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[1084]ネベツネ親分が転んで、慎太郎も転身?(笑) とほほ 05/9/5(月) 18:08
[1085]Re(1):寝転んで親分への道を歩んだネベツネ たんこなす 05/9/5(月) 22:43
[1086]Re(2):寝転んで親分への道を歩んだネベツネ たんこなす 05/9/5(月) 23:09

[1084]ネベツネ親分が転んで、慎太郎...
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 とほほ E-MAIL  - 05/9/5(月) 18:08 -

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 私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、のあの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい。
さて。この文章は誰あろう?皆さんなんと石原慎太郎であります(^^;
慎太郎メルマガで配信されました、【『日本よ』 石原慎太郎 「歴史に関する、ことのメリハリ」 2005年9月5日発売の産経新聞より転載】

この一文だけではなく他のところも慎太郎にしてはまともな事を言っている、東京裁判批判はあいかわらずだが、これはこれで確かに議論の余地はある「戦争裁判」についての論考でありデタラメな批判というわけでもない。裁判の是非は別にして戦争責任問題はきちんと位置づけておかねばならない、と結論しA級戦犯を批判している(手のひらを返したようにA級戦犯を口汚く罵るのはやつの性格だから仕方ない)

ナベツネが転んだら、お上べったり慎太郎も早速転身だ(笑)恥も外聞もない男だ。

因みにわずか2ヶ月前に慎太郎が何を言っていたのかも掲載しておこう。
 この国の中にもそれに応え、経済利益を唯一の国益と称し相手のいい分に屈せよと唱える者がいるが、それは所詮(しょせん)姑息な手立てでしかありはせず、その結果我々は最も大切な、国家の芯の芯に在る、掛け替えなきものまでを売ろうとしているのだ。それは我々が永遠に受け継がなくてはならぬ国家としての、民族としての心意気に他ならない。そしてそれを敢えて失うことで我々が中国以外のすべての他者から勝ち得るものはただ軽蔑でしかあるまい。それにどう考えても、もし総理が靖国参拝を中止したとして、中国がそれを大いに感謝評価し、にわかに友好に転じる訳もない。さらに我々の心の内にまで手をつっこんでの露骨な干渉となるのは自明のことだ。

 常識のレンズをかざして眺めれば、現今の関わりの中で中国の方が日本を失えないのは自明である。よしんば我々が市場としての中国を失ったとしても、日本の技術を含めた経済力をもってすれば他の代案はインドやシベリア等々優に有り得よう。中国を切り捨てることでしばしの経済停滞があったとしても、この豊かさの氾濫(はんらん)の中でそれを甘受出来ぬというなら、我々は実はすべての価値を失うことにもなりかねまい。

 国家はその芯の芯にある価値を阻害された時、取り返しがつかずに腐れ果て、蘇(よみがえ)ることはありはしまい。それは歴史の工学が多くの事例で証しているところだ。

 そして「靖国」が今後の日本にとってどのような意味を持つかを大きく決めるだろう瞬間は、今年のこの事態の中で、小泉総理の靖国参拝にかかっているといっても過言ではあるまい。
つまり180度全く逆のことを言っていたのだ、首相は靖国に参拝すべきだ、と主張していたのだ。

もっとも今回の記事も慎太郎にしては上出来と言うだけで
 あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮(さつりく)した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるべきに違いないと思うのだが
こう言う口の軽さデタラメ無責任発言だけはあいかわらずだ、しかしこれだけ見事に前言と逆の主張が出来ると言う頭の悪さだ、責任感と言うより自分が何を言っているのかわかってないに違いない
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[1085]Re(1):寝転んで親分への道を歩...
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 たんこなす E-MAIL  - 05/9/5(月) 22:43 -

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   とほほさん

ネベツネ親分とは、すばらしいネーミングですね。
江川る事件のような『寝技』が得意だし、
そもそもニッポンキョーサントートーダイサイボーのキャップから
権力のほうに『転んで』、政治記者→新聞社オーナーとして
大出世した人ですから、

『ネ転べツネ雄』親分

http://ja.wikipedia.org/wiki/渡辺恒雄
 
東京大学を卒業して読売新聞社に入社。読売ウイークリー記者を経て、政治部記者となる。警察官僚出身の社長正力松太郎の目にかなって、自民党有力政治家の大野伴睦の番記者になり保守政界と強い繋がりを持つようになった。児玉誉士夫と懇意になり、児玉の指令のもとに九頭竜ダム建設の補償問題や日韓国交正常化交渉の場でも暗躍したとされている。

1977年渡邉は編集局総務局長待遇に就任する。1977年2月18日付社説は百里基地訴訟一審判決の違憲立法審査権の存在意義を説いたが、1981年7月8日付紙面では一転して二審判決の統治行為論を支持し裁判所の政治介入を制限する主張にシフトした。渡邊の主張を取り入れ読売新聞が中道から保守・反共に傾いていった結果だとされている。

1981年取締役論説委員長に就任した渡邉は、1984年からの元旦社説を自ら執筆した。その間、渡邉と意見を異にする論説委員の黒田清・山口正紀らが退社に追い込まれたという(渡邉恒雄氏におけるジャーナリズムの研究〜前澤猛〜から)。



略歴
1926年 現在の東京都杉並区に生まれる
1939年 開成中学校に入学。第4志望だったという。第1志望は府立高校尋常科、第2志望は武蔵高校尋常科だっととのこと。
1943年 東京高等学校に編入学。網野善彦、氏家斉一郎と知り合う。
1945年 東京帝国大学文学部に入学。同年7月に陸軍砲兵連隊に入営するも、終戦の2日前に除隊。

うん、この辺に東条嫌いの大元があるんだな。

1946年 天皇制への嫌悪から日本共産党に入党
1947年 組織のために個人を犠牲することに疑問を抱いて本部を批判、日本共産党を除名される。ただし、日本共産党には除名したという記録は一切ない為、離党して“除名された”と自称していると思われる。
1949年 東京大学を卒業して東京大学大学院に入学する。当時は哲学者、東京大学総長を夢見ていたが、修士論文執筆のためのネタ本を、新宿の公衆便所で紛失。というか紙が無いのでそれで拭いてしまった。「ペンは剣よりも強しというが糞よりは弱い。」どんなに高尚な書物であっても、所詮人間の欲求や生理現象にはかなわないことを悟り、新聞界への就職を決意。

そうか、新宿で酔っ払って公衆便所で・・・これをきっかけに『転んだ』のかナ?

1950年 読売新聞に入社。読売ウィークリーに配属される。高校時代からの学友氏家斉一郎(現・日本テレビ放送網会長)を誘う。
1952年 日本共産党山村工作隊の取材で奥多摩のアジトに潜入し、拘束される。無事釈放されるが、このとき隊のリーダーだったのが、「生きることの意味」の著者、高史明であったという。このスクープが認められて政治部に異動。

この辺が決定的だナ、たぶん。

1954年 結婚。大野伴睦の番記者に。党人派重鎮の威を借りて政界に食い込んでいく。
1956年 中曽根康弘と知り合う。
1958年 児玉誉士夫と知り合う。初の著作『派閥』を上梓。
1959年 中曽根康弘らとサイエンティフィック・ポリティクス研究会を始める。6月には中曽根康弘の岸改造内閣への入閣に尽力。

1960年 安保反対の全学連デモが国会に突入し、その際、東京大学の樺美智子が死亡するが、これに対する内閣声明を執筆。

1964年 大野伴睦の死去に伴い、船田中の番記者になる。九頭竜ダム建設の補償問題で、一千万円の運動費で調停役を依頼された児玉誉士夫のメンバーの一員に。他に中曽根、氏家がいた。この調停は成立せず、1,000万円は返却されたという。

1966年 首相の佐藤栄作が読売に決まりかけていた国有地払い下げの白紙撤回を宣言した為、氏家斉一郎と共に国有地獲得工作に奔走。12月、務台光雄社長が会議で佐藤栄作批判の大演説、それを受けて渡邉が反佐藤キャンペーン記事を執筆。

1968年 1月、政治部次長。12月、ワシントン支局長に就任。政治部長への就任を「児玉誉士夫に読売を乗っ取られる」と恐れた社会部の圧力があったといわれている。

1972年 1月、ワシントンでの任務を終えて、帰国。編集局参与を経て、同年10月に解説部長。
1975年 政治部長兼編集局次長
1976年 ロッキード事件。児玉誉士夫逮捕される。九頭竜ダム補償問題を暴露した著書「権力の陰謀」が出版され、児玉と渡邉の関係が明るみに
1977年 編集局総務(局長待遇)

1979年 取締役論説委員長。読売新聞の論調が保守傾向化するきっかけに
1983年 専務取締役論説委員長
1985年 専務取締役主筆論説委員長
1987年 筆頭副社長主筆
1991年 社長に就任。日本相撲協会の諮問機関横綱審議委員会委員に就任
1996年 読売ジャイアンツのオーナーに就任
1999年 日本新聞協会会長 
2003年 日本新聞協会会長を任期満了に伴い退任

2004年 近鉄・オリックス合併問題で経営側との話し合いを求める選手の声に対して所謂「たかが選手」発言。8月に明治大学野球選手・一場靖弘(現・楽天イーグルス)を巡る裏金事件の責任をとってジャイアンツのオーナー辞任
2004年 渡邉恒雄名義の日本テレビ放送網株が実際には読売新聞社の保有であることが判明し、日テレ株は監理ポストに割り当てられた
2005年 横綱審議委員を任期満了で退任
2005年 ジャイアンツ代表取締役会長に就任

おやおや、『江川る』事件が年表に無いぞ。ウキペディアの手落ちかな?

http://ja.wikipedia.org/wiki/江川事件

江川事件(えがわじけん)とは1978年のドラフト会議前日にプロ野球セリーグの読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ作新学院、法政大学出身の投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動のことである。空白の一日事件(くうはくのいちにちじけん)とも言われる。

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[1086]Re(2):寝転んで親分への道を歩...
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 たんこなす E-MAIL  - 05/9/5(月) 23:09 -

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   ふむふむ

スウィンバーン症候群 ナベツネ&国内外の事件
http://graqes.exblog.jp/

>魚住昭の『渡邊恒雄:メディアと権力』―渡辺恒雄論
http://graqes.exblog.jp/680080

東京の中野にあった東京高等学校では、最近亡くなった歴史学者の網野善彦、当時はドストエフスキーの『白痴』を読んでいた現在日テレ社長の氏家斉一郎、西田幾多郎の『善の研究』を抱えた渡辺恒雄が学友だった。網野と氏家は学校を休んで遊び歩き、あとからやってきた渡辺は氏家と仲良くなり、遊びまわるようになったらしい。ちなみに、この他に黒田寛一や城塚登といった人も東京高等学校。少し先輩には、清水幾多郎がいた。なんだかややこしいものである。

>渡辺恒雄と高史明との関係って……『渡邊恒雄メディアと権力』の続き
http://graqes.exblog.jp/703409
 
昭和27年の春、記者になってから、奥多摩の山地に隠れていた共産党のグループを一人で取材しに行って、そこで拘束されてかなり危ないことになったらしい。だが、そのグループのリーダーだったのが高史明(1932-)――在日朝鮮人二世として自分の生まれ育つまでを描いた『生きることの意味』の作者だ。そういえば、高史明は先日、NHK人間講座に出演して、一人息子の自殺と親鸞の『歎異抄』との出会いを語っていた。この高史明は以前はずっと粗暴だったが、このときは仲間を押し留めて、渡辺殺害をやめるようにと説得した。このことが原因で、後に高史明は活動を離れることになる。

渡辺は命からがらその場を立ち去って、新宿のションベン横丁「ガツ屋」で待っていた(日テレの社長となる)氏家と会ってそのときの出来事を語ったらしい。このことは社会面の記事としてスクープとなったが、読売ウィークリーの記者だった「渡邊恒雄」という名前の掲載は拒否され、社会部に同名の渡辺という人がいたことから、「本社渡辺記者」として社会部の功績とした。このことで、渡辺はかなり怒ったといわれている。

渡辺恒雄論
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062738112/249-9694188-6193124

ところで
魚住昭って、安倍シンゾーvs朝日新聞 の取材内容を月間現代でバラした人かな?
http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/311.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/魚住昭
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