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[1482]新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 ゆう 05/10/17(月) 21:55
[1486]Re(1):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 とほほ 05/10/18(火) 1:00
[1489]Re(1):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 ピッポ 05/10/18(火) 14:00
[1490]Re(2)ジフェニルアルシン酸は「あか」でしたね ピッポ 05/10/18(火) 14:21
[1491]Re:毒ガス弾は「栄光の兵器」だった! ピッポ 05/10/18(火) 15:11
[1492]Re(1):Re(2)ジフェニルアルシン酸は「あか」でしたね とほほ 05/10/18(火) 17:28
[1506]Re(2):PS:茨城新聞より ピッポ 05/10/19(水) 13:18
[1532]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 miyazaki 05/10/20(木) 1:18
[1536]Re(3):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 ピッポ 05/10/20(木) 12:12
[1539]Re(4):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 タラリ 05/10/20(木) 17:43
[1541]Re(5):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 ピッポ 05/10/20(木) 21:53 [添付]
[1543]Re(6):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 ピッポ 05/10/20(木) 22:10 [添付][添付]
[1547]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 トロープ 05/10/21(金) 3:30
[1552]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 うさぎ 05/10/22(土) 0:03
[1554]Re(3):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 とほほ 05/10/22(土) 0:16
[1555]Re(3):それは、なんという物質ですか? ピッポ 05/10/22(土) 0:42
[1572]補足します。 miyazaki 05/10/24(月) 0:44
[1573]Re(1):補足します。 ピッポ 05/10/24(月) 6:00
[1575]Re(2):追記です ピッポ 05/10/24(月) 6:30
[1520]サブコンテンツ『「宜昌戦」における「きい」使用』 ゆう 05/10/19(水) 21:24
[1584]Re(1):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 とほほ 05/10/28(金) 11:52
[1588]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス戦(I) 「きい」は使用されたか」 とほほ 05/10/28(金) 18:58
[1602]Re(1):毒ガス弾は誰がすてたのか? ピッポ 05/11/2(水) 19:24

[1482]新コンテンツ 「毒ガス戦(I...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/10/17(月) 21:55 -

引用なし
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   とりあえず、「毒ガス戦」シリーズの(I)として、「「きい」は使用されたか」をアップしました。

http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/dokugas2.html

あわせて、「支那事変に於ける化学戦例証集」のうち、「きい」(イペリット、ルイサイト等、致死性毒ガス)使用の9例について、アップしました。

http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/reishoushu2.html


以下、「「あか」は「合法」か」「中国軍は毒ガスを使用したか」といったコンテンツを構想しています。また、サブコンテンツとして、「宣昌戦における「きい」使用」「毒ガスの種類 ― きい あか みどり」なんてものも考えております。さらに将来的には、まだ取り掛かっていない「遺棄毒ガス問題」「毒ガスの人体実験問題」あたりにまで発展できればいいのですが。

毒ガス問題、ネットで検索しても、現在の研究状況がはっきりとわかるものが少ない。ネットでしばしばびっくりするような「俗論」を見かける所以です。マイナーなテーマではありますが、本コンテンツは、「きい」使用に関する研究状況をコンパクトにまとめたもの、と自負しています。

ただ、右派の本格的な学術研究論文が、なかなか発見できないのが悩みです。先に紹介した永江太郎氏の論文など、最初は、これはなかなか、との印象を持ったのですが、じっくり読み返すと、どうも東中野先生のレベルに近いような気も・・・(^^;。どなたか、いいものをご存知でしたら教えてください。


余談ですが、「毒ガス」というと、「サリン」のイメージから、「吸うと気が遠くなり、悪くするとそのまま死んでしまう」というものを連想する方も多いと思います。

しかし、このイペリットガスは、「びらん性ガス」との別称の通り、そんな生易しいものではない。ちょっとでも触れると、皮膚にテニスボール大の水疱ができる。その中の液体が動くたびに激痛が走る・・・という、何ともおそろしい代物です。そのあたりは、サブコンテンツ「毒ガスの種類 − きい あか みどり」で触れる予定です。
22 hits

[1486]Re(1):新コンテンツ 「毒ガス...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/18(火) 1:00 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>とりあえず、「毒ガス戦」シリーズの(I)として、「「きい」は使用されたか」をアップしました。
>
>http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/dokugas2.html

こんなニュースを見つけました。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20051017/mng_____sya_____006.shtml

一部抜粋
第二次大戦中、日本国内で初めての毒ガス戦専門部隊として編成された「迫撃第一連隊」(群馬県沼田市)の初年兵教育や演習マニュアルに使われた冊子「参考綴(つづり)」が見つかり、同部隊が旧ソ連を相手にした毒ガス戦を想定した実戦訓練をしていたことが分かった。実際に毒ガスを使用し、負傷者が出たとみられる記述もあった。国内の化学戦部隊の実態はほとんど分かっていなかったが、今回の発見は秘められた歴史を解明する手がかりになりそうだ。 

 参考綴は、群馬県埋蔵文化財調査事業団の菊池実専門員(50)が二〇〇〇年、戦史史料を収集・保管している防衛庁防衛研究所の図書館(東京都目黒区)で見つけた。

 全部で約百五十ページ分あり、毒ガス戦を行う迫撃連隊であることを隠すための別名「東部第四十一部隊」と表紙に書かれていた。中には訓練用地図や演習方法などが詳細に記されている。

<略>

訓練結果を報告した個所では、毒ガスを実際に運んだことを示す記述があった。また、数十人の傷病者が出たことを示す記録もあり、沼田市にあった陸軍病院の日誌にあった「ただれ」などの症状との照合により、毒ガスのイペリットが使われた可能性が高いことも読み取れる。

<後略>

28 hits

[1489]Re(1):新コンテンツ 「毒ガス...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/18(火) 14:00 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>とりあえず、「毒ガス戦」シリーズの(I)として、「「きい」は使用されたか」をアップしました。
>http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/dokugas2.html

ゆうさんの記事

3 第三飛行集団司令部「北支に於ける航空弾薬消費調査表」
 
 若手の毒ガス研究者、松野誠也氏によって発見された資料です。

 余談ですが、松野氏は、高校生時代に早くも防衛庁防衛研究所図書館で新資料を発掘し、大学卒業直後(当時23歳)には『毒ガス戦関係資料集II』の編集に携わるなどして学会での地位を確立した、研究者としては大変早熟な方です。

文中の若手の毒ガス研究者、松野誠也氏に関連した記事が、神浦 元彰氏のサイトにありました。
New Files JUN  2003
http://www.kamiura.com/new6_2k3.html
 
神栖のヒ素汚染 旧海軍の毒ガス実験の資料発見 井戸から5キロ (毎日 6月25日 朝刊) [要約]茨城県神栖町で、地下水から有機ヒ素化合物(ジフェニルアルシン酸)がでた井戸から5キロの場所で、1939年7月に旧日本海軍が毒ガス弾発射実験をしたことを示す資料が見つかった。この資料は旧海軍の海軍技術研究所が39年12月に作成した「研究実験成績報告 特殊弾及化学兵器実験」という「極秘」資料である。この資料を発見したのは明治大大学院で日本現代史を研究する松野誠也氏で、防衛庁防衛研究所戦史室に保管されていたものを見つけた。実験では毒ガス弾9発を発射して、風向きによって動物の死亡率や傷害率をまとめたもの。ただし記載されているのは毒ガスは、イペリットとルイサイトとの2種類だけで、ジフェニルアルシン酸が含まれている「くしゃみガス」(嘔吐剤)の記述はない。しかし神栖町付近で化学弾の実験が行われたことは、この付近に化学弾が貯蔵されていた可能性を示す資料となる。

[コメント]海軍が毒ガス弾を使う理由は、敵の艦船の風上に向けて砲弾を打ち込み、毒ガスを風に流して敵艦の乗員に浴びせるためである。しかし窒息剤のルイサイトはガスマスクの活性炭で吸収(無毒化)出来る。そこで活性炭では吸収できない有機ヒ素化合物の「くしゃみガス」(嘔吐剤)を混ぜて使う。このガスを吸うと嘔吐や激しいくしゃみに襲われ、苦しくてガスマスクを外すことになる。そこで猛毒のルイサイトが効くことになるのだ。
 政府はまだ神栖のヒ素汚染は産廃(産業廃棄物)のためで、旧軍の毒ガスと断定できないと、いい加減な主張を行っているが、これは明らかなウソである。地下水からジフェニルアルシン酸がでた段階で、100パーセント、化学砲弾(爆弾)が原因と疑って調査を行うべきなのだ。すなわち、神栖町のヒ素被害者には、政府の責任で補償と治療を行い、原因の除去を行うことが必要である。
 そういえば、SARSが北京の陸軍病院から最初の患者がでたので、これは中国軍の生物兵器の可能性があると解説していた人が、神栖のヒ素汚染は産廃の可能性があると解説していた。ジフェニルアルシン酸がでているのに原因は産廃の可能性といった。どうやら旧軍の毒ガス研究者には、真面目な人とデタラメな人が混在しているようだ。


神栖市のサイトには、
http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-05.htm

この有機化合物は旧日本軍が製造した毒ガスの成分が分解したものとみられ,戦時中の神栖市に旧日本軍の施設が存在していたこと,混成部隊が駐屯していたことなどから,旧日本軍との関連が強いものと推測されています。

と書かれていますが、それが海軍の施設であったとまでは言及していません。なんで新聞記者はこれに食い下がらないのでしょうかね。『軍施設名』について。

それはともかくとして、
神栖事件における「産廃業者が捨てなおした物だから保証責任がない」という言い逃れと、旧満州における「武装解除後の管理はソ連⇒中国だから、日本には責任が無い」という言い逃れ(西村真吾ら)には、バックレ方の共通のパターンが感じられる。

WEBのなかでの珍説の中には
http://mltr.e-city.tv/faq08d04.html#cemical-weapon
 
 【質問】
 帝国陸軍が満州に遺棄した化学兵器だそうですが,200万発という数が出ております.さっきのTBSニュースでは70万発といっておりました.
 あまり使わない化学兵器をそんなに生産する余力が,日本にあったんでしょうかね?
 賠償金目的のように思えるのですが.

なんてのもありますが、案外、旧日本軍にとっては、化学兵器は特殊な野蛮兵器ではなくて、「通常かつ日常」兵器だったのではないでしょうか?
中国戦線での兵士の記録にはあんがいアッケラカンと書かれていたりして・・・・。
29 hits

[1490]Re(2)ジフェニルアルシン酸は...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/18(火) 14:21 -

引用なし
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   催涙性の「みどり」(塩化アセトフェノン)
嘔吐剤の「あか」 (ヂフェニル青化砒素)
糜爛性の「きい」 (イペリット,ルイサイト)

「日本軍の毒ガス弾なんて警視庁機動隊の催涙弾に毛の生えたものに過ぎない」という居直りも見かけますね。
41 hits

[1491]Re:毒ガス弾は「栄光の兵器」...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/18(火) 15:11 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>「日本軍の毒ガス弾なんて警視庁機動隊の催涙弾に毛の生えたものに過ぎない」という居直りも見かけますね。

大久野島の毒ガス工場は、輝ける「科学戦の星」だったのですね。
秘録 大久野島の記 服部 忠著 より
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/kaihou05/kaihou05F.html


(2)秩父宮様のご来島

 1ヶ月の準備期間を終えて、薫風に満ちた島内は面目一新、徹底した清潔整頓が完了していた。昭和8年(1933年)4月9日、今日はいよいよ秩父宮殿下をお迎えする日であった。われわれの受け持ったのは催涙筒の下部点火剤付着作業であった。

 催涙筒には上部、下部2ヶ所の点火剤が必要で、最初に下部、そして催涙剤填実後に上部を着けた。茶筒形の筒体が整然と作業台に並び、罐の内部にある点火剤室の先端に、黒色泥状の点火剤を角製スプーンに掬って1本宛丁寧に付ける作業であった。

 早朝から数十人の憲兵が物々しい警戒に当たっていた。遠雷のような騒音が西方阿波島方向に聞こえたかと見ると、頭を高く上げた砲弾形の快速艇が白波を蹴って近づいていた。宇品でご乗船、大久野島ご巡視の後、尾道へ向かわれるご日程だったが、予定通り大久野島ご到着は10時であった。

 当時の製造所は、大拡張に着手する一歩手前で開所当時の設備と大差はなかったが、作業軍紀の厳正と清潔整頓の徹底とは何よりのお土産であったと一同恐縮したのであった。

 望月忠海町長は、雌雄一対の鯛をお土産に献上した。尾道駅へ向け航行中の船中のことであった。

 「鯛の雌雄は、外観でいかにして見分けるか。」と、いう意味のご下問があった。

 町長は謹んで、

 「外観からの区別は大変むずかしいけれども、頭、眼、口などの骨格から凹凸が激しく体が丸みを持ったものをおすとし、骨格がなめらかで体が長みを持ったものをめすとする。」という意味のお答えを申し上げたと聞いた。

 秩父宮様のご来島があってから、およそ1年後には高松宮様をお迎えした。工場設備の骨幹となるルイサイト、独式イペリット、ヂ・フェニール青化砒素等の大工場が着々と整備せられ、これらの試運転が相次いで行われた時期で、われわれは充実した内容をお目にかける事ができた。

 直宮様お二方のご来島を契機に、皇族方を始め軍首脳部、その他一般にも一段と認識が深められ軍部内有名人の来島が続々行われた。
(後略)

29 hits

[1492]Re(1):Re(2)ジフェニルアルシ...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/18(火) 17:28 -

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   ▼ピッポさん:
>「日本軍の毒ガス弾なんて警視庁機動隊の催涙弾に毛の生えたものに過ぎない」という居直りも見かけますね。

【侵略(中国における日本戦犯の告白)】、中国帰還者連絡会・新読書社編
六、ア弾・阿賀 恵(砲兵・陸軍大尉)、より

<前略>

空色の弾体に、太く赤線のはいったア弾。それは特殊弾と呼ばれた毒ガス弾の秘匿名である。窒息性とクシャミ性の混合ガスの放射と同時に、弾体炸裂時、榴弾同様の殺傷力を持つという凶悪なガス弾であった。

<略>

まだ付近には、吐き出したいような、嫌な薬品の臭いが残っている。それは、ちょうど、昔私が久留米の連隊で、錬兵場の一角に建てられたガス室にはいったとき、防毒面のわきから指を突っ込んで、ガスを一息吸った、あの苦しさとあの臭いだ・・・・・・。頭がカッとなって割れるようにひびき、しめつけられるような胸の苦しさに、呼吸ができなくなり、とめどもなく流れ出る青洟に、吐き出したいような苦しさは、もうじっとしておれなかった。あのとき、同じ初年兵の一人が、あまりの苦しさに、ガス室を飛び出して、錬兵場のほうに気違いのように駆け出したが、三〇メートルもゆかないうちに、ぱったりと倒れて気絶してしまった・・・・・・。ちょうどあのときと同じ生ぐさい、嫌な臭いだ。

<略>

その体は黒紫に変色し、紫色の大きな斑点が、不気味に浮き出している。

<略>

あわてて戦士のそばによった彼は、紫色にむくれ、いまにも中から黒い血膿みの飛び出してきそうな体に手をかけると、上にひきあげようとした。

<略>

爆煙とガスに、紫色にはれあがった顔は、吐き出された汚物とドス黒い血に、べっとりと汚れている。しかし苦悶にゆがんだ顔に光る目は憎しみと怒りに燃え、なおも生命があるかのように一点を凝視して動かなかった。瞬間、サーと冷たいものが、背中を走った。私はそれを部下に見やぶられまいとして、
「フフフフ、オイ、これがガズでやられたやつだ。・・・・・・いいか、話の種だ、よく見とけ!」と吐き捨てるように言った。

<略>

まだ付近には、黒紫に変色し、無慚にはれあがった十数名の戦死の死体が、銃砲弾に倒れた戦士にまじって、あちこちの凹地にたおれていた。

<略>

私を見つけた大隊長は、「見ろ、すばらしい成果だ。」と、麓のほうを指さした。そこには、麓に血路をみいださんとした七、八〇名の戦士が、重なるようにして倒れていた。あれだけ石垣に拠って頑強に抗戦しながら、なんの防毒設備も持たないがゆえに、どうすることもできなかったのである。

<略>

それは、十六年前、一九四〇年の、ちょうどいまごろ、麦の青く伸びた五月上旬のことであった。そのころ私の所属した独立混成十旅団の各部隊は、砲兵はア弾を、歩兵はアカ筒を、分隊にいたるまで、例外なく携行した。ガス兵器の関係書類は軍事機密として部隊の書類箱の底深く収められてはいても、現物のガス兵器は、部隊の蟠踞する所、どのような小さな部隊でも、防毒面とともに携行された。それは防毒装備を持たなかった当時の八路軍に対しては、掛替えのない攻撃武器だったのである。だが、これはけっして私の旅団一つのことではなかった。それから三ヵ月後の八月上旬、当時ガス兵器の効力を研究したり、ガス攻撃についての教育資料を編纂するために、日本の陸軍教育総監部は、旅団司令部を通じて「戦闘中ガス兵器の効力調査に関する資料」の提出を指令してきたのである。

そのとき旅団砲兵隊長多勢清作中佐から報告資料の作製を命ぜられた私は、当時の気象や、ア弾の効力から、使用上の経験教訓の一連の報告書をまとめると、最後に「とくに、小部隊による討伐時、囲壁あるいは家屋などの防護物の拠る敵を攻撃するさいもっとも有効なり。」と結び、あの悲惨な紅山山頂の殺戮を、中国全土におし広めんとしたのでした。

<後略>
28 hits

[1506]Re(2):PS:茨城新聞より
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/19(水) 13:18 -

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   ▼ピッポさん:
>神栖市のサイトには、
>http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-05.htm
>

>この有機化合物は旧日本軍が製造した毒ガスの成分が分解したものとみられ,戦時中の神栖市に旧日本軍の施設が存在していたこと,混成部隊が駐屯していたことなどから,旧日本軍との関連が強いものと推測されています。
>

>と書かれていますが、それが海軍の施設であったとまでは言及していません。なんで新聞記者はこれに食い下がらないのでしょうかね。『軍施設名』について。

これは私の食言でした。茨城新聞が食い下がっていました。
しかし、結果は隔靴掻痒だったようです。
http://www.ibaraki-np.co.jp/serialization/04/menu.htm


2003/09/07(日) 

-03- 本土防衛拠点 町全域に陸軍混成部隊

 「町内には毒ガス兵器なんてなかったと思う。終戦直前の日本軍にそれだけの余力はなかったはず。銃器や砲弾類が不足し、まさに、ないない尽くしの戦争だった」
 神栖町出身の男性(76)は、第二次大戦終戦時の町内を振り返る。終戦直後の一九四五年九月初め、海軍兵士としての任務を終えて町内に戻った。自宅には陸軍部隊の中隊長はじめ、五人ほどの兵士が寝泊まりしていた。
 男性は「町内の部隊は、本土決戦に備えて再召集された二十代後半から三十代の補充兵が大半のようだった。毒ガス兵器を扱う専門部隊は、町内には配置されていなかったのではないか」と話す。
 ■「兵隊のまち」
 陸軍の混成部隊は終戦直前の数カ月間、町内全域(当時の息栖、軽野両村内)に分散して駐留し、米軍の上陸を水際で防ぐ本土防衛の拠点の一つを築いていた。
 町域に配置されたのは、陸軍の独立混成第一一五旅団。司令部はじめ六大隊と砲兵、工兵、通信の各隊で編成された。本土決戦に備えて部隊を新設するために行われた「根こそぎ動員」で、四五年四月に各地から集められた兵士たちだった。
 兵士の多くは民家に分宿し、町内は終戦まで「兵隊のまち」だった。当時を知る住民の多くは、「銃を持っている兵隊はほとんどいなかった」といい、決戦を控えた緊迫した雰囲気を感じた住民は少なかった。
 それだけに、当時を知る町民の多くが、旧軍の毒ガス兵器(物質)が町内に存在したとされることに戸惑っている。
 ■貴重な資料
 陸軍部隊が町内に駐留していたことを示す資料は少ない。部隊編成や配置は、「本土決戦準備〜関東の防衛」(防衛庁防衛研修所戦史室著、七一年十一月発行)に掲載された町域図などで知ることができる。
 部隊は、鹿島灘からの米軍部隊の上陸に備え、旅団司令部はじめ砲身を海岸に向けた砲兵陣地を神之池周辺三カ所に築き、さらに六大隊を町内の各地区に分散して配置していた。毒ガスを扱う部隊が含まれていたかどうかは分からない。
 また、町域図は、町の北西部に「陸軍飛行場」があったと記載している。これまで、同大戦中、町内に陸軍飛行場の存在は伝えられていなかった。同飛行場の位置には内閣中央航空研究所鹿島実験場があったとされる。
 同戦史室は「陸軍飛行場の記載は間違いで、改訂版を出す際に訂正したい」とし、伝えられる通り同鹿島実験場の敷地だったと説明する。
 神栖町史の著者の一人、茨城大講師の菅谷務さん(53)は、「大戦当時の貴重な資料について、それらが正確かどうかを判断できる人が減ってしまった。真実を掘り起こす作業は非常に難しくなっている」と指摘する。
http://www.ibaraki-np.co.jp/serialization/04/page03.htm

30 hits

[1520]サブコンテンツ『「宜昌戦」に...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/10/19(水) 21:24 -

引用なし
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   「きい」(イペリット、ルイサイト)の大規模な使用事例であると見られている「宜昌戦」について、資料をまとめてみました。「例証集」の記録が、中国側の訴え、外国人ジャーナリストの記録とも一致していることがわかります。

http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/gishou.html


なお、いちいちコンテンツには書きませんでしたが、「宜昌戦」に関して、先に紹介した永江太郎氏は、こんな記述を行っています。(『日本軍の化学兵器の研究開発と支那事変初期の運用に関する軍事的考察』=金沢工業大学『日本学研究』2004年6月)

>南京の反日教育基地である「侵華日軍南京大屠殺同胞記念館」の中には、新たに「化学戦コーナー」が設けられた。・・・その中にある戦争当時の最も具体的な記録は、一九四一年十一月の宜昌作戦時における中国軍の毒ガス被害に関する報告である。その報告によれば、十一月二十日から十二月二十二日までの約三週間に、日本軍は十二回毒ガスを使用したが、その毒ガスは何れも催涙性のガスで、しかもガスによる被害は、全期間を通じて死傷者二名、即ち第四回目の戦闘で負傷者一命、第十回目の戦闘で死者一名となっている。

>この記録は、日本軍の化学戦が、突撃を容易にするために実施されたものであって、使用したガスは自隊の将兵に被害を出さないためにも、非致死性の催涙ガスであったことを、中国軍が実証している点で貴重なものである。


「ある特定の資料に存在しないからこの事実はなかった」。この論理、どこかで見覚えがないでしょうか? そう、「蒋介石が知らなかったから南京虐殺はなかった」という、例の論理を彷彿とさせます。ここでも、あの顧維鈞が、「宜昌戦での毒ガス使用」を世界に訴えていることが、何とも皮肉です。

蛇足ですが、「きい」が使用されたとされるのは、「十一月」ではなく、「十月」です。「十一月」の記録に「きい」使用が見られなかったからと言って、「きい」が使われなかったことの証拠にはなりません。「記念館」は、たまたま「十月」の資料を集めただけの話でしょう。この点でも、永井氏の批判、的外れです。

この方の文章を読んでいると、やっぱり、ついつい東中野氏を思い出してしまいます。


余談ですが、私はこれまで、「宣昌」(せんしょう)とばかり思っておりました。よく見ると、「宜昌」(ぎしょう)なのですね。最初の投稿でも、「宣昌」(せんしょう)と書いています。ああ、恥ずかしい。・・・でも不思議なことに、ネットで「宣昌」(せんしょう)で検索すると、結構ヒットします(^^)
23 hits

[1532]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス...
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 miyazaki E-MAIL  - 05/10/20(木) 1:18 -

引用なし
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   はじめまして。miyazakiといいます。
ROM専門でしたが、気になった事がありましたので、少し書かせてください。

>神栖市のサイトには、
>http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-05.htm
>この有機化合物は旧日本軍が製造した毒ガスの成分が分解したものとみられ,戦時中の神栖市に旧日本軍の施設が存在していたこと,混成部隊が駐屯していたことなどから,旧日本軍との関連が強いものと推測されています。

最近の神栖市のサイトには、
http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-07.htm
●神栖市の汚染メカニズム解明調査中間報告書の主なポイントについて
・コンクリート様の塊内のジフェニルアルシン酸は毒ガスの分解したものではなく,原料として製造されたものがコンクリートに混ぜられた可能性が高い。
・投入された時期は平成5年6月28日以降のいけすの埋め戻しに近い時期である可能性が高い。また,投入者は特定できなかった。
・ジフェニルアルシン酸が大量に製造された事例は旧軍にかかるもの以外に情報はなく,コンクリート様の塊内のジフェニルアルシン酸は旧軍に関連するものである可能性が高い。
・別の汚染源が存在する可能性は完全に否定できないが,コンクリート様の塊が今回の汚染源で,塊から漏出したジフェニルアルシン酸が地下水流によりA井戸を汚染させ,さらに西方向に移動してB地区の汚染も引き起こされた可能性が高い。
とあります。
下のコメントにあるような、ジフェニルアルシン酸が化学砲弾(爆弾)が原因というのは、間違いでしょう。

> 政府はまだ神栖のヒ素汚染は産廃(産業廃棄物)のためで、旧軍の毒ガスと断定できないと、いい加減な主張を行っているが、これは明らかなウソである。地下水からジフェニルアルシン酸がでた段階で、100パーセント、化学砲弾(爆弾)が原因と疑って調査を行うべきなのだ。すなわち、神栖町のヒ素被害者には、政府の責任で補償と治療を行い、原因の除去を行うことが必要である。

環境省は、初期にコメントに沿った調査を実施して、無駄に金と時間とを費やしたことになります。
環境省調査を厳しく評価しているページ:中西準子のホームページ(雑感 第245回)
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak241_245.html

>それはともかくとして、
>神栖事件における「産廃業者が捨てなおした物だから保証責任がない」という言い逃れと、旧満州における「武装解除後の管理はソ連⇒中国だから、日本には責任が無い」という言い逃れ(西村真吾ら)には、バックレ方の共通のパターンが感じられる。
>
神栖に関しては、政府の責任は詳細な調査が必要な段階と思います。
35 hits

[1536]Re(3):新コンテンツ 「毒ガス...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/10/20(木) 12:12 -

引用なし
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   ▼miyazakiさん:
>最近の神栖市のサイトには、
>http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-07.htm
>●神栖市の汚染メカニズム解明調査中間報告書の主なポイントについて
>・コンクリート様の塊内のジフェニルアルシン酸は毒ガスの分解したものではなく,原料として製造されたものがコンクリートに混ぜられた可能性が高い。
>・投入された時期は平成5年6月28日以降のいけすの埋め戻しに近い時期である可能性が高い。また,投入者は特定できなかった。
>・ジフェニルアルシン酸が大量に製造された事例は旧軍にかかるもの以外に情報はなく,コンクリート様の塊内のジフェニルアルシン酸は旧軍に関連するものである可能性が高い。
>・別の汚染源が存在する可能性は完全に否定できないが,コンクリート様の塊が今回の汚染源で,塊から漏出したジフェニルアルシン酸が地下水流によりA井戸を汚染させ,さらに西方向に移動してB地区の汚染も引き起こされた可能性が高い。
>とあります。

miyazakiさん:
最近の神栖市の情報有難う御座いました。(平成17年6月29日)
これは環境庁の所見で、コンクリート状の埋め戻し材、が砒素は発生源であることまで煮詰まったのですね。

また中西準子氏の報告(所感?感想?)
の趣旨も同じで、埋め戻し管理の責任は茨城県にあるのだから、
茨城県までが「被害者然」とするのは可笑しい、という趣旨かと思います。

そうして、miyazakiさんの結論、
>神栖に関しては、政府の責任は詳細な調査が必要な段階と思います。
はごもっともです。

しかしながら、
>下のコメントにあるような、ジフェニルアルシン酸が化学砲弾(爆弾)が原因というのは、間違いでしょう。

は言い過ぎではないでしょうか。

砲弾がその地下に埋まっている可能性が少なくなったということであって、神栖市のページにあるように、毒ガスあか弾に装填する化学物質を、コンクリートに混ぜて投棄した(低レベル放射性廃棄物と同様に)可能性は充分かんがえられます。

>・コンクリート様の塊内のジフェニルアルシン酸は毒ガスの分解したものではなく,原料として製造されたものがコンクリートに混ぜられた可能性が高い。
(この文章自体は奇妙な文章ですね。お役所の科学にはこうした国語的な紛れが潜んでいることが多いですね。毒ガス弾の原料が毒ガス化合物で、ジフェニルアルシン酸はその毒ガス化合物が分解したものですから)

だとすると、これは可能性ですが、
軍の毒ガス製造工場または弾丸充填工場で、このような不法処分をし、秘密時事項として眠っていたことになります。だとすれば、不発ガス弾が眠っていたよりも大きな問題なのかもしれません。

私は新しい報告に基づいても、埋め戻し工事が第2原因であって、化学砲弾(爆弾)製造が第1原因だ、ということは揺るがないと思います。

ジフェニルアルシン酸が何かほかの民生用化学物質の分解したものであるならば、以上は私の思い込みということになりますが。

◎いずれにしても、住民の被害と砒素中毒患者さんの治療、補償は調査をまってからというわけにはいかないのです。「責任割合が確定するまで慎重に」は許されないと思います。(国が立替補償して責任割合が確定したら県に請求したらどうですか)
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[1539]Re(4):新コンテンツ 「毒ガス...
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 タラリ E-MAIL  - 05/10/20(木) 17:43 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:

>>・コンクリート様の塊内のジフェニルアルシン酸は毒ガスの分解したものではなく,原料として製造されたものがコンクリートに混ぜられた可能性が高い。
>(この文章自体は奇妙な文章ですね。お役所の科学にはこうした国語的な紛れが潜んでいることが多いですね。毒ガス弾の原料が毒ガス化合物で、ジフェニルアルシン酸はその毒ガス化合物が分解したものですから)

http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-08.htm
>ジフェニルアルシン酸は旧日本軍が製造した嘔吐剤(くしゃみ剤)であるジフェニルシアノアルシンまたは,ジフェニルクロロアルシンの分解生成物もしくは,その原材料として製造されていたものとみられています。

ということですから、ジフェニルアルシン酸は毒ガスの原料かつ分解物ということでよろしいのではないでしょうか。

http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/kamisu_info/21/03.pdf
茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査中間報告書 ...

>あか剤(ジフェニルシアノアルシン、ジフェニルクロロアルシン)が投入されていたとすると、ジフェニルアルシン酸への分解経路で発生するビスオキシドが相当量検出されるとも考えられるが、今回はほとんど検出されていない。このため、ジフェニルアルシン酸そのものが投入された可能性が極めて高い。

>砲弾がその地下に埋まっている可能性が少なくなったということであって、神栖市のページにあるように、毒ガスあか弾に装填する化学物質を、コンクリートに混ぜて投棄した(低レベル放射性廃棄物と同様に)可能性は充分かんがえられます。

毒ガスあか弾に装填する化学物質、ではなく、その前駆物質である、ジフェニルアルシン酸そのものをコンクリートに混ぜて不法処理をしたということになります。

>だとすると、これは可能性ですが、
>軍の毒ガス製造工場または弾丸充填工場で、このような不法処分をし、秘密時事項として眠っていたことになります。だとすれば、不発ガス弾が眠っていたよりも大きな問題なのかもしれません。

これはその通りです。

>私は新しい報告に基づいても、埋め戻し工事が第2原因であって、化学砲弾(爆弾)製造が第1原因だ、ということは揺るがないと思います。
>
>ジフェニルアルシン酸が何かほかの民生用化学物質の分解したものであるならば、以上は私の思い込みということになりますが。

ジフェニルアルシン酸の民生用途としては殺虫剤があるのみでしょう。調査結果によるシミュレーションからはコンクリートにもとから混入していたジフェニルアルシン酸の総量は180kgになると言います。普通の殺虫剤製造業者や、原材料提供業者がこれだけの大量を密かに捨てるとは考えられません。やはり、毒ガス製造過程に関わるものでしょう。

>◎いずれにしても、住民の被害と砒素中毒患者さんの治療、補償は調査をまってからというわけにはいかないのです。「責任割合が確定するまで慎重に」は許されないと思います。(国が立替補償して責任割合が確定したら県に請求したらどうですか)

おおもとの責任は国にあります。

※「ホロヨイ憂国至情の板」においてウヨクにresしたはずみで、みなさんの議論を参照させていただき、そのついでに書き込みました。
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[1541]Re(5):新コンテンツ 「毒ガス...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/20(木) 21:53 -

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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]
  

 
▼タラリさん:


>http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/01_info/0102-08.htm
>>ジフェニルアルシン酸は旧日本軍が製造した嘔吐剤(くしゃみ剤)であるジフェニルシアノアルシンまたは,ジフェニルクロロアルシンの分解生成物もしくは,その原材料として製造されていたものとみられています。
>
>ということですから、ジフェニルアルシン酸は毒ガスの原料かつ分解物ということでよろしいのではないでしょうか。


タラリさん
検証有難う御座いました。
上記添付した化学式は、
http://www.kanto.co.jp/times/t_pdf/CT_194_3.pdf
よりです。
44 hits

[1543]Re(6):新コンテンツ 「毒ガス...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/20(木) 22:10 -

引用なし
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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]

【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]
  


ついでに、きい剤の2種です


50 hits

[1547]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス...
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 トロープ  - 05/10/21(金) 3:30 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>http://mltr.e-city.tv/faq08d04.html#cemical-weapon

 ここを見る限り、一部の回答者は「旧日本軍の兵器はすべて連合国側が接収したのだから、いわゆる遺棄毒ガス問題に関して日本に責任はない」とでも言いたいようですね。

 実は私も詳しくないのですが、旧日本軍は敗戦時、毒ガス弾をはじめとする化学戦の資料などを素直に連合国側に引き渡したのでしょうか。どう考えても後ろ暗い兵器ですし、責任の追及を避けるため遺棄したのだと思っていたんですけど。
 日本軍の毒ガスを接収して捨てた、という記録が外国側にない限り、消去法で旧日本軍が接収前に遺棄したと考えるのが自然です(あるいは毒ガス弾を引き渡した、という日本側の記録でもいいでしょうけど)。
 そうした根拠を示されないまま偏見のにじむ文章を読まされても、説得力を感じないなあという感じです。

 しかし、こうして新しい話題を提供されると、興味があちこちに分散して困ってしまいます。南京事件に限っても読まないといけない本がまだまだたくさんあるのに……。
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[1552]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス...
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 うさぎ E-MAIL  - 05/10/22(土) 0:03 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
この件について書こう、と思って色々あって過ぎているうち、miyazakiさんのレスがありました。そこで紹介されている中西準子氏のHPでの解説によると、毒ガス由来なら同時に検出されれるはずの化合物が検出されていないようなので、何らかの産業廃棄物によるもの、と考えた方が良い、とのことでした。

[管理人一回修正:改行編集]
45 hits

[1554]Re(3):新コンテンツ 「毒ガス...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/22(土) 0:16 -

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   ▼うさぎさん:
>この件について書こう、と思って色々あって過ぎているうち、miyazakiさんのレスがありました。そこで紹介されている中西準子氏のHPでの解説によると、毒ガス由来なら同時に検出されれるはずの化合物が検出されていないようなので、何らかの産業廃棄物によるもの、と考えた方が良い、とのことでした。

いや、これはおかしくないですか?私は化学が嫌いで亀の甲羅を見ただけで頭が痛くなるのでこのスレッドは流し読みしているのですが、タラリさんによると、
毒ガスあか弾に装填する化学物質、ではなく、その前駆物質である、ジフェニルアルシン酸そのものをコンクリートに混ぜて不法処理をしたということになります。
と言う事なので【毒ガス由来なら同時に検出されれるはずの化合物が検出されていない】から毒ガスとは無関係、なおさら他の産業廃棄物である、と言うのはちょっと結論としては間違いではないでしょうか?

しかも、他の産業廃棄物として考えられるのは殺虫剤くらいのものらしいです
31 hits

[1555]Re(3):それは、なんという物質...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/22(土) 0:42 -

引用なし
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   ▼うさぎさん:
>▼ピッポさん:
>この件について書こう、と思って色々あって過ぎているうち、miyazakiさんのレスがありました。そこで紹介されている中西準子氏のHPでの解説によると、毒ガス由来なら同時に検出されれるはずの化合物が検出されていないようなので、何らかの産業廃棄物によるもの、と考えた方が良い、とのことでした。

うさぎさん:
どうも。

それは、なんという物質ですか?
miyazakiさんが紹介した中西準子氏のページは目を通しましたが、
他のページでしょうか?気がつきませんでした。
29 hits

[1572]補足します。
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 miyazaki E-MAIL  - 05/10/24(月) 0:44 -

引用なし
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   えっと、補足します。

確からしい情報の紹介から。
1)タラリさんの紹介下さった、
  http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/kamisu_info/21/03.pdf
 これは、概要版ですね。
2)大元は、
  茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査 中間報告書
  http://www.env.go.jp/chemi/report/h17-07/index.html
 こちらですが、読むのは大変です(私も全部は読んでません)ので、その中の
3)2.5 ジフェニルアルシン酸等の製造・保有情報及び戦後における発見・処理に関する情報収集結果
  http://www.env.go.jp/chemi/report/h17-07/02_5.pdf
 を読んでいただければ、大体のことは分かると思います。

で、結論は、
神栖で検出されたジフェニルアルシン酸は、
1)>毒ガス由来なら同時に検出されれるはずの化合物が検出されていない
 ということで、砲弾由来とは考えられない。
2)毒ガスの原料と製造されたものが、戦後に適切に処置されずにどこかに
  残っていて、そのまま放棄された、可能性が最も高い。
ということになるかと思います。

上記結論の解説
1)同時に検出されれるはずの化合物
 ・環境省の報告書によると、ジフェニルアルシン酸への分解経路で発生するビスオキシド。
 ・中西さんのHPによると、くしゃみ爆弾の主成分に含まれるシアノ(CN)やクロロ(Cl)。
2)上記結論以外の可能性
 2−1)ジフェニルアルシン酸が民間企業に払い下げられた後、放棄された。
     ただし、可能性が有るのレベルで、裏付ける確かな情報は有りません。
    (読売新聞の記事によると、ジフェニルアルシン酸が払い下げられた
     情報があるようですが、払い下げられた可能性を示唆するレベルで、
     払い下げられたと断定するのは読売新聞記者の誤解と思われます。) 
 2−2)誰かが、闇で製造し、放棄した。これは、中西さんの推理の段階で、
     裏付ける情報は見つかりません。
 2−3)その他:なにかあるかな?   

#解説の補足
中西さんは、土壌のダイオキシン汚染に関して、農薬の製造状況や散布状況に
関して調査された方なので、闇の農薬製造に関しても何らかの情報を
お持ちかもしれません。
ただ、今回の推理(誰かが、闇で製造)に関しては、確かな裏づけがでるまでは、
考慮の外においておけばよいでしょう。
37 hits

[1573]Re(1):補足します。
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/24(月) 6:00 -

引用なし
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   ▼miyazakiさん:
>確からしい情報の紹介から。
>1)タラリさんの紹介下さった、
>  http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/kamisu_info/21/03.pdf
> これは、概要版ですね。
>2)大元は、
>  茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査 中間報告書
>  http://www.env.go.jp/chemi/report/h17-07/index.html
> こちらですが、読むのは大変です(私も全部は読んでません)ので、その中の
>3)2.5 ジフェニルアルシン酸等の製造・保有情報及び戦後における発見・処理に関する情報収集結果
>  http://www.env.go.jp/chemi/report/h17-07/02_5.pdf
> を読んでいただければ、大体のことは分かると思います。

miyazakiさん,
補足ありがとうございます。

教えていただいた資料をゆっくり開いていきたいとおもいます、
ただ、下記のことは、miyazakiさん,による結論なのですか?
中西さんによる結論なのですか?
中西さんによる結論なら、どこに書いてあるもですか?

教えてくださるとありがたいです。

>で、結論は、
>神栖で検出されたジフェニルアルシン酸は、
>1)>毒ガス由来なら同時に検出されれるはずの化合物が検出されていない
> ということで、砲弾由来とは考えられない。
>2)毒ガスの原料と製造されたものが、戦後に適切に処置されずにどこかに
>  残っていて、そのまま放棄された、可能性が最も高い。
>ということになるかと思います。


>上記結論の解説
>1)同時に検出されれるはずの化合物
> ・環境省の報告書によると、ジフェニルアルシン酸への分解経路で発生するビスオキシド。
> ・中西さんのHPによると、くしゃみ爆弾の主成分に含まれるシアノ(CN)やクロロ(Cl)。
>2)上記結論以外の可能性
> 2−1)ジフェニルアルシン酸が民間企業に払い下げられた後、放棄された。
>     ただし、可能性が有るのレベルで、裏付ける確かな情報は有りません。
>    (読売新聞の記事によると、ジフェニルアルシン酸が払い下げられた
>     情報があるようですが、払い下げられた可能性を示唆するレベルで、
>     払い下げられたと断定するのは読売新聞記者の誤解と思われます。) 
> 2−2)誰かが、闇で製造し、放棄した。これは、中西さんの推理の段階で、
>     裏付ける情報は見つかりません。
> 2−3)その他:なにかあるかな?   
>
>#解説の補足
>中西さんは、土壌のダイオキシン汚染に関して、農薬の製造状況や散布状況に
>関して調査された方なので、闇の農薬製造に関しても何らかの情報を
>お持ちかもしれません。
>ただ、今回の推理(誰かが、闇で製造)に関しては、確かな裏づけがでるまでは、
>考慮の外においておけばよいでしょう。


なお、頂いた資料3)の冒頭部、毒ガス合成過程を見ますと
ジフェニルアルシン酸はあか剤(毒ガス)化合物の分解生成物で有ると同時に、製造上の前段階中間生成物でもあるようです。

つまり、

矢印は左から右に進むのが「分解」で、右から左に進むのが「毒ガス合成」ということです。

図の一番左のあか剤が投棄されていたなら、真中の物質も少しは見つかるはずだ、という推論はわかりますか、それも平衡関係によると思います。

仮に、検出されるものが100%一番右のジフェニルアルシン酸だったとしても、それは「毒ガスに無関係」ではなく「毒ガス一歩手前」が捨てられたということになります。
「毒ガス」と「毒ガス原料」の違いでしかありません。

ですから、私は「中西さんという専門家が毒ガス無関係」を示唆したという投稿に、敏感に反応したのです。『中西さんの意見』を直に読んで、常識を替えなくてはなりませんから。

(ビスオキシドという中間物質の問題と、民生用用途の問題とは、問題が違います)

以外にもごく最近、秘密裏に毒ガス研究をした研究所があって、海洋投棄すべきコンクリ固化物を間違ってか業者が費用をくすねるためか、埋め立ててしまった、なんていう可能性もあるのかな。

=======================================
「毒ガス直前原料」がなぜ「コンクリートに固定されて」捨てられたのでしょうかね。
コンクリの分析で、固化した年代や砂利採取地域などはわからないのでしょうか?

いずれにしても、教えていただいた資料をジックリ読ませていただきます。
48 hits

[1575]Re(2):追記です
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/24(月) 6:30 -

引用なし
パスワード
   もしかすると、中西準子さんが言ってることはこういうことですか?

===
毒ガス弾にせよ毒ガス物質にせよ毒ガス原料にせよ、
それらをどんな連中が捨てたかで、探しかたも変わってくるんじゃないですか?

終戦時のドサクサに、にわかじたての部隊、兵隊さんががあわてて、毒ガス弾を埋めた隠した、のと、

毒ガス物質の専門家が計画して不法投棄した、のとでは、

そうとう探し方に違いがあるんじゃありませんか、と。

そうして、
前者とばかり前提にしてボーリング調査で何億というお金を使って、無駄つかいだと。
私的告発!
====

そういう中西さんの言葉をきいて早とちりした、
大東亜戦争ファンのお兄さんが、
「毒ガスとは無関係かも」と早とちりして喜んだ、と。

大東亜戦争ファンは、毒ガスファンよりもマシかな??
いやいまは、投棄者を見つける人がマシです!!
43 hits

[1584]Re(1):新コンテンツ 「毒ガス...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/28(金) 11:52 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>とりあえず、「毒ガス戦」シリーズの(I)として、「「きい」は使用されたか」をアップしました。
>http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/dokugas2.html

東京地裁民事35部(裁判長片山良広,裁判官松田典浩,裁判官北村ゆり)
平成8年(ワ)第24230号 損害賠償請求事件
判決要旨
原告 孫景霞ほか12名
被告 国

主文
http://www.geocities.jp/dokugas2000/saibannojoukyou.htm
より。
1 松花江紅旗09号事件 (毒ガス)
  1974年10月,黒竜江省佳木斯(チヤムス)市内を流れる松花江で,吸引式浚渫船紅旗09号が浚渫作業中に,吸泥ポンプから直径10センチ,長さ50センチの砲弾を吸い込んだ。砲弾からは黒い液体が流れ出していた。
乗船していた肖慶武,原告劉振起,原告李臣は,ポンプから砲弾を取り出す際に,この液体が気化したガスを吸い込み,また,液体が体に付いた。
 黒い液体は,びらん性ガスであるイペリット(マスタードガス)とルイサイトの混合剤であった。イペリットとルイサイトの中毒症により,肖慶武は,結膜炎,皮膚のびらん・壊死,呼吸困難などで入退院を繰り返して,1991年に死亡した(原告孫景霞は,肖慶武の妻である)。原告劉振起,原告李臣は, 皮膚のぴらん,筋肉の萎縮,呼吸困#などで入退院を繰り返し,現在も目や皮膚の症状,全身の機能障害などの進行性の傷害に苦しんでいる。

2 牡丹江市光華街事件(毒ガス)
 1982年7月,黒竜江省牡丹江市の光華街で,下水道の敷設工事中に,深さ2.5メートルに掘った地中から直径50センチ,高さ85センチ,重さ100キロのドラム缶が発見された。
 作業員がドラム缶の栓をつるはしでたたいて開けると,缶の中から黒い液体が勢いよく噴き出し,近くにいた作業員の原告邪世俊,原告仲江の顔や体にかかった。原告司明貴は滑って尻餅をつき,液体の混じった混が体に付いた。
告孫文斗は排水作業の時に,液体の混じった水に両足を漬けてしまった。
 黒い液体はイペリットであった。イペリット中毒症により,原告らは,結膜炎,皮膚のびらんなどで入院して治療を受けたが,現在も目や皮膚

22 hits

[1588]Re(2):新コンテンツ 「毒ガス...
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 とほほ E-MAIL  - 05/10/28(金) 18:58 -

引用なし
パスワード
   ▼とほほ:
>主文
>http://www.geocities.jp/dokugas2000/saibannojoukyou.htm
>より。

と書きましたが(^^;
引用部は「主文」にはあたらないのではないのか?とのご指摘を承りました。私も良くわからないので

http://www.geocities.jp/dokugas2000/saibannojoukyou.htm
より」

に変更します(^^;(^^;
41 hits

[1602]Re(1):毒ガス弾は誰がすてたの...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/2(水) 19:24 -

引用なし
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   反x反日のポータルサイトではないかと思われるものに、
「アジアの真実」というブログがあります。

ここを見ると反x反日、つまり、反中国反韓国をアイデンティティとする、「受動的愛国ウヨク」の皆さんの情報キャンペーンの様子が、日々刻々とよくわかります。

いろんな記事の引用の仕方も実務的にシッカリしている(情報プロ的な匂いすらする)ので、ウヨクの少年達もここから2次的にネタを仕込んでいるようです。Googleには追随ブログ、コピペブログがいっぱい網に掛かります。

さて、そこでは、「中国遺棄化学兵器処理事業」を日中の紛争ネタにした、2005年10月31日
産経記事を取り上げています。

すなわち
1)毒ガス弾をネタに日本は中国に骨の瑞までしゃぶられる
2)出てきた毒ガス弾はもともと中国やソ連のものかもしれない
3)たとえ日本のものでも武装解除に応じたのだから管轄権は、ソ連⇒国民党政府⇒共産党政府に移っている
4)だから、遺棄したのが日本軍とはいえない
というものです。

問題は、
満州の関東軍は毒ガスを「毒ガス」と申告して武装解除に応じたかどうかですが、
産経記事は

4)隠したりしないで武器を供出したはず。日本軍とはそういう端正な軍隊。
5)その証拠に台湾では毒ガス弾を含んだ武器リストを国民党に提出して、武装解除に応じている。満州でもどこでもそうしたと思うのが常識的だ。
6)文書が見つからないのは、ソ連や共産党政府のせい。

などと仄めかしていますが、その根拠は示していません。

そこでネットを探してみましたら、
ネット上にあるのは、
西村真悟民主党代議士の言説、これが唯一「根拠らしきもの」として見つかりました。

「西村 毒ガス」で検索すれば、すぐに見つかります。

さてさて、
こんな根拠にもならない根拠で、日中対立を煽り立ててよいものなのでしょうか?
それとも、もっとマシな根拠があるのでしょうか?
26 hits

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