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熊猫さん、はじめまして。 思考錯誤板のみなさん、こんにちは。 「紫式部」という文字に惹かれて、また出てきてしまいました(^^ゞ
そうそう、前回そんなことがありましたね。 「女房」なのに「女官」と書いてしまっている。 よくもまあ…と思ったものでしたけど、「もしかして誤植の可能性もあるし」と寛容に考えていました。
でも、今回のを見て、その考えは完全に吹っ飛びました。
「宮仕えを終えた式部は、1008年ごろから不朽の名作『源氏物語』の執筆に取りかかった」
って…。絶句ですよ。 紫式部のことをなーんにも知らない人が書いたんだとバレバレです。 「紫式部日記」を別の人物が書いたものと考えての記述だという言い訳もありえますが、 そのわりに前のほうの記述、
「父は『この子が男だったら』となげいたという」などは式部日記からのものだし…。
それに、藤原道長とのちょっとしたエピソードを知っていれば、こんなミス、すぐに発見できますから、「つくる会」関係者、扶桑社、検定した方々、採用した教育委員会…、歴史にも古文にも造詣がない方々なのだなあと…。
エピソード1.藤原道長は、紫式部が宮仕えしながら「源氏物語」を執筆していたころ、式部の部屋に忍び込んで、「源氏物語」の下書きを盗んでいったことがあります。
エピソード2.さらに、夜、式部の部屋に行き、「この部屋に若紫はいませんか」と藤の花をかざしたという。若紫は源氏物語のヒロイン紫の上のこと。「源氏物語」がすでに大ブームだったからこその道長のセリフです。(どちらも「紫式部日記」によるエピソードです)
>つくる会の教科書って、一般常識のない人達には喜ばれそうですね。
ほんとにそう思います。 知っていれば、アホらしくて、子どもに渡す気になれません(^^;
ところで、余談ですけど、私、二十代のころは2.のエピソードを読んで、道長が式部に懸想しようとしたのだと思っていました。 いま、このエピソードを思い出すと、どう考えても、セクハラをしているようにしか感じ取れません(笑)。 30代の「年増未亡人」(当時は40歳でおばあちゃんだったそうですから)を「若紫」と呼ぶなんて…。失礼しちゃうわ(笑)
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