正確な「分析」。
当時の人の心情を読み取ろうとするのは、別に否定はしませんが、
ただ、こういう話↑もありますので、ご参考までに
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6kamikaze_rei.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6kamikaze_h.htm

ちなみに、「感性」で軍事や政治を運営していけば、
かくもおかしなことになるという、良い見本でしたな。太平洋戦争は。
国際非難受けたから、即、国連脱退。石油の輸入が途絶えたら、即、南方進出。
経済封鎖されるから、即、対米戦争。それも国力の膨大な差を省みず。
まともにやっては勝ち目ないから、奇襲奇襲の連続で。
そこには、純軍事的な深謀遠慮も長期的・戦略的思考など、ほとんど見えず。
専ら近視眼的で、短絡的な戦術構想のみ。まさに「感性」に任せた政治・戦略で。
しかも、「個」の権利の確立されている米軍は、兵士の安全を充分に配慮しており
逆に、>郷土愛、家族愛、そして愛国心 …とやらを高らかに謳っておるはずの
日本軍は、おっそろしいほど人命軽視しておりましたからな。皮肉なモンで。

そんな死ぬにはバカバカしい戦争なんぞに巻き込まれ、もしくは自ら参加して、
死んでいった方には同情して余りあり。もっとマシな人生歩めたはずなのにな。
多くの人を幸福にする可能性を持っていた人が、多くの人を不幸にする人生を
選んでしまった、選ばざるをえなかったというのは、悲劇ここに極まれる。
よって、別に特攻隊員を蔑むつもりも否定するつもりもなし。
「特攻」そのものは、愚かで無駄でどうしようもない作戦だとは思いますがね。

もはや逃れられない「死」が、それも間近に迫っておるということになれば、
誰でも思慮深くも哲学的にでもなるでしょう。癌患者なんかもそうだし。
彼らの手っ取り早い心理の持って行き方としては「酔う」ことでしょうな。
「死」は不可避。ならば、自らの「死」を意味ある特別な存在だと思いたい。
特攻は、何か(祖国・家族など)を守るための、崇高な行為だと思いたい。
使命感やら目的意識やらに酔っていれば、理不尽な行為でも意義が見出せるモンで。
虎吉さんも、多分、そう思いたいのでしょうな。
しかし、特攻があっても戦局は好転せず、日本も勝利せず、メリット何もなし。
…てのは、冷然たる軍事的・歴史的事実ですからな。
歴史的意義があるとしたら、イスラム原理主義者に手法がマネされたくらいで。

多分、虎吉さん「歴史」「戦争」「人間」というものを根本的な部分で
勘違いしておるのでしょう。「感性」でしかモノを見てないが故でしょうか。
>かつての清らかで美しい、誇りある大和民族でいてください。
こんなん読んでると、「アイドルはトイレに行かない。大便も小便も出ない。」
と固く信じて疑わない人を見ているようで。ある意味、純粋ですなぁ、と(笑)
27 hits

[1052]Re(1):知覧特攻基地
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 あっちゃん  - 05/9/2(金) 23:43 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:

 こんばんわ。知覧の特攻平和会館に行かれて、いろいろと感じられたようですね。僕は行った事がないのですが、確か小泉首相も特攻隊員の遺書を読んで感動した事が、靖国参拝のきっかけだったとか・・・。


>それも若干二十歳そこいらの若者がですよ!
>死を背負っている人間、それも頭脳明晰で肉体的にも健康な若者が、この短い生涯、いかに自分の死を見つめるか、そこには平和ボケした我々現代人には計り知れないほどの充実した生があったのではないか、を思わせます。
>彼らは私を捨て、公に殉じた。私を捨てるというのは、文字通りの死を意味していた。
>しかも、それが純粋な郷土愛、家族愛、そして愛国心でもって、自分の故郷を自らが犠牲になることで守り抜こうとする崇高な精神性から発しています。

 確かに、彼らの遺書は読む人を感動させるようですが、その立派な言葉に感動されるのも良いですが、彼らと年齢が近い僕としては、その裏にあった、綺麗な言葉では言い表せない彼らの葛藤のほうが気になりますね。手紙や遺書では当時の社会的な事情や天皇の為に死ぬのが当然といったような風潮の中では、弱気な事など書く事は難しかったでしょうし、生還出来ないような作戦なのだから、国を守る為の大儀にでも酔わなければ正直やっていられなかったのではないでしょうか。しかしながら、彼らも馬鹿ではないのですから、当然、作戦や戦争への疑問や死への恐怖があったと思います。そのとても大きな葛藤の中で、国を守るなどという大儀などを通してや、時には、ヒロポンなどの覚醒剤を打つなどの行為を通して、個人的な思いを自分の中に無理矢理しまいこんで、出撃していったのではないでしょうか。そういった彼らの複雑であっただろう思いを、一方的に、充実した生があったとか、崇高な愛国心があったので素晴らしいというような、その場に立たされた者の一面的な所だけを見て、単純に素晴らしかった!というだけでは彼らの教訓や考え、といったものを感じ取れているのでしょうか。

>僕は、特攻隊員を誇りに思い、特攻隊員により現在、生かされていることを感じ、感謝します。

 と同時に、日本が侵略を行った、アジアの人々や日本の民間人犠牲者にも思いを馳せるべきかなと思います。

>したがって、負ける戦、合理的に勝てない戦でも、精神力でもって文字通り命を張って戦わねばならなかったわけだし、それを合理主義で割り切ろうとするのは現代人の傲慢ではないでしょうか。

 現在だろうと、過去だろうと、国民を犠牲にし、時には国家の存亡さえ掛けて行う戦争遂行においては、なによりもまず、科学的、合理的な考えで持って臨まなければいけません。戦闘においては精神力も大切ですが、勝てないような戦をするような行為は、どの時代であろうと、許されるようなものではないと思います。

>もちろん日中戦争にしても、混沌とする国際情勢の中でアジア人の誇りを守るべく、中国と共存しなければならなかった故の必然であったはずです。

 なぜ、中国と戦争をするのが「中国と共存しなければならなかった故の必然」なのか全然解りません。

>こんなに素晴らしい崇高な日本人が、ほんの60年前にいたんだ、と思い、

 と同時に、兵士や一般市民には、生きて虜囚の辱めを受けず〜などと偉そうに言いながら、自分自身は自殺に失敗し(人生に未練でもあったのでしょうか)生きて虜囚の辱めを受けてしまったような方がいたのも事実です。

>そして命を捨てて郷土を守り抜こうとし、実践するその行為に対し、僕ら戦後民主主義の私利私欲まみれの平和ボケ世代が、いくら理屈を言おうとも彼らの遠く足元にも及ばない。

戦前にも良い人間がいたのと同じく、現在にも、世界や日本の貧困に対して活動をしたり、大国の不法な戦争で傷ついた人々などに対して、私利私欲無しでボランティア活動をするような立派な人もいますし、右翼やトンデモ政治家達の圧力や脅迫にもめげずに、この国を二度と間違った方向に行かせない、そして、かつてのように不必要な戦争で人が死ぬ事がないように戦っている人もまた、国、郷土の平安を守っていると言えます。勝手に「僕ら戦後民主主義の私利私欲まみれの平和ボケ世代が」などとくくるのはどうでしょうか。

 後、最近の子供の虐待や少年犯罪の事についてですが、以下のページを見ると分かるのですが、ここ数年は多少増加していますが、少年犯罪が一番多かったのは、昭和30年代で、教育勅語など戦前の教育を受けている筈の昭和20年代と比べても、現在は大幅に減少していますし。子殺しといったような虐待行為も近年は大幅に減っていますよ。

 http://mazzan.at.infoseek.co.jp/ (スタンダード 反社会学講座、第二回と第二十四回)
18 hits

[1053]Re(3):倒錯した平和ボケ
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 虎吉  - 05/9/3(土) 0:06 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
これまでの文章のやりとりを見て、貴殿が下記文章を投稿されている意味がさっぱり理解できません。
とても大人としての対応と思えません。
誠に勝手ながら、大人としての対応の出来ない人と、やりとりすることは、こちらから願い下げで御座います。
これにて失礼。

>最初の書き込みだけで止めといたら良かったね。
>けっこう美文調でまとまっていましたよ。
>
>しかし、後が続かず馬脚をあらわしたね。
>誰かの文章の寸借だったの?
>
>それとも文体の大いなる違いは、
>文哲青年モードとインネン屋モードとの違いかな?
>君子豹変す(爆)。
>
>もはや返答は無用でしょう。
>トラキチくんの文哲青年モードを暖めて置くには。
30 hits

[1055]Re(2):知覧特攻基地
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 虎吉  - 05/9/3(土) 1:01 -

引用なし
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   ▼galleryさん:
多々、同意しかねるところもございますが、貴殿のご意見には、尤もだなと思わせられるところもあります。
まずは、誠に建設的な意見交換が出来そうな返信をありがとうございます。

>まず根本的な問題として、「感性」で歴史を語るもんじゃないですね。
>「感性」で語った歴史が正しければ、架空戦記は全部本物ですがな(笑)。
>あくまで「理性」。そして、感情を排した正確な「分析」。
歴史を認識する上では、「感性」で語ろうとは申し上げていない心積もりです。
もちろん、根底には理性を伴った冷静な分析が必要だと存じます。
が、その上で、歴史を自分なりに消化するのであれば、個々人の生き方としての「感性」も当然必要になってきましょう。
でないと、「知識としての歴史」しか、我々には積み込まれないのではないでしょうか。

>ちなみに、「感性」で軍事や政治を運営していけば、
>かくもおかしなことになるという、良い見本でしたな。太平洋戦争は。
>国際非難受けたから、即、国連脱退。石油の輸入が途絶えたら、即、南方進出。
>経済封鎖されるから、即、対米戦争。それも国力の膨大な差を省みず。
>まともにやっては勝ち目ないから、奇襲奇襲の連続で。
>そこには、純軍事的な深謀遠慮も長期的・戦略的思考など、ほとんど見えず。
>専ら近視眼的で、短絡的な戦術構想のみ。まさに「感性」に任せた政治・戦略で。
>しかも、「個」の権利の確立されている米軍は、兵士の安全を充分に配慮しており
>逆に、>郷土愛、家族愛、そして愛国心 …とやらを高らかに謳っておるはずの
>日本軍は、おっそろしいほど人命軽視しておりましたからな。皮肉なモンで。
即、国連脱退。
即、対米戦争。
その背景に至るまでの道のり・因果関係を分析していくと、黒船来航から近代国家確立、そして国際社会へ食い込み、列強と張り合うための日本人の葛藤、そこまでいかねばならないんじゃないですか。
上記の歴史観は、実に短絡的だな、と思わずにはいれません。

これは「価値観の違い」で片付けられればそれまでなんですが、
僕は、「命は鴻毛より軽し」という意見もある程度はあっていると思っております。
仮に「生命は地球より重し」という言葉が常識だとしても、納得しかねます。
何故なら、全ての生命には死があるからです。

臥薪嘗胆で脱亜入欧を目指し、そして各列強国に負けないほどの国力と近代化を果たした日本は、今度はアジアの中の日本として、誇りをかけて戦わなければならなかった、そういう視点は持てないでしょうか。
圧倒的物量・圧倒的科学力に対抗した、民族の誇りと伝統を守る精神力は、個人の生命を超えるほどの尊きものではないでしょうか。

>そんな死ぬにはバカバカしい戦争なんぞに巻き込まれ、もしくは自ら参加して、
>死んでいった方には同情して余りあり。もっとマシな人生歩めたはずなのにな。
>多くの人を幸福にする可能性を持っていた人が、多くの人を不幸にする人生を
>選んでしまった、選ばざるをえなかったというのは、悲劇ここに極まれる。
>よって、別に特攻隊員を蔑むつもりも否定するつもりもなし。
>「特攻」そのものは、愚かで無駄でどうしようもない作戦だとは思いますがね。
確かに特攻を発案した、大西瀧治郎中将も、「特攻は統率の外道」と遺書に書き残しております。
その後、むやみやたらに体当たり攻撃を敢行した軍司令部にも大いに問題はあると思います。
が、黙して従った若者たちの精神は、その日記や遺書を読めば、その崇高さは痛いほど伝わります。
貴殿に問いたい。
彼らの遺族の前で、あるいは彼ら本人たちの前で、「無駄死にである」と揶揄にも近い言葉を発せられますか?
もし、可、と言えるのなら、僕は思わずには言われません。
貴殿の命こそ、鴻毛より軽し、と。

>もはや逃れられない「死」が、それも間近に迫っておるということになれば、
>誰でも思慮深くも哲学的にでもなるでしょう。癌患者なんかもそうだし。
>彼らの手っ取り早い心理の持って行き方としては「酔う」ことでしょうな。
>「死」は不可避。ならば、自らの「死」を意味ある特別な存在だと思いたい。
>特攻は、何か(祖国・家族など)を守るための、崇高な行為だと思いたい。
>使命感やら目的意識やらに酔っていれば、理不尽な行為でも意義が見出せるモンで。
>虎吉さんも、多分、そう思いたいのでしょうな。
>しかし、特攻があっても戦局は好転せず、日本も勝利せず、メリット何もなし。
>…てのは、冷然たる軍事的・歴史的事実ですからな。
>歴史的意義があるとしたら、イスラム原理主義者に手法がマネされたくらいで。
では、貴殿に問いたい。
現在、貴殿が生きている生活圏内で、全てが全て、合理的で、かつ問題もなく、正義で、理に適っていることしかないのでしょうか?
世の不条理を感じたとき、いかに振舞っているのでしょうか?
子供のように、ダダをこねるだけなのでしょうか?

僕は、不条理を不条理として受け入れることが大人だと思います。
そして、不条理を乗り越え、他者に恥じない行いをする人を尊敬します。
それとも、自分の力で、世の不条理を変えることができるとお思いですか?
もし、そうだとすれば、薄ら甘い、理想主義の坊ちゃんですよねえ。

特攻作戦は、確かに不条理であり、結果、敗戦してしまったのだから、メリットなし、と言われても仕方のない部分はあります。
しかしながら、それをどう捉え、彼らの後の世に生きる我々がどのように彼らを消化していくか、という努力をしたときに、はじめて彼らの死が、後世に生きてくるのではないでしょうか。
それを「無駄死に」「犬死」で片付けちゃあ、いけませんよ。
そんなのは、お粗末な人生でしかありません。

恐らく、平和圏にいながらにして、命の危険もない状態で、僕や貴殿のようにあーだこーだ偉そうに言っていること自体が、実際は恥じるべき行為なんですがね。

>多分、虎吉さん「歴史」「戦争」「人間」というものを根本的な部分で
>勘違いしておるのでしょう。「感性」でしかモノを見てないが故でしょうか。
>>かつての清らかで美しい、誇りある大和民族でいてください。
>こんなん読んでると、「アイドルはトイレに行かない。大便も小便も出ない。」
>と固く信じて疑わない人を見ているようで。ある意味、純粋ですなぁ、と(笑)
別に貴殿が「理性」の部分でモノを見ているとは思えませんが。
僕にとってのアイドルは人前でうんこもらすスカトロビアンですよ。
よきにつけ悪しきにつけ、人間の美徳も業も、良心も残酷さも、全てをひっくるめて、かつての日本人は美しいと申し上げているのです。
僕が調べた限りはですね。
少なくとも、ひとりのマジメな高校生をいい大人が寄ってたかって、言葉尻をあげつらって糾弾し、あたかもそれが正義のように勘違いしている、現代人なんかより、よほど立派なんじゃないかな、と思います。
そして、僕が見たところ、「感性」の薄い人ほど、「恥じる」ということを知らないような気がしてなりません。
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[1056]Re(2):知覧特攻基地
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 虎吉  - 05/9/3(土) 1:14 -

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   ▼あっちゃんさん:
すいません。年配者の方に大変不躾ですので、一言だけ。
特攻隊員の葛藤や遺書の裏に隠された心情も、とても考えました。
語り部のお話では、恐怖心から7度出撃しても戻ってきて、8度目にようやく体当たりを敢行した隊員の話も聞きました。
だからこそ、私的葛藤を乗り越え、公的な言葉を残した彼らを称えたいのです。
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[1058]Re(4):知覧特攻基地
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 虎吉  - 05/9/3(土) 1:41 -

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   ▼とほほさん:
返信ありがとうございます。
>>部分だけ言うのもバカらしいのですが、一例を挙げれば、中国では国共内戦に日本人が巻き込まれ、反日・抗日宣伝からくる日本人への虐殺行為等がありましたし、また、日本が中国へ進出した背景には、ロシアの南下政策の脅威などから自衛の必然という「大義」があったわけです。
>
>こう言う方にはわかりやすく説明しないとわからないかもしれませんね。
非常に傲慢だと感じます。
平素(ネット外)も、そういう言い方をされているのですか?

>対立するやくざ同士の一方が間にある他人の家を「あそこを盗られたらやばい」とか言ってその家に強盗に入り、略奪し、家人の抵抗にあい、逆切れし、家人を皆殺しにして「お互い様だ」と言っているやくざの【大義】と日本の【大義】が同じものだと言っている事になるのですが、そうなんですか?ときいているのです。
では、僕もこういう方に、わかりやすく説明いたしましょう。
外敵の脅威にさらされているやくざが、自分の組と同系列のやくざに、協力を仰いだ。地理上、その組と協力しなければ、太刀打ちできない。
その組は、組織ばかりでかいくせに、内部抗争ばかり繰り返し、自分の組織の利権にばかり奔走し、危機感がまるでないため、その組を叱咤激励し、外敵のやくざと張り合えるように指導・投資を行った。

もちろん、3者3様とも大義は違いますよ。
だが、それぞれが、自分の大義でもって、生きようとし、結果、争いが生じた。
したがって、それぞれの大義の衝突であるが故に、「お互い様だ」と申し上げているのですが、そもそも、貴殿がそれぞれ別の大義がある、とおっしゃった時点で、「お互い様」というのと同意味なんじゃないですか?まあこれは単なる言葉遊びなんですが。

>もしそうであれば頼むからせめて「俺は日本人だ」というのだけはやめて欲しい(^^;
>お仲間と思われたくない、と言っているのです。日本と言う郷土を愛するもの一人として、そう言う人には日本人をやめてもらいたいです。
僕も、貴殿とはお仲間と思われたくないものです。
我が国を悪玉にするための努力をする者のどこが郷土を愛しているのか、その目的は何なのかが理解に苦しみますが、僕からも提言します。
「俺は日本人だ」というのだけはやめて欲しい(^^;
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[1059]犬死
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/3(土) 1:57 -

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   特攻隊員の死は犬死です。犬死とはその死になんの効果も戦果も挙げられなかった「死」のことです。それが史実であり、真実を語って「それが死者への冒涜になるのであれば、それは真実を語るものの責任ではなく、彼等を犬死させたものの責任です。」

常連さんはもう聞き飽きたかもしれないこの私の主張ですが、これが真実なのですよ。

虎吉さんは実社会の現実を語りながら公に準ずる事の美しさを説きます。ではもう一つのこの現実、犬死させた公に対する責任をなぜ虎吉さんは問わないのか不思議です。この虎吉さんの思想の延長には「公」の概念が「体制・権力」と同化しており、虎吉さんが「公」と呼ぶものの「体制・権力」の責任逃れに利用されていることに気がつかねばなりません。

真実を語るもの、彼等の死を犬死である、と主張するものは決して死者を冒涜しているのではありません。本来彼等にあったはずの生に対する理不尽な完全否定である頓死に対する怒りであり、虎吉さんは彼等の死ではなく彼等の生、彼等の生き様に思いを寄せねばなりません。

本来「公」というものは民主社会において一人一人の個人の集合であり個人が集合するのは平和な安寧を求めるからこそ公を形成しているのです。それを公が私の犠牲を求める事など本末転倒以外の何者でもありません。人の生き方生き様は他者の人権を侵害しない限りにおいて全く自由です。体制に媚びへつらいながらでも最後まで生き抜いた人の生き方もそれはそれで立派な人生であり、個に徹し行き抜いた人の人生もそれはそれで立派です。

しかし、それは生きたからこそです。死が公に貢献するなどと言う公は抹殺すべきなのです。虎吉さん「公」と「体制・権力」を混同してはいけませんよ。公とは個が形成し個が作り上げていくものなのです。
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[1060]Re(5):知覧特攻基地
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/3(土) 2:40 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
>では、僕もこういう方に、わかりやすく説明いたしましょう。
>外敵の脅威にさらされているやくざが、自分の組と同系列のやくざに、協力を仰いだ。地理上、その組と協力しなければ、太刀打ちできない。

いつ協力を仰いだのですか?

>その組は、組織ばかりでかいくせに、内部抗争ばかり繰り返し、自分の組織の利権にばかり奔走し、危機感がまるでないため、その組を叱咤激励し、外敵のやくざと張り合えるように指導・投資を行った。

その組と言うのは中国の事ですか?中国がなぜやくざの一員なのですか?中国がどこかへ侵略野心でもありましたか?どこかへ侵略しましたか?中国は彼等に侵略してくる者たちへの抵抗であり、列強に媚びへつらう清朝に対する反抗であり、そうした中でも、国共合作を成し遂げ正に日帝・ロシアの暴力集団から自国を守る体制を作り上げたのです。勝手に歴史を改竄しないように。

具体的な事例を挙げて反論せねばなりません。

【満州事変以降の日本の華北進出に日中関係は悪化していた。
各地で抗日勢力との局地的な衝突が繰り返され全面戦争へむけ世相はエスカレートする傾向にあった。
中国側は「一面抵抗一面交渉」のスローガンの元日本との小競り合いの中、本土統一を成し遂げ国共統一戦線を完成しこれ以上の対日譲渡を行わない、との基本姿勢が固まりつつあった。】

この私の歴史認識に何か誤りがありますか?

>もちろん、3者3様とも大義は違いますよ。
>だが、それぞれが、自分の大義でもって、生きようとし、結果、争いが生じた。

【大義】と言う言葉を虎吉さんが誤用しているのですよ。大義と言うのはその戦いにおいて正義のないものは決して勝利しない。と言う意味なのです。だから虎吉さんが言っているのは日本が掲げた大義などではないのです。日本の大亜細亜主義の大義と言うのは大東亜共栄圏であり八紘一宇なのです。つまり五族共栄各亜細亜民族同士が争っていてはならない一致協力して西欧の列強に対抗せねばならない。

これが日本の掲げた大義なのです。しかし大義を掲げたから大義を行った事にはならないのです。それをしっかり判定するために必要なのが【知性】であり科学であり真実の探求なのです。この真実を正しく認識する事が必要なのです。

これは維新以降松田松蔭の弟子山県有朋によって大きくゆがめられた思想です。松蔭の思想は純粋にそうした大義を形成しようと言う思想なのですが、いかんせん30歳で死んでしまった。維新を見ることもなかった、もし松蔭が密航に成功していたらその後の日本は大きく変わっていたかもしれません。

松蔭のしたことは一種の大きなパラダイムの転換です。長州だ薩摩だ土佐だ幕府だなどと言っている場合ではない、各諸侯が一致団結し朝鮮にも団結を呼びかけ琉球台湾ルソンも八紘一宇の元列強に対抗せねばならない。と言う言葉に日本の虐げれてきた層の多くの若者が共鳴し感動したのです、人はみな平等だ、と言う思想に涙を流して感動したのです。

それまでは日本と言う国はなかった、各藩が国家だった、日本と言うパラダイムを変換したときに日本の国境を全くの自由な発想の中で松蔭は東亜細亜を構想したのです。

が、いかんせん、これを松蔭の弟子たちは間違った方向に進めてしまった。弟子たちは松蔭から習っただけで何も学んでいなかった。現実には維新と言うのは薩長の他藩(他国)への侵略戦争です。松蔭の構想に従わない輩を武力で鎮圧していった一般市民虐殺はこの維新戦争から始まっているんです、民間へ与えた被害は大変なものだった。

そして明治以降は山県有朋はそれをまた曲解して大陸への侵略戦争を推進していくのです。

>したがって、それぞれの大義の衝突であるが故に、「お互い様だ」と申し上げているのですが、そもそも、貴殿がそれぞれ別の大義がある、とおっしゃった時点で、「お互い様」というのと同意味なんじゃないですか?まあこれは単なる言葉遊びなんですが。

ですから、このあなたの言う大義と言う言葉が誤用であることが理解できましたでしょうか?それぞれの大義などというものは存在しないのですよ。大義とは大きな正義のことです、大義のないものは戦争に勝てない、と言う中国古来からの思想です。ですから理不尽な戦をしてならない。と言っているのです。自国の防衛の為に関係もない他国へ侵略する行為を大義だ、などと抜かす御仁には日本人を語ってもらいたくない、それがかなわないのであればせめて右翼を語らないで下さい。中国右翼に比べても大変に恥ずかしい。

最後にもう一回、真実を語るとそれが日本が悪玉であるという主張になるなら、それは真実を語るものの責任ではなく、悪玉になった日本国家・体制・権力の責任である。従って私が悪口を言っているのは日本にではなく国家・体制・権力に対して悪口を言っているのである。

#ちょっとついでに伺いたいのですが(^^;
日本の政権を共産党が取ったら貴方は日本国家の為に死ねますか?
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[1061]Re(6):知覧特攻基地
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/3(土) 2:53 -

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   ▼とほほ:
>これが日本の掲げた大義なのです。しかし大義を掲げたから大義を行った事にはならないのです。それをしっかり判定するために必要なのが【知性】であり科学であり真実の探求なのです。この真実を正しく認識する事が必要なのです。

以下、戦後大物右翼として活躍した児玉義男氏の著作「われかく戦えり」より

---
そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。
当時大同では、「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。また占領地の寺や廟に行ってみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁に「何年何月何部隊占領」などと落書きしてあった。人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊でも戦場では若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為がさらにそれに拍車を かける結果となったのだと思う。
---

---
昭和十二年の秋ごろ、さきに盧溝橋事件に端を発した日支事変は燎原の火のごとく全面的に拡大されつつあった。そんなある日、笠木先生の使いで、河相先生を外務省の情報部長室にお訪ねしたのであった。
若輩の自分は、一人前の国士気取りで、大いに天下国家を論じた次第だが、その折、河相先生が自分に『児玉君、聖戦とはなにを意味するものか!皇軍とはいかにあるべきであるかを知っているか!』と言われ、数枚の写真を自分に示され、『これが皇軍の姿か!このまま行けば、皇軍どころか、日本軍は崩壊するぞ!』と言われた。その写真は現地から送られたもので、日本軍が良民を虐殺している場面や、中国の婦女子を暴行しているといった、見るに堪えないものであった。
(略)
要するに宣戦の詔勅なき戦争、名分の明らかならざる戦い、日支事変は畢竟、王師ではなく、驕兵であったかもしれぬ。自分は戦場を旅し、大陸における実状を知るにおよんで、在支百万の日本軍が聖戦の師であるか、侵略の驕兵なるかの疑問に悩まざるを得なかった。このことは自分のみならず現地を知るものの多数が考えさせられた問題であったと思う。しかし国民のなかの多数の者が それを自覚し得えたとしても、すでに軍国主義の怒涛が逆巻き、もはや何人の力をもってしてもそれを阻止することは不可能であった。
---
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[1062]Re(1):知覧特攻基地
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 KIM  - 05/9/3(土) 2:59 -

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   >虎吉さん
はじめまして、貴殿がかつて国家を守る為に勇敢に戦われた方達を心の底より敬われるお気持ちを否定する気は御座いませんが只一つ。
貴殿の考えられてる事が、気のせいでしょうかね、実は某国と妙にかぶってる様な気がいたすのです、将軍様マンセーウリナラマンセーを標榜するカルト国家と。

かの国では、朝鮮戦争を祖国解放戦争と称し、朝鮮半島南部を米帝の傀儡から解放する為の戦争と言ってます。その戦争で犠牲になった兵士達を愛国烈士として祀り、更には手榴弾を口に咥えて敵の陣地に突撃した兵士の話や、敵の砲台を身体張って塞いだ兵士の話等、国家の為に勇敢に戦って殉死した英霊に関する美談がそれこそゴマンと御座います。
他にも矢鱈と我が国の偉大な半万年の歴史愛、山美しくて水清らかな祖国の風土愛を標榜する自民族優越主義な所も。いや〜、何か貴殿の最初の投稿をご覧になってるとビミョ〜にかぶらずにはいられないんですわ。(笑)

エッ、そんな犯罪国家の連中共を、かつての偉大な大日本帝国臣民としての誇りを抱き、アジア解放の為の聖戦という崇高な気持ちを抱いて特攻に出た方達と同列に並べるなこの反日反動勢力のボケが、とご立腹されるかも知れませんが、エーと、気を害されたら申し訳無いです、でも、何となーく似てる様な気がするんですよね。

まぁあくまでも一例を挙げただけに過ぎませんのでご参考までに。
ただ、まぁ余り必要以上にその手の美談を妄信なさらない方が宜しいと思いますよ、必ず何らかのウラがありますから。
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[1063]Re(2):知覧特攻基地
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 KIM  - 05/9/3(土) 3:04 -

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   一つ肝心な事を申し忘れました。

僕はその特攻に出て殉死された方達を英霊扱いして崇める事が、とてもその亡くなられた方達の為になるとは思えないんです。
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[1064]Re(1):犬死
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 虎吉  - 05/9/3(土) 3:13 -

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   ▼とほほさん:
何度もご丁寧な返信ありがとうございます。
下記文章、ようやく貴殿と建設的な話が出来るものと感じ、安心致しました。
>特攻隊員の死は犬死です。犬死とはその死になんの効果も戦果も挙げられなかった「死」のことです。それが史実であり、真実を語って「それが死者への冒涜になるのであれば、それは真実を語るものの責任ではなく、彼等を犬死させたものの責任です。」
いろいろと言いたい事もありますが、ここで僕が嫌悪感を示した「合理主義」の立場からお話します。
ある文献によりますと、特攻出撃をした神鷲は3,910名、連合軍の被害は艦艇278隻、戦死者12,300名、重傷者36,000名だそうです。実に死者だけで3倍の敵と刺し違えたわけだから、戦果という観点からは十分に果たしたことになります。
もし、それが敗戦したのだから戦果は0とおっしゃるのであれば、そもそも議論の本質はズレまくりますがね。

>
>常連さんはもう聞き飽きたかもしれないこの私の主張ですが、これが真実なのですよ。
うーむ、、貴殿はやや傲慢なところがあるとお見受けしますが、
「これが真実なのですよ」というのは、貴殿が神であるかのような主張ですよね。真実て何?という抜本的な問いから言わなければならなくなりますよ、それですと。まあ「私は神である」と主張されるのなら仕方ないですが・・
僭越ながら僕のほうから言わせてもらいますと。
「真実」ではなく、「解釈」だとするとスッキリするのですが・・

>
>虎吉さんは実社会の現実を語りながら公に準ずる事の美しさを説きます。ではもう一つのこの現実、犬死させた公に対する責任をなぜ虎吉さんは問わないのか不思議です。この虎吉さんの思想の延長には「公」の概念が「体制・権力」と同化しており、虎吉さんが「公」と呼ぶものの「体制・権力」の責任逃れに利用されていることに気がつかねばなりません。
全てを「公」のせいにしてしまうことも責任があるんじゃないでしょうか。
僕は、当時のほうが、「公」について真剣に考えていた為政者が多かったと思いますので(逼迫した状況だからなおさらです)、そこで無責任に現代的価値観から「公」「体制・権力」に責任をなすりつけるのもどうかと思います。
貴殿がおっしゃるとおり、個によって公が作られるのであれば、個ひとりびとりにも責任が発生します。
ですが、誰も歴史の必然、世界情勢という大きな流れに反撥は出来ないでしょう。
だから、あの時代、あの情勢で、精一杯仕事をした人たちを賞賛する、というのもひとつの方法なんじゃないでしょうか。
>
>真実を語るもの、彼等の死を犬死である、と主張するものは決して死者を冒涜しているのではありません。本来彼等にあったはずの生に対する理不尽な完全否定である頓死に対する怒りであり、虎吉さんは彼等の死ではなく彼等の生、彼等の生き様に思いを寄せねばなりません。
生のみが強調される昨今で、生を語ることは気が引けますが、
生とは、死と対ではじめて成り立つと思います。死を思うことは同時に生への探求に繋がります。僕は、死を背負った彼らだからこそ、彼らの生き様に非常なる思いを寄せます。
また、彼らを犬死とすることも、彼らの死に対する理不尽な完全否定ではないでしょうか。
彼らは死なねばならぬ「公概念」のなかで、死への恐怖と格闘しつつ、私を最後まで保とうとしたことが遺書などからとてもうかがえます。
無駄・無意味を乗り越え、その中に、死ぬ意味を見出し、みっともないマネは少なくとも人前ではしないで、死のうとした人たちです。
犬死なんかじゃありませんよ。彼らひとりひとりの「個」の立場にたてば。

じゃあ逆に、特攻隊員ではなく、現代の我々の死を考えた場合、
寿命で死のうが、病気で死のうが、全ての死は無駄死にだ、と捉えることだってできる。だから我々も、死の意味を模索して生きているんでしょう。

>
>本来「公」というものは民主社会において一人一人の個人の集合であり個人が集合するのは平和な安寧を求めるからこそ公を形成しているのです。それを公が私の犠牲を求める事など本末転倒以外の何者でもありません。人の生き方生き様は他者の人権を侵害しない限りにおいて全く自由です。体制に媚びへつらいながらでも最後まで生き抜いた人の生き方もそれはそれで立派な人生であり、個に徹し行き抜いた人の人生もそれはそれで立派です。
もはや、価値観に大分差があり、平行線になるだけですが、
僕は民主主義絶対などと思っていません。民主主義も究極へいけば衆愚政治に堕落すると考えるものです。
例えば、封建制は現代では「もっての外」とハナから拒絶する人もいますが、封建制だってうまくやれば江戸時代のように260年という世界に類を見ない泰平の世を築けます。
論点がズレてきたので戻しますが、
「人の生き方生き様は他者の人権を侵害しない限りにおいて全く自由」というのは、ある種の欺瞞でしょう。「他者の人権を侵害しない」のであれば、援助交際も、ひきこもりも許されてしまう。このようにインターネット上で他人を言葉で冒涜することも許されてしまう。子育て放棄も、仕事放棄も、全て許されてしまう。
挨拶もしない、礼も尽くさない、親孝行もしない、気を使わない、場の雰囲気をフチ壊す、年寄りや妊婦に電車で席を譲らない、年配者へ無礼な口をきく、、などなど
その延長上には、公の崩壊があります。
僕は、公が崩壊された国などに住むことは真っ平ゴメンですね。

>
>しかし、それは生きたからこそです。死が公に貢献するなどと言う公は抹殺すべきなのです。虎吉さん「公」と「体制・権力」を混同してはいけませんよ。公とは個が形成し個が作り上げていくものなのです。
では、個が公を作る上で基盤とするものは何でしょうか?
何を指標として育めばよいのでしょうか。
それは、育った言語文化環境・祖先からの知恵・その地域での宗教・家柄・身分などなどによりましょう。
特に、近代国家社会の時代からは、その最大公約数が「国」という単位だと思います。(世界単位だとおっしゃりたいのならば、いくらでも反論はできます)
公と個は、どちらが切り離されても存在せず、相互に絡み合って発達してゆくものでしょう。
個の集合体である公を模範的に担うものが「体制・権力」でしょう。
個がバラバラでは、出来損ないのプラモデルのような公しか作れないでしょう。
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[1065]Re(2):犬死
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/3(土) 4:18 -

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   ▼虎吉さん:
>うーむ、、貴殿はやや傲慢なところがあるとお見受けしますが、
>「これが真実なのですよ」というのは、貴殿が神であるかのような主張ですよね。真実て何?という抜本的な問いから言わなければならなくなりますよ、それですと。まあ「私は神である」と主張されるのなら仕方ないですが・・
>僭越ながら僕のほうから言わせてもらいますと。
>「真実」ではなく、「解釈」だとするとスッキリするのですが・・

間の抜けた議論など面倒でやりたくないのは現実です、もう何度も同じことの繰り返しですが頑張っているんです。「真実である」と主張に反論があるのであれば「真実ではない」と言う主張を貴方は論理的に行えばよいだけです。
貴方の観念論や感性に付き合う気はないのです。私が傲慢である事と歴史の真実は一向に関係のない論点です。

>全てを「公」のせいにしてしまうことも責任があるんじゃないでしょうか。
>僕は、当時のほうが、「公」について真剣に考えていた為政者が多かったと思いますので(逼迫した状況だからなおさらです)、そこで無責任に現代的価値観から「公」「体制・権力」に責任をなすりつけるのもどうかと思います。
>貴殿がおっしゃるとおり、個によって公が作られるのであれば、個ひとりびとりにも責任が発生します。

では全くその通りであって、個は彼等の犬死に対して責任をとらねばなりません。彼等の前にぬかずき許しを請わねばなりません。美談にすることで個の責任を回避している、つまり貴方は一人の個として彼等の死を賛美する事で責任を逃れよう正当化しようとしているに過ぎません。

>ですが、誰も歴史の必然、世界情勢という大きな流れに反撥は出来ないでしょう。
>だから、あの時代、あの情勢で、精一杯仕事をした人たちを賞賛する、というのもひとつの方法なんじゃないでしょうか。

ですから、その貴方の宗教心をどうこう言うつもりはありません。その行為が客観的にどういう行為に値してしますのかを考えていかねばならないと言っているのです。私も特攻隊員のの墓でも靖国でも祈りを捧げます。それは彼等の死に対してではなく、彼らが生きるべきだった生に対して畏敬を示す事により彼等の生きるべき生に対して祈りを捧げているのです。そしてその生を奪ったものに対して彼等に代わって怒りをぶつけているのです。

>生のみが強調される昨今で、生を語ることは気が引けますが、
>生とは、死と対ではじめて成り立つと思います。死を思うことは同時に生への探求に繋がります。僕は、死を背負った彼らだからこそ、彼らの生き様に非常なる思いを寄せます。

誰でも死を背負いながら生きています。だれでも死ぬ事は一回しか出来ません。従って誰にも死者の思い等というものは理解できないのです。理解が出来るのは生に対してです。

>また、彼らを犬死とすることも、彼らの死に対する理不尽な完全否定ではないでしょうか。

犬死が彼等の生に対する全否定なのです。死に対して肯定も否定もありません。死は単なる死であって死に美しいも醜いもないのです、死は死です。おそらく私が死ぬ時は相当に往生際が悪いと思いますよ。人間は生きていてこその人間です。最後まで生に執着して行こうと覚悟を決めてます。

が、こんな互いの死生観宗教観を議論したって結論などでないと言ったのはあなたでしょう?そうした宗教観・主義主張の異なるもの同士の翻訳機をして論理を使い科学を道具としてコミュニケートしていかなくてはならないわけです。貴方の思想は戦争は天災のようなもので避けられない事もある、だかた美しく死にたい。何です。

戦争は人間が起こすものであり決して天災などではないのです。人間に戦争を廃棄できないはずがないのです。知性があるのですから。戦争を前提にした人間と戦争を否定する人間と議論しているのです。どちらが正しいのかハッキリしてください。

戦争は正しいのですか?間違っているのですか?そして貴方は戦争の実態をどれだけ知っているのですか?おそらくいいところの坊ちゃんなんでしょうけど、人間の尊厳をとことん破壊するのが戦争ですよ。

そして貴方は日本軍の戦争の実態を知らない、つまり無知なのです。だから歴史学的な論争は避ける、事実を直視しない思想哲学などそんなもは学問ではありませんよ。貴方も哲学を習っただけなのに学んだなどと勘違いしているだけの御仁でなければよいのですが、、。

哲学って科学だと思ってますか?

>じゃあ逆に、特攻隊員ではなく、現代の我々の死を考えた場合、
>寿命で死のうが、病気で死のうが、全ての死は無駄死にだ、と捉えることだってできる。だから我々も、死の意味を模索して生きているんでしょう。

そうです、死に意味はありません。その人が生きてきた生にこそ意味があり生に対して追悼するのです。全ての生が無駄死にだろうがなんだろうが死にそのような評価はありません。その人の生が無駄でなければその人の生は決して無駄な生涯ではないのです。無駄に死ぬ事を無駄死にというのであってその生において功績を残したものの死は無駄死にではないのです、そして無駄に死ぬ人など一人もいません。

貴方は恣意的なのかどうか入りませんが、犬死と言う言葉の前提を巧妙に使い分けている。特攻の死は何に対して無駄死にか?戦争の目的に対して無駄死になんですよ。その特攻で死んでいった若者の生こそを無駄にしないために必要なのがこれらを殺したもの(この言葉が嫌いなのであれば、彼等が死なねばならない状況に追い込んだものを憎むべきなのです)
彼等の生きるべきだった生を思い、二度と戦争はしない。
この私の主張にどこか間違いがありますか?

>「人の生き方生き様は他者の人権を侵害しない限りにおいて全く自由」というのは、ある種の欺瞞でしょう。「他者の人権を侵害しない」のであれば、援助交際も、ひきこもりも許されてしまう。

援助交際は立派な人権侵害です。ひきこもりのどこが人権侵害なのですか?いいじゃないですか引きこもっていれば。

>このようにインターネット上で他人を言葉で冒涜することも許されてしまう。子育て放棄も、仕事放棄も、全て許されてしまう。

全くの思い込み、論理的根拠なし。

>挨拶もしない、礼も尽くさない、親孝行もしない、気を使わない、場の雰囲気をフチ壊す、年寄りや妊婦に電車で席を譲らない、年配者へ無礼な口をきく、、などなど

戦争で人を虐殺しなくてはならないよりずっとましです。しかも特攻を美化しなければそうなると言う貴方の主張には論理的飛躍と言うか、なんの脈絡もない妄想です。

>その延長上には、公の崩壊があります。
>僕は、公が崩壊された国などに住むことは真っ平ゴメンですね。

公が崩壊されるなどと言う事はありえないのですよ、人間は社会を形成しなければ生きていけないのですから、それが公です。貴方は公と言う言葉を卑怯な使い方をしてます。公が崩壊するとはどういう現象のことでしょうか?

疲れたので寝ます、あなたの観念論にここまで付き合ったのですから勘弁してください。観念論を付き合わせたところで何の成果も得られないのですよ。議論は科学的に行いましょう、の提案に貴方は同意したはずでしょう?
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[1066]Re(3):知覧特攻基地
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 gallery E-MAILWEB  - 05/9/3(土) 16:35 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
こちらとら、あまりヒマではないんで、少しだけ付き合います。
>即、国連脱退。
>即、対米戦争。
>その背景に至るまでの道のり・因果関係を分析していくと、黒船来航から近代国家確立、そして国際社会へ食い込み、列強と張り合うための日本人の葛藤、そこまでいかねばならないんじゃないですか。
>上記の歴史観は、実に短絡的だな、と思わずにはいれません。

 太平洋戦争に至る道のりは、歴史的必然ではないでしょう。
多様な選択肢があったのに、それを「軍部」やら「世論」やらの「感性(感情)」で、制限しちゃった部分は否定できないと思いますがね。
否定しちゃったら、こりゃ単なる「運命論」ですがな。
>国際社会へ食い込み、列強と張り合うための日本人の葛藤
それを実現するために努力した外交官もおりましたからね。戦争抜きで。
当時の国際情勢の中、ある程度の「実力」が必要だったことは認めますが。

>臥薪嘗胆で脱亜入欧を目指し、そして各列強国に負けないほどの国力と近代化を果たした日本は、今度はアジアの中の日本として、誇りをかけて戦わなければならなかった、そういう視点は持てないでしょうか。
>圧倒的物量・圧倒的科学力に対抗した、民族の誇りと伝統を守る精神力は、個人の生命を超えるほどの尊きものではないでしょうか。

一面的な視点ですね。別に、祖国防衛的側面が皆無とまでは言いませんが、
脱亜入欧で欧米の帝国主義に最遅参した日本の帝国主義的領土拡大政策の一環
…という側面も、かなり大きいと思います。両者がどれくらいの比率なのかは、
見解の相違あるかもしれませんが、それを無視する、触れないってのは、
やはり一面的と言われても仕方ないですよ。ただし、逆もまた然りで。

ちなみに、私。大正末期の地理の教科書持っておりますが、当時は別に
>民族の誇りと伝統
とやらを強調するような表現は、それほど支配的ではないですよ。
むしろ、支那を起源とする東洋的価値観と欧米を起源とする西洋的価値観を
融和させ、無窮の文明を築き上げる…てな、多文化性を美徳とするような表現で。
おぉ、良いこと書いておるなぁ、と思ったものです。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=607;;id=sikousakugo#607
これ↑もそうです。むう、戦争前の人間って美しくないですな(笑)

>確かに特攻を発案した、大西瀧治郎中将も、「特攻は統率の外道」と遺書に書き残しております。
>その後、むやみやたらに体当たり攻撃を敢行した軍司令部にも大いに問題はあると思います。
>が、黙して従った若者たちの精神は、その日記や遺書を読めば、その崇高さは痛いほど伝わります。

>貴殿に問いたい。
>彼らの遺族の前で、あるいは彼ら本人たちの前で、「無駄死にである」と揶揄にも近い言葉を発せられますか?

・まず第一に、「無駄死にである」などと書いたおぼえはありません。
>>別に特攻隊員を蔑むつもりも否定するつもりもなし
とは書きましたが。都合の悪い部分は目に入らないならどうしようもないけど。
・第二に、「崇高さ」とやらの心理については、すでに書きましたので略。
つまり殉教者の心理ですな。そう割り切れない人も、多々おられたでしょうが。
高橋哲哉氏が著書『靖国』の中で「日本教」と述べられておりましたが
あれ、上手い例えだと。あくまで「靖国は宗教ではない」と言い張る人いますが、
信者さんは皆、そう言いますからな。自分の信じているモノ「だけ」は特別だと。
・第三に、特攻隊員の心情と「特攻」作戦そのものを同一視してませんか。
特攻隊員の心情を美化することにより、特攻そのものをも美化しようとする。
密接している部分はありますが、本来これらは、分けて考えるべき問題だと。

あくまで「口先(指先?)」では「大いに問題がある」だの書いておられますが
上記の「個人の生命を超えるほどの尊きもの」という発言もそうですが、更に
あなたの↓の考え方を見ると、どうも「特攻」を間違った行為と考えているとは
到底思えませんな。よって、最低でも「特攻」批判の部分の説得力まるでなし。

>これは「価値観の違い」で片付けられればそれまでなんですが、
>僕は、「命は鴻毛より軽し」という意見もある程度はあっていると思っております。
>仮に「生命は地球より重し」という言葉が常識だとしても、納得しかねます。
>何故なら、全ての生命には死があるからです。
>

>もし、可、と言えるのなら、僕は思わずには言われません。
>貴殿の命こそ、鴻毛より軽し、と。

そして残念ながら、この部分で根本的にあなたと私は異なります。
他人の命を「鴻毛より軽し」と言い放てるような残虐な人間とは、
もはや、価値観を共有できるとは思えませんな。
ちなみにその考え方は、日本国憲法のみならず、まともな近代立憲主義の下では
到底受け入れられる考え方ではありません。北朝鮮ならOKでしょうがね(笑)
思うに、あなたの生まれてくる時期が、60〜70年ほど遅かったのでしょう。
あの時期なら、日本国民のかなりの数があなたの考え方に近かったですよ。
岡本喜八・監督『日本の一番長い日』の中で、海軍首脳が
「あと二千万!日本男子の半分を特攻に出せば勝てます!」
とか空恐ろしいことを平然と口にしておりましたが、
まさに「命は鴻毛より軽し」という思考から導き出される結論でしょうね。
つまり、あなたはそんな非道な人間になり得るということで。

>現在、貴殿が生きている生活圏内で、全てが全て、合理的で、かつ問題もなく、正義で、理に適っていることしかないのでしょうか?
>世の不条理を感じたとき、いかに振舞っているのでしょうか?
>子供のように、ダダをこねるだけなのでしょうか?
>
>僕は、不条理を不条理として受け入れることが大人だと思います。
>そして、不条理を乗り越え、他者に恥じない行いをする人を尊敬します。
>それとも、自分の力で、世の不条理を変えることができるとお思いですか?
>もし、そうだとすれば、薄ら甘い、理想主義の坊ちゃんですよねえ。
>
>特攻作戦は、確かに不条理であり、結果、敗戦してしまったのだから、メリットなし、と言われても仕方のない部分はあります。
>しかしながら、それをどう捉え、彼らの後の世に生きる我々がどのように彼らを消化していくか、という努力をしたときに、はじめて彼らの死が、後世に生きてくるのではないでしょうか。
>それを「無駄死に」「犬死」で片付けちゃあ、いけませんよ。
>そんなのは、お粗末な人生でしかありません。

 世界は不合理に満ちているからこそ、面白いわけで。
自分の思考が全てが全て、合理的で、かつ問題もなく、正義で、理に適っている
…などと考えることから、人間、おかしくなるわけです。
ある意味、私、トンデモを研究している立場からして、最低でもあなたよりは
「自分の考えが正しくて誤らない」という考え方からは遠いと思っております。

 その後の部分は大体はこちらも同意するところですね。結論は正反対だが。
>それをどう捉え、彼らの後の世に生きる我々がどのように彼らを消化していくか、という努力をしたときに、はじめて彼らの死が、後世に生きてくるのではないでしょうか
その通りです。正にそう思うからこそ、「命は鴻毛より軽し」とかほざいたり、
「特攻」などという、バカ作戦たてるような日本にしてはいかん
…と、思うのですがね。でないと、こんなバカ失敗した貴重な経験が無になる。
ちなみに私が尊敬するとすれば、当時の状況で戦争に反対した人を尊敬しますな。
>そして、不条理を乗り越え、他者に恥じない行いをする人を尊敬します。
正に、↑こんな人だと。官憲は追われ、国民には「非国民」と蔑まれたけど。
戦争という不条理を乗り越え、他者に恥じない行いをした人たちだと思いますが。

>恐らく、平和圏にいながらにして、命の危険もない状態で、僕や貴殿のようにあーだこーだ偉そうに言っていること自体が、実際は恥じるべき行為なんですがね。

 微妙ですが、ここもダブルスタンダード気味ですな。
恥じ入るべき行為なのに、自分は堂々と当時の人間の心情を書き連ねておるなら
他人が当時の人間の心情やらを分析したって批評したって構わんでしょう。
まあ、別に禁止してはいないので、「矛盾」とは言いません。「気味」ですが。
個人的には、当時の人間や社会の批評はジャンジャンやった方が良いと思います。
もちろん、虎吉さんのように、彼らの純粋無垢な心情を讃えるのもアリで。
タブーになったり、神聖不可侵になったりするよりは、よほどマシだと。

>よきにつけ悪しきにつけ、人間の美徳も業も、良心も残酷さも、全てをひっくるめて、かつての日本人は美しいと申し上げているのです。
>僕が調べた限りはですね。
>少なくとも、ひとりのマジメな高校生をいい大人が寄ってたかって、言葉尻をあげつらって糾弾し、あたかもそれが正義のように勘違いしている、現代人なんかより、よほど立派なんじゃないかな、と思います。

あ、反社会学講座、先に出されちゃったな。
「南京虐殺事件」の掲示板で、「残酷さ」が美しいと言うのは良い度胸で(笑)
>僕が調べた限りはですね。
…とあるんで、別に普遍的な「説」として言ってるのではないと解釈しますが
では、私の調べた限りはではですね(笑)。
戦時中の人間も現在の人間も、人間の本質そのものは、そんなに変わりはなし。
美徳も業も、良心も残酷さも、全てをひっくるめて。
ただ、社会制度上の法整備と、社会常識の変化により、あの当事よりはマシ。
…こんなとこで。あくまで、これは「私見」です。もちろん、そちらもですが。

>そして、僕が見たところ、「感性」の薄い人ほど、「恥じる」ということを知らないような気がしてなりません。

あなただけのモノの見方・感想です。その見方が普遍的とは限りません。
逆に、戦争賛美する掲示板に、ネットのマナー知らない戦争反対者が入れば
これも散々叩かれると思うのですがね。もはや、戦争賛否以前の問題で。
前も書きましたが、社会学的な話を「感性」とやらで語らないで頂きたいのだが。
26 hits

[1075]特攻隊の死・ナベツネの証言
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 指環 E-MAIL  - 05/9/4(日) 1:36 -

引用なし
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   ▼虎吉さん:
>彼らは私を捨て、公に殉じた。私を捨てるというのは、文字通りの死を意味していた。
>しかも、それが純粋な郷土愛、家族愛、そして愛国心でもって、自分の故郷を自らが犠牲になることで守り抜こうとする崇高な精神性から発しています。
>
>その後僕は、知覧飛行場跡へ行って見ました。
>現在は茶畑になっているこの場所から、若き特攻隊員たちは、沖縄方面へ飛んでいったのです。少なくとも、生還率は0%ということをわかっていながら。
>開聞岳を後にする若き飛行士たちは、何を思い日本を後にしたのだろう・・・

 今、本屋に並んでいる田原総一朗責任編集『オフレコ!』(アスコム)2005年 Vol.1掲載のインタビューで渡邉恒雄氏が自らの軍隊体験を語っていますが、特攻攻撃についても次のように言及しています(p30−32)。↓

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

渡邉  そして、それよりも何よりも、特攻攻撃がどんどん始まるわけです。特攻に行くのは、最初は長男は許された。長男はいい、次男はいけ、というわけだ。それがそのうちに長男も次男もなくて、志願するものは一歩前へ出ろ。一歩前へ出ると、それはもう明日には死ぬわけだ。出ないやつは助かるが、あとでボコボコにやられるわけです。それで、そんなにやられるならおれも一歩前だ、と出る。当時ニュース映画で特攻隊出撃の場面を見た。勇んで行くどころか、皆首を垂れ、うなだれたような悲哀を感じさせる姿としか思えなかった。

田原  そういうことですか。

渡邉  だから、強制ですよ。暴力による強制。

田原  お国のためとか、天皇のために、特攻に出たんじゃない。

渡邉  とんでもない。ほとんど暴力による強制です。この間、僕は政治家たちに話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。これがよくやったと思う番組でね。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音したもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。戦時中、よくこんな録音を放送できたと思う。

田原  あ、そんな録音がとってあった。

渡邉  特攻隊の死ぬ前の晩の声。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけど、ほとんどウソです。

田原  靖国もなにもない。天皇陛下万歳もない。

渡邉  おいおい泣いてるところをNHKは放送しちゃった。これが実態だったんですよ。こんなことを、軍の幹部や政治家は、みんな肯定してね。よせと、そんな強制自爆は、と誰もいわないのね。1億玉砕、本土決戦とみんないってるわけでしょう。
 だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者がまつられているところへいって頭を下げる義理はまったくないと考えている。犠牲になった兵士たちは別だ。これは社の会議でもたえずいってます。君たちはわからんかもしれんが、オレはそういう体験をしたので許せないんだと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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[1079]Re(3):知覧特攻基地
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 あっちゃん  - 05/9/4(日) 17:28 -

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   ▼虎吉さん:

 少し、僕の書き方に問題があったようで、虎吉さんには誤解を与えてしまったかもしれません。彼らと、今現在の自分の年齢(二十代半ば)が近いという積りで書いたのです。すみませんね。

 まあ、前回僕が書いた事は、他の方との論争の中で答えが出ていると思うので書きませんが、僕も1つだけ。少し話が変わるのですが、特攻は作戦としても、果して良いやり方だったのか?もっと他にやり方があったのではないだろうかと思います。確かに、特攻は自分で体当たり攻撃をするのですから、当然、命中率は現在のGPS誘導爆弾のようなものが無い当時では、通常の雷撃、急降下爆撃と比べて高かったとは言えます。しかし、同時に、貴重な資材で作った飛行機は無くなるし、いくら即製とはいえども、育てるのに労力、お金、資源を使って育てたパイロットも失います。しかも、防御の甘い輸送艦や小型の艦船ならともかく、ダメージコントロールに優れた、米軍の空母、大型艦に、せいぜい500キロ爆弾程度で突っ込んでも、多少の損傷を与える程度で、決定的な打撃など与えられません。すぐに前線で修理されて、戦線に復帰するだけです。これに比べて、日本の防空の為に新型の強力な戦闘機、ベテランパイロットを集中して編成した部隊がありましたが、こちらのほうが米軍にとって脅威であったと言われています。僕からすれば、時間稼ぎの為の弾除け程度に彼らを使ったのではないという疑問があります。

 それに、直接攻撃するのであっても、生還の可能性の無い特攻ではなく、兆弾攻撃(スキップボミング)でも同じ程度の効果は期待出来たと思います。海面と平行に飛行しながら爆弾を落とすと爆弾が水面を飛び跳ねながら、目標の船に飛び込んで打撃を与えるものですが、これも危険は伴いますが、生還の可能性は有り、かつ、特攻に近い命中率も期待でき、飛べば行ったきりになってしまい生還しないので、一部でも生還することによって攻撃に有効な手段や戦法を教訓として生かすというような事が出来ない特攻よりも、慣れるに従って改良が進むので、余程効果的な攻撃方法であったと思います。日本軍(陸軍)はこれを実験したのですが、見方の護衛との会合に失敗して、単独で攻撃をしてしまった為に、失敗。しかし、再度、万全な体制で挑戦すればよかったのに、今の官僚と同じで自分に傷が付くのを恐れたのか、一度の失敗で止めてしまい、特攻に頼ってしまったのです。海軍にいたっては実験すらしていなかったようです。確かに戦争では死は付き物ですが、その中にあっても出来るだけ、その命を生かす為の、努力、研究、熟考した戦略が上層部に求められるのが当たり前なのですが、旧日本軍(現在の自衛隊も)ではむしろ、上層部の考えや戦略の甘さ、欠陥が下級の兵士に押しつけられ、それで平然としていたと言う所に、大きな問題があったと思いますし、腹が立ちます。この体質を抜きにして、表面だけを見て特攻への賛美をする気にはどうしてもなれないなというのが正直な所で、大切なのは、アホなチキンホーク(軟弱右翼)、威勢だけがよくて自分は安全な所に居るような右派政治家、軍隊といったものが暴走しないように歯止めを掛ける、平和で民主主義的な国家、熱狂的な国粋主義に陥らない、冷静視点かつ偏見の無い目で判断できるようなキチンとした体制作りではないかと思います。
24 hits

[1080]Re(4):知覧特攻基地
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 あっちゃん  - 05/9/4(日) 17:33 -

引用なし
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   ▼あっちゃんさん:
>僕からすれば、時間稼ぎの為の弾除け程度に彼らを使ったのではないという疑問があります。

ここは、「時間稼ぎの為の弾除け程度に彼らを使ったのではないかという疑問があります。」と書きたかったのですが、間違えてしまいました。
33 hits

[1131]Re(5):知覧特攻基地【大義】
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/11(日) 12:09 -

引用なし
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   「大義」について。
対抗言論(中国における「皇軍」の実態)より転載します。
熱烈な天皇主義者杉本五郎中佐の著書『大義』(1938(昭13)年5月、平凡社)より。(下線部分は刊本では伏字。1943年1月、岩手県紫波郡野見前村の神民塾においてガリ版印刷された版本に基いて復元されたもの。)

大義明白なる戦争発起も、之に従ふ上下、大義不分明ならば、各々自己を執ってその保存に懸命の努力を終始せん。上は其の功を競ひて他の損傷を顧みず、下は自己保存の極限を発揮して上を怨嗟す。一度敵地を占領すれば、敵国民族なる所以を以て殺傷して飽くなし、略奪して止まる所を知らず。悲しむべし、万端悉く、皇軍の面目更になし。皇道は空華、施布は国裏の禅、現皇軍が皇化第一線の使徒たること遠しも遠し、正に白雲万里なり。……茲に万生化育の聖業は進む。皇軍の真面目躍如たり。然るに見よ、一会戦終わる毎に、上下の秩序は愈々乱れ、下は増上漫となり、自己所属の将にあらずんば、全く無差別下克上となり、上之れを指導するの明識を欠き、功名に酔ひて一時を糊塗して、皇軍崩壊の遠因素縁をなし、皇国の安危慮外に在るものの如し。皇軍緒戦に於て既に然り。世界興亡の足跡を仔細に検討せよ。その滅亡の最大原因は常に飽くなき利己心、停止を知らざる自己保存ならずや。かくして今次の戦争は帝国主義戦闘にして、亡国の緒戦と人謂わんに、誰人が何んと抗弁し得るものぞ。

(洞『決定版【南京大虐殺】 p.123-124)

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