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このスレッドのタイトルの記事を私は自分のホームページに載せていますが(日中戦争開戦前夜)、自由主義史観派の主張についつい騙される人たちの認識にこの部分が非常に欠けている、と私は考えています。
なんだか知らないが「戦争に突入したのは仕方なかった」とか「列強への対抗」だとか「理不尽な米国の圧力」とか言う言説を受け入れています。これは歴史を時系列で追っていけば全くのデタラメである事がわかるのですが、なんだか知らないが説得力を持っている、もちろん一因には近代史をきちんと教えない学校教育にも問題はあるけど、日中戦争がなぜ始まったのか?と言う問題を調べればデタラメである事自体は簡単にわかるのでこの辺の認識が重要と思い、細部に間違いがあるようですが(^^;私のホームページでは欠かせない項目になっています。
この主題でinti-solさんがページを更新してます。私のページよりももう少し総括的な視野から見ています。是非ご一読ください。
踏み躙られた大地 日中戦争
「虚構の満洲国」の触れたように、我が国は当初、中国東北地方に対して集中的に侵略の魔の手を伸ばしていました。が、しかしそれは、東北地方以外には手を出さなかったという意味ではありません。
古くは、1900年、中国に義和団の乱が起きると、日本軍は、他の欧米列強の尻馬に乗って軍を派遣、北京を占領しています。このときは、決して日本が音頭をとったわけでも中心になったわけでもありませんが、この事件によって、清国政府は莫大な賠償金を列強諸国に支払い、また租界の設置や各国の軍隊の駐留を認めざるを得なくなりました。 先にも触れた1915年の対華21ヶ条の要求は、東北地方の諸権益の要求が中心でしたが、それとともに山東省や福建省の諸権益、中華民国政府や警察に日本人を登用すること、などの要求も含まれていました。これらはいずれも東北地方とは無関係の要求でした。このうち福建省の権益や中華民国政府や警察に
日本人を登用することなどは交渉の途中で取り下げられましたが、山東省の権益は要求を押し通してしまいました。けれども、この時期、中国本土ではまだ東北地方のような直接的な謀略や武力の行使による侵略には至っていませんでした。もっとも、21ヶ条の要求という屈辱的かつ高圧的な要求をのまされて以来、中国人の反日感情は高まる一方で、しかも東三省における度重なる謀略、ついには満洲事変というあからさまな侵略に、中国人の怒りは極限にまで達していました。
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