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「毛沢東が日本の「侵略」に感謝した」―ネットでは、今や定番となっている書き込みです。一例を挙げれば、こんな感じでしょうか。
>昭和39年に社会党の佐々木更三委員長の謝罪に対し、「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。」(「毛沢東思想万歳」(下))
ちょっと考えても、この書き込みには違和感を感ぜざるを得ません。そもそも日本軍は、別に中国共産党に権力を奪取させてあげようと思って戦争を始めたわけではないでしょう。先方が「感謝」するのは勝手ですが、日本が「意図していない」(あるいは「意図に反する」)結果を生んだからといって、ほ〜ら、あちらも日本に感謝している、だから日本はいいことをしたんだ、という方向に話を持っていくのは、どう考えてもおかしな話です。
それはともかくとして、「毛沢東思想万歳」より、関連部分を引用してみましょう。
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『日本社会党の人士佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光らを接見した際の談話
一九六四年七月一〇日
〔訳注〕一九六四年七月一〇日、毛沢東は、北京に来あわせた。社会党系の五つの訪中代表団(佐々木視察団、社会党平和同志会代表団、社会党北海道本部代表団、社会主義研究所代表団、全国金属労組代表団)と会談した。
会見は、人民大会堂で行われ、午後六時から二時間四〇分にわたった。中国側からは廖承志、趙安博らが同席した。当時、北京にあった西園寺公一も同席した。
(以下略)
主席 ― 友人のみなさんを歓迎します。日本の友人のみなさんを大いに歓迎します。われわれ両国人民は、団結して、共通の敵に反対しなければなりません。
経済の面では、お互いに援助しあい、人民の生活を改善させていくことです。文化の面でも、お互いに援助しあいましょう。
みなさんの国は、経済の面でも、文化の面でも、技術の面でも、われわれの国よりも発達していますから、おそらく、われわれがみなさんを援助することは問題にならず、みなさんがわれわれを援助する方が多いでしょう。
政治のことになりますと、まさか、政治の面では、われわれはお互いに支援しあわなくてもよいというわけではないでしょう? 互いに対立しあうというわけではないでしょう? 数十年前のように互いに対立しあうというわけではないでしょう?
そうした対立の結果は、みなさんにとってはよいことはなかったし、われわれにとっても、よいことはありませんでした。同時に、他方では、それとは逆のことが、みなさんにとっては、有益だったし、われわれにとっても有益だったのです。
二〇年前のあのような対立は、日本人民を教育しましたし、中国人民をも教育しました。
わたしは、かつて、日本の友人に次のように話したことがあります。
かれらは、日本の皇軍が中国を侵略したのは、非常に申し訳ないことだ、と言いました。わたしは、そうではない! もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は、団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう、といいました。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師であったし、かれら〔その日本の友人のこと〕の教師でもあったのです。
〔戦争の〕結果、日本の運命はどうなったでしょうか
?
やはり、アメリカ帝国主義に支配されるようになったではありませんか? 同じような運命は、わが台湾、香港にもみられますし、南朝鮮にも、フィリピンにも、南ベトナムにも、タイにも及んでいます。
アメりカ人の手は、われわれ西太平洋並びに東南アジアの全地域に伸びてきており、その手は、余りにも長く伸びすぎています。第七艦隊は、アメりカの最大の艦隊です。アメリカは航空母艦を一二隻持っていますが、第七艦隊はその半数−六隻を占めています。アメリカは、そのほかに、地中海に第六艦隊を持っています。
一九五八年に、われわれが金門を砲撃した時、アメリカ人はあわてふためき、第三艦隊〔第六艦隊の誤植〕の一部を東に移動させました。アメリカ人はヨーロッパを支配し、カナダを支配し、キューバを除くラテン・アメリカ全体を支配しています。今では、その手をアフリカまで伸ばして、コンゴで戦争をやっています。みなさんは、アメリカ人がこわいですか?
佐々木
― 私は、中国を訪問した五団体を代表して、一言ごあいさつします。
主席 ― どうぞ。
佐々木 ―
主席が、お忙しいなかをわたしたちを接見して下さるとともに、有益なお話をしてくださったことに感謝します。私は主席が、非常にご健康で、中国の社会主義の躍進のために、全世界の社会主義の事業を指導するために、日夜奮闘しておられることを拝見し、ここで、主席に敬意を表します。
主席
― ありがとう。
佐々木 ―
今日、毛主席の非常に寛大なお気持のお話をうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われわれはみな、非常に申し訳なく思っております。
主席
―
何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の聞には矛盾がありますね。(みなが笑い、会場がにぎやかになる)。
佐々木
― ありがとうございます。
主席 ―
過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。
(中略)
細迫
―
私はかつて長いこと牢獄に入っていました。私のような善良な者まで牢獄に入れられてしまい、病気の妻の看病もできませんでした。このような悪らつな政府に対して、私は、主席のような寛大なやり方はとれません。
こんどの中国訪問は、神戸から中国の「燎原」号という貨物船に乗ってきたのです。日本の友好団体は小船を借り、旗を振り、音楽を演奏して、見送ってくれました。しかし、日本の警察側の小船も、そこを行ったり来たりして、別のある種の行動をとりました。
われわれが中国に着きますと、中国の政府要人と人民が一体となってわれわれを歓迎してくれました。日本も一日も早く、政府と人民が一体となって中国の友人を歓迎できるようにしたいと思っています。
主席
― みなさんは上海から上陸したのですか?
細迫 ―
そうです。日本政府のような悪い政府を早く打倒して、人民の政府をつくらない限り、真の友好を実現することはできません。私は、私を虐待した政府を許すことはできません。私は年をとりましたが、遺言の中で、自分の子供に、お前たちは政府を打倒するように、と訴えたいと思っています。
主席
― いくつになりましたか?
細迫 ― 六七歳です。
主席 ―
私より若いではありませんか! あなたが百歳まで生きれば、すべての帝国主義はみんなくつがえされてしまいます。みなさんが、日本政府と日本の親米派をにくんでいるのは、われわれが、かつて、国民党政府の親米派−蒋介石をにくんだのと同じです。
蒋介石は、いったいどんな人物だったでしょうか? かつては、われわれと合作して、北伐戦争をやったことがあります。それは一九二六年から一九二七年にかけてのことでした。
一九二七年になると、かれは共産党〔員〕を殺し、数百万人の労働組合、数千万人の農民組合をきれいに根こそぎにしてしまいました。蒋介石が、われわれに戦いを教えてくれた最初の人だというのは、この時のことを指しているのです。
その戦いは一〇年続きました。われわれは軍隊を持たない状態から、三〇万の軍隊を持つ状態にまで発展しました。
結果的には、われわれ自身誤りを犯しましたが、これは蒋介石のせいにすることはできません。南方の根拠地を全部失い、二万五千華里の長征を行わざるをえなくなってしまったのです。この席にいる人で〔長征に参加した者は〕、私と廖承志向志です。
残った軍隊はどれだけだったでしょうか? 三〇万からニ万五千人に減ってしまいました。
われわれはなぜ、日本の皇軍に感謝しなければならないのでしょうか? それは、日本の皇軍がやってきて、われわれが日本の皇軍と戦ったので、やっとまた蒋介石と合作するようになったことです。
二万五千の軍隊は、八年戦って、一二〇万の軍隊となり、人口一億の根拠地を持つようになりました。感謝しなくてよいと思いますか。
(以下略)
(『毛沢東思想万歳』(下) P185〜P193)
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見ればわかる通り、まず日本側は、とんでもないことをしました。ごめんなさい、と謝っているわけです。
それに対して毛沢東が、まあ、頭を上げなさい。ある意味では、あなたがたの侵略行為のおかげで我々は権力を奪取することができたとも言えるのですから。これからは仲良くしましょうや、という趣旨の話をしているわけです。
余談ですが、「毛沢東の言葉に佐々木委員長は目を白黒させた」という趣旨の書き込みを見たことがありますが、これは完全な「創作」です。
この言葉尻をとらえて、おおい、毛沢東は日本の「侵略」に感謝しているぞ、もう謝らなくてもいいんだぞ、という方向に話を持っていくのは、思い切り変てこな議論です。例えば、こんな会話を想定すれば、「おかしさ」は明らかですよね。
日本側 「我々は、中国に戦争を仕掛けて、その結果として中国共産党は権力を奪取することができました。お力になれて、よかったです」
・・・毛沢東が激怒するのは、間違いありません。
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