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[1576]神栖町における汚染メカニズム ピッポ 05/10/26(水) 4:42
[1577]Re(1):神栖町における汚染メカニズム ピッポ 05/10/26(水) 4:53
[1578]「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ゆう 05/10/26(水) 21:03
[1579]Re(1):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ピッポ 05/10/26(水) 22:55
[1580]Re(2):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より 熊猫 05/10/26(水) 23:07
[1583]Re(3):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ピッポ 05/10/27(木) 21:10
[1585]Re(4):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ja2047 05/10/28(金) 12:57
[1586]Re(5):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ピッポ 05/10/28(金) 17:45
[1601]一人相撲でした。ja2047さんにお詫び。 ピッポ 05/11/2(水) 12:23
[1591]Re(4):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より miyazaki 05/10/29(土) 0:05
[1587]Re(1):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ピッポ 05/10/28(金) 18:04
[1589]Re(2):「毒ガス」の捨て方―『告白的「航空化学戦」始末記』より ピッポ 05/10/28(金) 18:58 [添付]
[1590]Re(3):本では、奈良県を明示しているのでしょうか? ピッポ 05/10/28(金) 22:22
[1592]Re(4):本では、奈良県を明示しているのでしょうか? ピッポ 05/10/29(土) 13:26
[1594]Re(5):本では、奈良県を明示しているのでしょうか? ゆう 05/10/29(土) 16:16
[1595]Re(6):本では、奈良県を明示しているのでしょうか? ピッポ 05/10/29(土) 17:20
[1596]Re(7):ノーマンメーラーと、銚子と、イペリットと ピッポ 05/10/29(土) 19:06
[1604]八尾? 奈良県? ゆう 05/11/3(木) 8:17
[1605]Re(1):八尾? 奈良県? ピッポ 05/11/3(木) 14:54 [添付][添付]

[1576]神栖町における汚染メカニズム
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/26(水) 4:42 -

引用なし
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   ゆうさんのスレッドで議論があった
茨城県神栖町における「あか剤」原料物質による砒素汚染ですが、
別のスレッドとしました。

miyazakiさんに教えていただいた、環境省の調査報告ファイルを読み直しました。
これまで重いPDFファイルなので読み飛ばし、添付してある画像も無視していました。

まずは、
「茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査中間報告書<概要版>」
を、画像と一体化してHTML化しました。

その結果
1、掘削工事の大規模なこと
2、発見されたコンクリート様物質の大きさに驚き
3、その中に埋め込まれた汚染物質(推定)のあまりにも大量なこと
4、埋め込まれたのは平成5年だということが殆ど明確に。

ということが、私の頭の中でも明瞭になりました。
いままで文章で読んでも少しも実感とならなかったことです。

いけすとして利用していたものを埋め戻す際に、コンクリートを流しながら、
毒ガス製造の最終ステップであるジフェニルアルシン酸を1トン、砒素量として290kgも投棄した、そうした大規模で計画的な不法投棄が、平成5年に行われたというのですから驚きです。

調査というよりも犯罪捜査が必要ではないでしょうか?
誰がやったかは、これだけ大量の投棄ですから、司直が手を緩めなければ、露見するはずです。
捜査をすれば、犯人は直ぐに見つかるかと思います。環境省は告発すべきです。

宮崎さん、タラリさん、
資料を教えてくださってありがとう御座いました。

なお、
環境省のサイトの「毒ガス対策」のインデックスページは、
http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/
です。
131 hits

[1577]Re(1):神栖町における汚染メカ...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/26(水) 4:53 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>まずは、
>「茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査中間報告書<概要版>」
>を、画像と一体化してHTML化しました。


アップしたものは、ここです。
「茨城県神栖市における毒ガス関連砒素化合物の不法投棄」
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/kamisu/gaiyou/gaiyou.htm
137 hits

[1578]「毒ガス」の捨て方―『告白的...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/10/26(水) 21:03 -

引用なし
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   ちょっとトピずれですが、光文社『告白的「航空化学戦」始末記』より、岡沢正氏の手記です。終戦時は、三方原教導飛行隊の大尉でした。

有名な本ですので、あるいはお読みの方も多いかもしれません。しかし、これはいくら何でも・・・という感想を持たざるを得ない「毒ガスの捨て方」についての記述が目につきましたので、ご存知ない方のために、ここに紹介しておきます。どこかに既出でしたら、ゴメン、ということで。


******************************

八月十六日も快晴だった。

信貴山より西方に見える司令部から上る黒煙がまだつづいていた。徹夜で重要書類の焼却をつづけていたのであろう。

私はなにもしたくなかった。が、派遣隊長として米軍進駐前に早急に処理すべき、三つの仕事があった。

第一は毒ガスの処分。第二は下士官兵の復員。最後は、将校の進退である。

なんといってもガス処分が先決だ。この尼院の庭に、ドラム缶二トン(十本)が野積みになっているのだ。

早急にどこかに放棄せねばならない。大阪湾では遠すぎるし輸送手段もない。また時間もない。思案にあまってよわっていると、灯台もと暗しというか、本堂の横に小さな古池があるのに気がついた。兵隊が名づけて「尼さん池」という。恐るおそる老庵主さんに交渉する。

「あのドラム缶をすてはるのですか? かましまへん。おすてやす。お国のためなら遠慮のうお使いやす。むかし正成ハンも、なんぞ隠されたそうどすえ。アメリカきても、いいしまへん」

まったくありがたかったが、大楠公が登場したのにはいささかおどろいた。

建武六百年のむかしをたんたんときのうの出来事のように語るこの老尼に、日本の悠久を感じ、"日本いまだ亡びず"と、敗戦に虚脱になった自分が、これほどはずかしく思ったことはなかった。

ドブンドブンと十本のドラム缶が姿をけすのに五分と要しなかった。その後四十数年、このドラム缶は浮上していない。よほど、この池は底なし池であるのだろう。

(同書 P69〜P70)

******************************


いやあ、呑気な風景です。老尼さん、ドラム缶の中身をご存知なかったんでしょうね。

その後にも、遠州灘に捨て忘れた(!)毒ガス(黄剤ドラム缶十本)を発見して大騒ぎした話が出てきます。


******************************

「なにっ、まだあったのか?」
(中略)
「何本くらいあるんかっ?」
「十本くらいです。どうしましょうか?」
「佐鳴湖に投げこんでしまえ!」
とはいったが、三方飛から佐鳴湖まで、片道十キロ以上はある。・・・・そこで夜になって十本の黄剤ドラム缶をトラックに積みこんで、ひそかに音を殺して輸送し、トラックごと湖底に沈めてしまったのである。

(同書 P72)

******************************


その後の「住民被害」の可能性など、何も考えていません。同書によれば、昭和33年頃、地元紙に毒ガス入りドラム缶が浮上した記事が載っていたそうです。

終戦直後の「毒ガス」の捨て方って、こんな感じだったのでしょうかね。


ついでですが、サブコンテンツとして、「中国軍の毒ガス使用」をアップしました。中国軍が「毒ガス」を使用した可能性は確かにあるが、その規模は極めて小さなものであり、日本軍の被害はほとんどゼロ。日本軍の大量使用を正当化するようなレベルにはない・・・という、ごくごく常識的な結論になっています。

http://www.geocities.jp/yu77799/dokugas/dokugas4.html
135 hits

[1579]Re(1):「毒ガス」の捨て方―『...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/26(水) 22:55 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>ちょっとトピずれですが、光文社『告白的「航空化学戦」始末記』より、岡沢正氏の手記です。終戦時は、三方原教導飛行隊の大尉でした。
>
>有名な本ですので、あるいはお読みの方も多いかもしれません。しかし、これはいくら何でも・・・という感想を持たざるを得ない「毒ガスの捨て方」についての記述が目につきましたので、ご存知ない方のために、ここに紹介しておきます。どこかに既出でしたら、ゴメン、ということで。
>******************************
>
>八月十六日も快晴だった。
>なんといってもガス処分が先決だ。この尼院の庭に、ドラム缶二トン(十本)が野積みになっているのだ。
>
>早急にどこかに放棄せねばならない。大阪湾では遠すぎるし輸送手段もない。また時間もない。思案にあまってよわっていると、灯台もと暗しというか、本堂の横に小さな古池があるのに気がついた。兵隊が名づけて「尼さん池」という。恐るおそる老庵主さんに交渉する。
>
>「あのドラム缶をすてはるのですか? かましまへん。おすてやす。お国のためなら遠慮のうお使いやす。むかし正成ハンも、なんぞ隠されたそうどすえ。アメリカきても、いいしまへん」
>
******************************

ゆうさん、
貴重な資料有難う御座いました。

焼夷弾に殺されることを考えたら毒ガスなんてワケナイとでも思ったのでしょうかね。
安楽に死ねるとでも。それとも、クシャミするだけだ、ぐらいに考えていたのでしょうか。

しかし、ドラム缶10本で2トンですか。

そうすると、神栖では、ドラム缶5本分くらい(薬剤によって比重が違うのであくまで目安)、1トンのジフェニルアルシン酸と見積もられるに至りました。

ごみに混じっていた、なんて量じゃないですね。ドラム缶5本をトラックで運び、コンクリートミキサー車も動員していた、と思われます。完璧に組織的な違法投棄です。

環境省の中間報告の追補版によれば、ジフェニルアルシン酸約1000kg(290kgヒ素換算値)が、約61トンのコンクリートに混ぜられて投入されたということになるようです。
http://www.env.go.jp/chemi/report/h17-11/02-3.pdf

ところで、みなさんご存知でしょうが、神栖では被害者が8月に殺人罪で告訴し、先週、警察が現場検証したようです。


ヒ素汚染で県警に告訴状 神栖住民、殺人未遂などで
(共同通信) - 8月3日17時37分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050803-00000145-kyodo-soci

 茨城県神栖市の井戸水のヒ素汚染問題で、健康被害を受けた住民5人が3日、被疑者不詳のまま殺人未遂容疑で汚染源とみられるコンクリート塊の投棄を指示した人物と、業務上過失傷害容疑で現場の土地を埋め戻した同市内の業者の告訴状を県警に提出した。県警は受理する見通し。
 告訴状は、投棄を指示した人物は旧日本軍の毒ガス原料にも使われた有機ヒ素化合物のジフェニルアルシン酸(DPAA)約180キロを含むコンクリート塊を現場に廃棄させ、溶出したDPAAが混入した井戸水を飲んだ近くの青塚美幸さん(28)の長男(3つ)に発達障害を生じさせるなど5人に健康被害をもたらした、としている。
 代理人の弁護士は「コンクリート塊には毒性が極めて強いDPAAを固化処理しようとしたような跡がある。この人物は含有を知っており、摂取した人が死んでもやむを得ないという未必の故意があった」としている。
(共同通信) - 8月3日17時37分更新


2005/10/22(土) 茨城新聞
神栖ヒ素 コンクリ塊の一部押収 県警が現場検証
http://www.ibaraki-np.co.jp/main/weekly18.htm

 神栖市の有機ヒ素化合物による井戸水汚染問題で、鹿嶋署と県警捜査一課などは二十一日までに、殺人未遂と業務上過失傷害の疑いで、同市田畑の掘削現場の現場検証を行うなど本格的な捜査を開始した。同署などは同日、現場検証を終え、引き続き地権者や健康被害者らから事情を聴くとともに、当時の事情を知る関係者の洗い出しに全力を挙げる。
 捜査員約二十人が十八日から二十一日までの四日間、掘削現場入りし、コンクリ塊の投棄状況などを検証した。また、保管されているコンクリ塊を粉砕し、不法投棄者に結びつく遺留品がないかどうか調べた。コンクリ塊の一部をサンプルとして押収した。
 この問題をめぐっては、健康被害を受けた同市内の住民五人が八月、コンクリ塊の不法投棄にかかわったとみられる市内の業者を業務上過失傷害の疑いで、不法投棄の指示者を被疑者不詳のまま殺人未遂の疑いで告訴していた。
 同署などは告訴を受理し、同署と県警捜査一課、生活環境課の捜査員で合同捜査班を結成している。
 環境省は汚染源調査を二〇〇三年五月に始め、今年六月の中間報告でコンクリート塊が汚染源と発表していた。

195 hits

[1580]Re(2):「毒ガス」の捨て方―『...
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 熊猫 E-MAIL  - 05/10/26(水) 23:07 -

引用なし
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   危険物の勉強をした事のある方であればご存知なのですが、ドラム缶の容積は200リットルです。
水の場合だと200kgですので、水と同じ比重のジフェニルアルシン酸も同等となります。厳密に言えば違いますが(^^;
161 hits

[1583]Re(3):「毒ガス」の捨て方―『...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/27(木) 21:10 -

引用なし
パスワード
   ▼熊猫さん:
>危険物の勉強をした事のある方であればご存知なのですが、ドラム缶の容積は200リットルです。

そうですか、知りませんでした。(汗!

>水の場合だと200kgですので、水と同じ比重のジフェニルアルシン酸も同等となります。厳密に言えば違いますが(^^;

いやー
熊猫さんの仰るとおりでした。
ジフェニルアルシン酸(比重 1.012)

全く水と変わりはない、といってもいいみたいですね。

ところで、ドラム缶5本に入っていた、ジフェニルアルシン酸の1トンは、粉だったのでしょうか? 液体だったのでしょうか?

平成5年にどうやってコンクリと混ぜたのでしょうか?
そのときの作業者は、どんな道具をもち、どんな服を着ていたのでしょうか?

固体なのか液体なのか、報告書には書いていません。
分析屋さんは、PPMの世界は得意ですが、トンの世界は得意じゃないでしょうね。(笑)


ところで、新コンテンツ「神栖ヒ素汚染資料集」
よろしくお願します。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/kamisu/p-index.htm
ゆうさんのコンテンツを勝手にリンクしました。

環境省のPDFファイルを電子文字に出来ないで往生していましたが、
モノによっては、Googleを経由すればよい、ということに気がつきました。
おいおい直していきます。
176 hits

[1585]Re(4):「毒ガス」の捨て方―『...
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 ja2047  - 05/10/28(金) 12:57 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん:
>環境省のPDFファイルを電子文字に出来ないで往生していましたが、
>モノによっては、Googleを経由すればよい、ということに気がつきました。
>おいおい直していきます。


アクロバットリーダーの「選択ツール」の機能で選択してエディタに貼り付ければ、テキスト化出来ると思いますよ。
176 hits

[1586]Re(5):「毒ガス」の捨て方―『...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/28(金) 17:45 -

引用なし
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   ▼ja2047さん:
>アクロバットリーダーの「選択ツール」の機能で選択してエディタに貼り付ければ、テキスト化出来ると思いますよ。

ja2047さん
有難う御座います。

それは少しは承知しているつもりですが、
「アクロバット」の操作は苦手です。初歩的なことを知らずに居るかもしれません。
アドビの説明文(日本語)がどれもこれも難解だからでしょうか(笑)。
ソフトの値段に比例して難しいのです(笑×笑)。

PDFをアクロバットリーダー(もしくはアドビアクロバット)で操作する仕事は、結構、重たい作業だったり、
ファイルによっては、妙な改行になっていたり、
いろんな制限がかかっていたりして、
わたしの老いぼれパソコンでは厄介です。

Sleipnir 上では、フリーズなども良く起こります。

そこで、「皆さんと共にありたい私」としては、とりあえずHTML化。
といって、PDFのページをPNGでとって、JPGに変換圧縮し、
画像としてHTMLに貼り付けてみたのですが、

それでは
開いたり読むのには軽いのですが、アスキー文字ではないので、引用など、後活用ができません。

いろいろ考え試行錯誤をして、
PDFはまず、GoogleでHTMLにしているかどうかを調べてから、
そうなっていれば、それの利用を考えるのが一番の手抜きかな、
と気がつきました。

体験的ですが、お仕着せのPDFには、

1)アクロバットリーダーを使って、文字も画像も、全体でも部分でも抽出できるもの
2)それは出来ないが、アドビ・アクロバットによって、ファイルを、画像やTXTで「名前を付けて保存」できできるもの(バージョンによって出来る程度が違う)
3)それすら出来ないように、つくられた時にバリアが被せられていると思われるもの。

などがあるようです。

これらのバリアは、不法な改造を防止するためのものかもしれませんが、
実効性としては、
「多くの人に読むのをあきらめさせる」効果のほうがよっぽど大きいのではないでしょうか?

そもそも公的文書は読み手のことを考えて、最初からHTMLにしたほうがいいとおもいます。

※ 偽文書をつくる偽造屋に対抗するためには、正しい文書を広めることが唯一の手段です。偽造を防ぐためという名目で、読みにくくバリアをかけたら、かえって偽造屋の思う壺です。


情報というものは、一旦公開すると決めたからには、
ハンドリングが軽くなるように努め、多くの人に触れるようにするべきなのです。

〜〜なんちゃって、
自分のホームページはどうかしら。
ひとの振りみてわが振りなおせ!

検索の便宜のために、ファイルを小分けにしました。
小分けにすればページが開くのや、写真の呼び出し時間を待たなくて済みます。
呼び出しが長いのがもったいになるのは国技館の大相撲です。

さてさて
次にGoogleさんが泳いできたあとに、
はたして、その効果が現れるでしょうか?

脱線しましたが、要はお礼を申し上げたかったのです。
179 hits

[1587]Re(1):「毒ガス」の捨て方―『...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/28(金) 18:04 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>ちょっとトピずれですが、光文社『告白的「航空化学戦」始末記』より、岡沢正氏の手記です。終戦時は、三方原教導飛行隊の大尉でした。


ゆうさん、

この三方原教導飛行隊から派遣された隊長はさんは、どこにいたのでしょうか?

ヒントとなるのは、
>信貴山より西方に見える司令部
>尼院の庭
>大阪湾では遠すぎるし輸送手段もない
>むかし正成ハンも

大阪の河内?和泉?あたりですか? 
それともニ上山の向こうの奈良ですか?

環境省によるフォローアップ調査の報告に、こんな記事がありました。


昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査」フォローアップ調査報告書
平成15年11月28日(平成16年3月31日更新版)
 
714 被災 大阪府 河内長野市 昭和20年年9月頃 イペリットとルイサイト
    輜重隊が池に缶を投棄。開封して魚を捕獲していた大人1人死亡、
    子供2〜3人負傷。
    http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/006.pdf

141 hits

[1589]Re(2):「毒ガス」の捨て方―『...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/28(金) 18:58 -

引用なし
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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]
  
因みに
信貴山は
赤丸がついた
この地図の中心です

万葉集で有名な
ニ上山は、
太子の東のピークです。

楠正成の根城千早城は、
千早赤坂の金剛山寄りです。

浜名湖三方が原からきた隊長さんがいたのは、
河内長野市でしょうか?

なお、太子や藤井寺には有名な尼寺があるようです。
河内長野ではどうでしょうか?


▼ピッポさん:
>▼ゆうさん:
>>ちょっとトピずれですが、光文社『告白的「航空化学戦」始末記』より、岡沢正氏の手記です。終戦時は、三方原教導飛行隊の大尉でした。
>
>
>ゆうさん、
>
>この三方原教導飛行隊から派遣された隊長はさんは、どこにいたのでしょうか?
>
>ヒントとなるのは、
>>信貴山より西方に見える司令部
>>尼院の庭
>>大阪湾では遠すぎるし輸送手段もない
>>むかし正成ハンも
>
>大阪の河内?和泉?あたりですか? 
>それともニ上山の向こうの奈良ですか?
>
>環境省によるフォローアップ調査の報告に、こんな記事がありました。
>
>
>昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査」フォローアップ調査報告書
>平成15年11月28日(平成16年3月31日更新版)
>
 
>714 被災 大阪府 河内長野市 昭和20年年9月頃 イペリットとルイサイト
>    輜重隊が池に缶を投棄。開封して魚を捕獲していた大人1人死亡、
>    子供2〜3人負傷。
>    http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/006.pdf
>

151 hits

[1590]Re(3):本では、奈良県を明示し...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/28(金) 22:22 -

引用なし
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   私は、三方飛西部派遣隊 は、大阪府の河内に居たという推論をしましたが、さきほど同じ報告書のあとの方をみましたら、
 B事案名 奈良県内の事案 (奈良県29−1)
分類 ○ 廃棄・遺棄
資料 ・『証言・昭和の戦争―告白的「航空化学戦」始末記』1992年〔1〕

資料内容概要 終戦直後、奈良県内の寺院の池に、毒ガス缶10本が遺棄されたとされる。
○廃棄・遺棄情報 ・市民からの情報提供として、一般書籍に「昭和20年8月16日、三方飛西部派遣隊が、奈良県内の寺院の池に毒ガス缶10本を捨てた」との記述がある
http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/017.pdf
とありました。
また、資料名(表紙が)分かりませんが、調査報告書の元と思われる詳細資料(Googleで「告白的「航空化学戦」始末記」を検索の結果)には、
 事案名 奈良県内の事案(奈良県29−1)
フォローアップ調査資料
  • 『証言・昭和の戦争―告白的「航空化学戦」始末記』1992年〔1〕
    追加資料
  • 『証言・昭和の戦争―告白的「航空化学戦」始末記』1992年〔A1〕
  • 『平成16年度国内における旧軍毒ガス弾等に係る情報収集及び取りまとめ業務報告書』〔A2〕
  • 「『国内における毒ガス弾等に関する調査』の調査依頼について(回答)」〔A3〕
  • 「『旧軍毒ガス弾等の全国調査』のフォローアップ調査について(回答)」〔A4〕
  • 『平成16年度B/C事案における第2次地下水調査業務 報告書』〔A5〕


平成15年度フォローアップ調査報告書の要約

終戦直後、奈良県内の寺院の池に、毒ガス缶10本が遺棄されたとされる。
○廃棄・遺棄情報 ・元三方原教導飛行団(三方飛西部派遣隊)関係者は、昭和20年8月16日に、保有する毒ガス缶10数本を奈良県内の寺院の池に投棄したと記している〔1〕。
新たな情報
○その他情報
(1)保有について
・元三方原教導飛行団(三方飛西部派遣隊)関係者は、池に投棄した毒ガス缶は(尼院の老庵主の了解を得て池に毒ガス缶を投棄したと記している)、静岡県の気賀駅から運搬してきたと記している〔A1〕。
(2)池に係る情報について
・現在、毒ガス缶の投棄に係る池の特定はまだできていない。寺院の池に毒ガス缶を投棄したとの元三方原教導飛行団(三方飛西部派遣隊)関係者の記述内容に地理的に該当する池は3カ所存在するが、毒ガス缶投棄情報との関係は不明である〔A2〕。
  1. 池I
    • 元三方原教導飛行団(三方飛西部派遣隊)関係者が毒ガス缶を投棄したとされる寺境内の古池は、大きさ約10m2・水深約50cm で、この池は毒ガス缶が投棄できるほどの規模ではない。この池は、昭和20年当時から底がコンクリートで固められており、池の規模の縮小や移動したことはないとの証言を得ている〔A3〕〔A4〕。なお、この寺に尼院はないとの情報がある〔A2〕〔A4〕。

  2. 池II
    • 元三方原教導飛行団(三方飛西部派遣隊)関係者が記した尼院以外に、池を有する尼院が1カ所存在するが、この尼院は昭和40年代建立との情報があるので、終戦時には存在していないことが確認された〔A2〕〔A3〕。昭和23年11月撮影の空中写真(米軍撮影)にもこの池の周辺に建物は存在していない〔A2〕。

  3. 池III
    • 元三方原教導飛行団(三方飛西部派遣隊)関係者が記した地域に、規模の大きい池が1カ所存在する〔A2〕。なお、この池は、本事案の毒ガス缶投棄情報との関係は不明である。

(3)その他
  • 池IIIでは、 15 年度に4回の水質調査を実施しており、ヒ素は、環境基準値(0.01mg/l)以下であった〔A2〕。
  • 寺院関係者によると、「昭和20年前後は軍隊に協力していたが、傷病兵の病院的な役割になっていた。元気な軍人が泊まったことはなかったはずである」との証言がある〔A4〕。
  • 環境省が実施した地下水調査の結果、毒ガス関連成分は検出されなかった〔A5〕。
http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/017.pdf
とありますから、やっぱり奈良県なのでしょうね。

しかし、私は、
「信貴山の西方の司令部から立ち上がる煙」というのが気になります。この信貴山は、山ではなく寺のことでしょうか。

その本では、奈良県を明示しているのでしょうか?

[管理人一回修正:文字化け・タグ]
154 hits

[1591]Re(4):「毒ガス」の捨て方―『...
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 miyazaki E-MAIL  - 05/10/29(土) 0:05 -

引用なし
パスワード
   ▼ピッポさん:
>
>ところで、新コンテンツ「神栖ヒ素汚染資料集」
>よろしくお願します。
>http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/kamisu/p-index.htm
>ゆうさんのコンテンツを勝手にリンクしました。
>

HTML化に新コンテンツの作成、お疲れ様です。

中西さんの雑感を読み直して、すこし調べてみたら、
茨城大学広域水圏センター神栖町有機ヒ素地質汚染調査団が、2003年の夏には、
汚染物質が埋まっている地点を、かなり正確に推定していた情報を見つけました。

詳しい内容までは、ネット上では見つかりませんでしたが、
http://homepage1.nifty.com/npo-geopol/files/evsemi_34.doc
(第34回イブニングセミナー - 神栖町有機砒素地下水汚染B地区の機構解明−1次報告)
に、”人工地層内に存在する有機ヒ素汚染地層中の有機ヒ素が、地下水位の低下で
帯水層に漏出し、民家井戸に流入したものと推定される。”と有ります。

http://homepage1.nifty.com/npo-geopol/index.html
(NPO法人 日本地質汚染審査機構)の
NPOニュース→(過去の報告2003年)の中の、2003/7/25付ニュースで、見つかります。
195 hits

[1592]Re(4):本では、奈良県を明示し...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/29(土) 13:26 -

引用なし
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   とほほさん
修正してくださって有難う御座いました。


上記資料のURL間違っていました。
(正)
http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/sonota_singi/gas/12/mat05-04_r27_nara.pdf
謹んで訂正します


なお、
河内長野市のほうの文書も見つかりました。
http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/sonota_singi/gas/12/mat05-04_r25_kawachinagano.pdf
 
事案名 河内長野市の事案(大阪府27-1)
フォローアップ調査資料
  • 「ETV特集」平成8年7月18日放送〔1〕
  • 『毎日新聞』昭和23年8月23日〔2〕
  • 『毎日新聞』昭和23年8月25日〔3〕
  • 『毎日新聞』昭和23年9月1日〔4〕
  • 『毎日新聞』昭和23年10月24日〔5〕
  • 「『旧軍毒ガス弾等の全国調査』のフォローアップ調査について(回答)」平成15年10月9日〔6〕追加資料
  • 『毎日新聞』昭和23年8月25日〔A1〕
  • 『毎日新聞』昭和23年10月24日〔A2〕
  • 「ETV特集」平成8年7月18日放送〔A3〕
  • 『平成16年度国内における旧軍毒ガス弾等に係る情報収集及び取りまとめ業務報告書』〔A4〕
  • 『平成16年度B/C事案における第2次地下水調査業務 報告書』〔A5〕平成15年度フォローアップ調査報告書の要約

大阪府南河内郡長野村(現河内長野市)の池において、昭和23年8月に、池に沈むドラム缶10数本が確認された。この池では、昭和20年8月20日前後、10数本のドラム缶が運ばれ、数本が池の中へ、また、数本が岸辺に、残りが松林に埋められたとされる。

缶の内容物を流した用水路で魚を捕獲していた大人1名が死亡した事件が、同年9月に発生していた。

昭和23年8月29日になり、缶を投棄した元軍人が判明、缶の内容物がイペリットとルイサイトと判明し、米軍が処理した。

○発見・被災・掃海等処理情報
  • 証言によれば、「大阪府長野町の池から住民が発見した缶を占領軍が検知したところイペリット缶であった」としている〔1〕。
  • 昭和23年8月に、大阪府南河内郡長野村の池が異臭を放っているとの通報により警察が調査した結果、池にはドラム缶が10数本沈められているのを確認した〔2〕。
  • この池には、昭和20年8月20日前後に、堺市から輜重軍隊がトラックで10数本のドラム缶を運んできて、地元の警防団員に手伝わせて数本を池の北側の岸から池中へ投げ込み、また、数本を西側の池辺に埋め、残りの数本を南寄りの松林の中に埋没して立ち去った。同年9月に、付近の住民が池に浮かぶ缶の口をあけて内容物を堤防外の用水路に流したので、用水路で魚を捕獲していた大人1人と子ども2∼3人が体に無数の水疱を発し、大人は死亡したという事件が過去に発生していた〔3〕。
  • 昭和23年8月29日になって、池に缶を投棄した元軍人が判明し、缶の内容はイペリットとルイサイトと判明した〔4〕。
  • 同年10月に、米軍は池から全部の缶を引き揚げ、焼却・爆破・埋没等による処理を行ったとのことだが、松林まで捜索範囲としたか否かなどが記事では明示されていない〔5〕。

○現在の状況
  • 池付近の地下水調査結果の点検を行ったところ、最近では周辺地区の平成13年度の測定結果があり、特に問題はなかった。池付近の松林については特定できなかった。堺市の輜重隊に該当する部隊は当時堺市にあった輜重兵第4連隊があげられる(現在は警察学校等の敷地)〔6〕。

新たな情報

○廃棄・遺棄情報・旧軍が移送してきた容器のうち約半数は空き缶であったと記されている〔A1〕。

○発見・被災
  • 掃海等処理情報
  • 「米軍当局の手で問題のドラムかんの引上げ作業を進めていたが、残りの補助かん(空かん)4個と5個のドラムかんは埋没個所がはっきりせず探知機など使用して捜査した結果、ついに全部を発見、火を放ったり爆破、埋没したりして完全処分を終わった」との新聞情報がある(回収、埋没場所は不明)〔A2〕。

○その他情報

(1)発見されたドラム缶の形状に係る情報・米軍が回収していた容器(1本)は、きい剤運搬容器(100kg入り)の特徴ある形状(蓋の中央部が突出する)に相似している〔A3〕。

(2)ドラム缶が発見された池の現状に係る情報・河内長野市内の池の北側は土地改変が進み、ほとんどがコンクリートの堰堤等に改修されている〔A4〕。
  • 埋設したとされる松林の場所は不明である。現在の池周辺には西東両側とも松が若干残る程度である〔A4〕。

(3)池の水の利用状況および井戸に係る情報
  • 池の水は11月頃から春まで水を貯め、春∼秋に農業に利用するので、冬から春は満水状態だが、夏から秋は渇水状態である。なお、最渇水状態でも池中央部に水は残る(池の水は飲用には使用されていない)〔A4〕。池の最深部の深さは約28mである〔A4〕。
  • 大阪府が実施した総ヒ素の分析結果では、上記の7ヶ所の井戸水、1ヶ所の池の水、1ヶ所の池流入水および北側4ヶ所の土壌について、いずれも0.005mg/L未満(地下水および土壌の溶出試験を含む)、1mg/kg未満(土壌含有量試験)であった〔A4〕。
  • 環境省が実施した地下水調査の結果、毒ガス関連成分は検出されなかった〔A5〕。


河内か奈良かということはこれで答えが出たかもしれませんが、あるいは、その本は虚実取り混ぜているかもしれません(私の負け惜しみ)。

それよりも、上記は重要ですね。
本土決戦準備では『きい弾』を配備していたらしい。

敵味方とも同時殲滅戦争?
そんなん指揮した連中を祀るならば、
日本国民はこぞって〓〓神社に〓を投げるべきです。
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[1594]Re(5):本では、奈良県を明示し...
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 ゆう WEB  - 05/10/29(土) 16:16 -

引用なし
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   ネットだけでここまで情報が集まるとは。驚きです。

あいにく、週末は本のないところにおりますので、帰ってから確認します。お待ちください。

なお、この本には、遠州灘に米軍が上陸した時に備えた「天竜川決壊作戦」についてのレポート、なんてものも登場します。もちろん筆者が個人として提出した机上プランですが、浜松市を水没させてしまおう、という大胆きわまる発想には驚かされます。
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[1595]Re(6):本では、奈良県を明示し...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/29(土) 17:20 -

引用なし
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   ▼ゆうさん:
>なお、この本には、遠州灘に米軍が上陸した時に備えた「天竜川決壊作戦」についてのレポート、なんてものも登場します。もちろん筆者が個人として提出した机上プランですが、浜松市を水没させてしまおう、という大胆きわまる発想には驚かされます。

http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/sonota_singi/gas/12/mat05-04_r23_hamanako.pdf

http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/sonota_singi/gas/12/mat05-04_r24_hamamatsu.pdf

併読していただけると幸いです。

これらは、
「資料5 B/C事案に関する評価結果について」
http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/sonota_singi/gas/12/mat05.html
の一部であることが分かりました。

これは、
国内における毒ガス弾等に関する総合調査検討会(第12回)
http://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/sonota_singi/gas/youshi_12.html

の添付資料です。

Googleの検索(ゆうさんの本の名)から逆引きした結果です。
環境省のHPから策っていっても、たどり着けなかったでしょう。

===
B/C事案とはなにか、

『フォローアップ調査報告書』によれば、
A事案は
毒ガスのありかも出所もわかったからもう調査しないという事案
D事案は、
もともと不確かな情報なので外部からの情報提供は待つが、積極的には調査しない、というもの。
ですから、B/C事案とは、
その後も積極的に調査するというものです。

ですから、
そのごの総合調査検討会に『報告書』よりも詳しい報告が提出されたということです。

===
しかし『フォローアップ報告書』に大多数をしめる銚子沖の事例は、「海上」ということで引き続く調査の対象にはならなかったようです。

私は、この千葉県銚子の事案と神栖の事案が結ぶ「点と線」を、松本清張先生なら調べたのではないかと思います。海上に捨てたのは殆どイペリットだとしたら、集められたものの中の、あか剤、あか弾、さらにそれらの原料はどうしたのか? 米軍資料の探索をした研究者はいないでしょうか?

以下は『フォローアップ報告書』からの引用です。
http://www.env.go.jp/chemi/report/h15-02/013.pdf


事案名 銚子沖の事案 (千葉県12−1)

分類
○ 廃棄
 ・遺棄
○ 発見
 ・被災・掃海等処理
○ 現在の状況

資料
・『続・銚子市史I 昭和前期』昭和58年〔1〕
・「千葉県における漁業補償」昭和45年3月〔2〕
・「昭和48年の『旧軍毒ガス弾等の全国調査』のフォローアップ調査について(回答)」平成15年8月29日〔3〕
・『朝日新聞』昭和34年7月2日〔4〕
・「銚子沖イペリット缶等緊急掃海事業報告書」昭和45年3月〔5〕
・「銚子沖イペリット缶等第二次掃海事業報告書」昭和45年10月〔6〕
・化学室担当者ノート「戦後における旧軍毒ガス弾等の処理の状況(14.6)」〔7〕
・「銚子沖イペリットかん等引揚経過について」〔8〕
・「千葉県銚子港外における不発弾調査について(報告)」昭和48年10月22日〔9〕
・「銚子沖での毒ガス缶などの発見一覧表」〔10〕
・「旧日本軍毒ガス弾の発見・処理状況」平成6年10月12日〔11〕
・「旧軍毒ガス弾等の全国調査のフォローアップ調査結果」〔12〕
・『朝日新聞』昭和26年4月6日〔13〕
・『朝日新聞』昭和26年4月7日〔14〕
・『朝日新聞』昭和26年4月 11 日〔15〕
・「毒ガス弾等調査資料」昭和47年6月5日〔16〕
・『千葉日報』昭和32年9月15日〔17〕
・『千葉日報』昭和37年8月24日〔18〕
・銚子沖イペリットかん等引揚事業実績〔19〕
・『千葉日報』昭和49年11月14日〔20〕
・『朝日新聞』(京葉版)昭和49年11月14日〔21〕
・『朝日新聞』昭和51年9月5日〔22〕
・茨城県魚政課資料〔23〕
・「『旧軍毒ガス弾等の全国調査』のフォローアップ調査について」平成15年10月9日〔24〕
資料内容概要 千葉県銚子沖では、戦後、占領軍の指揮のもと、各地から集積された毒ガスが海洋投棄された。同海域では、戦後間もない時期からイペリット缶等の発見や被災事案が多発している。 なお、本事案については、千葉県沖及び茨城県沖の海域を示すものとする。

○廃棄・遺棄情報

・ 昭和20年10月15日に米第8軍第24火砲中隊(約150名)は、旧日本軍の残存弾薬・爆弾・毒ガスを銚子沖に廃棄するため、銚子に本部を設置した。処分する弾薬は長野、福島、静岡県方面から鉄道で輸送され、その爆弾、砲弾の量は貨車で4800車両、うちガス弾等は約30車両もしくは320車両であったといわれている。米軍の指揮のもと、投棄作業は漁船によって行われ、昭和20年10月から翌年5月にかけて銚子一の島灯台北東15浬周辺の海域、水深約200mに投棄したとしている〔1〕〔2〕。

○発見・被災
・掃海等処理情報
・銚子沖における毒ガス弾等の発見状況
・個数について、各資料に示された数値は別紙1のとおりである。被災事件については、別紙2のような状況である。
・掃海作業は、昭和32年9月13日に漁船が銚子市一の島灯台東北東約27kmの海域で操業中に鉄製セメント樽容器を引き揚げて被災したことを受けて、昭和34年6月25日から7月1日までの間に実施されたが、毒ガス缶は引き揚げられなかった〔3〕〔4〕。
・銚子一の島灯台北東約15海里の海域は好漁場であった関係で、昭和44年11月初旬から45年1月までの間に9隻14件がイペリット缶を引き揚げ、15名が負傷していることが判明した。このため同年中に2回にわたり掃海が行なわれ、イペリット缶33個を揚収した〔5〕〔6〕〔7〕。
・昭和46年度からは、缶等が入網した場合は海上保安部の巡視船に引き渡し、その際に生じた損失等に係るものに対して国・県において一定額を補助することとなった〔8〕。
・毒ガス弾等の目撃情報としては、昭和48年10月16日∼19日に地元のダイバーがイペリット缶らしき物体を発見したとの通報を受けて横須賀水中処分隊が出動したが、海上模様不良により捜索を断念した〔9〕。○現在の状況 ・銚子漁港は現在、千葉県が管理しており、主にまき網漁業、底引き漁業、はえ縄漁業が行なわれている。今後の主な事業計画としては、川口外港地区における西防波堤、内防波堤の整備や、黒生地区における外郭・水域施設、輸送道路施設等の整備がある〔24〕。

【別紙1】銚子沖における毒ガス弾等の発見状況

国土交通省の情報〔10〕
農林水産省の情報〔12〕
防衛庁の処理件数〔11〕
千葉県の情報(千葉県資料)

昭和26年 弾1 〔2・13・14・15〕
昭和 32 年発見事件4件鉄製容器1 〔5・17〕
昭和 33 年 弾1 〔18〕
昭和 42 年 発見事件1件不明1 〔5〕
昭和 44 年 不明2 〔5〕
昭和 45 年 発見事件7件。 これとは別に掃海事業で缶を 33 個掃海 発見事件7件。 2 回にわたって掃海を実施し、33 個掃海〔5・6〕
昭和46年 ドラム缶 17・つぼ7・不明3 26 30(46 年度)〔19〕
昭和 47 年ドラム缶 33・つぼ5・小型2・不明1 40 39(47 年度)〔19〕
昭和 48 年 ドラム缶 16・つぼ 11・小型1・不明1 29 34(48 年度) 〔19〕
昭和 49 年 ドラム缶3・つぼ 16・砲弾1 20 13(49 年度)〔19〕
昭和 50 年 ドラム缶7・つぼ917 30(50 年度)〔19〕
昭和 51 年 ドラム缶 19・つぼ 11・不明1 31 2 18(51 年度)〔19〕
昭和 52 年 ドラム缶9・つぼ615 311(52 年度)〔19〕
昭和 53 年 ドラム缶 17・つぼ 10・不明1 29 1 26(53 年度)〔19〕
昭和 54 年 ドラム缶 20・つぼ6 24 1 22(54 年度)〔19〕
昭和 55 年 ドラム缶 12・つぼ4 18 2 9(55 年度)〔19〕
昭和 56 年 ドラム缶7・つぼ2・不明2 11 1 7(56 年度)〔19〕
昭和 57 年 ドラム缶7 10 5 7(57 年度)〔19〕
昭和 58 年 ドラム缶7・つぼ410 27(58 年度)〔19〕
昭和 59 年 不明3 8 4(59 年度)〔19〕
昭和 60 年 ドラム缶1・不明1・つぼ2 4 4(60 年度)〔19〕
昭和 61 年 ドラム缶2・缶131(61 年度)〔19〕 107
昭和 62 年 ドラム缶 1・不明 1 1 1(62 年度)〔19〕
平成 元 年 ドラム缶 1 本・不明 121(元年度)〔19〕
平成 3 年
平成 4 年 ドラム缶 1 1 1(4年度)〔19〕
平成 14 年 ドラム缶 1 1 合計ドラム缶 181・つぼ93・缶4・小型3・砲弾1・不明 15 総計 297 338 17 298、その他に弾2・鉄製容器1・不明3 総計 304 (表に記されていない年は発見事案が報告されていないので省略している)108

【別紙2】銚子・銚子沖における毒ガス被災事例

日付 場所 概要資料

■昭和 26 年4 月2日 銚子市

海岸で男性が鉄製のガスつぼを拾い、自宅で解体中に9名が中毒し、4名が失明。男性とその母親、男性の長男の3名が死亡し、6名重体。

「朝日新聞」昭和 26 年4月6日〔13〕
「朝日新聞」昭和 26 年4月7日〔14〕
「朝日新聞」昭和 26 年4月 11 日〔15〕
「千葉県における漁業補償」〔2〕

■昭和 29 年6 月 29 日 銚子沖

サルベージ会社(爆発物件等引揚業者)が作業中に 60kgイペリット爆弾2発を引き揚げて作業員6名が被災した

「毒ガス弾等調査資料」〔16〕

■昭和 32 年9 月 13 日銚 子 沖(一の島灯台東北東15マイル)

漁船の底引き網に鉄製セメント樽用容器(直径10m、高さ1.2m)1個を引き揚げ、直ちに海中に投げ捨てたが乗組員9名が全治4ヶ月の重症をを負った。

「銚子沖イペリット缶等緊急掃海事業報告書」〔5〕
「銚子沖イペリット缶等引揚経過について」〔8〕
「千葉日報」昭和32年9月15日〔17〕

■昭和 33 年 銚子沖

網にかかったガス弾を船上で分解しようとして 17 名が中毒した。

「千葉日報」昭和 37 年 8 月 24 日〔18〕

■昭和 42 年9 月 26 日 銚 子 沖(一の島灯台 NE15マイル)

漁船がイペリットを発見し、5名負傷。

「銚子沖イペリット缶等緊急掃海事業報告書」〔5〕

■昭和 44 年11 月 銚子沖

漁船2隻がイペリット缶を引き揚げて、うち 1 隻の乗組員が流涙がとまらなかった。

「銚子沖イペリット缶等緊急掃海事業報告書」〔5〕

■昭和 45 年1 月 17 日(17∼25)銚 子 沖(一の島灯台北東約 15 海里)

漁船が底引網でビール樽のような缶を引揚げ、5 名が負傷。その後、3 隻の漁船もイペリットを引揚げ、15 名が負傷。

「銚子沖イペリットかん等緊急掃海事業報告書」〔5〕
「千葉県における漁業補償」〔2〕
「読売新聞」夕刊昭和 45 年 1 月 21 日
「千葉日報」昭和 45 年 1 月 23 日
「朝日新聞」昭和 45 年 2 月 5 日
「毎日新聞」昭和 45 年 2 月 5 日

■昭和 45 年1 月 25 日銚 子 沖(一の島灯台北東約15海里)

沖合い底引き船が操業中にイペリットガス缶(つぼ型)が入網。乗組員7名が目の症状を訴え銚子市内の眼科で診察を受ける。44年11月から漁船7隻、乗組員30人ほどが重軽傷の被害にあっている。

「銚子沖イペリット缶等緊急掃海事業報告書」〔5〕

■昭和 45 年3 月 3∼11日 銚子沖

銚子沖の掃海作業で、イペリットにより漁民8名負傷。新聞報道では 9 名負傷とある。

「銚子沖イペリット缶等緊急掃海事業報告書」〔5〕
「朝日新聞」夕刊昭和 45 年 3 月 3 日
「毎日新聞」夕刊昭和 45 年 3 月 3 日
「毎日新聞」昭和 45 年 3 月4日
「千葉日報」昭和 45 年 3 月4日
「千葉日報」昭和 45 年 3 月7日
「千葉日報」昭和 45 年 3 月10日

■昭和 45 年9月 16 日∼10 月 2日 銚子沖

銚子沖の掃海作業で、イペリットにより漁民7名負傷。新聞報道では 8 名負傷とある。

「銚子沖イペリット缶等第二時緊急掃海事業報告書」〔6〕
「千葉日報」昭和 45 年 10 月 3 日

■昭和 49 年11 月 12 日 銚子漁港 

銚子漁港岸壁拡張工事現場で、海底をさらって旧軍の砲弾探しを行っていた浚渫船が土砂とともにイペリット弾を引き上げ、1名負傷。

「千葉日報」昭和 49 年 11 月 14 日〔20〕
「朝日新聞」(京葉版)昭和 49 年 11 月14 日〔21〕

■昭和 51 年9月3日銚 子 沖(犬吠崎沖東北東約 30km)

昭和 51 年9月3日、銚子市犬吠埼沖(利根川河口北東約 18∼19 マイルの海域)で茨城県波崎町の漁業者が小型底引き船で操業中,網に付着したイペリット剤(ゼリー状の塊)に触れ,5人が重軽傷を負った。

「朝日新聞」昭和 51 年 9 月 5 日〔22〕

■平成 14 年3月 26 日 茨城県鹿島郡大洋村汲上の東30km沖

平成 14 年3月 26 日、茨城県鹿島郡大洋村汲上の東 30km沖で操業中の漁船の網にイペリット缶が入網し,缶は曳航中に海底に落下したが,網に付着していたイペリット剤により3人が軽傷を負った。

「茨城県魚政課資料」〔23〕109


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[1596]Re(7):ノーマンメーラーと、銚...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/10/29(土) 19:06 -

引用なし
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   銚子では、米軍 ”騎兵第8師団第24連隊火砲中隊”がヤマサ醤油の本社屋を接収して、爆弾の海洋投棄作業にあたってたとのことです。ノーマン・メーラーもその時期銚子に滞在していたそうですが、所属部隊は違うようです。

ノーマン・メイラーと銚子
http://www.choshinet.or.jp/~hiro/deai/j-mailar.htm より
 
 実際に『銚子市史』にも、終戦の年の9月から翌年7月まで、愛宕山に宿営した先発小部隊を皮切りに、10月11日にはヤマサ醤油の本社屋を接収して米軍進駐部隊が駐屯し、以後7ヶ月にわたり米軍監督のもと、旧日本軍の砲弾、爆弾の海洋投棄作業が行われたことが記録されています。処理された量は、、イペリット等のガス弾450トン、爆弾・砲弾類71,550トン、合計72,000トンと推定されています。 メイラーも、間接部門や事前調査等も含め何らかの形でこれらの作業に関係していたものと想定されます。ただし、市史によれば、ヤマサに駐留していた部隊は騎兵第8師団第24連隊火砲中隊所属の将兵約80名で、翻訳書の年譜にみられるメイラーの所属部隊とは違っています。
 

『フォローアップ報告書』では、
> ガス弾等は約30車両もしくは320車両
と記されています。
177 hits

[1601]一人相撲でした。ja2047さんに...
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/2(水) 12:23 -

引用なし
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   >▼ja2047さん:

>>アクロバットリーダーの「選択ツール」の機能で選択してエディタに貼り付ければ、テキスト化出来ると思いますよ。
>
>ja2047さん
>有難う御座います。
>
>PDFをアクロバットリーダー(もしくはアドビアクロバット)で操作する仕事は、結構、重たい作業だったり、
>ファイルによっては、妙な改行になっていたり、
>いろんな制限がかかっていたりして、
>わたしの老いぼれパソコンでは厄介です。
>
>Sleipnir 上では、フリーズなども良く起こります。

この間、
OS=Win2000をアップデートしたり、
Sleipnir を最新版にしたついでに、
アドビリーダーとアドビアクロバットをアップデートしました。

そうしたら、なんと、
文書や画像の抽出がスムースになりました。
(むろん、バリアが掛かっていてはだめですが・・・)

>そこで、「皆さんと共にありたい私」としては、とりあえずHTML化。

この方針自体が怪しくなってきました。
嬉しいことですが再検討です。


> そもそも公的文書は読み手のことを考えて、最初からHTMLにしたほうがいいとおもいます。


これは、撤回いたします。

私のポンコツぱそこんを基準に考えた一人相撲でした。
問題解決はja2047さんのレスに尽きていたのでした。

 
>> アクロバットリーダーの「選択ツール」の機能で選択してエディタに貼り付ければ、テキスト化出来ると思いますよ。


ja2047さん、みなさんお騒がせ致しました。
謹んで、一人相撲の顛末、お詫び申し上げます。


※ 現在の使い方
1)アドビリーダー(フリー)7.0に更新
2)アドビアクロバット5(4年前に購入)をアップデート
3)両者を併用。1)をIneternetExplroreにプラグイン
4)ただし両者とも設定は
   編集>環境設定>一般>インターネット で
  「PDFをブラウザで開く」のチェックを外します。
  そうすると、PDFのURLを開くと、別窓で開き、
  アクロバットのツールバーがつかえます。
5)読み取りや抽出・コピーは、殆どアドビリーダー(フリー)7.0で賄えます。
6)アドビアクロバット5アップデートは、文書の結合などに利用できます。

因みに、Win2000 IEsp4 で メモリは196MBです。(おそまつ!な元最新パソコン)
241 hits

[1604]八尾? 奈良県?
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/11/3(木) 8:17 -

引用なし
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   『告白的「航空化学戦」始末記』からです。


☆☆☆☆☆
七月二十日、関西本線の八尾駅到着。第十一師団司令部は、南方二キロにあった。いまの八尾空港内である。
師団長北島熊男中将に申告、ついで参謀長に着任あいさつをする。そのあと後方参謀鈴木少佐から宿泊給養の指示をうける。
「全員部外泊、将校は信貴山の農家を一軒かり上げてある。下士官は朝護孫子の尼院に宿泊せよ」
「尼院の名称は何というのでしょうか」
「忘れた。一院しかないからすぐわかる。給養は現物支給・・・・」
と、てきぱきと指示をした。あとで聞くと、陸士第五十三期で"無天"という。
宿舎から司令部までは、歩いて八キロあった。真夏に朝夕二里の出勤はらくではなかったが、楽しみは夕食時の農家の主婦が生ブドウ酒をコップ一杯サービスしてくれることであった。
兵隊連中も尼院でけっこう愉快にやっているようであった。(P65〜P66)
☆☆☆☆☆


これだけ見ると、「八尾」での作業のために赴任したわけですから、そこから徒歩圏内であったはずです。(尼院は兵隊宿舎。将校宿舎でも八キロあるのですから、もっと遠いという可能性も、ないではありませんが)

どうして「奈良県」ということになっているのか、何度読み返しても、よくわかりませんでした。
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[1605]Re(1):八尾? 奈良県?
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/11/3(木) 14:54 -

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ゆうさん
ご多忙のところ、お調べくださり、
詳しくタイプアウトまでしてくださり、有難う御座いました。

なるほど

信貴山
朝護孫子

ということから、環境省は奈良県に分類してしまったのですね。
しかし、朝護孫子寺といえば、信貴山のお山の本山です。
http://plaza.rakuten.co.jp/siroihana/36001

当時の交通は、大阪側からケーブルカー⇒山上鉄道 ですが、
昭和19年には、レール、軸策の供出で無くなっていたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/近鉄è\¿ä¿¡è²´é‹¼ç´¢ç·š

>これだけ見ると、「八尾」での作業のために赴任したわけですから、そこから徒歩圏内であったはずです。(尼院は兵隊宿舎。将校宿舎でも八キロあるのですから、もっと遠いという可能性も、ないではありませんが)

とてもとても、八尾空港の「司令部」まで出勤できるわけがありません。

読ませていただいて、私の第1感は、
著者が本の原稿にする際、後々のさし障りを考えて、
 
○○○の農家を一軒かり上げてある。下士官は○○○○の尼院

の○○の部分を差し替えたのだと思います。

そう考えると、後方参謀鈴木少佐との会話再現
 
>「尼院の名称は何というのでしょうか」
>「忘れた。一院しかないからすぐわかる。給養は現物支給・・・・」


は、著者自身の『尼寺の名称はいえません』のエクスキューズだったのかも知れません。

では、○○はどこだったのでしょうか?

第1の可能性は、
有名な尼寺である、藤井寺の道明尼寺
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/2003.12nara/12.28kawati4.htm

第2の可能性は、信貴山山麓の寺
(上記地図右参照)

地図を見ますと、八尾、藤井寺、富田林・・・
あたりは、溜池や水濠つきの古墳だらけです。
溜池の近くの寺、ということなら、大阪側であろうと思います。

例えばこんな記事も
http://www.ogtrust.jp/yao-news.htm

「フォローアップ調査」
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=1590;id=sikousakugo#1590
の3つの池が、奈良県側の朝護孫子寺だとすれば、著者の深謀遠慮が見事に効を奏したということになりますね。

以上、私の第1感です。


▼ゆうさん:
>『告白的「航空化学戦」始末記』からです。
>☆☆☆☆☆
>七月二十日、関西本線の八尾駅到着。第十一師団司令部は、南方二キロにあった。いまの八尾空港内である。
>師団長北島熊男中将に申告、ついで参謀長に着任あいさつをする。そのあと後方参謀鈴木少佐から宿泊給養の指示をうける。
>「全員部外泊、将校は信貴山の農家を一軒かり上げてある。下士官は朝護孫子の尼院に宿泊せよ」
>「尼院の名称は何というのでしょうか」
>「忘れた。一院しかないからすぐわかる。給養は現物支給・・・・」
>と、てきぱきと指示をした。あとで聞くと、陸士第五十三期で"無天"という。
>宿舎から司令部までは、歩いて八キロあった。真夏に朝夕二里の出勤はらくではなかったが、楽しみは夕食時の農家の主婦が生ブドウ酒をコップ一杯サービスしてくれることであった。
>兵隊連中も尼院でけっこう愉快にやっているようであった。(P65〜P66)
>☆☆☆☆☆
>
>これだけ見ると、「八尾」での作業のために赴任したわけですから、そこから徒歩圏内であったはずです。(尼院は兵隊宿舎。将校宿舎でも八キロあるのですから、もっと遠いという可能性も、ないではありませんが)
>
>どうして「奈良県」ということになっているのか、何度読み返しても、よくわかりませんでした。
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